はてなキーワード: 婚姻とは
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。
増田はよく頑張っているよ…。本当に。
迷惑かもしれないが、ほんの少しだけ具体的なアドバイスをする。参考になりそうなところだけ読んで欲しい。
ふわっとした理由でこれを勧めている訳ではない。あなたのパートナーの方に発達障害者と生きるための実践的な知識が不足しているように見受けられる。専門家と話すことでそこを補った方が良い。
この辺とか結構まずい。そんなこたぁない。この時点で一方的なケアラーになる必要はない。
・気分は生まれてこのかたずっと落ち込んだ状態なので、別に医者に話すほどじゃないと思ってる
・でも子供部屋の窓を開けてベランダに出るたび飛び降りたいと思ってたし、車の群れを見るたびに突っ込みたいと思っていたし、駅に行ったら電車の下敷きになる感覚を想像したりしていた。というか、今でもそうなんだけど、普通にこれって軽度の鬱とかかかな?
うん、お医者さんに話してみても良いかもしれんね。ただこの辺りの生きづらさは、ADHD起因については投薬でなんとかなるかもしれないけど、ASD起因については投薬で済むかどうかわからんね。せっかく診断が降りたので、お医者さんとか病院連携のカウンセラーに「自分の生き方を整理してみたいので、その手助けをして欲しい」と話してみたりすると良いよ。
専業主婦は考えていません。とにかく、彼の重荷にはなりたくないので。
重荷にはなりたくないという発想は危険で、むしろあなた自身を守るため、そしてあなた自身の人生のリスクヘッジをするため、という発想に切り替えたほうがいい。
そういう観点だと、あなたが最初から働いていない専業主婦の人ならまだしも、休職できるなら、離婚するにせよ婚姻継続にせよ仕事を辞めるのは本当にお勧めしない。
私から言わせれば、日系大手企業に務められて同僚上司優しい人たちに囲まれてるのがいっちばん大切。絶対辞めてはいけない。離婚するにしろ婚姻継続にしろ。
休職カードを適宜使いつつ日系大手で優しい人々に囲まれている発達障害の人を知っている身としては、ブックマークのこの意見に完全同意。転職は最終手段かと思う。
一方でとてもしんどいのは本当にわかる。生きていくことも含めて。
大手企業なら、診断を経てあなたに向いた仕事がなんとなく自己分析できた段階で、そちらに配置換えしてもらえないか交渉するのは手だと思う。
その場合、障害をクローズドにするかそれとも特定の相手(信頼できる上司など) にオープンにするかは社会的に柔軟な判断が必要なので、上に書いた1と2を通して、まずは医療、次にパートナーへの緻密な相談をしてみよう。
法治国家では、戸籍が男性の人を社会的に女性として扱ってはいけない。その逆もそう
単純に心から『心の性』なるものが存在していると本気で考える宗教カルト(神が男女を作った)なのか、
単純にトランスの辛そうな心情に寄り添ってるだけで特に何も考えてない知能か発達がアレしている人なのかわからないが、
<社会的に女性>かどうかという殆どの人類が持っている概念は持ってもろて
ちなみに、2023年時点で日本で戸籍を女性に変えるのは下記を満たす必要性がある
第三条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
一 十八歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
2 前項の請求をするには、同項の性同一性障害者に係る前条の診断の結果並びに治療の経過及び結果その他の厚生労働省令で定める事項が記載された医師の診断書を提出しなければならない。
性適合手術は負担がデカいのでしたくなかったら別にしなくていいが、単なる事実として日本では<社会的に女性>にはなりません
女性的な扱い・男性的な扱いなんて差別的なものに憧れる感情・思想は理解も肯定も出来ないが、
公的な施設・制度利用以外の場面では、<社会的に女性>じゃなくても"振る舞い"で女性として扱われるので、
勝手に個人で"振る舞い"を頑張ってどうぞだし、現実はみんなそうしてると思うが?
当たり前だけど、<振る舞いでそう扱われる=文化・社会が作った単なるロール>であって自己選択の範疇の話なので、
トランスとかいうキリスト教圏の宗教を無批判に輸入してキャッキャやってる暇あったら、ジェンダーフリー・ジェンダーレスに向けて動く方が建設的だぞ
小規模な個人店や自宅のようにオールジェンダートイレのみにして、街中で安全を確保するには、治安が良くて人口多い日本でもまだまだ課題があるぞ
『実際には純然たる身体の性が女性でもパス度低いと(女子トイレの利用は)アウトなんだろうし』とか言っている、
質問:子宮を持たない女性が公共の女性用トイレの利用を制限される時、生まれつき子宮を持つ女性は見た目が女性らしくないという理由で理由を制限されるべきですか?
ChatGPTくん:いいえ、見た目が女性らしくないという理由だけで公共の女性用トイレの利用を制限することは適切ではありません。性別は身体的特徴だけでなく、社会的な要素も含まれるため、見た目だけで性別を判断することは不適切です。 また、子宮を持たない女性も、性適合手術を行っている場合は、その手術によって性別が変わっているため、公共の女性用トイレを利用することができます。そのため、公共のトイレの利用においては、性別に関わらず、個人の安全とプライバシーを保護することが重要です。性別に関わらず利用できる「誰でもトイレ」が設置されることで、利用者の安全を確保することができます。
お病気ではなく、純然たる善意・共感で困難を抱えた女性の辛い気持ちに寄り添ってる"つもり"なら、
それこそAIチャットに相談してから書いた方が迷惑にならないと思うぞ
君やツイフェミ・ツイトランスの感覚・言葉選びはだいぶ一般と異なる
anond:20230520080620 anond:20230520070935 anond:20230608132905
近頃女性から性的不一致で離婚みたいな話を聞いたんだけど、単に気持ちよさに対する奉仕を婚姻関係の相手から思うように得られなかったから離婚、が理由なんだったら、それは自分で自分の面倒見ればよかっただけの話じゃないの? て思ってしまって……。
(特にほかの点に不満がなく、そこだけが問題だったというケースの場合です。逆に女として見られないとか男として見られないことが既に許せないという考え方があるのもわかるんですけど……。)
今やデパートで(!)男女関係なくセルフプレジャーアイテム売ってる時代です。
自分の欲に他人を付き合わせるとなれば、双方のタイミングが一致するしないとか、あるじゃないですか。セルフならそれは無いわけです。自分で自分の面倒見ればいいだけの話。
なんかそういう、自分の体を乗りこなして機嫌よく使うことで生活全般に良い影響を及ぼすみたいな……健康知識のひとつとして男女関係なく、そういう手段があると分かるようになれば、前述の理由による離婚とか、あるいは寂しさに任せての不倫みたいなのって起きにくいんでないかなって思うんだけどどうなんだろうか?
ぶっちゃけ人間も動物だから、食欲、睡眠欲、性欲があるのはおかしい事じゃない。
ないんだけど性に関わることって未だにいかがわしげな情報ばかりが乱立していて、知りたいことと乖離していたりする。
潔癖に性的な部分を遠ざけまくった結果起きた歪さが今の日本における性教育や情報のおそまつさという気もしているので、その辺含めて正しい知識や知恵が得られるような社会になればいいですよねぇ……。なんか自分で処理すれば済むことで悶々として離婚とか不倫とかバカみたいでもったいないじゃん……。
先進国アメリカでは大半の州で成年は18歳だし、婚姻可能年齢は別だよ。
世界は18歳で成年とする考え方の方が多いんじゃないかな。日本だってそうなったでしょ。
https://forbesjapan.com/articles/detail/43023
ニューヨーク州だと今は変わったけど14歳でも婚姻は可能だったんだよね。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H4M_Q7A710C1CR0000/
全くその通り。
社会人になったら忙しくて出会いが少なくて相手の給料も気にするようになるからな。
高校のうちなら、番茶も出花というやつで多少ブサイクでもアホでも浮かぶ瀬もあるが、社会人でブサイクならほぼ絶望。歳を重ねりゃ益々絶望。
親権争いで母親が親権者になりやすいのは、婚姻期間中の養育実績の違いからくる。つまり、子の養育を積極的に行っているのは母親のことが多いから、親権争いでも母親有利のことが多くなるということだ。
裁判において親権者を父親母親のどちらにすべきかという問題の判断要素はいろいろある。詳しくはググってほしいのだが、大きなウエイトを占めるのは婚姻期間中に主に子の養育を担っていたのは父母のどちらなのかという要素だ。
で、現状、母親の方が主に養育を担っているから、親権争いでは母親が勝ちやすい。非常にシンプルだ。
「そんなことはない、イクメンと言われるようになって久しいように今では父親も積極的に育児を行っているぞ!」という人もいるかもしれないけど、そういう人は男女の育休の取得率と取得期間を比較してみると言い。ググればすぐに出てくる。
男性はほとんど育休を取ってない。せいぜい2割くらい。そして、取った人でも数日からせいぜい数か月程度しかとってない。つまりイクメン、イクメンと言っていても実態はこんなもんなんだよ。これで「育児に積極的にかかわってました!」と言われても母親との差は歴然としているから、勝負にならない。
自分が問題にしたいのはなんでこんなに違いが出てしまうのかということだ。
自分の考えたところによると、未だに「男は外でバリバリ稼ぐ、女は家事育児を頑張る」という風潮が強いからだ。
育休を取得する際、当然夫婦で相談すると思うのだが、その際男性のほうが一般的に給与が高いから女性が育休を取った方が家計に与える影響が少ない。だから女性の育休取得率は高くなる。
その結果、女性のキャリアが犠牲になるから、女性の一般的な賃金水準が下がってしまう。
また育休で抜けてしまいやすい女性には重要なポストは与えにくい。ここでも男女で賃金水準に差が生まれてしまう。
その結果、育休をとるなら女性の方が・・・となり、その結果・・・という具合にもうこういう問題がこの国の構造として定着してしまっている。親権争いで女性が有利になってしまうのは、こういう構造的な男女の差が親権の取得という場面で表出した結果だ。
これはもう女性が不当に優遇されているとか、男性が虐げられているとか、そういう問題じゃない。この国の構造の問題だ。だから個々人の努力とか根性とか頑張りとかでどうこうなる問題でもない。もちろん「普段子供にかかわってこなかった父親が悪い、自己責任だ」という問題でもない。わかるな?
男性が親権争いで勝ちたかったら、現状では「キャリアを犠牲にして母親以上に子育てをしろ」「出世もあきらめろ」という回答になる。「そこまでしなきゃいけないの?」と思うかもしれないが、現状、この国は女性にそれを強いている。育休取得率や男女の賃金水準の違いから一目瞭然だ。
そして男性はこの状況を何十年も見て見ぬふりしてきた。で、その矛盾が噴出する親権争いという場面で勝てないことを「女性優遇だ」とか「男性が不当に差別されている」などと言うやつがいるが、そのおかしさはもう理解できるはずだ。
離婚前、彼女が夫との関係に悩んでいた頃に俺はよく相談に乗っていた。
【再追記】
ホットエントリに入ってびっくり!
救われます。
フェイク入れてはおるけど…
追記の段階で危惧してたけど、やっぱり少し争点になんてたんで、再追記。
出会いはSNSで、離婚成立するまでチャットだけの関係だった。
それに加え前夫が前夫なんで、彼女は夫が怖くて家をあけられなくて、そもそも不貞行為する余地はなかった。
まぁ、気移りした時点で不倫だと言うなら、不倫なのかもしれんけど。
パートナーの拳を固くしてしまう人か。俺もそう思ってしまったことが、実はなくはないから、ドキッとした。
でも俺は前夫のようにはならない。
なりたくなんかない。
だからってモヤモヤを飲み込むばかりじゃよくないのもわかるけど、難しいね…
とにかく、リアルの友人にはなかなか言えないことが多い関係性だから、愚痴もモヤモヤも抱えて済ますことが多いんだけど、増田に書いたらこんなに反応もらえて、うれしい。厳しい意見も優しい意見も、うれしい。ようやく客観視や普遍化ができて、めちゃ助かるな。
垢貫通が怖くてスターつけられないモヤモヤ!専用アカウント作ってはてブで書けば良かったとまで思う。
同情してくれた人、ありがとう。少し心が軽くなったよ。
そう、彼女がすごく悪いわけではないんだ。
ただ、今までなら気にしてくれていたこと、当たり前だったことがどんどん希薄になっていってると感じて、俺は焦ってたんだろうな。
●結婚願望について
これは俺も彼女もお互いにない。
俺だけないわけでも彼女だけないわけでもない。
一緒にいたいから一緒にいる。
ただ、毎晩どちらかが待つ家にただいまを言って、他愛ない話をして、どちらかが作った食事をとって、ときどきは酒なんか飲んで、きつく抱き合って眠って、毎朝一番におはようを言って、一緒に花瓶の水を替え、コーヒーを飲みグルテンフリートーストを食べ、いってらっしゃいを言う。そんな暮らしが愛しいだけ。
●年齢について
彼女は34だけど俺は27です。
●駅のゴミ箱について
身バレこわいけど俺が使ってる駅にはあるよ。
●サプライズなのか?
俺はサプライズのつもりはなかった。だって本人に何食べたいか聞いてるのだから。
日頃の晩飯は当番制なんだけど、自分が当番の前日に「明日何か食べたいもんある?」って聞くのと同じ感覚だった。
それで「カツ丼がいい」といわれたとして、俺はわざわざ「明日はどこのスーパーでトンカツと卵を買ってカツ丼にするからね必ず一緒に食べようね!」とは言わないで当日カツ丼を出す。これをサプライズとは思わない。
誕生日もそんなつもりだった。今までリクエストされれば必ず答えてきた俺が、今回も当然寿司を用意していると、想像してくれなかったかな…と思って悲しかった。
●彼女の人となりについて
実は彼女はバツイチだ。前の夫はモラハラやDVが激しく離婚をした。
離婚前、彼女が夫との関係に悩んでいた頃に俺はよく相談に乗っていた。
そんな中で彼女は俺に恋をした。それによってDVモラの前夫に対する依存心から開放されたらしい。
彼女自身の身を守るためにも、俺と一緒になるためにも、離婚が必要だった。
離婚調停は半年ほどで和解という形で終わり、彼女と俺は新たな人生を踏み出そうとしたのもつかの間、
前夫の親族は彼女をたくさん責めたようだ。あの頃の彼女の憔悴ぶりを思うと辛い。
それ以来彼女は気を病み、俺と一緒になりたいという思いは無くなったらしい。
彼女自身の親族に対しても、前夫の自●という点で気まずいものがあるらしく、彼氏がいるとバレるのはイヤなんだと思う。
前夫を自●まで追い詰めておいて、自分だけ幸せになるわけにはいかないと言っていたことがある。
(トピック外だが、前夫との婚姻関係中にもこんな風に誕生日当日に実家帰ったりしてたの?してねえんじゃねえの?とか思ってしまってモヤモヤすることもある。本人に言えんけど)
●それに対してどう思うのか
あんな前夫でも彼女なりの葛藤や思いがあるだろうから、(俺も思うところがないわけじゃないけど)基本的に見守ることに徹している。
本文に書いた通りなんだけど、俺自身結婚したいとか子供が欲しいとか思わないタイプ。ただ一緒に居たいから一緒にいる。それだけの関係。
(彼女が「結婚してくれないなら別れる」とか言い始めたら流石にすると思うけど、上記の通り彼女も結婚願望はない。)
でも、だからって優先度を下げられたり、存在しないものとして扱われるのは傷つく。
基本的に彼女には幸せであってほしいし、幸せになる権利はあると思っている。
前夫のことを気に病むあまり幸せを拒絶する、その一環で俺に対して好き避けのようになっているなら、閉じた手のひらを開いて上げたいと思うし、
彼女の幸せのために俺が力になれないのなら、身を引かないといけないとも思う。
でも全部思うだけ。俺に彼女の苦しみや葛藤を肩代わりしてやることはできないから。
彼女が願いを口にできる時まで、ただ寄り添っていたいと思っている。
だから俺は思ったこととか言えんことが多くモヤモヤしてるんだろうけど。
●他の男はいるのか
こればかりは絶対ないとは言い切れないよね。
でもまあ、毎日定時で帰ってくるし、土日も毎週一緒だし、家ではスマホ触ってないし、飲み会に行けばメンバーの写真を送ってくるし、セックスやキスを拒まれたりもしないから、多分無いと思うんだがな。
それに、上記の通り、彼女は新しい恋ができる精神状態でもないとも、思う。
男だったら、よそでしてたら弾数的な問題でバレそうな気がするけど、女性はどうなんかね。外でしてきてからでも、できるんかな。
【追記ここまで】
俺はその数日前に「誕生日何食べたい?」って聞いてた。彼女は寿司と言った。
俺は彼女の誕生日に寿司を予約して、ケーキも予約して、仕事は早退の準備をしていた。
同棲しているから基本的に毎晩一緒に飯を食う。そのルーチンの中に自然と寿司とケーキが組み込まれるだけだ。
わざわざ彼女の予定を抑えるようなことはしていなかったけど、誕生日に何を食べたいか確認し、彼女もそれに回答したことで、当日は予定開けといてくれるだろうと思ってしまった。
それが間違いだった。
なんと誕生日の当日の朝になって、急に彼女は「今日は実家で食事してくるから」と。
は?と思った。
寿司食いたいって言ったじゃん。俺、そのために寿司予約したんですけど。仕事は時間有給もとったんですけど。
しかし、確かに、何が食べたいか聞いただけで、その後のこと、たとえば寿司予約しただとかテイクアウトだから家で食べようだとかは言っていなかった。だから、聞かれただけだと思ったんだろうか?
今まで俺はこういったことはすべて無言実行してきたし、彼女はそれを見てきたはずなのに。
次に、34にもなって、恋人と同棲していて、実家で誕生日パーティって何だよ。と思った。
マザコン?ファザコン?誕生日当日じゃなくてもよくない?後日とか前日でもよくない?
だいたい誕生日の3日前に父親と二人で飲み行ってただろ。そのときでよかっただろ。
彼女は何かと理由をつけて結婚したがらない。ご両親にも俺を紹介してくれない。
多分俺の存在を隠している。彼氏がいるということを隠している。
恋人がいないというアリバイ作りのために、わざわざ誕生日に実家に顔を出しているような気すらする。
結婚願望がない俺だから、普段は別にいいかと思って過ごしてるけど、こうして存在を押し隠されたり軽んじられたりするのは違うんじゃないかって思う。
突如、当然のように放たれた「今日は実家で食事してくるから」という言葉を前に、とっさに俺は何も言えなかった。
「あそう」と返して終わった。
寿司は一人食おうと思って受け取りに行った。
ケーキは、もう取りに行くのやめようかとも思ったけど、ケーキ屋は悪くないし、金は払っとかなきゃなと思って、一応受け取った。一口も食べずに駅で捨てた。
一人で寿司を食いながら上のようなことを考えてイライラした。なんでとっさに何も言えなかったんだろう。
「寿司予約したのに」と言ったところで実家を優先されるだろうことがわかっていたからだ。傷つくのが怖くて何も言えなかった。
食べきれなかった寿司は捨てた。
帰宅した彼女は何の悪びれもなくただいまといって俺の隣りに座った。明らかにゴミ袋の中の寿司に気づいた様子だったが何も言われなかった。
彼女は、悪意を持ってというか、俺の好意を踏みにじる覚悟はあったのかな。それとも本当に天然なのか。
俺も察してちゃんすぎたかなとも反省する。朝、「寿司食いたいって言ったじゃん」って怒ったら違ってたかな。夜、「寿司取ってたんだよ」って言ったら、謝ってくれたんかな。
そもそも謝られたいのか?俺は。
でも、彼女の中で、俺の存在感って、どのくらいなんだろ。と思った。
あんなに俺のことが大好きで、何をするにも俺と一緒がいいと言って俺のあとを付いてまわっていた彼女は、もういないのか。
モヤモヤする。
うちの地元だと逆だなあ。
お前は優秀だから地元を出ろ、ここにいたら駄目だ、と教育して、都会に出したがるのが続いている。地元には大学が無いからかもしれないが。
総論として少子化対策や過疎化対策大事だねっていいながら、みんな自分の子どもや親族には、田舎にいちゃいけない、都会に出ろって言うんだよね。
高校生は地元就職の僅かな人を除いて殆ど域外、7割は県外に出るという有様。家業がある人も出ちゃうんだぜ。笑うだろ。
だから、できるだけ若い人をつなぎ止めようと、地元の素晴らしさを語るのは、そんなに悪い事じゃ無いんじゃないかなあと思うんだけど。
まぁやり方にもよるんだけどさ。
地元、二十代の人口がむちゃくちゃ少ない。大学出て就職のために帰ってくる人はそんなに多くない。
30代半ば以降になってUターンで帰ってくる人が結構いるので、人口分布が面白いことになってる。IターンもそれなりにいるがUターンが多い。
で、独身者で帰ってくるのは殆どが男。独身の若い女性が物理的にいないため、出会いはない。婚姻率の低下とそれに伴う少子化が止まらない。
都会に行くのはもうとやかく言わない。
そのかわり、最近は、故郷との繋がりを切らさないようにしつっこく行動している。
自治体の広報誌をせっせと郵送したり、年1回、地元だけで使える商品券と、通販でも使えるぞと特産品カタログを送ったり。近場の都市部で頻繁に地元民の集まりを開いたりしている模様。
年末年始には、都市部から地元へ帰郷するための補助金付き格安ツアー(交通費2万円を、これを使うと往復3千円w)を用意するとか、涙ぐましい努力をしている。で、これらの財源は、そういう連中が納めたふるさと納税という。笑える。自家発電じゃん。
関係人口を増やすんだって。でも関係人口で地元の労働力不足をなんとかできるか?ってできっこねーじゃん。どうするんだろうねこれ。でかい会社の工場があるんだけど、工場労働以外の選択肢があまりない。選択肢は無いのに人が足りない。
まぁその結果Uターンが増えているのはよいことなんだけど、俺みたいな独身ばっかりUターンしてきてどうするんだろうね。最近無駄にソロキャンパー向けのキャンプ場ばかり増えている。おっさんの都を作りたいのかな。俺はそれでいいんだけど。
さらに定年後帰ってくるジジババも増えている。それを当てにしたサ高住ができたりしてて、今後介護医療ばかり負担増間違いなし。健保と介護保険爆上がり。このままだとたぶん滅ぶよこの町。
氷河期世代以降は都会からのUターン組がマジョリティなので、もう昔の因習とかはあんまり感じられない。因習と一緒にお祭りなんかもなくなっちゃったけど。コロナ禍でそれはさらに顕著だ。
まぁ俺の周りのコミュニティだけだからそれを代表で語っていいかはわからん。
ただし女性も働いていないと、専業主婦やってると遊んでるとみられるのは、同じかもな。もちろん男性の方がそれは顕著だけども。