はてなキーワード: 懺悔とは
『友達が予知夢を見た』そんなスレが2ちゃんねるに立てられてから早半年が経ちました。
あの時の凍てつく寒さは嘘のように、梅雨独特のじっとりとした空気で汗ばむ部屋でこの文章を書いております。
当たり前といえば当たり前の話かもしれません、友人(彼女)は預言者でもなければ予知者でも無かったのですから。
しかしながら、一連の原因は自分にもございます。どうか彼女だけを責めないで欲しい……
話は遡ること2011年3月11日、僕と彼女は震災のど真ん中におり、そして身内は誰一人として帰らぬ人となりました。
天涯孤独となった僕と彼女は県外へ脱出し、二人で新たな生活を始めました。
もう何も失う物はない、僕と彼女はこれから先の人生を二人で築き上げていくつもりでした。
しかしながら、震災から数日経ったある夜、夜中に突然、彼女が驚いた顔で僕に言いました。
最初は震災のトラウマがまだ癒えていない、時間がそれを解決してくれるはずだと思ったのですが数ヶ月経ってもそれは治る事はありませんでした。
医師の話によると、あの時の震災のトラウマによって彼女の精神は無意識に3月11日以前に取り残されてしまったとの事でした。
無理もありあません、身内がいなくなってしまった世界は彼女にとって生きる価値の無い世界だったのです。
その結果が予知夢として彼女を苦しめ続けているのだと、初老の医師は僕に言いました。
そんな中、僕はそんな彼女の苦しみを少しでも救ってあげたかった!
今更、そう言ってしまうと言い訳になってしまうかもしれません。
後は皆さんのご存知の通りだと思います。
まとめサイトを通じてどんどんとネット上に拡散し『私も同じ予知夢を見た!』という者さえ現れました。
結果として、皆様に多大なるご心配とご迷惑をかけてしまった事につきましてはお詫び申し上げます。
しかしながら、未だ彼女の予知夢に終わりは無く、彼女が救われるのは皮肉にも
本当に地震が起こってしまい予知夢が的中した時ではないかとさえ最近では感じております。
今回の一連の流れによって皆様にご心配とご迷惑をおかけ致しました。本当に申し訳ございません。
『おや……地震か?』
夫の浮気の確たる証拠を掴んだ妻が嫉妬に狂い、次に夫が女を部屋に連れ込んだ時に夫を出来るだけ残酷な方法で殺してやろうと心に決めた。
そしてついにその時が来た。事前に夫が今日女と会うという情報を入手した妻は、包丁を握りしめたまま寝室のクローゼットに隠れた。
出来事の一部始終を記録しようと考えた妻は寝室が全て見える位置にビデオカメラを設置し、音声もレコーダーで録音している。
かくして夫は狙い通り、女を連れて妻の隠れ潜む寝室へとやってきた。二言三言交わしながら夫と女は服を脱ぎ始め、裸で抱き合う。
いざ、というタイミングで妻はクローゼットからわざと大きな音を立てて飛び出した。
「殺してやる!」妻は躊躇する事なく包丁を突き出す!しかし夫の脇腹をかすめ薄く傷を作っただけだ。
しかし妻は脇腹を伝うほんの少しの血を見て、急に自分のしている事の恐ろしさに気がついた。
包丁を取り落とすと、ごめんなさいと叫びながら泣きだしてしまう。
「今さっきまでアナタを殺そうとしたわ、でももう無理、私はもうアナタを殺す気はないわ。」なんどもしゃくりあげながらそんな事を言った。
突然の出来事に呆然としていた夫は、今自分の身に降りかかろうとしていた事をようやく理解した。
その瞬間彼の胸中を支配したのは、悲しみや後悔ではなく怒りと憎しみだった。
彼は妻が自分を殺そうとした事に腹をたて、泣きじゃくる妻に飛びかかると容赦なくその首を締めあげた。
「この野郎!殺してやる!」その顔は狂気に満ちていた。そのままでは間違いなく殺されていた。
妻はなんとか指を伸ばし、包丁をもう一度その手に収める事に成功する。
しっかりと柄を握ると、朦朧とした意志を総動員し、その刃を、しっかりと、夫の、首に、突き立てた。
「以上がその日、寝室で起きた出来事です。」
妻の手によって録画されたビデオ、音声、連れ込まれた女の証言、妻の供述。
全てがそれらの出来事が真実だと告げていた。
「確かに、夫が部屋に女をつれこんできた時、私の心には溢れる程の殺意が沸いておりました。
しかし夫に懺悔をしている時はそれはもう既に消えてしまっていて、最後の瞬間にはただ自分が生き残る事だけに必死でした。」
言葉少なに、しかししっかりと妻であった女性はそう供述している。
「これより判決を申し渡す―」
さて判決は?
「死人に口なし」をいいことに後から根も葉もないことを言われないよう
自分がなぜ死ぬのか、その理由とこれまでの苦しみを箇条書きでまとめていく
自分のせいなら自分が何をやらかしてしまったのか包み隠さず書く
誰かに酷いことをされたなら(別の誰かに濡れ衣を着せてしまわないように)
どこからも誰からもぐうの音の出ないくらい因果関係をはっきりさせて
「これが理由です、他のことは一切関係ありません」と書く
とにかく後腐れのないようこれでもかと丁寧に書く
仲良くしてくれた友達にはお礼を言う 育ててくれた親には懺悔をする
すると、ひとつひとつの出来事をひどく冷静な頭でふり返ることになって
それまで悩んでいたことの解決策が 突然ふと見えてきたりする
時には「何かこれ、死ぬほどのことじゃなくね?」と思うこともある
ある種の背徳感を覚えていつの間にか気分がハイになることもある
この遺書が公開されて、あいつが社会的にひとごろしのレッテルを貼られて
学校や会社を追われてひそひそ言われながらやつれて生きていくところを想像して
ビリビリに破いて捨てるのもいい
それでおしまい
もし、書いても書いても立ち直れなかったら、
その時はそのまま、その遺書が使える。
もう9割り振られているんだけども。
話しを知っている人が見たら完全に特定されるので、開き直って包み隠さず書いちゃいます。
以前にこんなこと書いたんですが、その結果です。
http://anond.hatelabo.jp/20110718015847
彼氏居る中で振り向いてもらいました。
よく遊びにも行ったし、泊まりにくることもあった。
忙し過ぎて誕生日とか忘れちゃうけど、優しい娘だったなー。
同棲解消したら、結婚を前提に付き合って同棲する。」そんなことまで、話し合ってた。
ビックリするぐらい忙しい仕事なので、普段からメールは余裕があれば返す程度で良いとは言っていた。
が、あまりに来ない。
最後に送った内容が「敬語はやめて欲しい」って送ったから、地雷だったのか?と自問自答。
もしものことを考えて、「体調不良で無かったら、返事くれ。返事なければ親の店に訪ねるね」ってっメールした。
# 相手の親には存在自体知られてないので、友達として行くつもりだった。(メールでも説明不足だったけど。)
したら翌日にはメールが来てた。
そのメールに返信してもまた返事こなーい。
クリスマス、プレゼントにiPad2買って予定入れず返信待ってました。
早る気持ちを抑えられずに、勝手に物件見に行ったり、嫌味に辟易してぽろっと親に言ってしまったり。
あと、これは微妙なところだけど、早く同棲解消してもらいたい自分としては、引越し代に困ってるのを見過ごせず、
共同口座として、30万で開設して、そこから使って良いよ。と言っていた。
まさか三十路を目前に控えて、疎遠からの自然消滅という結果になろうとは思わなかった・・・。
日本熊森協会のツキノワグマ・ヒグマ保護活動に対して、その手法・精神性の両面について問題が大きいことは各所で指摘されている。
取り上げられることが多いのは、「ドングリ運び」「ドンプレ」と称される「お腹をすかせたクマに食べ物を届ける」活動である。
2010年秋、協会は大々的に全国からドングリを募集し、一部をヘリコプターで山中に運ぶという活動を行った。
(通常のドングリ運びを含む)本件については、野生動物の研究者によって問題点が指摘されているほか、ブログやtwitter上等で是非について議論が続いている。
2011年4月、「協会の元スタッフ(既に除名措置を受けているとのこと)」である男性が、「熊森活動備忘録」と題するブログを開設し、協会内部の問題点について指摘を始めた。
著者John Smith氏(氏はブログ内で本名を公開している)は、ブログの最初の記事でこう記している。
私は、2008年から2010年まで足かけ3年間、「実践自然保護団体 日本熊森協会」(以下「熊森」と呼ぶ)にてボランティアをした経験を持つ。このブログの目的は、一言で言えば「糾弾」と「懺悔」である。足かけ3年の経験において、私が見聞きし、感じたことを記し置き、熊森という団体の実態を明らかにすることがその手段である。「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただければ幸いである。
ブログ上では、氏が熊森協会会長および幹部の数名を実名で糾弾し、会員数のごまかし、協会運営上の不審な点、不透明な金銭、自らが受けた理不尽な扱い、クマや森の保全活動と銘打った活動の問題点等を指摘している。
しかし、5月中旬にブログは削除され、一度別のブログサービスに移転するものの、再度削除された。
John Smith氏はこの件に対し、twitter上で「熊森協会からブログ運営に、プライバシー侵害および名誉折損を理由とする削除申し立てがあった」こと、また「John Smith氏自身の所属組織に対し、協会から電話による嫌がらせがあった」ことを明かした。
この「熊森活動備忘録」が削除されたことで、ブログ内で指摘された協会の様々な問題点についての信憑性が逆に高まることになったのは言うまでもない。
該当ブログは二件とも削除済みであるが、WEB上で読めるものを拾ってみたので、以下にリンクを示す。
はじめに-熊森活動備忘録(4/9日の記事、ウェブ魚拓)
雑記帳3 ドングリ運び、電話攻撃に思うこと-熊森活動備忘録(4/21の記事、ウェブ魚拓)
熊森活動備忘録(4/18から5/19までの記事のテキストデータ、rssリーダ)
John Smith氏の意思である、”「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただ”く参考になればと思う。
それは、オタク・童貞的なこじらせた身勝手な恋愛感・世界観を全面肯定している様に感じたから。
あの花に出てくるキャラクターはどれも魅力的だし、青春群雄劇的な展開で流れる様に話を進める様とか、秘密基地とかの誰もが懐かしさを感じるファクターを入れてきたりとか、OP&EDテーマの曲は物語と凄くマッチしてたし、メンマは最終的には成仏してしまう事を物語前半から定時して、安易なハッピーエンドが無い事を示唆しながら、与えられたシチュエーションではベストと思える終わり方を提示していたと思う。
見ていて面白かったし、感動もしたけど、何でかラストは入り込めなかった。
それは、最後、みんなが独白するシーンが小舞台みたいな急展開で、そこで感情移入が少し途切れてしまったせいかな?とも思っていたのだけど、物語が終わってから色々考える内にそれだけじゃないなー、と言えてきた。
まだ考えがまとまりきってはいないので、チラ裏だけど、書いてみようと思う。
みんながメンマの死を負い目をきっかけにトラウマを抱え、疎遠になってしまう。
それを、メンマの黄泉帰りをきっかけにトラウマを解消し、関係性を再構築する、と言う物語。
もちろん、他の要素もいっぱいあるけど、話を分かりやすくする上でそう言う仮定の下に話を進めたい。
各々が抱えたトラウマを、ストーリーを通して、徐々に視聴者に提示するなんてのは非常に上手だった。
このストーリーの過程で、ポケモンを探したり、花火を上げたり、めんまのためにメンバーは色々行動を起こす。
ただ、めんま以外の超平和バスターズの面々は、極論をすれば、常に"めんまのため"より"自分のため"が上に来ていたと言う描写になっている。
しかも、それをメンバー同士で隠しているから、いつまで立っても昔の様に信頼感を築けない。
結局、それではダメだと言うのに気付いたのが最終話で、自分をさらけ出す独白につながる。
ただ、この独白の段と言うのがちょっと納得いかなくて、この時のみんなの行動って、結局、"めんまのため"に何かした訳じゃなくて、"自分のため"なんだと思う。
懺悔って、相手のためを思ってする事じゃない。
こう考えていくと、"自分よりメンマのためを思って行動した"と言う描写が最後まで描かれていない事に気付いて、驚愕してしまった。
これ、何かで見た事あるって考えたら、ヲタクとか童貞こじらせた人の恋愛感・世界観に似てるなーと思った。
具体的には問題を解決するのに、"自分が努力する"と、"自分の努力を無条件に受け止めてくれる人がいる"の二つの要素で解決が付く、っていう価値観みたいなの
例えば、恋愛をする際に自己承認欲求が強すぎて、自分のコンプレックスを全て相手にさらけ出して、それを全て受け止めてくれる、みたいなのが恋愛だと夢を見てしまう。
付き合いたてとかちょっと仲良くなっただけなのに、コンプレックス丸出しの痛い長文メールなんかを送った事無いだろうか?
僕は良くそういった事をやって、ある時は相手が上手くスルーしてくれたし、ある時はそれをきっかけに疎遠になったりもした。
付き合いたてとか、そもそもそこまでの信頼感が無い時にコンプレックスを剥き出しにされるのは、相手に取って負担も大きいし、そもそもそれを受け止める義理も無い。
それを受け止めてくれるのが"好き"って事でしょう?って言うのは恋愛に幻想を抱き過ぎだと思う。
もちろん、恋愛に限らず、人との関係性の中で自分を全くさらけ出さないのなんてのはつまらないけど、それは相手と重ねた時とか相手を大事にする事で、信頼感を築いて、それを担保に少しづつ自分を出していく事じゃないかと思う。
もちろん、所謂リア充と言われる共感力が人並みに働く人はこう言うのを無意識に行えるんだけど、ヲタク・童貞的恋愛を拗らせた人はこれが全く出来ない。
相手のために何が出来るのか?これを言ったら迷惑だろうかと言う視点のリアルさが欠けてるし、欠けてる事にも気づけていない。
あの花に戻って考えた時、幼少期を一緒に過ごした仲であると言う点でメンマとみんなの信頼感の描写がある訳だけど、これは与えられた物であって、努力とか工夫をして築き上げた物じゃないよね。
あの花の話は超平和バスターズの繋がりがメインであるけれども、それを得るための他者への気遣いだとか努力とかが全く無くて、努力した点って言うのは偽りの無い自分をそのままさらけだす努力、っていう自分のための内向きの努力しか描かれていない。
じんたんの"人の事を常に考えて行動して、自分を抑圧してしまう"キャラクターに付いての描写も、実は殆ど無かったと思う。
勿論、幼少期のじんたんはリーダー格で、先頭に立ってみんなを引っ張ったり、みんなの面倒を見たりしていたんだと思う。
ただ、これらはたまたま何かのきっかけでリーダー的な立場に立った人が、みんなが望むリーダー的行動を何となく取ってたに過ぎず、やっぱり努力や工夫をして得た物じゃない。。
これは、立場を失った高校生じんたんが結局、他者のために何も出来ないし、自分の抱えている問題(不登校)すら解決出来てない事より明らかだと思う。
敢えて挙げるなら、あなるがラブホに行った疑惑の時にじんたんが立ち上がったシーンはそうだけど、何というかあれは主人公補正みたいな、まぁ主人公だったら、あぁするよね、と言うのが大きくて、アレだけで、じんたんが仲間のために努力している、と言う描写だとするのはちょっと無理があると思う。
何か色々散漫になってしまったので、繰り返すと、結局、自分のトラウマを包み隠さず独白する(自分の枠の中だけで他者を意識せず努力する)→トラウマを受け止めてくれて大円団、と言うのがイマイチだと思うのだ。
努力が常に内向きにしか向かって無くてお手軽・身勝手過ぎるし、受け止めてくれる他者への視点が欠如している。
エンディングでじんたんが高校に通う描写が出てくるけど、これだって結局、不登校と言う自分の問題を解決したにしか過ぎない。
彼らが、自分自身のためだけで無くて他人のために何か生み出した事と言えば、メンマ家のトラウマを花火によって解消した事だろうか?あれは動機はどうあれ評価出来ると思うけど。
もちろん、主人公達は高校生なのだから、他者への視点が不器用でしかるべきなんだと思うけど、視聴者のオッサン達が感動しちゃうなら、もうちょっと考えた方が良いんじゃないかな?と思った物で。
逆に言えば、最初からメンマがトラウマを受け止めてくれたら、メンバーが努力する描写が無いから、花火を上げる段になっても自分のトラウマを表に出せない→それじゃ解決にならない→やっぱり自分に正直にならなきゃいけない、と1段、下の状態からみんなをstartさせる事で、超平和バスターズの面々の努力を表現している点は上手いなーと思った。。
http://www.earthinus.com/2011/08/shadow-effect.html
この記事を逆から読むとそういうことになるのだろう。
今まで僕はこの手の人たちを軽蔑していたけれども、
彼ら彼女らは、自分の嫌悪を明確に認識し、さらけ出しているわけだから、
後は認識の変換さえできるなら、自分よりも救いに近いところにあるのかもしれない。
それだけ、自分がこだわっているものをよく理解してるということなのかもしれない。
もしかしたら彼ら彼女らの全部じゃなくて一部に憧れている面があるのかもしれない。
認めたくはないのだけれどもね・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20110818225658
元増田、男だろ。と思ったがどうか。
とにかく、良くぞ書いた。男の無意識を、良くぞ書いた。
誰も口にしなかったことを始めて書いたんじゃないか。
トラックバックのスピードより、ブクマの方が早いことが、それを証明している気がする。
犯罪として立件される具体的な行為の、その水面下の行為がある。
私は男だ。懺悔としてここに書きたい。私は元増田に指摘されるところの「密着魔」だった。
予備校時代、池袋までの埼京線で、私は青色吐息、年頃の女性の付近に立つことができれば、密着した。
違法なことをしたわけではないが…いま考えると限りなくクロに近くなくはないグレーだ。
もうちょっと厳密に、逆に言うと、「性的なメッセージが伝わる密着の仕方」がある。
たとえば、私という男が、乗り合わせた見知らぬ会社員Aに対して、太らせたペニスを接触させることはない。
私は男性が好きな男性ではない。だから、男性に対して屹立したペニスを接触させることはない。
・・・今まで具体的に、考えたことがない!
屹立したペニスを満員電車の中で他の男性に接触させるという行為が、接触させられた男性からどんな反応を引き起こすのか、考えたことがない。
もちろん、そう言えば、満員電車の中でペニスを押し当てられたこともない。
「どんなにすし詰めでも立ったペニスを同性に押し当てるな。」というのは、無意識下の黄金律みたいなものだ。
もちろん、異性に対してだって、屹立したペニスの存在を伝えることは、性的なメッセージの伝達になる。
満員電車の社内であっても、どこであっても、その行為は、簡単に言うと「マナー違反」だ。
ところが、満員電車の社内では、マナーもクソもない状況が生じている。
「見知らぬ他人には密着しない」のだって、マナーというか、社会常識みたいなものだ。それが崩壊している場なのだ。
そこにおいては、元増田が指摘するような行為が、水面下で行われている。
他人のその「水面下の行為・密着」を、目撃することもある。
なんでこいつこんなに女子高生に密着してんだ、ということがある。
そういう場合は、腕とかを間にめり込ませて、密着を解くというのもある。
小さい声で、「触ってんじゃねぇよ。」とか、代わりに言う、ということもある。
密着するのも、守る(?)のも、同じ人間がやっていたりする。
すまなかった。
相方にはできない話だ。
私は周りから思われているほど、人ができているわけでもないし、技術力もないし、弱い人間です。
期待に応えるために必死にもがいて誇張していただけです。偽っていただけです。
周りから期待があるたびに心の中では怖かった。いつかメッキが剥がれてしまうのではないかと。
周りの期待を裏切った。周りの信頼を裏切った。
状況を良くしようとして自分を追い詰めた。
さらに悪くなる一方だった。
とうとう、壊れてしまった。体の調子も崩した。頭が変になった。
考えた、考えた、考えた…
何回、同じ失敗を繰り返したら良いのだろう。分からない。
立ち直ることができないと思った。
でも、死ねない。生きたい。将来が不安であってもまだ死ねない。
でも、死に損なって入院なんて嫌だ。
周りに迷惑をかけるのはもう嫌だ。
逃げては立ち直り。転職を繰り返す。
いまの生活が崩れてしまったらどうしよう。
実家に戻って最初からやり直し? 年齢的に限界。無理。あそこからのやり直しなんて。
結婚していたら少しは楽だったのかな。弱い自分だったから逃げてばかりだった。
だから、こんなことになっているのかな。
やり直したい。でも無理なのはわかっている。
期待されるのはうれしい。うれしかった。だから、頑張ろうとした。
自分の限界をこえて期待を応えるのはただ自分を摩耗させるだけだった。
嘘。そうでありたいと思っているだけ。
技術力、知識なんて役に立たない。
行動して結果が残せる人、人を上手く利用する人が評価される。
人を利用するなんて自分にはできない。自分の成果でも人にゆずった方が良いとおもったから譲った。
結局、自分の立場を悪くしただけだった。
自分でも頭が変になっていくのがなんとなく分かっていた。
変なことを口走っていた。暴走した。わざと自暴自虐的な行動していた。
こうなることをわかっていた?
ひょっとして、心の中でこうなることを望んでいた?
そう、わざとそうなるように行動していたよね?
夢なら覚めてほしい。
でも、現実。わかっている。
何にも変わらないし。世の中は変わらないし。助けてくれない。
少しずつでも。自分は弱い人間。だから、少しずつ一歩ずつ行動しよう。
もう同じ失敗は繰り返したくないから
数年前、恋人と別れた。
破局の理由は、恋人の持つ不幸を受け入れられなかったことだろうか。
とどのつまり、人生を幸せに送りたいという増田のささやかで、かつ残酷な思いが、
重い過去に引きずられた恋人を余計に苦しめたという事実だけを残したように思う。
自分の気持ちの整理と懺悔のため、自分語りのチラ裏を始めます。
親御さんは優越感に浸る手段として、息子ーーつまり彼を周囲に自慢することを選んだ。
学業成績や習い事の発表会で不備があれば、「一家の恥さらし」には
待っているはずの夕飯がなかったり、体罰が待っていたりした。
彼はそんな親元を離れるため東京の大学へ進学し、卒業後は都内に勤めた。
増田との出会いは大学時代だったが、付き合うに至ったのは卒業後。
端正な顔立ちと明るい性格は、記憶の中の彼と全くと変わりがなかった。
青春時代に秘めていた淡い気持ちをもう一度胸に、昔話やデートを重ねるうち、
付き合い始めて一年、順調な交際の中で結婚生活を妄想し始めた幸せな増田のいる一方、
彼は体調を崩し、会社を辞めた。
長い人生なんだから、しばらく心身を休めてまた働けばいい、と増田は気楽に考えていた。
ところが、日に日に体力が落ち、調子の悪い日にはベッドから起きることすら叶わなくなっていった。
彼が不安で眠れない夜には、終わりの見えない電話に付き合った。
話題が目まぐるしく変わる受話器の隣で、窓に白み始めた空を映すころ、会話はいつも途絶えた。
毎晩の電話の中で、大学時代から精神に疾病があったこと、それが親の虐待に起因していることを聞いた。
直に治るだろうから支えよう、というお気楽な増田の考えはしばらく変わらなかった。
彼の趣味そのものが仕事となったため、内定獲得に彼は文字どおり跳ねて喜んでいた。
宿直あり•変則シフト制の新しい仕事は、増田には、彼の体力的な面、
土日休みの増田とのスケジュール面で不安があり、素直に喜べなかった。
夜勤が入り始めしばらくすると、連絡は途絶えがちになった。
毎日あった連絡は、二日に一回、一週間、一ヶ月に一回となった。
夜勤での体力的な消耗と、持ち前の生真面目さで仕事に苦しんでいるんだろうと思った。
初夏の暑いある日、お馬鹿な増田は夏風邪を引く。一人暮らしで初めての40度近い発熱。
たまたま彼の休日だったから気分転換にメールを打つも、案の定、返事はなかった。
翌日、見舞いにきた同僚に感謝する一方で、突然虚しさを覚える増田がいた。
連絡が取れず心が離れつつあるところに、赤の他人からの優しさを覚えた増田からは
彼に対する情が消えていったのだ。
同時に、少し苦痛でもあった彼との電話が取れないことに不満を抱いたことに、
やはり会うこともままならなかったため、別れ話はメールで終わった。
別れたい旨を告げると、数日後、あっさり了承の知らせが返ってきた。
彼を見捨ててしまった感がある増田には、別れてからしばらく経ったいまもトゲが残っている。
彼との交際において、どのような選択をすれば後悔せずにすんだのだろうか、
仕事で大変な時期にストレスを与えてしまい、仕事に支障はなかったのか、
自分と付き合っている間、彼はつかの間の幸せを感じられたのだろうか、
恋が冷める前に、彼のいる東京で職を見つければよかったのだろうか、
増田が見捨ててしまった彼には、これから幸せな人生が待っているんだろうか。
心の片隅にある答えの出ない問いと罪悪感がいつ消えるとも知らず、
いや、ただのネガティブ思考なんだけどさ。
えっと、違法配信っていえばいいのかな?動画投稿サイトにアニメ本編だとか、バラエティーだとか、映画だとか、丸上げするやつ。
結構探せば出てくるよね。ゴロゴロと。エロ動画もそうなんだけど、こういった違法配信動画。
割と見られてるよね。再生数とか見るとさ。
んでもってそれのリンク集サイトなんてのもあって、YouTubeでググれば1ページ目に出てくるくらいなんだけどさ。
これって、まぁ、普通に考えたらさ。ヤバいよね。
だけど、多分ネットにいる人、ほとんどが一回は見てるんだ。どうしても見たいけど、その一回のために、お金なんて払いたく無いし、あるならこれでいいや!みたいなすっげーカジュアルな思想でさ。
んでさ、このカジュアルな思想。結構世の中に広まってるんだよね。
俺はそれなりの大学に通ってるんだけどさ。みんな時間が空いている時に見てんの。動画。どう考えても公式では配信されてない動画を。悪びれもせず。ただただ当たり前のように。
けど、これさ。製作者側からすればとんでもないことだよね。一生懸命作り上げたものを、目の前でドンドン万引きされる感覚?
ちょっと前に黒執事の作者が苦言を呈していたんだけどさ。まぁ、そりゃ向こう側はそう思うよなー。って思うわけよ。
んで、俺としてはもっと怖かったのがこの後。
2chが黒執事の作者の過去のあら探しをしまくって、違法動画をこいつも見てんじゃねーか。何言ってんだこいつwwwみたいなことになったってこと。
この恐怖は、スゴいよ。このお前もやってんだろ?だから、黙認しろよ。つーか黙れよ。っていう、批判を許さない感覚は。
んで、大体の人は違法動画を見ちゃってるもんだから、誰も批判できなくなってくると。そりゃまぁ、カジュアルに見る層は増えますよね。あ、別にいいのかも。とか、考える人が増えますよね。
その結果、たぶんね。こっから先完全に推測でしかないんだけどね。さすがにお上もね。怒ると思うんだよ。もう、黙っていたらどうしようもないから、違法なことを取り締まろう。って思って、法の手配とかしてくると思うんだよね。
んで、結果として違法動画を見ていなかった人まで影響を受ける気がしててならないんだよね。いつぞやのコピーコントロールCDだとか、アクティベーションだとか。
んでさ。さらに怖いのはさ。
こんなことが起こった時に、カジュアルに見ている奴ら。こいつら、何も反省しないと思うんだよね。暇つぶしの手段が一個なくなっちゃったなー。残念だなー。って、思うだけで何事もなかったかのように、流す気がしてる……なんつーか、それってさ。怖い。
以上、マジコンはめちゃくちゃ叩かれるのに、違法動画を見る行為は叩かれないのって、みんなが見ているもんだから、俺もやったことあるし、俺の口では言えねえよ!っていう変な罪意識と、周りからの同調圧力なのかな。とか、考えたバラエティー番組を過去にYouTubeなどで見たことがある人からの懺悔文でした。製作者様。すみませんでした。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
「あなたは亡くなった人に優しくて、生きている人には冷たい」
耳を疑った。
正直、人としてどうかと思った。
俺はあなたの事も、あなたの家族の事も全く知らない部外者の他人なので、想像で意見を言う事になりますが、
あなたが無くなった叔父さんに対して、供養の気持ちを持ったり懺悔の気持ちを持つのはそれはそれでいい事だと思うけのだけど、それはそういった気持ちを感じたい人だけが感じればいいことだと思います。
だから親が叔父さんへの供養の気持ち、懺悔の気持ちを仮にあまり持たなかったのだとしても、それをあなたが軽蔑するのはなんだか変な気がしました。
文章を読んだ印象だけで言うと、勝手に懺悔して勝手に軽蔑してる、っていう印象を受けました。
懺悔の感情も軽蔑の感情も自分の心の内側から自然に湧いてくる感情なのだから勝手もなにもないのだけど、でもあなたとは違った故人への感情を持った人間がいるからといってその人を本気で軽蔑するのはなんとなく良くないなって思ったので書きました。
あなたは叔父さんに対しては優しい心を持てているのに、懺悔の気持ちを見せない親に対しては人としてどうかと思ったり本気で軽蔑したりしてしまう、そこがなんだか不思議に感じました。
でもこれは俺が文章を読んだだけで感じた印象であって、実際には俺はあなたがそう思うに至った心の経緯についてはなにも知らないので、ああだこうだ言える立場ではないです。
震災後すぐに友人の所在地の中継がされ、そいつの家が津波で流されるのを見た。
次の日には付近一帯が火の海になってる写真を見た。
その友人は、自分にとっては大切な友人で、簡単に言うと命の恩人だった。
正直な話、家族よりも大切だと言える友人だった。
でも自分は報道を眺めてそのたった二日で「ああ、友人は死んだのだな」と諦めた。
泣くこともなかったし、もう二度と会えないのが悲しかったけど、それ以上はなかった。
共通の友人が必死で消息を探してるのを眺めながら、
そんな必死になったらきっとあとから辛いだろうにな、なんて思っていた。
数日後、その友人から連絡があった。
自分と同じ報道を見た時に、あるいは無事だった電話を受けて泣いてしまったとか、
友人たちが言うのを眺めながら、許されてはいけない気になった。
自分が特別冷たい人間だとは思わないけれど、ただもう会わないほうがいいだろうなとだけ思う。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、独りでお酒をひたすら飲み続ける。
そんな姿を想像すると、どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりはほとんどなかったという事が読み取れた。
私も独り暮らしをしているから、叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろうお父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし、付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。もちろん、叔父さんも然り。
新年のあいさつはおろか、全く交流がないまま約30年が過ぎている。
私が生まれてすぐに父の父、つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
覚えてる限り初めて、会ったのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて、結構鮮明に覚えている。
ただ、覚えているだけだ。
叔父さんは独身だったから、痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
借金もなくなり、住み慣れた実家の側に家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。
そして、それから1年たらずで叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、まるで自殺行為のように飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人をあんな逝き方をさせてしまったという事にひどく後悔している。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったってもうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
耳を疑った。
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。ごめんなさい。
そうやって約一時間で、叔父さんはようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈だった。
膝に抱いた骨壷は、ずっと温かかった。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、懺悔と叔父さんの冥福、安らかな眠り、幸せな来世を祈るしか私にはできません。
本当にごめんなさい。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。
「そもそも自分の知らない人が知らない場所で死んでも知ったことじゃないし、家族さえ助かればいい」
「必要以上に買ってるのは分かる。でも大量買いそのものがストレス解消になる。これは地震とか関係ない」
「食べ物がいっぱいあると安心する。さらにお菓子とか家で食べてると気持ちが落ち着く」
「いつなくなるか分からないし、放射能がいつここ(※埼玉)まで襲ってくるか分からない」
「というか放射能もう来てるかもしれないからあまり外出たくない、篭城したい」
「食べ物さえあればなんとか生き残れる気がする」
保存食らしきものを買い占める客たちはレジで口々に懺悔、というか言い訳するのだそうだ。
買いだめという行為そのものが精神安定剤になってる、というのはちょっと忘れていた。
迷惑な人たちだなあとは思うものの、知らない人が知らないところで死んでも……というのは本音では否定しきれない。
ハウツー話から懺悔まで色々これまで書いたが、そんな経験ない。
あからさまに一人だけ罵倒するために一行レスつけてるだろ、ってのに噛み付かれることはあったが少ない。
あってもあからさますぎるやつ。(職場の受動喫煙がきついーって書いたら、「タバコ吸えないインポは死ね」と書かれるような)
ここから本音のターン。
匿名の利点述べると、必ず「自分の実績になるやりがいを知らないからだ」という人が居る。
汚い言い方になるけど、リアルでイケメンとそれ以外のスタートラインが違う世界があるように、ネットイケメンとも言うべき存在がいる。
そういう人は自分のマーケティングが苦にならず、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのにやりがいを感じる。自分名義で発表した方がスタートラインが段々前になっていくし、アルファなんとかや有名Pみたいな存在になって、いい結果をだせる。何故自分のキャラ作り戦略にやりがいが感じられるのかというと、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしてるから、表現したいものとそのための自分の理想形に乖離が少ない。乖離があってもそれを埋めるべく常に努力をしていて慢心しないから自信があり自己崩壊しない。そしてそのやりがいが自己評価を上げることになり、自己評価が上がることで乖離は少なくなり、やりがいを感じ、と循環する。
対して俺みたいな奴は、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしていないから、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのが自分に欺瞞を感じるだけで苦痛でたまらず、自分名義で発表するとスタートラインがだんだん下がっていく。そしてその乖離感からさらに自己評価が下がり、自分を表現する時に自分を偽る恐怖感から「俺はゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな人間だが、許されるなら独り言をここに書く機会が欲しい。」みたいに出来る限りスタートラインを後ろに下げるようになってしまい、それがさらに表現の評価を下げることになり、さらに自己評価が下がり、下がる一方の循環になる。そうなってしまうと、肩書きの利点を捨てて、匿名でスタートラインをゼロ位置に戻した方がまだ自分の表現が受け入れられるなんてことになる。
しかし社会と言うのは不思議で、そんな「ゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな、独り言を言うのも許されないような人間」と自覚している人間の書くものでも、匿名だと人に何かを与える事ができてしまう。そしてそんなトリックのような表現であっても、それで何かが他人に与えられる限り、存在価値を100%否定できない。