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はてなキーワード: 入院とは

2021-06-23

助けてください。メンヘラモテます

洒落にならないレベルメンヘラモテます。見抜けません。

深夜の電話自殺の仄めかし、リスカ跡の写真OD報告などを受けます

可哀想から自分で力になれるならと思って色々するのですが、友人曰くどうやらそれがダメらしいです。

でもあまりに見てて辛いので話を聞くだけでも、とは思うのですがだんだん様子がおかしくなっていくばかりで

自分ではもうどうしようもなくなってしまいました。

この間もOD入院し、お見舞いに行ったら殺してくれと泣きつかれました。

精神科の付き添いなども行ったりしますが、一向に良くなる様子がありません。

どうすればいいのでしょうか。どうしようもないのでしょうか。

anond:20210623160159

50歳と14歳の恋愛とか消費税5ぱーひっこめとか本気で香月があると思えない

政治家が優先的コロナ入院できたとき文句を言う野党アカすらいなかったか根本的に上級仲間でプロレスなんだろうな

2021-06-22

anond:20210622132015

風邪派は風邪派でバカだと思うんだけどそういうところに乗り込んで「風邪なんだったらコロナにかかっても病院行くなよ」とか言ってる奴がめちゃくちゃいて頭を抱える。

風邪でも病院には行くし、重篤化したら入院もするだろ。

親父がウイルス性肺炎になった

病院嫌いの人で、少し前から咳をして熱も出てたみたいなんだけど「大丈夫大丈夫」と病院に行かなかった。

かなりの田舎から周りにコロナの人も居なくて、楽観視してたんだよね。

心配性の母の懇願でやっと病院にいって「肺炎になってますね、2週間くらい入院しましょう」って言われて、親父も歳なんだな、何て思ってた。

抗生物質でよくなるはずだったんだよ。

でも、週明けたら酸素濃度がめちゃくちゃに下がって自発呼吸はできなくなって麻酔打って人工呼吸器。

地方ちょっとかい病院じゃ対処できなくなって救急車医大ICUに運ばれた。

びっくりだよ。

うそだろ?

孫も産まれておじいちゃんになったっていってもまだ60代だぜ?

人形みたいな顔色で救急車に乗せられてさ。

薬が効いててなんの反応も示さねえの。

コロナ持ってて殺しちゃ悪いからな、なんて悪い冗談いって正月も帰らなかった。

あんなこと言わなければって、俺から病院行けって言えばって、後悔しか浮かんでこないんだよ。

親父がICUに入って医大先生の「全力を尽くします」を信じて待って。

いやー、しぶといね、うちの親父は。

5日たったところで病状は安定してきてICUは出てさ、なんとか意識も取り戻して、いまは一般病棟で良い方向に向かってるよ。

脳梗塞にもなった後遺症麻痺が残ってリハビリ次第だけど脚を引きずるようにはなるかもしれないらしいけど、でも、一緒に話せて一緒に飯を食えるようになるみたいだ。

人ってさ簡単死ぬんだなってつくづく思ったよ。

あと、コロナもだけどさ、医者看護師病院ってすげえありがたいよ。

一回もらった命だから、次はポックリだななんてまだ軽口は言ってしまうけど、出来るだけ長生きして欲しいわ。

ヤフコメヤバすぎ事件簿1

立花退院して「やっぱコロナ風邪だわ。でも風邪も怖いよね」って話してたニュースヤフコメ欄で「たか風邪入院したんなら保険使わず医療費全額負担しろ」みたいなコメントが圧倒的にいいね集めてたのヤバすぎてクソ笑った。

いつから日本風邪保険適応外になったんだよ。

ブコメも大概クソだけどヤフコメのクソっぷりは正直人知を逸してると思う。

2021-06-21

妻を精神病院入院させたい

うつ病がかなり酷く、日常生活が相当困難なほど情緒の乱れが激しい。

俺はもう入院しかないなという気持ちだが、妻は入院なんて絶対に嫌だと言って平行線だ。俺もも病気の妻を介護身体ケアではなくメンタルケア)しながら暮らすのは正直限界に来ている。あと何より妻の病気も、医療的な環境に置かれたほうが良いと思っている。日常些細なことが刺激になって鬱の発作みたいなのが起こってるレベル主治医も賛成してくれている。妻には言ってないけど。

もし強制的入院させるとなると、夫婦間の断絶、信頼を失うことは避けられないだろう。退院してきたら即離婚かもなあ。失いたくない。でも限界ぽよ……

入院してた夫がさっき無言で帰宅……

退院するなら言ってくれないとご飯用意してない

育休から復職したら夫が単身赴任になった

去年の3月末に第一子を出産首都圏住み故に立ち合いも面会もできず、孤独入院生活を終え、遠方から来るはずの母の助けもなく新生児期を乗り切り、ひたすら散歩以外は引きこもった育休が、親にも祖父母にも子供を会わせてあげられないままこの4月に終わってしまった。と、思ったら今度は夫が5月から単身赴任になった。国内だが頻繁に帰ってこれる距離ではない。

家族3人で公園に行くのが唯一の楽しみだったのに。悲しい。

しかし、悲しむ間も無く生活をまわしていかなければいけない。コロナのせいで遠方の実家は頼れないし、シッター系も頼りづらい。しかも頼れる物(ルンバ乾燥機など)にはすでに頼っている。買い物と料理の手間を減らすために生協幼児食のサブスク登録した。それでもちょっとした時に夫の手がないと困る。

例えばお腹が痛くてトイレに籠る時だとか、大きい荷物宅配ボックスに入っている時だとか(幼児連れで運べないし、幼児を部屋に1人にしておくわけにもいかない)。疲れた時に5分だけでも子供のことを見てくれたら、その時間は神経を休めることができる。これが正気回復にはとても効く。

完全ワンオペは正直きっつい。

神経が休まらないし、なんでこんな状況になったのかという怒りがとてつもない。休日公園に行けばお父さんと子供連れがたくさん。なのに夫はおらず、二人で遊び、買い物に行ったらお腹が減ったと愚図る子を宥めながら帰宅。夫がいれば買い物の間、子を任せられたのに。荷物は重いし、子は泣くし、この状況に陥らせた夫の会社が心底憎くなってしまった。怒りで動悸が止まらないし、歯軋りもひどい。血圧もはかったら高くなっていると思う。

私の会社理解があるのが余計に心苦しい。時差かつ時短勤務にしてもらったし、リモート勤務も増やしてもらった。上司(成人済の2人の子供の母)は、「子育て中はどうしても迷惑かけるの!しょうがないの。でも、そうやって子供社会で育ててこなかったから、少子化になって人口が減るから売り上げも減るし、年金保険料だって上がっていく一方なの!」と言ってくれている。

問題なのは夫の会社で、意思決定権を持つ層がみんな子育て配偶者に任せてきた人たちなので、この大変さが伝わらない。

結局、割りを食うのは私たち家族と、そして私の勤務先なのだ。弊社の子育てへの理解フリーライドしてんじゃねーよ。

あと状況的にも年齢的にも第二子は諦めました。コロナ実家に頼れないのに夫もいない中、妊娠中の体で仕事して幼児相手するの、不可能

2021-06-20

精神分裂病における妄想主題時代的変遷について

精神経学雑誌1978年12月号に、松沢病院藤森英之先生が書いた「精神分裂病における妄想主題時代的変遷について」という論文が載っている。この論文明治大正昭和のそれぞれの時代に、松沢病院とその前身である巣鴨病院入院した2435人の分裂病患者カルテを調べ、妄想主題について調べたという労作。

 この論文によれば、「電波」の妄想明治大正には存在せず、出現したのは昭和初期のこと。「電波」のかわりに明治大正期に多かった表現は「電気」。まあ、明治期にはこういう系統妄想よりも「狐憑き」みたいな憑依妄想が多かったのだけれど。時代が下るにつれて、妄想の内容もどんどん多様化していって、昭和36-40年には、「テレビ」「光線」「X線」「電子頭脳」「超音波」「空中放電」などが登場しているとのこと。テクノロジー進歩露骨に反映してるわけだ。

ってことは、「イリジウムから自分命令する声が降りそそいでくる」とか「インターネット世界中自分の考えが知られる」いう妄想もそのうち出てきそうだなあ。楽しみ楽しみ(不謹慎である)。

サイコドクターあばれ旅 読冊日記98年12月中旬

http://psychodoc.eek.jp/abare/diary9812b.html#19

で、今は5Gとワクチンに至ると。

中身は見れないけど、出典。

藤森 英之, 1978, 精神分裂病における妄想主題時代的変遷について, 精神経学雑誌, 80(12), p669-703, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3358905

ついでに。なんか反ワクチンとかコロナ風邪を主張する集団って、ヒョロガリさんが多いよね。

体重個人差と関係する遺伝子多型と、他の疾患と関係する遺伝子多型が共通するかどうかを検討する研究も進み、精神疾患においては、統合失調症と低い体格指数(BMI:Body Mass Index)値が相関するという知見が報告されています

研究では、日本人データ白人データを用い、BMI精神疾患の遺伝相関性を再解析・統合的に検討し、統合失調症と低いBMI値(生まれ持ったやせ傾向)の遺伝要因が相関することを確認しました。

藤田保健衛生大学 精神疾患と体型. 〜遺伝学的には、生まれ持ったやせ傾向と統合失調症は相関する~

http://www.fujita-hu.ac.jp/~branding/media/2018052-093025-972.pdf

貧乏人向けの機内食って不味いの?

海外は一度遊びに行っただけで、往復の飛行機エコノミークラス

そんで行きも帰りも機内食(片方昼食、もう片方は夕食)が出たんだけど、これが不味いのなんの。

ワインで流し込まないと食えたもんじゃいくらい酷かった。

まさしくエサという形容がピッタリな代物だった。

病院食が不味いと評判の病院に(不運にも)入院したこともあったけど、それより不味かったんだからやべーわ。


日本大手航空会社でこれなんだから、どこの会社機内食も、エコノミーで出るやつは基本不味いってことでいいのだろうか?

五輪五輪に関わる人も企業も、そしてアスリートも憎くなってきた

私の親しい知り合いがコロナで亡くなった今日このごろ。

皆さんお元気にお過ごしでしょうか。

下記は親しい人が亡くなるまで感じてこなかった、五輪に対する自分の心の嫌な感覚吐露したものです。

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政府与党は相変わらずで呆れている。

既に国会議員も亡くなっているのに、明日は我が身と捉えることができない事が疑問である

もちろん特権階級からと優先して入院できるという安心感があるのだろう。

しかし、入院しても亡くなる方々がいるわけだから自分がそこに入る可能性がある事を無視できる、その精神は本当に疑問である

それはさておき。

先日、某水泳選手に対して五輪辞退を要求する人達がいて、話題になっていた。

「大病患っても、それを克服して代表になってるのだし、そもそもそんな事を外野要求せんでも…」

と思っていたし、今もそう思っている。

ただ、私の知り合いが亡くなった事で自分意識立ち位置が大きく変わった。

五輪に関わる全ての企業と人々に対して軽蔑というか、「こいつら、みんな気持ち悪い」という心を持つようになった。

五輪に参加するアスリートに対しても。

もちろん、私の知り合いが五輪で亡くなった訳ではない。

しかし、今、私は想像する。

仮に今後、私の知り合いが五輪中に感染して大変な健康障害に陥ったり、亡くなったりした場合想像する。

そして、私は五輪に参加する全ての人を軽蔑し憎く感じるようになった。

アスリートに対してもまた同じように思い、軽蔑し、彼らを憎く感じるようにまでなってしまった。

まだ五輪は始まっていないのに、ここまでネガティブ感情を覚えるとは思わなかった。

2021-06-19

anond:20210619181000

ありゃー手術か。入院か。

我慢しちゃったねえ。ぽんぽん痛いだいだねえ。

暑いから術後は安静にして体力回復につとめなよお

父がいない父の日を初めて迎えるにあたり

昨年の秋、父が70少し過ぎで身罷った。

40年来の糖尿病持ちであったが、ずっと血糖値自己管理ができていたのと母が食事カロリー計算をしていたこと、あとはおそらく運が良かったのもあり、長患いにしては失明することも足を切ることもなく元気に過ごせていた。

ただ、最後の1年は認知症になって血糖値自己管理ができなくなり、高血糖入院したが医者喧嘩して退院した後、週一で在宅看護を頼んで自宅療養して様子をみていた。血糖値上下はありながらも比較平穏に過ごしていたが、最期の1週間は急速に弱って歩けなくなり、在宅介護と在宅医療の準備を進めていた矢先に心不全急逝した。

結局は長年の糖尿病で体が全体的に弱っていたのが諸々の引き金となったということなんだと思う。

認知症になるにはだいぶ若い年齢だったことに加え、普段の会話にはあまり自然な点はなかったこから発見が遅れ、高血糖入院した際に医者に「認知症の疑いがあります」と言われて検査したらそれなりに進んだアルツハイマー認知症(脳血管性もちょっとある)で、要介護2に認定された。

父が要介護になる少し前に、増田義母(80代)もある日突然歩けなくなり、要支援から介護4にジャンプアップしたことから介護に関する多少の前提知識は持っていたため、介護関連の手続き増田が引き受けた。

一昨年~昨年にかけてかなりバタバタして、「さぁ、これから本格的に在宅介護だ頑張るぞ」と気合を入れた矢先の突然の別れだったので、悲しさよりも拍子抜けした感が先に立ち、その後も涙に暮れて過ごすという感じにはならなかった。

母も兄も同様で、家族にあまり悲壮感はなく、家族みんな「やれる事はやった末の結果だ」とは思っている。

もっと早く気づいていたら」とあの状況を回避する世界線を今も考えるが、どうにかなるビジョンが思い浮かばないので、おそらくどのルートを辿っても詰んでいたということだろう。

今月、母がワクチンを接種した。

実家が全国屈指のワクチン予約困難地域であるため、大規模接種センターで接種することにして私が母の予約をとり、当日も道案内がてら付き添ったんだが、「これ父さんがボケずに存命だったら、母さんと自分の二人分予約とって『俺はPCに詳しいから』とか得意げに自慢してたよね」という我が家あるあるの話をして笑いながら、ふと「そうか、これから折につけ『父さんが生きてたら〜』って話しながら生きていくんだな」と思い至った。

死んだ時には実感はなかったし、悲嘆に暮れることもないが、これから日々の中で父の不在に思いを巡らすんだと思う。

明日父の日で、「そういえば父さんがいない父の日って初めてだな」と思ったので書いてみた。

あとは、これから家族介護必要になる人もいると思うので、増田経験(2件だけど)から少しだけ。

家族介護は思ったより突然やってくる

家族介護保険証(65歳以上に届く青い三つ折りのやつ)の在り処と地元地域包括支援センター場所普段から認識しておいた方がいい:本人不在でも、介護保険証持って包括支援センターに駆け込めばプロ相談に乗ってもらえる。向こうはいろんなケースを見てきた百戦錬磨人達なので、自分の頭だけで考えるより良い方策を知っている。義母介護でも父の介護でも地域担当ケアマネさんにとても助けられた。

・親が認知症になると銀行から預金を引き出せなくなるので、その前に手を打っておいた方がいい:任意後見制度とか家族信託なんかは基本的に「認知症になる前に契約しておく」ものなので、認知症になってからだと成年後見制度一択になってしまう。最近銀行認知症サポートサービスを始めてるみたいだけど、これも基本的には事前に手続き必要

とはいえ、老化と介護は本当に個人によって状況が異なり、一意に「これ」という方策はないので、あくまでも個人経験談として。

2021-06-18

anond:20210616144912

流石に分不相応だが東大目指してて、そしたら追い込み入ってる11月かに先生から君は学力も足りてないしそれ以前にコミュ力が足りない、そんなやつは官僚にはなれないという趣旨のことを言われた。

んで根暗だったのに自分に嘘ついてそこからいきなりクラスメイトに話しかけるようになったらなんか憑き物についたように性格自体変わっていった。

心配した母親が無理に精神病院つれていったらそのまま糖質として保護入院受験できず今に至る。

anond:20210618145730

いやそんなことはない。子孫が心配ないほうが絶対親や祖父母長生きする。子供デブでアホで手間暇かかってるうちに入院2回もしたオレが保証する。

2021-06-16

トリアージやめろよ

高齢、呼吸と嚥下も悪くて胃ろう寸前

からって心不全防止薬の処方を止めるか?

節約貯蓄しといた薬を飲ませてた

ところが風邪入院、薬は止められ

18日で心不全発症、いまここ

2021-06-15

原宿駅

 ある日の暮方の事である。一人の少年が、原宿駅の跡地で雨やみを待っていた。朽ちた柱に蔦の絡みついた、いまにも崩れ落ちそうな原宿駅跡地は、その昔、若人が大勢集う、たいそう賑やかな駅であったという。かつてこの地は「原宿」と呼ばれており、商いで栄えていたそうな。今は広大な荒れ地が広がり、かつての栄華は見る影もない。少年荒野の真ん中でただ一人きりであった。ただ、所々地面から、かつてのビル群の瓦礫が顔を出している。少年は雨が止むまで、その瓦礫を見詰めて暇を潰すことにした。あれは、セシルマクビーピンクラテ、そして…Q-pot CAFE少年歴史がたいそう得意であった。

 何故原宿がここまで荒れ果てたかと云うと、七十年ほど前、東京には、疫病とか五輪とか不況とか云う災がつづいて起った。そこで人々は住まいをこぞって京都に移し、それに続いて都も移された。およそ二百五十年ぶりの遷都であった。人の消えた東京さびれ方は一通りではない。荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。半グレがでかい顔をする。バニラ業者が日夜騒ぎ立てる。とうとうしまいには、行く当てのないジャニオタたちが夜ごとに集って、オフ会をしているという噂さえ立った。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。そうして七十年の時が経ち、いつしか原宿」というと、平成・令和時代の亡霊が往来する呪われた場所としてひろく知られるようになったのだ。

 少年も、ほかの大ぜいの若人と同じように、危ないので原宿には決して近づかぬよう、両親に硬く命じられていた。しかし、少年には原宿に来なければならぬ断固とした理由があった。病床に付している、かつて量産型女子であった少年祖母が、「冥途の土産Ank Rougeが着たい」と所望したのである少年は、祖母が好きであった。特に祖母のつけるジルスチュアート香水香りにつつまれ眠ることが大好きであった。その祖母が、いまはシンプルアースカラー入院着に身を包み、力なく微笑んでいる。入院着は、無印良品であった。少年は大好きな祖母のため、アンクルージュの服を見つけてくることを決意し、家をそっと抜け出してきたのだ。しかし、七十年も前の服を探し出すことは、とてつもなく困難であった。旧東京二十三区内を隅々まで探しても見当たらない。それもそのはず、量産型女子はとうの昔に、国の絶滅危惧種指定されていたのだ。少年祖母は、その数少ない生き残りであった。

 歩き疲れた少年は、とうとう、禁じられていた原宿に足を踏み入れた。暗く、恐ろしい場所であった。荒野の真ん中にぽつねんと佇む原宿駅跡地には、多くの人の怨念が染みついているかのように思えた。少年時計のある屋根の下に腰掛け、雨が止むのをぼんやりと待っていた。頭上には、どこからか集まってきた鴉が輪を描いて飛んでいた。

どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる暇はない。選んでいれば、大好きな祖母は悲しみのうちに死んでしまうばかりである。尤も、痴呆の入っている祖母は、たとい思い通りの恰好ができたとしても、何もわから粗相をして汚すだけかもしれない。しかし、心持の優しい少年は、祖母エンディングノートに書かれていたことはなるべく叶えてあげたいと思っていた。手段を選ばないとすれば―少年は、そのあとに来るべき言葉の余りの恐ろしさに小さく震えた。「盗人になるよりほかに仕方がない」などというおぞましい考えが一瞬でも頭をよぎったことが、信じられなかった。しかし、一度心に生まれたその思想は、少年の心にずっしり居座り、どうにも振り払うことが出来ずにいた。

 それから、何分かの後であるマツモトキヨシ原宿駅表参道口店跡の辺りをうろつく人影が見えた。少年は、こんな場所にも人がいたのかと大そう驚いた。夕闇によく目を凝らしてみると、どうやらひとりの老婆が何かを探しているようなのである。この雨の夕方原宿をうろついている人間は、ただ者ではない。少年は両親の忠告を思い出し、身震いをした。しかし、老婆が何かてがかりを知っているかもしれぬ。少年は立ち上がると、小雨の降りしきる中、恐る恐る、老婆に声をかけに行った。

「おばあさん、すみません

老婆はゆっくりと振り向いた。少年は、振り返った老婆の姿を見て、その余りの恐ろしさに、顔をしかめた。桑色のシャツを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の老婆である。右の手に黄色ビニール袋を持ち、左の手に、大きな紙袋を持っていた。紙袋には、けばけばしい装飾が施されている。見るとそれは、山田涼介イッピ袋であった。

ジャニオタだ。少年歴史資料集で良く学んでおり、ジャニオタを知っていた。日本史安藤先生がいうところによると、ジャニオタは四十年ほど前に最後の一人が観測されて以来、日本から姿を消したという。まさかジャニオタに、生き残りがいたとは。少年は、大そう驚いた。

「なんだい…」

老婆は唸るように呟いた。地の底から響くような、恐ろしい声であった。少年勇気を振り絞り、老婆に尋ねた。

「お忙しいところすみません、すこしお聞きしたいことがあるのですが。」

「他を当たっとくれ。私は急いでいるんだ。」

後生です、他の人が居ないものですから。」

サロン体験ならお断りだよ。」

「違います。探し物をしておりまして。

ところでお婆さん、そんなに急いでどこに行かれるのです。」

ライブ戦前ジャニショに行くのさ…ケンティーオフショを買いにね…」

そういうと老婆は、うつろな瞳で前方をじっと見た。そこには荒野が広がるばかりであった。それを見た少年は、腹の底から寒気が上がってくるのを感じた。ジャニショ。それはかつてこの地にあった多神教神殿であったと聞く。かつては多くの信者が通い詰めたその神殿は、しかし、原宿から渋谷へと拠点を移し、遷都とともに東京からもなくなってしまったと聞いている。全て七十年前の出来事だ。今となっては跡形もない。この老婆は、いまでもジャニショ存在を信じ、この場所をうろついている。うわさに聞くジャニオタの亡霊だろうか。少年身体は恐怖に震えた。

「おや…お前は」

かに気が付いた老婆は、少年の顔をじつと見詰めた。その濁ったうつろな瞳には、真っ黒なカラコンが不自然に張り付いていた。少年は後ずさりをした。

「お前はまちゅくのショタ時代そっくりじゃないか

ええ、もっとよく顔をみせておくれ」

そう叫び声をあげると老婆は、少年の顔をつかもうとした。少年はきゃあと叫び、踵を返して逃げようとした。しかし恐怖からか足がもつれ、少年の体は地面に叩きつけられた。何とかもんどりうって逃げようとする少年に、老婆が覆いかぶさる。

「ああ、尊い尊い。」

老婆はうわ言のように呟きながら、少年の腕や顔をベタベタと触った。少年の恐怖心は、次第に、老婆に対するはげしい憎悪に変わっていった。二人は荒野の中で、しばらく、つかみ合った。しか勝敗は、はじめからわかっている。少年はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。老婆は細い体を大きく震わせ、肩で息を切りながら、ぴえんと泣き叫んだ。

ファンに、ファンにそんなことをしていいと思っているのか。」

「知らぬ。第一、僕はジャニーズではない。」

少年は老婆を見下ろし、吐き捨てるように言った。心のうちで、老婆に対する憎悪侮蔑が、大きく燃え上がっていた。そうして、あることに気が付いた。老婆の纏っている布切れである。すっかり薄汚れていて気が付かなかったが、これはいつか歴史資料集で見た、アンクルージュのフリルカラーチェックワピースではないか。チェックの模様に、けばけばしいフリル。そうに違いない。それを見ると、少年の心にあるひとつ勇気が生まれた。それは、老婆に出会う前は決して存在しえなかった勇気であった。

ファンにこんなことをして、貴様アイドルとしての自覚が足りぬわ。」

「言いたいことは、それだけか」

老婆の話が終わると、少年は嘲るような声で念を押した。そうして、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。

「こんなことをする者は、ファンではない」

老婆はそれを聞くと、目をかっと見開き、呻き始めた。少年は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く瓦礫の上へ蹴倒した。かわいそうな老婆の周りには、胸元に大事仕舞われていたしわくちゃの青い振込用紙がはらはらと散らばった。少年はそれを一瞥すると、薄汚れたワンピースをわきにかかえ、またたく間に原宿の闇に駆けていった。

しかし、嗚呼、何と残酷なことだろう。老婆からはぎ取ったワンピアンクルージュではなくミオレミューだということを、少年は知る由もない。

 その後、原宿にうろつく亡霊の噂は、はたと途絶えたという。

アントニオ猪木

元気ですかー!!

今回は実は腸が剥がれちゃったみたいで、また再入院してます

一生懸命リハビリに努めて、元気な姿で1日も早く皆さんにまた元気ですかー!を送りたいと思います

https://twitter.com/Inoki_Kanji/status/1403673859287511042

人はここまで老いてもなお、生きていられるのか・・・と、驚くとともに感心する。

死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれ(追記あり

先日、妻が亡くなった。

ガンだった。ガンが見つかった時は既にかなり進行していたようで、医者から具体的なステージ名は告げられなかったが、余命3ヶ月を宣告された。

あらゆる治療を試みたが、彼女治療開始から6ヶ月で亡くなってしまった。

治療中は全力で彼女サポートをしていたので、音楽を楽しむ時間も心の余裕も無かった。

だが、葬儀や一連の手続きが済んだあと、ふと耳に入ってきた米津玄師のLemon。歌詞があまりに今の自分と符合していて、聴きながら号泣した。

勿論、以前からこの曲を何度も聴いたことはあったが正直そこまで深く歌詞吟味したことはなく、何となくいい曲だなという印象しかなかったが、妻が亡くなって歌詞の感じ方が180度変わった。

そこでお願いします。

米津玄師のLemonのように、居なくなってしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてください。日本語歌詞だと助かります

6/16 追記

1日でこんなにも多くのコメントを頂けると思っていなかったので、正直驚いている。

コメントしてくれた皆さん、本当に、本当にありがとう時間はかかるかもしれないけど、お勧めしてくれた曲は可能な限り全部聴いてみます

奥さんの好きだった曲を聴いてみたら」というコメントを何件か頂いたが、彼女特定アーティストや曲目にあまりこだわりがなく、所持していたCD洋楽オムニバスほとんどだった。同じアーティスト複数CDを買っていたのは宇多田ヒカルだけだと思う。ゆえにイベントリンクする曲も正直ピンとくるものが無い。最近はサブスク適当プレイリストを聞き流していたが、澄んだ歌声が好きだったようで特にOfficial髭男dismを好んで聴いていたかな。

私たち共働きだったのでガンが発見されるまでは二人で過ごす時間もあまり取れなかったが、治療を始めてからは常に寝食を共にし、お互い言いたいことを言い合い、些細なことで泣いたり、笑ったり、喜んだり…皮肉なことだけど今までで一番濃い、夫婦水入らずの時間を過ごせたと思う。もちろん後悔もいっぱいあって、もっと早く異変に気づいてあげられなかったのかとか、入院中はコロナ対策関係で面会ができずに寂しい思いをさせてしまったとか、数え出したらきりが無い。

から、皆さんにお願いです。今生きているあなたにとって大切な人に、後悔のないよう接してあげて下さい。別れは突然やってきます

7/16追記

教えていただいた曲を聴いた感想を書きました

anond:20210716210010

2021-06-14

ノーマスクオフ会に巻き込まれコロナ入院なった人の行った店

神保町飲み屋みたいだけど、ノーマスク歓迎!マスクは不健康!とかTwitterアカウントで発信してる典型的なアレな店じゃん…。

しかも、コロナはただの風邪派のキチガイアカウントに返信しまくってるし。

そら、店員マスクするはず無いし、きちんとアルコール消毒含めた対策もしてないだろうし、こんな店行ったらコロナ感染するの当たり前くらいの店だな。

こういうのがあるから普通商店含め個人店は怖くて行かなくなった。

ヤバい奴がやってたら、物買うだけでもヤバいし、食料品とかはさらヤバいしね。

クソみたいな個人店が淘汰されると言う意味では、しょうがないよなー。

入院中の高須委員長

闘病辛いと思い出ツイートを量産しているが,地鶏は死にゆく人の血色ではないな。

大阪市消防局によると、5月3日の勤務明けにのどの痛みを訴え、5日に症状が悪化。抗原検査で陽性が判明し、入院した。

 同局では、4月20日から職員ワクチン接種を開始。亡くなった男性は1回目のワクチン接種を受けた後に発症した。

 救急隊員を含め、これまでコロナ感染した同局職員100人超で、いずれも感染経路は不明感染による死者は初めてという。

 ある職員取材に対し、「第4波のなか、救急隊員はコロナ感染者を連日運んでいた。いつ感染してもおかしくない状況だった」と打ち明ける。

ひどい・・・

2021-06-13

祖母余命宣告をされた

祖母余命宣告をされた。

まりにも気持ちが整理できず、色んな思いが錯綜毎日が辛いので今の気持ちを書き記したい


僕は20代社会人一人暮らし

幼い事から両親が共働きで帰りが遅い為、小学生の頃は毎日祖父母に面倒を見てもらっていた。

から人一倍祖父母とは親しいと思うし、仲も良いと思う。

中学生になり、塾にも通い出し祖父母と一旦距離を置いてしまったが

高校時代では祖父が送迎をすると言って聞かなかったので、言葉に甘えて送迎されていたので

この時も晩飯も一緒に食べたり、勉強する為に祖父母の家に閉じこもったり、いっぱい面倒を見てもらった


大学時代は県外に出て、一人暮らしをしていた為、あまり合う気機会が無かった。

そしてその間に祖父ボケてしまった。毎日の様に話し相手になっていた僕が居なくなったので

会話をする機会も減り、体調を一度崩し入院した事も相まって、今では要介護レベル3になり

施設にいるが、コロナの影響で2年程顔も見れていない。


大学卒業し、社会人になる時に祖父母宅に近い、アパート一人暮らしする事にした。

一人暮らしになってしまった祖母を少しでも助けれるようにと、自分からそうした。


そして数日前、祖母が緊急で入院をした。そして膵臓がんステージ4であった事が判明。

発見が遅れた為、もう手術はできない。十二指腸全てが、がんによってひっついてしまうぐらい進行しているらしい。


入院する前日、僕は祖母晩飯を一緒に食べた。

その時、ちょっと胃が痛いなぁと言っていたので、明日病院言ったら?と一声かけた。

祖母もそうだねと言い、翌日通いつけの病院に行き、血液検査をしたら、肝臓の数値があまりにもおかしいので

大きい病院で再度、検査をした所、膵臓がんが発覚。


いきなり過ぎるよ、祖父母の中で一番元気で、一番長生きすると思ってたおばあちゃんがあと長くて2ヶ月なんて。

抗がん剤使ったらもう2週間以降は寝たきりなんて。あまりにも短すぎるよ。。。


今日病院に行ったらおばあちゃんはいつも通りに元気そうに、僕の名前を呼んでお見舞いありがとうと言ってくれた。

その顔を見る度に、涙が無限に溢れてくる。おばあちゃんはまだ病名を知らないので、いつ頃退院できるんだろうねぇとか

おじいちゃんいつ頃、面会できるかなぁって言うんだよね。もう2週間しかこうやって話したり、笑ったり、出来ないのに。


残された日数、毎日面会して、おばあちゃん生き様をしっかり見届けようと思う。


この年になるまで、祖父母が全員、健在してた為、初めて本当に身内と呼べる人が亡くなるであろう状況になったけど

こんなに辛いとは思ってもいなかった。


鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃになってきたのでこれぐらいにします。

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