昨年の秋、父が70少し過ぎで身罷った。
40年来の糖尿病持ちであったが、ずっと血糖値の自己管理ができていたのと母が食事のカロリー計算をしていたこと、あとはおそらく運が良かったのもあり、長患いにしては失明することも足を切ることもなく元気に過ごせていた。
ただ、最後の1年は認知症になって血糖値の自己管理ができなくなり、高血糖で入院したが医者と喧嘩して退院した後、週一で在宅看護を頼んで自宅療養して様子をみていた。血糖値の上下はありながらも比較的平穏に過ごしていたが、最期の1週間は急速に弱って歩けなくなり、在宅介護と在宅医療の準備を進めていた矢先に心不全で急逝した。
結局は長年の糖尿病で体が全体的に弱っていたのが諸々の引き金となったということなんだと思う。
認知症になるにはだいぶ若い年齢だったことに加え、普段の会話にはあまり不自然な点はなかったことから発見が遅れ、高血糖で入院した際に医者に「認知症の疑いがあります」と言われて検査したらそれなりに進んだアルツハイマー型認知症(脳血管性もちょっとある)で、要介護2に認定された。
父が要介護になる少し前に、増田の義母(80代)もある日突然歩けなくなり、要支援2から要介護4にジャンプアップしたことから、介護に関する多少の前提知識は持っていたため、介護関連の手続きは増田が引き受けた。
一昨年~昨年にかけてかなりバタバタして、「さぁ、これから本格的に在宅介護だ頑張るぞ」と気合を入れた矢先の突然の別れだったので、悲しさよりも拍子抜けした感が先に立ち、その後も涙に暮れて過ごすという感じにはならなかった。
母も兄も同様で、家族にあまり悲壮感はなく、家族みんな「やれる事はやった末の結果だ」とは思っている。
「もっと早く気づいていたら」とあの状況を回避する世界線を今も考えるが、どうにかなるビジョンが思い浮かばないので、おそらくどのルートを辿っても詰んでいたということだろう。
今月、母がワクチンを接種した。
実家が全国屈指のワクチン予約困難地域であるため、大規模接種センターで接種することにして私が母の予約をとり、当日も道案内がてら付き添ったんだが、「これ父さんがボケずに存命だったら、母さんと自分の二人分予約とって『俺はPCに詳しいから』とか得意げに自慢してたよね」という我が家あるあるの話をして笑いながら、ふと「そうか、これから折につけ『父さんが生きてたら〜』って話しながら生きていくんだな」と思い至った。
死んだ時には実感はなかったし、悲嘆に暮れることもないが、これから日々の中で父の不在に思いを巡らすんだと思う。
明日が父の日で、「そういえば父さんがいない父の日って初めてだな」と思ったので書いてみた。
あとは、これから家族の介護が必要になる人もいると思うので、増田の経験(2件だけど)から少しだけ。
・家族の介護保険証(65歳以上に届く青い三つ折りのやつ)の在り処と地元の地域包括支援センターの場所は普段から認識しておいた方がいい:本人不在でも、介護保険証持って包括支援センターに駆け込めばプロに相談に乗ってもらえる。向こうはいろんなケースを見てきた百戦錬磨の人達なので、自分の頭だけで考えるより良い方策を知っている。義母の介護でも父の介護でも地域担当のケアマネさんにとても助けられた。
・親が認知症になると銀行から預金を引き出せなくなるので、その前に手を打っておいた方がいい:任意後見制度とか家族信託なんかは基本的に「認知症になる前に契約しておく」ものなので、認知症になってからだと成年後見制度一択になってしまう。最近は銀行も認知症サポートのサービスを始めてるみたいだけど、これも基本的には事前に手続きが必要。
とはいえ、老化と介護は本当に個人によって状況が異なり、一意に「これ」という方策はないので、あくまでも個人の経験談として。
親とは離れて過ごしていて、自分は自分で自分のことでいっぱいいっぱいだから家族委託なんかで自分が筆頭介護人になることにはかなりちゅうちょするよなぁ。