2018-04-19

母が祖母介護で変わってしまった

祖母認知症

80歳半ばになる

記憶曖昧だが10年か15年くらい前は杖を付かないでも歩けることが自慢だったが今は曲がってしまった腰で杖を付きながら狭い歩幅で歩いている

体が痛くて最寄り駅までも歩けなくなった

病院に行く時はもちろん車椅子

認知症の進み具合というのは私は詳しくわからないが症状としては一日に何回も日付や曜日を聞く、会社に勤めていると思っている(明日会社嫌だなあと言ったりする)、少し前の行動をすぐ忘れてしまうのでなくし物が多い、など…

家族や親戚の名前は忘れていない

これはとても嬉しいことだ

幼いころからおばあちゃんっこだったので祖母に忘れられてしまったらとても悲しい

そんな祖母介護を母はしている

祖母と母は実の娘と実の親だ

どのくらいの期間かも曖昧だがもう6、7年はしているだろうか

3、4年間ほど前から母ひ目に見えて祖母にひどく当たるようになった

ひどくといっても暴力ではない

とにかく言い方がキツイのだ

一例を挙げる

祖母認知症になる前は父と母と私が仕事に出ている日中時間祖母は家でひとりでテレビを見たり本を読んだり人を招いたりのんびり過ごしていた

歩けているときバスを使って最寄り駅まで買い物に行ったりしていたのでバス定期券、もしもの時用に携帯も持たせていた

しか認知症が進行してきた数年前からこちらが仕事中にも関わらず1日何回も電話をしてきたりといったことが増えてきたため、祖母デイサービスに通うことになった

その際バスの定期や携帯などは母が預かることになったのだが祖母は未だにバッグの中を探しながら「定期がない」「携帯がない」「どこにやっちゃったのかしら」と

悲しそうに言うのだ

大げさではなく100回はこの行動をしている

私はそう言われたら「お母さんに預けてあるから大丈夫だよ」と祖母に言う

そうすると祖母は「あらそうだったかしら、だめねえすぐ忘れちゃって」と笑って終わる

しかし母に同じことを言うと「何年も前から預かってるでしょう」と返ってくる

ここまではまだ良い

「前すぎて忘れちゃったかしら〜」「私が全部管理しているかあなたは気になさらないくていいのよ〜」「あたまおかしなっちゃったかしら〜」「私が預かってるのに(宝探ししているみたいで)たのしそうねえ」

うまく伝わるかわからないが1を10で返し、小さい子供に言い聞かせるような、だけどもそれよりねちっこく嫌味っぽい言い方で返すのだ

場合によっては「いい加減にして!」「ほんとに頭おかしなっちゃったねえ!」とヒステリックになることもある

その時のしょんぼりした祖母は本当に可哀想で見ていられない

何度か母に「もうちょっと優しい言い方をしてあげてよ」言ったことがある

上記の「(宝探ししているみたいで)楽しそうねえ」に関しては度が過ぎていると感じて「そんな言い方はないでしょ」と言ったこともある

母の返事は「そう」とか「そうかしら」しか返ってこない

母の祖母に対する態度は今日キツイままだ

私が祖母介護をできれば、と思わないわけではない

しかお金を出しているのは全て母なので従うしかない

しかも母と祖母のやりとりを見たくなくて私は家を出た

いつでも駆けつけられるように隣の駅、こまめに帰って祖母と話したり母の手伝いをしているが結局はお金のことや仕事言い訳にして祖母を見て見ぬふりをしている最低の娘で最低の孫だ

母の祖母に対する態度はひどいが介護をしてくれていることは本当に感謝しているし、お金ケチっているわけではない

休日祖母病院に連れて行ったり美容院に連れていったりもしている

わたしが何かの足しにして、と実家に入れているお金も使わないで貯めていてくれる良い母だ

母のことは好きだ

ただ、本当に祖母に当たる母を見るのは本当に嫌だ

何回も同じことを聞かれ、言われ、同じことをされ、突拍子もないことにストレスが溜まるのは痛いほどわかる

何年もそんな状況であれば嫌味のひとつでも言いたくなるだろう

ただ祖母はそういう病気なのだから仕方ないのだ

わたしはどうすることもできない

つらい

  • お母様お気の毒。 増田さんは批判するだけかぁ。 おばぁちゃん好きなら増田さんが介護してあげたら。 しないで批判はなぁ。

  • お母様お気の毒。 増田さんは批判するだけかぁ。 おばぁちゃん好きなら増田さんが介護してあげたら。 しないで批判はなぁ。

  • 増田母、増田が子供の頃もヒステリックだったでしょ

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