小学生から高校生のあいだ、夏休みや冬休み、春休みに祖母の家によく泊まりに行っていました。
祖母、祖母と仲良しのおじさんと3人でご飯を食べに行ったのを覚えています。
祖母と仲良しのおじさんも連絡が取れなくなり
6年前から、デイサービスを週に数日間利用することになり落ち着いてきたと思っていましたが
事態を重く見て、老人ホーム的なところで住み込みで面倒を見てもらうことになりました。
それが、3年近く前のお話です。
月に1~2回ほど顔を出して、少し会話をしたり
施設には他の入居者のかたもいて、仲良く話す祖母の姿を見て安心していました。
一昨年の夏のことです。
祖母が体調不良を訴えて、入院することになったと連絡がありました。
検査の結果、ガンを患っていることがわかりました。
体調不良の原因はガンが悪さをして、ある器官の動きを妨げているというものです。
また、高齢であることもあり、ガンの治療はかなり難しいと先生から言われました。
そのためガンの治療ではなく、問題のある部分に対して暫定的な処置をするという形をとりました。
ガンの転移もあり、たくさん苦しい思いをしていたんだと思います。
私や家族の名前を忘れてしまっても、自分の子供や孫が来たことを認識して、喜んでくれて
施設で行われていたクリスマスパーティーにも参加して
皆と一緒に歌を歌ったり、ケーキを少し食べたり
本当に嬉しかったです。
退院まえには先生から『ハッキリとは言えないが、年明けくらいまでの命となるかもしれません』と言われていましたが
それ以外で問題のある症状が落ち着いたら、施設に戻す流れをとっていました
やがて年が明けて、誕生日も迎えて…。
施設に行ったら、祖母は部屋でひとり、布団をかぶっていました。
あの日は寒かったので、布団を被っていたのかな?と思って聞いてみたら
『そんなことはないわよ~』と答えて
母が、じゃあ顔を見てもいい?と聞いたら
『どうぞ~』と言っていて
顔を見たらいつも通り元気そうでしたが、少し熱っぽかったのを覚えています。
症状としては前回と同じだけれど、もう体力がかなり衰退してしまっているとのこと。
お見舞いに何度か行ったけれど
ある日、お見舞いに来た直後に
その時点で私は涙が止まりませんでした。
その後、母や兄と交代して家に戻って、父の身の回りのことをしたり…。
夕方ごろ、病院にいる母から連絡があり、そろそろ危ないかもと 言われて父をつれて病院に行き…。
午前中は少し苦しそうだった祖母でしたが、夕方には眠っているかのごとく少しずつ呼吸をしていました。
母のみ残り、家に戻って少ししてから、祖母が他界した旨の連絡をもらいました。
今思えば、最後に交わした会話がお布団にくるまってるときの会話なのですが
とても穏やかな語り口だったのが忘れられません。
ほぼ3年ぶりの帰宅です。
葬儀のために斎場に行ってしまうまでのあいだ、日替わりで家族が来て、お線香を絶やさないようにして過ごしています。
今日は、私の番です。
葬儀が終わったら、部屋の整理をして退去の手続きをしなければいせません。
施設に入ることになった3年前のままでした。
そして、家のいたるところに私やほかの人が贈った、旅行等々のお土産を大切に飾ってくれていることを知りました。
20年前、一緒に熱海に行った時におそろいで買った人形があったり。
また、私が祖母に送った手紙(運動会に来てね!というお知らせと、ポケモンやたまごっちのイラスト)も残っていました。
私は何も恩返しできなくて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
祖母の棺のある部屋の隣の部屋で寝てもいいよーと言われましたが
同じ部屋で、隣で眠っていたいので、隣に布団を敷きました。
前に泊まったときだって、祖母の隣に布団をしいて眠っていましたから。
この半年くらいは
ほぼ毎週祖母に会いに行ったり、郵便物を代理で受取りに行ったりしていましたが
葬儀が終わったら、もうぱったり、そういうことも出来なくなる(する必要がなくなる)んだと考えると
虚無感というか、喪失感というか…。
とにかく寂しいです。
とは言え、祖母は今までたくさん苦しい思いをしながらも
精一杯頑張って毎日を過ごしていて
天寿を全うできたのだと思います。
天国からいつまでも見守ってくれて、心のなかで会話が出来るのだと考えることにします。
おばあちゃん、今まで本当にありがとう。
今日は久しぶりに泊まりにきたから、二人でゆっくり過ごそうね。
おやすみなさい。