はてなキーワード: 浪人とは
自分の場合は両親も自分も小学6年生の8月か9月ぐらいまではそんな世界があるとすら知らなくて
元はというと小学校の成績表がどんどん落ちてったんでヤバイと親があわてて適当な塾に放り込んだらそこが進学塾だったという
それで妙に試験結果が良くなっちゃって3カ月ぐらいで一番下のコースから進学コースに上がっちゃって
いつの間にか中学受験することになって気が付いたら合格してしまって
たまたま親が進学に金出せるぐらいは稼いでくれてたのが生まれた環境の違いといえば環境の違いなんだろうけど
なお大学受験で浪人するまで勉強したことなかったので勉強の方法身に付かなかった
親も勉強したことなくて一夜漬けだけでだいたいどうにかなったと言って勉強のやりかたなんて教えてくれなかった
そんなんでも偏差値60ぐらいの学校は受かったし勉強なんてそんなもんだと思った
今となっては後悔してます
さておき中学で私立に行った結果、地元のヤバイとこで有名な中学校には行かないで済んだことになった
もともと通ってた小学校の段階で学級崩壊で先生が管理放棄してたんでその進学先は推して知るべきなんだけども
その行くはずだった中学で教師が生徒に虐められて失踪したと新聞記事になったのを見たのが中学2年か3年のとき
結果的に親は中学受験は子の危機回避に使えると学習し、自分の下の二人は私立中学進学前提になった
進学先でイジメ行為がなかったかというと実はあったんだけども、自分の場合はマイルドな程度に収まったと思う
(殴る蹴るはなく、筆箱に弁当の中身を入れられるとかそういうぐらい。小学校だとイジリと直接暴力とカツアゲだった)
そんな感じなので中学受験イコール学歴というイメージが全然なくて済まん
私は人間が嫌いだ。
人類という生き物が嫌いだ。こんなにクソ最悪な生き物が世界にいてたまるかと思っている。私も含めて。
さっさと人類は滅ぶべきだと思う。
理由なんかは増田やTwitterをちょっと漁れば一瞬でわかるのではないだろうか。
私は興味本位で病み垢やらフェミやらの界隈にいたことがあるが、まあこれが醜い。
まあ私はその界隈を、自分が優位にあるというクソ最低な目線で見下しているので多少色眼鏡がかかっているのかもしれないが、これがまあクソだ。
青識なんかがマシに見えるレベル。フェミとかそのあたりを見て、正直、女も男も等しくみな最低なんだから全員滅べと思った。
病み垢なんかは「自分は可哀想でしょ? 慰めて? みんな見て?」の集まり。誰もてめえらの可哀想(笑)な加工ゴリゴリの姿なんて見たくねぇわ。
エロ垢は欲望剥き出しなだけマシに見えた。自撮りあげてるババアとそれに群がるジジイ。草。
浪人はみんなTwitterやってないで勉強しろアホか。何かが嫌いだと呟いている人間は偉そうだな。天皇かお前? 坊主とか深田とか、もうリプ欄のお前らつまらないからやめろよ。ってつぶやくお前らも同程度につまらないからな。歌い手とそれに群がるマンコ共は滅べと思ってる(これは私怨)。
一番笑ったのはオタク垢(とも違うか)。女は全員喋るオナホくらいにしか思っていない(まあ実際そう)、けど結婚とか彼女ができないのは他人のせいだと思ってるクソども。まあ笑った。
あれで始まる学級会(笑)とか、自分はこんな増田書く人間よりいい人間だと思うがためにやってるただのクソ。そのくせクソだって自覚ないんだからただの馬鹿だな。全然関係ないけど馬鹿を🐎🦌って書くやつも嫌い。馬鹿って言う覚悟もない小心者なら人の悪口言ってないでTwitterやめろ。
Twitterとか増田なんて掃き溜めの鶴を殺して喜ぶようなクソの集まりにいるのに正義感ぶるやつも嫌い。
だからこの増田は何らかの正義感を求めるわけではない。上記のように人類は一部とはいえクソだし、一部のクソを消したとしても将来クソが生まれる可能性が高いので人類はさっさと滅んでほしい。以上。
(と、言う私ももちろん滅んで構わないと思っているという弁明)
当方20代後半、大阪府下(京都寄りの北河内)に生まれ、浪人を経て23歳で京都の某私大の文系学部を卒業し、海運会社に総合職として就職。配属は営業職。大阪で3年間勤めた後、地方転勤を言い渡された。
転勤先は九州のど田舎。海運会社なので港がある町だが、それはもう大変な田舎。人口は3万人をやっと超えた程度で、市内にJRの駅はかろうじて1駅あるも、1日数本程度しか運行しておらず、引越して1年経つまで踏切の音を聞くことはなく、列車の車体を見たのは1年3ヶ月経ってからのことであった。ちなみに新幹線の駅までは100kmほど、車で下道走った場合2時間ちょっとかかる。そんな町で、営業職とは名ばかりの何でも屋をやっている。
転勤が決まった頃は「うわあとんでもない田舎に住むことになってしまった……1年で転職して関西帰ろ……」と思っていた。友人に転勤を報告したLINEでそう発言している記録が確かに残っているし、本気でそう思っていた。しかし、転勤から1年半が過ぎたところだが、私はまだこの町に住んで、同じ会社で働いている。
少し時を遡って、転勤前の大阪勤務時代の話をしたい。2019年1月頃の私は、同じ部署にいた10歳年上の上司から地味な嫌がらせを受け続けて1年以上過ごしており、どこでもいいから異動したくて仕方がなかった。そんな折、人事部長との面談の機会があり、諸事情を話した上で異動したい旨を伝えた。弊社は個人の希望が人事異動に反映されることはごく稀なのだが、若手は2〜3年で部署異動し、様々な経験を積む方針が明らかにあったため、ここで話しておけば早ければ春に動きがあるだろうと見込んでいた。
そして目論見通り、3月半ばに異動を言い渡されたのだが、前述の通り、転勤先はど田舎であった。
内示から着任までの期間は2週間、短いリミットの中でまず足を運んだのは中古車ショップ。そう、家を決めるよりも先に車を買ったのだ。これから暮らす町は車がないと生活ができないレベルの田舎だった。鉄道については前述の通り、路線バスは走っているものの、職場から最寄りのバス停まで3kmほど離れている。徒歩or自転車で通うにしても街灯が少ないため、一応女性の当方としては少しばかりの恐怖心があった。
ここで様々なチェーン店の最寄り店舗まで車でどれほどかかるかを説明したい。田舎度合いを計るにはこれが一番わかりやすいと思っている。
マクドナルド:30分
ユニクロ:30分
ドンキ:30分
イオンモール:50分
ざっとこんな感じである。自宅から車で10分圏内にコンビニ大手3店が揃っていて、謎に100均とドラッグストアも複数ある分暮らしやすいが、娯楽までの距離は遠い。ちなみに鳥貴族とサイゼリヤは県内にない。これが結構つらい。
話を戻そう。そう、こういう土地に住む上で家の次に必要な物が「車」だった。私は内示を受けた3日後、中古車ショップに向かった。その日は家族で白浜に行く予定にしていたため、運良く揃っていた両親のアドバイスを受けながら車を選ぶことができ、手頃な軽自動車を購入した。この時の前提と重視したポイントは以下の通り。
・カーナビ付き。
・5〜6年前までのモデル。
・2〜3年で恐らく関西に転勤になる。
一番最後の項目だが、地方の次は本社がある関西に戻す、という弊社の傾向を踏まえたものである。つまり、「車に乗って生活するのは恐らく2〜3年だが、生活のために車を買おう」という意志のもと、条件に合う車を購入した。奨学金200万を繰上げ返済したばかりの社会人3年目には80万が限度だったが、母に60万借金することでローンを組まずに済んだ。余談だが、明後日振り込まれるボーナスでこれも完済となる。
そして私は車を買った10日後、今住んでいる町に引っ越した。単身者が少ない土地柄のため、家賃5.3万円の2LDKに一人で住んでいる。実は人生初の一人暮らし、家族大好き実家大好き人間のためホームシックになるかと思いきや、旅行好きの性分が幸いし、休日は今まで行ったことがない観光地や景勝地を巡って楽しんだ。それなりにアウトドアを楽しむ才能があったし、なんとなく気づいてはいたが、どうやら女の割に車の運転が好きらしい。加えてオタクの当方、インドアの才能もあった。漫画を読んだりアニメを観たり、家から一歩も出ずに過ごすことも大好きで、つまるところ、適応能力が高かったのだ。
そして九州の田舎の人々はそれはもう優しくて温かくて、当時の上長はじめ職場の人々との相性が良かったのか、大阪勤務の頃よりも伸び伸びと働くことができていた。メンタル面の変化は肌の調子にはっきりと出ており、顔中にできていた吹き出物は姿を消した。職場に行くのが苦ではない生活は久しぶりだった。
ここまで楽しい田舎暮らしをつらつら書いてきたが、そう思えていたのにはもう一つ理由がある。職業柄、自身の財布を痛めることなく毎月、多ければ月2回、大阪の実家に帰ることができていたのだ。これはかなり大きい。田舎暮らしに苦しめられている東京育ちの某方には申し訳ないほどに。関西に住んでいる友人たちと、それなりの頻度で遊ぶことができていたし、趣味の観劇も大阪公演であれば気軽に足を運んでいた。仕事終わりに飲んだりカラオケに行ったり、平日夜にしがちだった遊び方ができない程度だった。
もちろん、田舎でも生きていけそうなくらいにはフットワークが軽い性分を理解していたから転勤をすんなり受け入れたし、この特権があるからこそ、地方転勤がほぼ確実であるにも関わらず弊社への入社を決めたし、なければ田舎暮らしは耐えられないだろうな、と思っていた。今年の2月までは。
コロナ禍により、2月末からしばらくの間帰省禁止となった。当初は1ヶ月程度で収まるだろうと思っていたが、日々状況は悪化し、長期化の様相を呈してきた。3月末の某日、とある舞台の大阪公演に行くため飛行機を押さえていたが、空港に向かう道中「もしあの田舎にコロナを持ち込んでしまうことになったら、特定されて村八分にされるかもしれない」という恐怖に襲われ、半泣きになりながら葛藤している最中、公演の中止が発表され自宅へUターンしたことがあった。飛行機が出発する1時間前のことであった。その後緊急事態宣言が発令され、ど田舎の支店にもテレワークが導入された。
GWも実家に帰らず、田舎で大人しく過ごした。大人しくと言っても、何度か人の少ない場所へドライブには行っていたし、感染者がほとんど出ていなかった県に住んでいるため、映画館の再開が都会よりも早く、再開初日に2作品をハシゴしたり、エンタメに飢えていたオタク心を都会の人より先に潤していた。漫画とアニメとドラマとドライブ、そして友達とのテレビ電話が私の日々を支えてくれていた。そんな生活の中で思ったことは「思っていたよりも一人で楽しく生きていけるんだな」ということだった。
いつのまにか実家に帰らず4ヶ月の時が流れ、6月上旬、久々の帰省を果たした。母の手料理を食べながら家族で談笑する時間が愛おしく、実家への愛着を再確認する日になったが、次に帰省したのは3ヶ月後のことだった。その3ヶ月間も変わらず、仕事をして、アニメを観て、漫画を読んで、ドラマを観て、映画を観て、ドライブに出かけて過ごしていた。家族に会えず、友達と遊べないことはストレスだったが、大阪に住んでいたところでコロナ禍では会うこともままならない日々を送っていただろうし、感染者が比較的少ない土地で過ごしている方が気楽だろうと思っていた。
ここまでつらつらと転勤の経緯や当方の生活ぶりを書いてきたが、田舎暮らしを送る上で思ったこと、これから転勤等で田舎暮らしを送るだろう人へのアドバイスをいくつか箇条書きで書いていきたい。
・電車やバスに乗って出かけられるところは言うほど田舎ではない。
・田舎暮らしを充実させたければ車を買うべし。田舎に馴染む気がないから買わないとか言ってないで買ってみたらいい。馴染めなかった田舎を少しは楽しめるようになる。
・田舎で暮らすには「田舎を楽しむ」姿勢が大事。「住めば都」なのではない。「住んでいる土地を都とする」のだ。
田舎暮らしを肯定するようなことを書いてきたように見えただろうが、正直なところ、最後の一文が一番の本音である。住んでいる土地を都とするのは個人の心持ち次第だと思ってはいるが、そう思う気力は一生続くものではないと感じている。
当方20代後半の女性であるが、転勤前から彼氏はおらず、いろんな意味で身軽に引っ越してきた。1年半以上を田舎で過ごしている間に同級生の数人は結婚していったし、中には親になっている人もいる。しかし、田舎に定住する気がない私のプライベートはというと、完全に停滞しているのだ。何もしていないからだという指摘は存分に受けよう。しかし、遠くないうちに関西に戻ることが9割方確定している女性と付き合う男性がどれほどいるだろう。魅力的な男性相手なら、結婚を機に田舎に定住したくなるかもしれないけど、私は関西に戻ってからプライベートを動かす努力をしようと決めている。
1年半程度を田舎で過ごしてみて、都会の田舎程度でもいいから、都会に住みたい、と改めて思ったからだ。車がなくても生活できるところに住みたい。適当に電車に乗れば梅田とか神戸とか京都に出ていけて、0時を回るか回らないかくらいの終電で家へ帰れるところに住みたいのだ。車の運転は好きだけど、自分の車を持ちたい!という欲は一切ないし、カーシェアやレンタカーでたまにハンドルを握る程度で満足できる。
田舎生活は楽しい!楽しいけど!それよりも!気軽に友達に会えて!実家に帰れて!エンタメに触れられる生活の方が欲しい!!!!
と言っても、祈る以外にできることはない。短ければあと3ヶ月ちょっと、長ければ1年以上今の環境に身を置くことになるが、これまでと変わらず田舎での暮らしを楽しむスタンスを崩すことなく、「早く関西帰ってきて!あそぼ!」と言ってくれる友人がたくさんいる幸せを噛み締めながら、1日も早い関西凱旋を夢見て過ごそうと思う。東京生まれ東京育ちの若者が住む場所を都と変えられることも祈っている。
幼い頃から学校が嫌いで運動音痴な上に頭の回転も遅かったんだけど歳を重ねていく事に学校嫌いが悪化してから学校に付随するものが全て嫌いになってきて中学上がったあたりから人付き合いとか勉強に酷い拒絶反応起こして1日12時間とか寝たり仮病使ってたら親に家から叩き出されて家の近くのお墓で座り込んで蹲って1人で泣いてたりしてたら中学生ながら親よりも白髪が増えてしまってそんなこんなで高校受験迎えて偏差値40の高校に合格見込み無しとか言われてさっさと落ちて通信制の高校行きたかったから家から1番近い偏差値48の高校受けたら受かってしまって行きたくない行きたくないと駄々こねながら入学する羽目になって相変わらずサボり癖が抜けなかったり人付き合い悪いまま卒業を迎えて成績も悪いし家貧乏だし学校嫌いだから進学しないし働くのも嫌だから楽な仕事で検索したら「市役所は楽」って聞いて親に公務員になる旨伝えて公務員浪人させてもらって2年間のモラトリアム獲得して公務員試験の勉強して今まで勉強してこなかったから教養問題(いわゆる国数理社英のことで主に自然科学と社会科学が得点源とされている)とかちっともわかんないし馬鹿だから頭に入らなかったんだけど知能問題(パズルみたいなやつで二次方程式出来るなら解ける問題が多い)が何故か得意だったのとコミュ障だけど愛想だけは良かったのが功を奏して地元の市役所合格したけど社会不適合者なのは全く変わってない俺が仕事続くはずもなく人付き合い苦手で頭悪すぎて仕事も理解できないし周りが何言ってるのか理解できないしで皆は普通に仕事できてるのに自分だけ1人常時パニック状態精神が壊れてしまって周りも家族も困惑させて5年ニートした後今は地元で流れてくるダンボールにガムテープをはる日雇い派遣をずっとやって実家暮らししてる今年35の男だけど俺見たいなやつの話ききたい。
私は中高一貫男子校で、女性と関わる事に全く自信が無く、また周りを見てもチェックシャツチー牛陰キャばっかで(今年はオンラインですが、一応顔出しがある授業もあるのでよく見ます)、こいつらこの状態から結婚できるのか?と常々思っています。また、学科の男女比が30:1で、女性と話す機会も無いため頭を抱えてます。
また、私がいる学科は8割くらいの方が大学院に行くのですが、その大学院生方も割と毎日非リアツイートをしていて、もし博士まで行けば20代を潰す事になるので(浪人してるので博士出たら28歳)結構本気で危機感を感じています。
どうやら増田さんの記事を見る限り、拗らせてる人もいるものの、割と結婚できるみたいなんですが、そこで他の工学部の方や卒業生の方々がどうやって克服して(してない?)恋愛や結婚まで至ったのか知りたいです。また、何かアドバイスがあったら教えていただけませんでしょうか。
P.S 御回答ありがとうございます。体質的な問題で酒タバコは一切しないですね。毎日お風呂にも入ってるのであまり問題ない気がします。
本当に知能のレベルだけで東大の男女比が構成されてると思ってるのか
・親がどちらの性別により教育投資をするか(これにより浪人のハードルも異なる)
・社会通念的に「女の子は東大に行ったらお嫁に行けなくなる」「学歴が高い女は生意気」などの風潮があり、そもそも本人も目指しにくい
・「同性で東大に行った人」のロールモデルが少なく(特に地方公立)そもそもの選択肢から外れる
考えればまだまだあるよ
複合要因過ぎて全部は書けない
逆にロールモデルや教育投資のハードルが(まだまだ完全とは言えないが)(偏差値の高い女性は東大より医学部など資格が取れる学部に流れがちなので)クリア出来た中高一貫校を見てみると、同偏差値帯の男子校女子校でそこまで東大合格者数が変わらなかったりする。
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。
死ぬ寸前のような老人になるまで挑戦する者もいた。
役人になれれば栄華ともなるが、当然ながら試験に通るまでは身入りのない浪人。
鬱々と楽しまぬそんな彼の前に美しい女性が現れた。幻覚ではない。
夜な夜な彼らの部屋の窓の外に現れ、婉然とした笑みを投げ、誘惑してくるのだ。
男が大喜びで褥に引き入れるもしなを作って抵抗せず、
唯々諾々と寄り添ってくるので、遂に懇ろになってしまうのだった。
眉を潜める男の老母を尻目に台所に入り込み、持ち込んだ肉を料理して振る舞う。
貧しい男が飲んだことがないような旨い酒を勧め、夜はいつも浪人と共に彼の寝所で寝るのだった。
あまりにも女が頻繁に通ってくるので
結婚して家に入ればお前も身の証が立てられよう、と老母が女を諭すものの
女はなぜかにっこり笑って言を左右にしては断る。
私のような卑しい身分のものは偉い管理様の嫁になどなれませんわ、
妾がせいぜいでございます、
などと殊勝なことをいってくるので男はたいそう喜んだものの
老母の方はいよいよ怪しく思い、女が買い物に出た隙に扉を立てかけ、
狼の血を戸板に塗り立てて締め出してしまった。
いずれ鬼か幽霊だ。決して開けるんじゃないよ」
と続けて老母がきつく男に言ったものの、
男のほうは女の柔らかい頬やしなしなとした柳腰が恋しくて仕方ない。
そこで老母の目を盗み、こっそり夜に戸板を外し、女を導き入れてしまったのであった。
朝、起きて外れた戸板を見た老母が仰天し、慌てて男の部屋へとびこんだものの、
時はすでにおそく、男は寝所で事切れていた。
怒り狂って窓から外を覗いた老母の視界には、大きな珠を大事そうに持つほっそりとした狐が一匹。
おかあさま。おかげさまで私の仙丹がこんな大きくなりましたわ。おありがとうございます。
怒った老母が人殺し、いやらしいこの女狐が、道士を呼んでぶち殺してくれる、と口汚く罵るも、
おかあさま。私、仙狐の端くれとしてまさか無償で修行の助けを借りたわけではございません
旦那様には悦楽の限りを尽くしていただき、贅沢な酒食を持って尽くしました。
きちんとお代は払いましてよ、土地神でも大山府君にでも、お好きなだけ訴え遊ばして。
ホホと笑うや身を翻し、
フワ、
後に残るのは馥郁とした香の香りと、服を乱した男のどこか幸せそうな顔ばかり。
一人息子を失った哀れな老母は、しんなりと汚れた床に膝をつくのであった。
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。