はてなキーワード: デイサービスとは
自分は障害者のきょうだいであり障害者の親でもあるんだけどさ、同じ障害者の家族でも親ときょうだいって違うのよ。自分が見てきたきょうだい児って使命感に燃えて福祉や支援の道にどっぷり進むか、全くそこに関わりたくなくて一歩どころか三歩ぐらいひいて見てるかの両極端。
子供の頃は兄弟仲も普通で親からも兄弟に差をつけずに育てられたと思ってたけど、いざ自分に子供ができて自分が『親の視点』を得たらどんどん己の中にある子供の頃の自分が暴れだしてくんの。「うちの親はこんなに話を聞いてくれなかった、助けてくれなかった」って。
きょうだいは他害のある子供だった。毎日毎日叩かれ物を投げられ罵声を浴びせられ私物を滅茶苦茶にされた。家が好きじゃなかったけど他に居場所がなかったし、共働きの親に代わって健常の自分が面倒を見なくてはならなかった。
障害があるから、自分をコントロールできないから、と耐えて泣いてたけど、ちょっと待てよ。いくら障害児だからって同じ子供がサンドバッグになってるのをうちの親は助けてくれたっけ?未だに体に傷跡が残ってるけど、これも当たりが悪かったら失明してたかもしれない。うーん、でもショックが強すぎてフォローやケアされた記憶がぶっ飛んでるだけかもね。他害もそんなに大きなものではなかったかも。
昔はデイサービスや療育支援も今ほど充実してなかったし、きょうだい児への支援なんて以ての外。仕方ない、親もきょうだいも精一杯生きてきた、と納得させてきたのに、障害児の親になって改めて療育や支援の勉強をしているとそれが崩れていく。
子供に障害があるってわかった頃、将来的には何らかの支援者に回ることもいいかもなとうっすら思ったんだけど、やっぱり無理。自分の子供だからできるのであって、できれば深入りしたくない。己の中にいる子供の頃の自分が泣きわめいて手がつけられない。
何かにつけて障害者のきょうだいの自分が、障害者の親の自分に鬱憤をぶつけてくる。あんたの苦情の窓口はこっちじゃねーっつーの。
とは言えだ。「親に率直な気持ちをぶつけてみたら?」と助言を貰ったこともあるけど、大変すぎる育児が終わってやっとのびのび自分の人生を謳歌している親に今更そんなこと言い出せない。
デイケア・デイサービス、特に男の人は「知らない人とぺちゃくちゃおしゃべりする」ってスキルがあまりないし、
だんだん体が衰えて自由がきかなくなるのも大変だけど認知症はほんと怖いよ。
症状は人によるけど、家族からしたらだんだん別の生き物になっていくような、うすら寒い感じ。
ご両親は老後のことを考えてらっしゃるようならば、公正証書遺言書を作成されるよう、ぜひ話をしてみてください。(すでにご準備されていたら、ごめんなさい)
ネットで情報を探し必要書類を揃えて公証人役場に相談するってルートで、自分でもスムーズに作成できました。
一度は親本人が役場に行く必要がありますが。ボケる前にやっておくことが必要です。
ってさ、「よーし結婚したぞ〜子供産むぞー育てるぞー」っていう若い夫婦に、赤の他人の爺さんが「生活費(年金)と病院代の9割は宜しくやでー」って割り込んでくるって事だよな。子供にお金使いたくても赤の他人の婆さん養わなきゃいけないんだよな?
さらにいえば独身で、これから結婚したいなあっていう若者も1人1/2人の爺さん背負って婚活してるんだよな?
昔は12人で1人支えるとかだったんだぜ?
今はどうだよ。たった2人で赤の他人のじじばばが、「まだ余ってるけど念のため湿布もらっといたのよー、あとこの薬もあると安心だからねー」とか言って湯水のごとく1割負担で病院行きまくるのを養ってるんだぜ。週3デイサービス、週3ヘルパーさんに来てもらったりして、殆ど無料なんだぜ?
俺たちが老人になったとき、同じ手厚い福祉を受けられるかといわれるとそうじゃない。なのに、1夫婦につき1じじばばだ。だんだん重くなるとか子泣き爺かよ。
もっかい言っておくが昔は10人以上でたった1人を支えてたんだぞ、今はたった2人で1人だ。そしてこの負担はこれからも重くなり続ける。
正気の沙汰じゃないだろ。
祖父母と親戚と親の介護をした経験を書くので個人差と地域差はあるけど役に立てば。
まず、ブコメにもあったが地域包括支援センターに行く。忙しくて遠いならとりあえず電話でもいいからする。
おそらく要介護認定を受ける話になると思うので申請書に住所と名前と病院を書く。役所に行かなくても代わりに書類を出してくれるので、あとは自宅に調査員の人が家に来てくれて母さんの体が動くかとか認知症の症状とかいろいろ聞くから父さんが一緒にいて答えるといいと思う。母さんの前で言いにくいことは後からメモとか電話で伝えてもいい(自分はそうした)。申請すると役所から医者に診断書を書くように依頼が行って、調査の内容と診断書をみて審査されて、だいたい1か月くらい(もっとかかることも多い)で介護度が決まる。病院にかかってない認知症の家族が詰むのはこの仕組みのせい。だから、病院に行くことができているのは大きい。
増田には病院ルートで医者が病院の相談員を紹介してくれて、どこに行けばなにをしたらを教えてくれたり今後も相談にのってくれるというのもあったと思うんだけど機能してないっぽいし、役所ルートで相談するというのもあるけど、それなら地域包括支援センターの方がよさそう。申請だけじゃなくて住んでるとこにある役所でやってる以外のサービスも聞けば親切に教えてくれる。緊急だったらすぐ使いたいって相談にものってくれた。まずここに連絡がいいと思う。
自分のざっくりした理解だと、アルツハイマー型は脳が縮むやつ。脳血管は詰まったり血が出たやつ。レビー小体型は脳になんかたまるやつ。ほかにもいろいろあったと思うけどそれぞれ症状が違うから対応が違った。ひとり介護した後で自分は介護した経験があるって思ってたんだけど認知症って同じじゃなかった。ちなみに海馬縮むと記憶の出し入れに問題が出るって自分は説明を受けた。あと、いい医者っぽいけど、薬やうつでも怒りっぽくなることもあるから相談する。母さんが穏やかにいられないなら医者は変えてもいいやくらいの気持ちでいいと思う。
要介護度が決まったら担当のケアマネージャーがつくから、あとはその人に相談したらいい。父さんが休んで母さんが手芸とか運動するならデイサービスとか。手すりとかベッドとか借りたりもできるし、施設に入りたいっていうときがきたらそれも相談にのってくれる。担当のケアマネが決まるまではなんとかやってみてほしい。
自分の祖父は自営業だったから売り物がちゃんと作れなくなって、認知症だってわからなかったのもあって周りはかなり責めてしまった。わかってからはよかれと思って行きたくないっていうデイに無理やり行かせた。振り回されて大変だったことしか覚えてない。祖母は認知症がわかったら自分からグループホームに入った。行けばニコニコして迎えてくれて、職員さんが家族は笑顔で来てくれる役割ですって言ってくれるいいところだった。それを見てたけど親戚はやっぱり自分の家にいたいって言って、体も動かなかったこともあって、訪問診療やら訪問看護やらフルコースでサービス使い切って最期まで家で過ごした。親を介護してる今も家族だからこそなにがいいのかよくわからなくなる。介護も医療もある意味ガチャみたいなものだって思うし。
本人はできないこと増えて不安で言われたら責められてるみたいで落ち込んだり家族だからってあたったりするし、家族はちゃんとしてるとき知ってるからこそ腹立つし悲しいしなんとかしてやりたいし。けど、環境とか体調なんかのトラブルをひとつずつ解決していくと本人がどうしたいか決められることが結構ある。家族はなんとか病院に連れてって、あれこれ書類書いてハンコ押して、金まわりをサポートして、あとは元気で暮らす。これだけでもかなり大変。増田も無理しないで。
脳梗塞で後遺症が残ったものの、現在まで元気に過ごしているが、感情障害が発生してしまった。
自分の気に入らないことに対して、徹底的に怒鳴り散らすのだ。
迎えに来たスタッフは苦笑い程度で何もなかったように接してくれるが、内心では憎たらしくてたまらないと思う。
本当に申し訳がない。
自宅にいる時も同様だ。家族の言葉に耳を貸さず、自分で何でも出来ると思い込んで出来ていないことを指摘すると怒鳴る。
とにかく喚き散らすのだ。
家族ですらウンザリしているのに、デイサービスのスタッフは仕事といえど我慢している事に尊敬せざるを得ない。
昔からろくでなしといわれてもおかしくはないチンピラだったのだが、病のせいでさらにおかしくなってしまった。
健やかな人も疲弊していく。
なんか言葉に表させないが、そういうのが視界に入るだけでとても疲れるのだ。
いつ報われるのかな?と思うことが日々ある。
親が倒れる直前まで、結婚も決まっておりあと数ヶ月後には家庭持ちになるはずだった。
が、親が倒れ介護が必要になってしまい、その事をお相手に伝えたところ「20代なのにもう介護の事を考えなければいけないのはツラい」と言われてしまった。
何度も話し合ったが、結局お互いの気持ちが納得のいくものにならず別れることになり、式の予約もキャンセル。
デイサービスを利用したりして、なんとかやりくりしてたのだが…それでも突然呼び出しがあったりして、仕事を早退したりすることも多くなった。
結局、仕事もそこそこ融通の利く職を選ばなければならなくなり、収入も減った。
でも、仕事を早退したりしなければいけないのは日はあり、その都度収入は減っていく。
ツラいとは思わないようにしていたが、介護ってする側も、される側もツラいんだ。
する側は、自分の本来手に入れるべきであった時間や人生を犠牲にしてストレスが溜まる。
される側は、本来自分で出来た事が出来なくなり、やりたい事が思うように出来なくなるからストレスが溜まる。
される側だって、介護してくれる身内に申し訳ないと思ったり、思うように出来ないから苛立ってしまいツラいのだ。
それを考えたら、する側だけがツラいと思うのもいかんのかな…と考えてしまう。
20代だったワシももう40代、もはや結婚は諦めているし、当然子供も諦めている。
本来あったはずの家庭も手に入らない自分の姿を見て、気がついたら泣いている時もある。
でも、ツラいとは言えない。
だけど、こんな事を知り合いに言っても「その程度」と言われる。
一体何をすれば報われて、「頑張ったな」と言われるのだろうか。
やっぱり親が寿命を全うして、ワシがジジイになったら、初めて労ってもらえるのだろうか。
ジジイになったらなったで、今度は老害は早く死ねと言われる気がしてならない。
幸せとは何なんだろうか。
たくさんの人の優しい言葉で心が救われました。ありがとうございます。
何人かの人に施設にどうしていれないの?という疑問があったのですが…施設に入れることは考えました。
そのため、施設から何度も注意が入り、いくらこちらが金銭を支払っていて施設は仕事だったとしても
施設のスタッフの方の精神的被害を与えるのは好ましくないと思いました。
おそらく「それが仕事なんだから」と言われる人も少なくないと思いますが、迷惑をかけ続けて
天井が高くて、夜9時でも照明が煌々と明るい、そこそこ広めの店舗だ。
私は今、妊活をしていて、中々結果が出ない中、今後の身の振り方を考えているところだった。
ブライダルチェックをした病院に不妊治療を申し出るか。冷え性を治すためにマッサージをするか。漢方を試してみるか。
そんな漠然とした気持ちでドラッグストアに寄っただけだったので、目的のものもなく、しばらく店内をうろうろしていた。
介護用品などが並んだ商品陳列棚の列に入った時、80〜90歳くらいのおばあちゃんが目に入ってきた。
ぎりぎり自分の身の回りのことが自分で行えているのだろう、という雰囲気だった。
私は、その姿を見て何故か胸が苦しくなった。
そのおばあちゃんの身の上のことなんて何もわからないくせに、自分勝手に推測をした。
『おばあちゃんは、自分が使用する尿漏れパッドを自らドラッグストアに買いにきた』
『でも、おばあちゃんの年齢くらいなら、認知症を患い始めてもおかしくないし、そうでなくても尿漏れを簡単には受け入れられないはずだ』
『そういうものは、家族が購入するんじゃないだろうか?独居老人なのだろうか?』
『もし独り身なら介護が必要かどうか行政に相談をしているのだろうか?そういう考えになるのだろうか?』
『このままだったら誰にも助けてもらえずに、孤独死なんてこともあるかもしれない』
結局、自分の買い物については、何も考えられず、居ても立っても居られなくなり帰宅することにした。
けれど、店の出口にさしかかって、レジでおばあちゃんがお会計しているのを見てしまった。
おばあちゃんは、どうやらお金が数えられないようで、レジのバイトの男の子に、トレイに出したお金がまだ足りません、と事務的に指摘されていた。
少し時間がかかって、多めのお金を出したおばあちゃんは黒いビニル袋に入った大きい荷物を持ってレジを去ろうとした。
そこで、片手に持っていた杖を床に落としてしまった。
ほんの一瞬、手を貸そうかと思った時には震える足腰でしゃがみ、おばあちゃんは杖を拾った。
わたしは、見ているだけだった。
勝手に見ず知らずのおばあちゃんを憐憫のまなざしで見て、『もしこのおばあちゃんに手を差し伸べていたらどうなるのだろうか』と夢想した。
私にできる精一杯優しくしたとして、精々手を取って荷物を代わりに持ち、家まで見送るくらいだ。
その先、家族のように振る舞う資格はないし、そもそも求められていないかもしれない。
私の祖母は、今軽度の認知症で両親に介助されながらデイサービスに通っている。
家ではリハビリパンツを履くように促さなければならないので、母親の労力は相当のものだと思う。
どんなことをしたって自己満足は得られないだろうと結論づけて、私は逃げるように店を去った。
駅前のドラッグストアから自宅のマンションまで、およそ10分の道のり、ただ意味もなく悲しくて頭が混乱していた。
帰宅して玄関のドアを閉めた途端、私は嗚咽を漏らして泣いてしまった。
家には誰もいないので、大きな声を上げた。こうしないと、自分の気持ちを収めることができなかった。
何故か涙が止まらなくて、初めてはてなに登録してこれを書いている。
自ら尿漏れパッドを買うおばあちゃんへの憐れみでも、社会的孤立を防止できない行政への憤りでも、将来遠距離介護をしなければいけないかもしれない両親への不安でもないと思う。
偽善者以下。
煌々と明るい夜のドラッグストアで、たまたま大勢のお客さんの前に照らし出された、普段なら見えかった影のような部分に、違和感と恐怖のようなものを感じている。
だれか、これの正体を知っていたら教えてほしい。
ほぼ、この元増田と同じなんだけど。
結婚の予定が入っていたけど、親が半身不随になって結果的に介護は嫌だと彼女から別れを切り出された事で
もうどうでもいいかなと思ってから別に彼女いらんし、親の介護で揉めるの嫌だしと思った俺も四十路で未婚というだけでボロクソに叩かれるんだろうかな。
動ける人ならまだいいけど、動けない人の介護始めると、結婚なんか考えてられないんだけど。
デイサービス頼めば、迎えにきたとき送ってもらった時に対応しないといけないし、デイサービス休みの日はよっぽどじゃない限り外出れないし
仕事が終わって帰ってきたら介護の毎日で、楽しみといえば親が寝た後のネットと暇つぶしのソシャゲくらいなんだけど
それでもやっぱり四十路の未婚ってだけで、ろくでもない生き方してるとか言われたり、男として問題があると言われてしまったりするんかな。
無理して結婚して、親の介護が原因で離婚を叩きつけられる事と、事前にあっさり別れよ?と言われて未婚のまま今を生きるのだと
無理してでも結婚してた方が男としてはマシな扱いなの?
「帰らせなさいよ!」とヒステリックに怒鳴られているといつも頭の中に浮かんでしまう。デイサービスとかショートステイなんかだとまだ家に帰れるという救いがあるけど、家に帰らせることのできない施設で働いてると、結局ここはボケてしまった人たちが他人に迷惑をかけないように、事故を起こさないように、ある程度の健康を保たせながら、死ぬまで見守る牢屋なんだという結論にどうしてもなってしまう。
油断すると他人のものを盗んだり果ては他人のものに自分の名前を書いて自分のものだと言い張る老人とか、歩行が不安定で歩けないのに自分で歩こうとする老人とか、暴れながら便を撒き散らしたりとか、挙げればきりがないくらいに、すごい老人はいくらでもいる。
今まで人なんて殴ったことはなかったけど、働きはじめてから、「ここでこいつを思いっきりぶん殴れたら気持ちいいんだろうなぁ」という場面が何度もあった。
「私はキチガイじゃないし、ボケてないでしょ!!!!!」と怒鳴り続ける老人に、「あなたは間違いなくキチガイだし、その上ボケてるからタチが悪い」と喉まで出かけて「そうですね」と無表情で答え続けた。
この仕事をするなんてまだ考えてもなかった頃にテレビでスーパー介護士として取り上げられている人がいた。その人は徘徊している利用者の話を夜通し聞いてあげたりしていて、熱心だなぁとその時は感心していたけど、今考えると周りのスタッフは大変だったんじゃないかと思う。
素晴らしい介護士として取り上げられる人たちは大体が薬を使って寝かせたり落ち着かせることに反対の立場で、「その人の尊厳を守りましょう。その人の行動を制限してはいけない」と言うしそれは正しいことだと思うけど、絶対に無理だと思う。
過剰に前向きな素晴らしい人じゃない限り、誰も耐えられない。
介護の仕事に「治る」という判断基準がない以上、家に帰らせることのできない老人は人権を奪って牢屋に入れ続けるしかないんだろうなぁ。
受かりそうな国公立大学を選んで、隣の県へ進学した。中国地方の田舎だ。
家賃は3万5000円。高校生の頃にお母さんと下見に行って「安くて大学に近いからここにしなさい」と決められた。
入居してみると壁が薄くて、隣の部屋に住んでる男の子のギターの音がやかましい。
だけど夜23時以降は静かだし、友達もいなそうだから許してる。
高校生の時は、何となく弁護士になりたかった。ガッキーの出てたドラマの影響である。
本当は法学部に行きたかったけど、学力が足らなくて文学部に入った。
4月に「とりあえず友達」になった女の子に誘われて入ったサークルは、6月には行かなくなった。
あとはバイトで余裕だと思ってたけど、意外とキツイ。まず高校生の頃よりお金がかかる。
服も買わないといけないし、大学の付き合いもある。
店長が厳しいし、シフト週6で入れられるし、辛くて6月に辞めた。
時給が高さにつられて始めた学習塾のアルバイトは、週2なので何とか1年続いている。
クラウドワークスに登録して、くだらないネットニュースを書く在宅ワークも半年以上している。
何のやりがいもないので、適当にやってる。5記事書いて3000円。安い。
高校時代からずっとやってるブログに広告を貼るようになり、最近ようやく月3000~5000円(笑)稼げるようになった。
バイト代と在宅ワークを合わせて月6万。授業がない春休み・夏休みは日雇いをやって稼ぐ。
ギリギリだけど、これ以上バイトするのは無理。しんどい。授業だって真面目に出てる。
楽して稼ぎたいと思い、友達に誘われてキャバクラの体験入店に行ってみたけど、体験入店で1日だけ働いて断った。
塾のバイトは楽しくなってきた。ボランティアでフリースクールの子どもに勉強も教えている。
親には「学校の先生になったら?」って言われるけど、あんなに忙しくてストレスのかかる仕事はないと思う。
自分の時間がないのは耐えられない。会社で正社員で会社で働くのも大変そうだ。
卒業したら非正規雇用で塾かデイサービスで働きつつ、自宅で副業をしたら生活できるんじゃないかと思ってる。
この計画を親に話したら、呆れられた。
休日はブログ書いたり、Twitterやったり、5ちゃんに書き込んだり、youtube観たり、AbemaTVを観たり、はてな匿名読んだり、Amazonプライムを観たり、ヤフコメで喧嘩したり、図書館で借りた本を読んだり、スピッツのCDを聴きながら家事をしてすごす(料理は嫌い)
お金はほしいけど、しんどい思いして働きたくないし、それなら自由な時間があって節約生活する方がマシだし、だけどやっぱりお金はほしい。
もしお金持ちになったら、まずコンタクトレンズをワンデイにしたいし、激安スーパーの割引の総菜じゃなくてデパートの総菜が食べたいし、冬でもスイカとかイチゴを買って食べたい。あと追い炊きができる浴槽のついたマンションに住みたい。