はてなキーワード: TV番組とは
この問題は定期的に発生する。
アイドルグループAに所属する田中さんがTV番組に出演したことがきっかけで「田中」というワードがTwitterトレンド上位に入ったとする。
そのトレンドを見た人が、TV番組に出演した田中さん(A)でなく、
自分がよく知っているアイドルグループBに所属する田中さんの話題であると勘違いし、
最終的に田中(B)ファンの声が大きくなり「話題のツイート」に田中(B)の話題が出てくるようになる。
トレンド詳細を見れば別の「田中」の話題であることぐらいすぐに分かると思うんだけどな。
最終的にトレンド入りのきっかけとなった人物が田中(B)ではないということを知ると
「え~違うじゃん、田中(A)とか誰だよwww」と言い出すのもさ、思慮に欠けているんだよ。
今日も推しグルのアイドルがトレンド背乗り行為の被害にあった。
「トレンド元になった人誰?むやみに(トレンド入りワード)を名乗らないで!(トレンド入りワード)に当てはまるのは私の推しくんだけ♡」
「○○○○って人がどこの誰だか全く知らないけど(トレンド入りワード)に当てはまるのは私の推しくんしかいないでしょ」
「誰がどう頑張っても(トレンド入りワード)に当てはまるのは○○だしもう誰も勝てないよ」
うっせーなそんなことツイするぐらいなら黙ってろよな😊😊😊😊😊
今までのアイカツシリーズの中でもぶっちぎりで新要素が多い、アイカツプラネット。
もし、過去のアイカツシリーズが好きで、かつ「実写」「カードじゃない」「バトルしてる」などの事前情報でなんとなくアイカツプラネットを避けている人がいたら、この文を読んで欲しい。
もう1つはアイカツプラネットと呼ばれる仮想空間的な世界。こっちがアニメパート。
アイカツプラネットでは、誰もがアバターと呼ばれるカスタム可能な外見を纏っている(名前も変えられる)。アイドル達もこのシステムを使って、現実とは違う外見でアイカツを楽しんでいる。
ここが今までのアイカツシリーズと1番わかりやすく違う部分だと思う。
なぜ実写パートを追加したのか、内部の事情は視聴者の自分にはわからない。ただ、これはアイカツだ、とストーリーを見ていると自分は感じる。
アイドル初心者の少女が、努力して、壁にぶつかって、悩みながら成長する物語。素敵な先輩に憧れたり、自分の理想のドレスを手に入れるために頑張ったり、アイドル仲間と競うことで高め合ったりもする。見た目が変わっても、中身は今まで自分の見てきたアイカツだと思わせられる。
アバター設定に関しても、今のところいい感じにそれを活かしたストーリーになっている。先代の中の人がいる主人公の舞桜(ハナ)の話はもちろん、現実世界とのギャップが大きい響子先輩(ビート)あたりの話もわかりやすい。ここは本作独自のおもしろさだと思う。
カードではない。正方形でキラキラしてる。ドレシア(後述する)の力を宿したドレスが入っている。全身コーデ済のアイカツカード(フルコーデカード)みたいなもの。
ドレシアによってレアリティや属性が違う。どのスイングを使うかによってステージの評価が変わる。ドレスは大事。
ドレシアはアイドルのドレスを完成させるために力を貸してくれる精霊的な存在。アイカツプラネット内の森に住んでいる。
全てのドレシアは意思を持っていて、簡単には力を貸してくれない個体もいる。それでもドレシアの力が欲しいアイドルは説得をしたり、崖を登って追いかけたり、アイドルとしての自分を見つめ直したりしてドレシアに認めてもらおうとする。
ストーリー内の立ち位置に関しては、ドレシアは歴代アイカツのデザイナーと共通している部分があると思う。あと普通に人間のデザイナーもいる(ドレシアの力が宿る前のドレスを作っている)。
アイカツプラネットの世界では日常的にバトルステージと呼ばれる1vs1の対決が行われる。そしてその勝負の結果によってアイカツランキングの順位が変動する。
今のところバトルステージでは必ず敗者が出ている(引き分け展開がない)が、アイドル達がそれで落ち込む様子はあまり見られない。それどころか相手に拍手を送ったり笑顔で握手したりする。
かといって、勝負に意味がないのかというとそうではない。第6話「パーフェクトの神様」でそこの話をしている。現在トップアイドルのキューピッドは、先代ハナというライバルの存在があったからこそ今トップに立てている、真剣勝負もまたアイカツのうちという話だ。この「ライバルがいるから頑張れる」的な話は全アイカツシリーズを通しての1つの特徴と言ってもいいのではないだろうか。お互いの足を引っ張ったりせず認め合って高め合う、とても健全な考え方だ。その精神はプラネットにも残っていると思う。
あと、たまにバトルしないソロステージ、ユニットステージを披露する回もある。こちらはじっくりステージを見ることができて個人的に好き。
これまで『アイカツプラネット!』を肯定する文章を書いてきたが、視聴者が何をもって「アイカツだ」と感じるかはそれぞれ違うと思う。TV番組が全編アニメであること、特定のキャラクター、脚本、楽曲、画風、CG技術、ドレスデザイン、カード、筐体システム等々。それでも、もしこの文を読んで少しでも興味を持った人がいたら1度本編を見てみてほしい。
働かなければ、せめてアルバイトはしなければ…と思った事もあったけれど、結局長続きはしなかった。
派遣社員として派遣された場所があまりに自分に合わず1日でその派遣会社を辞めてしまった事も何度かある。
一家の大黒柱であった父親は数年前に亡くなり、今は母親と二人で暮らしている。
母親は「今はコロナが流行っているから」と無理に就職やアルバイトを始める事を勧めようとはしない。
今は貯金と父親の遺族年金を食い潰す形で何とか生きている。自分が家にお金を入れた事はこの30年の人生で一度も無い。
働いていないので自由に使えるお金が無いのは辛い、と思う事もあるけれど、録画したTV番組とインターネットだけでも毎日時間は潰せている。
自分に根気もやる気もなく、もしアルバイトを始めた所で長続きしないだろう事は自分が一番よく分かっている。
何かしなくてはという気持ちも僅かにあるけれど、これ以上失敗を重ねて傷ついたり自分に失望する事が心底怖い。
今はコロナという言い訳があるので、これが終息するまできっと働く事は無いと思う。恐らくは終息したとしても働かない。
お金が無限にある訳ではなく、収入も無いので使えば使うほど減っていくという事は知識としては知っている。
けれど、自分は今我が家が毎月どれ程の出費があるか、今どれ程貯金が残っているかという事を理解していない。
一緒に居る母が教えてくれないし、自分も知るのが怖いので母に聞かないようにしている。知らないままこのまま安穏な気持ちで居たい。
自分は今三十路だけど、母も還暦を迎えた。母が三十を超えて生まれた子供なので、丁度8050問題が当てはまる年齢差である。
単純に考えても母親は自分より30年は早く逝くだろうし、体調を崩せば自分が面倒を見なくてはいけないのだろう…という事はやはり知識としては知っている。
ただ、その事に対してどうしても実感が持てない。母はいつまでも元気なような気がしているし、もし死ぬとしてもスッパリ死んで自分が面倒を見る事は無いのではないだろうか?という願望が頭を占めている。
母親が死んだ後、自分はどうなるのだろう。理想を言えば、母親が居ないこの世を生きていける気がしないので、すぐに後を追えたら良いなと思っている。
実際に自分の母親を愛するあまり母親が死んで数年ですぐ死んでしまった子供もこの世に居ない訳では無い。もし自分が死ぬとしたら、そういう一例に加わりたい。
ただ、母親が生きている間はやっぱり死にたくない。やっぱり生きている限りこの世には楽しい事が沢山あると思うから、生きている限りは生きていたい。
働きたくはない。それでも生きていたい。何か、外に出て働かずに収入を得て生きていく方法は無いのだろうか。
TVをながら見しながら一月の生活費くらいは稼げる仕事があれば、それを天職にしてみたい。本当の事を言うとどんな楽な仕事でもしたくはないけど。
どうしたら良いかなあ。能力が低い上に怠け者でも出来る仕事、何かあるんだろうか。そういう仕事が自分に回ってくる事と、日本の景気が良くなる事を今は願いたい、
俺はゲイなんだ。初恋の相手は男だったし、今まで生きてきて男としかセックスしたことがない。
でも最近、もしかしたら俺は生まれつきのゲイではなかったのかも知れないと思い始めた。
少し長くなるかも知れないが、読んで、そして率直な感想でも良いからコメントをくれれば嬉しい。
俺が初めて男とセックスしたのは10歳の小学校4年生の時だった。
相手はサッカークラブのコーチだった。当時の俺はすごくサッカーに熱中していて、クラブの時間も、放課後も休日もサッカーをしてない時間はないくらいだった。
当時俺に指導してくれていたサッカークラブのコーチは熱心な人で、厳しい部分もあったが基本的には生徒思いのコーチだったと思う。
そんなコーチと初めて性的な接触をしたきっかけは、俺が休日にもサッカーをしている話をしたことだった。
「そんなにサッカーが上手くなりたいなら、俺が時間がある時なら休みの日でも練習を見てやる!」
コーチの住んでいるアパートは、俺の実家からそう離れておらず、休日の練習場所にしようと約束した公園もアパートと実家の中継地点にあった。
しばらくの間、休日にサッカーの練習を付き合ってもらっていると、ある日コーチが「今日は練習疲れたろ?俺の部屋近いから休んで行けよ」と言ってくれた。
俺は当時、特に考えもなく「ありがとうございます!」とふたつ返事でコーチについて行ったと思う。
コーチの部屋は物が多いのか少し散らかっていた。コーチが部屋で飲み物の準備をしてくれているのを待つ間、ぼーっと部屋を見回していた時に、ある物が目に飛び込んできた。
エロ本だった。コーチは一人暮らしだからか、エロ本が隠すことなく部屋の隅に積まれていた。
エロ本、当時の俺はサッカーと同じくらいエロいことに興味があった。中学生の兄がいたので、兄の部屋に忍び込んでは押し入れに隠してあるエロ本を読んでいた。
当然、俺は興味があるそのエロ本を「読んでみたい…」と凝視していたと思う。
飲み物の準備を終えて持ってきたコーチはジュース片手に「何だ、興味あるのか?」と笑っていた。
俺がエロ本の表紙を凝視しているのが視線で丸わかりだったのだろう。
俺は「あります」と照れ笑いしながら答えた。するとコーチは「良いぞ」と言いながらエロ本を持ってきてくれた。
俺は「エロ本は大人しか読めないのに、読ませてくれて良いのかな」なんてことは全く考えず、ここでも「やった!」とか単純に喜んでいたと思う。
しばらくコーチと一緒にエロ本を読んでいると、「その年でもうエロいことに興味あるんか?」と肩や腕を撫でてきた。
コーチはわりと練習の時から頭を撫でてくれたり足や背中を摩ってくれたりしていたので特に違和感はなかった。
いや、今思い返すと本当は「いつもより多いかな?」という疑問があったかも知れないが、それでもいつもしていることだった。
俺は当時、友達と性的な話をしたこともないし、兄の様子やTVなどの情報を見るにそういう行為を表立って話すのは恥ずかしいことだというのは認識していた。
だからコーチに聞かれた時も「僕の年齢でエッチなことに興味を抱くのは恥ずかしいのかな」と思った。
コーチの問いかけに対して肯定で答えるのも物凄く恥ずかしそうにしていたのだと思う。
コーチは「照れることない。お前くらいの年齢からちょうどエッチなことに興味が湧き始めるもんなんだ」と笑いながら教えてくれた。
その言葉に俺は安心した記憶がある。この頃はまだ陰毛も生えていなかったが二次性徴期が始まる頃に、
同級生より性の話に恥ずかしさが少なかったのはこの時期の経験があるからかも知れない。
性への関心からセックスの話をコーチに振ったのは俺からだったと思う。コーチは笑いながら「あるぞー」と答えてくれた。
俺はセックスってどんな感じなんだろうとずっと疑問だったからコーチに「エッチって気持ちいいの?」と質問した。
エロ本にはセックスはとても気持ちの良いものだと書いてあったからだ。
コーチは「気持ちいいぞ。みんな大好きなんだ。でも周りにそういう話をしたりしない。みんな秘密にしてることだけど。」と
俺は納得していた。セックスの話をしてる人なんて見たことないが、でも隠して独占したいくらい楽しいことなんだと。
そう思っていると、するするとコーチの手が履いていたハーフパンツの隙間から俺の太腿を触っていた。俺は少し、いやかなりびっくりした。
「こういう風に触り合うと気持ちいいんだ、気持ちいいか?」とコーチは言った。
ここまで書いていて俺は思った、俺は当時コーチと初めて性的な接触をした時のことは今でも鮮明に覚えているし、初めてコーチとアナルセックスした時のことも鮮明に覚えているし、
小学校卒業とともにサッカークラブを辞めてコーチと会わなくなるまでの間にしていたセックスの内容も、全部ではないが印象に残っている経験は覚えている。
その仔細をこの文体で描いていると創作エロ小説を書いている様な気分になるし、読んでいる人は「嘘柱 誇張しのぶ ホラの呼吸乙、釣られねーよクソ腐女子w」と思って俺が思ったことを真剣には聞いてくれないだろうと思ったので割愛することにする。増田は追記ができるので反応次第では追記するかも知れないが、俺の経験したエロ話は今回要点ではない。
俺が思ったことは、俺は当時、確かに性に対する好奇心は抱いていたが、勃起や精通もしたことがなかったし(俺が明確に勃起と精通を体験したのは小5だ)、男女への恋愛感情も抱いたことがなかった(初恋は中学校で知り合った同級生男子でコーチではない)。
俺は小学校の時男性コーチとセックスをしなければ、あるいは普通に女性を好きになり恋をして結婚。子供を作っていたのだろうか。幼少期のこの性的な経験が指向をねじ曲げてしまったんじゃないのか。あの経験がなければゲイにならずにノンケとして生きていたのではないかと思うことがある。
実際、Google検索すると、幼少期の性的トラウマが云々という話を見かける。しかし、俺はあの時を思い出して感情がフラッシュバックして鬱になり自傷や自殺未遂を繰り返す。ということはしていない。
NHK中学生日記では男子中学生に対する男性臨時コーチからの性的虐待がテーマとして取り上げた回があったが、作中で登場した少年はかなり思い悩み不登校になったりしている。
一方俺は、コーチとのセックスは当時かなり楽しんで行なっていた様に記憶している。でなければ、何年もの間セックスをし続けることはなかったと思う。
それはつまりあの経験はトラウマにはなっていない=あの経験と俺の性的指向は関係していないということなのだろうか。
覆水盆に返らず。当時の経験をなかったことにした現在というものは存在しないが、もしそのIFがあったら、俺はどんな今を送っているのだろう。そう思うときはわりと頻繁にある。
【終わりに】
俺はコーチと肉体関係を持った後、もう関係がなくなった現在でも、自分のこの経験を友人や知人、親兄弟に話したことはない。
それは単純に性的なことをベラベラと他人に話すものではないという思いとそれが男同士ならなお他人に言って良いことではない。
という認識が小学生だった当時から、今でも自分の固定観念の中に根付いているからだ。
俺が子供の頃は、同性愛というのはTV番組で笑いのネタにされたり、気持ちの悪い可笑しいことだとして扱われる風潮がまだ残っていた。
今でもそうだが、オネェタレントはTVではキワモノ枠で、決して美化されたり憧れられる存在ではない。
つまり、ゲイはゲイというだけでバカにされていじられる存在だと子供ながらに認識していて、そして自分はバカにされて
「ホモだ!気持ちわるい!」と周りから拒絶されるのが怖かったのだ。いや、大人になった今でも、実はそれがとても怖い。
コーチは結局、俺が高校生ぐらいの時、同じ様に自室にサッカークラブの生徒を連れ込みセックスをしていたことがバレて逮捕されていた。
(しかも複数人だ。当時から実は俺以外にも別の相手がいたのだろうか。)
当時、近隣住民や同卒の友人たちはその噂で持ちきりだった。「俺、あいつに体触られたことあるぜ」とか「俺、あいつの家に来ないかって誘われた」とか
その話の内容は、性犯罪の被害に会う危ない目にあったというより「ホモ、気持ちわりー」という嘲笑の内容が多分に含んでいたと思う。
それもあって、関連の話で盛り上がっている友人を何人か見たが、俺はなるべく話に関わらない様にしていた。
また、俺は被害を訴えようと思わなかった、それはやっぱりコーチへの憎しみ(さほどなかったが)よりも、その経験がバレたことで周りから拒絶されることが怖かったからだ。
Rival Peakとはなんぞや、というと、たぶん昔やっていたTV番組の「サバイバー」が近いと思う。
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20201202-144738/
https://www.facebook.com/RivalPeak
特徴を箇条書きにすると
・視聴者はAIを応援してクラフト速度を上げたり行動を選択できる?
・期間は3か月
ということらしい。
だってほら、サバイバーとかそういうリアリティショー系のサバイバル番組って、いくら番組のバックアップがあるとはいえ多少は危険があるわけじゃないですか。
でもAIなら最悪死んでも見ている人がちょっと嫌な気がするだけで、倫理的な問題はないでしょう?
森とか無人島とか言わずに、もっと過酷な雪山とかに放り込んだっていいわけで、なるほどそれなら面白そうだなと。
という感じで期待を煽ったところで実態です。
Facebook上のライブ配信は「動画」から行われており(FacebookLive)、「Home」といって複数視点を定期的に切り替えながら放送されています。
個別視点は分かりづらいのですが「ゲーム」からRival Peakをプレイして、各AIキャラクターのアイコンを選択する必要があります。
で開始から見守っていたんですが。
ぼんやりと立ち尽くすおばさん。並んで木の実を食べてる二人のおじさん。何を相談するわけでもなく勝手に石を採取したり木を採取したりテントを建てようとしてたりする人たち。
なにこれ。
いや、まあ、わかるんですよ。確かにAIがサバイバルゲームしてるんでしょうね。
でも何も相談せずに作業始めるのおかしくない……? 裏でボイチャでもしてるの? っていうか君たちは今何を目標にどう行動してるの?
UIがですね、貧弱すぎるんです。今何が起きているのか、何に向かって行動しているのか、何も分からない。
マジで森の中でAIキャラクターが自由奔放に動き回っている。これだけ。
会話らしきものは1時間ぐらいチラチラ見ていてようやく、何か話している……ようなものが見えましたが、基本勝手に自由行動しているので分からない。
たぶん頭の上に何か内容についてのアイコンが出てた。でもおしゃれなアイコンが一つしか出てないので、内容は分からない。
……と書いているうちにようやく焚火のもとに人が集まってきて話始めたようで、アイコンも見えましたが……これで人間関係を察しろというのはかなり厳しい。どれだけ注視していればいいんだ。
AIに人間関係ゲームをやらせる場合のダメなことのてんこ盛りみたいな例になってきました。
地味に個別画面(ゲームから見れる方)には音がついていないこともつらい。
がんばってスタッフさんが配信でコメントしてますが、ゲームじゃなくて新しいジャンル、「a massive, interactive live event (MILE)」だと主張していますが……はあ、そうですかという感じです。
ちなみにライブ配信直後の視聴者が150人。1時間半後80人ぐらいです。個別画面も1キャラあたり数人しか見てないので、存在に気づかれてないレベル。
あとAutomatonが解説していたようなゲームへの干渉は今のところ全くできないです。
個別画面からVoteできるぞ、と案内されましたが……コメントっぽいところは押しても何も反応しないし……
せめて
・今、AIは何をしているのか
・目標は何か、進捗率はどうか
・AIは誰に何を思っているのか
今は本当にただ(古臭いデザインの)キャラクターが何かしてるな……ってことしか分からないので(黄色い鞄の上で手を上下させてることから一体何を分かれと言うのか?)。
あえて「ふんわり」させるというデザインかもしれませんが、ふんわりがすぎる。
っていうかAIのレベルも「リアリティ」には程遠いんですよ。さっき飲んでた池の水に足突っ込んで移動したり(汚い)。立ち止まって行動を選択してる時間も長いし(3分ぐらい突っ立ってたぞ)。
開発費1000万ドルだそうですが、ずいぶんお高い勉強代じゃないかなと思います。これならガンパレードマーチを実況解説してたほうが視聴者が付く。
G○○gleに私はいましたという体で登録者数を増やしていたりオンラインサロン集客を行っていた人が現在炎上しています。今回はその人の話はしません。
(この方はググってみたり過去を遡ったりすると色んな意味で面白い経歴の方でした。)
今回のテーマは自分自身が騙されたというのにかばう人が相当数いるということです。
Twitterで社長やコンサルとかもフォローしている方も多いですが、その方たちは結果さえ出れば全て良しと言う考え方のようですね。
その中身とは一体何でしょうか?自分がいいと思ったものがいいと思っているということはないでしょうか?
その中身が人とかぶっている場合、ただ単に模倣しているだけの場合がほとんどです。出典元を出さないで自分が言ったことにしていないか確認しましょう。
やる気が出たので中身があるんだという場合は他人にやる気を出してもらう前に自分でやる気を出す方法を見つけましょう。
情報商材、サロン、マルチ、全てを否定するわけではありませんがそこで長く付き合える人を見つけるのは困難です。
お金のみではなく、同じ志を持つ仲間と出会えるように自分のスキルを磨きましょう。
結果とは一体何でしょうか?
ここではお金を稼ぐということが結果だとしてリストアップしてみます。
すべてお金を稼いだという結果になりますし、バレなければ大した問題ではないかもしれません。バレなければ。(大体は捕まりますが)
あの飲食店はうまかった!
あの方のおかげで私は救われた!
そんな声もあると思います。
間違いではなく、故意に偽装したものであなたはターゲティングされて集客されたということを受け入れましょう。
ジェームズ・ランディ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3)さんという方が霊能力者を偽装して信者を集め、その人達の前でネタバレをするカルロス実験を行いました。
カルロス事件とは、ランディがオーストラリアのテレビ局により、企画された多くの人とメディアを詐称した事件。もともとは、チャネリング(降霊術の一つ)の疑わしさに関する企画を、オーストラリアのテレビ局プロデューサーが「マスコミ含む自国民が捏造情報をどこまで信じるか」という企画をランディに依頼したことに始まる。
この企画の打診を受けたランディは、オカルトとは何ら無関係であった知人のホセ・アルバレスをチャネラーに仕立てるべくランディのもとで綿密な仕込みを行なった。仕込みの一つとして脇の下にボールをテープで留めてこれを押しつぶして腕の脈拍を止め、偽の仮死状態を作り出すトリックなどが含まれていた。そして、1988年に2人は「アメリカで話題の」「2000歳の精霊とチャネリング」という触れ込みとともにオーストラリアを訪れ、TV局に売り込みをかけた。アルバレスは名前を「カルロス」と変え、チャネラーらしく権威があり、もっともらしく見せる為の細工や小道具を駆使して豪州のTV番組「Sixty Minutes」に出演、ランディの使った手口は小型無線機を使った初歩的な手品とコールド・リーディング、カルトで良く使われているような文言を適当に散りばめた抽象的で仰々しい「カルロス文書」と名づけた即席の教義、そして「カルロス」ことアルバレスの演技も相まって大量の信者を生み、テレビの人気者となり様々な媒体が彼を「チャネラー」として取り上げた。彼らの「興行」はシドニーのオペラハウスのショウで最高潮に達し、このタイミングを見計らいランディが事の経緯を明らかにする。呆然とする者や騙されたと知って怒り出す者、中には意味が解らずカルロスを擁護し、ペテンだと明らかになったあとでさえカルロスとその霊的でもなんでもないメッセージを信じ続けた者も居たといわれる。
豪州の視聴者を含むメディアは全てが仕込みとヤラセと知り大騒動に発展、カルロスを「本物」として扱った番組は大恥をかく事になる。ランディは「電話一本で確認すればペテンだとわかるネタが数多くあったのに、メディアはその手間すら行わず、検証も怠り鵜呑みにし、何の価値も無い電波を視聴者に向かって流し続けた。かように人が簡単に騙されやすいと同時に、メディアを騙すのも造作無い」と喝破した。
ここでのポイントは、
中には意味が解らずカルロスを擁護し、ペテンだと明らかになったあとでさえカルロスとその霊的でもなんでもないメッセージを信じ続けた者も居たといわれる。
ここです。
騙されたというのにそのまま信じるという人は今も昔もいるということです。
これはバラバラになった元オ○ム真理教の信者が今でも教祖を信じていることと同じことと言えるでしょう。
自分が信じたものが問題を起こして、それが叩かれているときに自分が叩かれているというふうに錯覚してしまう人が多いです。
自分が信じたものは自分を形成する一つにしかなく、自分自身を構築する全てではないのです。
宗教やサロンといった縦社会のような場合、恋人やパートナーなど何らかの依存関係にある場合、依存している人が問題を起こした場合、その人を信用できない自分が悪い、そして世界が悪いと考えてしまう場合があります。
そのような人の場合、裏切りラインを作っていないことがほとんどです。
どんなことをしても受け止めないといけない場合はないので、その人は自分をどう見ているのか、集客された人たちをどう見ているのか自分でよく考えましょう。
会社でも人でもなんでも裏切りラインを作っておくと、そのコミュニティから抜けやすくなります。そこで引き止める人とは基本的に相容れないので早く抜け出しましょう。
わたしの場合は個人間で盛るのは裏切りラインには設定していませんが、利害関係で故意に盛ったり、嘘を付いたことに対して逆ギレした瞬間を裏切りポイントにしています。
自分自身を裏切らない自分を作ることが一番なのですが今の現代社会難しいですね。
嘘をついて人々をカモにしているかどうか、その目を養う事が必要になってしまった社会に対して私たちはどう生きていけばいいのでしょうか。
宙船を歌いましょう。
こないだ久しぶりに東京の知り合いとビデオ通話したんだけど、どっかで聞いた「東京の人、東京以外にも人が住んでること忘れがち」って本当なんだなと思った。
こっちが伝え聞いた東京の話を振ると盛り上がるんだけど、向こうから東京以外の話題が出ることが一切なくて、悪気なしに本当に地方に興味ないんだな〜と。
当然、人がいることを額面通りに忘れるわけはないんだけど。
厳密にいうと、観光地接客業と第一次産業以外の地味な労働者が地方にもいるってこと、東京の自分らと同じような労働をちくちくやってる人らが地方にもいるってことは、マジで眼中にない人が多いんじゃないかと思った。
そう考えれば、東京のTV番組が地方を扱う時の、もてなしてくれる場所としか見てないようなあの感じも腑に落ちる。もてなす気のない地方をちゃんと映してくれるのなんてドキュメント72時間くらいですよ。
自分が話した東京の人たちは多分まだマシなほう(年数回地方に行く機会はある)で、中には地方出身者もいた。けど、ずっと東京に住んでるとだんだん外が見えにくくなってくもんなんだろうか。東京だけでも十分でかいしな。
今までの自分の勤め先は全部本社で東京は営業所しかなかったし、旅行でも地味な地方を回って各地の町中華に入るようなことばかりしてきたから、なおさら世間とのギャップを感じた。地方って興味持たれないのがふつうなんだな〜。