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はてなキーワード: スランプとは

2020-08-04

スランプ

症状1:ブクマで書くコメントが思いつかない。

症状2:人気ブコメ面白いと感じない。星付けたいと思うコメに他の誰も星付けてない。

症状3:3ブクマ付いていない増田ブクマするとその増田は伸びる(選球眼は悪くない)けど書いたブコメは星付かない。

誰か脱出方法教えてくれ。

2020-07-12

スランプになった。

スランプなんて言っていいのかわからないけれど、多分スランプになった。

二次創作メインのしがない同人小説書き。同人歴はまだ7年目くらい。筆も遅いので、本を出すのも年一くらい。

交流も得意じゃなくて、現行ジャンル内では影の極々薄い人間

誰にも期待されていないし、私の本を待っている人も正直いない気がしている、そういう人間

スランプというのは、端的に言えば、書きたいものが思い付かなくなってしまった。

アイデア全然出ないし、よしんば出てもプロットがうまく引けない。

何か書きたい気持ちもあるし、本を作りたい気持ちもある。

けど中身が思いつかないんじゃあ、どうにもならなくて。

もう半年ぐらいちっとも何も作れずにぐずぐずしてる。

不謹慎というか罰当たりな話だけど、五月のコミケコロナ騒動で中止になって少しほっとした。

出せる新刊がなかったから。

どうにか今の状態を抜け出したくて、色々やってみてはいるけれど、何をやっても迷走している感じしかしない。

もがいているうちに、これまでどうやって小説を書いて、どうやって本を作っていたのかわからなくなってきている。

自分武器というか、強みというかもよくわからなくなった。


私って何が作りたいんだろう。

何が作れるんだろう。


自分二次創作は、原作への愛の証明だと思ってきた。

待っている人がいなくても、作ることで自分の愛の証明になる。

そう思ってやってきた。

から、作れない今の自分には、愛の証明が出来ていないことになる。

そんな自分存在価値はあるんだろうか。

そういうことを思ってしまう。

書けなくなってから推しへかけるお金が明らかに増えた。

多分、愛の証明ができない分を穴埋めしようとしているんだと思う。

けれど最近、こういう言葉脳裏を過ぎる。

お金を出すことしか自分表現方法がない」

そうかも、と思う。

そうかもと思うからこそ、辛い。

別にそれで食っていってるわけじゃない。食っていけるほどの実力もない。

別に本を作らなくったって、小説を書かなくったって生きていける。

生きていくだけならできる。

だってたか趣味だ。

でも、されど趣味だとも思う。

こうなってみて改めて実感したのだけど、自分人生には趣味しかないらしい。

仕事は最低限でいいと思ってる。

恋人だっていない。できるとも思ってない。

特技もない。

私にはどうやら趣味しかないらしい。

でも、その趣味ですら、今は頑張れていない。


タイムラインを見れば、今日も素敵なものを作り、世界へと発信している人がいっぱいいる。

眩しい。

私の焦りは増すばかり。

でも焦れば焦るほど、なにをやったらいいのか分からなくなる。

友人にも、お前は自分を見失ってると言われている。

そこを見失っているから、空回りばっかりしているんだと言われている。

私もそう思う。



この頃、もうこのまま書けなくなるのでは、とすら思ってきた。

それだけは避けたい。

今日も私は空回りを続けている。

2020-07-05

人間性への興味が持てないオタク

https://anond.hatelabo.jp/20200703193938

https://anond.hatelabo.jp/20200704211736

https://anond.hatelabo.jp/20200705112649

これを読んでいつも思っている話が何となくよぎったので少し書いてみる

人間性(への興味)の欠落

上のブログでは、「対価システムにとらわれるコミュ障」の話がメインで語られている。非常に面白い考察なので是非とも全編読んで欲しいのだが、簡潔に言うと「自分に自信のないオタクはもともと自己評価が低いために、相手に対価のあるもの提供しようとしてなんとかコミュニケーションをとろうとするが、特に相手はそんなものに興味はなく普通に人間として交流できる人が欲しいため、コミュニケーションをとれずに終わりがち(最悪の場合相手に対価を求めてすらしまう)」みたいな話である

自分もこの「対価システムにとらわれるコミュ障」側の人間なので「わかる」という気持ちなのだが、これに加えてこういうタイプ人間には「人間性への興味の欠落」が発生しているのではないかという思いがある。わかりやすく言うと、七瀬は綾瀬の作った作品しか興味がなく(本人が自覚しているかどうかはともかく)大して綾瀬という人間には興味がもててないのではないか、という話である

「いや、七瀬は綾瀬のことをかっこいいとか言ってるし、ツイッターでの日常ツイートとか見てるかもしれないだろ」という意見もあるかもしれないが、結局は綾城を「神作品を作ることができるマシーン」としか捉えていない。「神作品を作ることができるマシーン」がどういう日常を送っているかには興味があっても「自分なりの人生を送って、こういう性格をしていてこういうものが好きで、創作をしながらも日常を送っている綾城」に一切の興味がないのである。なんならさらにいえば「自ジャンルの神創作をする綾城」にしか興味がない。いっぽうの中島は、きっかけは綾城が神作品を作ることかもしれないが、きちんと綾城という人間に興味を持っているように見える。だからこそ中島は綾城に一人の創作を楽しむ人間として色々なジャンルお勧めできてともに楽しむことができるし、友川は綾城を自ジャンルにどうにかして引きずり戻そうとするのである

創作を通じてのみのコミュニケーション

自分観測範囲では、こういう創作者を「創作者」としてとらえて人間性への興味をなかなか持てないタイプの人を特に創作界隈でよく見かける気がしている。(そして私もそうである。)

こういう場合コミュニケーション創作を通じてのみになりがちである。具体的に言えば推しの話や創作をする際の悩みの話、そして自分作品のみでコミュニケーションをとるのである

もちろん、それが悪いとは言わない。なんなら創作界隈なんぞ「推しの話をせずになんの話するんだ」「ごたごた言わず作品で語れ」みたいな界隈なのでどこもかしこも大なり小なり上で書いたような空気はあると思う。が、上で言うような人間性への興味がかなり欠落している人は、「それでしかコミュニケーションをとらないということになってしまいがちなのである。そしてそうなると往々にして息苦しくなることが多い。なぜなら、その界隈での自分存在意義を「どれだけ良い作品を作れるか」「推しへの熱量」のみによって測るようになってしまうからである

誰もが常に創作を続けられるわけではない。日常が忙しくなったり、色々なジャンルに興味が出ることもあるだろう。そもそもとして人によって使える時間お金は違うし、ジャンルにかけることができる熱量も違う。一つのものに熱を注ぐ人もいれば色々なジャンルをくまなく漁る人もいる。にもかかわらず、創作の質や量、そしてジャンルへの熱量のみで自分存在意義を測るのならば、ちょっと忙しい時期が続いたりスランプに陥ったりするだけであっという間に居づらさを感じることになってしまう。

普段から創作の話やジャンルの話しかせず、リプライ推しの話か創作の悩みの話のみしか交し合わない。それでいて自分ジャンル時間熱量を(やむを得ない事情で)あまりかけられなくなると、「自分は界隈での存在意義がない・・・」とか一人で勝手病みだすのである。傍から見てると自業自得のただの面倒くさいやつである

こういうことは人間性によってコミュニケーションをとり、関係性を築いてる要素が多少にでもあれば起きづらい。普段から「△△な作品を作る○○さん」ではなく、「○○さん」という形で多少なりとも人とコミュニケーションを取るようにしていれば、創作に多少熱量が避けなくなっても「自分の居場所を失ったように感じる」ことは少ないだろう。なぜなら自分自身の存在存在価値になっているかである。(もちろん完全に不可分というわけにはいかないと思う。でも、創作をしている自分100:自分自身0という状況に比べれば、90:10かにしておくだけでもだいぶ変わるだろうという話である

だが、人間性に興味を持てないオタクはこうすることができない。上で述べたように創作を通じたコミュニケーションしか取れない。そうするとやはり熱量のみでしか存在価値を確保できないし、それが少し減るだけでとあっという間に居場所を失ったように感じるのである

補足だが、これはすべて自分から見た視点での話である。界隈の他の人が自分自分自身としてみてくれていてもあまり関係ないのである大事なのは自分自身が他の人とどういう風にコミュニケーションをとろうとするかである。「創作を通じてのみでコミュニケーションをとろうとしている人間」は「創作ができない自分自身はコミュニケーションをとることができない」と「勝手自分で感じて」、「勝手に居づらさを感じている」のである。ただただ面倒くさい。

対価システムとの違い

この話は「自分自身という人間価値を感じることができないので、代わりになんとかして対価を出す」という話と外からは同じように見える。なんとかして対価を出すことによって存在価値のない自分相手コミュニケーションをとろうとしているとみることもできれば、相手という人間に興味を持つことができないので、コミュニケーションをとる方法創作しかない、とみることもできる。おそらく多くのこのタイプの人は両方の側面があって個人個人によってそのウエイトが変わるだけだと思う。あるいは、例えば自分という人間価値を感じないので、相手という人間に対してどういう風に興味を持てばいいのかわからないのかもしれない(たぶん自分はこれ)。

どうするべきか

どうするべきかわかっていれば正直自分もそんなに困っていないので、個人的には結構難しいイメージがある。特に相手という人間に対して興味がないならば興味を持てるようにすればいいじゃないか、とぃう話にも見えるが人に対して興味が持てるならこんなにこじらせてないし、もっと人生楽に生きることができると思う。相手という人間への興味を持てないからこんなに面倒くさいことになっているし、自分自身の存在承認してもらい、社会や界隈とどうにかしてコミュニケーションをとるために手を動かし続けているのである

その中で個人的に大事だと思っているのは、「自分自分として見てくれる人から言葉否定しない」である創作しかコミュニケーションをとれず、創作が進まないために人とやり取りできなくなっている時に「あなたあなたのままでいい」と言ってくれる人がいたら、そこで「いや、自分なんてなんにも出せてないし語れないし・・・」と卑屈になるのをぐっとこらえて素直に受け取るようにするのだ。そういうやり取りを少しづつ積み重ねていくと、そのうち「相手自分のどういう人間であるところに興味を持ってくれているか」がわかるようになってくる。そうすると、今度は自分という人間への興味の持ち方が少しづつわかるようになってくる。そうすると、そのうち相手人間性に対して興味を持つことが少しづつできるようになると思う。

おけけパワー中島ムーブをぐっとこらえて素直に受け取っておくようにすれば、そのうちおけけパワー中島自分を救ってくれるかもしれない。

2020-06-30

絵が描けない日々が来るなんて

創作意欲というのは不思議もので、ひとたび無くなってしまうとそれが滾っていたころの気持ちというのはどうにも思い出せないものです。

そもそも創作意欲というものがあったのかさえ分からなくなる。それはとても不思議感覚で、毎日のように絵を描いていた右手がぱったりと何も描けなくなります

それが創作意欲の枯渇なのか、もっと根本的な問題があるのか私には分かりません。そういう、新鮮で鬱屈とした日々を半年ほど過ごしてきました。

元々絵を描くのは好きで、それこそ子どもの頃から絵を描いていました。クラスでも1番か2番みたいな、特別上手くもなく不快なほど下手でもないという程の画力でした。

同人誌も作ったし、お金をもらって絵を描いたりもした(もちろん少額ですが)。そういう経験はとても楽しかったし、自分の絵で人が喜んでくれるなんて初めての経験だったのでただただ嬉しかったのを覚えています

それが、ここ半年くらい全く絵が描けなくなってしまいました。それだけなら良いもの、今まであまり抱かなかった鬱屈とした感情を大いに抱くようになりました。

それまでは上手い絵を見ても良いな~と思うくらいで、お手本にしようと思っていました。何か月でここまでう上手くなりました!みたいなツイートを見てもすげぇ自分も頑張ろうと思えていました。

最近はそういうものを見ても、どうして自分にはこんな絵が描けないのかという自責の念を抱くばかりです。また、常に作品の粗を探すような見かたをしてしまうし、自分にそんな能力ないのに批評家気取りの感想を抱いてしまます

今までそういう感情が絵を描くことによってうまく発散されていたのかなーなんて思ったりします。これからはこうやって文章でも書こうかな、これを書いてて楽になってきたし。

どうして絵が描けないのか、というか創作的なアイディアが浮かば無いのかの原因はいくつか候補があります

1・漠然とした不安、2・コロナ、3・理由けができない、

1について。私は現在就活目前といった感じで、ほんとは絵を描いてる場合ではありません。その準備、果ては卒業後に生きていけるのかという漠然とした不安やばいです。

調べても調べても果てが無いし、もう卒論できて内定貰うまでこの不安は消えないしどうしようもない。

2、ずっと家にいて友人も数日に一回通話するだけ。一人暮らしなのでマジで一生一人で考え事する時間が多い。前から一人より人と話すほうが好きだったので割とつらい。

意外とアウトドアというか、リアル志向なんだな~と感じた。

3、絵を描く理由の一つに絵で食うというのがありました。ここ数か月で自分にはそういうのは向いていない、というか、絵を描く上で何を表現したいのかみたいなことを考えるようになってしまいました。

それが無いとこの先絵を描き続けられそうにないという。そういう考えが先行して、前みたいにパッションだけで絵が描けない。べつにおっぱいが大きいだけの絵でもいいんです。頭では分かっているけれど自分が描く意味が分からない。

好きなアニメキャラをただ描くという、簡単にできていたことが今となってはとてつもなく難しい。

これが一番大きくて、自分が描かなくていいんじゃないかという考えがどうしてもよぎって手が止まります。前みたいに自信満々に描けるようになるといいんですがね。

取り合えず、毎日のように絵を描いていたのに、何か分からんが突然描けなくなった話でした。こういう日々が初めての経験なので、このスランプみたいなものから復活できるのか、筆を置くことになるのか分かりません。絵を描かない自分想像できないのです。今がそうなのに。

なんか新しい趣味を始めようか、小説でも描いてみようか。就活しなきゃとか色々考えて課題やって一日を終える日々を送っています。5000兆円とは言わないけど内定貰えればとりあえず不安は一つ無くなるのでそれをめざすしかないのかな~。

2020-06-25

anond:20200625070422

エロ漫画家スランプになった時に編集のススメで一般漫画書くようにしたらエロ漫画の意欲も戻ってきたって書いてたぞ。

2020-05-02

オロナインってすごい

なかなか腫れが引かなかったおしりのおできに塗ったら一晩でなおった

Drスランプでは拳銃で撃たれたところにも塗ってたし、万能すぎる

2020-04-30

anond:20200429194230

(※解説追記

字下げ増田が今よりも調子が良かった(?)頃に書いた日記の断片を見つけた。

2002年4月10日から2003年3月11日まで,九州北部の某予備校で寮に入って勉強し,一浪の末,ついに東京大学文科Ⅰ類に合格した。

寮での生活規則正しいもので,出発前の僕の生活とは正反対のものであった(一年前の日記を参照)。おかげでスランプ体調不良もなく無事に受験生活を終えることが出来た。

僕の人生でこの一年ほど充実した一年はなかったであろう。一年前,入寮した時はウツであった。何せパソコンがないのである

直ちに禁断症状が現われた。しばらくは勉強できず,書店で「2ちゃんねる」という本を買って読んだり,プリントの裏にモナーの絵を書いたりしていたのであった。

しばらくすると,寮の生活に慣れた。これほどよい生活はない。早朝起床,散歩に朝食,登校して授業ないしは自習,下校して夕食,入浴,そして夜自習して就寝。

これを一ヶ月ばかり繰り返すと,精神・体調ともに安定し,頭はスッキリし,プラトンのいうイデア世界透視できるようになるまであと一歩という,清澄健康な心身の状態に到達していた。

また,現役時代と違い,予備校でのそれ相当のレベルの授業に毎日欠かさず受けることにより,学力底上げ精神の安定がもたらされ,7月のYゼミ東大プレではA判定で成績優秀者ランキングの上位に掲載された。

また8月の河合OP駿台実戦でもA判定を得ることができた。秋のOP,実戦では解答欄ミスが目立ちB判定と不本意に終わったものの,12月のYゼミ東大プレでは総合300点近くを達成し,全国で50位になった。

センターは645点で不本意に終わったが,その後の追い上げによりセンターでのビハインドカバーできるくらいの二次力をつけ,結局合格した。とにかく最高の一年であった。

これほど生活メリハリがあり,また自分でよく考えて受験計画立案と実行をおこない,それを完遂して見事合格したという経験は以後の人生のための大きな糧となるであろう。

2020-04-11

anond:20200410205037

あなた未来とその確率は次の3つです。

1) 今回入賞して自信と過信を得てプロ作家になるが数年でスランプになり悲劇的な人生に転落 (1%)

2) 今回の結果を待たずに新たなな創作に着手、10年以上挑戦を続けて真の実力がつきプロ作家となり人生が開花 (0.01%)

3) 今回何の結果も出ず意欲も消え凡人として一生を終える (98.99%)

2020-03-07

物事習得するために有効ポイントメモ

人が何か(ex.各種スポーツ、各種習い事になるようなこと、人との会話やあらゆるコミュニケーション、歌...他あらゆること)を習得するときは以下をポイントとして押さえると早く確実に習得できる。

・行動すること

実際に話す、体を動かすなどの行動(アウトプット)を起こし、その結果が目的通りか、目的通りでなければ補正して再度アウトプットを出して結果を判定する、を繰り返すことでのみ習得できる。「経験を積む」「体で覚える」があらゆることで有効。頭の中でシミュレーションすることはアウトプットを良質にするけどアウトプットまでやり切って身になるのでほどほどにして行動を起こすのが良い。要はたくさん失敗と成功を繰り返して安定した成功パターンを身につけることなので、失敗が許容されにくい場面ならシミュレーションを入念に行うし、許容されるのならシミュレーションよりも思った通りに行動してみるのが一番早く習得できる。

言語化すること

ゴール(目的)は何なのか、今何ができているのか、何ができていなくて、それをクリアするためにはどうしたら良いと思うのか、言語化する。言語化する際にはまず思ったまま書いてみて、書いてみた結果を見てやっぱり違う、とか必要補正を繰り返す。無意識にそんなはずないと直感していることでも自分の中にあるもの言語化してアウトプットしてから削除して次の思考に切り替えていく。言語化して決めたことを実際に行動してみる。行動する際には言語化した内容を拠り所にして、必要なら頭の中で復唱しながら身体を動かして結果に繋がる有効な動かし方の感覚体感して覚える。体感で覚えるだけだといずれ感覚を呼び戻せないスランプになるので、安定したパフォーマンスのためには身体感覚身体全体のバランス感覚をいつでも呼び寄せられるような拠り所になるような的確な表現言葉を紡ぐよう努める。

・核となる信念、思想、思いを見つける

習得する(できるようになる)ためにはお手本を探して真似るのが早い。最初10点くらいでもお手本の各ポイントを真似て50〜60点くらいには急激になれる。なれるがチグハグでおぼつかないものになる。お手本が優れたパフォーマンスを発揮するのは根源となる信念か思想か執着、こだわりなどの強い思いが核となった結果出てきた行動なので、全く同じパフォーマンスを発揮するなら同じ思いを持つ必要がある。形から入ることもとても大事で、形が出来上がったらその核を探り当てることまでやり切ることが習得には必要になる。

メモ

2020-03-03

上手くいかない時は立ち止まっても良いよ

スランプだったり何やっても上手くいかない時は無理する必要はない

稀にいるんだが、何が何でも続けていればそのうち解決するというマインドさん

人それぞれ解決方法が違うのに、とにかくやれっていうのは追い詰めるだけにしかならんのだ

サイヤ人じゃないんだ瀕死になるような状態から強くなる人だけいると考えるのはやめてもらいたい

一度立ち止まって冷静に周りを見ることも大事だということも気づいてほしいな

2020-02-18

文章が書けなくなった

まーじで書けなくなった。

描写や先の展開や見せたい場面やなんかそういうの思い浮かんで書いてたのにそれが出来なくなった、詰み。

自分がどうやって文章書いてたか忘れてしまった。

鬱、スランプ、才能ナシ、終わり、詰み!解散

2020-01-08

anond:20200108221802

https://anond.hatelabo.jp/oytc/20200108の補足その1

休載作家の体力

この座談会でも語られているが、鳥嶋はとにかく作家休載に厳しい。

かに慢性的休載されると読者としても雑誌が「欠陥商品」に感じられることがある。

しかし、では休載させないために何をしているのかというと、作家へのケアフォローではなく圧迫だったりする。

居酒屋チェーン社長ビックリ作家酷使をしてきている。

鳥山明桂正和が鳥嶋担当時代を振り返ったインタビューや対談を読むと、このようなエピソードがある。

 以後、これほどのことは無かったが似たような状態は何度も経験している。

 インタビューで「振り返り「倒れればよかった……(笑)」とまで語っている(『ランドマーク』)。

  • とうとう腱鞘炎になり絵が上手く描けなくなった鳥山明に対し、ペンを持って名前を書いてみてと言い、名前が書けるなら絵も描ける」という謎の理屈で休養を与えなかった。

  休みを申し出ると鳥嶋は「ふざけんな。連載漫画家が休むというのは筆を折るというのいっしょなんだからな。お前辞めんのか。辞めたくねぇだろ。点滴でも打ってこい!」激怒してそのまま仕事をさせ、千葉から東京まで打ち合わせに来させていた。

  点滴を打って上京する桂に対しては「大丈夫だ、気合気合い!」と対応

  連載表彰式も休ませずに出席させ、そのとき桂は顔色が悪すぎて「蝋人形みたいだぞ」と周囲から指摘される。

  千葉に帰った桂は医師から電話病院に行き即入院肺炎と診断される。

  入院して2日後、病院に来た鳥嶋に「お前さぁ、自己管理がなってない」と怒られる。

サンドウィッチマンの週刊ラジオジャンプでの桂正和発言より)

この件など、人道的な問題もさることながら、初期に体力を回復させておくのに比べ、結果として休載が長くなり、ダメージが大きくなったしまっているのだから打算的にいっても大ミスである

この辺り、鳥嶋の「そもそも編集仕事がなにかといえば、カッコいい言い方をすると「愛するが故に厳しく」なんですよ」という発言言葉だけということがわかる。

あと、論理的イメージがあるが、純粋根性論の人であることがわかる。

体育会系ではない根性論なのだから性質が悪い。

このようなエピソードからわかるように、鳥嶋のメソッドが成果を上げたのは、鳥山桂が筆の速さに加え、超人的体力の持ち主だったという比重が非常に大きい。

鳥嶋桂はたまたま生き残っただけあって、途中リタイアしていてもおかしくないエピソードがいくつもあるのだ。

鳥山桂は、あの頃の酷い話と半分笑い話にして話していて、恨み節ニュアンスは文面からはわかりにくいものの)

(休まないことと叩き込まれたがゆえに、鳥山作家として精神的肉体的に燃え尽きてしまったという側面もある)

2019-11-28

anond:20191127201601

だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓任天堂いるから回答しておく。(ブコメだと書けないからね

デザイナーといっても様々でジャンルの幅が広いが、どのジャンルでも基本的教養重要

CG造形をやりたいということであるが、高校で学ぶような基礎教養一見無駄知識と思えるものでも後々重要になる。要求されるものについての文化的素養知識があるのとないのとでは大違いである。後々苦労する。なので高校で学ぶ学問を軽視してはいけない。独学では視野が狭くなる。無駄と思える知識まで広げておく必要があるので寧ろ、高校時代可能な限り学科はやっておくべし。私がいた頃は美校の試験学科の成績は実技と比して全然重視されていなかった(酷いものであった)が、試験勉強していないだけで教養がある学生は多かった。無駄なことまでアンテナを張って知的好奇心を養うことができるのは高校時代である。ちなみにその学科試験も昨今は重視するようなので怠らない方がいいと思う。

浪人時代というのは辛い。私の場合浪人の時は藝大一本に絞ったので後がなかった。学生証もなく、落ちたら身分のない年月がさらに続く。その危機感毎日絵を描いていた。一日一枚石膏デッサン。夜は水彩描いていた。日本画の模写もした。このようにして絵を描くマシンになり、見ないでもパジャントが描けるようになってしまった。モリエールマルスブルータスなど木炭紙に入れる比率を体で覚えてしまった。デッサンバカになった。学科なんぞやらない。絵しか描かなかった。二度ともうあの日々には戻りたくない。その一念でなんとか一浪で入ったはいいが、入ったら2浪生が一番多く、デッサン神様みたいなのまでいて、打ちのめされた。

そのような世界なので、実は芸大生は互いにビクビクしていた。自分が下手なんじゃないかと。自分の絵が下手くそに見えて仕方がなく、他人天才にビクビクしているのであるが、実はみんなが互いにそう思っていたというのはのちにわかった。実際、弱肉強食世界なので、下手くそバカにされる。なので精神を病んでしまう者も少なからずいる。が、概ねは互いに勝手にビクビクしているだけである

さて件の任天堂に行った同窓であるが、ゲームなんぞやったこともなく(当時はファミコンだった)「任天堂に決まったんだけど、俺よくわかんないんだよな、どうしよう」と困っていた。彼は院まで行ったのであるが、院では木工で立体作品を作っていた。入ってからしばらく周りから話が合わず浮いていて「やめたい」などとぼやいていたが、そのうち「俺の会社は〜」「俺がやったゲームあるからよろしくな!」などと言っていた。

まりゲームを初めから目指しているよりも、そのズレた新鮮な目線会社にとって、とても有益であったということ。

どちらかというと音楽が好きで、ファッションに興味があり、ハイデザインに興味があり、およそゲームとはかけ離れた分野の知識があったのが活かされたようだ。

まり、元に戻るが、広い視野を養うべき。映画を観て、音楽を聴き、友人と交流し、世間流行っているものに敏感になり、アートについて知識を深め、乱読で様々な本を読み、とにかくあらゆるジャンル知的好奇心アンテナを広げておく、それがデザイナーに最も必要資質なのである

そしてデッサンは1ピクセルの狂いもズレも許さない、水平垂直の狂いを許さな視点を獲得するために必要なので、そこもしっかり脳が魔改造されておくこと。魔改造されると、定規を持たなくても目視で大きさが把握できるようになるし、カメラ記憶が発達したりする。フリーハンドで直線も引けるし円も描けるようになる。それはCGを作る際におおいに生きてくると思う。

また自然観察する目を養う必要もある。そこにあるものの細部のディテールまで見なくても再現できる観察力を養う為にデッサンや水彩という訓練が必要なのである

なので、時間的制約や年齢的な制約よりも、何を学べたか重要なので、変な時間的制約は設けないほうがいい。クリエイティブ魂にはバイオリズムがあるのでスランプという谷間とアゲアゲな時をなんども繰り返して体験することの方が大切。

あとは・・・・運だ。

こればっかりはどうにもできない。

人生を決めつけすぎて、コケると人生の棒を振るので、その時その時で考えていけばいい。

実際は、どの大学出ようが、どこの会社行こうが、自分がうまくハマったとこで、表現をしていければいいと思う。

フリー仕事していた時は、出身大学なんぞ意識したことなかった。

社会に出たらその時の仕事内容でしか自分証明できない。もっと過酷砂漠である

頑張ってください。

2019-11-05

挫折を感じる事なんて無いに越した事は無い

何度も生きることを諦めようとしてるからこそ思う。

挫折なりスランプなりは成長には必要プロセスだとは思うが、

一々一喜一憂するのは膨大なエネルギー時間必要になる。

どんな人間でも、生きる以上強制スクロールなのだから問題は強いられる。

物事感傷的にならずに、次を考えられる人の方が精神的に優れている。

から挫折を感じる事は必ずしも必要では無い。

と思う。

2019-10-27

anond:20191027000136

いわゆるスランプだろ

面白いことインプットしたらまた書けるんじゃないの

映画でもみておいでよ

2019-10-10

anond:20191010222805

https://www.matsuoakira.com/yips

違うことをやれ、完璧主義になるな、って書いてある

同じことばっかり繰り返してやると

脳の関係ないはずの部位まで一斉にあれやるんだな!俺も参加するぞ!って応答しだして

船頭が2人いる状態になるかららしい

ものすごく意訳してるからくわしくは医者にきけ)

ただ比喩としてのイップス(昔でいうスランプとか、他の精神病からくるディスキネジア)ならこの話はたぶん役には立たない

2019-09-25

とあるなろう作家の苦悩を見て悦に浸っている

特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。

始めに言っておくと、自分性格が悪い。

人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。

そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。

有名な書籍化作家などではない。

まったく真逆スランプに陥った零細無名作家だ。

彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。

対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。

その男別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。

だがその男エッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ

誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。

しろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。

文章力だけを見ればプロ作家顔負けだ。

そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。

これは単に俺が彼の作品を読んだ感想しかないが、彼の作品はいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。

読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。

「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。

彼の作品が何故そうなってしまうのか理由は分かる。

彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。

彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。

からと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情大事にしなよ」とはアドバイスしない。

それを言えば彼が折れてしまうと思うからだ。

彼はエッセイで絶叫している。

スランプ最中自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。

どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。

そんな彼に上記アドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。

俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。

から俺は何故彼の作品ダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。

彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。

しかし彼も薄々分かっているのだろう。

自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。

それが分かっているから、エッセイでそれを吐露するのだろう。

からこそ彼の苦悩には価値がある。

分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。

彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。

彼はフリーターで、もういい年だ。

彼の誇りになるもの小説を書く腕しかない。

家庭環境や幼少期のトラウマから他人を信じることができない。

根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。

恋愛感情が書けない。恋愛ものラブコメはめっぽう苦手。

それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。

もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。

でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。

そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。

それ自体が凄く楽しいのだ。

俺は彼の苦悩のファンだ。

こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。

できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。

無茶な願いだろうな。

2019-09-18

キャンプの炭起こし用品を物色していたら、子供の頃の冬の民宿記憶唐突に思い出された。

民宿の広間は父と父の友人たちが酒盛りし、僕は障子で仕切られた隣の部屋に一人でいる。

騒がしい酒盛りの部屋は板の間だか、この薄暗い部屋は畳で20畳はある。

コツコツと鳴る時計と、タンスの上のモンチッチ人形

鴨居には故人の写真が並ぶ。

真ん中の掘りごたつには練炭が入っていて温かい

僕は寂しくなり、酒盛りの部屋からジャンプを持ってくる。

そこにはDrスランプが連載されている。

2019-09-12

絵が上手い人の絵が上手い

最近スランプだ。

だが毎日TLを見ていると神がたくさん流れてくる。

そりゃ自分がやべえ!神絵師じゃん!と思ってフォローしてるんだからそう。相手プロだし。

でもただ漠然と絵描いてもアレだから目指すべき方向とか目標を明確にしたいと思ったわけよね。

それでいろいろイメージを固めてベンチマークとなる神絵師の絵をよっしゃ観察するぞい!と思っても、どうなってるのかわからない。

ひとつとってもなんでこういう色で塗ってるのか謎だし。

ここでその色持ってくる?!あ~~補色でそんな蛍光色みたいな明るい赤を入れちゃうのね!なんでここ緑???でも違和感いか不思議!みたいな。

スポイトで色とっても陰影とか反射とか周囲のバランスでその色になっているので、単色でみてもなんでこの暗い茶色肌色になるのか結びつかない。

いきなり完成形で塗ってる人どれだけいるだろう。

いろいろやった結果この線この色この立体このテクスチャになっているので無能が完成形から逆算して手順を想像するの苦行の極み。

まずラフに色載せていって徐々に形にしていくタイプとか、がっつり線画起こして細かくパーツで色分けしていくタイプかいろいろあるわけよ。

他人が描いた絵から学ぶときなにを大切にしてる?

りある観察をするにはどうすればいいのか教えてエロい人。

2019-07-13

anond:20190713075235

ふつーに無邪気な子供じゃない?

半端に上手いと周りとの実力の差に落ち込んでスランプ気味になる

下手過ぎると自分が下手なのすらわからいから描いてて楽しいんだよな

子供の時は描いてて楽しかったしあの頃pixivがあったら連投しまくってたか

2019-04-19

NEW GAME! グッドエンド集考えた

https://anond.hatelabo.jp/20190418194524

涼風 青葉

持ち前の健気さと真面目さを武器努力を続ける。しかスランプに陥り、絵が描けなくなってしまう。真面目さが災いし、誰に相談することもなく、自分の力のみでスランプを乗り越えようとするも、ひふみの指導・協力を得て、他人の力を頼ることの大切さを知る。逆境を乗り越えた青葉はさらステップアップし、会社にとってなくてはならない優秀なデザイナーとなる。入社当時から支えてくれたひふみに特別感情を抱くようになり、めでたく付き合うことになる。

・桜 ねね

大学4年、イーグルジャンプから内定を貰ったねねっちは順調に卒業要件単位を満たし、大学卒業と共にイーグルジャンプ入社。うみこの厳しい指導によりエンジニアとしても人間的にも爆速で成長し、最年少でプロジェクトマネージャを任される。親友の青葉がひふみと付き合いだしたことに感化され、うみこに告白する。師弟関係はそのままに、良い恋人関係になる。

篠田 はじめ

アニメイベントに参加しているうちにオタク仲間が徐々に増え、その仲間内で姫扱いされるようになる。慣れない女性扱いに戸惑いつつも、ちやほやされるのが気持ちよくもあり、しか増長はしないように自重することで、良い距離感オタク仲間たちと共にコミュニティを築きあげる。ひょんなことでゆんにコミュニティを紹介すると、ゆんもコミュニティを気に入り参加するようになる。コミュニティ方針でゆんと衝突をするも、それを無事乗り越え、二人の絆はより一層深まることになる。よき相棒となったゆんとコンビになり、数々の企画成功させていく中、互いに惹かれ合っていく。

飯島 ゆん

はじめからコミュニティを紹介され、オタク仲間と仲良くなる。コミュニティ内ではじめと衝突するも、のちに和解。絆は一層深まりよき相棒となる。次第に惹かれ合い、しか自分から告白するのは負けだと思い、互いに相手から告白されるのを待っている。しかし傍から見たらカップル同然であり家族公認となる。妹弟とも仲良く幸せ日常を過ごす。

・滝本 ひふみ

趣味コスプレ活動を続けるうちに、ファンが付くようになる。そのうち一人の女性と仲良くなり、友達になるが、ある事件きっかけにその友人に告白される。ショックを受けるひふみだったが、悩んだ結果、友人としての関係を続けることを希望する。その希望は受け入れられ、友人とは生涯の親友となる。友人の告白きっかけに、女の子同士を意識するようになる。スランプの青葉をサポートし、二人で逆境を乗り越えた時、ひふみは自分の本当の気持ちを知る。青葉に告白しようかまごついていると、それを察した青葉から告白され、付き合うこととなる。青葉との関係を通じて自分に自信が持てるようになり、リーダーとしての才覚を萌芽し発揮する。

・遠山 りん

コウがフランス出会った男性婚約。それを知ったりんは、すぐに行動を起こす。コウとその婚約者を呼び出し、自分の思いを吐露する。戸惑うコウだったが、婚約者はコウの奥底にあるりんへの想いに気づいていた。婚約者は自ら身を引くと、コウはりんの気持ちを受け入れる。コウと公私ともにベストパートナーとなり、多くのヒット作品を世に生み出す名プロデューサーとなる。

八神 コウ

フランス出会った男性婚約するも、婚約者に自分の奥底の気持ち看破され、りんと付き合うことになる。男性婚約したのも、その気持ちに蓋をするためだったと反省したコウは、自分に正直に生きることを決意。その後はりんに対して積極的になる。自分に正直になったことで描く表現も多彩となり、デザイナーとしても劇的に成長する。多くの作品を手がけ、業界屈指の傑人となる。二人は幸せな家庭を築いていく。

阿波根 うみこ

危ないからと、社内でガス銃の発砲を禁止される。ねねっちが入社後、指導係となりいつも二人で過ごすことになる。健やかなるときデスマときもいっしょにいることで、次第にねねっちを意識するようになる。本当は自分から告白するつもりが、ねねっちから先に告白されてしまうも、二人は幸せキスをして終了。

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