甲子園を見ていて、やっぱりその楽しみの一つというのは若者が命を燃やす、一度負けたら次の試合はない、その一回性にあるなと思う。
試合開始の試合開始を告げるサイレンは、少なくとも1936年には鳴らされていたらしい。戦前だ。同じ音だったかどうかは知らないが、あの音を聞くと戦争や空襲のイメージと重なる。空襲は文字通り命を燃やす焼夷弾の雨を降らした。このイメージが試合開始のサイレンにオーバーラップする。
灼熱の甲子園で行われる、若者の生命の削りあい、夢の奪い合いを、クーラーの効いた部屋でソファに寝転びながら見る愉悦。
碌でもないなと毎年思う。
Permalink | 記事への反応(1) | 08:44
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でも快適な部屋で遊んでるだけならeスポーツで撃ち合ってるのと同じだからね そんなものでは同じゲームやってるオタク以外感動しない