はてなキーワード: プライオリティとは
今現在は卒論を書いている身ですが、去年の今頃は就活で頻繁にいろいろなイベントに出たりしました。
就活のことを振り返ってみるととりあえず内定は数社にいただくことができ、それなりに名の知れているところに行けたかなという感想です。
そんな僕が就活中にうんざりしたいくつかの質問があるのでいくつかあげておきます。
Q. グループで開発しているときに、実装方法などで数人が対立しているときにあなたならどうしますか?
A(内心). 仕方ないことだけどそれ聞いてどうするの、当たり障りのないことしかできなくない?
大体は「その人たちが納得いくまで話しをさせる」だとか「ほかの人の意見を聞いてみる」とかしかないでしょ。
自分の場合は前者を選択して話していたけど、それでもなお「ずっと話してるときはどうしますか?」とか聞かれる。
ずっと話すにしても大人としてバカみたいに長話するわけなくないですか?じゃああなたの会社のエンジニアは全体の設計段階はまだとして、開発中に1週間とか平気で実装方法に話するんですか?
インターンで何社か参加してそういう場面に立ち合ってきたわけだけど、そんな長くやってるところなんかなくないですか?
面接で最後の質問の時に同席していた現場のエンジニアの人とかに逆に質問して聞いたけど5社くらい聞いて結局返ってくるのは「その人たちが納得いくまで話しをさせる」にそれっぽい説明を取ってつけたようなものでした。
虚無な質問だったなぁと思いました。
ずっとプログラム書いてる人間なんか絶対いないでしょ、twitterを眺めるし、外でショッピングするし、pornhubで自己を慰めるでしょ?
結局やっていることはそういうのをひっくるめて気分転換でしかない。
気分転換の方法を聞いてるだけなのだったらそういう質問をしてほしい。逆に僕たちに何を求めているんでしょうか
「とりあえず身体的にも精神的にも疲れていると思うのでちょっとPCから遠ざかって休養を取りますかね」と言ったら「それでもダメだったらどうします?」みたいな質問来た時にはビビった。大学生がそこまで来たら大学を辞めて実家の手伝いをするべきか心療内科の受診をお勧めします。
Q. 私たちの経営ビジョンや目標についてあなたはどう思いますか?
A. 興味ないね
エンジニア志望学生は経営ビジョンよりもCTOや社内の雰囲気、使用している技術に惹かれています。確かに経営ビジョンも判断材料の一つですが、多分それはプライオリティが低いです。
本稿では、現在の「ファン/オタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的な視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品・概念・グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブな言葉として用いる。拡散し多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像を画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルやジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。
「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数の女性キャラの日常生活を描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメは2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的にドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系」カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみ「らき☆すた」(2004)や、なもり「ゆるゆり」(2008)などが代表的なものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語を想像して消費することができるからなのではないだろうか。
関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティの担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D/3Dの二次元的アバターを現実の肉体の動きとシンクロ(トラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況や雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそも「YouTuber」の動画には前提とされる物語や世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在の人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである。難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナ、キャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナとキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。
そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNSや動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物の画像を投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名の存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女・美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダーと次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。
つまり、「実在の人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系・関係性」が、液晶内のキャラクタバターと動画配信という形態の手軽さにより、オタクの関係性消費への志向は次元を超えてさらに加速していくと予想できる。
・関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味さ
前章で関係性消費への志向がさらに高まると予想したが、本章ではオタクのジェンダー格差について女性向けジャンル・男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態に差異があるのだろうか。
もちろんHL(異性愛)文化を扱う少女マンガ・少年マンガにおいても恋愛・友情・ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BL/GL文化ではそれ以外の登場人物の関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉の意味合いについて掘り下げ、BL/GL(同性愛)ファンの文化それぞれの特徴から考察してみたい。
女性オタクの人文学/社会学的研究に関しては、特に「腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的な女性の性的欲望の解放」といった視座からの言説であった。特に「腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全な領域において、性的な表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったものも存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在の日本の混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。
今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からのマイナスイメージを払拭しようとしたり、イベントやSNSでの趣味やスラングの共有による特殊な連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティの特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛を排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドやレズビアン連続体、ホモソーシャルな関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。
では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望やコミケでのゆるやかなホモソーシャルな交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツは受け手のジェンダーによって大きくその意味合いが変化してしまう場合があるからである。そして男性のGL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別は限定されていない。これはGLというジャンルを男性だけが消費することに対することが上記の齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称が流行ったのはBLというジャンルを女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。
また、百合厨コミュニティにおける異性愛忌避の姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造は腐女子のジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。
こうして述べてきたように、同性愛コンテンツのファンの構造は非常に複雑で特殊なルールの基に成立している。しかし、上記の性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファンは異性愛を忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものがオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物と消費者のセクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊な連帯がプラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuberの関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuberの関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性、ペルソナがシス女性、キャラクタがシス女性のキャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンはキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象はアニメ・漫画においても進んできており、創作物と受け手のジェンダーが必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。
【続きと参考文献リスト】
あなたの職場が営利企業の1部課、あなたは役員ではなく従業員であると仮定して読みました。(違ったらご放念ください)
資本主義体制における営利企業であるからには、株主からの出資を元に、資金(借入金とか)や設備(店とか工場とか)や人材(あなたをはじめとした従業員)を調達して利益を上げることが、会社全体の大きな目標です。
仕事は社長一人ではできないので、役割分担をし、それに〇〇部とか○○課とか名称がついた単位があなたの職場ということなるかと思います。
大きな組織になればなるほど、会社全体の動きと日常のタスクが関連しないように見えてしまう傾向があります。
個々人の行動原理はどんな人でも、自分のために行動しているのです。正義とかではありません。(正義を行使することは快楽であるという学説もありますが)
残念ながら、あなたが失望された点である、いい職場であるとか、女性が働きやすいとか、は、はっきり言ってプライオリティの低い目標になります。
企業には社会的責任がある、というのももっともなのですが、ありていに言って「世間体」以上のものではありません。
あなたにとって、あなたの職場があなたの意に染まない点が多くて、我慢ができないのなら、もっと自分らしく生きられる場所を探すことをお勧めします。
大企業よりも、社員全員の顔が見える中小企業やベンチャー企業のほうがいいかもしれません。
あるいは、あなたが共鳴できる理念を実行しようとしている公的機関やNPOなども考えてみてください。
生活の安定が、というのは誰でもそうです。凡人はそうして泥水をすすって生きていくしかないのです。
現実に違和感を持つというのは、大事な感性です。理想を追求して生きられる人は選ばれた人なのです。
さて、あなたはどちらですか?
幾ばくかの快感と共に放出した排泄物が紆余曲折を経てヒトのカタチを得ると知り頭で理解したとしても愛情を持てだの嫁を置いて出かけるなだの言われても腹の底では絶対わからないと思う。
女の身体は子宮に命が宿った途端、全ての優先順位が「腹」になる。自分の経験ではそうだった。脳のケーブルが全く違う回路に繋ぎ直される感じだ。いきなり基盤を取り替えられたような気さえする。妊娠前のオリジナルの考え方はどこかへ消えて、赤ちゃんを守りたい><それだけ><botになる。髪も、血の一滴も、皮も、五感も、自分の全てのリソースが腹の中に割かれるように感じる。</p>
でもそんな女だって誰か自分以外の他人とのセックスのあと他人の身体に残った自分の体液が十月十日後にはホモ・サピエンスになりますと言われていきなりその他人へ自分の人生のプライオリティを捧げられるだろうか。
まあ、無理だろうなあと思う。
女が頑張るしかない。
悲しいけどこれ、戦争なのよね。
例の大吟醸さんの旦那さんもそんなに叩かれることではないのでは、とは感じる。飲み会に行かず家にいたとして俺に何ができんねんて考えてそう。まあしゃあない。し、本当に愛せる女になら側で支えてあげられるタイプの男もいるので、赤い糸でなかったってことで中絶離婚でいいんじゃないかな。産みたくないと感じる子を無理くり産んで、数十年慈しむ必要性に駆られる状態になる方が悲劇だ。
そんな感じで少なくとも十月十日は埋められない溝があって、溝を男性の身体で肩代わりしてもらうことはできない以上、性差を認めて社会を作っていくしかないんじゃないのかなあ。とは思うイチ母親なのでした。
<<女は何度も達することができる>>
というのを私は、男性経験がある女で一度もイった経験がないけど信じてました。
私はないけどきっとそういう人も沢山いるんだろうと思ってました。
でも、よく考えたら、世の中の一般人の男がものすごいテクニシャンであるわけがないんだよね。
実際、この人のお友達の彼氏みたいな話ってよく聞くし。私も前の男からもっと感じろとかダメ出しされたことあるし。
とすれば、女の人が何度も達してる演技をしている可能性も高いと考えられる。
自分も相手に対する礼儀として、挿入されてるときAV女優の劣化コピーみたいな反応をしてるわ。(あんなオーバーにやったらバレるから、わざと控えめにしてる)
私は、旦那とはなんでも話し合えるいい関係を築けてるとは思うけど、挿入されてる時、特別気持ちいいとは思っていないことは言えないしいう必要もないと思ってる。
何が言いたいかというと、私みたいにセックスのプライオリティが低いから、感じてる演技をして相手を安心させていい関係築いてる人も多いんじゃないかということですわ。
あ、もちろん。挿入以外は気持ちいいと思ってるよ。その辺はニャートさんと同じ。
よく本当にご縁があれば必ずまた巡り合えると昔は言われていたけど、今なんかはネットで検索すれば、昔好きだった人の近況がなんとなくわかってしまって、ご縁とか運命を自分で強引に引き寄せることが可能になってしまったと思う。
mixi全盛期、都内で大学生をしていた私は、mixiで京大文学部の学生と知り合って、1年くらい文通していた。
文学系のコミュでの書き込みから辿って私を見つけたのがきっかけだったらしい。
文通内容は主に最近読んだ小説とか好きな詩人とか映画についてで、本当に話が尽きなくて楽しかった。
私も文学部の学生だったが、同学のリアル知人と文学談義をするとなんだかマウンティング合戦みたいになってしまって、ちっとも楽しくなかった。
そんな中で、見知らぬ彼との文通はすごく新鮮で、渇いた人にとっての水のように貴重なものだった。
私が、本当に欲しがっていたものを初めて与えてくれた人だった。
ポルトガルの詩人のペソアの好きな詩を引用して教えてくれて、うれしかった。
私が、すすめた澁澤龍彦の本を読んで、感想を言ってくれたのがうれしかった。
彼とは一度だけ、東京でデートをしたことがある。私に会いたいと言ってくれて会うことになったのだ。
その時に着ていたふりるのガーリーなワンピースを今でも大切に持っている。もうあのデザインの服が似合うような年齢じゃないし、袖を通すことはもうないけれども、大切すぎて捨てられない。
初めてオフで会ったとき、緊張していてあんまり話せなくてごめん。あの時、京都に遊びに行く約束をしたのに行かなくてごめんなさい。
あの時は、本当自分のルックスに自信がなくて、あなたをガッカリさせてしまったんじゃないかとずっと思っていて、その後、コメント無視したりとか色々失礼な態度をとってしまってごめんなさい。
言葉は悪いけど、あなたの前に誰かどうでもいい男と練習をしておけば、うまく女の子役を演じることができて、お付き合いすることができたんじゃないかと今でも後悔しています。
恋愛の始まりには、女は「女の子」役をやらなければならないことの重要性は、おばさんになった今深く実感しています。
お付き合いしたところで、私はもともと「女の子」をやるのがうまくないから、化けの皮が剥がれておそらくは短命な恋愛になったとは思う。あなたが文学が好きな「女の子」を求めていて、私はそれにあてはまらなかったと思うから。
あなたが、知的じゃないけれどもふんわりした女の子とご結婚なさっていることを突き止めたときはやっぱりねと思いました。あなたにとっては、相手が文学が好きであるということよりも「女の子」であるということの方がプライオリティが高かったんですよね。
第三者的な目で見たら、mixiで引っ掛けた女と会ってみたけど、あんま好みじゃなかったからやめといたという身も蓋もない話だけど、私にとっては一生で最も輝かしい体験でしたってことで書き捨てます。