はてなキーワード: 伝統とは
そりゃ一夫一妻自体キリスト教的な伝統的男社会の制度だからね。
欧米、特にヨーロッパのフェミはそこから脱しようとして自由に性を謳歌する方向に行くパターンもあるように思うんだけど、日本のフェミは一周回って保守的だよね。
結論を言うと、現代の若者は世界に愛想をつかしており、救う価値が無いと思っている、ということである。
一方、資本階級である老人は、この世界は皆にとって素晴らしく、救う価値があると思い続けている。
映画、創作で人気が出るものは、その時代の二次創作である。ターミネーター・北斗の拳は冷戦時代の「いつか核が落ちて世界が荒廃してしまうかも」
という恐怖の二次創作として、読者は共感し、物語に入り込んだ。
どちらも来るべき運命を、救世主が救うというストーリー。当時の皆はこの世界は救う価値があるし、自分が上に立って救いたい、という救世主に憧れる思想があった。
当時は若者がそれなりに多かったし、世間の目も若者に向いていた。
しかしそういった作品も、冷戦が終わり、反戦的雰囲気が醸成されていくにつれ、
そこから最終兵器彼女やエヴァンゲリオン、スターウォーズwp1も、ある意味セカイ系に近い。のような、「大人の事情」によって子供が世界を救わされるという作品が幅を利かせてくる。いわばセカイ系と呼ばれる作品だ。
ここまでは、まだ現代が舞台で、この世界は救う価値があるかはわからないが、自分は英雄になって世界を救ってみたい、といわば中途半端な思想だった。しかし、スターウォーズやジュラシックパークが幅を利かせてきたように
「ここでないどこか」への幻想というものが生まれてきたのもこの時代なのではないかと思う。
そこから、異世界系の物語、ゼロ魔だとかが人気になる。千と千尋の神隠しもそうだ。「大人の事情」によって子供が「異世界を」救わされるという作品が表立ってくる。
しかしここまでは、この世界は救う価値があるかもわからないけど、戻る価値はあった。自分は英雄になって世界を救いたい、という思想は残っていた。
そしてそこから不良マンガが流行った。一種のパラダイムシフトなんかではないかと思う。
この世界は救う価値は無いが、少なくとも自分の周りの地域は救う価値はあるんじゃないか。地域の中の英雄くらいには慣れるんじゃないか、という思想。
しかしそれもすぐ終わる。不良が色々やらかしたのを見た人々は、反骨精神も、世界の価値も、英雄譚的物語も、現実だとしょうもなくくだらないものに見えてしまった。
全てが虚無でダサいものになってしまった。というより、不良は伝統と化した。
特攻服を買うのは一部の金持ちのボンボンの子だけで、不良的ツッパリも逆に今の教師世代からは推奨される始末。twitterで決闘の話が、守るべき貴重な青春物語として保護されるようになった。
そして現代に至る。景気は良くなってると言うけれど、肥えるのは中年の資本家だけ。若者は職にはありつけるが賃金は低い。年金問題がよく語られるが、それを見て解るのは
貧しい若者の金が、さらに肥えてる中年に吸われていく絶望的な営み。消費税が上がって、年金問題が解決すると喜ぶ老人たち。世の中にあふれる物語も、左翼全盛期の中年の為に用意されたポリコレばかり。
洋画もシリーズ物で興行収入を稼ぐものばかり。結果、なろう小説が流行る。
なろう小説は「行きて帰らない物語」だ。英雄になりたいとは思っても、ニヒリズムに溢れた主人公で、人の上に立ちたいという欲望は薄い。
この世界は救う価値が無くなり、英雄にはなりたいけれども、人の上には立ちたくない。自分の周りの大切なヒロインを守ってればそれでいい。
という価値観である。一億総るろ剣時代だ。皆を助ける事は出来ないが、自分の周りくらいなら助けられるだろうと言う世界観。
現代を救う話は、共感できなくなってしまった。むしろ現代を壊す側の方に感情移入してしまう。
天気の子が売れたのも、そういう世相を反映してるのではないかと思う。君の名はまでは小さな地域を救う話だったが、天気の子はセカイを壊す話だ。
ゼロ年代あたりで生まれたセカイ系の物語に対する回答、「一人の子供ですら潰して利用する世界に価値はない」という回答。
「何も知らないままで、知らないふりをしてる」豊かな人たちに「何も足さず、何も引かないでください」と訴えかける作品。
ジョーカーが人気が出たのも、そういう世相を反映しているからではないか。
現代を描くには否定的になり過ぎ、異世界を描くには肯定的になり過ぎる世界。この先はどうなるのだろうか。
異世界にすら絶望して、人一人、自分すら救えない話になるのだろうか。
ひょっとすると、ジョーカーは一種の異世界モノなのではないかと思う。兎に角世界を壊して、勝手に皆が英雄として崇め、ニヒルな笑顔でそれを見つめる。
"資金循環 ゆがみ拡大 借金、政府に偏在 日米欧企業カネ余り-チャートは語る"日本経済新聞2019年11月10日
"ピーターソン国際経済研究所のオリビエ・ブランシャール氏は金利が成長率より低い現状では財政赤字の許容度が高まると説いた。"
"上智大学の中里透准教授は「経済低迷を放置すればデフレに陥る。経済政策として財政健全化は選択しにくい」"
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO5185015006112019MM8000?disablepcview
なぜお金があまると、貯蓄が過剰だと財政健全化できないんでしょう?
Ys = Yd, Y = C + I + G + NX という等式からスタートします。
前者は生産、分配(所得)、支出面からみたGDPの三面等価より総供給Ys=総需要Yd、後者はYが所得、Cが消費、Iが投資、Gが政府支出、NXがX-M、経常収支でプラスなら黒字です。これはマクロ経済学の基本なので、分からない人は教科書などで確認しておきましょう。
Y - C - I = G + NX
左辺はY、つまりその期間に生産された財・サービスから消費と投資(いずれも家計がする場合、企業がする場合があります)を除いたものですから民間部門の貯蓄です。つまり民間部門の貯蓄は政府支出と経常収支の黒字の合計に等しいということです。
もちろん消費も投資も政府支出も、異なる経済主体が独自の判断ですることなので、当期に直ちに等しくなるとは限りません。事後的に等しくなる方向で経済が動くという意味です。Ys > Yd 、つまり供給過多で生産された物・サービスから売れ残りが生じても、長期間でみれば価格調整メカニズムが働いて、Ys = Yd となるのかも知れません(この考え方を"セイの法則"といいます。)。しかしながら短期間で観察すると価格調整メカニズムが働くといっても限度があります。売れ残りが生じるとなると、企業は次年度はむしろ生産する数量を減らすでしょう。つまり、少なくとも短期間でみると需要が供給を規定しているのです(この考え方を"有効需要の原理"といいます。これはケインズの発見とされています。)。
では民間貯蓄が過剰な場合に経済を縮小しないで左辺と右辺を均衡させるにはどうしたらいいでしょう?
まずIを大きくする、つまり投資を増やす方法があります。全体としてのIは利子率rの関数とされているので(これを"投資関数"といいます。)、貨幣供給を増やして金利を下げることです。ただし利子率が10%もあればいいのですが、下げて下げてゼロかゼロ近辺に達した場合は、これより下には下げられないか、下げられたとしても(注1)Iを増やす効果は限定的です(この状態を「ゼロ金利制約」「流動性の罠」といいます。)(注2)。そもそも過剰貯蓄とは本来は資金不足で、つまりお金を借りて商売をしていた企業が資金余剰に転じたから生じた現象で(家計はもともと資金余剰です。)、企業が資金余剰というのはお金の借り手がいないということですから、そういう現象が生じた時点で利子率はかなり低いのです。
次にNXを増やす方法があります。ただ、この方法は他国との軋轢の原因になるうえ、貿易黒字は通貨高を招き国際競争力の低下を来たすので、ドイツのように特殊な国際環境でもない限り増やすといっても限度があります(注3)。
残った方法はCを増やす、つまり減税か、Gを増やす、つまり政府支出の拡大です。いずれも財政状況は悪化します。中里准教授が「経済政策として財政健全化は選択しにくい」というのはこのようなメカニズムを指しています。いくらお金があっても誰かが使わないと所得は産まれないのです。
財政健全化というのはマクロ経済的にいうと貧しくなれというのと同義です。もちろん少子高齢化ならやむをえないとか、むしろ経済成長にとらわれない里山資本主義でいくのだ、というのもひとつの生き方、選択だと思いますが、それならそれで正直にそういうべきで、財政健全化したらみんなが安心して豊かになってという説明はどうかと思います。
(注1) 銀行間の借入れ金利に働きかけることにより銀行が家計や企業に貸す出す貸出金利を間接的に下げる「伝統的な金融政策」に対して、ゼロ近辺に達したインターバンクレートからターゲットを変えて、ターム・プレミアムとリスク・プレミアムによってそれより高く設定されている長期金利を下げることを狙うのが、いわゆる「非伝統的な金融政策」です。貸出金利の指標商品である長期国債を大量に購入する、MBSやETFなどのリスク資産を購入してリスク・プレミアムを下げる、インフレ目標と金融政策の先行きを示して期待インフレ率を上げる、などの方法があります。
(注2) 近時、低すぎる利子率は弊害を産む可能性があることが指摘されています。"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"、ラリー・サマーズのいくつかのツイートを参照。https://anond.hatelabo.jp/20190824134241
(注3) ドイツの事情についてはマーティン・ウルフ「日本化しないドイツの幸運」フィナンシャル・タイムズ、日本経済新聞2019年11月1日がよくまとまっています。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51634760R31C19A0TCR000/
"れいわ新選組と立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいかも追記しました) "
https://anond.hatelabo.jp/20190622204530
"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"
先輩にとって記憶に残るのはその一人、その他大勢は記憶に残らないし不平等意味なし
しかもその代金、みんなから回収しても大体お土産決めるのは一人、こっちには意思決定の余地なし
金出したのに自分の知らないところで全て決まるの不快、俺も一緒にお土産決めたい、という気持ちはそんなない
結局そういうのが習慣化して伝統と化すと先輩も分ってる
先輩の為にお土産買うのメンドクサイ、そういう気持ち薄々気付いてる
先輩にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル
伝統や文化の消失に対して「そういうのは変化するものだから」と保存に対して理解を示さない人がいる。
それに対して私が言いたいのは、変化した結果が良いか悪いかは別の話。変化するからと結果が無条件に良いわけじゃない。
ゲームの新たなジャンルの登場のように何かが追加されたなら良いけど、既存のものが無くなるならば慎重になるのは当然だと思う。
評価基準は知らない。でも、美しいものかとか、親しみやすいかとか、その地域や国の個性が現れていて独自性が強いかとか、既存のものに対する影響はとか色々あると思う。
もちろん新しいものが生れない社会は問題だと思うし、古いものをもとにして新しいものが生れないのも問題だと思う。
でも今生きる時代の人たちが一生懸命作った文化もサブカルチャーも、未来で「そういうのは変化するものだから」と軽視されて消滅したらどうだろうか。
そんな世界で新しいものを生み出す甲斐ってあるのかなーと思った。
ま、受け売りだけど。
グアテマラってどこにあるのか知らないひとでも
その経験で思うところを書いてみる。
中米地域は北はグアテマラから南はパナマ、コロンビアあたりまで、コーヒーは主要産業なので
とても安く手に入り、日常的に飲んでいる。
グアテマラといえばコーヒー豆の名前だと思い込んでいたこともあり、
さぞかしおいしいんだろうと思って現地で買って飲んでみた。
ところが、どれを選んでも美味しくない経験を何度もしてきたので、そんなはずはない、と思って
口コミを頼りにブランドを選んでスーパーマーケットで買ってみた。
イザベルブランドのコーヒー。今のところ、グアテマラではこのコーヒー(銀のパッケージのほう)がマイベスト。
これが現地では評判のブランドだったので、試しに飲んでみたら、まさにこれ!このおいしさ。
というわけで、コーヒーの本場グアテマラだからといって全ておいしいわけではなかったというのが教訓。
グアテマラから飛行機で南にひとっ飛び2時間のところにパナマがある。
そして街で売っている激安コーヒーはどれもひどい味。
パナマ産のコーヒーとして外国でもっとも知られているのはゲイシャコーヒーというブランドだろう。
街のカフェで一杯10ドルとか、信じられない高値。1パック7~8千円などとても手が出ない。
一度は試してみたいところだが、たかがコーヒーに、、、である。
国名すら知らない人もいるかもしれないが、ホンジュラスは中米では有名なコーヒーの産地。
やはり地元の人に教えてもらって勧められたコーヒーの中から二つ選ぶと
http://cafecopan.com/es/inicio/
https://www.facebook.com/CafeDonJeronimo/
街のスタンドで挽いて袋につめてくれるのだが、ホッカホカしていてうれしい。部屋に戻ってドリップすると
泡の立ち上り方がすごい!ドリッパーからあふれんばかりの泡が醸し出す芳醇な香り。
人によっては、あるいはドリッパーによっては苦みが足りず、粉を増量してする人もいるようだ。
恐らくコーヒーメーカーでは調整がうまくいかず、手で注ぐほうがいいのかもしれない。
しかし、中米地域のコーヒーのなかでは、一番、日本人のテイストに合うと思っている。
また、2019年、ホンジュラスのコーヒー零細生産者の葛藤を描いた
Café con Sabor a mi Tierra というホンジュラス映画がオスカーにノミネートされている。
https://www.youtube.com/watch?v=CDPB0WT7sAc
続いて紹介するのは、コロンビア。
コロンビアとコーヒーのイメージが結びつかないひとはいないだろう。
しかし、意外にも、JUAN VALDEZの名声が日本ではあまり聞こえない。
フアン・バルデスはラテンアメリカでもその名を知らないひとはいないくらい有名なコーヒー生産者である。
フアン・バルデス・ブランドのカフェテリアも世界に出店しているが、数はそんなに多くない(世界約300店舗)。
日本にはまだ上陸していない。現在韓国とマレーシアには店舗があるそうだ。
フアン・バルデスのカフェ、高品質のコーヒーを堪能できるのもさることながら、
面白いサービスのひとつとして、カフェで豆を選んでから、さまざまな抽出方法をチョイスできるのもうれしい。
サイフォン、水出し、いろいろ。中には京都式という名前の抽出メニューがあって気になっているがまだ試したことはない。
長くなったので、最後にコスタリカを紹介して終わることにする。
コスタリカには、チョレアドール(Chorreador)と呼ばれる、伝統的なドリッパーがある。
木材のスタンドに針金で布のドリッパーがついている簡素なものから、お土産で買える家具調のものまでいろいろ。抽出方法は日本でネルドリップとして知られている方法。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB
コーヒーの生産地である山岳地域の田舎にいくと、大量につくってみんなで飲むのか、巨大なチョレアドールをみかけたりする。
コスタリカ大手のコーヒーで有名なのは、なんといっても1820ブランドだろう。
参考ウェブサイトのリンクが安全じゃない様子なので、リンクは張らないことにする。
しかし、1820がコスタリカでは、安くて家飲みコーヒーとして定番中の定番といっていいだろう。
以上、紹介してきたが、
いずれも日本では入手が困難。
せめてコロンビアのフアン・バルデスだけでも、日本出店を果たしてくれれば、日本人のコーヒー経験値はグンと跳ね上がるだろう。
日本特有のイキリカフェとかね、最近話題になっていたけれど、美味ければなんだっていいんだよ、勝手に枠にはめて世界観押し付けんなと。
もう洗い流されてほしい。
科学に対する態度が恣意的で適当なところと、制度や習慣に対しても敬意をもっていないし、
(天皇の恩赦のときに、天皇制を功利主義の観点でしか評価していないネトウヨがわんさかいた)
認識論哲学の伝統的に、客体という概念はそうそう生身の人間が扱える代物じゃないのに
フェミの性倫理の文脈だと性的客体化とかいう謎の概念が当たり前のように登場する。
科学哲学にも意図的に距離を取ろうとしているみたいだし、そりゃ歴史修正主義のネトウヨと
そのとおり
空気を読むということができるわけです。
ただ、じつは空気なんてほんとは読めてなくて
みんな同じことを考えているので
この場合はこうだという答えがあるわけです。
例えば、
このとき異議があるひとは異議があると申告しても良いとします。
組体操をやるという意見でないといけないのだ、と答えがでます。
答えというよりは思考停止なのですが、これが空気を読む正体です。
日本では同調しないものは認めないからです。郷に入りては郷に従え
もちろん教師の世界もこれがあり、ひどいところだと東須磨小というところが有名です。
このときだけは無敵です。
11月最初の週末は、ラグビーW杯2019日本大会、最後の週末だ。
ラグビー伝統国以外での、そしてアジア初開催となったこのトーナメントも残すところは2試合を残すのみ。
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大会を振り返った時、3位のチームを覚えている人は少ないだろう。
地上波放送もなかったし、3位決定戦自体の存在意義に疑義を唱える関係者もいると聞く。
しかし、今回、不可抗力で中止になった試合こそあるものの、W杯の開催地に最後まで残って、参戦したときに行う可能性のある7試合全てを戦えるのはここまで残った4チームにのみ許された権利だし、この大舞台で戦う経験を積む新星、そして代表戦の舞台から去るベテランたちにとってこの一戦は大きな意味を持っている。
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ニュージーランドのWTBリーコ・イオアネや、ウェールズのSHトモス・ウィリアムズ、CTBオーウェン・ワトキンはこの3位決定戦で次の4年に向けた新たな一歩を踏み出し、No8キアラン・リード、FBベン・スミス、CTBライアン・クロッティ、FLマット・トッド、そしておそらくはこのステージで残された時の少ないLOアラン・ウィン・ジョーンズといった伝説たちが、代表として有終の美を飾るための戦いに臨む。
また、スティーブ・ハンセン、ウォーレン・ガットランド両HCも退任が決まっており、これらはこの試合が1つのサイクルの終焉と新たなサイクルの始動を繋ぐものであることも意味している。
強豪国として名をはせる両国は今夜、どのような「終わりと始まり」を見せてくれるだろうか。
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若手に経験を積ませたりベテランの花道を作ってやりたいとは思っても、負ける気など全くないウェールズ。
伝統の固いディフェンスと激しいタックルは若手にも浸透しているであろうが、相対するのは攻めてくるのを待っていて勝てる相手ではない。
ウェールズは攻撃的守備を遂行しつつ、ペナルティーキックやセットプレーなどの一瞬の勝機を何度ものにできるかが問われる一戦となる。
対してスタメンを大幅に入れ替えても世界的なビッグネームばかりという層の厚さを誇るオールブラックスは、完全に封じられれた準決勝の苦い思い出を払拭し、自信を取り戻さないといけない。
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国家斉唱を前にこの試合で黒衣を脱ぐキアラン・リードの頬に笑顔が漏れる。
スタジアムが純粋にラグビーを楽しむ祝祭的なムードに包まれる中、両国の代表と観客が声を合わせて歌う国歌。
特別な試合、原則マオリの血を引くものが務めるとされるハカのリードはキアラン・リードだった。
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いよいよキックオフ、増田の予想に反してウェールズは試合開始から果敢にランで展開しつつ攻めるが、これを止めたオールブラックスがペナルティを獲得、外れたゴールキックの攻防からボールをつなぎ、なんとPRのジョー・ムーディーが激走してトライ!
つづく12分にもラインアウトからのセットプレーでクロスパスを受けたFBボーデン・バレッドがディフェンスをすり抜けてトライ。
14-0。
オープンな展開から2トライを奪ったオールブラックスが序盤をリードする。
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対するウェールズも深く攻め込んでからのセットプレーを取り切ってトライ、その後もペナルティーゴールを獲得し14-10とやり返していく。
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しかし、ボールをもってもキックを使わず走るウェールズが挑んだ攻めあいはオールブラックスの土俵で、32分にはセットプレーからターンオーバが連続する混乱をベン・スミスが走り抜けてトライ。
銅鑼のなった40分すぎにまたもベン・スミスがインゴール右隅に飛び込み、28-10として前半を終了した。
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スタンドに観戦にやってきていた上皇夫妻に送られる拍手と歓声。
トーナメントを勝ち上がってきたキック主体の戦術を使わずランでのオープンな展開で攻めたウェールズだが、オールブラックスの得意な混乱からの打ち合いを誘発してしまう。
ウェールズは今日が代表最後となるベン・スミスの2トライなどで大幅リードを許して前半を折り返した。
後半は締めていくのか、覚悟を決めて引き続き果敢に攻めるのか。
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後半開始早々、オールブラックスはまたもベン・スミスがディフェンスをすりぬけてチャンスメイクし、ソニー・ビル・ウィリアムス一流のオフロードでつなぎ、ライアン・クロッティが飛びこみトライ。
今大会を若い力で駆け上がってきたオールブラックスは、3位決定戦でみせたベテラン3人のアンサンブルで35-10。
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ウェールズは残された大舞台最後の時間を観客とともに全力で楽しむように、後半もキックを使わずランで攻める。
オーソドックスな展開攻撃だけではなかなかビックゲインができなかったが、辛抱強くボールを繋ぎつづけ、インゴールライン間際の攻防からジョッシュ・アダムズが頭を突っ込んだ!
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ゲームは選手の交代が相つぐ時間となり、大歓声で送られるウェールズのアラン・ウィン・ジョーンズやオールブラックスのソニー・ビル・ウィリアムズ。
最もセクシーなアスリートと世の女性にもてはやされながら、前大会で得た金メダルを興奮してフィールドに降り駆け寄ってきたファンの子供にあげてしまうなど、セクシーの期末試験があったら記述問題に採用したい振る舞いがノータイムで出せる伊達男ソニー・ビルは、13人制でカナダからのオファーがるという。
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腕を痛めたウェールズSOリース・パッチェルの交代で怪我の穴埋めにとことん縁のあるダン・ビガーがフィールドに降り立ち、同じく交代で入ったSHガレス・デービスがややキックを増やしたことで後半の展開は均衡したが、やはりオープンなゲームであることは終盤になっても変わらない。
観客にラグビーの楽しさを示すように攻め合いになったゲームは、75分にウェールズ陣深い位置からのスクラムからオールブラックスSOモウンガが、その均衡を破るトライで40-17として、このスコアのままゲームは終了した。
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おそらくは互いに最後のW杯となるアラン・ウィン・ジョーンズ、キアラン・リード両キャプテンが晴れ晴れとした表情でインタビューに答える。
準決勝の苦い敗戦を払拭し、最後の試合を飾ったスティーブ・ハンセンHCは大歓声に送られ、花火大会の打ち上げ本数で上回られたウォーレン・ガットランドHCは少しだけ悔しそうな表情で、しかし歳月を噛みしめるようにウェールズを鍛え上げた日々への思いを語った。
今大会で堂々オールブラックスの司令塔を務めた新星モウンガは試合前に「先輩たちのために今日は戦う」と語ったという。
ウェールズの選手たちも同じ気持ちではなかったのだろうか、去る者の思いは若い戦士たちに受け継がれていく。
4年後には彼らが先頭に立ってチームを引っ張っていくのだろう。
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決戦の1試合を残して大会を去った彼らだが、大会後にはキアラン・リード、ライアン・クロッティ、マッド・トッド、ブロディ・レタリック、サム・ホワイトロック、リーアム・スクワイアなど、多くの選手が日本にやってくる。
あと、W杯が始まってからというもの、どうにも悪役キャラのようなセリフを吐きまくるエディーがまた口を滑らせたおかげで、スティーブ・ハンセンが次に指揮を執るのがトヨタヴェルブリッツであることも明らかになった。
日本代表の躍進をその屈強な身体で支えた姫野を擁し、元オールブラックスのキャプテンとHCがやってくるトヨタは台風の目になるだろう。
W杯を沸かせた彼らのプレーや采配を間近で見ることのできる、トップリーグのスタンドにも是非足を運んでほしい。
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そして、日付が変わって11月2日、2019年大会を制するチームがついに決定する。
追憶と希望をのせたトライの花火と歓声が夜空を彩った今夜だったが、次の夜はもっとシリアスなものが飛び交うだろう。
44日間の激闘を見守ってきたウェブ・エリス・カップは、白と緑、どちらのユニフォームの上で輝くのか。