はてなキーワード: 抑制とは
秋葉原のさ、チチブデンキの前の横断歩道あるじゃん。ザコンとドスパラの前に出られる横断歩道。
あそこさ、信号ないんだよね。つまり歩行者はいつでも横断ができるというわけ。
こういう場所って歩行者優先を忘れかけたドライバーを教育するのにうってつけだ。
自分は有無を言わさず横断する。一応車を確認するがとまれる距離であることを確認できたらさっさと渡る。
これまで100回以上やっているが危険な目にあったことはない。
あせってブレーキ踏んでいるドライバーもいるが、信号に向かって突っ込もうとする車のいい抑制になっていると思っている。
また自分が渡ることで、車の流れが止まり他の歩行者も渡れる状況を作り出すことができる。
google日本語入力でこれを抑制するにはどうすればいいのやら。更に言えば「赤」と入力して確定したあとに「あか」と打つとご丁寧に「々」を第一候補にしてきやがるし。文章を打つだけでなくデータ入力にも使うっての。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
一応、真面目にちゃんと反応してくれた人もいるので、もう少し突っ込んだ話を。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694
自分も先の記事は内田先生のこの記事と概ね同じ感覚で書いたつもりなんですが、「呪い」と表現するとはさすが巧いなぁと思うんですが、結局、これは過去と比べて人がそのように攻撃的に変わった、という話ではなくて、ツールの出現によって人のどうしようもない部分が顕在化され、増長されている、ということなわけで、本来はツールによってコントロールして抑制されて然るべきだと思うんですよ。人を罵ったり、嫌味な人間が悔い改めていきなり消えるわけないですからね。ありがたい説法も馬耳東風であります。
こういったネガコメというか罵倒や中傷への対応については、4~5年前からはてなは度々指摘され、はてなが抱える課題であったはずなんですが、はてなはやる気がなかったのか、まったく効果的な解決策を見出せなかったんですね。もちろん、コメントの非公開であるとか、はてなスターであるとかで対応しようとしたんですが、如何せん効果がなかった。そりゃそうです。匿名ならまだしも、投票した側のidがわかるスターなんて使う人はヘビーユーザーに限定されます。すでに腐りかけているところに記名制の投票制度なんか設けても、大きな流れを変えるような発言は封殺され、内容そっちのけで内輪の笑いを取りにいくだけです。まともな批判であればいいんですが、それすら目立たなくなってしまうんですね。
こうなってしまうと、良識ある企業なんかは、自社のページにはてブのボタンなんか置くはずがないんですよ。現に自分が仕事で制作した企業サイトには、いいね!ボタンとツイートボタン、mixiチェックは置いても、はてブボタンなんか置いたことないです。そしてどんどん日陰者になっていってしまう。別に2chを目指すのであれば、それでいいんでしょうが、はてなの目指すところはそこだったの?ということを言いたかったわけです。
次記事
リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。
第一章
1
意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデルを意味する。
この主義の限界を
2
チューリングの形式化が持っている特徴
(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括
(2)そのメカニズムがいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している
(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している
⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している
フォン・ノイマンがコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーがLISP(プログラム言語)を開発。
⇒ 研究開発が可能に
A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出
⇒理論的に自覚化・明確化される
3
・物理記号システム
①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、
②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム
by 1976 ニューウェル & サイモン
・強い物理記号システムの仮説
SPSS strong-physical-symbol-system
「標準的な記号アトムのフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」
①仮想機械
そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」
・記号を割り当てる
・変数を束縛する
・記号列の複写、読みとり、修正
等々
③標準的な記号アトム
④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段
そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる
4
このような主張(標準的なLISPのアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践。
彼らの仕事の特徴(例:BACON)
・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している
・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能
・選ばれた課題領域を扱う
BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則)
・BACONが取り組んだデータをフォーマット化下のは、人間の労苦
・BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。
ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない
・BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの
⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう
サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。
しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンとラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。
心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える
知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている
5
古典的システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。
古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々
STS semanttically transparent system
「システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論的記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステムは意味論的に透明であるといえる」
きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズムの記述(レベル2)における計算の対象が、概念的レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述(レベル1)と同型である場合である。
(レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え
レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法
レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)
(1)古典的理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論と意味論を組み合わせた記号システムを仮定している
(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。
もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない
◎要するに、古典的システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである
第二章
1
ドレイファス:古典的認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当性
サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論と意味論との間にギャップが認められる
この二つの種類の懸念について検討する。
2
「あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」
この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念のリストをあげる。
ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。
・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)
・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?
ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか
3
・ドレイファスの二つの主張
(1)身体問題
「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」
コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない
(2)コード化
人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。
このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?
AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。
4
「強いAI仮説」を、サールは批判する
強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる
Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。
サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。
具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋の操作者が中国語を「理解すること」の比較
「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」
以下、サールの誤りについて論じる
5
サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」
脳シュミレータ説:あるりプログラムが中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる
↑(サールの再反論)
(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)
(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである
↑(アナロジー)
光合成:光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない
では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?
:外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること
↑(コメント)
『中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効
6
微視的機能主義
機能主義は、心的状態の本質を、
入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。
(適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)
↑(批判)
(中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。
こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう
・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか
×大まかなレベルに位置づけ
⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ
△ライカンの「小人機能主義」
○微視的機能主義
・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981
:機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ
(ライカン「小人機能主義」
:機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)
微視的機能主義
内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で
記述しようとするもの
・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる
第三章
1
2
「民間心理学」
:自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解
民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる
「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学」
3
(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。
民間心理学は、子供や狂人や外国人を前にすると、まごついてしまう
(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる
(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである
最近の分析哲学
:頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか
4
Daredevil believes that Electra is dead.
Mary hopes that Fermat's last theorem is true.
のthat以下を、心的状態の内容と言う。
心的状態が考えられる傾向
:われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、
われわれにとってどのように見えているかによって決まる
↓(言い換え)
我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、
本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない
⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、
知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆
・双生地球……☆に対して疑いを投げかける
双生地球で、「海に水がある」と発話される。
地球A:海にH2Oがある
地球B:海にXYZがある
この違い以外は同質だとする。
すると、
地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる
(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)
⇒
もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、
自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、
単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して
二つの選択肢
(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、
世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説
(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は
〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう
プティ と マクダウェル
「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。
しかし、
〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」
筆者
:あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、
そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない
その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。
仮想反論
:「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」とするならば、
心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)
(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)
仮想反論の詳細
:仮定①:
二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる
(そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)
仮定②:
行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない
結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない
「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。
限定的内容といっても、それを妥当な概念として了解できるかは明らかではない」
なぜなら、
「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは
まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。
その具体的理由として、
ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。
5
筆者
:広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、
頭の中で起こっていることに関することに関する科学的カテゴリーや分類に
きちんと還元されるなどということは
とてもあり得ないように思われる。
・民間心理学は、科学的心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない
→
世界を記述しない信念であり、なおかつ
ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学的記述の上には)存在しないことも可能
6
民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?
:
他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、
その人の身体の動きを予測し説明するための手段
民間心理学の主要な目的
:
世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること
(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴
①世界に対する感受性、すなわち感覚や生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している
②世界をわれわれと共有している
③彼らは我々自身のもっとも根本的な関心と必要の大部分を共有している
④彼らの思考の有用性は、
(我々自身の思考と同様に、)
彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、
彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている
この特徴があるので、
「~したい」という欲求さえ同じであれば、
・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている
・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、
さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)
7
筆者の見解
:私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、
行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである。
……関連する行動を可能にするものとしての、
根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、
そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が
対応している必要はない。
――
ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか?
<Fordor>
意識の全体論というのは、
「命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」
という考え方。
これに、Fordorは懐疑的。
(命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)
われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題(認知的連関)を共有しているとは思えない。
信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。
:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである。
「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」
</Fordor>
筆者
:Fordorの間違い
全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。
Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。
Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。
筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている
全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)
7
一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。
(3)に対して、
民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである。神経科学とつながることを目的とはしていない
(1)に対して、
民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない
(2)に対して、
なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。
整理。
民間心理学には、きちんとした定義がある。
これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」
8
因果関係と、構成的関係の区別
構成的関係
:
研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ
因果的に関係
:
因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、
それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる
ということはない。
(チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)
9
・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか。民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている
↑
(構成的関係)
↓
心
科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。
では、構成的関係とは何か。
構成的関係←→因果関係
構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること
因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない
(駒はなくてもチェスは打てる)
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一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
日本は性文化消費先進国として『性』への態度をはっきりさせるべきなのだと思う。
■性は消費されるという問題から逃げないこと。
性は消費されることがある、ということを正しく啓蒙すること。今までこれをなあなあにしていたから、反社会的組織に下駄を預けることになったり、ポルノグラフィと非実在創作物との関係をうまく説明できなかったりしている。その結果として、望むと望まざるとに関わらず性文化を提供する側に立っている人間への対応が遅れてしまっている。日本で性を消費物として扱っている企業はほぼブラックな労働形態を強いられている中小企業であり、若者向け産業界が萌えという言葉で浸食しているという現状だ。
きちんとした『性産業』や『性風俗』の再定義、それに従事する人間への対応が必要ではないか? 例えば日本で売春婦は立派な職業である、ということを、いま制度設計する必要があるんだと思う。何故国家をあげてそのような仕事をする必要があるのか? というと、おそらく、国が認めた職業じゃないと従軍の部分が説明つかなくなるから。これをやらないから援助交際を含めた素人の無秩序な淫行が蔓延しているわけだし、暴力団の収入源にもなっている。暴力団を撲滅させたところで働く場所として無秩序さが高まり、不幸になる人間が増える可能性は否定できない。そういう国としての姿勢を明らかにしないと、なんとなく『慰安婦という一方的な奴隷じゃねえ、売春婦という国が認めた職業だ』と言ったところで誰も納得しないんじゃないか?
一方で、生産の根源としての性を正しく伝えなければならない。男性性・女性性の相互理解、性科学的な観点からの正しい知識の継承と啓蒙。妊娠出産に対する社会の関心を高め、子育てへの理解と環境の改善を促す。生きることに関わる情報が子どもに対して先回りして伝わる可能性は、現代社会ではとても高い。そのような状況に対応するために、性教育についても、小学校から担任に任せるのではなく、専門教員による指導が適切であろう。最低でも助産師を担える程度の看護師、保険医であることが望ましい。医者溢れ、看護学校卒業生溢れ対策、女性の雇用創出にも繋がるかもしれない。非常勤教員化するのであれば、地域警察の青少年課などでも働くことで、知識や経験を蓄えることが出来ると思う。収入も上がるし。
こういう地道な努力を正しくやり続けることが、慰安という職能への理解を生み、さらには少子化の抑制につながるかも知れない。慰安婦の人たちを救うのは賠償というお金ではなく、多分『あのとき慰めてくれてありがとう』という男達の言葉なのではないだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111201/224762/
民主主義は、そもそも「豊かさ」の結果であって、原因ではない。つまり、民主主義は豊かさをもたらすわけではないのだ。
若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。
それらは、似ているようでいて、まるで違う。ある場面では正反対だ。
民主主義は、少数意見を排除するシステムではない。むしろ、少数意見を反映する機構をその内部に持っていないと機能しないようにできている。だからこそそれは効率とは縁遠いのだ。
原理的に競争的な職場では、市場原理が、怠慢を駆逐し、より高い労働へのモチベーションを生むことになる。多少の軋轢があるにしても、競争は、全体の発展につながる。
まるで内田樹の文章を読んでいるような。あの人は語りと誇張が激しくて吐き気がするほど嫌いだけれど、この人くらい抑制されていたら納得できる。
しかしそんなことより、この記事についてはてブ欄でなぜか銀英伝トークが盛り上がってることに刺激されたので書いてみる。
銀英伝もいいけどローマ人の物語の話しようぜ。橋本さんは共和政ローマ末期の政治でいうならどこまでいけるだろうかねー。
ポエニ戦争勝利以降の話ね。
とりあえず橋本さんを彷彿とさせるような要素がある人間を並べてみた。
知ってる人は説明読まなくてもわかるだろうから、適当に選んでください。
スルピチウスとかも入れるときりがないから省きましたが「あとこいつが足りない」と思う人がいたら入れてください。
<ホルテンシウス法>
スキピオ・アフリカヌス :ハンニバルに勝ったヒーロー。しかし権力持ちすぎて元老院の保守派、というか大カトーさんに嫌われ
すげーささいなスキャンダルで失脚させられる。哀れな末期。
ティベリウス・グラックス:ええとこの坊ちゃん。格差をなくそうとして護民官としていろいろやろうとするけど時期尚早すぎた。
アンチグラックス派の元老院の戦略で独裁者のレッテルを貼られ、最後民衆にリンチで殺される。
ガイウス・グラックス :ティベリウスの弟。兄ちゃんの失敗を踏まえて、独裁でもいいや、民衆が認めるほどに圧倒的な支持を得た上で改革にとりかかる。
ただし彼も執政官ではなく護民官として改革を実行。元老院とは対立的な構図になってしまう。
「市民権」問題で富裕層の支持を失い、留守にしている間、元老院に買収された仲間に裏切られて失脚。
メンタルの弱い支持者が暴走した結果自分まで反逆者扱いになり、逃亡の果てに自殺。生存中に行った改革はすべて白紙に戻された。
マリウスたん(民衆派) :家門名を持たない二等市民。高等教育を受けず教養がなかったが、問題解決のエキスパート(優秀な軍人)として声明を高める。
軍制改革により常備軍をつくりあげたことが失業対策となり、戦争の勝利もあって貧困層から一般市民まで圧倒的な支持を得てトップに。
しかし政治や外交能力に乏しく、護民官と元老院の紛争を調停する能力がなかったので政局不安を招き、支持率急低下→失脚。
あげくスッラさまのクーデターで国外追放とか、くやしいのうくやしいのう。
スッラさま(元老院派) :敵との戦いに行ったと思ったらそのまま子飼いの軍隊を率いてローマを占拠。マリウスさんを追い出す。スッラさまのクーデターまじぱねぇっす。
ただ、お出かけしてる最中に仲間に裏切られて国外で孤立。スッラさまの運命やいかに。
逆襲のマリウス :スッラさまがお出かけ中に裏切り者の内通で戻ってきて、自分を追い出した元老院のやつらを皆殺し。エゴだよ、それは。
暴れまくってる間に寿命が来て終了。
<ヴァレリウス法>
スッラさまMKⅡ :マリウスが死んだ後復帰。ローマ史上初の任期無期限の独裁官に。 ちなみにジョブズばりの恐怖政治。
後の歴史家が言うには「時代の流れに反する」元老院強化、護民官の弱体化などを推し進める。
反動的なやり方だけどスッラさま在任中はうまくいった。スッラさまのカリスマまじ最高。
任期無期限の独裁官だったのに、途中で退職し悠々自適の生活を送った後病死。
ルクルス :スッラさまの忠実な部下。スッラさまの死後に執政官に。
優秀な軍人だったけどエリート臭が強く金に汚かったためすごく不人気。ものすごく不人気。大事な事だからry
スッラさまの遺志をつぐべき立場だったけどあんまり頑張らずに引退。
ポンペイウス&クラッスス:超金持ち出身&超優秀な軍人。ローマの勢力範囲を過去最大にする。
「俺強くね?イスカンダルより優秀じゃね?」ということで、
スッラさまが修復・強化しようとしたローマ共和制のルールをことごとく破壊しながら若くしてトップに立つ。支持率も多分80%超えるレベル。
このあたりで「もうやめて!ローマ共和制のライフはもうゼロよ!」状態に
ガイウス・ユリウス・カエサル :スッラとポンペイウスを足して2かけたレベル。きたみたかったー。ぶるーたすおまえもかー。
※ちなみに「ローマ人の物語」において、このあたり「ポエニ戦争後からカエサル前」までの記述は、
塩野七生が、大好きなカエサルを絶賛するための前説部分として扱っているようで、
むちゃくちゃ結論ありきで語られています。 特に塩野節がきつくて正直鼻につく人がいるかもしれません。正確性にも疑問が大きいところです。
そんなに偉そうに言うならお前は今回の大阪市選挙で何が正しいのか言えるんかい、と突っ込みたくなるレベル。
ただ、偏ってるということは、一本筋が通されているということでもあり、それがむちゃくちゃ面白いです。個人的にはこの時代の話は、全体通して二番目に好きです。
特に、彼女がポピュリズムや独裁についての考え方を開陳する部分は、昔銀英伝にはまった人間には非常に刺激的な部分だと思うのでおすすめ。
※私自身は橋本さんについては批判的な立場です。こういうときハイエクとかわかってたら格好良く批判とかできるんだろうかね。
私は職場が大阪にあるんで、やっぱり色々気になりますけれど、肯定的なところがほとんど見いだせない。
独裁者は必要かもしれないけれど、個人的には一番独裁者にしたら駄目なタイプだと思っていて、そこの評価をマスコミが全くできないことには恐怖を感じます。
上位リーグの上位球団のオファーと1年を棒に振ってまで、下位リーグ中位の嫌われ球団に行こうとする選択を、人は愚かしいと思うだろうが、まぁそれは良い。バカな選手がいた方が面白い。
個人的には、菅野氏が読売じゃなければメジャーに行くと嘯いたなどという真偽不明の報道もあったからメジャーに挑戦して欲しいと思ってたので残念だが、まぁそれも良い(日本球界を経ずに渡米した場合にはその後日本球界に(事実上)入れないという醜い制度があるので、読売親族としての権力を使って制度を改正して欲しかった。)。
それよりも現行のドラフト制度には欠陥があるという事が明らかになった。囲い込みを試みる側に圧倒的に有利なのだ。
今回読売は、日ハム以外の球団の指名を排除する事に成功した。今年のドラフト対象を見れば、何もなければ菅野氏は3~4球団の競合が予想されるから、読売は有形無形の圧力によって交渉権獲得確率を倍増させる事に成功している。
日ハムは果敢にも菅野氏を「強行指名」したわけだが、案の定、契約に辿り着けなかった。
囲い込みをした球団は交渉権を得られなかった場合にも公正指名と同じく外れ1位を指名できるのに対し、囲い込みに挑んだ球団は1位と外れ1位いずれも選手獲得できなくなる。
このように、囲い込む側はノーリスクなのに対し、それを破る側にはリスクが大きい。
(なお一部の読売ファンは「1年も前から1位指名を確約する事で、巨人は菅野の故障等のリスクを負ったので公正だ」などと言うが、菅野氏が指名時点で期待外れなら指名しなければ良いだけであり、何らのリスクを負っていない。)
そこで改正案。
まず、囲い込みを破ろうとする側のリスク低減措置である。リスクはもっぱら1位指名選手が入団拒否することに由来するから、入団拒否をしにくい制度にすることが考えられる。
そこで、指名を受けながら入団拒否をした者は、以後3年間はドラフト指名を受けられないことにする。
考えてみて欲しいのだが、日ハムと読売なら日ハムでの1年を棒に振るのは勿体無いと思えるが、横浜に入団するくらいなら1年留年した方が合理的と考える者が居ても不思議では無い。こうした選択を防ぐのに、現行制度は不十分だ。
私は逆指名制度を提案する。ただし、逆指名をした球団はその年のドラフトに参加できないものとする。
下位指名を棄ててまで取る価値のある選手は極めて稀であり、この障害を乗り越えるカップリングなら観客の理解も得られるであろうし、囲い込む球団の戦力増強も抑制できるから、戦力均衡というドラフト制度の趣旨からも許容できる。
ブログを書かなくなって久しいが、復活にむけリハビリがわりに増田に書いてみる。
もっとも、大学教員である私が学生指導を通じて感じた知性について今日は書きます。
知性が低いと思われている人の中には、単純に広義の体力がないケースが多い。病気がちであったり、何らかの事情により物事に集中出来なかったりするために、知性を獲得する上で必要な思考が妨げられているケースが多い。
案外、中等教育期間中に体力づくりのための運動をすることは頭を良くするためにも大変理にかなっていると思う。また、特にチームスポーツであればリーダーシップを学べるので良いと思う。自分の子供にはそうさせてやりたい。
とくに運動が苦手な人を中心に、大学生になると定期的に運動する習慣を失う人が多いが、案外知性の獲得に向けてよろしくないような気がする。
本能や感情を抑制するのがまずもって社会生活を送る上で求められる基本的な知性である。そして、それらの基本的な知性の多寡は生まれつきの要素が強いが、しつけによるものもあるだろう。
もっとも、知性ある親はしっかりしつけるし、知性が獲得させた様々な社会的資源を活用して子育てするから、親は選べないということは本当に不公平なことであると思う。
人間は感情が優先される動物なので、都合の悪い(=悪い感情を引き起こす)現実は直視したがらない。そのため、基本的な知性が乏しい(=コントロールできる感情の水準が低い)と、自分にとって不都合な真実を理解しようとしないために、理解できる法則に限界がある。結果として応用的な知性(職業的に求められる能力など)も獲得されにくい。
もっとも、感情的にならず、冷静に周囲と調和できる人、いわゆる「良い人」が社会的に成功するとは限らない。全体的にみて、その様な人は所詮当たり障りのないことをしようとするから、つまらないことになる。
社会的に成功する人、特に経済的に成功する人の中には、性格的にユニークな人が多い。やはり、人並み外れた目立ちたがりだったり、強い欲望を元に事業を成功させるような人は強烈なエネルギーを持ち回りを引っ張ったりする。その人が良い人である場合もあるが、その様な強烈な感情は何らかのコンプレックスであることも多く、「良い人」でないこともままある。
というより、日本的な文化の中で、冷静に周囲と調和して生きるよう指導されているのは、社会が安定を求めるがゆえに、大半の貧民・庶民に隷属を強要することの裏返しかもしれないとすら思う。一方、親が金持ちだったり、社会的なポジションを有するようなケースでは、根拠の無い自信を持っているような奴もいて、比較的楽にリーダーシップを握ったりするなど、成功に近づく。社会階層が最生産される精神構造がそこにはある。
一定の素養がある人が習熟すると、だいたいの見た目や立ち振る舞いだけで、その人の知性の水準がわかってくるようになる。もっとも、その能力を獲得するためには、直感的に人を見る目を養わなければならない(少しシビアな)環境にいたかどうかが重要である。おそらく、過去の生活の結果に基づいて顔の形や立ち振る舞いと知性や性格との関係に関するデータベースができていて、それを無意識のうちに当てはめることでその推論が成立しているように思える。その構造を理解すると、第一印象に気を配ることは重要であることにも気づくだろう。
だいたいにおいて、賢い人は見た目も良い。もっとも、私は「見た目」に二種類あると考えている。一つは持って生まれた「造作」の良し悪しであり、もう一つは後天的に獲得した、あるいは経験した感情によって作られる「面構え」のようなものだ。前者はいかんともしがたいは物理的必然であるが、後者は自分の心持ちによってある程度コントロールすることが可能である。(もっとも、そのそれを改善するような心持ちを持てるかどうかも基本的な知性によるのだが。)
10代の間の見た目はまだ前者の「造作」によるものが大きい。しかし、大学を卒業するぐらいの年令になると、どのような経験により、どの程度の精神的成長を遂げたか?ということが顔に出てくる。ましてや40にもなろうとすると、それまでやってきたことの影響が思い切り顔に出てくる。結果として、大人になればなるほど、賢い人は見た目も良くなる。
性欲の強さは性格や知性にある程度の関係がある。社会生活をうまくこなすためには、強すぎても、弱すぎてもダメ。もっとも、ここで言う性欲とはある種のバイタリティの言い換えかもしれない。
性欲がある程度強ければ、異性を誘惑するという、生存上もっとも戦略性が要求される行為について自発的に考える。特に取るべきコミュニケーションの内容や、自分の振る舞いが相手に与える影響をよく考えるようになるからか、結果としてある程度の知性を獲得するのだろうと思う。
もっとも、性欲が強すぎるとそれ自身が知性の獲得に障害となることもあるので、社会生活的に見てうまくいかないケースもある。
性欲が弱そうにみえるタイプは、やっぱりコミュニケーションのとりかたに問題が出てくる。実は、就職活動をするときにモテる人とモテナイ人の差は如実に出てしまう。
言うまでもないことだが、基本的な知性が乏しい人は、自分の能力を効果的に伸ばすための選択ができない。また、自分の適性もなかなか決め切れない。結果として解決すべき問題、獲得すべき能力に関して集中的に取り組むことをしないで、ばらばらで組み合わせの悪い能力を身につけたりする。あるいは単純に時間を浪費する。
もっとも、将来的にどのような組み合わせが望ましいのかわからないという言い分もよく分かるつもりで、無駄なことなどないと信じたい。ただそのような言い方は、気の毒にも無い内定で落ち込んでいる学生を目の前にしてあまりにも無力である。
以上リハビリ終わり。
http://anond.hatelabo.jp/20111025124909
ご指摘の通り、例の書評はハックルさんこと岩崎夏海さんを茶化すように書いたものであり、正しい本の内容を示していないかもしれません。
一点誤解のないよう補足しておくと、
書評についてはおちょくるためにわざと脚色して書いたというわけではなく、私には本当にあのように読めたということです。
そして、岩崎さんの記事を読むたびに、ああこの人はひねくれものの中島義道とよく似てるなぁと思ってるんです。
岩崎さんをもうちょいあけすけで技巧的な感じにしたら中島義道になるかな、と。
そんでもって、岩崎さんの方が技巧的でない分だけ私に馴染みがある存在かな、くらいに感じています。
そういう意味で、私は岩崎夏海さんに好意を持っています。尊敬に近い感情といっても構いません。
何でもかんでも彼の言いたいことを否定したがるアンチというわけではなく、むしろかなりシンパシーを感じている側です。
書評ではそんな私が「小説の読み方の教科書」という本を読んだ時に感じたことをそのまんま書いたつもりです。
彼が自分のひねくれぶりを頑張って抑制しつつ、キレイなものを目指して旅立とうとしながら、己のひねくれぶりに足を引っ張られ、
それでも好きな作品を語るときは子供のように目を輝かせて勇み足気味に語る。
この手探り感のある本を読んでいて、素直に面白い、微笑ましいと感じた、という事実に嘘はありません。
なので、私はあなたの「読み」には必ずしも賛同するわけではありませんが否定をするつもりもありません。
そのかわり、私の「読み」についても、これが正しいと言いはるつもりは全くありませんが取り消すつもりはありません。
この点のみご了承願います。
「人権」とか「子供たちの命を救え」とか言いながら最低限の食べ物や医療を与えて全員ギリギリで生かして、
そうして生かされたギリギリな奴等はまた危機感と「それしかやることがない」って理由で繁殖しまくる。
国外からの援助のせいで、本人たちの身の丈を超えた食料だけは供給されるから、ギリギリな子供がどんどん増える。
どうすんだよこんなことしてて。
「熊さんかわいそう」って言いながら森にドングリ撒いてるのと変わらないぞ。
そうすると森全体の飢餓&飽和ストレスで熊さん同士の酸鼻な殺し合いが始まるか、
熊さんが人里に下りてきて襲撃&略奪を始めるか、
どっちかだぞ。
「無計画にエサあげて増やしすぎちゃいました、めんごめんご」
「しばらく干上がって10分の1ぐらいになってくれや」
っていうわけにはいかないんだぞ。
先進国でもそうだが、
援助で食う癖がついた奴と言うのは
どんどん繁殖するし浪費する。
そういう奴等に計画的な繁殖をもう一度教えるのは
援助漬けにした奴等の仕事だぞ。
いつまでドングリ撒く気なんだ。
なんかね、抑制が効きすぎている。
話の構成も無理無駄がない名作だと思うんだけど、それと違和感とは別。
自分の印象としては、バナナフィッシュに近い作品なんだけど、バナナフィッシュのほうがBL的な要素を気にせず垂れ流しているあたり、違和感は少ない。
凄いよね、この増田。
特にテーマにもなっていないし、匂わせてもいない作品で、BLの臭いを勝手に嗅ぎ取って、それが抑制されてるって違和感を感じてるわけで。
漫画家も大変だよな。
横だけど、「抑制がききすぎてる」ってどういうこと?
なんか「車道を走るのは危ない」とか言ってるバカばっかりで笑える。
歩道を走ってるほうが、自転車にとっても危ないんだけど、その危険性は自覚しにくい。
歩道を走ってる自転車は「安心」できる。自転車にとっては、歩道を走ってるから、という安心のもと、安心して駐車場の出入口や交差点などの危険地帯にノーブレーキで突っ込んでいく。クルマにとっては、車道を自転車が走っていない状態で、安心して横断歩道や、一時停止の交差点や、駐車場の出入口に首を突っ込む(そして自転車と交錯)。およそ7割の自転車-自動車の交通事故、およそ9割の死亡事故がこのパターンと聞く。もちろん、母数の問題があるから相対的に危ないかどうかは不明だけど、「歩道を走ってれば安心」は単なる幻想。
車道を自転車が走ってるのは、「怖い」という感情がある。それは確かだろう。だけど、いくらなんだって見える相手に向かって突っ込んでくバカはいない。クルマにとっては、路上駐車をよけるぐらいの気持ちで避ければいい話で、それをしない根底には本質的には「メンドクサイ」というクルマ側の怠慢がある。あとは、一部のクルマは自転車に前を走られるのが気にいらないらしい。これは本質的にクルマ側の問題として解決してもらわないといけない。自転車で前のクルマ(裏道なので30km/hぐらい)について走ってても追い越そうとしたアホグルマは人のいないところで事故って死ね。
自転車が車道を安全に走るにはいくつかコツがある。そのコツのうちのかなりの部分は、「他のクルマにとって予測しやすい/他のクルマの選択肢を狭めて判断を助ける動きをする」ということ。例えば、路側帯ではなく車道側を走ることによって自分の存在を目立たせたほうが、クルマ側の「メンドクサイ(からこのまま直進して側方を通過しよう)」という感情を抑制できる、とかいうコツもある。これがわからないあまったれた自転車乗りが多いということにも問題がある。国内の自転車メーカーは、顧客に媚びた自転車ばかり作ってないで、ちゃんと教育する責任を負うべき(もちろん一義的には親の責任だが、その親が甘ったれているので)。
書評「日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門」の準備。
この本の特徴を表すいいキーワードがでてこないため、今ひとつ文章がスラーと書けない。
私の書き方はいつもまず一言伝えたいキーワードが浮かべて、あとはそれをくどくどと説明するというスタイルなのです。
そのためにまず概要やら特徴をまとめてそこからキーワードを浮かび上がらせようとするのですが、この本はいまのところそれが出てこない。
はっきりいって今のところAmazonレビューのギスギスぶりの方が私が下に書いた文章より面白い。
金融日記の著者らしさが全く出ていないとは言わないけれど、めっちゃ普通の本。良くも悪くも教科書的。「世界一やさしい・・・の本」と同じような系統だろうか。
普通に入門書として使えてしまう普通に良い本。 一時期流行った勝間本と同種として捉えるのが良いかも知れない。
あえていうと、この人が大学では経済学と全然関係のないことを勉強していた事や、しかし経済学の文献を多く読みあさっていることは伝わる。
こういう専門外の人間(別の分野の専門家)が、本来の専門家を差し置いてヒトコト申し上げる、系の本としてはどうしても岩崎夏海さんの「もしドラ」や「小説の読み方の教科書」を意識してしまう。
岩崎さんの本はカバー範囲が極端に狭い代わりに、岩崎さんのハックルぶりがたっぷりつまったオンリーワンの本という感じなのだが
経済学入門については、ちゃんと経済学の話を網羅しようとするあまり、作者らしさが少し抑制されていてやや特色が薄い気がする。
「もう対案はありません」というサブタイトルはかなり魅力的で、これは5章で著者からの政策提言という部分のことだろう。
いつもの直線的かつ視野狭窄的なロジックとそれにつながる断定口調や、現状への鋭い皮肉が読めると期待させるが、この点ではブログを超えるほど面白い点は感じなかった。
別に読者はこの人に教科書や、体系だった教科書的な本を求めていないのだと思うが、そこまではっちゃけ切れていないような気がする。
本人のキャラを活かせとまではいわないけれど、本人の専門分野である金融からの視点はもうすこし生かされても良いのではないだろうか。
やはり岩崎さんと違ってあまりな○○○○ぶりを発揮すると本業に関わるという配慮があったのではないかと思われる。
結論を先に書くと、ハックルさんは批評とか他人にアドバイスするのは絶望的に向いてないと思う。メンタリティがガノタと同じだから。
現在ガンダムAGEで大勢の人がシナリオ担当の日野さんに大人気ない絡み方をするという事例が報告されています。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1670749.html
これについて、一般人の反応は「いい年したオッサンがこんな幼稚な絡み方をするわけがない。こんなの一部の例外」ととらえているようです。
ガノタに憧れてるにわかばっかだろうね ファーストリアルタイムで見てた連中はもう50代だろうし
流石にこんな幼稚なことしないだろうと思いたい
そんなことはないのです。何歳になっても粘着気質な人間は粘着なのです。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111017/1318836288
自分が正しい答えを知っている思い込みが激しく、
こういうタイプの人間は、外部のフィードバックを受け入れることがありませんし、
ある時点から、自分を叱ってくれる目上の存在がいなくなるので無双状態になります。
こういうことを書くと、必ず「ではなぜそのブログにとどまって書いているのか」という方がいらっしゃいますが、それはひとえに、ぼく自身が人身御供となるためです。ぼくが人身御供として進んで被害者になり、K氏の悪辣な所業を身をもって体験することによって、その実相をみなさまにお伝えし、ぼくのような被害者が一人でも減るよう願ってのことなのです。そのためぼくは、今日もここにとどまって、ぼくが受けた屈辱の数々について、ここでみなさまにこうしてご報告させて頂いている次第です。
完全に2ちゃんガノタ。頼んでねーから。あと最初からそういうメンタリティでやってる人の報告ほど役に立たないものはないから。
もしドラが成功した理由は、この「アドバイス」の詳細を省略して、単なるドラッカーのフレームワークの紹介にとどめたところだろう。
一方の「エースの系譜」はここの部分で彼自身の「ぼくのかんがえたさいきょうのかんとくしどう」をつらつらと書いた結果、世にまれに見る駄作となっている。ハックルファンは必読。
ハックルさんのことは大好きだけど、こういうところは心底気持ち悪いと思う。本当にこの人は「改善する」方向には向かない人だ。
あと、私はガノタが死ぬほど嫌いです。ガノタにはほんとうにいつもいやなおもいをさせられます。ガノタは人間のクズです。
もし彼らが正しいことを言ったとしても、その言い方やメンタリティがすべてを台無しにする。
例を挙げるとこういうこと。
http://www.bizcre.net/blog/moshidora-seminar.html
こういうことを言いたかったのだとしても
http://d.hatena.ne.jp/the-world-is-yours/20100420/p2
こういう反応が返ってくる。
他人を励まそうとして記事を書いても
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111017/1318821702
そして、このメンタリティの持ち主は、自分のアドバイスが受け入れられない時、
うまくイカなかったことを相手にせいにする。自分の意見を理解出来ない相手がバカで文章の読み方を知らないとか言い出す。
あげく「私の言うことはどんなに気に入らなくても従いなさい」といってそういう趣旨の本まで出してしまう。死んでほしい。
彼らは「人を助けるということ」という本を100回読むべきだと思う。
ガノタは口だけのクソ野郎ですが、ハックルさんは、己の妄想をちゃんとカタチとして仕上げるところです。
これが何を意味するかという点で次の記事に続く。