はてなキーワード: 悲鳴とは
NHKのクローズアップ現代で官僚の働き方に関する特集がなされ、はてブでも多数のブコメがついた。([B! 労働] “ブラック霞が関”の働き方は変わるのか?現役官僚たちの本音を聞きました - クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス、
[B! 労働] NHKのクローズアップ現代、国家総合職の面接前日に「悲鳴をあげる"官僚”たち」の実態を放送するところから本気度が伺える)
だが、ここでの人気ブコメと私自身当事者として経験してきたことが大きく乖離しているので、あくまでn=1としての感想を記しておきたい。
本題に入る前に自身の経歴を書いておく。
国家1種(現総合職)採用後、複数の本省庁で係長級を3回、課長補佐級を4回、地方機関で課長級を2回、都道府県庁で課長級を1回経験。
本省庁では法案作成、予算要求、国会対応いずれも経験あり(霞が関の残業の大きな要因がこの3つ)。
多くのブコメで指摘されていたのがこれだ。確かに国会答弁を作るのは深夜早朝に及ぶことが多く、疲弊する。だが、それが必要なこともまた確かだ。
大臣にしろ役人にしろただの人でスーパーマンではない。そして各省庁の業務はどれも多岐にわたっている。事前に準備して置かなければ、「御指摘の事実について、報道されたことは承知しているものの、事実関係の詳細は承知しておりませんので、調べた上で述べさせていただきます。」とのような答弁が並ぶことになり、国会がまともに運営できなくなる。
国会での質問は、政治家個人にではなく「○◯省を所管する大臣」に対して行われる。当然、大臣としては◯◯省の組織を使って答弁の準備をするのが自然だと思われる。
ちなみに、答弁は政務三役(大臣・副大臣・政務官)だけでなく、役人(おおよそ審議官〜局長)が行うこともあるが、当然その答弁も担当部局が作成する。
なお、政務三役に対する質問で、それが政務三役としてではなく、政治家個人として問われているものについては答弁書は作成しないことが一般的だ。例えば政治信条やスキャンダルに関するもので、質問票に「政治案件」とかわかるように追記されている。
これは大臣によるが、多くの場合役人の作った答弁書がすべてそのままOKとはならない。
私の経験していた代表的な答弁作成スケジュールと答弁の作り方を示しておく。
委員会2日前
ポツポツ議員から質問案が届くので質問一覧(質問票や問表と呼ばれたりする)とそれに対する答弁案を作り始める。
委員会前日
18時ころになってもまだ質問内容が判明しない議員や、判明したとしてもあまりに範囲が広すぎて準備ができないもの(代表的なのが質問内容を「内政について」「外交について」とFAXしてきた民主党の某議員(うろ覚えだがたしか日曜日の22時だったような))についてバタバタし始める。
遅いときで24時をまわってからの答弁作成になるので、深夜労働は避けられない。
また、22時点までにできあがっている答弁書について、大臣に説明する。多くの場合大臣から修正指示が入る。
委員会当日
丸一日委員会(午前3時間午後3時間)が行われる場合、各部局が用意する答弁は100問を超える。委員会は朝9時から始まるため、150分ほどで100問分の説明を終わらせる。午後の答弁については昼休みに回すこともある。
正直言って、単純な業務量だけからしても個別の答弁を作っているよりも大臣の方がかなりキツイと思う。あの人達が過労死しないのは謎だ。
(答弁作成の流れ)
例えば、「○県△市で□が起こっていると聞いた。住民科は打数の苦情が出ているそうだが、国としても対応するつもりはあるのか」という問いだったとしよう。
まず行われるのは、どの省局課係がその答弁を書くのかという綱引きだ。その答弁なら当然うちが、というものもあれば、そんなの書きたくないよという押し付け合い(消極的権限争いともいう)もあるが、概ね1時間程度で決定される。
次に事実関係の確認だ。質問の前提となる事実が正確かどうか確認をする。
質問者がかなり角度をつけて事実を述べていることがあるので、国の出先機関や都道府県・市町村にお願いして情報を出してもらう。ここの数字が少しでもズレると「隠蔽だ」などと言われるので慎重かつ迅速に行う。データベース化されていればいいのだが、すべてのことのデータベース化など不可能だ。
事実関係の確認が終われば答弁の作成に入る。ぶっちゃけここは大して時間はかからない。長くても1時間もあれば終わる。
そして、上司の了解を取る。局長答弁であれば、課長補佐と課長と局長の了解さえ取れば良い。ここは常日頃から意思疎通もできているので簡単だ。大臣答弁であれば、局内だけでなく、大臣官房(会社組織で言うところの総務部とかの中枢部門)の了解がいる。ここは局としての答弁ではなく、省全隊の答弁として適切かどうかという観点からチェックするので割と修正が入ることが多い。
それと並行して、他省庁に関係が及ぶ答弁になると関係省庁の同意(合議(あいぎ))を取っておく。国会答弁は政府としての約束になるので、ここで大臣が「やります」と答えて、実施のために予算が必要になった場合、財務省が承知していないと困るわけだ。
この、関係各者への了解を取り付ける作業が極めて長い。全体としての整合性を問われなきゃ楽なんだろうけどそういうわけにもいかないだろう。
一番疑問に感じているところはここだ。正直言ってこれで役人の待遇が下がったとは思えない。
何故か。そもそも、内閣人事局ができる前も、幹部公務員の人事は政治家の意向が反映されていたからだ。
内閣人事局ができる前から、各省庁の公務員の人事権は各大臣が握っているので当然だ。だから、内閣人事局ができて変わったことと言えば、人事に各省大臣だけでなく総理大臣の意向が反映されるようになったことくらいだろうか。そして、それはときの政治家によって積極的に行使される場合もあれば、「よきにはからえ」とされることもあるだけだ。
私の目の前で局長が大臣に反論してすぐ飛ばされたのを見たときは戦慄した。
もともと、役人の間では、「真ん中以上でいれば指定職(審議官や局次長クラス。このクラスまでなると退職金が跳ね上がるので一つの目標)まではなれる。それ以上は政治が絡む」ってのは共通認識だったと思う。
ただ、内閣人事局ができたせいで官僚の自律性が落ちた、や政治家の言いなりになるようになった、などと大々的に報道されることによって学生の方々にそのような認識が植え付けられ、志願者減につながっている可能性は否定しないが。
役所に入る時点で政治家やコンサル等に転じる予定だった人はともかく、入ってから宮仕えにネガティブな印象を持って去っていくのは、概ね①激務に耐えかねて、②ワークライフバランス確保のため、③より高い報酬を求めて、の3通りだ。割合からすると20%、30%、50%くらいだろうか。
人を増やすことで一定程度の解消は可能だが、この施策は賃金と出世の下方圧力になる。
今なおあえて霞が関に残っている人からすると、賃金はともかく出世競争相手が増えるというのはモチベーションに響きそうだ。
ちなみに、20年ほど前に活発にブログを書かれていた官僚のbewaadさんは概ね以下のようなことを述べていた気がする。
○役人として入ってくる人は激務には耐えられる人が多い。薄給もまぁそう。ただ、いわれのないバッシングは堪える。
①と似ているが、こちらは育児や介護などライフイベントで去らざるを得なくなるケースだ。この場合、概ね地方公務員なんかが受け皿になることが多い。また、本人が降格願いを出して、ほぼ転勤がない強度の低い仕事に移ることも多い。
あと、省庁にもよるが頻繁に転勤がつきもののところもある。役人同士なら転勤先を配慮してくれたりもする(配偶者の留学に同行するための休職なんてのもある)が、そうでもなければ別居や単身赴任となる。このご時世それで人を引き留めたりは難しいだろう。
③報酬
私の周りの場合ほとんどがこれだった。特に外資コンサルへの転職が典型的だ。
必ずしも悪いことではなく、正当に評価されるところにいくのは当然だと思われる。
引き止めるためにはとにかく金。
もう一つ、労働時間の上限を決めて必ず守らせ、それにより発生するミスは受け入れること。役人の中にはいろんな意味で仕事が大好きな人も多い。無給だろうがどんどん働く人達だ。また、この人たちはえてして極めて有能であり、役所の仕事の大きな部分が担われているのも間違いないのだが、この人たちの働き方が標準になってしまっていて、皆それに合わせざるを得なくなっているのもまた否めないところだ。
なら、労働法と同じように上限も決めてしまって、彼らに一切働かせないとしてはどうだろうか。(というか今でも一応上限はあるんだけどね、有名無実になってるだけで)
関心領域(The zone of interest)というのは、ナチス統治下のアウシュビッツ収容所の周り40kmを指していた言葉だそうだ。
その言葉とは裏腹に、収容所の長として働くナチス高官とその家族の暮らしが、いかにアウシュビッツの出来事に無関心だったかということが描かれているよ。
無関心というよりは、虐殺がスムーズに日常に溶け込み過ぎている様子の不気味さというべきかもね。
妻は収容されたユダヤ人の衣服が届けられると、家族や使用人にそれを分配したり、プールのある庭のお手入れに夢中だったり、子どもたちはおそらく川に流されたユダヤ人の遺灰から拾った歯を眺め比べていたり、父親は熱心にユダヤ人を焼却する最新型焼却炉の計画を進めたりするよ。
それらが日常系とも言える淡々としたスピード感で描かれていくよ。
一見、大きな犬が尻尾を振りながら家中を遊び回る平和な光景に、壁の向こうの収容所での悲鳴や怒号が紛れ込んだり、美しい調度品とシンプルな家具が美しい家の窓からは、焼却炉の煙が常に見えていたりするんだ。
彼らはナチスの仕事を熱心にこなし、支援する模範的国民であり、その中でも成功した上流の暮らしをしているけど、それが未来にどんな意味を持っているか、まったく想像しないんだね。
タイトル通りなんだが、肛門周囲膿瘍で手術して、出血多量で運ばれて尻の穴が一つ増えた。
もともと下痢気味体質なのが災いして、肛門の中に膿が溜まった。ここまでは仕方ない。問題はここから。
まず排便が難しくなった。排便時にも当然痛みがやってくる。そして座る、歩くという普通の動作すらできなくなってきた。
会社に這っていったのは良かったが、午前中で体力が尽きて帰宅。駆け込んだ駅前の肛門科で初老の医者に尻の穴をほじくられてついた診断名は「肛門周囲膿瘍」だった。しかもその病院では処置ができないから別の医者に紹介するという。
その日のうちに別の医者に行ったら、また尻の穴をほじられた。1日2回もほじられて、さらに痛みは増した。
言われたのは「ウチで手術できるかどうかはわからないけどとりあえず座薬と抗生剤痛み止め出しておくわ」。
尻を抱えながら家に帰った。横になっても痛い。更に痛みが増した。痛みで眠れなかった。
翌朝、病院に駆け込んだらすぐ呼ばれて、尻の穴に麻酔を突き刺された。悲鳴を上げた。そして膿を破いて取り出してくれた。ついでにチューブもつけてくれた。
これでよくなる…と思ったら、今度は排尿ができなくなった。
力を入れても尿が出ない。
病院の医者が顔色を変えて「夕方まで様子を見ましょう」とのたまう。そうこうしてるうちに尻から血を噴き出した。ケツから火ではなく血をふいた。
医者が再診したが時すでに遅し。止血剤も効果はなかった。再び激痛にのたうちまわる。
医者はとうとう治療を諦め、救急車を呼んだ。町医者から大学病院に運ばれた。
翌日には退院することができた。
そして数日後、尻の穴がもう一つ、側壁といえば良いのか空いていることに気付いた。
私の尻には二つの穴がある。
一つの穴は排泄のため。
もう一つは膿をひたすら垂れ流す魔物となっている。
終わりだよこの人生。
リモートワークの恩恵もあり無意識でポルノを見てしまう生活を変えたくて始めた。
数年前から何度か読んでいた「インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学」の影響もある。
何度も読んでいることからわかるとおり自分はインターネットポルノ中毒である。
(あなたがポルノ中毒でなくとも依存や脳に関するトピックに興味がある人は楽しく読めるはず)
このチャレンジの一番の目的はポルノ視聴をやめること。二番目が頻繁なオナニーをやめること。
始めてから1ヶ月でポルノの視聴は1回、オナニーは1回、セックスが2回だった。
以下感想。
初日はなんてことなかった。2日目から徐々にムラムラしてくる。
3〜4日目は気を抜くと常にエロいことを考えていた。頭の中は妄想でいっぱい。仕事が全然手に付かない。
ここで身体にも変化が出始める。股間と肛門の間の筋肉が射精時と同じようにビクンビクン動くようになる。これがけっこうキツイ。身体的な依存。
4日目以降は完全に狂っていて、なんとかオナニーする理由を探し始める。疲れてるとか、仕事で嫌なことがあったとか、集中力が落ちたとか。
ここをなんとかして乗り越える強靱な精神力が必要。身体も悲鳴を上げていて妄想で疑似射精しているのか連続してビクンビクン動いている。
7日目以降も同様の症状が続くが、ここまでくると我慢できている自分が少し誇らしくて徐々に楽しくなってくる。
10日ぐらい我慢すると達成感がありここまで来たらご褒美オナニーしてもいいかなと清々しい気持ちになってくる。
だがこれはただ単にオナニーするための形を変えた言い訳なので意志を強く持って我慢する。
12日目ぐらいで我慢できなくなったのでセックスした。一度射精してしまうと快感が蘇り我慢が難しくなる。
16日目でポルノを見ながらオナニーをした。達成感と後悔が半々ぐらい。だがここで断念する理由はないので翌日から再挑戦する。
継続するコツは罪悪感を持たずに「初回の挑戦は16日継続できた。次は20日継続しよう」と考えることだと思う。
翌日からの2周目の挑戦は初回よりも簡単だった。3〜4日目のキツさは無い。10日目ぐらいのメンタルで再開できる。
また2週間弱で1回セックスした。初回同様、翌日以降にオナニーしたくなったがこうなるのは理解していたので回避は容易。
そのまま継続していま1ヶ月目ぐらい。
ポルノを漁っていた時間が完全にフリーになったので新しい事に取り組めているし
集中力に関しては個人的に仕事の生産性を数値化しているんだけど明らかに向上している。
いまはポルノを見ていないがXでたまに流れてくるエロ動画を見てしまうと脳が怖いぐらい素早く反応してしまう。
もう涎が出るほど官能的でいますぐパンツを脱いでオナニーしたくなる。しばらくそのシーンを反芻してしまう。
自分はソフトドラッグの経験があるのでこういった中毒性、依存性のあるものを比較的理解しているつもりだが
ポルノの依存性の強さはソフトドラッグの比ではなかった。(この辺りの話は本にも詳しく書いてある)
脳内でスイッチが入ると女の子の口や舌、身体の柔らかさや肌が触れあう感覚がフラッシュバックして落ち着くまで時間がかかる。
オナニーが習慣になっていたときはなかったが、いまはこのフラッシュバックが習慣を元に戻してしまう一番の危険性になっている。
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書き忘れたこと。
自分の楽しみを手放してしまった寂しさみたいな気持ちがある。好きだったおもちゃが壊れたときのような寂しさ。
エッチな動画を見つけてオナニーする行為自体は純粋に好きだったんじゃないかな。
「退屈すぎて面白くない映画」を揶揄する言葉として「途中で寝た」という言葉が存在する。
もちろん本当に寝るわけではないだろう。金払って映画見てるのに上映中に寝るなんて勿体なすぎる。
そもそも自分だって映画館で映画見てる最中に寝た事なんか一度もない。
内容が退屈かどうかとか以前に、睡眠が足りてないだけなのでは?
とそう考えていた。
恐らく数分程度ウトウトしただけだと思うが。
予想通りだが、やはり予想通りアウシュビッツ強制収容所で起きていたコトについての直接的描写はない。日常的な出来事の合間合間に(主に夜)焼却炉からの火や(焼却炉なのにあんなに炎上がるもんなのかな)、悲鳴じみた声だけが、強制収容所内で行われている事をほのめかしている。
結局最後になるまで、何が行われていたのかは明確にされず、ひたすら強制収容所所長のヘスとその強欲な細君の日常が描かれるだけなのでやはり退屈になってしまう。
まあ、その最後にしても学校の先生方が嬉々として解説しそうな物であったが。
画面作りはホラー映画風だけど、やはり学校教育用の映画以上のものではなかった。
多分そのうちNHKが放送するだろうし、学校でも生徒たちに見せる熱心な教育者が出ることだろう。
一体何が原因で寝たんだろうか?
と考えてみたが、今までは映画はほぼ休日に観るものだったが、最近は仕事帰りに観ることが多い。
後は、認めたくないが40代になって疲れが取れなくなってきてるのかも知れない。映画評論家も大体歳食ってる人たちが多いので、もしかして老化による影響で本当に寝ていたのかも知れないな。
教授に言われた内容で十分にアカハラ判定されると思うので、時系列で整理して所属大学のしかるべき部署に行ってください。
教授と闘って勝とうと思うと、なかなか難しいかもしれませんが、研究室の変更だったら普通はやってくれると思います。
それと、追記を読みました。
教授の年齢は分かりませんが、昔は確かに大学進学率も今より低い上に、大学院まで進むのはごく少数だった時代があります。
そういう時代を生き残って大学教授になるということは能力も自信も人並み外れたものが要求された、みたいなところはあるかもしれません。
そう言う教授が、自分の学生に自分がやったのと同じようなハードな努力と才能を要求しがちである、と言うことはあります。
しかし、ここ20年は大学院も大衆化してきており、50%が大学に進学し、そのなかで理工系に限れば4割近く、全体でも1割強が大学院に進学する時代です。
ついでに言うと、政府はそれでも「国際競争を考えれば、近い将来に高度人材が足らなくなる」と悲鳴をあげているわけです。
(20世紀前半に活躍した科学者で科学論者であったJ.D.バナールは、いずれ働く人の3割が何らかの意味で科学者になると予言しました。荒唐無稽に感じるかもしれませんが、例えば「コンピューターを扱える」と言うのもバナールの時代を考えれば一種の科学者と見えるかもしれず、そんなに無茶なことでは無いのかもしれません)
こうした時代において「スーパーマン」だけを合格させては到底、大学に期待された役割を果たせませんし、合格させた以上はそれなりの経験なりスキルなりを身につけて社会に送り出す義務が、大学側にあるわけです。
「学費を払ったお客さんだから」とふんぞり帰って何かを与えられるのを待つと言うのも違うと思いますが、能力を悲観して要求すべきものを諦めてしまうのはもっと違うと思います。
せっかく、若い時期を何年か費やし、(多分)それなりの学費も払うわけですから、もっと自信を持って大学を有効活用することを考えてよろしいかと思います。
小学生の時、夏に暑くて「先生、暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室に冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室はダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった。
それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールのトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。
トイレはタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。
中高は私立に進学したので綺麗だった。
国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備もトイレも水道も大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉が脳裏によぎった。
世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかしそもそもそういうガチャ要素が国や自治体の施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。
子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師の存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。