はてなキーワード: 昔ながらのとは
あとここで言うペンというのは昔ながらの本来のpen、すなわち丸ペンやGペンといったつけペンのことね。
サインペンやボールペンのような、商品の仕様として誰が書いてもほぼ同じ太さの線を引けるペンは除外。
劇画と呼ばれていた頃から現在に至るまでの多くのマンガや、マンガ文化の延長にあるイラストやラノベの表紙/挿絵、
最近だったらVTuberのLive2Dまで、線はつけペンで描く(デジタル製作であってもつけペンを模した線で描く)のが主流と聞く。
そうすると、基本的に日本の2次元文化はペン画が根底にあるってこといいの?
で、つけペンが好まれるのは、これらのペンの特徴として、描く線にいろんな効果をつけられるからってことでいい?
太さ細さはもちろん、タッチの違いで色々な線が描けるから、作者の個性を存分に発揮しやすいという。
これって、鉛筆というより習字の筆の特徴に近いなーと思うんだけど、どうなんだろう?
習字だって、どういう線を書きたいか具体的にしっかり決めて、まさしく一筆入魂でエイッと書くし、一度書いてしまったら修正が効かない(破り捨てて書き直し)。
だとすれば、ペンは鉛筆と似て非なるものというか、少なくとも鉛筆の延長で使っていたらしんどいだろうなーと。
フォール〇〇ト:NG。ヒューマンフォールフラットだと思ってる。カタカナで書いたのが悪いかも
ウク〇〇ナ侵攻:ヒットする。若い記事に対するバイアスがつよつよ。個人的には古い埋もれがちな情報への道筋こそGoogleに求めてるんだが。
バ〇〇アムーブ:NG。なぜか画像検索ではヒットしてる。意味不明
風のク〇〇ア :検索はNG。なぜか動画検索ではヒットしてる。意味がわからん。
エルデ○リ○グ:完璧に機能。Google先生は現在を基軸にした時間バイアスがきついのだろう
ムサピィのチョ〇〇ーカー:ヒット。さすがに開示されてる文字が多すぎたかも。
ム○ピィのチョ○マーカー:ヒット。ただし、ム○ピィのチョコ○マーカーに勝手に読み替えてくる。元の文字列のままだと全く検索内容が変わる(そしてNG)
たのき〇〇リオ:NG。まったくヒットしない。画像も動画も全滅。
たのきんト〇〇:ヒット。流石に「たのきん」っていう単語の出現する文章は分かるか
バモイ〇〇キシン:ヒットしませんでした画面がちゃんと出た。久々にみた
バモイ〇〇キ神:ヒットしたけど、アンサイクロペディアが一位
ぐっす○○よよ:NG。全滅ぐっすん〇〇よだとよゆーで出る。
パラソルヘ〇〇え:動画だけヒット。というか、動画に大量にヒットしてるのに通常検索が謎の一軒だけなのなに?しかも間違ってるし。
チ〇〇ン村:さすがに無理なのはわかってた。ただ「チロリン村」ですら、しらねー定食屋だかレストランだかが大量にヒットしてて、ネットが汚染されてるなぁって気分になって最悪である。NHKのやつはどうにか1ページ目に表示されてるだけマシだけど、検索ランクが低い。
コレク〇〇ユイ:画像、動画は申し分ない。通常検索は謎のヤフー掲示板が一軒目にあって、それ以降は見当違いのページがヒット。
画像や動画の検索は、文字の意味を理解せずに率直に文字列比較しているらしくて、昔ながらのGoogle先生らしい融通こそ効かないけど道具として割り切った動きになってて、俺が求めている検索に近い振る舞いをしている
通常検索は、何ていうか。雑というか。浅い。それ以外に言いようがない。
チロリン村が最悪だった。
ネットにいる人間には信じられないかもしれないが、石原慎太郎の世間一般での評価は「欠点もあったが、一本芯の通った昔ながらの剛毅な政治家」だ。
だからテレビでの石原慎太郎の取り上げられ方は一般的な視点に近い。
「賛否あるが一本気な政治家」が、「有象無象の文句しか言わない奴ら」に妨害されている、というストーリーが一般的な見方である。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の日本人」に聞いてみればわかる。
これは別に不思議な事でもなんでもなく、単純に年を取るとわかりやすいストーリーしか受け付けなくなるということだ。これはごく自然なことだ。
はてなのメインユーザーは40代だろうが、最近本を読むのがきつくなってきたのは実感しているだろう。単純に老眼になってきているというのもある。若者のトレンドが理解できなくなってきているだろう。
60代となればそれがもっと加速する。新聞も、物理的に見出ししか読めない。物理的に政治家の話を聞けない。だから政治家はイメージと顔で選ぶようになる。
大阪府知事の吉村氏が支持されているのは、老眼と難聴と思考力の低下が主な理由だろう。若くて一本気な政治家が頑張っている、それが理解できることの7割を占めてしまい、それ以上の具体的な政策だとかは物理的に理解できない。
ゆえにこれからも維新は躍進を続ける。難しいことを理解できない国になるからだ。
オタク層には、クジラックス氏の話が参考になるだろう。年を取るごとに、純愛を描けなくなってきた、という話だ。
年を取ると、以前のようにうまく体を動かせなくなる。だから若者が恨めしくなる。「健康という財産に感謝しない不届き者ども」とみるようになるわけだ。
年を取ると、若者の多様な価値観に「うんうん」とうなずく脳を持つことが物理的に難しくなる。
けしからん若者に思い知らせてやる、という意識が非常に強くなる。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の人」に聞いてみればわかる。
複雑な話は理解されない。
そしてそれははてなの40代メインユーザーにも同じことが起こる。
あと10年すると、はてなは「他人に思い知らせてやりたい老人の巣」となり果てる。もちろんTwitterもfacebookもインスタグラムもticktokもそうなる。
平均年齢が45歳の国だから、脳の平均年齢も45歳になる。認知機能も45歳になるのだ。
フェミニズム界隈を見てみるとわかりやすい。自分の気に入らないものにレッテルを張って延々と叩き続ける脳機能がそこら中にある。あれが一般的になると思っておいていいだろう。
細かく分析し、是々非々で考えることができる人間は、もはやメインストリームではない。
知性は驚くほど劣化する。多様性を受け入れる器にはとんどんヒビが入っていく。
なんであんな長いの?
推しだとしてもシンドクない??
1時間とか2時間以内なら分からんでも無いんだけど、それ以上って途中で抜けたりするのがやっぱり当たり前なの?
ただでさえチャンネル登録者数よりも再生数が少ない印象がVtuberにはあるけど、一人が複数回出入りしてるとなると、ユニークな視聴者って実はめっちゃ少なくない?
長い配信時間てどれほどの人間がついていけてるのかな?というのが素直な疑問。
疑問に思った発端は、
1.自分は見れて2時間。(リアルタイムで垂れ流し、アーカイブを分割で、アーカイブを一気見など、色々)
ただ、それ以上になると日を跨いでアーカイブを追う気が起きない。
2.Vtuberは登録者数は多いけど、その登録者に対してアーカイブの再生数の割合が随分と低い印象がある。
昔ながらの実況動画の方が、チャンネル登録者数と再生数の乖離が少ない例が多い印象。
例えば、チャンネル登録者数30万のゲーム実況者(A)とVtuber(B)が居た場合、
Aの平均再生数が15~20万なのに対して、Bのアーカイブの再生数は1~5万。というような傾向があるような印象を持ってる。
現状ではビジネスとして成立してるのかもしれないけど、ついていけない人間が増えたり、ついていける人間が増えないのであれば、
今後は衰退していくのかなと思ってしまう。
●コメントを見ての雑感
・さっさと切る理由が無い
個人的に、単純に見てる側の体力が信じられない。
聞き流してるとかなら分かるんだが、4時間の配信をずっと「見てる」となると飽きないのがスゴイなって思う。
・再生数って出入りで増えるの
出入りで増えると思ってたな。違うのかな。
・長時間にした方が儲かる
動画やアーカイブは特定の時間の区切りに広告が入るからその意図は分かるけど、4時間全部を見るユーザーってどれほど居るの?
統一意志じゃないのは分かるから、あなたのスタイルを一例として教えてくれると疑問が晴れる助けになりそう。
子どもの食について考えてみませんか?(写真:プラナ/PIXTA)
食品添加物の現状や食生活の危機を訴え、新聞、雑誌、テレビにも取り上げられるなど大きな反響を呼んだ『食品の裏側』を2005年に上梓した安部司氏。70万部を突破する大ベストセラーとなり、中国、台湾、韓国でも翻訳出版され、いまもなおロングセラーになっている。
その安部氏が、『食品の裏側』を発売後、全国の読者から受けた「何を食べればいいのか?」という質問に対する答えとして、このたび『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』を上梓した。15年の間に書きためた膨大なレシピノートの中から、たった5つの「魔法の調味料」さえ作れば、簡単に時短に作れるレシピを厳選した1冊だ。
発売後、たちまち6刷5万部を突破し、各メディアで取り上げられるなど、大きな話題を呼んでいる安部氏が「子どもの食生活に迫る危機」について語る。
『食品の裏側』がベストセラーとなったことで、私は講演会や食育セミナーに招かれ、全国を飛び歩くこととなりました。そこで私は「家庭で今、なにが食べられているのか」、その実態をうかがい知ることになります。
『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん』にも書いたことですが、衝撃的だったのは、「手作りのおにぎりを初めて食べた5歳の子ども」でした。
『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
ある保育園の食育講座で、「おかか入りのおにぎり」を作ったときのことです。それを食べた5歳の子どもが「おにぎりってこんなにおいしいんだね」と言って感動しているのを、保育士さんが「よかったね」と言って抱きしめて泣いているのです。
その子は「手作りの温かいおにぎり」を5歳になって生まれて初めて食べたということでした。おにぎりとは「コンビニの冷たいおにぎり」であって、手作りのものを食べたことがなかったのかもしれません。
別の保育園では「味噌汁が『臭い』と言って飲めない子どもがいる」という話を聞きました。
給食に味噌汁を出すと「こんなものは飲んだことがない」「変なニオイがする」と言って飲めない子どもが、毎年必ず何人かはいるというのです。
子どもたちの食生活の実態がどうなっているのか、疑問に思った私は、機会があるたびに子どもたちに「今日は朝ごはんに何を食べてきた?」と聞くようにしました。
「ご飯とみそ汁と焼き魚」「トーストとハムエッグとサラダ」などという、いわゆる一般的な朝ご飯を食べている子どもももちろんいましたが、それはむしろ少数でした。
多かったのが「菓子パン」。それと「インスタントのポタージュスープ」という組み合わせも多くありました。
なかでも好まれているのはコーンポタージュで、「冷凍のタコ焼き」「ロールケーキ」というパターンもありました。
それから、これはあるお母さんから聞いたのですが、その家では朝ごはんに「(冷凍食品の)餃子」を食べると言っていました。
そのお母さんは、「餃子はお肉、野菜、小麦粉と、栄養バランスが一番いい。この(冷凍食品の餃子)1品で必要な栄養が摂れます」と胸を張っていました。それは確かにそうかもしれませんが……、私は返答に困ってしまいました。
これで驚いてはいけません。さらに驚いたのは「カップ麺の牛乳戻し」です。カップ麺をお湯で戻すのではなく、熱々に沸かした牛乳で戻して食べるのだそうです。
「なぜそんなことを?」と思いますよね。「お湯を使うよりも、牛乳のほうが栄養価が高いから」だそうです。
朝からカップ麺ではあまり体によくないから、牛乳を使うことで罪悪感を帳消しにするということでしょうか。とにかくそれが「5歳の子どもの朝食」だというのです。
返答に詰まるどころか、絶句してしまいました。「朝から冷凍餃子」の朝食が立派に思えたほどです。
「カップ麺の牛乳戻し」は極端な例としても、私が気になったのは、朝から「甘いもの」を食べる子どもがとにかく多いということです。
「朝はパンです」といっても、よく聞いてみると、食パンではなくて「菓子パン」なのです。「あんパン」や「メロンパン」「デニッシュ」といったものです。
親も朝は忙しいから、トーストを焼く時間も惜しい。菓子パンなら買っておいたものをそのまま食べさせられるから便利だということでしょう。
「食パン」という人もいましたが、「マーガリンと砂糖を混ぜたものを塗る」「チョコなどの甘いスプレッドを塗る」などのパターンが多いのが印象的でした。
それに呼応してかどうか、今は市販の食パンもビックリするほど「甘いもの」が多いと感じています。糖分をたっぷり入れていて、菓子パンと変わらないほどの甘さになっています。
折しも「高級食パンブーム」だそうです。店によっては行列ができるほどの人気だといい、メディアでもよく取り上げられています。
どの食パンも「しっとり、モチモチ」がウリだそうですが、あれは私などに言わせれば糖分と油の入れすぎで「じとっ」としているとしか思えません。
「何もつけずにそのまま食べてもおいしい」というけれど、あれだけ糖分と油が入っていれば、何もつけなくておいしいのは当たり前です。
いずれにしても、私が食品加工の現場に立っていた現役時代からは考えられないほどの糖分の使い方です。
それをみんな「おいしい」といって奪い合うように食べているのです。昔ながらのオーソドックスな食パンは、姿を消していく運命にあるのかもしれません。
日本人が糖分を摂りすぎていることについては「日本人の体を壊す『隠れ糖質』とりすぎの深刻盲点」に書いたように、かなり深刻な問題だと私は思っています。
ましてや、子どものうちから、糖分をたっぷり体に入れることがどんなにリスクが高いか。親御さん方には、ぜひ危機意識を持ってほしいと私は切に願います。
しかしこの話をすると、「うちは子どもの自主性を大事にしたいから」とおっしゃる方がいるのです。つまり、子どもの食べたがるもの、好きなものを与えることが、「子どもの自主性」を尊重することになるというのです。
たとえば子どもが野球をやりたいというなら野球をやらせてあげるとか、ピアノが習いたいというならピアノを習わせるというのは、確かに自主性を大事にするということでしょう。
でも、それと「好きなものだけを食べさせる」のは根本的に違う話です。「子どもの好きなものだけを食べさせる」のは、たんなる「好き嫌い」をさせているだけです。
「野菜を食べないと、栄養が足りなくなって元気が出ないよ」「魚を食べると頭が良くなるよ」などと教えるのが家庭教育ではないでしょうか。「子どもの舌を作る」のは親の教えなのです。
好きなものを好きなだけ食べさせる食生活を続けたら、子どもの味覚はおかしくなるに決まっています。
全国を回って、子どもたちの味覚がおかしくなっていることに危機感を覚えた私は、「令和の時代の和食のバイブル」を目指し『安部ごはん』を出版しました。
家庭で「手作りの和食」を増やすことが大事ですが、面倒で手間のかかる作り方では、誰しも忙しいので、作ってくれない。そこで「5つの魔法の調味料」を考案し、「これさえあれば、おいしい和食が簡単に、時短で、誰でも失敗せずに作れる」レシピを開発しました。
「子どもの舌」は発達途上です。今ならまだ取り戻せます。そのためにはやはり「和食」で、「天然のだしを使った和食」を食べさせることが一番だと私は思うからです。
「だしの素」をやめた家族に起きた変化
私の講演を聞きに来たことがきっかけで「だしの素」をやめたお母さんがいました。昆布とかつおぶしで、だしをとるようにしたのです。
「だしの素をやめたい」という人に対して私がいつもアドバイスするのは、「徐々に切り替える」ということです。
「だしの素」をいきなりやめると、必ずと言っていいほど家族から「おいしくない」「味が薄い」と文句が出ます。だから、最初は少しずつにして、徐々に切り替えることが大事です。そのお母さんもそのとおりに半年かけて「だしの素」をやめたのです。
ところが、半年後にそのお母さんの妹さんが来て「今日はおばちゃんがご飯を作ってあげるね」ということになったそうです。
妹さんは台所に残っていた「だしの素」を使ってみそ汁を作ったそうです。その味噌汁を飲んだ子どもたちは「いつもと違う」「後味がもわっとしておいしくない」と言い出したそうなのです。
わずか半年で、子どもの舌は「だしの素」ではなく、「天然のだし」をおいしいと思うようになっていたのです。
これはだしの話ですが、もちろん糖分、油分についても同じことです。「正しい味」を教えれば、必ず「子どもの舌」は取り戻すことができます。そうすれば自然と「甘すぎるもの」「油っこすぎるもの」「人工的なつくられた味」を遠ざけるようになります。
「頭」ではなく「体」と「舌」を変えることが「糖分や油分のとりすぎ」を減らす、確実な、そして大きな一歩になります。
二階が居住スペースになってる商店街のお店があると思うんだけど
昔ながらの商店街の店が入れ替わらなくてシャッター街になるのもそれが原因
ちょっと前に浅草で家賃一律値上げの報道があったけど、8年かけて16倍にあげて相場に戻すって話でまとまった。
理想は予算つけて人員確保して投資しろだが、現実はそんな上手くいかない。
Office365は提携しているが、VisualStudioなんてずっと専属で開発しているわけではないので購入許可なんて降りない。
会社としては人は居るが、1つのプロジェクトの人数なんて限られているし、専門はソフトではない。
VBAは簡単なGUIも作れつつ皆持っているので動く、遅いとか止まるとか色々問題があるが、良い選択肢がなかなかない。
画像処理もやるが、顕微鏡画像だったり、照明方法が特殊だったり、Webなどで話題になるのと違っていたりで昔ながらの方法以外に見つからない。
何人か親戚が来てくれたのだが、その一人に70代のおばあちゃんがいた。少し遠い親戚で、俺もあまり会ったことがなかった。
「おばあちゃん、お金ないから、こんなもの喜ぶか分からないけれど」
と言って出してきたのが、カセットテープ。
「これ、アンパンマンの歌が入ってるんだよ。アンパンマン、好きかしら」
とおばあちゃん。しかし息子はポカーンとしている。カセットテープというものを見たことがないので仕方ないだろう。
しかしそもそも、お年玉がカセットテープというのは初めてだ。俺もリアクションが取れない。
「これ、どうやって録音したんですか?」
俺がそう聞くと、
「テレビでやってるのを録音したの」
とのこと。つまり昔ながらの方法で、テレビに向かってカセットデッキを向け、アニメのオープニングをテープに録音したのだ。
なるほど・・・・なるほど?いや、気持ちは嬉しい。わざわざ息子のためにテレビの時間を見計らい、録音してきてくれたのはありがたい。
お金も本当にないのだろう、もともとお年玉をもらおうとなど思ってなかったし、その行為は本当にありがたい。
ただ息子としては、アンパンマンのオープニングのテープをもらっても喜びはしないだろう。まずCDで持っているし、それでよく家で聴いているのだから、いまさらカセットテープをもらってもどうしようもない。しかもテレビの録音だし、音もそんなに良くないだろう。そもそも家にはカセットデッキがないので再生もできない。
俺は息子に、
「これはカセットって言って、CDの前にあったものなんだよ。初めて見たね、良かったね、わざわざおばあちゃんが録音してくれたんだよ」
と言って、息子にありがとうを言わせた。これが最適解だろうか。ただ俺の気持ちとしては「ごめんなさい、こういう時、どんな顔すればいいか分からないの」状態だった。何が正解だったのだろう。
使ってる電話ってーのが別に事務所のはビジネスホンじゃないいわゆる家電話いわゆらなくてもなんだけど、
これ子機と親機で
なぜかなと思ったら
で、
そこでよ。
問題が発生するんだけど、
これそれぞれのデータを送りあったら上書きされちゃうのかな?問題。
無いデータだけ都合良く追加してくれるのかしら?
まあ試したらいいんだけど
いままで試す時間がなく
このまますごしていた感じよ。
はて?登録したのに名乗らないのはなぜ?って思っていたら、
親機には登録されていない子機だけのデータだと名前を言ってくれないみたいなのね。
たぶん恐らくそう言うことだと思うわ。
今の世の中自動的に何でも調整してくれると思ったんだけど
勝手に調整してくれないのは、
こう言ったなんか昔ながらのテクノロジーの電話なのかしら?って思ったわ。
まあよく分からないけど、
週明けは忙しいんだけど、
電話私苦手なのよね。
はぁ。
まあ弱音を吐いていても仕方ないので
そう言う時はもう出ないに限るわ。
って出なかったら出なかった出また掛かってくるので、
とりあえず
要件があったら、
メール出来てくれた方が助かるんだけど、
どうも困るのよね。
しかも今読んでメールそれ受信していたところだとなおのさらよね。
今見てたつーの!って言っちゃいそうだわ。
なんかもうちょっと電話まわりのテクノロジーがなにかこうもっと電話嫌いな人にも便利になってくれたらいいのになぁーって思うわ。
事務所ついてほっと一息まず入れたいじゃない。
ヒーコーは欠かせないわ。
グレープフルーツ1玉買ってきて
果汁搾って炭酸割りよ!
冷たいけど朝のシュワシュワいいわね。
炭酸も欠かせないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
DXやらデジタルツインが叫ばれるが、業務に関係するソフトって揃ってるだろうか。
テレワークとかコラボツールなんてのは多くあるが、CAEといった数値シミュレーションとなると全然足りてない。
プロジェクト管理にしても、アジャイルが盛り上がっているのはわかるが、やっぱりソフト開発フローを前提としていて、昔ながらのウォーターフロー方式しか合わない場合がある。
そうなるとプロジェクト管理用ソフトが古いものの方が機能が多いとか、最新のだと見た目は綺麗が機能が足りてないとかが起こる。
画像の処理についても、マクベス カラーチェッカーとの差分が大事で、色んなシチュエーションで撮影するのでカラーチェッカーが画像内の色んな所に置かれているので、
工場のラインだとLEDが赤だったり、光の当て方が違っていたり、偏光を使ったり、不良を出さないために色々やっていると思うが、
なかなか弾けない場合、画像処理アルゴリズムに頭を悩ますことになるが、その時の開発にソフトが足りてないと感じる。(ググっても出てこないし)
他にも時系列のデータを扱うときにピコ秒が対応してない、といったことが発生する。
結局、MSOfficeくらいでなんとかするとか、処理データは大きくなるのにGPUとの相性が悪く活用できないとか、
オープンソースはそもそもないとか、ソフトはあっても年々高くなるライセンス料についていけないとか、
色々あってソフトが足りないとなる。
片手間で開発するのにVisualStudioのライセンスがもらえるわけでもない。
正論は、だったらもっと金だせや、なんだが、数千円とかのレベルではないし、数百万出したからといって十分な物でもなかったりする。
神の与えた生を冒涜するなど、許されない。
いろいろ言い方はあるけど、言ってることは同じです。「道徳的に生きる方が正しい」。
なんでそういう道徳があるかというと、そうしなかった国や地域は滅びたからだよ。
「死が救済」とか言ってた宗教の連中は全員いなくなった。
だから道徳は絶対にお前の死を認めることはない。認めて欲しいとかいうだけ無駄。
こっちが本質なんだけど、これじゃお前は納得ないだろう。
お前がどんなに自分のことを無能だと感じ、またそのせいで苦しんでいると訴えても
労働力は必ず正の数で存在し、お前が生きて働いて消費いることは全体にとってプラスでしかない。
言いたいことすごくわかる。まったく同じで、実家にいたときは母親がすべて管理してた。
食事は毎日きちんと同じ時間、洗濯もこまめに、季節に合う服、金銭管理。
私は部屋の掃除も料理も自分からやらなかった。言われたからやっていただけ。
段ボールが届いたら開けなさい、郵便物はすぐ確かめて整理しなさい、
開けた封筒はいらないならゴミ箱にいれなさい、全部言われないとやってなかった。
つまり母が横からマルチタスクをすべて管理していた。よって実家ではなんとか回っていた。
若干浪費や生活リズムの崩れもあったけど、マルチタスクではなかったから。
マルチタスクができないし興味がないと猛烈な眠気で対面で説明聞いてるのに眠くなる。
大嫌いなこと(家事)をするのが非常にストレスで見る間に部屋はゴミだらけになった。
けども住処が寮だったので、室内点検が定期的にあった。
片付かない空箱やゴミ袋はクローゼットやトイレに押し込んでごまかした。
なので、そう、まさしく昔ながらの嫁、女房、そういうものが無性に羨ましいと感じる。
ごちゃごちゃの部屋もなにもかも管理してくれるママ。それは私もほしい。
けれど増田がかいているとおり、その人たちの人生を自分が浪費できるはずがないとも思う。
結果、なんとかむりくり金を稼いで金でなんとかしてもらうしかない(家政婦としてきてもらうしかない)
というところに行きつく。そういう意味では確かに「嫁」を娶れる男が羨ましくなる。
私の場合成人した男の顔そのものが好きではなく、若手俳優もジャニーズも顔が全く見分けられないので、
世話してくれる男と結婚すれば〜みたいなのも、まずもって男の顔が毎日目の前にあるのが嫌で躊躇う。
かと言って女の顔もそれほど好きなわけでなく、つまり結婚自体難しい。
なので、はやくアンドロイドが実現してほしい。顔は自分の好みになるし、金で買えるからだ。
お金以外の愛情とか、なんか、そういうことを家の中でまで気を使うのは嫌だと感じるし、