はてなキーワード: 入院とは
少し前、あるチケットを定価の価格より高い値段で譲渡した。緊急入院することになり、泣く泣く譲ることになったチケットだった。
田舎なこともあってチケットを買ってくれるようなファンの知り合いはおらず、ネットで探すしかなかった。また、決して裕福ではないので、見れないのならチケット代を回収しない選択肢はなかった。
最初にtwitterで募集したが買い手が見つからず、チケット譲渡サイトにたどり着いた。チケット入手には手数料が1000円ほどかかかっていた。また、サイト利用料として手数料が何%かかかる仕組みになっていた。メルカリみたいなシステムだ。結局、チケット入手に要した手数料の実費、書留郵便の送料、譲渡サイトの手数料を定価に上乗せした値段で出品した。定価より数千円高くなったが、運良く買い手がついた。
この譲渡によって、自分には利益は一切発生していない。むしろ封筒代などで地味に赤字である。もしリアル知人や、twitterで譲渡先が見つかれば、同じように価格を算出し、利益は出ないがかかった実費は負担してもらう形で請求しただろう。
自分は、悪しき「転売屋」なのだろうか?転売目的で入手したわけではない。緊急入院のせいだし、利益も出してない。だから自分の中では「違う」だが、どうやらそうでもないと考える人もいるようだ。同じような価格の算出方法で、譲渡先がもしリアル知人だったら悪しき転売と言っただろうか。田舎ではそんな知人などいないから専用サイトに頼るしかなかったんだ。
アンアンあえぎ声出してくれる、Mっぽい男とのセックスの方が興奮するのは自分だけかと思ってたけど、
反応がいいM男はブサメンでもAV女優にも人気というソースを発見して嬉しくなったのでここに共有したいと思う。
https://www.menscyzo.com/2009/06/avav.html
もう引退してしまったが、ハイスペちんぽとしかセックスしない暇な女子大生もプライド高そうなハイスペちんぽが喘ぐのが良いみたいなこと言ってたね。
普段オラオラじゃないのに、セックスの時だけオラオラになる男が一番キモい。これは私だけじゃなく割と多くの女性が共感してくれるのでみなさん広めてください。
そういえばもう一人の暇女さんはどうしているんだろうか。
もし私がワンナイトするなら、清潔感のある弱者男性といたしたいが、
ワンナイトとかする行動力がないからこそ弱者男性なのであろうし、私もワンナイトなんてしたことはない。
弱者男性ちんぽとマイまんこはきっと一生ミートしないが、だからこそ尊いのだ。
最近家族が汚いおててでちんぽをお触りしたのか、尿路感染症ですごい高熱が出て入院した。
追記:
ごめんな、尿路感染症になったのはうちの爺さんなんだ
まぁ爺さんが外でヤってる可能性も0ではないが
お世話になっております、去年に「両親が不仲だった自分語り」( https://anond.hatelabo.jp/20200211234011)を書き起こした増田と申します。
実はあの日記を書き起こしたことで自分のボトルネックになっていたことがハッキリ浮き彫りになり、拗らせて、寝込みました。
意識はあるのに体が起き上がらず会社に頼んで1週間休みをもらい、なんとか回復するまでに至りました。
みんなが当たり前に持っていて自分には無いものをどう補うか、屈折しすぎた性格をどうするかを寝込んでいる間ずっと考えていました。
そもそもなんだか調子が悪く、体力的に疲弊すると過去の嫌な思い出に尾ひれがついた妄想や、起こりえることのないネガティブな妄想をするようになり既に病んでいたようにも思えます。
自分はホームドアの無い駅までふらっと行って、ホームのベンチで1時間ほど座り込む生活をしていて、その合間にスマホのメモに自分の過去の話をぽつぽつと書き起こしていました。
今思えばもしかしたらそれは遺書で、誰か宛ての手紙で、誰かが言うように私小説になっていました。(書いていた当時は私小説だと思わずに書き起こしていました。)
それが「両親が不仲だった自分語り」だったわけです。死ぬ前に書き起こした内容が両親の話だと思うと、表面上そんなに気にしていなかったはずなのにやっぱり根に持っていたんだなというのが自分でわかりました。
今回は前回投稿した「両親が不仲だった自分語り」を投稿した後の話です。
投稿後、たくさんのコメントを何度も読みました。稚拙でダサいと自分で思っていた文章を褒められてた事が何より驚きました。
自分で気づけなかった事に気づかされた気がしました。ありがとうございます。
ボトルネックは結構重い話らしいのでまだ見ていません…。今は全くその気はないけど何かの拍子に結婚して幸せだなぁと思うようになったら見ようかな…?
そのあと1週間寝込みました。徐々に声が小さくなっていって、職場の人に心配されており、ちょっと休みたいですというと職場は問題ないから休んでいいよと言ってもらえて丸々1週間寝込みました。
コロナが日本でも話題なりはじめ、外に人が出なくなっていた頃の話です。
薬を飲んで、ご飯を食べて、寝て、ゲームをして、絵を描いて、ゾイドを組み立ててまた寝る。という生活をしていました。
投薬をするとだいぶ楽になったのもあり、声が出るようになったので職場に復帰。
1週間もすると、本格的にみんな外出しなくなったのか仕事(接客)は軽かったので、仕事をこなしてさっさと寝る。というルーティンになりました。
夏頃、妹が鬱になったと母から報告がありました。
状態は1週間寝込んだ自分より酷く、二人目を産んだあとのノイローゼから来ているようです。
自分が鬱になっていたのは母には伝えてなかったので、妹が鬱になったという報告があった時点で伝えました。
自分の子供二人そろって鬱になったという報告を受けて、母がどう思ったかは分からないままです。
遺伝的なものもあるらしいので、自分はあまりそこで深く考えませんでした。
妹には二人の娘がいるので妹の旦那が楽になれるよう、仕送りをしたりもしています。姪っ子たちには不自由をさせたくない一心でした。
妹は姪っ子たちを母に預けて入院をしたり、実家に帰って母と過ごしたり。
自分の性格からわかってはいたけど、自分は母に甘えられないと思っているので深く触れずにただ姪っ子たちに仕送りだけしています。
向こう十数年、連絡の無い父は死んだことにしました。
養育費の件は法律上でももう無効になっていて取り立ても出来ない状態でした。
それを知らなかった自分にも落ち度はあったので、責めることも憎むことも出来ないように父は死んだことにしました。
みんなに文章を褒められたので、文章を描いてアウトプットすることを始めました。絵は描けるので挿絵付きで。
これはまだ成果は出ていませんが、思っていること、考えていることを校正しつつ続けています。
格ゲーも本格的に本腰を入れて勝ちにこだわるようにしました。来年あたりにグラブルVS部門でEVOにも出ようと思います。
ストリートファイターVも少しやっています。好きだったダンが妙に強くて笑っています。オロもすごく楽しみです。
好きだった魔界村シリーズの新作「帰ってきた魔界村」の発売も燃えました。
RTA(リアルタイムアタック)も始めました。格ゲーのトレモ(トレーニングモード。ひたすらコンボ練習をしたりする。)と似ていて突き詰めることが楽しいです。
コロナ禍で仕事が早上がりになり、自炊を始めたら案外自分の料理がおいしいことに気づいて体重が増えたり
学生時代の友人(専門学校を自分に進めてくれたゲーセン仲間)と久しぶりに連絡が取れたり。
原因はセクハラとストーカー行為でした。加害者側はなんとも会社的にいないと困る人というのもありましたが何より妻子持ちでした。
父が仕事をしていないと困るのは身をもって体験しているので、鬱から立ち直り始めているとはいえあれからぼんやりすることの増えた自分がだらだらここにいるのも気持ちが悪く
あまっちょろすぎる。自分でもそう思います。それ以上に関わりたくなかったのもありますが、加害者の娘さん(彼女は6歳。あったことある。)が
何も知らずにそのまま居られるのであればと真っ先に思ってしまい、職場に疲れていたのもあって辞めました。
寝込んでから低気圧の影響をモロに身体で感じるようになったし、昔の家庭環境を思い出して泣き出したり
せっかく専門学校に行かせてもらったのにそれなりの仕事すらしていなくて勝手に申し訳なくなったり。
これ書いていたらなんだか楽になってきました。本当は昨日、「なぜ自分は自殺しないのか」というタイトルで文章を書こうとしていたところでした。
その1 https://anond.hatelabo.jp/20210416100355
その2 https://anond.hatelabo.jp/20210416172732
その3 https://anond.hatelabo.jp/20210416233400
★★★注意★★★
正直随分と長いので、最後のエントリの結論(未投稿、投稿したらリンク追加します)から読む事を推奨します。
想定が前週比2倍、参考として3/26に試算した前週比1.5倍。
想定によれば一週間後の4/14時点で1426、参考で573。実際は1130で、参考はベースラインが低いので全く無意味。過剰な想定になってはいるものの、現実問題として、感染拡大に対し、検査数が追い付いていない可能性も否定できないように思う。
先ほどと同じく、4/14時点の予想が想定で166、参考で99。実際の数字が239。
実際は90増。予実比実に5.29倍である。
これは前にも述べた、変異株の重症化リスク(60未満での重症化率上昇、発症から重症化までの日数減の2要素)が高まった事に由来するものと考えられる。
何故か4/7資料では今まで言及されていた箇所での言及が無い。
■朝野座長
4/7なので、その1で示した国立感染症研究所の、変異株の感染力が1.32倍と推測されるという記事は世に出ている。まん防の内容については当然把握しているだろうから、年明けの宣言と同じ自粛をしても、実効再生産数が当時の1.32倍にしかならない事を想定すべきだったように思う。海外の分析では1.5倍以上という話もあったので、これは後日目線でもオーバーリアクションではないと思われる。
■掛屋副座長
相当な危機感が伝わってくる内容で、まったくもって正しい認識だったと思われる。
ご意見自体はごもっともなのだが、海外事例や国立感染症研究所の報告を元に、もう少し踏み込んだ意見が出せなかったのかな、と少し残念に思う。
■茂松委員
急激に危機感を募らせては居るが、変異株の感染力の強さを考えると、不十分な対策なのではないか?
■白野委員
非常に強い危機感を募らせておられるが、前回の宣言とほぼ同じ内容であるまん防では患者減少に至らない可能性を軽んじておられるように見受けられる。
■倭委員
3/26でも圧倒的な危機感を募らせていた倭委員、4/16日現在みても全く持って正しいご意見と思われる。変異株リスクについてはもう少し前の時点で強く訴える事も出来たのではないか、とも思われるが。
一気に専門家諸氏の間で緊張感が高まるが、朝野座長だけはどこか他人事というか、浮世離れしている印象がぬぐえないのだがいかがだろうか?
まとめ 結論部へ続く
来週のどっかで行こうかと思っていた。
そんな中、叔父さんからメールが来ていた。面会禁止になったと。
すぐに乗換案内で、「出発地:現在地、到着地:婆ちゃんが入院する病院」と検索した。あぁダメだ。今日中には着かない。あぁ終わったんだなと思う。
素人目にも、婆ちゃんがこれから容態が回復し退院するのは難しいだろうし、面会が再開できるまで生きているのも難しいと思う。
面会禁止に関して、特に驚きはない。むしろ自分が行ったタイミングで会えたのが奇跡に近いと思う。
婆ちゃんが入院している病院の近くの病院は、去年からずっとほぼ面会禁止になっている。たまたま、ここの病院に入院する運びになったから、婆ちゃんと面会できたのだ。
この地域もコロナ患者は増えている。叔父さんには、病院の近くのあそこでも出たと聞いた。すぐには分からなかったが、ストリートビューで見たら確かに先週通った場所だ。
毎日のように、叔父さん達に叔母さんに姪っ子に友達と面会に来てくれてただけに、これから一人になってしまうのかと思うと、婆ちゃんは寂しいだろうな。
でも、もう意識もあまりないのかな。これだけ、毎日いろいろな人が来てくれたのだから、幸せでいいのかな。
あん時、無理してでも婆ちゃんに会いにいっておいて本当によかった。もしあの時、仕事を理由にして行かないで、この状態になったら後悔しかなかった。
あの時、眠っている婆ちゃんを確認して、叔父さんにじゃ先に失礼しますって言ったのが最後の姿になってしまった。最後に、婆ちゃんにまた来ます。心の中で本当にありがとうっていう言葉をかけ忘れたのは少しばかりの心のこりである。
あまり苦しまずに最後の時間を過ごせることを祈るのが、今の自分に唯一できることです。
もう会えないのはコロナのせいと言えばそうですが、変な話、コロナで面会禁止の変なプレッシャーがあったので、まだ意識のある婆ちゃんと会えたので不思議な感じもします。
本人は大した症状はなかったがICUかそれに近い所に隔離され、
退院後に話を聞いたが以下のことがわかった。
少なくとも知人が掛かった病院や保健所では、こういう扱いを取られていたので、COCOAの目的としては全く機能していない。
実際に直近でこの知人と一緒にご飯を食べた人には通知は飛んでいない。
通知は飛んでいないものの、検査の上陰性だったのは不幸中の幸いだった。
私はCOCOAのgithubでコードを見た程度にはどういうアプリなのか確認したが、
一般人の認識としては、”過去に近くに陽性者が居たら通知してくれるアプリ” 程度の認識しかないのかもしれない
いくら過去にCOCOAが、"陽性者情報を登録しても、接近者に通知しない" というバグがあったとしても、現状は直ってるはずだ。
#本当に直ってるかどうかは知らん
パーソルプロセス&テクノロジー株式会社がろくに動かないアプリを自身を持って納品していたとしても
その利用までろくに成されない状況では、このアプリの存在意義は何なのか
このままでは、
そういう何の役にも立たないどころかデメリットしかないアプリではないか
元、弱者男性だった
年収250万、非正規雇用、高校中退、ブサイク、コミュ障、中学不登校
もちろん彼女いない歴=年齢
家族仲は最悪で、俺が中学を上がる頃に両親は離婚。母親はパチンカスで、父親は前科持ち。妹は俺が家を出た2年後に失踪した。今も行方知れず
高校を中退してすぐは肉体労働をしていたが、ヒョロガリの虚弱で1年も経たずにバックれ、それから非正規で事務職を点々としてきた
出産でキャリアを断念した系の共働き主婦が多い。奴らは四大卒の元正社員だったりする
条件の良い事務職ははなからそういう女目当てで、俺がありつけるのは人が入ってもすぐやめるような労働環境で給料も周りより一段低い仕事だけ
そんな俺の転機は35の時の交通事故
歩道を歩いていて、はねられた
救急車で病院に運び込まれて、意識が戻って2日後に、身体の自由は戻らないかもしれないと言われた
初めはもちろん絶望した
何もない俺から健常な身体まで奪うのかよと世の中の理不尽を呪った
俺の見舞いに来るやつなんかいなくて、上司が一度来たぐらいだった
そのこともより一層俺を惨めな気持ちにした
隣のベットが、男子高校生(イケメン)と、現場作業中に事故ったDQNだったからなおさらだった
高校生の方には、彼女や同級生や先生がしょっちゅう顔を見せていて、DQNはDQNで上司や同僚や友人や家族が毎日押しかけていた
俺はそいつらよりもよっぽど重症だったのに、親すら見舞いになんか来なかった
入院の差し入れなんかもなかったから、看護師が同情して持ってきてくれた小説を読んで暇を潰した
子供向けじゃない、字の小さい本なんか読んだのはその時が初めてだったと思う
その時の白衣の天使が今の妻ーーなんてことはなくて、看護師は男だったわけだが、そういうふうに雑談をできる関係は自分にとって初めてだった
リハビリも始まって(残念ながら脚は殆ど元通りにはならなかった)、理学療法士とも関わるようになった(このとき初めて女性とまともに話した)
リハビリはとてもキツかったが、理学療法士に褒められるのは悪い気はしなかった
俺が努力してこなかったせいもあるがーーー、「努力して褒められる」という経験を初めてした
「達成感」というのはこれか、と思ったのを覚えている
毎晩朝が来るのを待ち遠しく思いながら眠りについた
多分向こうからしたらなんてことないコミュニケーションだったが、俺にとっては新鮮で、「こんなに人と話せるのだ」と誇らしくすらある出来事だった
少しだが、隣のベットのおじさん(その時にはもう配置が変わっていた)と話したりもした
入院期間が結構長かったのでちょっとしたお見送りまでしてもらった
そのお金で車椅子で暮らせるアパートに引っ越し、2年ぐらいは無職をしていた
役所の福祉課の人やソーシャルワーカーなんかにはかなりお世話になった
公務員なんてやな奴ばっかりだと思っていたが、本当に親身になって貰った
車椅子ユーザーや身体障害者のコミュティにも参加して、月1、2度は外出している
今も彼女は出来ていないし、コミュニティの外で会えるような友達という友達はいない(むしろコミュニティでもちょっと浮いてると思う)
相変わらず社会的には弱者で、むしろ健常者の底辺だった頃よりもずっと困難が多く、給料も低いけれど、生きていてそこそこ幸せだ
でも、自分にとっての不幸は金や彼女が無いことではなく、人と関わることを無闇に恐れていたことだったのだと気づけた
多分事故はきっかけに過ぎなくて、障害を理由に否が応でも人と関わる機会が増えたことが良かったのだと思う
障害者になって、俺は救われた
ワンオペ育児も辛いんだろうな、相手は幼児で理屈が通じないこともあるし育児経験者からは先輩風も吹かされたりするだろうし。お父さんや親族といろいろ対立もするだろうしね。
でもワンオペ介護も辛いんだよ。私の面倒もみてくれていっぱい働いた家族がどんどん今がわからなくなっていくし、でも時々ふと元に戻ったりするからまるきり子供扱いするわけにもいかないから。冠婚葬祭のこの辺の習慣やら何やらを教えてくれる一方でトイレを失敗して何とかしようと却って汚れを広げちゃったり。
でも歳だから仕方ないことだからこの辺は別にいいんだ。いっぱいお世話になったから今度はお返しだなって気持ちもあるし。
何が辛いのかって?育児と違って介護はやってる人間が前に進めないんだよ。
シングルで育ててない限りは育児はパートナーがいるから賃金労働してなくても社会的にまだ認められてるでしょう?
私卒業してすぐ家族の介護だったから定職に全然つけてない、今も無職だよ。
何しろ介護する相手が2人で片方は病院にかかるのも拒否してたから家中すごいことだった。いつ家が燃えるか心配するくらいにはヤバかった。
そんなわけで何年か老々介護を見守る生活をしてたわけだけど、つい一年前、片方を医者に診せるのに成功した。もう一方も介護サービスが使えるようになったからフルタイムの仕事の練習のつもりで期間が定まってる9時間労働に従事したわけ。でも労働にかまけてたら救急車を呼ぶ事態になって今春には両方要介護になってたしフルタイムで働くのが無理な状況になってた。意味がわからないって?私だってわからない。本当にわからない。
今片方は入院からの施設、もう片方はデイサービスを利用して一緒に暮らしてる。
さて八時半にデイサービス出して5時前に帰ってくるからそれまではパートなりアルバイトなりできるけど、まだ20代だからキャリアプランとかいろいろ考えたい。でもそういうのできる仕事には絶対に就けないわけです。お役所なり就職支援云々ないろんなところに相談はしてた。でもみなさん現状の説明するとパートタイマーが一番いいねとか抜かすわけです。もうね、詰み。デッドロック。まな板の上の鯉ってこんな気持ちなのかな、はやく止めを刺してほしいね。
出先で世間話なんかしてて今何してるのって聞かれるの最高に辛い。家族の介護してていま無職って言うとみんな偉いねって決まって言うんだ。偉いんなら私を雇ってくれないかな。働きたい気持ちはあるんだから。とりあえず在宅でできる仕事とか探してみてるよ。
最近友達なり親戚なりにお前大変だなって言われてやっとこ現状を理解したほうがいい気がしてとりあえず増田に書いてみた。チラ裏だしここなら迷惑にならないだろうし。
初めて使ったから読みにくかったらごめんなさい。
そのときは妹が自殺未遂をしたとは知らされず、部屋の中で倒れているのを会社の人に見つけられて救急車を呼ばれたと聞かされていた。
妹はNCUという脳専門のICUみたいなところに入院していた。以前妹はてんかん(実際は転換性障害という精神的な病気だったらしい)と診断されていて、その薬を大量に飲んだらしい。そのことを知らなかった私は、妹の病気が悪化したのだろうかと思った。
ベッドに横たわる妹の顔を覗き込むと、妹はうっすら笑って「お母さん?」とだけ言った。「姉ちゃんだよ」と言ったのに妹は私を「お母さん」と呼び続け、仕事先(介護施設)で今日は入浴介助があって忙しいはずだということを延々と繰り返した。後で知ったが、私が見舞いに行った曜日にはその施設での入浴介助はないらしい。薬を飲んで倒れた次の日が、入浴介助をする曜日だった。
妹は最後に見た時より痩せて、ぼーっとした顔で、手足を少しも動かさず、同じ話ばかりした。
どうしていいかわからず、「ごはん食べてくるから、後でね」と病室から出ていった。私はその足で病院内のカフェに向かい、泣きながらなぜかクリームソーダを飲んだ。
次に顔をあわせたときは、妹が退院して実家に帰ったときだった。妹は痩せたままだったけど、元の姿に戻っているように見えた。私を「姉ちゃん」と呼び、同じ話ばかりすることはなかった。
介護の仕事を辞め、精神科に通院しながら仕事を探していた妹は、この季節に事故で亡くなった。前日までごく普通だったと聞いている。
自分は子供が欲しいのに、一向に子作りに協力をしてくれないので、理由を聞いた際の事だった。
「交際中は別れたくなかったから嫌々ながらセックスをした、結婚したらもうセックスはしたくない」
そのカミングアウトはショックだった。
それから三年程の結婚生活は寝室は別々で、一度もセックスは無かった。アセクシャルだから、という事だった。
世の中では、私達のような夫婦を「偽装結婚」や「友情結婚」と言うらしい、私は偽装をするつもりも友情のままでいるつもりも無く、彼の子供が欲しくて、家族になりたくて結婚をしたのだけれど、彼はそうでは無かったのだ。
何度も離婚を考えたし、発狂しそうな孤独の中、一人で泣いた夜も何度もあった、それでも別れなかったのは彼を好きだったからだ。
今思えばなんとも愚か過ぎるけれど、恋とは愚かなものだから仕方ない、愛されなくても、母親の様に女中のように生活を支える生き方でも、体で繋がる事が出来なくても心で繋がっていればと思っていた。
相手は人妻だった。何が起こっているのか、私には飲み込め無かった。
心がつながっていれば?心も繋がっていないじゃないか。
あれ?私は何のためにここにいるんだっけ?
“妻”ってなんだっけ?
なんで、こいつ私と結婚したの?
今、私は恋や愛という気持ちを持てなくなっている。
もっと言うと性欲もない。
ある一定まで感情が昂ると、まるでブレーカーが落ちるように気持ちが萎えてしまう。
まあ、もう三十路を過ぎた婆が恋だ愛だとのぼせてしまうのもきっと気持ちが悪いものだからこのままでも良いのかもしれないけれど。
もしかしたら私も「アセクシャル」になったのかもしれない。だとしたら彼と今の私なら「アセクシャル」同士でお似合いなのかもしれない。
恋の歌が、恋愛映画が、月9が共感できずに私の横を通りすぎていく。