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はてなキーワード: 教育困難校とは

2017-02-08

anond:20170207224412

別に学校に来なくたって社会で生きていける奴はたくさんいるんだよ。学校けが世界じゃない。」って先生にもあてはまるのね…。

学校先生ってね、勉強大好き人間がなるの。つまり学校という世界から出たら社会じゃ生きていけません」

から教育困難校じゃ生きていけないのな。教育困難校は丸ごと法務省管轄にしたらいいと思うんだ。縦割り行政弊害やな。

教育を受ける義務がないことの確認教育を受けない妨害する児童生徒の放校だな。

教育を受ける義務がないことの確認教育を受けない妨害する児童生徒の退学と関係者以外立ち入り禁止だ。

教育困難校かいじめとかはこれで解決。まあ街にゴミがあふれるけどな。警察は頑張れ、それが仕事だ。

不登校の原因も取り除かれて登校できるかもしれないし、登校することは義務じゃないんだから不登校でも問題なし。

勉強嫌だなら来なきゃいいし、人間関係とか嫌ならもう学校にはそんなものないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

「親の躾が悪い」とかドヤってるブコメが多いけど

元の教育困難校シリーズ読んでたらそういうレベル世界の話じゃないのが分かるはずだが

というかこの増田だけ読んでもそういうレベル世界の話じゃないの分かるやん

児相保護されるレベルで親に虐待されてる子の話とか出てるんだからさあ

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

こういう切実な問題のほうが急務なんだけど、Twitterとかで騒がれんのは、掛け算の可換がどうのという糞くだらない問題

自称インテリ文化人たちは、自分たちいかに惨めないじめられっ子で、どんくさい人間で、理不尽仕打ち教師から受けたか涙ながらに語り、「教育氏ね」と嘯く。

教師のお陰でなんとか四則演算マスターし人並みに生活を送れているような底辺の人は、そもそもTwitterになんぞ現れない。


アメリカトランプ当選でまざまざと見せつけられた「サイレント魔女リティ」の存在を、しかし未だTwitter民無視し続ける。

ネットの中こそが世界で、そこにすべてがあるかのような言動

その口が語る「ホワイト」は、無能社会から駆逐して成り立つディストピアというおぞましさ。

その無能は、「教育困難校」などから生まれる。

本当の問題を、きちんと直視しなけりゃならんのじゃなかろか。

俺も教育困難校に3年勤務した。

臨任、いわゆる代用教員ってやつだ。

自分自身、成績は良かったもの優等生ではなかったし、

中学時代はいわゆる不良とも仲が良かったので、着任前は高をくくってた。

でも、現実想像を遥かに超えるものだった。

一限目は生徒の半分しかいない。

中学時代教員から見放されていた子が多く、遅刻をしても何も言われていないので

遅刻自体への問題意識もない。

奇声を上げながら学校から走り去る20人位の生徒を見た。

何があったのかと確認したら、授業の途中で嫌になってしまったらしい。

校内ではシンナー蔓延し、窓ガラスの外側はタバコの吸い殻だらけ。

注意をしたら唾をはきかけられた先生がいた。

なぐられた先生、車にイタズラされた先生も。

夜中中、暴走族が家の周りを走り回る、止まないイタズラ電話

教員名簿には住所と電話番号を載せる人が半分しかいなかった。

教室の後ろで野球をし、ぐちゃぐちゃな向きに固められた机で大声で雑談する生徒の中で、

ひたすら板書をする先生も居た。

「ね」と「れ」の違いが分からない、アルファベットが言えない、

江戸時代を知らない、自分の住所が言えない、色々な生徒が居た。

風俗街の外れのアパートで、風俗に勤める母と兄弟と、2間のアパート暮らしている生徒も居た。

卒業までに1つの学年で80人が退学する、そういう学校だった。

実を言うと私は学校先生が嫌いで教師を目指した。

でも彼らと接している内に、俺は何でここにいるんだと考えるようになった。

教師として教壇に立つという特権がありながら、

学校けが全てじゃないよ」「勉強より大切なものがあるよ」って伝えることに何の意味があるんだと。

そんなもの社会に出て教えてくれる人が山ほどいる。

俺の役割は彼らに勉強の楽しさを、学ぶことの重要さを知ってもらうことじゃないかと。

小学校中学校と、全く意味不明の授業が毎日続き、

「オレ、バカから」が口癖の彼らに「そうじゃない」って言えるのは教師しかできないことじゃないかと。

そこから必死になって勉強した。

彼らにどうやって教えるべきかを。

理解ってなんだ?知るってなんだ?身につくってなんだ?

ぶってなんだ?

振り返ると、着任前の俺は「生徒に人気のあるオレ」になりたかっただけだった。

でも、彼らと出会ってプロって何だってことを教わった気がする。

今は教育現場とは全く関係のない仕事をしているけど、

あの時の経験自分背中になっている。

素晴らしい先生との出会いもたくさんあって、忘れられない思い出だ。

増田教師を続けるかどうか分からないが、

仮に辞めたとしても「自分には全身全霊を何かに傾けた時があった」というのは、

きっとこれから人生の大きな財産になると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

教育困難校 高等学校とは限らないよね

anond:20170207224412

高等学校教育困難生徒が学力分別されて凝縮してるからな。そんな学校に勤務していては「教員仕事」なんてできゃしない。

警察官刑務官飼育係か、教員権限や許されている手段はめちゃくちゃ弱い。相手モンスターお客様だ。

中学校には、教育困難校に集結前の教育困難児童生徒がいるわけで、これがな。

学力・軽度知的障害だけじゃない、人格障害社会性のない児童生徒保護者が少なからずいる。

教員仕事って……教科の学習させることだよねぇ。そうじゃないって意見学校おかしくしてるんだよ。

学習をするレディネスができてないのに学校に来ちゃう。これやめなきゃね。

2017-02-07

教育困難校に勤務してるけど、もう無理

最近東洋経済オンライン教育困難校シリーズを読むと泣きたくなる。

これ、うちの職場の話だ、と思って、泣きたくなる。

これ、どこにでもある話なのかな。

日本全国?

日本、まずくない?

毎日、授業にもならなくて、毎日ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって、

ちょっと強く言ったら、

教育委員会に言うぞとか、体罰だとか騒がれて、

でもそれが教員仕事でしょ、って言われて、

そういう子に情熱を傾けるのが教員でしょ、それがやりたくて教員になったんでしょ、って


そんなわけねーだろ、バーーーカ!!



こんな目に遭うことまで想定して、教員になる奴なんていねーよバーーーカ!!



そりゃ仕事から時間かけて生徒には関わるよ。保護者とも話すよ。

すぐに結果が出ないってことだってわかってるよ。卒業して何年も何年も何年も経ってから、本人も気づかないところで人生に少しでもプラスになれば万々歳で、そうじゃないことばっかりだってことも理解はしてるよ。

公務員給与プラスアルファで、朝7時から夜9時まで、昼休みなんて、パンを体内に詰め込む5分くらいで、クレームにうまく対応しながら、全く学校に行かない日なんて月に2、3日でも、休みの日だって狭い生活圏で、あの人は先生だって周囲に見られながら生活して、それでもそういう仕事だって、思ってるよ。

そりゃ、世間ネットで騒がれるアホな教員もいる。生徒にバカにされて当然っていう教員もいる。一つの専門分野に偏った知識けがあって、コミュニケーションが苦手で。いわゆる発達障害だよね?っていう、生徒とも同僚ともうまくいかない、黒板と問題集けが友達教員もいるよ。別にそれに特化して受験指導で力を発揮してるならいいよ。教育困難校にいたら、本当にただただプライドが高いだけで邪魔だけど。

でも、教育困難校で、罵詈雑言を浴びながらも生徒と向き合って頑張ってる人もいるんだよ。これまで大人にかまってもらえなかった生徒たちに少しでも役立つ知識経験を、と思って毎日授業を工夫してる人だっているんだよ。

どんなに無茶苦茶言う生徒にも、説教するけど、最終的には皆でフォローするよ。

児童相談所保護されると学校通えなくなるから、どんなに親に虐待されようと保護されるのだけは嫌だって泣く生徒を家に置くこともあるよ。

発達障害で親の言うことが理解できなくて家を飛び出した生徒を迎えに夜中2時に隣町まで車を走らせることもあるよ。

でも、毎日毎日毎日毎日

そんなことを言われて、そんな対応をされて


そりゃ鬱になるよ。やりたくなくなるよ。一生懸命やるだけ無駄だって思うよ。

好き勝手やってる生徒たちにも事情や背景があるのかもしれない。それをできるだけ汲み取りたいとも思うよ。

でも、事情があったら、教員は何でもかんでも受け止めなきゃいけないのか。

いい加減にしてほしい。




別に学校に来なくたって社会で生きていける奴はたくさんいるんだよ。学校けが世界じゃない。全然学校にこだわる必要はない。

学校が苦しいなら、いくらでも道はある。

勉強も、コミュニケーションも、経験も、学校以外でもできるようにしてくれている大人がたくさんいる。

から別に無理して学校に来る必要はない。邪魔から退学しろ、ではなくて、きっと君にもっとぴったりの道があるよ、って思ってしまう。

高校は、社会に出てから少しでも苦労しないように色々経験するところで、好きにやりたいなら、社会に出たらいい。

そう思ってしまうのは、教員失格なんだろうか。





全国、いろんなところにあるらしい教育困難校先生

しんどいですよね。

私は今日は久しぶりに8時に帰れました。

試験期間に入ったからです。

これから1週間で試験を全部で4つ作ります

国語なので、採点も大変です。

しんどいです。

私はもう次年度いっぱいで辞めようと思っています

転勤も、研究発表とかに時間を費やしている器用な人ばかり優遇されて、嫌になったし。

あなた大丈夫ですか。

自分を保ててますか。

2016-12-31

高校教師31歳。教科は化学生物博士持ち。

2016/12/30に高校同級生3人と飲んできた。

前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,

名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,

夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまたから書き残しておく。

高校同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。

高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき

なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。

メンバー医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタ完全子会社のなんか出世約束されたとこ。

世間的にみたらいわゆる受験戦争勝ち組医者以外は国立大(院)卒。

給料手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。

今年は4,5回海外旅行いって,元旦からカンボジア旅行に行ってくる。とか,

結婚するから名古屋の高級住宅地に新しく家を借りた。とか,

新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。

別にそれはいい。友達成功話,とても良い事。

でもなんか違和感があった。

アンコールワットには7年前に自分もいった。

石に刻まれ絵画歴史モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。

シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。

市場の人たちは観光地にも関わらず,

だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。

ベトナムホーチミン戦争博物館。すさまじい印象だった。

展示物を見た後に飯がのどを通らず,

うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,

涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。

でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。

教科書に載ってた場所には一回行っておきたい。と彼は言った。

自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。

でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。

どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。

いくらつかったのか。

どんな贅沢をしたのか。

すべての話は結局そこに落ち着いた。

結婚式を挙げるホテルマリオット,ヒルトンウェスティン。どこが良いかな。

共働き夫婦から夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。

かい4Kテレビを買って,見るものいかyoutubeスロット解説動画をみてるよ。

どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。

でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。

俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。

こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。

できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。

彼らは自慢による他人比べでしか自分場所を測れないんだ。

自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。

自分経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。

そこに気づいたとき違和感があった。

東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間東大生ばかり。

受験戦争結果論でいえば,昨日の同級生よりも勝ち組

でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。

でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。

そんな純粋自分欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。

いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。

ベクトル自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。

高校大学時代勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。

いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。

ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。

今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要ものは何か。何も考えていない。

君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。

神を畏れることは知恵のはじめ。無知ものは知恵をも諭しをも侮る。

現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。

勤務校ははっきり言えば底辺校教育困難校卒業高校はまぁまぁの進学校

勤務校における,卒業高校の評判は良くない。

それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。

それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。

でもこの評判は,正しいのではないだろうか。

自分キリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。

はいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。

から受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,

アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。

でも恐らく違うんだと気づかされた。

昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知もの。だと思う。勉強仕事もできるはずなのに。

さな自分価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいなのだろうか。

受験戦争が彼らをそうさせてしまったのだろうか。

卒業後の会社が,社会が,そうさせてしまったのだろうか。

たぶん違う。自分若い時,あっち側に近かった。

学部生の時に友人に「お前は資本主義権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。

だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。

仲が良かったということは,すくなくとも高校時代あのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。

でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。

自分若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。

その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,

自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。

大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。

ちゃんと書いておく,自分別にそんなにできた人間ではない。

5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。

2011年に会ったとき東京計画停電自粛ムードどんよりしていた。

そんな中,居酒屋で彼は,原発は動かすべきだ。と言っていた。

でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。

自分は,人間だけの都合でその環境再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。

彼はそんな理由経済の再構築に劣ると言ったと記憶している。

あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。

昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。

学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。

良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。

ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。

でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。

人間は,もっと自然から歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。

受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。

学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。

良い就職先を探すため,資格を取るため。では絶対にない。

君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。

飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。

30超えたおっさん説教しても変わらないのでしなかったと信じている。

熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。

なんだか教師としての道が見つかった気がする。

昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。

俺は東大出会った先輩,友人,後輩らを作りたい。

あの空間自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者自分価値観の狭さを実感して欲しい。

別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間経験したのが東大から仕方がない。

少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。

それは私自身が生きやす世界のために必要手段であるあくまでも自分のため。

もうすぐ息子が起きてくる。

彼はどんな世界大人になるのだろうか。

2016-10-28

教育困難校って、そんなに困難なの?

以下の記事悲惨に書きすぎだと感じた。

教育困難校の「英語の授業」で見た悲惨な現実 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

普通科高校教育困難校は知らないのだが、最近まで、子供通信高校学習センターに行っていた。(下参照)

学習センター (高等学校通信教育) - Wikipedia

上のwikipediaには色々問題点、書いてあるけど、私の子供がいっていたところは、同級生の親のほとんどは、学習センターにとても感謝してた。普通高校に何らかの理由で行けない子供ほとんどなので、平均的な学力教育困難校レベルだと思う。子供プリント見ても、「えっ、こんなんでいいの?」みたいなレベルだった。それでも、先生たちは学力ない生徒たちに、50分間飽きない授業をつくるのに一生懸命だったし、先生たちは、自分たちのそういう努力にむしろ誇りを感じているように見えた。

時間はかかるが、教師がワンセンテンスごとの英文和訳文、注意するポイント等をチョークで色分けし、記号も使って見やすく書いていき、生徒にそれを丸写しさせるほうが、効果的とわかった。手を動かして、ノートに書き写させる作業が、生徒の精神安定上にはいちばん良いようで、ほとんどの生徒は何とかやろうとしてくれる。結局、教師自己教科書ガイド、いわゆる「虎の巻」を毎時間作って生徒に示しているような授業になっている。

教師が奮闘しているうちに、授業終了を知らせる待望のチャイムが鳴った。「今日は、教科書10行も進んだ、よく頑張った」と、少しの満足感とともに教室を去る。

これ、多分、私の子供の学習センターでも同じだったと思う。というか、学習センターでは、教科書さえつかわなかった。毎回、先生がつくったプリント教科書がわり。どの教科も。教科書の内容をそのまま教えることは、先生たちは最初からあきらめてたと思う。学力的にそうしないとだめな生徒さんが、すくなくとも何割かは教室にいたんだろうと思う。でも、この記事の前回のやつみたいに、授業が崩壊することなんかなかった。

くりかえしになるけど、この学習センター全然悲惨でなかった。親のほとんども学校感謝してて、保護者会なんて、どんだけ中学校まで、学校に苦労させられたり、子供のことで大変だったか、お母さんたちが順番に泣く告白タイムにかならずなる。(あ、先生がへんな誘導していたわけじゃないよ)それで、ここ来て、子供毎日学習センターへたのしく行ってて、とってもよかった、みたいな話になる。あと、この学習センターでも子供がひきこもったままになっている親御さんをみんなでなぐさめたりもしてた。授業も崩壊したりせず、先生と生徒はだいたい仲良しだった。

卒直にいえば、卒業後の進路はそんなに明るくないよ。すごくがんばってて、仕事のしいです、お目目キラキラみたいな卒業生もいたけど、世間的には中卒に毛がはえた程度とみなされる。あんたらがFラン大学卒業生になげるような視線あびつつ、仕事さがすわけだ。大学行く生徒さんほとんどいないみたいだったし。

でも、多くの生徒にとって学習センター楽しいところで、親も学習センター先生信頼できていた。どうも、上の東洋経済記事よむと、勉強できないこと、指導要領どおりの進度で授業すすまないことと、生徒や学校の荒廃とか不幸とかを直結して書いているように感じてしまう。生徒のほとんどが勉強できなくても、そんなに不幸じゃないように、学校が荒廃しないですむようにすることは、ちょっと工夫すれば、普通学校でもできるんじゃないか。そうでなければ、学力以外で、不幸の原因があるんじゃないかと、元学習センターに通う子供の親は思うのです。

2016-10-20

モンキー高校自業自得人工透析

http://toyokeizai.net/articles/-/140774

こちらのエントリを読んで、長谷川豊氏の「自業自得透析」を思い出した。

教室内の生徒たちの間にも休み時間と同じ光景が広がっている。一人の生徒の席の前に数名が集まって、にぎやかにスマホゲームに興じているグループがいくつもある。教室の後方では数名の男子が、「うけるんだけど~」と言いながら相手の肩をばしばし叩いて、大声で笑っている。その足元では、まぐろのように伸びて一人の男子爆睡している。


件のエントリの冒頭で描かれている「モンキー高校」の日常風景だが、これ、長谷川豊氏が「取材した」という病院風景に驚くほど似ている。

文章の「生徒」を「患者」に、生徒の行動をそれっぽく変えてみるとこうなる。

病院内の患者たちの間にも健常者と同じ光景が広がっている。一人の患者の席の前に数名が集まって、喫煙をしているグループがいくつもある。病院の後方では数名の患者が、「うけるんだけど~」と言いながら相手の肩をばしばし叩いて、酒を飲んでいる。その足元では、まぐろのように伸びて運動をしようともしない一人の患者爆睡している。



長谷川氏は数名の医師からこのような現状を聞き、病院でこのような光景を目にして、そして義憤かられてあのようなエントリを世に出した、と言っている。

モンキー高校問題」と「透析自業自得説」は、共通した問題から出発している。

まり、「いざという時に自分を律することが出来ない人がいる」という現実だ。

高校しろ病院しろ日常的な選択肢の一つ一つが将来の生活なり生命なりを形作る以上、

教師なり医師なりの言うことをキチンと聞いて、ある程度窮屈な時間我慢しなければならない。

でも一部の人はそれが出来なくて、指示や忠告を守れず、「易き」に流れてしまう、というものだ。

キチンとした「アリ」からすれば、疎ましく見える「キリギリスなのだろう。

さて、同じ問題意識から出発している二つのエントリではあるが、結論は全く違う。

透析自業自得説」で長谷川氏は、そんな自堕落な者は殺してしまえ、と言い、今も考え方を変えていない。

なぜそんな者たちを、若者の金で救わねばならないのか、と。

モンキー高校問題」で朝比奈氏は、そんな自堕落な者は退学させてしまえ、とは言わなかった。そうではなく

忘れてならないことは、彼らは家庭環境や、学校教育環境さらには周囲に気付かれなかった病気障害などの理由で「教育困難校」に入るしかなかったという点だ。そんな彼らをこのまま打ち捨てておいてよいのか。それは、そこに通う生徒にとっても、日本社会にとっても大きなマイナスにならないか

と、その者たちの「自らを律する力」はどこで欠如してしまったのか検証し、手を差し伸べるべきなのか、いかに手を差し伸べるのか考えよう、と言った。

比奈氏のこの考え方は、長谷川氏が自業自得だと息巻いた透析患者にも当てはめることができると思う。

家庭環境なのか、病気障害なのかはわからないが、彼らはどこかで自分を律する力を身に着けそこねたのだ。

からこそ、本当に大切な指示や忠告を守り通すことが出来ず、その結果、健康をそこなってしまうのだ、と。

このように考えた場合、自堕落にして病に冒されることは、はたして純度100%自業自得の結実だろうか。

自業自得から、すべての責任はその患者個人帰属し、健康文化的生活から退場せねばならないのだろうか。

私が長谷川氏の主張を受け入れられないのは、そういう疑問が消え去らないからだ。

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2012-11-18

実業系→ヤンキーが多い、生徒指導が大変」という訳ではない件

http://anond.hatelabo.jp/20121117212027

日記を書いた者です。

あくまで自分の勤務している自治体(県)限定のお話ということを確認しておいてほしい。

進学校でも他の都道府県だとここまで補習をしている学校はそうないんじゃなかろうか。

都立に勤めている友人は「夏期補習なんて一週間あるかないかくらいだよ?」と言っていた。

難関校への進学を目指す子は殆ど予備校とか通っているらしい。都会って金持ちじゃないと住みにくいところなんだなあ、と再確認しました。

さらに、

id:comzoo 実業系の教員は楽だなんて何寝言言ってるのだろう。生徒の学業ををちゃんとサポートしようと考える先生はどこの学校でも生徒指導必死な状況なのは変わらない、定時・通信でもそれは一緒(むしろ大変)

ブックマークコメントにあったけど、うちの自治体では実業系は生徒指導が大変どころか、むしろ楽なのです。

何故ならうちの自治体では「実業学校偏差値の低い生徒、問題のある生徒が行く学校」ではないから。

それどころか工業高校特に人気の機械科なんかは「勉強ができるやつのいくところ」という扱い。

自分中学時代、のちに国立大学に進学し教員になった自分よりも塾で上のクラスだった友達工業高校に進学したということもあった。

実際普通科進学校合格者平均点よりも工業高校合格者平均点の方が上なんてこともザラにある。

ゆえに生徒の質は高い。うちの県では「工業高校ヤンキーが多い」なんて図式は成立しない。

研修部活顧問会などで実業系の学校に行くこともけっこうあるけど、みんなあいさつをしっかりしてくれる。ある学校なんて「ワンストップあいさつ」を励行していて、生徒は他校の教員だろうが業者の人だろうが

大人に出会うと立ち止まって大きな声で「こんにちは!」とあいさつをしてくれる。

で、そんなもともと生徒の質がいい実業系の学校では生徒指導上の問題なんてあまり起こらない。

さらには

id:a-lex666 進学校じゃなかったら就職指導とかで大変じゃないの?

というコメントもあったけど、実業系の学校では工業科や商業科の教員就職指導等を主に担当していて、五教科の教員の出番はあまり無い。

そもそも生徒の質が良い上に工業科の教員ビシバシ指導をするので、資格取得の合格率100%は当たり前、合格者数で日本一になっている学校も多い、という状況なので就職先を見つけるのもそう難しく無いらしい。

前述の自分より成績が良いのに(というかむしろ、良いから)工業高校に進学した友人も大手家電メーカーに難なく就職を決め、技能五輪で優勝(厚生労働大臣賞)していたり。

から実業系の学校に行けば、自分のような五教科の教員仕事が楽になるのです。他の都道府県ではそうでもないかもしれませんが。

まあ実業系の高校に優秀な生徒を取られる分、ウチみたいな普通科進学校は大変な訳です(苦笑)

あ、勿論うちの県でも荒れている学校はあるけれども、その荒れ具合は教育困難校と呼ばれる学校には程遠い。東京大阪の公立教育困難校の教員からしてみれば「どこが荒れているの?」と言われるレベル(笑)

id:naming11 ナチュラルサービス残業できるインセンティブの正体が知りたい

というコメントがあったけど、生徒がいいから頑張れる、という部分はあると思います

いい生徒で希望の進路がある、しかし家庭は経済的に苦しく塾や予備校には通えない、当然浪人も無理、という生徒がいればそりゃ何とかしなければと思いますよ。

部活動も生徒が良いから土日も出勤できるんです。

そう考えると、教育困難校で頑張っている教師はすごいな、と思います自分にはできません(苦笑)

2009-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20090823133132

勉強がださいとか中学校以外ではじめて聞いた

中学生?それとも底辺校?あ、ごめん教育困難校って言うんだっけ

2009-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20090607233324

 ありがとうございます。

 教育困難校……それは大変ですね……。

 学力小学生並みで学習態度はそれ以下で、身体的には……というのは、本当に想像を絶します。

 どうかどうか、先生もご自愛ください。

2009-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20090511231632

教師って殆どが進学校出身だからねぇ。

教師として赴任して初めて教育困難校を肌で知る事になる。

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081123120907

こういう事を書く人って実際の学校教育現場を知らないとも思うんだよね。

対話で問題を解決するのが理想なのは確かだけど、それを行うには一人の教師が受け持つ生徒はあまりにも多い。

特に教育困難校だと「問題児童」がものすごい数存在する訳で。

(特性上)少人数教育を施している特別支援学校で実習をしたときには生徒同士のトラブルが起きた時対話が行えていたけど、

それは一クラス生徒7??8人に対して教員2人(と俺みたいなサポート)という体制だから可能な訳であって。

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