はてなキーワード: ジャンケンとは
脱出編から読んだから結末も知ってるんだけど、それで結末だけ聞いて「これ超つまんなそうだな」と思ってた。
ポーカーっていうゲームのクソゲーでしかない部分を暴き出して、結局このクソゲーの中で如何に戦略っぽいことやるかがテーブルゲームなんだって話になってる。
たとえば麻雀なんて究極運ゲーのゴミだけど、さも見事な打ち筋、完璧な思考、頭脳明晰、全知全能とばかりに漫画では描かれる。
よくよく考えると実際には単なる運ゲーでしかないし、その運ゲーの中でそれほど多くもない選択肢の中から半ば運任せで勝負してるだけ。
でもそこにブラフやハッタリが加わることで辛うじてただのくじ引き勝負やジャンケンにならずに済んでる。
でも普通のポーカーだって麻雀だって、今回のゲームでは降りるしかないなって手番がしょっちゅう回ってくるし、逆にひたすら押してりゃいいだけの手札も来る運ゲー。
ようはブラフの部分以外は頭良さげに見せるだけの贅肉でしかないんだよね。
贅肉っていうかデコレーション?
たんぽぽ山盛りの刺し身っていうか、サンタのフィギア差し過ぎのクリスマスケーキっていうか。
そこから本体だけ取り出したら、確かにワンポーカーみたいになるわな。
これには既にインディアンポーカーっていう別ルートでの正解もあるんだけど、あっちはもう剥き出しだよな。
ケーキのスポンジもイチゴも邪魔だって生クリームだけにしたようなもの。
せめてスポンジは残そうってスポンジの上にクリーム絞ったのがワンポーカー。
うーむ、なかなか考えてるわ。
才能どんどん枯れていってる中でこんなの出せたら、そりゃもうギャンブルは一度置いといて別の話したくもなるんじゃね?
羽生善治氏が最年少四冠を達成した際「この記録は今後破られないだろう」と考えていた、私を含む多くの将棋ファンには時代の変遷を感じざるを得ない圧倒的な出来事である。
このあまりの出来事に、感動のような、動揺のような思いが溢れているため、ここに思いを記します。
私は30〜40年来の将棋ファンで、将棋好きが高じて一時期は詰将棋の本を出したり将棋に関する雑誌の編集を行ったりしていました。
私が将棋に魅力を感じ始めた古い時代、将棋は、武士道に似た雰囲気をまとっていました。将棋で生きていくことを決めた少年たちは先生に弟子入りし、そこで修行をします。修行は先生による直接の将棋指南や、高弟による指南や将棋研究会などです。しかし当時の「修行」にはこれ以上の意味があり、掃除炊事や規則正しい生活をして礼節を学び、人間としてより良い生活を送ることで次第に将棋も強くなっていく、という考えがありました。ある先生の元では将棋の戦略ではなく駒の持ち方や打ち方を教えていました。ここで言う打ち方とは「どこに銀を打つか」といった意味ではなく、「駒を自分の指でどのように持つか、どのような姿勢で盤面に置くのか、どのように盤に置くと美しい音が出るか」などです。
今となっては「そんな馬鹿な」と思われるかもしれません。確かにその通りだと思います。しかし事実として、当時は「それが将棋道である」と受け入れられていましたし、我々将棋ファンは将棋道には武士道のような美しさや儚さ重ねて見ていました。そういう時勢もありトッププロの対局には真剣勝負のような凄みを感じていました。対局でのタイトルを獲った獲られたというのは一つの側面でしかなく、「人生を将棋に賭けた人同士の決戦」という神聖さを重ねていました。
やがて将棋界にコンピュータの手が伸びてきました。生き方としての将棋ではなく、ゲームとしての将棋が世間にあふれるようになりました。この頃、私は「これで将棋ファンが増えるぞ」と思ったものです。そうして確かに将棋はより一般的になりました。しかしコンピュータの成長は早く、あっという間に「人間を超える」と危惧されるようになったのです。そうなるとコンピュータ将棋の歓迎ムードは薄れ、「人間より将棋が強いコンピュータなんてありえない、人間の尊厳を脅かすな」という反コンピュータ将棋ムードもにわかに盛り上がりました。コンピュータ将棋は、将棋道ではない。人間がその人生を賭して将棋一本で生きてこそ、強く儚く美しい盤上の物語が生まれるのではないか。そう思っていました。
古臭い将棋ファンが将棋道に夢見ていた頃、そして羽生善治氏が竜王位を獲得した頃。当時は日本国民全員が「最強は羽生善治」と意見が一致していました。そんな氏が「将棋は完全なボードゲームである」と発言したのです。これは衝撃でした!薄々感づいていたことをついに言ってのけたのです。図星を突かれたとはまさにこのことです。「何を当たり前のことを」と思う人がほとんどでしょう。しかしそれは、古い将棋道から脱却し純粋に将棋の強さのみを求める、新時代を作る言葉だったのです。当たり前だろうというファンが多数でしたが、中には「古き良き将棋の時代は終わった」と落胆する将棋ファンもいました。
そして時代が経って2012年、米長邦雄氏がコンピュータ将棋で破れました。とてもエポックメイキングな出来事でした。いつかこの日が来ることはわかりきっていたにも関わらず、やはり衝撃でした。2017年に AlphaGo が柯潔氏を破った時と同じような衝撃、と言えば最近の方にも伝わりやすいでしょうか。今となっては馬鹿げた考えですが、「人間が紡ぐ盤上の物語は、もう終わるのではないか」。そんな考えも頭を過りました
そこから更に時代が経ち、2021年。将棋盤の底まで読んだ加藤一二三先生もいなくなりました。今の時代に人間がAIに勝てると思っている将棋ファンなど一切いないでしょう。将棋中継ではAIによる優勢判定が表示されることも、プロが計算力の高いコンピュータを導入することも、それからプロが将棋研究のために Python コードを書くことも、当たり前の時代です。コンピュータに負けて激変するかと思われた将棋界は、以前の美しさをほぼ保ったまま、コンピュータを駆使してより進化していました。「ほぼ」と書いたのは、本当にごくわずかながら、古い時代の将棋を懐古するからです。将棋の強さの観点ではもちろん現代の方が良いに決まってますが、あの時代の、人生・生き方・名誉を賭けたような勝負をたまに懐かしく思ってしまうのです。
藤井聡太氏が十代でありながら竜王位を獲得しました。前人未到で誰にも破れないと思われた羽生善治氏の記録は、30年弱で破られました。藤井聡太氏の圧倒的な強さ、それはまさに新しい風のようで、将棋界が非常に盛り上がっていることをとても喜ばしく思います。
藤井聡太氏はとあるインタビューで、「AIが発達する今、人間の棋士の存在意義は?」と質問を受けました。正直に言えば、私はこの質問は「意地悪な質問だな」と思いました。10年前じゃあるまいし、今さらAIと対局したところで、どうにもならないじゃないか。将棋界はAIと共存してより良い形になっているではないか、と。前述の通り、コンピュータの猛烈な強さにはほんの一抹の寂しさを覚えていた私ですが、きっとそんな古臭い価値観を持っているはた迷惑はファンなどもう少ないでしょう。
これを聞いて、私はずっと追い求めていた答えをついに知ったような、そんな気持ちになりました。一瞬思考が停止しました。そして体の芯から熱のようなものがふつふつと湧き上がり、涙が溢れてきました。ああ、将棋ファンで良かった。何十年も将棋ファンで良かった。私の人生に将棋があって本当に良かった。腹の底からそう思いました。
「勝敗をつけるだけならジャンケンでいい」と言った羽生善治氏の言葉があります。これは勝敗だけでなく、人間が打った棋譜にも価値があると言っているのだと解釈しています。棋譜、それはつまり盤上の物語そのものです。私が夢中になった「将棋道」の頃の将棋、ゲームになった将棋、AIと共存した将棋。それらすべて、棋士の背景や時代も含めて、打たれた将棋の価値は変わらない。あの5二銀打が今後も語り継がれていくように、私が愛した対局はこれからもずっと愛していく。少々大げさな表現かも知れませんが、自分の人生を肯定されたような、納得がいったような、自分の心の暗い部分に温かな光が照らされたような、そんな言葉でした。
話が長くなってしまいました。古臭い将棋ファンの戯言として聞いて頂けたら幸いです。
【追記】
https://www.youtube.com/watch?v=tviCu14gwAo
歌詞の趣旨としては、「いまやおっさんになった我々は、新しい時代に適応していこう!」というところ。
なのだけれど、よくいう「価値観をアップデートしろ」というような乱暴さはなくて、むしろ「おっさん」の生きる実相をすくい上げようとするような歌詞になっている。
まず、冒頭の現状認識はけっこう厳しい。
「自分と向き合う力は衰えた」とあるように、この曲でいう「おっさん」の基本定義は「もろもろの認識を新しくしきれない人」という感じ。
それを自覚したうえで、サビでは「だからこそ更新」とか「素敵に歳をとりたい」という前向きな抱負が出てくる。
これ自体は古来「おっさん応援ソング」として常套句で、とくに岡崎体育が際立っているというわけではない。
この曲の力点は後半にあると思う。
まずこの部分。
蓋をして あの日に埋めていこう
心を込めた タイムカプセル」
「蓋をして あの日に埋めていこう」というのが効いている。
古いスタンダードを「捨てる」のではなく、「埋める」のだ。
この部分はどう読むか難しいけれど、古いスタンダードを「捨てる=放棄する」のではなく、「埋める=一旦保留にしておく」ということ言っているのではないだろうか。
つまり、もちろん新スタンダードの受け入れを推奨してはいて、一番のサビからずっと「更新」という言葉で表されているのだけれど、それは新しいスタンダードが正しいということを意味するのではないぞ、と補足しているのだ。
新旧どちらのスタンダードが正しいかはわからない(それは歴史が決めることだ、というのが「タイムカプセル」という言葉の含意だろう)が、とりあえず古いものは保留にしておいて、新しいものを受け入れようじゃないか、というわけ。
ここまで読んでも、やっぱり説教臭い理想論だなという感じを受ける人はいるだろう。
だが、岡崎体育という人はそのような理想論を理想から現実のラインに墜落させる名手であって、この曲もここでは終わらない。
好かれるような人でいたい
なるべく多くの関係者たちに
「関係者たちに惜しまれながら死ぬ」というのは訃報によくある定型文のようなもので、ここで言っているのは結局のところ「若者に相手にされたい」ということなのだろうけど、それをこの上なく卑屈な言葉で表せるのはすごいと思う。
さておき、PVで見ると最後の全員ダンスは、岡崎体育と同世代の私にとってはすごく懐かしい気持ちにさせられる動きだ。
「ジャカジャカジャンケン」のような動きとか、何歩が進んでハンドクラップとか、もちろん超絶ダサいのだが、思えばこういうアクションは、私たちが幼稚園とか小学生くらいのころには普通におゆうぎのなかに混入していたのである。
埋めておくべき「僕らの時代のスタンダード」のなかには、政治的・社会的な価値観という以外に、身体に刷り込まれてしまったこういう慣習的な動きも含まれているのだろう。
これらを私たちおっさんは「更新」しようと頑張りたいという気持ちはあるのだが、どうやっても追いつかない部分とか、古いものが顔を出してしまう部分があったりするのである。
そういうわけで、歌詞にもあるように、私たちはどうあがいても「明日はもっとおっさん」になってしまう。
前向きソングという体裁で作りつつ、こういうどうにもならない残念さをこっそり混入させてしまうところに、岡崎体育の巧みさがあると私には思える。
女の子のような顔をしたよく女の子と見間違えられる美少年が優れた指導者の指導を受けて世界的なピアニストへ成長していくようなアニメだったと思う。
全26巻のアニメを2クールでアニメ化したからかとにかく尺が足りないというか、原作未読でも展開が駆け足で大幅カットされている事はよく分かった…主人公が成長するあたりの話がバッサリカットされていつの間にか大人になってるし。
BANANA FISHでも同じ事を思ったけど、女性より美しく女性的で男にモテモテの美青年って存在は女性作者の頭の中からしか生まれない物だなぁと思う…BLの受けが実質女性みたいな話と一緒なんだろうけど。
カットされまくってはいたけどそれでも音楽はとにかく素晴らしかった。主人公格の親が毒親というか、音楽のためなら子供なんてどうでもいいと思ってる所はましろのおとにも通じる所があった。どっちも女性作者の作品だけど…。
ガンダム00の水島精二が手掛ける、同名のSF小説のアニメ化作品。高性能な少女型ロボットを拾った少年が世界を巻き込んだ事件に巻き込まれる話だったと思う。確かキリングバイツと同じ日に放送されていた。
2クールで総集編、特別編が5話も作られるなど製作が相当厳しかっただろう事が見ていて伝わってきた作品。確かTwitterで水島監督もこの作品について愚痴っていたような、今でも良い思い出は持っていなかったような。
それでも作画は悪いというよりはギリギリのラインで保っていたのは流石と言いたい。お話も小説が原作という事もあって面白かった。正直作画は良くないのに女の子が可愛く見えるって凄い事だと思う。
高性能なロボット同士による生存をかけたバトルロワイアル、という感じの話でその高性能なロボットの末路がそれぞれ一番面白かった。初期型で一番性能低い子が、性能が低い故にコピーが簡単で量産化されるなど。
ここ数年のSFアニメでは作画が悪い事も込みでこのアニメが一番好きだったかなぁ。これで作画さえ良ければ…とも思うけど、話が十分面白いからそれはそれで納得している。そういう意味じゃクロスアンジュに近いかも。
鉄血のオルフェンズ後から1年後、岡田磨里が久々にシリーズ構成、脚本を手掛けたTVアニメ。航空自衛隊の、それも女性隊員達がメインという何とも珍しい題材の作品。
声優の久野美咲と黒沢ともよはこの作品で初めて意識した覚えがある。ツンツンお堅い女性自衛官と女慣れしたチャラ男自衛官が最終話でくっ付くのはあー、やっぱり岡田磨里っぽい作品だなぁ…と思った。
若いヤクザの元に突如超能力が使える不思議な少女が現れて…というSF・ギャグ作品。面白いけどこれヒナちゃんが超能力使える設定必要あった?と途中で超能力を使わない回が出て来てから思うようになった。
独身のお兄さんの所に幼い少女が居候する、という展開は銀魂の銀さんと神楽とかが好きな人には受けそうな気がする。「何も見なかったことにして寝よう」「おいおい瞬殺だよ」などこの作品が初出の良く使われる言い回しも多い。
週刊少年ジャンプで連載された少年漫画。連載開始当初は「ジャンプで相撲なんて受ける訳ないでしょう…」と思っていただけにまさかのアニメ化には本当に驚いた。しかも面白いというのだから堪らない。
2クールで原作18巻までアニメ化されたという事もありかなり駆け足でカットも多く原作ファンからは不評だったらしい。アニメが初見の自分は2クール目はともかく1クール目はそれほど駆け足には感じなかった。
2クール目は原作では数週戦っていたんだろうな…という戦いが1話で纏められていて、原作未読でもこれは尺の関係でかなり詰め込んでるな…と感じずにはいられなかった。
OPEDは名曲揃いで、特にOfficial髭男dismのFIRE GROUNDは素晴らしい。相撲を題材にこんなカッコいい曲を作れるのか!?という興奮と、原作を読み込んでるんだろうなぁ…という感動があった。実際どうかは知らないけど。
大人気水泳アニメFree!の三期。確か主人公達が大学に進学した後の話だっけ?主人公達の後輩の水泳部があっさり強豪校に負けていて悲しかったような覚えがある。正直一期以外はあんまり内容覚えてないかも…。
大人気ロボットアニメフルメタル・パニック!の四作目。確か原作小説でいうと宗介の通う学校がテロリストに襲撃される7巻から、アーバレストの後継機レーバテインが登場するまでのアニメ化だったと思う。
自分は原作小説は全巻読んでいたけどアニメ版フルメタはこれが初めてだったのでそれなりに楽しめたけど、従来のフルメタファンからは話の詰め込み具合や手描きではなくCGを多用した作画がかなり不評だった印象がある。
それでもこのアニメ化を機にバンダイからアームスレイブのHGが発売されたのは作品にとっては良かったのではないか?と思う。確か最終回が放送延期になっていたような。スパロボっぽいSRPGも出てた気がする。
人気作品ヒロアカの三期。主人公の師匠、オールマイトの個性ワン・フォー・オールと対になる個性を持つ強大な悪役オール・フォー・ワンが登場し限界まで戦い抜いたオールマイトが現役ヒーロー引退を決意したのはこの三期だった。
オール・フォー・ワンという強烈な悪役は好きだけどそれ以外だとあんまり印象に残っていない気もする。ただやっぱり人気作品だけあってヒロアカは安定して面白いと思う。
少女が魔法で変身し筋骨隆々な男性となり戦う…というこれまでありそうでなかった気もするコメディ作品。少女形態と魔法少女形態で実質キャラが二人居るので二度お得な作品かもしれない。
原作漫画はBL作品なども扱っているCOMIC Beという女性向け漫画雑誌で連載されている事もあってか、一部肉体的BL要素もあったかも?同じ魔法少女物でもいかにも暗い魔法少女サイトと作風が真逆だった…。
あの大人気野球漫画メジャー続編のアニメ化作品。NHKアニメという事もあってか、原作にあったお色気描写(サービスシーン?)は完全に削除され子供達でも楽しめる健全で熱い野球作品となっている。
やっぱり藤原夏海さんの少年声は素敵だな、と思った作品。あまりにも偉大な父を持つ父の才能を受け継げなかった少年の苦悩と努力が描かれている。原作者の満田先生は60歳近いけど、少年の描き方が生々しい感じがする。
OPもEDもこの作品に使われた主題歌は全て名曲だと心の底から思う。原作が連載中という事でまだまだ完結するのは先になるだろうけど、前作同様この作品も最後までアニメ化される事を楽しみにしている。
ジャンプで連載されていたお色気コメディ漫画のアニメ化作品。最近はジャンプアニメでも夕方じゃなくて深夜に放送するんだ…と思わされた作品。2018年は小野友樹主演のアニメが多かった。
幽霊を霊力で殴る事の出来る主人公が色々とトラブルな目に遭う作品だったような気がする。
ラーメンが大好きな古泉さんという女の子が主演のアニメ、かと思いきやその古泉さんの事が好きで好きでたまらない危ない女の子目線のギャグ&グルメアニメだったような気がする。
ララララーメン、大好き、小泉さんというフレーズが忘れられない。竹達彩奈は駄菓子大好き少女とかラーメン大好き少女とか食に関するキャラが多い。 佐倉綾音も熱血少年役の印象だったのにこのアニメだと重いレズ役だし…。
竜王の称号を持つプロ棋士の主人公が突如押しかけてきた少女を弟子にした事をきっかけにスランプを脱出する話だった気がする。原作小説ではその少女がヒロインかと思いきやツンツン姉弟子がメインヒロインらしいから困る。
3月のライオン以来の将棋アニメだったかな。ジャンルとしては天使の3P!に近いようなそうでもないような。主人公が弟子にガチギレする描写がある回は賛否両論だった覚えがある。
最近久々に新作映画が作られた事でも有名な、大人気漫画のTVアニメ一作目。監督はルパン三世や名探偵コナンでも有名なこだま兼嗣氏。これらの作品に共通する物があるのは、そういう所もあるんだろうなと思う。
自分は原作漫画を全巻読んでいるけど、読んだ覚えがないエピソードがやたら多いと思ったらアニメ版は基本的に原作に無いアニメオリジナルエピソードが大半だったらしい。これも原作の設定が魅力的だから出来るんだろうな、と思う。
原作ではすぐに死んでしまう槇村が序盤の何話かは健在だった時点で気付くべきだったかもしれない。槇村の下の名前の「秀幸」は声優の田中秀幸さんから取られ、後に原作漫画に逆輸入されたらしい。こういう所もコナンみたい。
ほぼ毎回当時新人だったであろう山ちゃんがゲストキャラとして登場するのが非常に印象深い。サイライズ製作のアニメという事で他のサンライズアニメでもよく聞くSEが登場した時は笑ってしまった。OPも作中で挿入歌として出てくるし。
中村悠一主演のお色気?バトルファンタジーアニメ。割と直接的な性的描写も多かった気がする。このアニメからそういう描写を除くとFateみたいな作風のファンタジーアニメになるんだろうなぁとちょっと思った。
お色気アニメだけど主人公がイケメンであんまりガツガツしてないのはちょっと不思議な感じだった。
Yes!プリキュア5GoGo!の次回作。キャラデザがお馴染みの川村敏江さんから香川久さんになった。見ている内に慣れたけど、最初はキャラデザが前作からあまりに変化した事への抵抗感が強かった。
OPはよく下手とかなんとかネタにされるけど個人的には嫌いじゃなかった。敵の女性幹部が改心してプリキュアに寝返るという作品も、スプラッシュスターの満と薫を除けばこの作品が最初だったと思う。
改心するも自分のかつての悪行に心を痛めるイース=キュアパッションと、敵対してもずっとイースに戻ってくるように言い続ける二枚目半マッチョのウエスターの関係性が実に良かった。この二人は歴代シリーズの中でもかなり好きかも。
終盤地球滅茶苦茶になったのにラビリンスの連中特に贖罪してなくね?そもそもサウラーとか改心の兆しなく一貫して悪役だったのに何で最終局面で状に絆されてるの?と思う所はある物の、割と好きなプリキュア。
でもマスコットキャラが文字通り壊れた機械のようにずーっと同じ言葉を延々と繰り返すのは正直怖いよ…当時このアニメを見ていた子供達も怖がったんじゃないだろうか。
この作品からEDのダンス振りつけがタレントの前田健氏になった。前田氏は作中でもレギュラーキャラの声優さんとしてちょくちょく出演されていたけど、プリキュアに匹敵する戦闘力と幅広い人脈を持つ中々良いキャラをしていた。
フレッシュプリキュア!の次回作。略称がハトプリなのかハトキャなのか未だに分からない。プリキュア人気投票の結果を見るに歴代シリーズの中でもかなり人気が高い方なんだと思う。
主人公が明るいアウトドア派ではなく、大人しいインドア派のプリキュアもこれが最初だったと思う。第2話で主人公が史上最弱のプリキュアと称されるあたりこれまでのプリキュアとは大分毛色を変えてきていると感じた。
主人公が二人で戦う期間が長く、追加戦士が登場するのが番組中盤を過ぎてからというあたり二人っきり戦っていた初代へのオマージュもあったように思う。個人的にはもっと早く追加戦士が出て来ても良いと思った。
キャラデザがおジャ魔女どれみで有名な馬越嘉彦さんという事で、かつておジャ魔女シリーズを見続けてきたプリキュアファンからも高い人気を誇る印象がある。個人的には何か目が特徴的で怖い印象がある。
プリキュアシリーズの中でも特に暗い作品だと思う。ネタバレになるけど、あるキャラクターとその家族の人生があまりに悲惨でプリキュアでこんな暗いの見たくなかった…と思った。ラスボスも伏線なく終盤唐突に出てきた印象が強い。
自分がプリキュアシリーズの中で好きな要素である「改心したキャラが救われる」「敵キャラが寝返って味方になる」という要素が無いので、暗い雰囲気もあって個人的には好きでないプリキュアになる。多分少数派だとも思う。
ハートキャッチプリキュア!の次回作。セーラームーン役で有名なあの三石琴乃さんがマスコットキャラという事でもう一発目から持っていかれてしまった。主役の二人がこんなに喧嘩するプリキュアもそう無いのではなかろうか。仲良いけど。
キャラクターデザインが前作、前々作より5までの従来のプリキュアに近くなった。キャラクターデザインの高橋晃さんはその後のプリキュアでもキャラデザや作画監督をちょくちょく担当している。
コメディ要素強め、敵が改心してプリキュアになる、最終的にはプリキュアとラスボスと和解するなど自分の好きな要素が多々あったので中々好きなプリキュア。キュアゴリラ!なんて芸をやっちゃう響は素敵だ。
スイートプリキュア♪の次回作。ピカリンジャンケン、主人公のお母さん、オスケモのウルフルンなど本来のターゲットである女児だけでなく大きなお友達層にも中々の人気を誇った作品という事を覚えている。
主人公の掛け声が「気合いだ気合いだ気合いだ!」などととても女児向けとは思えないような暑苦しさもあった。敵の三幹部達は中々愉快なキャラで彼らの掛け合いが中々好きで楽しみだった。マジョリーナ冨永みーなさんだし。
わざわざ大張正己氏を呼んだロボ回には「そこまでやるか…」とその熱量に押された。基本的には5と同じプリキュアが五人で戦う話だけど、5と違って恋愛要素皆無なのは物足りなかったかな。
スマイルプリキュア!の次回作。正直プリキュアをぶっ続けで見ていて自分の中で少し印象の薄いプリキュアになっているんだけど、OPでキュアエースとレジーナがクルッと回る所が好きだったのは覚えている。
いかにも味方になりそうな敵幹部の少女が改心の兆しを見せながら結局最後まで敵のままというのは意外な展開で驚いた。ハートキャッチのように悲惨な最期を迎えなかったのは良かったけど、彼女のプリキュア姿も見たかった。
1話だけとはいえプリキュアに久々の恋愛要素が復活して嬉しかった一作。それも真面目で敵だろうと放っておけない少女と普段は生意気なのに記憶喪失中は礼儀正しくなる少年(CV田中真弓)でこれはたまらなかった。
ハートキャッチよりはマシとはいえ、あるキャラクターの末路があまりに可哀想でその家族や恋人が可哀想だった。子供と呼べる存在が残っているのでまだマシかもしれないけど、プリキュアで悲しい末路は辛いなぁ…。
スポーツゲームってだいたいそうじゃん。
格ゲーがすべきは格闘技の面白さを分析してゲームに落とし込むことであって
高度に発達したジャンケンを作ることじゃないっしょ。
自宅で早速お持ち帰りの餃子を焼いたら
大失敗で結果から言うと丸焦げ!
しおしおのぱーよ。
しおしおというより焦げ焦げってところかしら、
大失敗はないんだけど、
今回の餃子に限ってはちゃんと箱の裏に書いてあるレシィピ通りに調理して焼いたつもりだったのに、
焼いた面が地獄かのごとく
あの地獄絵図の絵の炎で焼いたみたいに真っ黒焦げ。
結構ショックだったわ。
ちゃんと食べたけど。
お店での餃子フェスでアゲアゲな方が良いかもしれないってことに気付いたわ。
たぶん今度家で餃子フェスをやるときは絶対上手く焼けんだからね!
焼き餃子と言うよりは
水餃子での水餃子フェスに切り替えた方があとあと掃除も楽だしなーって思ったわ。
上手に焼けなかったから水餃子にする!ってヤケのヤンパチで言ってるわけじゃないのよ。
私だって初回は失敗大黒焦げ大魔神餃子を爆誕させてしまったけれども、
敗因は強火だったってこと、
レシィピ通りの水が蒸発するまで強気の強火でって言われてそのままにやってみたけど、
それが失敗の原因だったようよ。
そんで、
弱めの強火と強めの中火とではどちらが火加減がファイヤーなのか、
アイニードファイヤーなのよね。
曖昧などちらとも取れる微妙な火加減で火入れする焼き入れる餃子って
案外ちゃんとまともに作って焼くとなると難しいのねーって思ったわ。
私は冷凍餃子をサクサクっとパリッと焼く方がお似合いなのかも知れないわね。
私だって言いキッチンがあって掃除しやすいキッチンがあればいつだって餃子が焼けるのに、
いわゆる、
わたしがかんがえるさいきょうのきっちんを
想像したら町中華屋さんの厨房みたいな感じになっちゃうのよね。
でもあれってよくない?
床もタイルにして水流せるようにしたら
カメラを天井とかに付けて動画とかどうでもいい動画を録ってみたいなーって思うのよ。
まあそんなの無理だから
大人しく私は初心者用のマーケットの冷凍食品売り場で若葉マークが付いている餃子を焼き続けることにするわ。
焼くのが嫌だとかじゃなくて、
焼き物揚げ物をするとキッチンの後片付け掃除が大変なのよねーって
それが億劫で臆病になるのよ。
焼き餃子焼きを特訓するのに。
餃子の餡や皮を作るようになったら真の餃子フェスって言ってたから、
まあ
ベストキッドみたいに映画の中でお師匠さんが全然稽古を付けてくれなくて
延々と洗濯物をさせているうちにいつの間にその洗濯を干す動作が全ての技になっていた!って
洗濯物を私も延々とさせられるのかなーって思ったし
きっと洗濯とあわせて万里の長城の縁の手すりに餃子を1列に並べるのだ!って言われかねないわ。
だから
私はやっぱりお手軽冷凍餃子を焼く餃子フェスの方が性に合ってるのかなーって思ったのよね。
そんで、
本当に笑っちゃったわ!
うふふ。
なんかもう今は大丈夫みたいだけど。
焦げた餃子が原因ではないことは確かね。
まるまるのスイカを買って食べることが多いので、
久しぶりにカッツスイカを買ってみて
カッツする手間を考えると
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!