はてなキーワード: 自己嫌悪とは
中学高校と男子校だったこともあり、女性に免疫ができず、自己嫌悪もあって青春とはかけ離れた学生生活。
童貞を捨てれば自信がつくかもしれないと思って、大学3年のときにネットで知り合った年上女性と会った日にホテルに行くも、緊張でたつものもたたず撃沈。
その女性のおかげで3ヵ月後に捨てることは出来、なあなあで結婚する事情があって2年で離婚。
25にして再び独身生活が始まった。
Aというオンラインの友人がいた。
彼女は学生のテレホ全盛期にゲームのサイトで知り合った同じ年の女性。
プログラムの仕事を自営でしている私は、夜中仕事をしながら彼女とメッセをするのが日課だった。
学生のときから一度も会ったことが無かったが、私は離婚、Aは結婚破談、なんとなく環境が近かったのだろう。
何かのきっかけで会おうということになった。
少し暗そうな感じのAだが、ブツブツと小さい声で面白い冗談をしゃべる子だった。
お互い緊張してチャットのように話せなかったが、思ったよりかわいい子だなという印象だった。
そしてお互い人肌恋しかったんだろう、勢いで二人で旅行に行こうという話になった。
やれるとおもった。
旅館に一泊で旅行にいったが、車の中での会話はチャットのようには弾まず、自分の緊張やの押しの弱さが原因で、結局別の布団で寝て何も無かった。
Aは私が寝るまでタバコをふかして窓の外を見ていた。
自己嫌悪いっぱいの旅行から帰って一週間後、男性に告白されて付き合うことにしたとAがメッセで言ってきた。
別に好きでもなかったと思ってたのに、人の手に渡るとすごく悔しかった。
Aは別れたり、ダメって分かってるのに離れられない、悪魔だわと私に愚痴を言いながら付き合っていた。
そう思って自分のモンモンとした気持ちを整理をつけようとしていた。
結局半年位して別れたらしい。
そして、モンモンとした気持ちは消えていった。
Aは私のことを「いいんだけどなんか残念な感じ」という印象だったとチャットで聞いた。
月日は流れて30になった。
友人の少ない自分には、Aとのチャットが日課であり生活の一部だったのだろう。
ある日なんだかチャットで落ち込んだ感じのAに、久しぶりに飯でもいこうと誘った。
がんばってちょっとこぎれいなレストランを予約して、久しぶりに会った彼女は前より少し綺麗になった感じだった。
しゃべり方はあいかわらず、ボソボソとしていたが冗談をいって私を笑わせてくれた。
食事の後彼女が誘ってくれたバーにいって話していたら、ろうそくに照らされた彼女の顔が一段と綺麗に見えた。
そこで恋心に火がついてしまったのだろう。
よく分からないけどこの気持ちはたぶん好きに違いないと思った。
彼氏がいないのも知っていた。
次の日言いたいことがあると告げて、彼女のマンションまで片道高速2時間。
好きだから付き合って欲しいと伝えた。
40の単なるおっさんだという。
私は帰り際に1度だけ抱きしめさせてといって抱きしめて、車の中でばかやろーっていいながら家に帰った。
初めてソープにいって気を紛らわそうとしたりもした。
そのあと私がAに対してとった行動は「5万で一晩ともにして欲しい」というとても最低なものだった。
Aと1度でも寝たら、この張り裂けそうな気持ちがスッキリなくなるのではないかと思ったのだ。
Aは一蹴した。
何度もお願いをして5日目くらいに今すぐ来るならいいよといわれたので、夜中高速をすっとばしてAの家でそういう行為をした。
Hうまいねといわれた。気持ちがこもっていたから事実だったのかもしれないし、みんなに言うのかもしれない。
4,5回そういうことをしたのを覚えている。
私の中であった変化はというと、毎回5万円はきついなというのと、帰る時に俺名にやってるんだろうと朝帰りに思うこと。
朝、Aに「帰らないで」といわれたけど、仕事をサボれない私はごめんといって帰ったのを覚えている。
払わない日もあった。
私は性病にかかった。
今思えばソープが原因だったわけだが、そのときは彼女から移ったと思った。不倫相手がもってたに違いないと。
Aに検査するように薦めたが、結果Aはシロだった。
私は薬を飲んで1ヶ月ほどで治った。
一緒に食事に行くことはあってもその後の展開は無かった。
手に入らないようになると、麻薬が切れたかのようにAが欲しくて欲しくて仕方が無くなった。
Aのことで頭がいっぱいになって、Aの不倫相手が恨めしくて、Aがメッセから落ちたら不倫相手と寝てるのかと妄想した。
もはや病気だった。頭の中は仕事と彼女のことだけ。半年~1年はその状態が続いた。
そんなとき、数年ぶりにあう学生時代の友人がホーパーティーに誘ってくれた。
きょどりながら参加した。
その後もその友人は合コンにも誘い出してくれた。
人数あわせもあっただろう、当時の自分を誘ってくれたことに感謝している。
きょどりながらもパーティーや合コンに参加していると、最初はオブジェでも少しずつのりがよくなってきて、女の子のメールアドレスや電話番号を少しずつゲットできるようになってくる。
お互い興味が無い同士でも、その子と自分で幹事をすればまた合コンができることが分かる。
既婚者にも声をかけた。
そうこうしているとAのことはすーっと心の中から無くなっていった。
いろんな経験を経て、1年位して素敵な人に出会い、30後半の私は今再婚して子供がいる。
Aとのことが無かったら、パーティーに参加していなかった。
Aと寝なかったら、彼女が欲しいとかやりたいとかも思わなかった。
きっと再婚することは無かっただろう。
Aには幸せになって欲しいと願っている。
先に言っておくけれど、これはよくある「私には格闘ゲームは向いていませんでした」以上でも以下でもない、要約すればただその一文で終わる日記だ。
だからそういう記事に辟易してる格ゲーマーたちは今すぐ読むのをやめるか、あるいはあらんかぎりの罵倒をコメントしていってほしい。
これを書いてるやつは、努力が足りなくて、知能指数が低くて、学習能力がなくて、自分の勝てるゲームしか好きじゃなくて、我慢の足りないガキで、きっと社会のごみくずなんだろうと書き込んでいってほしい。
それらはきっと全部正しい。だからこれは負け犬の遠吠えですらなく、ただ教室の隅でめそめそ泣いてるメンヘラの戯言だ。
動画を見て、楽しそうだな、と思った。始めたきっかけはそんなところだった。
好きなキャラクターから入るのがいいと聞いたから、ちょっとトリッキーそうなキャラを選んで使っていた。
はじめは満足に動かすことすらできなくて、CPUにもぼろ負けする始末だった。それでも楽しかった。
ようやくCPUに勝てるようになってきて、対人戦に潜った。負けたよ、たくさん負けた。ボロボロになって、知人に教えを乞うた。
コマンドの練習をした。コンボの練習をした。立ち回りの練習をした。相手の動きを観察した。情報をインプットした。安定なんて最初はしなくて、それでも食らいつくように練習した。
コマンドが出ない。安定しない。
昇竜や竜巻や半回転なんかじゃない、ただの波動が。右向きも、左向きも、どちらも。
持ち方を変えた。少しは安定した。トレモじゃ9割安定するようになった。
それでも、対人になれば結局出なかった。9割成功していた技の実戦での成功率は2割に満たなかったと思う。
意識配分の問題だと言われた。正しかった。9割出るように練習してると聞かれた。悔しかった。それでもそういわれるのも仕方のないことだと分かっていた。自分が全部悪い。
ミスをするとすぐさま狩られた。隙を見せているのだから当たり前だ。次第に同じレート体の人間にも負け始めるようになった。多少勝って得た自信も楽しさも全部消えて、残ったのは「波動も出せない」という自己嫌悪だけだった。
そこから先は地獄だった。誰に言われているわけでもないのに、波動を一回ミスるだけで頭の中の自分が自分自身を責め立てた。間違いなく頭の中のソイツの言っていることのほうが正しくて、だから余計に辛くなった。
しばらくした後、俺は無意識にスティックから手を放していた。もちろん試合中に、だ。
怖かった。辛かった。苦しかった。スティックを握って、コマンドが出なくて、また自分に責め立てられるのが。
トリッキーなキャラじゃなくもっと暴れてるだけで勝てるキャラを選ぶべきだったとか、アケコンから始めるべきじゃなかったとか、そもそもコマンドのないゲームにすべきだったとか、あるいはもっと努力すべきだったとか。
それらはきっと、今からでもどうにかなることだとも思う。
けれどもう自分中には、格ゲーに投資するだけの気力が残っていない。
辛いことを避け続けてもいいことなんてないと分かってるけれど、それでも無為に時間を、気力を溶かすんじゃないかと思うと恐ろしくてたまらない。
「私には格闘ゲームは向いていませんでした」。
私昔からミスに対して臆病で、勉強中に問題を間違えると、そこから新しく学ぼうとかいう気力がすっ飛ぶくらい精神的なショックを受けてしまうのです。勉強してる筈なのに、学習よりも自己嫌悪とか心の防御とか、そっちの方を優先してしまう(頭どうかしてんじゃねえかと自分でも思います)(そもそもテキスト読みながら解いてるのに間違える自分が本当に嫌だ)。
そこで、さっき問題を間違えてしまった時に、その際に受けるショックより強い衝撃を与えようと思い立ち、間違えたてほやほやの精神に身を任せて思い切り自分の頬をビンタしました。……何やってんだろ私、という感情と痛みだけが残りました。
「バリバリ仕事したいのに、育児のためにキャリアを犠牲にしないといけなくて、メチャクチャ悔しいし、子供のことを邪魔だと感じてしまって自己嫌悪」
みてえな意見を見た
おれは絶対に抱くことのない意見なんだが、べつに悪いとは思わない
敵愾心はない
ないんだけど、とにかく、こう、すべてがおれと違いすぎて、なんというか、衝撃的だ
就職浪人してプラプラしていた1年間、己と向き合って、おれはいったい何がしたいのだろうか?と考え続けた
結果:「何もしたくない」
おれは何もしたくないんだよ
賃労働に縛られたくない、自由に創作がしたい!みたいなヤツでもなく、ただホントになにもしたくない
誰にも認められなくていいから、ただもう寝てたい
それだけなんだ
いまは滑り込んだクソみたいな会社で働いてるけど、実際トイレ休憩に立って廊下を歩いてるとき、マスクの下でずーっと「帰りてえなあ…」って言い続けてる
おれはいま、諸々あわせて手取り20万前後くらいあって、なんつうかもう金はこんなもんでいいなと思っている
使う元気もねえしなあ
賃貸とかそのうち借りられんくなるのかもしれんけど、そんな感じでいよいよ苦しくなったら、最悪死ぬって手もあるなと思う
おれは人生かなりキツかったと主観的に感じているが、客観的にみて全然苦しい思いはしてない
五体満足で、でかい持病はない
メチャクチャ賢くはないが、そんなに努力せずにそこそこの大学に入れる程度の能力はある
これで不幸とか言ってたらブッ殺されかねない
でもやっぱ幸不幸って自分で決めるもんだし、おれが不幸な人生を送ってきたと思ってんだから、実際不幸なんだ
東大出て教授になってかなりイイ感じに育てたっておれみたいな感じのカス人生が生じることがある、っていうのは、おれの原体験なわけですよ
カス人生のカス人間が子作りしたら、おれ以上のカス人生が生じる可能性が結構高いっていうのは、まあ明らかであろう
嫌なんだ
こんな思いをもう誰にもさせたくない
マジでハンパなさすぎる
子供を作ることに踏み切れるくらいに幸せな人生を送ってきて、仕事に充実感を覚えていて、向上心があるわけでしょ
すべてがおれの"上"じゃん
そんなん勝てねえよお
でも実際、そういう人がそこそこいて、がんばって産み支えてくれるおかげで、おれは将来国にフリーライドできるのかもしれないと思うと、感謝こそすれ嫉妬の気持ちは出てこねえな
ああーー仕事やめようかなあ
やってらんねえよな
仕事やめてさ、ジョーカーみたいな暴力的なやり方じゃなく、なんとかして生活保護をつかみとるなりなんなりしてさ、ただ社会に寄生して生きたいんだよおれは
いや 嘘です
ホンネを言うと、そもそも生きたくないんだ
何もしたくないんだからそりゃそうだよ
マジで、生まれつき両足なくて、かつスポーツに全然興味ないのに、強制的に陸上競技をやらされてるような感じなんですよ
やめさせてくれ!
見りゃわかるだろ!向き不向き!向き不向き!
おれはコレ向いてないし、やりたくもないんで、早く辞めさせてくださいよ!
おれが「やったー!」と思いながら死ぬことのなにが悲劇なんだよ?!
300万くらいだったら頑張って出すから、他人に迷惑かけずに、ラクに死ねる方法を用意してほしいんですわ
あるいは直前でビビって結局惰性で生きるかもしれないけど、300万貯めたら死ねるってなったらおれはかつてないほど頑張ると思うよ
そういう感じでいきましょうよ
おれを無理矢理生かすのは非倫理的だ
非人道的だ
ひどすぎる、むごすぎる!
たすけてくれ〜!やめさせてくれ〜!!
元々研究者を目指していた。
だが修士のころ行き詰まってしまい研究室から消息不明になる形で休学留年し、ついに学校を中退した。
教授は少しでも私を助けようと他研究室との共同研究などの話もつけてくれたりしている最中で多大な迷惑をかけた。
親にも音信不通で心配をかけて遠くの実家から家まで来てもらった、道中どれほど不安だったかどれだけ迷惑かけたかと思うと感謝してもしきれない。
そのコンプレクスが10年近く経とうとしている今も消えることがない。
ふとした瞬間に悪夢のように記憶に蘇り、どうして修士論文を書けなかったのか、何がダメだったのか、どうしてればよかったのか、消息を絶つのではなくきちんとケジメをつけるべきだった、自分のこういう性格がだめなんだ、など反省を繰り返しては自責する。
そして最後に教授や親への申し訳なさ、研究室の先輩や同期への羨望などの感情が入り混じり自己嫌悪に陥る。
自己肯定感は地に落ちている。
そんな過去はひた隠しにしているので社会に出てからは「東大卒なんだすごいですね」なんて言われることがあるが、
第一子妊娠が発覚した時、喜びより戸惑いの言葉を吐く自分が嫌。
体調が悪い妻が、冗談めかして第二子かなって言った時、楽しみよりも不安を伝える自分が嫌。
第二子かなって言われた時、だとしたら男の子だろうか、女の子だろうかって楽しみがあった。妻は心身を大事にして欲しいなって気持ちもあった。
でも、調子の悪い妻の方が不安だろうし、せめてもの冗談のつもりだったと思うのに。
その気持ちを考えもせずに、口から出たのは自分の抱える不安な気持ちだった。
妻のことは大切だと思っているし、結婚して数年が経った今も大好きだ。
でも、自分は楽しみと不安が両立してるとき、不安ばかりを表に出してしまい、無神経な言葉を吐き出しては度々人を傷つけてしまって、
大事な人を大切にできていないことが度々ある。
生来、自分はマイナス思考の気質が強く、妻のメンタルまで巻き込んでマイナス方向に引っ張ってしまうときがあるし、自分の気質を変えたいなあって話をしたばかりでこの有様。
自分は、なんでこんな自分本位な人間性なんだろうかって考えると本当に死にたくなるし、妻にも子どもにも申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、
きちんと胸を張れる自分になりたいと願う。
なのに、また同じ轍を踏んでいる。
今度は自分がその人と同じように人の気持ちを考えない、傷つけるような発言をしてしまっている。
もしかしたら、あの時の上司も、心配の気持ちはあったのかもしれない。でも、いくら弁明しようと言われた方にそんなことはわからないし、気持ちが癒えるものでもない。
妻も、あの時の自分と同じように、あるいはそれ以上に腹立たしくて、辛くて、悲しい気持ちになったんだろうなと思うと、妻への申し訳なさや自分自身の情けなさでいっぱいになる。
ライブを観に行った。
メロコアの強い土地にいたのでモッシュ全般への嫌悪感をずっと持っていたのだけど、最近はまあそういうもんか、とも思う。
まあ普通にうるせ〜〜〜って思うんだけど。
何が嫌かと考えると、型みたいのが決まっていてそれをなぞるのが気持ち悪いというのがある。
それで感情の発露みたいなツラをしているのが生理的に受け付けないんだろうと思う。
本来的には無軌道に、無秩序に、個人的になされていたであろうものがある種のファッションとして行為される。
ステージの横でそんな偽物をニコニコ展示されても、不愉快になるだけだ。
そこに「日常からの解放」があるのか(そもそもそんなものが存在するのか)?
手を挙げるとか拳を掲げるとか中指を立てるとか涙を流すとか、さ。
ふと、地元のライブハウスにいた、前の方に陣取ってライブ中に拳を掲げながらめちゃくちゃフロアを振り返るおじさんを思い出した。
あと、個人的に、根本的に、演者とのインタラクションを望んでいないんだろう。
今まで生きてきた中で音楽に救われる瞬間っていうのは間違いなく存在していた。
スーパーのはしごで体動かしてたのが、出産で骨盤臓器が下垂して長時間歩けなくなり、数年経ったのに円座クッションがないと尾てい骨も痛むようになった。
室内で意図的に運動しなきゃいけないけど私は物凄く運動が嫌いだ。学校でいじめにあった記憶でやってても不快感が強い。女性に虐められたから女性が怖くて嫌いで、そういう人たちがやってそうな運動という行為にも嫌悪感が激しく湧く。運動しながら運動できるあいつらが正しくて私はいじめられて当然だったのって怒りや自己嫌悪でぐちゃぐちゃになる。全然運動しても自己肯定感なんて湧かない。拒絶反応と言わんばかりに運動が嫌だ。学校行かなきゃよかったな。
マウンテンバイクのようなものも考えたけどマウンテンバイクしながら見たい映像作品もやりたいゲームもない。フィットボクシングは体験版一日だけで腹圧が掛かって痛むので続きそうになく挫折。リングフィットもだんだんミニゲームのハードルが上がってから心が折れた。ストーリーがないモードもじわじわ負荷が蓄積されるし本当に運動だけだからどんどん辛くなってくる。
気を悪くしないでほしいんだが、こういう風に最初に頭で考えて詰め始めているところに既に雲行きの怪しさを感じる。
自分を「真面目系クズ」という人は大抵なんやかんや立てた目標に到達できないし、その失敗に自己嫌悪しての繰り返しの悪循環になっているイメージがある。
行動から逆算してみたら?
具体的には毎日寝る前にやったことをメモに残してみて、今日の結果を受けて明日はこんなことやりたいなーとか今これが気になってるなーとかをなんとなく書いてまた寝る。
そうするうちに日々の行動の視界がなんとなく開けていって、会議で一言提案してみるとか、新しい本を読んでみるとか、今までなかった選択肢が出るようになるよ。
自分に余裕がなくてイライラしてて、犬の散歩中に犬に当たってしまった。
心から大切で愛しくて大好きな犬に当たってしまった自分は最低で、申し訳なさと自己嫌悪で涙が出る。もう飼い主を名乗る資格はないと思ってる。
それなのに、私なんかのところに来てくれる。自分を傷つけた最低ゴミ人間のところになんで来てくれるの。
本当にごめんなさい、こんな私でごめんなさい、うちに来てくれてありがとう。本当にごめんなさい。
最近、ゲームを購入する前にネットでクリア時間を調べるという事をするようになった。クリア時間が100時間を超えるものだとその時点で買うのを躊躇ってしまう。こうなった原因は高校時代にとあるソシャゲに1500時間費やしてしまい、思い描いていた高校生活とは違ったものになってしまったことへの後悔から来ている。昔からゲームにしろ小説にしろ、一つのコンテンツに熱中すると他の事は疎かにしてしまうのだ。それも日常生活に支障が出るレベルで。だからハマるのが怖い。自分は物心がついた頃からゲームと一緒だったし、その頃はプレイ時間など気にせずに満足するまでプレイしていた。だが今はゲームを楽しむのではなく、「消費」するために購入しているようで自分が嫌になってしまう。ああ、時間を気にすることなく純粋にゲームを楽しみたい。
彼氏が転職する事になり生活時間が合わなくなる為、少しでも一緒にいられるようにと同棲を始める事にした。
その当時私は元々の自分の仲良しの友だちとはお互いの引越・仕事・結婚で少し距離があり、彼氏公認で都合よく遊べたのはその彼氏の仲間達だった。
飲みや他の遊びにもくっついて行った。
その人とは二人でも飲みに行ったり休みが合えばちょっと遠出したりした。
ほかの仲間内の誰よりも踏み込んでお互いの話をしたけど、私もその人も彼氏の存在が大きかったので何も起きなかった。
でもその時は本当に1番仲良かったから、
「私達はもう友だちだから、もし今後彼氏と別れても仲良くしてくれるよね?」
って聞いた時、曖昧な笑みだけだった。
あ、やっぱりこの人にとって私なんかより彼氏の方が大切な仲間だ。調子に乗ってた。って恥ずかしくなった。
そう思ったからそれ以上は求めず、
そして彼氏の事は大好きだったし付き合った当初から結婚も考えていて月日と共に順調に進んだ。
そのうち私達を筆頭に仲良くしていた全員が結婚出産を経て集まりもほぼ消滅。
年に数回集まるにもなかなか休みが合わないような状況、そして私も子どもの面倒があるから集まりがあっても行けないことが多かった。
私はお手伝いは色々したけど、ちゃんとしたメンバーではないし男同士で集まる方が自然で楽しいだろうと、仕方ないなって思ってた。
3年前、夫が浮気してる事が分かった。職場の事務員、そして未遂だけどtwitterで会おうとしてる人がいたり、エロ垢ともやりとりして画像貰ったりしてた。
夫は嘘がつけない人で多忙で時間もないと思っていたし大好きだったから全く疑ってなかった。
その日で夫に対しての信頼は消えた。
浮気が分かったときは私の育休明け1日前。次の日から仕事復帰だった。
当時の私の職場は夫と出会った場所だったからほとんどの人は夫の事を知っていた。
夫は何年も前に転職しているから、浮気発覚の次の日にも関わらず夫の近況など色んな人に聞かれた。
辛かったけど別れる事は考えられなかったから結婚生活を続ける為に周りに言わない事を決めた。
一人だけ本当に信頼してる高校時代からの男友達だけに聞いてもらって他の親友や家族など誰にも言わないことを決めた。
周りの人達は皆優しくて心から信頼してる。私が決めた事には口出しせず話を聞いて味方してくれる事はわかっていた。
それでも『浮気されたかわいそうな女』のレッテルを貼られる事が嫌だった。なけなしのプライド。今でもこれは変わらない。
変わらず仲良くすると決めたから今も仲は良い。他の夫婦よりもきっと仲良し。
セックスもする。昔から相性がよかったけど、10年以上たったらもっとよくなった。
浮気発覚後は夫から触れなくなったけど、自分からめちゃくちゃ求めた。
それでも、された事は忘れられなくて今も思い出すし、もっと以前のことも信じられなくて疑う気持ちもある。
平気なフリで冗談めかして残業や出張の時にホントに仕事だよね?って言ったりはたまにする。牽制程度。
でもうまく隠されたら結局あの時みたいに分からない、一度バレたから今度はもっと気をつけてるのかもしれないって思う。
関係だって一見対等だけど、対等じゃない。夫は私に負い目があるし、私も何かあればお前は浮気をしたくせに、って気持ちが湧き上がって見下してる。
それでも夫のことは変わらずいまでも大好きで良い夫で良い父親で一緒にいて飽きないし楽しい。
秋、地元に帰る事になったと私も含めた仲間のラインに連絡がきた。
コロナ禍で2年近く会えてなかった。
長男なのでいずれは帰ると随分前に聞いてた。
勝手にもっと先だと思ってたけどもう出会って10年以上たっているし将来を見据えたらちょうどいい年齢だと気づいた。
この何年も私は皆の中ででしゃばらない、と決めていたけど、最後に何かしたい、と思いすぐに夫含む仲間達に呼びかけて私達なりの盛大なお別れ会を開いた。楽しくて懐かしくて最高の時間だった。
お酒が飲めない私は皆を家に送っていく事にした。
一杯位は飲めるけど終電で帰れない可能性が高かったし、飲まないほうがいいだろうと思って飲まなかった。
夫は潰れていたので家で待ちたいって言った。
他の人は比較的家が近かったから先に送って欲しいって言うから送った。
少しの時間だったけど、最後に二人きりで話せた事が純粋に嬉しかった。
いいよって車内で抱き合った。
ダウン越したったから肌のぬくもりとかは感じれないけどそれがちょうどいい距離間だったと思う。それだけでもよかった。
腰に手をまわされて首すじにキスされて、
あ、やっぱり勘違いじゃなかった。
たぶん、この人も私と同じ気持ちだったんだと感じた。
私もマスクを外した。
10年前、私達は若かった。
あの時に何かあってもいいなって思ったりもしたけど、何もなくて良かった。
たぶんズルズルした関係になって自然に終わって、夫に対しても罪悪感が芽生えてうまくいかなかったと思う。
いま、お互いに家庭を捨てて一緒になりたい思いはない。
でも何もないだけでは終わりたくない、
一度で良いから触れ合いたいと、
何度か深く唇を合わせた。
でもまだ私の心の準備ができてなかった。
夫と同じになっていいのか葛藤があった。
後日酔ってない時に時間を作ってでもやっぱり会いたいと思ったら連絡して。とズルいけど委ねた。
予定が合わなかったら仕方ない、むしろその方がいいのかも、と思った。
後日、私達は年明けに会う日を約束をした。
その日セックスするんだと思う。
最後のいい思い出、ともなんだか違う。
夫と付き合ってからは他の人とすることはないと覚悟していたし特別不満もなかった。
結婚後、夫にはもっとセックスしたいって訴えたりしていた。浮気されているとは露知らず。
でも、そのぐらい夫とのセックスは最高だと今も思ってる。
日にちを約束してからこの日にセックスをするんだと思うと、疼いて仕方ない。
単純に夫以外とのセックスが楽しみなのかもしれない。
でもこの人はどんなセックスをするんだろうと1X年前に少しの期待を抱いた相手であるのは事実で。
純愛なんかではない。たぶん最後の火遊びのようなものだし、誰にも言えない悪い事だと自覚もある。
終わったあとは後悔と自己嫌悪でいっぱいになるかもしれない。
うちの自治会の回収は月一で、年末年始の掃除を考えると2月になりそうだなー
ていうか好きなときに捨てたいしってことで市のHPで調べました。(リサイクルショップも遠いのだ)
フレンドリーそうな、知己の地域拠点では古着の回収はしておらず、というか古着は各環境事務所でしか回収していませんでした。
しかし回収している拠点一覧には載っているものの、事務所自体の情報が問い合わせの電話番号とメールアドレスしかなく、回収方法も分からなかったので道の確認がてらお伺いに行ったわけです。
どことなく中小企業というか商工会というか、いやどちらも詳しくないですが昭和な匂いがする建物です。あきらかに一般人を対象としていない。
おそるおそるドアをくぐると、案内もなにもなく早速途方に暮れる。
右手側に胸までの壁とガラスで区切られ見渡せる事務室らしき部屋があるものの、はたして何をすればいいのやら。
恐る恐るすいませーんと声をかけ、奥からおっさん二人が出てきました。
閑話ですが私はこの「受付に誰もおらず通りがかりの声をかけられた人が応対する」仕組みがかなり苦手です。職員室とか会社の別部署とか。
明らかにメインの職務ではない余計なタスクを持ち込む厄介者になる感覚。いっせいに耳目が集まる羞恥心。結局応対してくれた人の分野ではなく他人に繋ぐあの空虚感。会社での電話の取次ぎも苦手で、明らかに自分宛でない電話を取り、互いに無意味な敬意込みの挨拶を送りあい結局取り次ぎ先でもう一度同じ挨拶をするであろう徒労感。かけるもとるのも苦痛です。
休題。
おっさん方をみた瞬間私は後悔しました。その雰囲気は明らかに「内輪の場に知らない人間が入ってきた」あの感覚です。ふらりと個人経営の居酒屋に入ってみたら常連らしき人たちから怪訝な目を差し向けられるアレです。「オマエダレ?ナニシニキタノ?」いや経験はないですけど。分かるでしょ?若い頃でも似た感じのこと起きるでしょ?
あれです。
ひとりのおっさんが面倒そうに「あーどうしました」と聞いてきてくれました。
ありがたがるべきなんでしょう。私は了見が狭いのでただただ後悔と萎縮の塊でした。あと身勝手な恨みが少し。
私もですね、年末の最終営業日になんか来るのも悪かったのですがね。通常の人員体制でないかもしれないですし最終日なんて来客少なく片付けとかに費やすところもあるでしょうとも。
でですね、ま、その、コミュ障の私がしどろもどろになりながらなんとか古着を回収できますか?HPを見てきたとお伝えしたわけです。
先方は個人?業務?(なんか違う言い回しだった)量は?と折々お尋ねになられました。なるほど見知らぬ個人が古着の回収についてたずねてもスッと一本道のフローに入らないものなのだなと感慨にふける…間もなくわちゃわちゃします。コミュ障ですからね。
なんとか捨て方を聞きにきただけということ。個人なので大量には出ないことを伝えようとしました。伝えられていない気もします。言いたいことも言えない、出力がなんだったかもおぼつかない人間でして。
ひとまず伝わったと思われるおっさんの返答は
「少量ずつ燃えるゴミに混ぜて」
でした。
あの時の絶望たるや…。筆舌に尽くし難いのは単純に力量不足です。
確かに私の地域はおそらく分別に厳しくありません。母親も時折燃えるゴミにマズそうなものを入れているのも承知しています。私も倣い燃えるゴミに混ぜる方法も頭によぎっていました。おそらく誰からもバレず責められない方法でしょう。
いやしかし、市のHPや分別方法の紙では地域回収と拠点回収が指示されており、それに従い拠点に持ち込んだ(持ち込んでない)人間に対して環境事務所の人間がルールを守らず分別せず捨てろと指示するとは。
もしかして環境事務所の職員ではなかったのか?建物内になんの案内もなく見かけた第一村人を職員だと思い込んでいただけで事情通のただの追い返したいだけのおっさんだったのか…?
私は当然コミュ障なのでそれ以上深い話はできず、いたたまれない空気から逃げるために「あー燃えるゴミに混ぜていいんですねーありがとうございましたー」と(気持ちの演出上)朗らかに謝辞を告げ事務所を後にしました。
当然、同時に回収しているであろう古紙については聞けるわけもなく。
ルールとはなんぞや。何のために守るのか。私が分別しなくてもそれで私が死ぬまでには困ることにはならないだろう。いや守るべきだろう。環境事務所ぞ?彼、環境事務所ぞ?腐るのは良くない。信号守ってる横で信号無視されるのいつもイラだってただろーもう好き勝手生きようぞ。ルールを破る人間全てを滅ぼす。てか全てのルール遵守なんて自分含めて一人もいないよね。そして私も消えよう。
そんな優等生的な丸尾くんと人類滅殺系ラスボスなメンタルをいったりきたりしていました。
ユニクロに古着回収ボックスあるらしいんだよなー。でもユニクロ製品限定らしい。燃えるゴミにするぐらいならこっちのルール破るほうがマシだよね!だとか。ライター捨てるつもりでガス抜き面倒に思ってたけどそのまま捨てよう。とか考えています。たぶんどっちもするんじゃないかな。ペットボトルのフタやキャップも分別しない。
誰かが、誰もがやってるゴミのルール破り。今まで私は(できる範囲で・気力があるなら)しないでおこうと思っていたけれど、なんのインセンティブもないと分かった。守ろうとするから守らないことにいらだつ。この「私がするからしないこと・人を嫌うストレス」があることは前々から分かっていた。分別もそうだったかと今回気づいただけ。気づいたならしない側に回るが精神衛生上、吉。囁くのよ、私の経験則が。
なんだ、そうだったのか。
帰路、もうひとつの目的地の地域センターへ赴いた。こちらは古着の回収をしていないが、環境事務所より近く蛍光灯や古紙も回収してくれるのだ。HPの上では。
場所の確認のため入ってみると、入り口すぐそばに全種類の回収ボックスが置いてあった。
ボックス最高!誰ともおしゃべりせずに入れて終わり!これだよこれ!
ちょっと中を覗いてみて、分別して捨ててくださいと書かれている蛍光灯の箱ごと捨ててあるのを確認して、もはや感が動じなくなった私をも確認して帰った。年明けに出しにこよう。
なお改めて市のHPを見ると大量持込は断る可能性がある旨、家庭で不要になったもののみが対象である旨が記されていた。きっとゴミ袋数袋とかだとOKで服1枚2枚とかはスルーなんでしょうね。もごもごしているコミュ障な自分にはまだまだ自己嫌悪している。
おそらく続く長時間労働に身も心もどうにかなってしまったんだと思う。
休みの日は20時間寝てしまったり、座りっぱなしで下半身がむくんだり、忙しすぎて部屋がぐちゃぐちゃになったり、色々ある。
また忙しくてテッペンあたりで帰って風即寝(寝れない)が続くこともあって、性欲を一人で発散していない。
だからなのか?仕事で死ぬほど疲れてるのに性欲があって、自分が気持ち悪い。
職場の人に好意のような何かを持ちそうになったと思ったら、その日の夜には自己嫌悪で死にたくなったりする。
この文章もなんかおかしい。何が言いたいのかわからない。恋ではない。
死にたい。仕事やめたい。職場の人なんかじゃなくて、そんなブラック即やめろ、仕事決まるまで俺が養う!って言ってくれる男の人と恋がしたい。わがまま。このまま仕事してたら会えない。てか仕事やめたら元気になるからそんな立派な男じゃなくていい。