はてなキーワード: 声かけとは
最近、好きなCPでアンソロジーが発行されるって話が流れてきた。
マンガでの参加者は【そのCPにハマってたらTwitterで見たことない人はいないだろう】って人ばっかりだった。同CPフォローしてない人とか主催と相互じゃない人にもめちゃめちゃ声かけてたっぽかった。
対して小説の参加者はマンガの参加者の1/5。全員主催の相互フォロワー。
誰を呼ぶかとか主催が出す本だから好きにすればいいっていうのは前提だけど、マンガと参加者とのあまりの差になんだか気持ち悪くなってしまった。
駅で降りようとしたら「スカートに血が」そっと教えて服まで買ってくれた女性に、女の子から3カ月越しのお礼(まいどなニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0ef6594f6369318617f44e301e268c76f179bad
同性同士の対応だったから美談になっているけど、そうじゃなかったらヘンタイ・痴漢騒ぎでしょ?と思う、当方アラフィフのオジサンです。
女性に対するAED使用の議論をふまえると、通勤途中でソウイッタ女性を見かけてもアラフィフのオジサンにソウイッタ事は指摘されたくないだろうし、間違ってもコチラからソウイッタ声かけは(少なくても自分は)しない。
3歳の息子を昨日、公園に連れて行った。
いつも行く近所の公園ではなく、
歩いて15分ほどの方に行くことにした。
「あそぼーーー!」と大きな声をあげた。
声が大きすぎた。一人で滑り台で遊んでいた
少年が「いーいーよー!」と言いながら
こっちに向かって走って来る。自分への
呼びかけだと勘違いしたのだ。
小学2〜3年生くらいだろうか。どうしよう、
彼はとにかく良い子であった。
ブランコでも滑り台でも先に息子に遊ばせ、
息子が上手にできない時は自分がやって手本を見せ、
遊んでいる中で息子が電車が好きだと分かるや、
最終的にはぐるぐると追いかけっこするだけの
遊びとすら言えない行為に延々付き合ってくれた。
腰掛けて、ずっと二人を眺めていた。
しばらく追いかけっこをすると
よほど楽しかったのか、余韻を楽しむように
まだ一人でぐるぐると走っている。
君はいくつなの?と聞くと
7歳。でも、来月に8歳だと言う。
読みはだいたい当たっていた。
本当はこっちから声をかけようと思ったんだけど
嬉しかったと話してくれた。いや、それは
ずっとコロナだね、と聞いてみると
あるんだと。それは大変だねと返事して
なかなか二の句を告げられずにいると、
喉乾いたから水飲もうと言って
ねえ、君も水を飲みなよ、と彼は息子を
水飲み場に呼んでいる。
走る彼の背中を見ながら、
ああ、随分と長い間彼のような子たちに、
胸が傷んだ。そうして我々が手にした物は、
小学生のみならず
無為に過ごさせてまで
そんなふうに自問してしまう。
あと2か月もすれば春になる。
これまでどおりの生活ができるように
してほしい。めいっぱい
しゃべって、遊んで、楽しんで
日々を過ごしてほしい。そんなことを思いながら、
夢中で遊び続ける二人を見ていた。
お昼ご飯も食べぬまま1時をまわり、さすがに
もう一度バイバイしてくると言って
息子は少年のところに駆け戻り、随分と長い間
バイバイしていた。ようやく戻ってきて
二人で歩き始めると、振り返る度に少年は
手を振っている。曲道で僕達が見えなくなるまで
彼は手を振り続けていた。
自分たち夫婦はとある自営業を継ぐべく、現在の経営主夫婦のもとで従業員として働いている。
小さい会社なので社員はこの4人で全員なのだが、経営主の妻からすさまじく嫌われている。
私のステータス(出身地や学歴)と性格、働きっぷり…とにかくすべてが気に入らないらしい。
挨拶や軽い声かけ(これここに置いときますねー、業者さんいらしてます、など)はことごとく無視されるし、最近は存在も無視される(目の前でドアを閉められる、作業しているところへ入ってきて同じ作業を始める、など)。
私が思い通りに動かないのがムカつくらしく、「〇〇するんじゃないんだ」「××しようって考えはなかったわけ?」と後出しで言ってくる。
あとめっちゃ多いのが「△△してほしくてずっとこうしてるんだけど!?」って突然言ってくるパターン。最初に言ってくれればお互いストレスのかかる時間短くて済むのに…
もちろん先方の思いや思惑を汲んでスマートな立ち回りをしたいが、指示ゼロの状態で理想通りに動くのは無理ゲーだ。
そして自分の思い通りになっていないことはすべて私のせいになる。経営主が「それ俺がやったんだ」と言っても、私に向かって「こんなことしてもあwせdrftgyふじこpl」とディスってくる。
経営主夫婦は仲が良くないので、経営主と私が普通に会話してることもイラつきのタネらしい。「アンタのせいで私と父ちゃんの関係は修復不可能になった」って言われたw
基本的に無視され、たまにある返事は棘のある言葉、自営業を継ぐこと自体への反対、出身や学歴を揶揄する言葉、これらを浴びてかなりしんどい。
私が発する言葉はすべて歪んでキャッチされてしまうのでうかつに発言することもできない(ex. 休みをずらしたのは(奥さんに予定があったこととは)関係ないですよ⇒奥さんのことは私には関係ないって言った、アンタ私のことはどうでもいいんだね)。
亡者のような目でずっと私の動向を見てブツブツ文句を言い、手伝おうとしてもすべて断られるので、最近は身動きが取れない。できそうなことを、と思って掃除や片付けをしようとしても「ダメ!」と言われる。
職場へ行ってもやれることが少なく、むき出しの敵意を浴び続けてつらい。休みの日もお昼くらいから「明日から出勤か…」と思って憂鬱。
まだ身体に目立った影響はないけど、趣味の手芸や読書をしていてもあのジトッとした目が離れなくて憂鬱だし、すべてにおいてやる気がでない。特に性欲はゼロになった。
後継ぎになるために必要な試練とも思うし、私がうまくできていないところも多いと思うけど、ここまでされる必要があるのか?
もし敵意をうまく受け流す方法、考え方があれば教えてほしい。
A夫さんとの面談の日はすぐやってきた。先日と同じ面談室だった。
こちらは予定どおりの布陣で、A夫さん側は2人。今回は上司と一緒だった。「一緒に来てほしい」と上司に頼んだという。
あの時と同じく、だらしない恰好だったが、上司の指導によるものか、前回よりは綺麗だった。ネクタイはまっすぐで、謎のシミもない。
「A夫さんですね。今年から人事~~として採用されました××と申します。前回、あの端にあるソファに座っていた者です……いきなりで申し訳ありません。A夫さん、今日はどうして呼ばれたかわかりますか?」
「そうです」
※方言を標準語に直したうえで、特定のおそれのある箇所を編集している。以下、職員の会話はすべて同じ処置を行う。
会話のクッションを何度か挟んだ後、私はついに言った。
以下、主要なやり取りを抜粋する。
「単刀直入ですが、A夫さんには退職の道を選んでいただきたいと考えています」
「……ん?」
「いや、いや、それできないでしょう!」
「市としての決定です」
「労働組合は?」
「組合は関係ありません。組合に入っていようがいまいが、処分内容が変わることはありません。今回、あなたは万引き、窃盗という罪を犯しました。それだけでなく、過去に社会人としてよろしくない行為、仲間から尊敬されえない行為を繰り返している。改善の見込みもない」
私は、A4用紙にプリントされた罪状を読み上げていった。その数は20件以上にもなる。
どうしてこんなものがあるかといえば、人事課のデータベースに、職員のさまざまな問題行為が毎年追加されているからだ。三十年以上前の忌避行為であっても筒抜けというわけだ。
A夫さんは硬直していた。最初よりもはるかに緊張感に満ちている。睨むようにこちらを見つめながら、両手の指を組んでさするような手つきだった。
彼の上司は、何も言わずに片目でガラス卓の鏡面を見ていた。部下を庇う様子はない。
「なんとかなりませんか」
「なりません。しかし、総務部長とも話し合った結果、A夫さんが自ら退職願を出すのであれば、懲戒免職にはしません。通常どおりの退職となり、退職手当も満額出ます。これまで40年近くもK市のために働いてこられたんですから、この程度の寛大な措置(※諭旨免職)はあってしかるべきかと。そのうえ、今回は早期退職制度の利用を認めるので、割増退職金もつきます」
「わかりました。では、こちらがA夫さんが今回の処分に不服である場合の申し出のやり方を書いた資料になります。受け取ってください。それで、A夫さんがどうしても納得いかなければ」
「……はい」
「K市は妥協しないので、後は裁判しかありません。判決でA夫さんの主張が認められた場合は、K市に残ることになりますが、今の部署は相応しくないと判断されるため、異動を覚悟してください。今のところは、〇〇課か〇〇センター(※一般的な公務員にとって辛い労働をする部署。不要と判断した職員を、サイコパスと思しき管理監督者の元で働かせる。その管理監督者というのも、K市にとって不要な人材と判断されたため、同じく問題職員を監視するポストに就いている。いわゆる蟲毒)を予定しています」
「A夫さん。あなたは罪を犯しました。信用失墜行為です。全体の奉仕者としてふさわしくありません。繰り返しますが、本来の処分は懲戒免職です。しかし、法をそのまま適用すべきでない場面だとも判断されることから、これまでのA夫さんの功績を考慮して依願退職を認めるものです」
A夫さんは、不服申し立てに関する資料を受け取ると、そそくさと出て行った。彼の上司がその後に続く。
それからの1か月は、あっけないほど順調に進んだ。
まず、労働組合の執行委員長や書記長ほか数名が怒鳴り込んできた。彼らのスタンスはわかっている。怒鳴り声に2、3分も耐えていると、あちらも私達が本気であることがわかったのか、冷静になった。
「組合としては、A夫さんは必要な職員だというご認識ですか?」
「組合員としてA夫は仲間だと思っている」
「知ってのとおり、A夫さんは信用失墜行為を犯しています。K市としては、彼のような職員はいりません。A夫さんが、自らの意思で早期退職を選ぶのであれば問題ないですね」
「当局がA夫を脅迫しているなら話は別である。もしそうなら、仲間として守らせてもらう」
「そうでないならいいんですね?」
「当局は~」(以下略。何かあっても組合に責任はないことの確認をしていた)
さて、労働組合の本質は政治運動にある。K市の組合もそうだった。加入者の毎月の給料から約3パーセントを徴収し、その何割かを左派政党に納める。そして、プッシュした議員に労働者寄りの政策を実現してもらうのだ。
職員労働組合――職員同士の互助会であり、組合員を不当な権力から守るという本来的な意味での組合活動は、それに比べると優先順位が低い。口には出さないが、彼らはそう思っている節がある。この事件の後で、団体交渉を何度も経験した私はそう直感した。
A夫さんは、別に組合にいてもいなくてもいい。組合費が入らなくなるのは惜しいが、当局(※労働組合は経営者側をそう呼ぶ)に対して、「A夫さんをなんとかしてほしい」と交渉するまでの価値はない。とはいえ、組合員のために戦った、働いたという実績はほしいので、こうして形だけの食い下がりを続け、ほどよいところで悔しそうに退散する。それが私が見た、一市町村の労働組合の姿だ。
これ以降、私は計15人の問題職員に退職勧告を行い、そのうち13人が実際に退職した(残り1人はK市を訴えた。もう1人は更生の余地が認められたので勧告を撤回)のだが、労働組合が最後まで食い下がって助けた職員の数はゼロだ。本気で当局(私たち)を動かそうと行動に出た回数もゼロ。こうして辞めたうちの1人は、組合の元役職持ちだった。
彼らは、口酸っぱく、「当局、当局!」と騒ぎ立てるだけだ。本気で争うつもりなどない。ただ組合員に、「当局は許しがたい行いをしている」と知らせるにすぎない。
交渉のテーブルの上で、彼らはよく主張していた。「仲間をクビにするとはどういうことか」「同じ職員として恥ずかしいと思わないのか」「〇〇さんは十分市に貢献してきたはずである」と。しかし、同じ交渉の最中に、「職員組合としては、免職処分の取り消しと引き換えに、このようなことできる~」などといったバーターの提示や、「取り消さないなら現業ストライキを行うことを辞さないが~」(※公務員は労働三権の一部しか認められないが、現業職員に限ってはもう少し広く(+団体交渉権と協約締結権)認められている。なお、現業職員であってもストライキは認められないが、一部の地方自治体では事実上のストが行われることがあるという)といった、交渉者としての態度が出てくることはなかった。
彼らは、組合の利益が薄いと見るやいなや、交渉と見せかけた陳情だったり、見かけ倒しの規範論を繰り返すばかりだった。これは、まったく個人的な感情になるが――それにしても気持ちの悪い連中だった。偽善と嘘ばかりを繰り返している。ああいう男らしくない連中には虫唾が走る。
結局、A夫さんは、年度末での退職を選んだ。
何のことはない。あと数年で定年退職だったので、裁判で争うよりも、あと1年未満でいいので今の職場でゆっくりやりたいと考えたのだろう。正しい判断だと思う。
勝てるかどうかもわからない裁判を抱えて、勝ったとしても地獄のような部署で働くことになるよりは、早期退職を選んだ方が本人にとっていい。
今回の結果を受けて、副市長が激怒した。私は電話で副市長室に呼び出され、ほかの総務人事関係の幹部職員と一緒に説教を受けた。
上述のとおり、市長から退職勧告を行うことについての了解は取っていた。以後、A夫さんが退職を決めた後で正式に市長の了解を取り、文書での稟議を回していた最中の出来事だ。意思決定者の合意が先で、文書での伺いは最後。民間企業でも一般的なやり方である。
誤算の一つは、市長や他の幹部が副市長に一声かけていなかったこと、もう一つは副市長が同意しなかったことだ。主には、私がK市での仕事に慣れていなかったせいである。
・なぜ早まったことをしたのか?
・身分保障という慣行を破ってはならない。先人が決めて守ってきた大事なルールである。
といった意見をぶつけられた。副市長とA夫さんが同じ年に入庁した同期という事情もあっただろう。ちなみに人事課長も同期だ。
ほかの幹部は、申し訳なさそうにしていた。私は堂々たる姿勢で、「K市にとって不要な職員だと判断しました。罪を犯したのに反省の色もなく、最初の面談ではヘラヘラと笑っていました……切るべきかと。市長もやってみろ、と言っていました」と答えた。
これらの台詞は、当時のメモを見返しながら書いている。そこまで間違ったものではないはずだ。私は確かに、副市長に対して上記のような返答をしている。
こういう時に大事なのが『自信』だ。自らの想い、行動への信仰と言い換えてもいい――下の人間に好き放題やられた副市長からすると、自信なさげだと「悪意でやった」と思われかねない。越権行為であるからこそ、組織にとって正しいことをしたのだとアピールする必要があった。
「目的はわからなくはない。理解はする。だが、こういったことをする場合は、私に事前協議するように。私を飛ばして市長のところに行くな。今後相談しなかった場合は、決裁の判を押すつもりはない」
それが副市長のメッセージだった。その後、幾人もの問題職員が諭旨免職によりK市を辞めることになった。副市長のところには事前協議に行ったが、判を押してくれたのは2人分だけ、A夫など比較にならないほどの悪に限って決裁の判を押してくれた。
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
これは、私が要約した副市長の主張だ。
一応言っておくが、副市長の考えは正しい。ただ、私や市長の考えと合わなかっただけだ。公務員の身分保障は、行政行為を円滑に回すための全世界共通ルールである。実際、公務員に身分保障がなければ、社会制度をまともに維持できないことには私も同意する。
例えば、税務系部署にいる職員は、自らの裁量で税務情報システムにログインし、市民の課税情報を書き換えることができる。K市くらいの住民規模だと、上司もいちいち課税情報の変更をチェックできない。彼ら彼女らは、やろうと思えば不正ができる。
もし彼らの身分が保障されていない(生活できないレベルの給与水準、簡単にクビを切られる環境、権力者に脅迫されても守ってくれる存在がいない)場合、何が起こるのかを想像していただければ、副市長の言うことに理があり、私があくまで慣習への一挑戦者にすぎないことを理解いただけると思う。
と思って広げようと思ってシェアーハウスに計7年くらい住んでたけど、
自宅だとリラックスしてなんーも外行きの精神になれなくて、住民と絡んだことがほぼ無かったなー。
厄介住人が増えて嫌気がさしたことと、掃除当番マトモにしないヤツばかりでクソ汚いのを尻ぬぐい掃除する馬鹿馬鹿しさと、管理会社が全く家のメンテをしないのと、コロナ感染拡大の割と大きな要因が家庭内感染ってリスクもあり、引っ越して久しぶりの一人暮らしで解放感ある。
衛生レベルが一致する者同士じゃないと同居するのは難しいわねー。じゃないとキレイ好きなほうが尻ぬぐい掃除することになる。
なんかー 喋る意思のある住人が、ややウェイ系入った人しかいなかったり趣味合わなそうだった。
趣味合いそうな人は喋る意思が無くてハードルが高かったし。前のシェアハウスのほうがオタク寄りな人間ばかりだったのでまだマシだったかも。やっぱ陰キャコミュ障オタクがシェアハウスするなら似たオタク同士のほうがまだマシだわ。まあそれでもなお交流できるかは怪しいけど。
ていうか、リビングでだらだらヒマそうにしてる人を見かける機会があんま無かった。そういうときじゃないと声かけられないじゃん。雑談の。しかもリビング占有してるのが例の厄介住人だった。いつも。無理。
普通のリア充の人って、生身の人間と絡むモチベーションってどうやって捻出してるの?
やっぱ自分って人間への興味が薄くて、モノとか現象とか物語とか、動植物とか、人間以外のほうが興味が強いんで、そっちのほうやってたほうが結果的に交流増えそうな気はする。
昔ならもっとこう、「近所」とか「地縁」とかの概念があり、双方の交流のモチベーションがあって会話が発生してたのかも知れないけど。なんか現代ってさ理由が無いと会話が発生しなくない?なんか正当な理由なしに話しかけるのがアウトみたいな風潮あるよね。世知辛いねぇ。あいさつ・声掛け運動をすると「事案が発生」して警官に声かけされる時代だ。ポポポポーンwwww
大阪のほう行けばいいの?
欧州に住んで数年、欧州が日本よりも遅れていると感じさせられることは頻繁にあれど進んでいると思ったことはほぼないし、Veganや環境保護とかはイマイチ共感できなかった。けれど、なぜか多様性云々に関してはすごく魅力的というか「正しい事」のように聞こえた。まあ自分も小学生の頃から見た目のことで色々言われたりとかあったからかもしれない。元々政治的信条なんてなかったけれど、所謂リベラル的な思想になっていたと思う
ある日、ぶらっとエジプトへ行った。小学生の頃に家族で韓国に行ったことはあったけれどあまり覚えてないので発展途上国を体験するのは実質初めてだった。(エジプトは北アフリカだしあれでもかなりマシなはずなんだよなと思うと色々と考えさせられる)二日目あたりで「みんな平等✨」みたいな考えは消え失せていた。そもそもまず歩いているだけでこっちが差別される国で「平等✨」も何もあったものではない。
通りすがりの現地人からいきなり写真撮られたりとか、しつこい声かけとか(日本人の想像と理解の範疇を超えたしつこさなので、日本人が想像できる「しつこさ最大値」の7倍しつこいと思って欲しい。それでも足りないくらいしつこい。この世界は実は作り物で、バグったNPCだらけのところに来てしまったのではないかとすら思った。)、挙句に襲われかけたりとか、ああ……もう何も考えたくなかった。
舗装されていない道をトボトボ歩いていると、なんだかよく分からない臓物だか羊の頭部だかを焼いている店のおじさんが棒で幼稚園児くらいの子どもを叩いていた。「こんな人たちだらけの国に私は住めないなぁ」という考えが真っ白な脳の中にポツンと浮かんでいた。「そんなことを思っちゃダメだ」とも一応思ったけれど、エジプト人の圧倒的なしつこさパワーの前に、西欧によるリベラル洗脳はすごく無力だった。(でもこいつらをこの前まで支配してたってヨーロピアンってやっぱ桁外れの野蛮なんだなとか謎の納得もしていた)
正直に書くと、現地の人が本当に気持ち悪かった。
エジプトに住んでいる日本人とか、カイロ大を主席で卒業した日本人とかいるらしいけれど、シンプルにすごいなと思う。もしも日本でエジプト人と知り合ったとしても、その人が生まれ育ち日本でもない限り私はその人を絶対に信用しないだろうなと思う。エジプト人全員が詐欺師じゃないとか、旅行者にだけああなのだとか、もちろんいくらでも反論は思いつくけれど、それでも無理。自分は差別主義者だった。狭い世界しか知らなかったから綺麗事の咲くお花畑でうっとりしていられただけだったのだと気付いて悲しかった。しかもたった数日エジプト旅行するだけで気付ける簡単なことすら気付けない自分のアホさ加減にもうんざりした。
10日目、空港で帰りの飛行機を待っているときの安心感。エジプト旅行の一番楽しかった瞬間は帰りの飛行機が在住国に降り立ったときであった。
結局多様性多様性言ってる人は無知か偽善者かどちらかなんだと思った。もしかしたらそれ以外の何か(共産主義者とか?安い労働力が欲しい・かつ彼らが住んでいる地区には間違っても移民が来ないような大企業のお偉いさんとか?)があるかもしれないけれど、自分にはよく分からない。日本の多様性を増やすべきだと日本で叫んでいる日本人はエジプトかどこか(どこでもいいが)に勝手に移住してそこの多様性増加に貢献したらいいと思う。
たまたまエジプトは分かりやすかっただけで、現実、他の国であっても日本とエジプトとの差と同じくらい日本とは違うんだろうなと思う。後、エジプトのことは今もすごく嫌いだし二度と行かないけれど、それはそれとして彼らが日本より劣っているとは思ってない(むしろ向こうからは思われてそうではあるが‥異教徒だし)ただ、違うというだけのこと。
マッチングアプリを使っているのに純愛や運命的なものを信じている人間ってなんなんだ?夢みる乙女か?前にアプリ経由で付き合った人がそうだった。
童貞なのは仕方がないにしても、一般的な大学生なら経験している程度の、友人の男女関係が乱れているといったエピソードを話すと一々ドン引きしていた。性的な関係に対して異常に潔癖なようだった。そんなんでマッチングアプリなんてやってよく無事だったな(女にもかなりヤリモクはいるだろうに)。
コロナになってからさらに増えた気がする。真面目な出会いがしたいならアプリなんてしてないで近場のサークルとかで声かけろよ。サークルは乱れてて怖いって、アプリはそれ以上がゴロゴロいるに決まってるだろ。想像力なさすぎ。
おめでとう
俺も似たような経験があるからなんか他人事な気がしなかったわ。
蹲って青い顔してた若い女性に声かけて、病院まで手配して、タクシー乗せてって事がある。しかもその後に再開した所も同じ。
ただ違うのは再開した時にこっちから声かけた。その時向こうはありがとうございましたとは言ってくれたけど、金も返してくれなかったし、なんかすごい気まずそうにしてたわ。
こっちも気まずいから適当にお元気なら良かったですとか言って立ち去ったけど。
この差は何なんだろうな。なんか俺悪いことしたのかな。俺は普通に人助けしたと思ってるんだけどな。
下心がすけてたのかな。もうちょっと感謝されたかっただけなんだけどな。職場や親から感謝されることなんてないから普通に人助けした時くらいちょっと感謝されてもいいと思ってるんだけどそれが透けてキモかったのかな。「やらない善よりやる偽善」と思ってちょっと勇気出したけど、それで相手が不快になるなら俺みたいなのは人助けなんてしようとしない方が良いんだろうな。
女性には「話しかけられることなく一人で飲める店」の需要があるのかも、っつう話をみて、「なんで一人で飲みたいんだ?外で?」と思った
俺はそもそも飲みたくない
人とも飲みたくないし、一人でも飲みたくない
外でも飲みたくないし、家でも飲みたくない
外で一人で飲んでるときに突然口説かれたら嫌だろうけど、そもそも店に行く時点で大概嫌だ
なんでわざわざ外で高い金出して酒飲まねえといけねえわけ?
家でモナンのシロップでも買って、テキトーにカクテル作りの真似事でもしたほうがよくねえか?いや、俺はそれも別にしたくないが……
で、当然、「一人で飲んでる女性は声かけられるのを待ってる」みたいな価値観も理解できん
んなわけねえだろ
シンプルにそんなわけないんだよな
なんの話聞いてもそうなんだよな
俺はなんなんだ
つらい。
数年前から、時々お尻を拭くと少し血がつくので気になっていた。
でも痛みはないから放っておいたんだ。
触ってみると、なんかイボみたいなのができていた。
ああ、おれもとうとういぼ痔か。
仕方ないので病院に行くことにした。
病院ではすでに10人以上待っていた。
人気のある病院らしい。
待っている間、エッセイコミック「私のお尻のメッセー痔」(著者:ヴェルヘルムⅢ世)を読んでいた。
https://prtimes.jp/main/html/rd/amp/p/000001664.000011710.html
「◯◯さんどうぞ」
呼ばれた。名前で呼ばれて少し恥ずかしい。まあここにいるみんな痔だから、今更なのだろうが。
中に入る。ベッドに横になり、おしりをめくる。
暖かい。なんとベッドにホットカーペットが敷いてあった。なんて心遣いだ。
「中にカメラを入れるのですこし苦しいかもしれませんが、すみませんね」
先生は言った。
「まずこの外にあるしこりですが・・・これは血栓性外痔核といって、血豆です」
血豆!そういうものもあるのか。
「これは放っておけばなくなります。ですが、中に痔、つまり内痔核があります。
全くそんなつもりはなかったので動揺する。
待合には10人以上待ってるのに、この説明だけで5分以上してくれた。
それでおれは完全に信用してして、注射を打つことになった。
どうやら肛門の内側にある内痔核は、痛みを感じないため注射を打っても痛くないらしい。
苦しい!
うめき声をあげる。恥ずかしい。
約3mlの薬を3箇所打ってるのだから、不快感はあるのはしかたないのか。
「終わりました!ではまた1週間以内にもう一度来て、追加の注射を打ってくださいね」
もう一回あるのか。これが。
この不快感、たとえるなら、下痢で出したいのに、出し切ってしまってどうにもできない時の不快感に似ている。
やばい。苦しい。もうこれ以上打ちたくない。
3時間たった今、ようやくマシになってきた。
俺が打ったのはパオスクレーという薬で、アーモンド油に薬が入ったもの。他にもジオンという注射もあるらしい。
調べると、パオスクレーは効果が切れると再発することも多いらしい。