はてなキーワード: 優生とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 87 | 15419 | 177.2 | 57 |
01 | 77 | 12029 | 156.2 | 50 |
02 | 111 | 16253 | 146.4 | 51 |
03 | 127 | 10641 | 83.8 | 58 |
04 | 77 | 6894 | 89.5 | 57 |
05 | 79 | 5784 | 73.2 | 44 |
06 | 59 | 5555 | 94.2 | 31 |
07 | 23 | 3873 | 168.4 | 45 |
08 | 34 | 3925 | 115.4 | 58 |
09 | 63 | 14756 | 234.2 | 49 |
10 | 147 | 7603 | 51.7 | 28 |
11 | 133 | 14607 | 109.8 | 42 |
12 | 85 | 11940 | 140.5 | 49 |
13 | 94 | 6618 | 70.4 | 32 |
14 | 113 | 7134 | 63.1 | 40 |
15 | 92 | 12816 | 139.3 | 42 |
16 | 119 | 11013 | 92.5 | 33 |
17 | 160 | 13055 | 81.6 | 37.5 |
18 | 170 | 18409 | 108.3 | 35.5 |
19 | 120 | 11965 | 99.7 | 33.5 |
20 | 128 | 11616 | 90.8 | 40.5 |
21 | 165 | 11795 | 71.5 | 33 |
22 | 136 | 14125 | 103.9 | 36 |
23 | 192 | 25072 | 130.6 | 35 |
1日 | 2591 | 272897 | 105.3 | 39 |
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ハーフという呼び名はネガティブだからダブルにしよう、という働きがある
私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ
そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも
少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフの言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツをベースとし残り半分の割合を指すものがメディアで目にするものも含め一般的なものであるように思う
同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプルで客観的で図式的な概念であり、本来の単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い
ダブルへ繋げる論拠として
あるいは血統主義から一方の国、この場合は日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す
正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う
先にクォーターをハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ
彼ら、彼女らの言うネガティブさである単語からのマイナスイメージで言うならクォーターはハーフより印象は悪い
ハーフが半人前ならクォーターは人間が四分の一しか出来ていない、となる
ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合、単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない
繰り返すが言語的な用法としてハーフとクォーターは現実として連なっている
ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない
クォーターに通じない論理でハーフを解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える
だがダブルの法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合の意味での用法ではなくなってしまう
それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーターは日本とアメリカのダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいてしまう
単純にハーフの上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない
だがなぜかそうではないのだ
単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフを否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない
そもそもこのハーフに対する話は日本の和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス的言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米で一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた
ただ日本のように単語自体にルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名や民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい
またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味にネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った
ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった
そういえば以前テレビ番組でハーフはネガティブだからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフのアメリカ出身の女の子がアメリカでも普通に使う、言葉自体にネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した
ダブルもハーフも海外で通じる通じない、という日本のガラパゴス的意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった
略さないのであれば、また略さないそれがそのままダブルの意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフに否定的になる理由はない
ならなぜダブルなのか
調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフやクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本でミックスを表現として使っている人も既に少なからずいるようだった
特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った
言葉としてハーフやクォーターと平行して組み合わせる事も可能で汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体にルーツの意を含ませる事自体も、ハーフやダブルと比較すれば難しくはないらしい
言語的にも、日本のガラパゴス的言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる
違う言語圏から見て、初めて聞くハーフというその言葉はネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う
そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう
そして誤解とはいえ、ネガティブな枠で自身が定義される、それ自体への拒否感も理解できる
だがその場合ハーフという言葉に言語として、用法としてのネガティブさは認められない
問題は日本独自の略語、和製英語が生む対外的な混乱による認識の差異、ただ1点だ
単語として、ハーフを基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える
実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフのマイナス面が語られ、ダブルのポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的なものに留まり、ハーフが差別的である、ネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ
ハーフのマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う
そもそもダブルが持つとする言葉のポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフのマイナス面を示す事でのあくまで相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う
賛同している多くもハーフのネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある
それにしてもダブルを肯定するという事は当然過去遡って差別的、ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしまう
そのポジティブさはハーフという言葉に相対的犠牲を理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と
確かに現実としてハーフという言葉にナショナリズム等から悪い意味をのせる人間はいるだろう
しかしそれは今の通例としての言葉の概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれたレイシズムにその他大勢の人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実の用法とはかけ離れるレイシストの意図をその文化圏の象徴のように語るのはそれ自体が差別的であるように思える
その上でネガティブな印象に受け取るのは個人の選択であり、本来の意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間の人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない
自身の自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する
それら全部分かっていてもハーフという言葉をネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉で自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする
だが、それはあくまで自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う
「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的でしかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る
そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない
その人間の意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定を理由にした小さな悪意であり、自尊心やアイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない
その人が言葉に持たせた意図やその言葉の意味でなく、ネガティブだと捉えた自身を根拠にポジティブになるためにその相手に非難めく
近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う
少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュアの男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た
そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた
画像の男の子は大和撫子とパリジャンのダブルだから、という言い方をしていた
もしかしたら設定として、その男の子は日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない
そんな可能性を示す、そこには何の異議もない
実際そのダブルは和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた
現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう
だが、これはアニメだ
この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉の存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う
女の子が口にしたハーフ=ルーツの意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語の用法そのままの意味でダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較をハーフとダブルの印象へと繋げる
先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂でしかない
そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身のルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフを使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える
だが、そこで略語としてのハーフを否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ
もしこの男の子がハーフがルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現であると理解しているならどうだろう
その場合、その子はハーフと口にした女の子を差別的な要素をも含むネガティブな言葉を無自覚にでも使った人間であると意識の低さを指摘し、また同時に相手の意図より自分が思う言葉の意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる
そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ
言葉としての意義に悪者であるハーフを否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ
これはあくまで仮の話ではある
だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実だ
そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ
今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュアの男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現も本来のダブルという単語の用法のひとつとして使う時が来るかもしれない
だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う
みなさんはバタフライエフェクトを知っていますか?
ブラジルで一匹の蝶が羽ばたいたことで、中国では台風が発生するのです。
そう、ほんの些細な出来事の積み重ねで今という歴史は成り立っているのですね。
なので、その些細な出来事をタイムマシーンで変化させることで、今の歴史を変えることができるのです。
そこで、歴史上に様々な事柄にほんの少しだけ介入し、歴史を変えてみようと思います。
以下、例です。
BiBioだけで配信されてた裏声優生活向上委員会を今の歴史よりも多くのオタクが聞く
中村繪里子と落合祐里香の関係が今の歴史よりも穿って見られない
そのためマイクがないことを弄られない
ヒャッコのアニメもそれに伴い純粋にアニメの出来だけで評価される
ヒャッコのアニメが面白いのは歴史的規定事実なので気持ち悪い声優オタクが口を出さないことで大ブレイクする
小野敏洋が文化放送を聞かないと性癖が今の歴史ほど極端にならず、小学館の漫画を読んでいる青少年の性癖も同様に今より穏やかになる
万乗大智のパンツのクオリティが低いことに誰も違和感を持たなくなる
久米田康治の仕事量が減り、アシスタントにジャングルジムを描いてもらう必要がなくなる
井上和郎ぐらいのエッチさが受けてマハラジャは畑健二郎でなく井上和郎となる
腐ったみかんという説教に苦情を入れまくった結果、今の歴史ほど金八先生がブレイクしなくなる
行き場を失った和月伸宏の劣情が本来の歴史よりも早く吐露される
玉ねぎの匂いが染み付いたゆうきまさみたちに犬の本能が拒絶反応を示し、押井守がパトレイバーに参加しない
押井守が今の歴史ほど影響を持たなくなり娘さんも今よりも仕事量が減る
乙一が結婚相手を見つけられず今よりも執筆ペースが下がってしまう
いつまでもTHE BOOKが刊行されないので、VS JOJOの企画も立ち上がらず、西尾維新がジョジョの小説を書くことがなくなる
本来の歴史より西尾維新の書かなければならない本が減ったため、宵物語が早く刊行されアニメ化もされる
加藤英美里が小野坂昌也と出会う前に花澤香菜との百合チュッチュッを演じることで自分の気持ちに気づき鹿野優以と幸せな結婚をする
南央美が自慢の霊感で幽霊を感知していまいそのスタジオに入れず、今の歴史よりもお仕事が減る
おみたま通販便の連載がなくなり、ももせたまみがナナとカオルぴんくぴゅあの方により一層力を入れる
スピンオフ元のナナとカオルもより一層励み、日本中で大人気作品になる
更科修太郎の元ネタである更科さんのWeb小説を評価する流れになる
更科さんの面白い小説といえば、主人公が妹のxxを食べされられたあとカレー屋でカレーを食べさせられる「深雪 ベリーショート 後始末編」に決まっている
日本中の人々がカレーに対する妙な嫌悪感を抱くようになり、カレー屋さんが減る
平城京という言葉がないため、城平京がデビューする際に耳目を集めたその特徴的なペンネームがつかない
城平京に相当する作家の作品が売れず、スパイラルもアニメ化しない
スパイラルがアニメ化しないため細田守の仕事が一つ減りハウルをやるときに今よりもパワーに満ち溢れ見事成功させる
風立ちぬが作られないため、庵野秀明が声優をせずエヴァに専念でき、エヴァは完結できる
オカピがいないとあいまいなオカピなんてよくわからないタイトルの番組が生まれない
VステがA&Gに負けない
濱口優と南明奈は四年間の交際を経て結婚しましたが、これが三年となると「三年付き合う信頼関係なのに、そう譲り合う気持ちお互いに忘れて過ごしてた」となります。
そのため、これを予言していたまじかるアンティークが再ブレイクし、リメイク版が制作されます。
そして、リメイク版には新ヒロインを追加しないとなりませんが、僕はテネレッツァが好きなので、彼女のルートが追加されると嬉しいと思いました!
自動的にまわる地球が特別な出来事であり何か起きないと未来は目の前にないから
で、タイガはそこなんだ。ふーん。
つまり、森博嗣はライト文芸作家ってこと? ラィト文芸って呼んだ方がいい? それは違う?
まあ、なんでもいいっすわ、おもろいし。
無理やりジェンダー論に持ち込む必要はなく、いい年こいて独身の人間は男女問わず、幼稚だったり能力の低い人間が多い。
障害者差別をしないため、健常者と同じ土俵に障害者を乗せて論じる。
最も心が幼く、所得獲得能力が低く、子を育てる能力にも欠け、そして未婚率が高い社会的集団は中程度以上の知的障害者である。
といっても障害者かどうかは白黒つくものではなく、スペクトラム(連続体)である。
多かれ少なかれ、そして男女問わず高齢未婚者は弱者性を帯びるということだ。
一方の子持ち既婚者については、明確な結婚と出産という区切りがあり(未婚の母などの少数例を除く)、高齢未婚者とは連続的な存在ではない。
しかも平均的な所得水準も自他のマネジメントスキルにも優れており、社会的にも生物的にも勝っている傾向にある。
そのような子を持つ世帯への公的資金による支援は明らかに過剰であり、知的障害者のスペクトラムから吸い取った税を実力者・能力者にばら撒くといった逆進課税的性質を持っている。
ゆえに、勝者をますます富ませる優生主義的政策である子育て支援は行う必要がなく、障害者と連続的な存在である高齢未婚者こそを支援すべき、と考える次第である。
・同じ価値観を共有している人間のみが「人間」であり、他は自分たちが言葉/暴力を通じて支配してもよい
・全体としての秩序(法律)は「なんか知らん人が勝手に決めた面倒くさいもの」で、自分たちの秩序の方を優先してよい
類似する振る舞い
・同じ価値観を共有していれば極めて社交的かつ友好的。環境が揃っていれば容易に群れる。
・「人間」以外に興味がないため、しばしば「オタク」「ヤンキー」「陰キャ」「陽キャ」などといった大雑把かつ曖昧な人の括りを好む。
・しばしば外部から見るとダブルスタンダードな言動をとる。本人たちにはそもそも「俺らが一番」以外に思想などないから、本人たちとしては理にかなっているのである。
・社会への不満感は強い。彼らを働かせる人間は基本的に「人間」でないことが多いため。彼らが譲歩しても認識できない。
・権利ばかりを声高に叫んでいるように見える。義務や倫理とは「人間」でないものから与えられるからである。
・私刑を頻繁に行う。価値観を共有していないのに自身と同じ集団に居る人間を許容できない。
「こいつムカつくしぶん殴りたい/炎上させたいけどもうボコボコだし俺はやめとくか…」という発想ができる人間がおらず、全員が最大限の攻撃を加えるため攻撃は峻烈。
・外から見ると優生論者に見える。「自分の思い通りにならないやつは死ねばいい」と思っているため。そのため自分は必ず優生とみなす。
・罪に見合った罰という考えが一切ない。「自分に害を及ぼすかもしれないやつは死ね」と考えているため。殺人だろうが窃盗だろうが強姦だろうが不倫だろうが罵倒だろうが全部死刑。
・約束は人並みに守るが駆け引きは苦手。「人間」でない人間の利益や思想、メンツを考えることができない。よく他人と揉めるが、本人は相手の頭がおかしいとしか思っていない。
・ある程度群れが大きくなると仲間割れを引き起こす。自分が当事者の場合は唯我独尊さが邪魔をして、自分が傍観者の場合は駆け引き下手が影響して、争いを止めることができない。そのため、「声がデカい」以外に政治的な影響力を発揮できない。
・「絆」「連携」「一体感」といった和を尊ぶような標語が内心大好き。
相違点
・ヤンキーの趣味は近しい他人が絶対に必要であるか、暴力に繋がる素養(腕っぷし)が必要とされることが多い。対してオタクの趣味は基本一人でもよく、またそれ自体が暴力に繋がらない。暴力が見逃されがちな大多数の学校では必然ヤンキーが主流となる。
・オタクバッシングが激しかった頃はSNSが今に比べて未発達だった。そのため、オタクは潜在的にはヤンキーと同じくらいいたが、局所的にマイノリティにならざるを得なかった。局所的なマイノリティであるために、数少ない同類と出会える場を失うような言動を避けるので真面目なように見えていた。
・最近はSNSが発達してきたことで、身近な友人を求めるヤンキーよりもオタクの方が勢力が大きく見える。
僕も「陰キャ」な趣味を持ってるけど、ヤンキー側からは同類として括られるオタクに妙な違和感を感じてた(直近だとマスコミ報道に対するオタクの過剰反応だとか、モバマス総選挙での内紛模様とか)。で、言語化してみたらこんな感じだった。
折角書いたけどさすがにtwitterに書き込むほどバカじゃないから、ここに書き捨てていきます。
こういう風に見てる人もいるんだな、くらいでどうぞ。