はてなキーワード: アルバムとは
andymori直撃世代ではないから、とても気になるのだけれども、andymoriって何がすごかったんだ?
よかったからファーストからサードのアルバムは買ってのんびり聴いている。けれどもすごかった核心みたいなのがどうしても分からないんだ。
ユニクロなど決して出店しないであろうほどの田舎町に育った私は、母に連れられたユニクロでやや興奮気味に、オープニングセールで人のごった返す店内を物色した。
あまり裕福な家庭ではなかったから買い物に行くといつも躊躇していた私を見かねてか、母は何でも好きなの買いなよ、と言った。
その頃、ユニクロはECMレコードとのコラボグッズを大規模に展開していた。
何も知らないで、キース・ジャレット『The Melody At Night With You』のジャケットがプリントされたTシャツを手に取った。一番かっこいいと思った。
とても気に入ったので、何年ものあいだくたくたになるまでそのTシャツに袖を通した。
いつしかそのTシャツは処分してしまって、そんな出来事は忘れてしまった。
懐かしい友達と酒に酔った勢いで、久し振りに小学校の卒業アルバムを開くと、あのTシャツを着た私が写っていた。
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amazonプライムミュージックのトップページに白黒の見慣れたジャケットがあった。キース・ジャレット『The Melody At Night With You』。
無機質な病室の天井を眺めていると、時折看護師が左腕に注射針を刺す。
血を抜かれているのも忘れるくらい穏やかなピアノの旋律で耳が満たされて、心地よい寂しさを感じる。
あれだけ着古したTシャツにプリントされたアルバムを聴いたのはこの時が初めてだった。
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職の決まらないまま大学を卒業し、二ヶ月の空白期間を経て、東京でWebエンジニアの仕事にありついた。
決して職場環境は悪くなかったものの、通勤時間と乗り換え回数が倍になり、家事はおろそかに、睡眠時間は減った。
電車に乗るのが怖くなった。
それから家を出ることが難しくなった。
日も落ちて真っ暗な部屋の中、ベッドに潜ってあのTシャツのあのアルバムを聴いた。
卒業写真に写る幼い自分の笑顔を思い出して、情けなくて小さく謝った。
キース・ジャレットは、夜に鳴る寂しげな旋律の相手に誰を想起したのだろう。
私は、幼い頃の自分自身と肩を並べて聴いているように感じて切ない。
漫画村なんかハナクソみたいな問題で叩いている人は「タダ読み=泥棒」から思考停止してる。本当にまずいのはkindleとApplemusicで俺が宇多田のアルバムをDLしたらAppleにチャリンチャリンお金が入る。何でそれ日本で作れなかったの?日本はいつまでも豊かになれない。漫画はまだギリ間に合わないか?— 吉田貴司 (@yoshidatakashi3) 2018年1月27日
漫画村の最大の問題点のひとつは「デジタルのコンテンツなら検索すれば無料で手に入る」というメッセージを無知どもに与えてしまうことだ。問題は漫画だけにとどまらず、具体的にはエロゲや普通のアプリケーションなどに広がっていく。
書籍とか音楽で、雑にばらまくモデルが成功していることは否定はしないが、それと「漫画村なんかハナクソみたいな問題」と切り捨てることは全く関係がない。違法はものは違法であると言い続けることは大事だし、権利者があるものは、本来対価を要求されるべきものは、そこに向けてお金が流れるべきであって、それを横取りしているのであるから、それは泥棒と評価するしかない。
ツイートの締めで、だから日本はいつまでも豊かになれないとか書いているが、それもまた大きく関係ない。
簡単に言うと佐藤秀峰との格や深さの違いである。思考停止がなんやかんや言ってるが、ゼロの方がマイナスよりもまだマシであると言うことである。
ジャニーズにはまった。当方、Mステもろくに見ずに大人になってしまったソシャカス2次オタである。
この年になって若いアイドルに対して恋愛感情は持てないが、単純に顔のいい男が顔のいい男とつるみ、自分の現実とは全く縁のないきらびやかな世界で、あんまり中身のない歌を歌い、踊り、彼らの人生をわたしたちに消費させてくれる様を見るのは、ただただ心にキマる。疲れた精神の隙にどんどん付け込まれる。
疲れた大人にこそ、ジャニーズの滋養強壮的な側面を知って欲しい。徹底した会員制を貫き、このご時世にSNSすら禁止している事務所の方針上、「なんとなく興味を持ったから」というきっかけでジャニーズの魅力を知ることはなかなか難しいと思う。だってバラエティなら彼らよりもっと面白いことができる芸人は山ほどいるし、ドラマならもっとすごい演技ができる役者がいる。顔がいいだけなら若手俳優やモデルの台頭もすさまじい。歌の上手さでは本業の歌手にはかなわない。テレビでなんとなく見かけるジャニーズは、どこか半端な、ちょっと顔のいい男の集団かもしれないけど、彼らの、アイドルの真髄は歌、ダンス、パフォーマンス、人間性、すべてを引っくるめて、自らの存在そのものを、ファンに「エンターテイメント」として還元するその在り方だと思うから。少しだけ、足を踏み入れて、彼らの人生の切れ端を垣間見てほしい。彼らはわたしたちの現実とは離れた、厳しくてやるせなくて、そしてきらきらした現実に生きている。
とりあえず、ちょっとでも興味のある方は、来る二月十四日に発売されるSexy Zoneのニューアルバム「XYZ=repainting」を是非お手に取ってみてください。 若い男の子がその美しさを保ったまま氷漬けにされる映像が見れます。さらにAmazonならちょっとお安くなりますのでよろしければどうぞ。
むかし、どうしようもなく死にたい気持ちに寄り添ってくれた音楽が大森靖子だった。
大森靖子を知ったきっかけは、インターネットの知り合いだった。
苦しい時にPINKというアルバムをずっと聞いて、励まされていたとインターネットに書き込んでいた。
しかし最近、その子が「もう好きじゃない」と話していた。なんかわからんけどインパクトがあった。親離れみたいな。大人になったみたいな。卒業みたいな。
その子は熱心なファンだったし、ライブにも通っていたみたいだったし、古参の人だったはず。
そのことをきいてなんか寂しくなった。私はまだたまに大森靖子を聞くし、たしかに最近のは好きじゃないけど、何度か聞いてると「いいな」って思える曲もあった。全部が好きじゃなくなっただけで。
これはただのぐちです。
有安さんがももクロを卒業するってこと自体は、まったく違和感がない。
有安さんが実現したい音楽の世界って、ももクロとはまったく違うものだってことがよく分かったから。
コンサートの帰り道、ももクロを辞めるっていわなければいいけどって思ったほどだ。
だから、ソロ活動するからももクロを卒業するっていうのなら理解できる。
最近、ももクロの現場には行かなくったけれども、有安さんの現場には行っていたから、むしろ大歓迎だ。
でも、ふつうの女子の生活がしたいからって、それはいくらなんでも説得力がない。
往年のピンクレディーのように寝る間もないほど忙しかったのならともかく、
ももクロのスケジュールは、昔のアイドルに比べればはるかに緩やかだ。
だから、早退することは何度もあっただろうが、高校は3年で卒業したし、
大学に推薦してもらえるほどの成績をおさめることもできた。
有安さんの努力があったにせよ、けっこう普通の女子的生活はしていたはず。
まぁ、学校の成績がいいわりには、一般教養がないのは確かではあるけれど。
それなのに普通の女子的生活がしたいからももクロを卒業するっていわれても、
ももクロを脱けるだけではなく、事務所との契約も切れたにもかかわらず、
引退ではなく、卒業という言葉を使っているのは、含みがあるのだろうとは思う。
一般に、アイドルが卒業するっていうのは、不祥事でもない限り、数カ月前には告知される。
それが1週間前っていうのは、事務所といろいろあったんだろうなと勘ぐってしまう。
ソロ活動したいっていう有安さんと、ももクロを続けさせたいスターダスト。
事務所からすれば、何度もソロコンをやらせてあげて、ソロアルバムも出してやって、
たくさん希望をかなえてやったのに、辞めるとは何事だ、どうしても辞めるなら事務所も辞めろっていう感じになったのかなとか。
有安さんは、「歌いたい。握ったマイク、もう離さない」と歌った。
その彼女が歌を辞めるとは思えない。
事務所も、その当たりをいくらか配慮して、引退ではなく、卒業という言葉を使ったのではないか。
ようは、返って来て欲しいだけなんだけどね。
あなたは昨年末「仮想通貨ビジネスに参入する」と発表してちょっとした話題を呼んだ某芸能人をご存知でしょうか。
ご存知でもご存知でなくてもこの後に続く話を読んでいただくのに特に支障はないかと思います。
私はそこそこ長い間、彼のファンでした。
ソロ活動始めてからしばらく経ってからだったので、古参とかそういう話をするなら
私より長く彼を応援している人だってそれはもうたくさんいるはずですが、
少なくとも15年以上は経ってるはずなのでまあそれなりに長い間と称していいんじゃないかなと思います。
けれどふとしたきっかけで彼の歌を聴いた時、一発で心をわしづかみにされたのです。
なんて綺麗な声で、なんて綺麗な曲を歌うんだろう!
なんて魅力的な歌を書くんだろう!
なんて素敵な世界観を生み出す人なんだろう!
音楽、映像、文章、美術、演劇といったありとあらゆるアプローチを行い、
本人のみならずバンドメンバーやスタッフまでその一部として役割を与えられるものでした。
一度、彼のファンでもなんでもない友人をライブに連れて行ったことがあるのですが
「演出や作り込みがすごいから特に事前情報を仕入れていなくても引き込まれたし楽しめた」
みたいな評価をしてもらえたので、本当に総合芸術としてよく出来ていたんだろうなあと思います。
そんな類いの作品に触れたことさえなかった私はもう夢中でした。
CDも雑誌もメディアもライブも、彼の発信するものは全て見聞きしたかった。
可能な限りそうしていたけれどまるで満足できなかった。
それがもどかしくも嬉しかった。
彼の語る言葉を読むたびに新しい価値観が自分の中に形成されていく気さえしていましたし、
この先どんなことが起ころうとも彼に憧れる自分のこの感情は決して変わることはないだろうと信じ込んでもいました。
そして、そんな彼のソロ活動20周年を間近に控えた2018年最初に齎されたイベント開催告知の内容は、
ファンクラブ会員向けの仮想通貨事業に関するトークイベントでした。
あっ、だめだ、と思ったのはその時でした。
なんか最近曲の系統が全部同じように聞こえるなとか、カバーアルバムとかコピーバンドとかが目立つなとか、
内輪向けイベント多いなとか、昔こういうことはやらないって言ってた内容の活動してるなとか。
だけど私は、彼には夢を見させる力があると知っていたしそれを信じていたかった。
今はたまたま私の好みではない展開を行っているだけで、彼が彼の世界観を表現していることは変わらないのだと。
いずれまた流れが変わって私が夢中になるような夢をまた見せてくれる日もきっと来ると信じていたかった。
事実、心が離れかけて今回で最後にしようかなと思いながら出向いたライブでまたドカンと衝撃受けて
魅了されて大泣きしてやっぱり私はこの人の作品が一生好きだ……と惚れ直させられたことだってありました。
惰性になっているのでは?と自問自答しながらもファンクラブの更新を切る気にもなれなかった。
でも、アーティストでなく実業家を名乗って、年齢も本名も公開して、そんな姿を見たら流石に
「ああ、きっと彼はもう夢を見せる仕事をするつもりがなくなってしまったんだな」
と理解せざるを得ませんでした。
ゼロから何かを創作するということには途方もない労力が必要でしょう。
それをエンターテイメントとして大衆に届けるためには、また更に大きなエネルギーや資本が必要になってくるでしょう。
それをずっと続けるというのはあまりに困難な道でしょう。
その道から逸れて違う歩き方を選ぶ人を責める権利は、この世の誰も持っていません。
まあ綺麗事ばっかり言っても仕方ないというかね。
ぶっちゃけその夢を見させるための土台のところでいろいろ大変なんだろうなあっていうのも
「やりたいのにやれない」みたいなことは絶対にあったと思うし
こっちも展開されたグッズとか毎回必ず買ってたかって言われるとゴメンナサイって感じなので
仮想通貨も私にはちょっと分からないけどある程度勝率とか将来の展開図とか見越したからこそ
あれだけ派手に打って出たんだろうし上手く軌道に乗るといいねえって思ってる。
間違っても彼に対して「裏切られた」みたいな感情を抱いているわけではないんです。
ただ私の神様はもういなくなってしまったんだなぁという実感を覚えてしまったことがひたすらにさみしくてかなしい。
アイドルを追いかけた経験はないけれど、推していたアイドルに「普通の女の子に戻りたい」って言われた時の
ショックや悲しさやそれらに交じる僅かな自責とこの感情は似ているのかもしれないと思う。
生きているあなたに偶像でいてくれなんて願うことがとんでもない傲慢だということは理解しているけれど、
それだけの話でした。ここまでお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。
願わくば彼の進む道の先が彼にとって望ましいものでありますように。
でもあのファンミ案内はどこからどう見ても芸能人使った怪しい投資セミナー詐欺の勧誘にしか見えなかったからもうちょっとどうにかした方がいいと思う。
最近ツイッターで、「子供が出来たので予定していたツアー、アルバム制作は中止します、ごめんね☆」
そいつは多分相当のバカだろう。過去には神だの、音楽素晴らしーだの、世界平和にする―だのの発言をしてるし、内容の深さがあまりにもないようなことばかり。
全てを中止して、子どもを生むまでは休止するという判断は懸命だ。
そもそも、子どもができて、それを生んだ後のそいつにはもう大人があつかってくれるようなタレント的な価値はないのだろう。
それがあれば休止ではなく、作品の発表くらいの提案はしただろうし。
そいつとしては、「目標に【なってしまった】出産」というくらいだから、本来望んでないのかなと。
もう二度と公の場に出ず、家庭をしっかりさせてほしい。
ピンドラでARBのカバーアルバムだしてたけど、そらのおとしもののエンディングテーマコレクションしかり、最近のアニメでもっと昔の名曲をカバーしてほしい
若い人でも感銘受ける曲たくさんあると思う
現に自分がそうだったし
追記
ローリングガールズはなんとなくしってたけどコンクリートレボルティオもそういう系だったのか!
とりあえずアルバムきいてみるか
こんな程度で親元から離れるなんてガキ思考の親不孝者だけれど。
出て行ったらもう関わるつもりはない。
もしかしたら離れることでそこそこの関係が保てて連絡くらいは取り合うかもしれない。
とにかく、まずは家を出たい。
不細工と言われて育てられた。
全ての行動が遅くて、よく鈍臭いと言われた。
鏡を見るのが嫌になった。
少しでももたもたするとすぐ怒られた。
よく出される夏休みの宿題。
初めてのりんごの皮むき。
よく見るマンガのようにつらつらと長い皮なんてできるわけない。
以来、台所には立っていない。
手伝えと言われて行くことはあったが、分からないことを訪ねても教えてくれなかった。
分からないままの私は手伝いが出来ずに怒られた。
料理以外のことも、次第にやらなくなった。
母親に何かをしているところを見られるのが嫌になった。
でも、コソコソしているのがバレると機嫌が悪くなる。
隠れてやるくらいならするな、が口癖の時期があった。
今も隠れてたくさんのことをしている。
自室にこもって絵を描くのも楽しみの一つだ。
誰に何も言われない空間は気を遣わなくていい。
今まで幼かった精神が成長してそういったものに気づけるようになったか。
ある程度の自我を持ち始めた娘にはもう隠す必要はないと思われたか。
父親が帰ってくるなり舌打ち。
父親が出て行った後、加齢臭が臭いと家中をアルコールで消毒してまわった。
まるで思春期の娘のようだ、と思春期真っ盛りの私は感じていた。
それよりも、汚物、邪魔者扱いの父親を見るのがいたたまれなかった。
たまにこちらに飛び火が来ることもある。
隠れてやるくらいならしなければいいのに。
消毒の件に気づいているかは分からないが、父親が何か反発したところを見たことはない。
対する私もこの頃が一番嫌悪感があった。
痛いほどに掴んでくる母親の手を必死にふりほどこうとした記憶がある。
虐待で訴えられてもいい。お前を育てずに済むならそれでいい。
母親は姑を嫌いだった。
私からすれば、母親の母も姑も同じ祖母なのに対応の差は歴然だった。
成人式の写真。元々乗り気じゃなかったが、おばあちゃんのために、と泣きじゃくる母親を見て撮ることとなった。
撮ることには文句はないが、母方の祖母にはアルバムを送ったのに、父方には何もしなかった。
母方の祖母が言うには、あっちには何もしなくていいと本人が言ったそうだ。
家に帰ればご飯があった。
私は恵まれている。
だけど、母親に感謝する気になれないのは、この状況が当たり前だと思ってしまう、ゆとりの子供だからだろう。
私は親不孝者だ。
この程度のいざこざで家を出ようとするのだから。
育ててもらった恩よりも、ほんの少しのワガママが勝つのだから。
私は鏡が嫌いなくらい自分の姿を眺めていたくはない。
撮影後、家でまだ化粧の取れていない私の顔をこっそりケータイで撮った父親。
このアルバムを渡せば、あの時感じた心苦しさを消せるはずだ。
あと一年。
就職先を早く決めて、バイトで貯金を増やして、早く自由になろう。
一人の家なら、料理を始められるかもしれない。
あと一年、頑張ろう。
昨日、嵐のライブツアーが終わった。
終わってから1日以上経った今でもなんだか気持ちがふわふわしていて、言葉にもうまくまとめられないんだけど、とにかく心にあることをここに書こうと思う。支離滅裂な文を読むのが嫌な人は、できればここで読むのをやめてほしい。それほど、ちゃんとした文章を書く自信がない。そもそも文章力なんて皆無なのに、その上感情がまとまっていないので、よりひどいことになっていると思う。それでもいいと思った人は、よかったら私の独り言に付き合ってほしい。
今回私は3公演コンサートに行った。今まで1年に1回しか行ったことがなかったんだけど、運良く周りの人や自分が当選したので、幸運にも3公演も入ることができた。
最初は12月末。東京公演の最終日だった。私は大阪に住んでおり、遠征は初めてだった。一年ぶりのコンサート。半年ぶりの生の嵐(ワクワク学校というイベントに6月に行ったため)。沸かないわけがなく、結果喉を使いすぎて風邪をひきさらにはインフルエンザももらってきた。席はスタンド下段の真ん中あたりで、いわゆる天井席(スタンド上段の、ほぼ天井といった席)ではないがファンサは望めない席だった。けれど、トロッコが来れば騒いだしペンライトも振った。
次は1月13日。スタンド下段の1列目(アルファベット列というやつが前にあったため、最前列という訳では無い)だった。前は上から見ていたステージをほぼ横から見ていた。近いし、肉眼で顔が分かるし、とにかく幸福感が半端なかった。一緒に入った友人が騒ぐタイプの子でなく、それに影響を受けて私もあまり騒げなかったが(こんなときも恥を捨てられないのかと少し後悔している。今後は隣に構わず声を出すところは出そうと思った)、それでも終わった後意識はぼんやりしていた。
最後は昨日、最終日だった。いわゆる「オーラス」というやつで、過去数年間を見ているとこの公演だけアンコールが多かったりするので、ファンの間では正直特別視されている公演である(もちろんオーラスの他にも誕生日だとか特別視されている公演はあるけれど)。オーラスに入るのは初めてだったのでとにかく緊張していた。今年は挨拶が定型文だったので、自分達の言葉での挨拶も聞けるんじゃないかと期待していた(実際聞けた)。席はスタンド上段、しかも横で、ファンサはおろか演出もすべて楽しめないんじゃないか?という席だった。結論から言うと今までと違う視点で見られたので新たな気付きが山ほどあったし、伝わらない演出もあったけどそんなの気にならないくらい楽しかった。嵐を好きでいてよかったと思った。そして、これからもずっと好きでいたいと思った。
そして翌日である今日。ふとした瞬間にコンサートのことを思い出して、何度も泣きそうになった。というかこれを書きながら今大泣きしている。
あれで、嵐が「untitled」というアルバムを引っさげて行うコンサートは最後なのである。もうあのセットリストでコンサートを行うことは二度とない。何なら、一生行われない曲だってあの中にはあるのではないかと思う。自分が見られる最後の公演だ、と思ったわけでなく、嵐が行う最後の公演だ、と思うと泣けて仕方なかった。
特にそれを感じてしまい涙が止まらなかった曲がある。UBという曲である。二宮和也と相葉雅紀のユニット曲だ。そもそも私はこの二人のコンビが死ぬほど好きなのである。ユニット曲のメンバーが発表されたときは2週間くらい信じられなかった。それゆえこの曲は私にとってはいっとう大事でいっとう好きな曲だ。そんなこの曲、間奏で行われるダンスが「コンタクト」というもので、簡単に言うと組んず解れつ、知恵の輪みたいに手と足を絡ませ合うものである。
MC中、思い出深いことは何か?という質問に、二宮和也が「最終日のこのダンス」と答えた。「やりながらいっこいっこなくなってく。もうやらないから。これおわりこれおわりこれおわり…って」と言っていた。その言葉を聞いて涙が止まらなかった。ああ、もうこのダンスはしないんだ。二人が引くくらい近い距離で高難易度かつ密着度の高いダンスをすることも、相手のパートを口パクで歌いながら近付くことも、曲が終わってスタンド・バイ・ミーの振り(20年前に二人が出た舞台で行われていたハンドサインで、手を突き出してからサムズアップ、というものである)をすることも、もうないのである。そう思うと悲しくて悲しくて仕方がない。
UBに限らず、どのパフォーマンスも、これからしないのが寂しくてたまらない、素敵なコンサートだった。
さて、ここまで支離滅裂ながら思ったことを簡単に書き出してきた。しかしとにかく読みにくく、本当に言いたいことが伝わらない文だったと思う。というか本当に言いたいことはここまで言っていない。ここからが本題である。
私は相葉担である。自担である相葉雅紀には昨年末、熱愛報道が出た。昔から女ネタに耐性がない(恋愛ドラマも苦手なレベルである)私は大きなダメージを受けた。そんな矢先のコンサートだった。
女がいると分かっているアイドル(もちろん彼女がいないと思っているわけではないが、週刊誌によってその存在が証明されたり結婚発表によって公式に認められたりするのと、勝手にファンが「彼女いるんだろうなあ」と想像するのには、私たちの心持ちには大きな違いがある)を歓声をあげて応援するなんてできやしないと思っている私は、前から「嵐誰か結婚したら担降りする」と言っていたし、正直今回のコンサートも女の影がちらついてしまい全力では楽しめないんじゃないかと思っていた。
しかし先述の通り、死ぬほど楽しかったのだ。これからもずっと応援していたいと思えるコンサートだった。確かにコンサート中女の影がちらついた時は山ほどあったが、それでもそんなの気にならないくらい彼らは魅力的だった。
だからこそ悔しいのである。女の存在が明らかになることで、ファンが離れ、少しずつでも彼らの人気が落ちていくのが悔しい。彼らはこんなに魅力的なのに。女絡みだけでなく、褒められたところではない点もあるけど、それ以上に彼らは魅力的だ。それでもファンは離れていく。ましてやこのまま結婚なんてしてしまったら、彼らの人気はどうなるかわからない。少なくとも、今より上がるようなことはないだろう。
私が言いたいのは、「嵐、頼むから結婚なんてしないでくれ」、ただそれだけだ。こんなところで言ったところで本人達に届くわけがないのは分かっている。けど、こんなところで吐き出さないとやっていられない。
もし結婚してしまったら、素直な気持ちで応援できなくなるのではないかと思う。私たちがいま大好きだと歓声をかける相手には、家に帰れば最愛の妻がいるのだ。そんなの耐えられない。
中にはアイドルが結婚するのを嫌がる心理がわからない人もいると思う。納得しなくていい。その気持ちを理解しなくていい。けど、私たちにとって女の存在は大きなものであるということだけは知っていてほしい。
アイドルだって人間だと思うかもしれないけど、人間であるけれどアイドルなのである。疑似恋愛を商売にしているアイドルなのである。結婚してしまった時点でファンの夢は覚める(覚めないファンもいるし、そこまでの夢を見ていないファンもいると思う)。その時点で彼らはアイドルではなくタレントである。
人気が落ちるのを見るのが寂しい。まだトップでいてほしい。そして何より、まだアイドルである彼らを応援していたい。だからどうか、嵐の皆さんは、もう少しだけ結婚しないでいてください。
(本当はもう少しと言わず一生結婚しないでほしいし、嵐に限らず全"アイドル"はそうであってほしいと思うけど。おわり)
結果最初から最後まで支離滅裂、取り留めのない文章でした。ここまで読んでいただいた方に深く御礼申し上げます。
もちろんすべてのファンがこのように思っているということはありませんが、中には私と同じようなことを思っている方もいらっしゃると思いますし、逆に一切わからないという方もいらっしゃると思います。こちらで話したものは一ファンの意見に過ぎません。嵐ファンの総意であると勘違いなされることはないよう、お願いいたします。
俺の使ってるitunesのwin10PC版(諸事情により携帯端末は所有していない)はくっそ重たい上に俺の欲しい曲がライブ音源版だけあってアルバム音源版はないというクソオブクソsなんですが。
仕事先の小学生のお子さんの持つ母親から、うまい写真の共有方法はないか?と電話で質問を受けた。
そもそもパソコン操作が苦手な人が多い職場に対してサポートのていでご厄介になっている関係で、
普段からその職場の人たちのデジタル機器に対するアレルギーは感じていたが、
いましがたかなり衝撃を覚えた。
既に職場にはサーバー代わりにDropBoxを入れてもらっているので、電話口でURL共有を教えたけど、
エクスプローラー立ち上げて、DropBoxフォルダ内のファイルなりフォルダを右クリックさせるのも
一苦労だった。まず、固有名詞『エクスプローラー』が理解できないので『パソコンの中身やファイル見る奴』と説明。
画面の左側メニューにあるDropBoxをクリックさせ、右側の画面に表示されるファイルを選んで右クリック『普段押さない方のボタン』と説明したが、
左側メニューで右クリックしていたらしく、狙ったメニューを表示させる事するらできなかった。
URLをコピーして、ブラウザ起動させて、アドレスバーって言っても通じず、 http って始まるのが出る所って言っても通じず。
検索する所っていうと検索バーと間違えて絶対混乱する、インターネットの上の英語出る所、位でやっと通じた。
そして貼り付けをさせ、Dropboxに移動させ、フォルダの中身を表示までさせた。
しかし、どうもピンと来てない。
しかもこのプロセス自体をなかなか覚えられないし、何が起こっているかもあまり理解できていない様だった。
正直、その人の普段の馴染のある環境で、これ以上簡単に任意のユーザーかつ、スマホやPC等プラットフォームを
アルバム共有のWebサービスも色々あるようだが、こちらに質問をしてくるくらいなので、そういったものをググる習慣もないし、
紹介した所で、Webアプリの画面を理解して自発的に操作するのもまず無理だろう。
ちなみに普段はパソコンの講師なんかもやっていて、それなりに評価されており、
電話口だけでもたぶん通常の人よりもはるかに解り易い教え方ができている自信はあるのだが、これには面食らった。
仮想通貨とかAIとか言っている一方で、いつまでたってもパソコンやスマホを扱えない層や
スマホでも特定の操作以外はできない人というのがかなりの割合でいるのだろうな。
仮想通貨の金山で鉱脈掘る奴、Gパンやツルハシ売るやつ。転売するやつ、金山があるぞと叫ぶ奴。
そしてそれを金貨を便利な道具として誰でも使えるようにする奴。
そして、何年も遅れて最後にやってくる、こういった人たちにも便利で解り易いものに変換して提供する仕事がこれからまだまだあるという事なんだろう。
入口はオクトパスアーミーではないし、アンナ・ミラーズはもう高輪にしか無いらしい。中腹あたりの人間関係はずっとあるけれど入ったことがない。なんといっても総本山のPARCOがない。
そんなスペイン坂の頂上近く、裏の代表だったはずの猿の服屋の下、たしか映画館があったあたりに、その日の会場であるライブハウスWWWはあった。
Haru.Robinsonの音楽を初めて聴いたのは『愛が降る街』が公開される少し前、まだその名義になる前のYouTubeの生配信だった。
声の伸びがしなやかで、少年のような外見とあいまって美しい。高音の少しの危うさがそれをなおさら強調させ、これは女性は好きだろうなと思わせる。
その印象通りに会場内は7割位が若い女性。男性は本当に少なくて、そのほとんどが関係者か付き添いかといった感じ。
アーティスト然としていない近所の服屋の店員のような格好で、かすかに照れながら「シンガーズ・ハイ(本人談)」の状態で歌う彼は、ポエジーなその歌詞を本当にすべてを信じているようにも見え、その彼の創り出す音楽を女性たちは恋をしているように聴いている。
いや、けっして男性がいられないような空間ではないし、男性だからこそ楽しめるところもある(と思う)のだが、このエモさはなんだろう。
楽曲はYouTubeやSoundCloudで聴けるものを中心に、新曲は最初と最後に。
セットリストを最初はメモっていたのだけど、途中で面倒になってそのまま左にフリックしてしまったのが悔やまれる。
1曲目はライブのタイトル曲にもなっている『Urban Days』。アルバムは当日発売なのにもう一緒に歌っている女性がいて、Haru.Robinsonとこの曲のファン層の強さを感じた。
『愛の降る街』は安定の名曲だが、続く『降雪歌』の潔さと合わさって、より孤独感が感じられる。遠い街で空を見上げる時には孤独を受けいれなければならない。その寂しさと力強さをギリギリのラインで保ち続ける声と姿が素晴らしい。
今回のアルバムには入っていない『Howl』のアレンジが良かった。メロディアスで浮遊感のある、しかし安心させてくれないキーボードがどこか『ヘッド博士の世界塔(フリッパーズ・ギター)』を思わせる。渋谷だからかな。懐かしい感じがして。ネオンテトラの色彩がサイケデリックさえ感じさせる。
欲を言えば今回(たぶん)歌わなかった『Lyrical Parade』で、道玄坂から公園通りまでを間奏のBaroque Hoedownに合わせてマジカルでファンタジックに突き進むようなHaru.Robinsonも見せて欲しかった。それは、また、どこかで。
ラスト曲『Brand new day』は今回のアルバムには入っていない。何もない日常がたったひとつの何気ない出来事で、ほんの少し進んだ世界に描き変わる瞬間に立ちあえる曲。これが入っていないのは本当にもったいない。しょうがないからYouTubeの再生回数を増やそう。
アンコール1曲目は『Identity』。イントロで女の子たちの歓声が上がる。たしかにこれは生で聴きたかった。できればダンスも見たいのだけど。
アンコール2曲目の新曲『春風』も良かった。スロウでメロウなバラード。3月発売らしいが、実はFacebookでファンの女の子がアップした路上ライブの動画が見れる。配信時代ってすごい。
最初のMCで彼は「なんとなく揺れて気持ちよくて楽しいって曲はHaru.Robinsonにはないんです。頑張って歌うから頑張って聴いてください」と語った。
たしかに全曲が全力で、縦ノリでも横ノリでも休める曲がない。バンド構成も見事で、ずっとパンフォーカスの状態だから、これは正直疲れる。
しかし「頑張って歌うから頑張って聴いてください」というそれは「寿命を少しだけ削って 聞いてくれたことまず感謝します(『Identity』)」という彼からの、僕らへの挑戦でありまた僕らがたったひとつ果たすべきアンサーであると思う。
それに続く「でも 睡眠時間を削って 君に書いた歌はまたボツになる」という歌詞は、同じこの日に発売となった椎名林檎の『人生は夢だらけ』にある「こんな時代じゃ手間暇掛けようが掛けなかろうが終いには一緒くた きっと違いの分かる人はいます そう信じて丁寧に拵えて居ましょう」と同じく、すべての届けたい相手(つまりリスナーであるわたしたち)に対するアーティストからの最大のリスペクトだと思うのは僕だけだろうか。ここでいう「君」は特定の恋人でもいいが、もっと不特定多数の彼の音楽を待つ誰か、もしくは彼が贈りたいすべての誰かでもいいんじゃないかと思う。
彼のそのへんの兄ちゃんのような風貌からは、真摯的という言葉はまったく出てこない。
そして彼のサウンドは純粋に音楽として楽しめるものではあるが、僕はどうしてもその節々から、音楽に、またそれを求めている誰かに対する誠実さを感じずにはいられない。