はてなキーワード: ストッパーとは
サバンナ高橋は自虐が多いけど、他人を嘲笑して笑いをとりたい欲求が先にあって、
でも一方的に他人を笑いものにしてるとヘイト稼いでしまうからエクスキューズとして自虐しているんだと思う。
常に傲慢で横暴な人間は避けたほうがいいが、逆に自虐が多い人間ともあまりかかわらないほうがいい。
自虐が多い人間は、卑屈と傲慢を反復横跳びしていて、ニュートラルになれないやつが多い。
しかも傲慢で横暴な人間に比べて被害者意識が強いから、攻撃性にストッパーがない。
自分はいじめられてきたオタクだから何をやってもいい思考の害オタ、自分は女性差別されてきたから何をやってもいい思考のツイフェミ等、
なぁーにが「ヘタな人間より賢い😍」だ
ヘタな人間っていうのはな、お前だよ
クツをはく前に、靴下を履くことすらできねえのによ
ツラが可愛いだけのザコだ
ツラっつうかさあ、あいつら、毛え剥いだらツラもキメエだろ
毛だけだ毛だけ 毛だけの存在だ
それが何ですか君たちは
少なくとも賢くはねーよ
社内イチの無能だって、コンビニ行って商品選んで「支払いはPayPayでお願いします」なんて言って、アプリ立ち上げてバーコード決済できんだって
猫がバーコード決済してたらどうする?
知能において、俺たちはやつら畜生を置き去りにしているの
断絶があるんだよ
なのにさあ、ドアのストッパー外した程度のクソザコバカネコがテメーより賢いだと?
テメーのほうが賢いんだっつうの
舐めんな人間を
腐すな人間知性を
讃美しろ
頼みますよほんと
ブルーアーカイブにハスミというキャラがいる。というか、いるらしい。ブルアカはやってないので知らなかったが、Twitterの広告で流れてきてその存在を知った。
体育祭イベントのイラストで、全力疾走するハスミが爆乳をこれでもかと揺らしている姿に私の目は釘付けになった。クーパー靭帯が心配になるほど2つのメロンがゆっさゆっさと踊っている。デッカ。エッチで最高だと思った。
で、その爆乳ゆさゆさを見た数日後、所用で秋葉原に行くとTwitterで見たものと同じブルアカ広告(ハスミの全力疾走シーン)が掲示されているのを見かけた。
広告ではハスミの胸の上にゲームのロゴ?テキスト?が配置されて胸が隠されていたのだが、なぜか私はそのとき「隠されてて良かった」と安堵してしまったのである。Twitterではあんなに喜んだのになぜだろう。
体操服のような白くてつるっとした素材を着ていると、本人が強調しなくても他人が見て分かる程度には胸の揺れが分かる
つまりあの絵は「エッチな意図はありません」と言われたら、はいそうですねとしか言えないようにできている。そこを、いやこんなのどう見てもエッチでしょと突っ込んでしまったら、体操服を着た女性は走ると必ずエッチな存在になってしまうことになる。それはおかしい。
隠せば隠すほどそれは「隠さなければならないもの」としての意味合いが強くなり、つまりそれは、エッチな意味づけをしていることになってしまうのでは?と考えつつ、素直な感想として「隠されて良かったな」とも私は思ったのである。
で、私が安堵してしまったのはつまり「エッチな意味づけは無いと主張してるのに、胸を見ているということは自分が淫らな気持ちになっていると開陳することになりそれを他者から見られるのが嫌だから、そんな目に合わずに済んで良かった」ってことなのかもしれない。
「目のやり場に困る」を解体していくと最終的にはそこに行き着くのではないか。
今巷で言われている広告の是非云々に関して様々主張が発信されているけれども、結局感情を紐解いていくと女体を見ている自分が淫らな人間だと他者から思われたくない、だから視界に女体を出さないでくれってことなのではないだろうか?
公共空間での広告が特に叩かれがちなのは結局のところそういう素朴な思いからきてるのかもしれない。
ちなみに、リアルで体操服を着た胸の大きな女性が走って、胸が揺れているのを見てもエッチで最高とは私は思わない。
私は残念ながらDカップしかなくあんな風に揺れないこともあり、気持ちが理解できないことから、胸の大きな人にそういう気持ちは持ってはいけないと心のどこかにストッパーがかかってるのかもしれない。
だからか二次元の巨乳は思うがままに愛でられるので最高だな〜と思っている。
MTGAのクイックドラフトも終わるし。お疲れ俺。有償ギャンブルは疲れる。が、構築のための効率よい高レア収集には必要で。
アグロに轢かれたりミッドレンジにめたくそにされたりコンバットトリックも白青緑と強くてやりやれたりで、まあまあ色の組み合わせも見られてよかったと思う。
スタン範囲では神河未満、イニスト・ニューカペナ以上かな。神河が最高すぎた。
ただなー。勝ち数が進むごとに5c版図ばかり当たり6勝以上が困難な環境でもあった。
5c(団結は緑軸23色プラス土地だけど)は強いが上手く作る・回すのが難しいという問題に勝利数というマッチング補正が加わって「上手くいく5c」ばかりが対戦相手に選ばれるわけで。対戦していて理屈はわかってもどーしても理不尽を味わってしまう。
かといって自分が作ってみても大抵は大半の上手くいかない側に回るのは明確だしね。
3ターン目に土地が4・5種決められると(そして大抵決まるのだ)クソデカため息ですわ。
33が5体出るボムレアに少ない参加回数の俺ですら5回当たったね。
勝ち越しデッキは強いのは当然としても2色で組んだときにはない「土地のピックの強さ」なんてのを23ターン目から見せ付けられるのはしんどい。
多色下手な自分はタッチ3色までとしてるけれども、それでもニューカペナやイコリアのような3色環境で3色を相手してこんな理不尽感を覚えた記憶はなかったはずだ。
"強いアーキがあるなら自分もそれをする。できないのは下手な自分の責任だ"というのは簡単だけれども。そんなもん放り投げてでも体験として5cとやるのつまらないんだもの。
飽きるほど相手したとはいえ真夜中の狩りのディミーアの方がまだ…ってそれは自分も作れたからか。
んーもう少し喋る。
lifelinkが少なくて、空も結構薄く、すれ違いレースがあまり起こらなかった。後援でそうなるかと思ったが担当の白赤は並べて突撃になってしまった。(初期、低ランクでは後援合戦もよくしたのだが)
そして主戦力たちが44到達や55ward2といったフレンチバニラっぽいのが多い。出されて辛いよく見る緑のファッティすらコスト軽減と最高1010サイズとetbライフゲイン+トランプルだ。アンコマルチでゴリゴリ押すという感じは(青赤以外)あまりしない。
そしてキッカーは有用になったが単純なアドが多く、英雄譚やシステムクリーチャー、装備品が少ない。(55になれるキッカーでも居れば違ったかな。旧ドミキッカーは地味すぎたがこうなると少し恋しい)
空は赤緑のサイズのオマケの到達で閉められ、接死は閉じられた飛行の代わりにマナがかかる11か、貴重なマナクリを差し出すしかない。
このどっしりとしたサイズのクリーチャーを出されると小手先すら持たない環境ゆえに一気に場全体がどっしりとして硬直する。スローペースになれば版図側が77になるルートワラで殴り倒し写本で引きまくり33を5体並べだす。(嘘。写本はほぼ見ない)
結局、飛行も入れつつ地上もガンバルという普通の戦い方は多少の勝利をつかめるものの、デッキが、プールが素直すぎて勝ち進むことは出来ない。
解決方法は。それこそアグロでスピード勝負か。さもなくば白のタフネス除去 邪悪を打ち砕く をかき集めればなんとかという気もするが、今環境の白はごく個人的にあまり触りたくない、楽しさの魅力が低い色だ。ごく低い可能性を無理やりひねれば青の麻痺カウンターで長期の拘束を狙うのも目があるのかもしれない。都合三回寝かせられる 勢いを挫く だ。が、3ターン後ないし相手の後続しだいではこちらの勢いが挫かれるこの手のカードは失敗したときのダメージが大きく採用をしり込みしてしまうものだ。
これらも結局は「させない」であって、結局は「5c版図は倒せない」のだ。JOJOみたいだねーAH AH
んー結論。構築にはないクリーチャーたちの肉弾戦が好みでミッドレンジを握る自分には強者側も対策側もあまり馴染めずつまらない・環境が合わないと思ってしまった次第だ。ピック段階からそれらに行く勇気がないからだけど。
はいと言うわけで、多色化支援もほぼなく2色土地だけで5色そろえられてでもキャストに必要なのはシングルシンボル、ボムレアもよゆーで搭載というサギみたいな5cが強いドラフトはいやじゃー!
でした。まー版図があったし。今後対ファイレクシアじゃ5cなんてないだろうから当分みないだろうけど!勝ち数と場のストッパー性能が高かった恨みは忘れんからな!
たとえば
B「泉房穂市長は適切なストッパー役を補助につけた上で政治家を続けた方がいい」
の2つの主張をしてる人がいたら、その人は矛盾した主張をしている
矛盾した2つの主張からはどんな主張でも導けてしまうので、上記の人の意見には発展性が全く無い
その先のどんな意見だってアリになってしまい、その中のどの意見を選んだ方がいいか参考にする事が出来ないからだ
せめて
A'「パワハラが酷い人で泉房穂市長以外は政治家を続けない方がいい」
と二重の基準をはっきり表明するような、そんな矛盾を避けた主張を堂々として欲しい
そうすればこの人の意見からでも、例えば泉房穂市長以外の人権侵害を無くしていこうという考え方をする事は出来る
一方で
C「食事におけるマグネシウム摂取量が足りないと精神が不安定になる事がある」
D「パワハラをしている人は精神が不安定だ。Cよりマグネシウムをもっととった方がいい」
という主張をしてる人がいたらCとDは論理的に厳密には繋がった主張ではない
でも矛盾をしている訳でもないからどんな意見だって導けるようになる訳じゃない。僅かでも参考になる部分はある
そして科学的知見をE,F,Gと更に積んでいけば新しい結論が導けるようになるかもしれない
C,Dだけなら矛盾した主張をするよりはマシだと思う
最近まで、人生で一度もちの皮を剥いて亀頭を完全に露出させたことがなかった。第一に、亀頭の先端まで皮を剥いただけで締め付けるような感じがしたからだ。第二に、女性とはこれからもこのさきも交際しないので、ち○の皮を剥かなくても誰も困らないと考えていたからだ。
しかし、今年に入って良縁があり、結婚前提で付き合っている女性がいる。そうなってくると、ち○この皮を剥かないと相手に迷惑をかけてしまう。そこで、ち○この皮を剥くことにした。一朝一夕でち○この皮を完全に剥くことはできなかったが、最終的には100%勃起のときでも亀頭を完全に露出させることができるようになった。
ここでは、そこまでの道程を記す。
最初、私は真性包茎だと思っていた。なので、手術で包皮を切除してもらおうとした。皮さえ剥ければ見た目はどうでも良かったので、包茎手術専門のクリニックで行っているような保険外の数十万円を超える手術ではなく、大学病院でしてくれるような保険適用の手術をしてもらうおうと考えた。いきなり大学病院の診療を受ける伝はなかったので、近所の一般的な泌尿器科クリニックで紹介状をもらおうとした。
さて近所の泌尿器科クリニックの診断を受けた結果だが、私は真性包茎ではないので紹介状は書けないという結果になった。診断時の医者の様子を思い返すと、亀頭が少しでも露出できたら真正包茎ではないということらしい。インターネットの掲示板では「自分は真性包茎だけど家で努力したら、亀頭を完全に露出できるようになりました!」というような書き込みが散見されるが、そういう人の多くは仮性包茎なのだと思う。家でどうにかできないからこそ、真性包茎の包皮除去手術には保険が適用されるのでは?
ちなみに、私は俗に言うズルむけになりたい願望はなく仮性包茎で良いと考えている。何も手を加えなければ大半の人が仮性包茎であるし、仮性包茎に機能的な問題はないからだ。正直、ズルむけがかっこいいというのは、包茎手術専門クリニックのステマだと思っている(笑)。
真性包茎ではないとの診断をもらったので、自分のち○この皮は剥こうと思えば剥けるはず、と考えた。そこで、診断を受けて帰宅したすぐ後に、非勃起状態でち○この皮を剥いて亀頭を完全に露出させようとした。
30年以上一度もち○この皮を剥いたことがなかったせいか、亀頭はべたべたで、包皮と亀頭は糊でくっついたような状態だった(包皮と亀頭の一体化はしていなかった)。皮と亀頭を剥がすと、激痛とまでは言えないが、それなりに痛かった。それでも、2~3時間くらいかけたら、非勃起状態で亀頭が完全に露出するところまで、ち○この皮を剥くことができた。
この時点では、60%勃起以上だと包皮が締め付けるような痛みがあり、亀頭も少し触っただけで「あうっ!」と叫びたくなるようなほど敏感な状態だった。この2つの問題の内、亀頭が敏感すぎる問題を先に改善することにした。勃起時の痛みを改善する際に亀頭をいじることになるだろうから、先に亀頭が敏感すぎる状態を改善しようという考えだった。
3. 入浴後、1時間は亀頭を露出させた状態で安静にする(その状態でパンツをち○こにかぶせることもした)
1週間ほど上記の手順を繰り返したら、弱いシャワー程度の刺激には亀頭が耐えられるようになった。
仕事の時間中、亀頭を露出した状態でパンツとズボンを履くようにした(フルリモートのパソコン仕事)。1~2日目は、亀頭とパンツがこすれる感覚に耐えられず、途中で皮を戻すこともあった。5日もすると、亀頭とパンツがこすれる感覚に耐えられるようになり、途中で皮を戻すことはなくなった。2~3週間もすると、亀頭とパンツがこすれることに違和感がなくなり、亀頭を手で触っても「あうっ!」という叫びを上げたくなるようなこともなくなった。
亀頭が敏感すぎる問題がある程度改善した時点で、勃起時の痛みを改善することにした。この痛みは包皮輪が狭いことが原因だと考えた。そこで包皮輪を伸ばすことにした。家で簡単にできる包皮の伸ばし方は3つある。
1. 包皮を指で伸ばす
2. 綿棒で包皮を伸ばす
3. 「キトー君」「ムケル君」のような矯正器具で包皮を伸ばす
私は包皮で指を伸ばす方針を採用した。綿棒の手法は、包皮が伸びるような強い力がかからなかったので不採用とした。矯正器具を使う方法は、矯正器具が1万円くらいするのと、「指で伸ばしたほうが早い」「ストッパーがすぐ壊れる」というレビューを見かけたので不採用とした。矯正器具を使うメリットは、両手を使わずに包皮が広がった状態を維持できることだが、ストッパーが壊れたらそのメリットがなくなってしまう。
包皮を指で伸ばす方法を掘り下げる。
これを2~3週間実行したら、100%勃起状態でも包皮が締め付けるような痛みはなくなった。
ただ、亀頭の裏筋がつっぱるような痛みはあったので、次はそこを改善した。
亀頭の裏筋が多少痛くても、毎日15~30分は100%勃起状態を維持するようにした。
1週間くらいしたら、亀頭の裏筋の痛みはなくなった。
以上、100%勃起状態でもち○この皮を剥いて、亀頭を完全に露出させることができるようになった!
かかった期間は、5~6週だった。
媒体が誰でも無料で読めるWEB漫画ということで良くも悪くも言及される機会が多く、作者さんをフォロー等してなくてもフォロワーさんのいいねやRTでTLに回って来て読んだことがある人が多いのではないかな。
以前までは特にジェンダー問題に関心が高い人の間で評判の良い作品といった立ち位置だったけど、俗称・山賊回(初対面の人の家に泊まりに行って、家主が寝ている間に食材を根こそぎ漁って、自分達だけ食事を作って食べたモラルハザード回)を皮切りに趨勢が入れ替わり、批判が増えて、遂に「つくたべ批判いいね罪」なる声に出して読みたい日本語まで爆誕したネタ漫画に…。
個人的に作者が描こうとしているテーマと描いている内容に齟齬があるというか、食い合わせの悪さを感じる作品だと前々から思っていたので、山賊回は論外としても、批判が起こるのもまあわかるんだよな。
LGBTQの恋愛というニッチ要素を商業作品として色んな人に読んで貰う為に、“食”という誰しもに身近で流行りでもあるテーマと融合させたんだろうけど、この2つのテーマの接続の仕方が、何とも雑で。
LGBTQ+食を題材にした商業作品というと「きのう何食べた?」が有名だけど、こっちは融合のさせ方にも全く違和感ないし、作中での“食”に対する言及の仕方などから作者の並々ならぬ“食”へ拘りの強さや熱量が垣間見えるので、LGBTQ当事者じゃなくてもグルメ漫画として面白く読めると思う。(だからこそBL畑のよしながふみにとってのアウェイである青年誌・モーニングでの連載ながら売れて、実写ドラマ&映画化までしたんだと思うし。)
他方、つくたべの作者さんは“食”にそこまで拘りがない人なのでは?っていうのは読んでて誰しもが感じる点なんじゃなかろうか。
一点例を挙げると、9/10現在の最新話であるバレンタイン回では、春日さんはバレンタインの催事に出掛けるも「ここはシスジェンダーの人達のための場所で私のようなレズビアンは存在を消されてしまう」と被害妄想を募らせ、野本さんは春日さんにプレゼントする為のチョコレートのパウンドケーキを6個試作する。
昨今バレンタインの催事は「チョコ好きガチ勢にとってのコミケ」状態となっており、一年でここでしか食べられない珍しくて美味いチョコを買う為の真剣勝負の場となっている為、女性相手のチョコを買いに来た女性が爪弾きにされる空気などない。(女性同士で贈り合う友チョコなどは昔からごく普通に行われている。)
野本さんサイドの方も、お菓子を手作りしたことがある人ならば全員が知っていると思うが、製菓用の材料というものは押し並べて割といいお値段がするし、本命用のチョコレート菓子を作る場合に用いるに相応しい種類のクーベルチュールチョコレートは結構高価である。
作者は6個も試作品を作るほど真剣な乙女心!を書いたつもりなのだろうが、非正規で低収入という設定の野本さんが練習用に濫用出来るほど安くはないはずだ。
試作品には普通の板チョコを使ったというならそれもおかしな話になる。本命用の、試作品を何個も作るようなチョコレートケーキを作るのにスーパーなどで売っている普通の板チョコを使う人がいないとは言わないが…。
作者はバレンタインの催事に興味がないのかな?、お菓子を作ったりしない人なんだろうな、と思わずにはいられない描写である。
つくたべという漫画ではこのように作者の“食”に対する興味のなさが随所に滲むので、“食に”興味が強い人ほど違和感を覚える仕様となっている。
まあ商業作家がご飯を食べて行く為に好きでもなければ興味もないジャンルの作品を描くのは珍しいことでも悪いことでもないし、それで成功するケースも往々にしてあるので(「キャプテン翼」なんかはその最たる例だろう。最近では「SPY×FAMILY」の作者が同様のコメントをして物議を醸したが)それ自体は別にどうでもいいんだけど、ここにつくたべの主人公の一人である「食べたい女」こと春日さんのキャラ設定を加えると、違和感が首をもたげる人が多くいるのは無理からぬことではないのかと個人的には思う。
春日さんは化粧っ気のない背が高くかなり太っている非常に大柄な女性で、齢30歳弱にして米の食べ過ぎで膵臓を悪くしている(と作中で本人が自己申告している。
彼女は幼少の頃に父親や弟と食事の量などで差を付けられていたトラウマから、実家を出て一人暮らしをしている現在では好きなものを好きなだけ食べるフードファイターもかくやの大食いとなった。
そんな春日さんと、料理が好きでご飯を沢山作りたいけど小食で食べ切れないから作りたいのに作れないという葛藤を抱えていたもう一人の主人公である「作りたい女」こと野本さんが出会う。
「食べたい」と「作りたい」の利害が一致した二人の女性同士の付き合いが始まって…というのがつくたべの導入であり骨子なのだが、やはり膵臓がやられていると申告している人に、本人が食べたいと言っているからといっても、大盛りの飯を好きなだけ食わせるのは虐待に等しいように読者の目からは見えてしまう。
そもそも大食いになったキッカケも男尊女卑な家柄でストレスを抱えた生活をしていたことから来る心因性のものなので、それは自傷行為に等しいのでは?とも思うし。
まあ二人はただの隣人同士であり、野本さんに春日さんの健康を管理してあげる義理はなく、「健康に悪いからもっと野菜を食べなきゃダメだよ!」などと口を酸っぱくして言い聞かせるような間柄でもない。
しかしそうは言っても、作中で野本さんは春日さんへの恋愛感情を自覚しているので、「野本さんは仮にも年上なのに、好きな相手の健康が気にならないの?」というのはごく自然に発生して来る疑問であるように思う。
心因性の大食いで既にブクブクと太り膵臓も悪くしているけどそれでも食べたい(まさに自傷行為、セルフネグレクトとも言える)女と、炭水化物と脂質ドカ盛りの料理を作って食べさせたい女。
この二人を読者が微笑ましく見守るにはあまりにもノイズが大き過ぎやしないだろうか。
春日さんのキャラ造形をBLのスーパー攻め様の女版的なバリキャリの美人OLみたいにはせず(※作者さんはもともとBLを描いていた漫画家さんだった)化粧っ気のない太った非正規のエッセンシャルワーカー女性にした理由も、作者さんが「女性差別・家父長」や「ボディポジティブ」や「脱コルセット」的なポリコレ要素を取り入れたいと思ったからだと推察するのだが、春日さんの大食いが心因性のものであるならば、それはボディポジティブなのか?となって来るわけで、そこにもテーマ同士の食い合わせの悪さを感じずにはいられないのだった。
巷ではつくたべを批判する人は差別主義者だと言われているようだけど、以上のことから、つくたべに対する批判が起こるのはごく自然的なことであり、作者の思想のせいではないと思うんだよな。
作者が描こうとしている、描きたいと思っているものは何となく分かるのだけど、そこに漫画家としての技量や扱うテーマに関する知識が追い付いてないというか。
もっと設定をシンプルにして、二人の女が笑いながら美味しくご飯を食べるだけの話でも良かったのでは?と思う。
ポリコレ要素を足したいのならもっと入念に取材をすべきだし、その上で物語に馴染むかどうかを吟味して、商業作品として良い物を世に送り出そうと思うのならば、足し算だけじゃなく引き算も行った方がいいのでは?と一漫画読みの立場から具申させていただきたい。
補足。マイノリティが活躍する作品の否定は差別だというコメントがあるけど、そういった作品の中にも当然だけどピンキリがあると思うんだよね。
例えば最近評判が良かった作品というとNetflixのハートストッパーなんかがあるけど、私もあれはすごく良い作品だと思ったし。
補足2。フェミが評価してる作品だから重箱の隅をつついてるんだというコメントがあるけど、上と同様フェミニズム作品の中にもピンキリry
そもそも本を読んだのは20年くらい前。ダールは大好きだけど、まだその時はブラックユーモアは怖くて、短編集はあまり読めなかった。
Twitterでダールの短編の話題が出ていて、あらすじググって色々考えていたんだけど、考察が合わない。
賭けにハマる男を止めるために、奥さんが自らを犠牲にしてきたという話。男が頭がおかしくて、奥さんはストッパー。
ダールは賭け事にハマる人間の危うさ・愚かさを書いていたはずで、もう一捻りしていない?
つまり、男がただただヤバい奴と見せかけて、結局その男から全てを奪うために自分の身体を賭け続けた奥さんだって、十分に一線を超えてるというか、勝つまで止まなかったジャンキーと言えるのでは?
ダールの最後の記述は、奥さんの哀愁、今までの辛さ、負担を当然見せているんだけど、それのツールはあくまで指であって(男がそうじゃないと乗らないんだろうけど)
っていう、止めている人間が、まともに見えて実は…みたいな話なのかなと思った。
まあ、奥さんはあくまで止めているから、一般的な考察でいいんだろうけど、ダールはそれくらいしそうって思っただけです。
せっかく思いついたのでワーイということでチラ裏書いたので、皆の反応知りたかっただけ。
森博嗣がロアルドダールの切れ味は一線を画す。それは飛行機乗りだからって書いてたけど、そういう謎の記載したくなるくらい、ちょっと住む世界が違う発想だよなって思う。
こういうときに、ふだん普通に接してた身近な人間にまともな感性がないと気付いて恐ろしくなることあるよな…
だいたいの人間にはそういう事件をつらく思う感性があると思うから日々隣人として安心して生きてたつもりなのに、蓋を開けるとそのストッパーがなかった、みたいなさ
「ハートストッパー HeartStopper」というティーン向け青春BL学園ドラマをNetflixで観た。
ドラマ自体は音楽も映像もお洒落で、いかにもZ世代受けしそうなエモエモづくり。
ストーリーも脚本も申し分なく素晴らしくて、最終回まで一気に観終わった。こりゃあ人気でるわ。
だがしかし、本当に個人の問題で差別的なのも自覚しているんだけど、
ハートストッパーに限らずLGBTQをテーマにした映画ドラマ全般
どうしてもどうしても男同士のキスや絡みのシーンでブフッwと黒い笑いがでてしまう。(女の子同士はそんなことないのに)
リーマン・ブラザーズ破綻のニュース覚えてるかな。あのニュースの後ろに映り込んだゲイカップルを思い出してしまってダメなんだよ。
面白目線で観ちゃうの、男同士のキスシーンを。もう真面目に観られない。
あの2人罪深すぎやろ。。