皆さんお元気にお過ごしでしょうか。
下記は親しい人が亡くなるまで感じてこなかった、五輪に対する自分の心の嫌な感覚を吐露したものです。
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既に国会議員も亡くなっているのに、明日は我が身と捉えることができない事が疑問である。
もちろん特権階級だからと優先して入院できるという安心感があるのだろう。
しかし、入院しても亡くなる方々がいるわけだから、自分がそこに入る可能性がある事を無視できる、その精神は本当に疑問である。
それはさておき。
先日、某水泳選手に対して五輪辞退を要求する人達がいて、話題になっていた。
「大病患っても、それを克服して代表になってるのだし、そもそもそんな事を外野が要求せんでも…」
と思っていたし、今もそう思っている。
ただ、私の知り合いが亡くなった事で自分の意識の立ち位置が大きく変わった。
五輪に関わる全ての企業と人々に対して軽蔑というか、「こいつら、みんな気持ち悪い」という心を持つようになった。
もちろん、私の知り合いが五輪で亡くなった訳ではない。
仮に今後、私の知り合いが五輪中に感染して大変な健康障害に陥ったり、亡くなったりした場合を想像する。
そして、私は五輪に参加する全ての人を軽蔑し憎く感じるようになった。