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はてなキーワード: カトリックとは

2022-08-31

anond:20220830233144

西側のような強烈な一神教価値観

だって一神教隠れ蓑から

支配者の陰謀に関わった一族は、数代あとに証拠隠滅で全滅させられたりするが

それを防ぐ保険として、古代家系図の記録機関があった(8親等婚を禁じるカトリック

支配者の証拠隠滅力を取り戻すために興されたプロテスタントは、そういう意味ではカルトなんだよ

でもどこの国でも、法曹証拠隠滅力を持っているから、メディア法曹信仰も強烈だろ

2022-08-29

anond:20220829220107

ゲイとか関係なしに結婚ってそういうもんじゃ

どっちかが嫌になったら基本的にもう破綻している

しかも今回は双方がちゃん離婚同意してるんだから外野がガタガタ言うことは何ひとつない

夫婦が別れても親子の縁が切れるわけじゃない(父親はやめないって言ってるしな)が、夫婦同士は別れれば所詮ただの他人しかない

それが嫌なら最初からLGBTとかノンバイナリーとかそういうの持ち上げてないで、離婚に厳しいカトリックでもやっておきゃよかったんだよ

ひたすらどうでもいいわ

2022-08-28

anond:20220820162732

秒で共産党崩壊するな

・・・フランスがあれができるのは実質的カトリック国教からだろう

日本も「国家神道」が国教だった戦前に戻ればできるんじゃないか

2022-08-27

anond:20220827211343

そりゃリベラル自称するからには離婚を許容しなきゃダメなんだよ

なぜかというと離婚にうるさいのがカトリックとか彼らの敵で、敵の言うことにはとにかく逆張りしないとダメから

子供捨てるとかならともかく、父親はやめへんでーと予防線を引いておけば表立って非難もできない

芸能人離婚ときのいったい何がそんな悲しいんだバー

あの「LGBT」だの「ノンバイナリー」だのクソやかましい界隈のだ~い好きな理論で行ったら、そもそも永遠の愛」なんか存在しないはずで

お互い話し合って離婚するとなったら、もう前向きに捉えなきゃダメなの

母親に好きな相手ができたら祝福しなさい」って、フェミ大家上野大先生だって言ってたじゃん

それが嫌で受け入れがたいなら、最初からカトリック保守でもやっておけばよかったのに


結局、あの手の連中っていうのは芸能人を単なる「キャラクター」として推していただけだから離婚あんなショックなんだろうね

もちろんそれは決して悪いことじゃないし、気持ちだってわかるんだけど

キャラ以外の余計なものまで知らずに推していた、その自覚がどうやらなかったようだ

君らがファッションか何かのように乗って踊っていた「リベラリズム」って、つまりこういうことなのよ

そこをろくに考えもしなかったツケを、今こうして払ってるだけなんじゃないのかなあ

2022-08-25

お見合い政治宗教の話はNGらしいけれど、はっきり言って意味が分からない

そりゃあ普通出会いで初対面だったらいきなり政治宗教の話をしないのはマナーだろうけれど

婚活お見合いって結婚して共同生活を営むのが前提の出会いだよね?

なら政治宗教ってめちゃくちゃ重要な事項では?

どの政党を支持するかって家計地域経済子供教育にも密接に関連するし、そこが合わない相手とやっていけるとは思えない。

はっきり言って自民維新の支持者は自分にとっては喫煙者と同じくらい地雷なので絶対に避けたいんだけど、それをお見合いで聞くのが駄目なのが納得いかない。

喫煙の有無を尋ねるのはよくて支持政党を聞くのは駄目っておかしくない?生活に深く関わってくる部分なのに。

「例え夫婦になった後でも一生しない方がいいというわけではありません。家族ニュースを見ながら話をすることもあるでしょう。

こうした話題は、知り合いたての頃はしないでおきましょう。」……っていうけれど、いや結婚した後で知っても遅いじゃん。

事前に知っておかなきゃ意味がないのに。


具体的にどこに投票したのかを聞くのは秘密選挙原則に反するから勿論駄目だけど、お見合い相手ならば支持政党くらいは聞くべきでは?


あと宗教についても最近話題統一協会やら創価学会幸福の科学だったらその時点でリスクが高過ぎてお断りしたいから知っておきたいし

そこまで極端じゃなくともJ・R・R・トールキン奥さん結婚を機にカトリック改宗して大変だったと聞く

宗教って生活の細かい部分に関わってくるし、結婚して生涯を共にするなら宗教もめちゃくちゃ大事でしょ。

まずは趣味の話~、とか浅いところから始めるから

時間だけかかって成果が得られないって人が多いんじゃないだろうか?

趣味の話ならいいってのもよく分からないんだよな…プライベート話題には変わりないだろうし、マニアック趣味で思い切り趣味が合うって訳じゃなければ結婚相手趣味の一致をそこまで求めない人もいるだろうし。


https://bransel.com/blog/senkyo/

お見合い初デート政治選挙宗教といった思想の話はまずNGです。

とくに、お見合いなどの初対面の人の場合に、いきなり思想についての話題質問を持ち出すのは相手を困らせることになります政治宗教話題は大変デリケートです。感じ方、考え方、捉え方が人それぞれ違います

初対面の人から政治宗教質問をいきなりされて、安易に聞くような話題ではないのに。と、相手不快に感じる方もいます

しかし、例え夫婦になった後でも一生しない方がいいというわけではありません。家族ニュースを見ながら話をすることもあるでしょう。

こうした話題は、知り合いたての頃はしないでおきましょう。

anond:20220824200210

この手のエントリに対しては何度も同じこと書いてるが

少子化近代個人主義のせいでもフェミのせいでもなく

産業構造の発展と比例して進行してきた

https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/images/01-01-01-07.gif

http://honkawa2.sakura.ne.jp/images2/5240.gif

これは日本だけでなくどこの国も同じ

お金をかけて子供学校に行かせず

12、3歳そこいらで農業だの漁師だの個人商店だのの家業のため働かせる

前近代農村社会に戻れば必然的関係なく子供は増える

途上国は今もそう

でもアフリカでさえ経済成長と比例して合計特殊出生率は下がってる

https://ecodb.net/country/CD/fertility.html

https://ecodb.net/country/GH/fertility.html

https://ecodb.net/country/KE/fertility.html

から先進国が今さら産業社会を捨てられるかって話

高いGDPスマホコンビニのある高度産業社会人口減はトレードオフなの

精神価値観だけ前近代男尊女卑に戻したっていっさい無駄

つうか儒教文化の根強い韓国台湾カトリックの根強いイタリアのほうが

伝統的価値観の束縛がゆるい北欧だのフランスより少子化が深刻

2022-08-22

anond:20220821003236

カトリック時間はかかったけど被害者がずっと被害を主張していたことで法王が謝った

統一教会はだんまりそもそも被害を主張している人が政治的圧力もあってなかなか表に出られなかったので戦いはこれから

あれは韓国では当たり前のノリだったってことか

今考えればあれは統一教会だったんだろうなと思うことがある。

学生時代理由は忘れたが教会へおいでと誘われて行ったことがある。

教会では普通にミサをしていたが、カトリック教会カタカナ表記する称号がすべて漢字になっていた記憶がある。

牧師が説法をした後にギタリストが出てきて弾き語りをはじめ、牧師はふかふかの座り心地よさそうな椅子に座ってそのワンマンショーを特等席で鑑賞していた。

カトリック育ちだったもので、その牧師の態度にかなりびっくりしたんだけれど、上下関係が厳しい統一教会幹部の話を読んで合点がいった。

まり信者としてのステージが高い牧師はい椅子で、一般信者は下なのでその格差があって当たり前という社会だったのか。

私は上の人が偉ぶって威張っているところがどうも我慢ならなかったので勧誘を蹴ったのだが、権威主義的なもの好きな人にはあんな方がハマるんだろうか。

2022-08-21

anond:20220821003236

カトリックのは修道院や寮の問題だが、自治団体はすべて組織的隠蔽が起こる可能性がある

反社ではない自治団体自治が不味いときにはどうするのか、国の大きな課題

統一教会反社じみているが

弁護士団体なんかも似たようなもんで、うっかり騙された客は救済されてない

anond:20220821155153

カトリックは表に出たらドナ・ドナされますな。

統一協会も表に出た以上、今後については消費者契約法無効化条件にかかるもの献金寄付も含めて無効化返金、勧誘制限政治家献金させず人も出させず、イベントへ出ずの「法整備」をしてドナ・ドナできるようにすべきですな。

2022-08-19

anond:20220819184020

スペイン田舎だと爵位持ちの貴族カトリックと一緒にガチ封建制を展開してます義務教育はあっても日本労働組合のように教員組織カトリックが絶大な影響を与えてるので無駄です。そもそも教員養成校のほとんどがカトリック系だし。

anond:20220819184020

低学歴かつ処女厨弱者男性から見ると、どこが悪いのか全くわからない。本当ならカトリック万歳じゃん。

anond:20220819183019

スペインポルトガルのど田舎行ってみるとどれだけカトリック有害かわかるよ。生まれ農村から一生外に出ず、最低限の義務教育だけ終えると両親たちと農業従事農村で一番偉いのは地主神学系の学校出た教師聖職者カップルsexはおろかキスすらせずに手繋いで農村とか山で散歩するだけ。俺が滞在中に起こった話として、どうしても我慢できずに麦畑の中でセックスしちゃったカップルがいて、女の子が泣きながら教会聖職者相談すると「永遠の愛を誓って赦しを与えてもらいましょう」って言われてそのまま結婚した10代のカップルがいた。

政教分離フランスに学べ

殆どの国の政教分離国家宗教活動を禁じている。例えば政府特定宗教を利すること、国民特定信仰強制することなど。つまり宗教団体の側から政治活動に参加することは禁じられていない。日本は当然のこと、イギリスドイツアメリカなんかも同様。もし今の日本宗教団体の政治活動法律により禁止すれば、憲法14条一項、19条20条一項、21条との関係違憲となる。そのため公明党統一教会闊歩する事態となっている。そもそも我が国君主(笑)税金生活国事行為を行う存在なのに神道祭祀みたいなことしてるし。

一方厳格なのはフランスフランス政府宗教活動をすることは無論のこと、公共空間での市民政治活動禁止されている。宗教教育ダメ。完全にプライベート空間信仰するのは当然OK。それでもカトリック勢力日本日教組みたいに教育現場に強く影響を及ぼしてるそうだが、日本宗教団体程の影響力はない。日本フランス型の政教分離採用してはどうだろうか。

2022-08-17

anond:20220817105052

っつーかフランスカトリック権威がつよつよだったのと、歴史的共産主義が強いか政教分離が一番極端なことになってるんであって

そんなに素晴らしいはずなのに他の国が追随しない理由とか歴史的経緯とか、一度でも考えたことがあるんだろうかね

9条にしてもそうだけど、この国の左派はすぐ極論から極論にジャンプしすぎなんだよ

2022-08-15

もやっとすること

きちんとした教会、または牧師先生がいらっしゃるのがウリの挙式場を下見して、そこを魅力に感じたらしい人が口コミに「神父先生が〜」とか書いてるとあーあ、ってなってしまう。だからといって何もない、本当にちょっともやっとするだけ。

もし「神父先生」が正しいなら「讃美歌」じゃなくて「聖歌」だし、カトリックプロテスタントほど気軽に挙式はできないはずだから、多分「神父先生」が間違っている。

私は洗礼を受けてない、単にミッション系スクールにそれなりの年数通ってただけ、という信者の方からしたら余計に面倒な立場人間だと思う。

典型的日本教に毛が生えただけの人間が何言ってるんだろうという感じではあるけど、でもお坊さんのことを「宮司さん」という人はいないでしょ。まあお坊さんと宮司さんは宗教が違うか...。

でも私も例えばイスラム教全然詳しくないから、似たようなことをしでかす可能性はなくはない。気をつけよう。

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-14

anond:20220814092635

宗教が程よく思考停止をさせるのは、考えすぎて疲れるのを防止するためだろうし、権力者国民の安寧を願ってのことだろう。

詐欺連中を蔓延させるためじゃない。そもそも詐欺連中こそがありもしない先祖の霊証やらでわざと疲れさせて詐欺連中に依存させる。

プロテスタントカトリック大戦争科学の勃興の17世紀以前は詐欺連中は問答無用異端として潰されとったわ。信教の自由異端詐欺連中の蔓延という側面もある。

といっても、消費者問題として献金の全額返金や、消費者問題を起こす団体勧誘偽装制限政治家献金人材を受け入れず、またイベントにも参加せずの「法整備」が必要だな。

2022-08-11

anond:20220811135613 anond:20220811135900

創価公明カトリック、他にもいろいろあるから好きなのを選びなさい

あとそもそも前提を忘れないで欲しいんだが

社会福祉法第2条第3項第9号の規定に基づいた国の事業からな?

社会福祉法(◆昭和26年03月29日法律第45号)

第2条第3項 次に掲げる事業第二種社会福祉事業とする。

九 生計困難者のために、無料又は低額な料金で診療を行う事業

マジで政治イデオロギー拗らせ・シニシズム拗らせよくない

 

まぁこういう拗らせは発達障害精神障害あるあるだけどな

正義感の強さ』『極端な白黒思考』『妄想』『判断能力の低下』『自己肯定感の低さからくる過剰な警戒心』

 

助けを必要としている人を福祉に繋げるアウトリーチ活動ってほんまに大事だよな

anond:20220811130651

そんなん弱者の戦略というお題目なら適当相手しとけば良いじゃない

共産アレルギーがあるなら創価公明でも良いぞ

宗教とか私設のセーフティネットみたいな面もあるから

創価公明アレルギーがあるならカトリックもやってる

社会福祉法人聖ヨハネ会| 東京都地域公益活動推進協議会

https://www.tcsw.tvac.or.jp/koueki/sanka/seiyohane.html

 

あんシニシズム拗らせてると必要な助けが貰えんぞ

あと自分イデオロギーのために助けが必要な人の邪魔をするはあっちゃいけないことだと思うよ

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