はてなキーワード: おめかしとは
相手は一番写真写りの悪い片山さつきを体重2.5倍にして薄汚くした感じの中年で、髪はボサボサ、薬のせいなのか肌も目に見えてガサガサだが、喋り方は若い(というか幼い)感じの女性だった。
笑うと前歯が無かった。
控えめに言っても異様な雰囲気を醸し出して、これは流石に無いだろと思ったのだけど
デートに行ったら友人が5000円(無職にとっては大金である)くれる。さらに地元開催のグルメ・イベントのチケット二枚進呈するという友人の後押しもあってデートへ行ってきた
俺は無職なので金が無い、おめかしする事もできないので適当なオタクくさい格好、しかもパンツの膝のところがビリビリに破けてるというおおよそデートとは思えない格好だったが
相手も45歳という年齢には合わない白のワンピースにカーディガン(童貞なので女性の服の名前は正確には分からない)に変色したキティちゃんのワンポイントがついたピンクのポシェットという格好だった
正直キツイと思ったが
それでも相手は精一杯おしゃれしてきてくれたのは理解ったので申し訳ない気持ちになった
美術館についてはそれほど語ることもない
ただデートといえば美術館か水族館かな、という漠然とした理由で行っただけに過ぎない
ただなんか油絵があって、白黒の水墨画?というのがあって、後は学のない自分にはガラクタにしか見えない何かがあった
終始無言でなんとなく金を払って絵のある空間を歩いて
それで終わりだった
こっちはチケットもらってたので実質タダ飯が食えた
それだけでとても充実した気分だった
決まりとかはないけど、年に数回超退屈なお話を高い金払って聞かされる。つまらん。
護身術みたいなのもやらされて、帯取るシステムもある。だるい。
私が生まれた時に最後の帯まで取るお金振り込んだって両親が言ってた。やめてほしい。誰も頼んでない。
集中稽古とか勝手に入らされて、お金無駄になるから×日お稽古行きなさいって言われた。
前から仲良かった人(この人は私より深刻な二世らしい)と会えそうだったのに、おじゃんになった。店の予約まで取っておいたのに。
名前も両親じゃなくてその宗教の大先生?とやらが付けたらしい。
両親のことは好きだから、どうせなら2人につけて欲しかった。そういうの誰も頼んでないってば。
私の人生のため?将来のため?
知らないよ、そんなの。だって私の周りのみんなは稽古にも講座にも行ってないのに、幸せそうに生きてる。
両親には必要なのかもしれないけど、私には必要ないしむしろ邪魔だ。
普通の子なら楽しみにその×日を待って、一生懸命おめかししてお出かけするはずなのに、私は道着持って1人で出かけなきゃいけない。なんで私?
本当にだるい。そんなのに何十万も使うくらいなら、もっとほかのことに使ってくれ。私のためにはならないし、ほんと無駄遣い。
「あなたのためだから行ってきなさい」とか。信じるものを選ぶのは私一人で十分。
私がその予定をどんなに楽しみにしてたのかも知らないし、夜にこうやって1人で悩んでることも知らない。本当に腹が立つ。
誰と仲良くなっても二世ってことで薄い壁を感じる。
ので、こういう所に愚痴ってる。ごめんね
仕事の関係で宇都宮(栃木県)に住むことになった。本当にダサくてびっくりするくらいダサいので書き連ねたいと思う。
なんか嫌だなと思うことをたくさんいいます。
東京の真似をしてないですか?
おしゃれなデザイナーにイラストかかせたりして、都会を気取っている。どうあがいても田舎なので都会を気取らないで欲しい。田舎には田舎の戦い方があると思う。
おしゃれイラストレーターに絵を描かせても宇都宮はださいままです。
お店も同様で、都会のチェーン店を宇都宮に出してもださいままです。
宇都宮にしかないお店、餃子屋さんが思い浮かびますが本当にそんな行列してまで入らなければいけないお店?
当たり前だけど飲酒運転はできないので公共の交通機関を使うことになるんだけどどうしてもこれが弱くて遊ぶに耐えない。夜に空いているお店も宇都宮ならではではなく東京にもあるチェーン店多し。
宇都宮ならではってもんが本当にないんですよね
本当に餃子だけでいくつもりですか?
現地の人間に餃子有名ですよね!というと「あ〜、餃子ね笑」みたいな反応です。
現地の人間が「あそこのやつも食べてみて!」とならないなんてびっくりです。
まろにえーるという萌えキャラがいますが、それは本当に必要ですか?ドラゴンボール芸人に譲ったらどうでしょう?ファンに愛されるコンテンツとはなんぞや
東京の人間が餃子を食べに宇都宮に来ますがそれを本当に捌けていますか?
行列に次ぐ行列を経てもう一度きたいという観光客がいると思いますか?
宇都宮は子供はたくさんいるけれど大人は非常に少ない街のように感じました。
本当に楽しい場所がないというか、東京で替えがきく場所ばかりです。
東京の近くにある地方都市は大概こんな感じなのかな。餃子があるだけマシなのかな。
自分は入院で行けなくなって祝電とご祝儀出して、その友人からはLINEでありがとーとかその日の様子とか送ってもらって心からおめでとう!って気持ちになってたけどさ
その式に参加してた別の友人達からはなんもないんだよね、なんも
出席友人達にグループLINEで「入院なんで行けませんー」って書いて「お大事にー」以降なんもなし。以前も招待状届いたかの確認しかしてない
なんも書いてくれない
女だし忙しいからしょうがないかなって思ったけどツイッター見たらめっちゃおめかしした自撮りめっちゃあげてて、めっちゃリプ返しとるがな
それに当日は忙しくても、今日はLINE少しするくらいの時間あるだろ
友人が結婚するってなったときから全然祝福モードじゃなかったし、新郎の悪口言ってたし、彼氏いない仲間が結婚するからふてくされてんのかなとも思ってたけど(ツイッターでもおめでとうとか書いてなかったし)
まあ入院だろうが結婚式ドタキャンするやつには怒って当然だろうな
いくら体壊して仕事できなくなってても、仕事してる方が偉いもんな
職種が違ったから繁忙期被ってないからそっちの機嫌悪い時期把握できなくてごめんな
ふうスッキリした
まあ時間に余裕があるんなら自宅で料理を楽しむほうがいいと思うよ。
あえて1万円以下の外食の意義を問うなら、例えばファミレスとかなら若い人がちょっとおめかししてデートを楽しむためとか、ラーメン屋とか牛丼屋なら仕事帰りに疲れたし料理するのも片付けも面倒だしちょっと寄っていくとか、居酒屋ならお酒もついでに楽しんでいこうとか、まあ料理以外にも色々目的があるじゃん。
仕事帰りにいちいち誰かの家に行ったりするのも色々大変だし。
あとインドカレーとかちゃんと作ろうと思ったら異常に手間も材料もかかるから外食の方が楽な料理もあるし。
ってなんか言うまでもないようなことばっかりだな。
そういうことじゃなく…?
あと、グルメブームっていうのもここずーっと10年20年くらい言われてるから何がブームなのかもよくわかんないけど、大体グルメって呼ばれるような外食しようと思ったら1万円以上は軽くかかっちゃうし、あとはB級グルメとかみたいな。
過去の文脈が忘れら去られるのと、着物が今現在生きているかどうかは、また別の話なのでは?
普段着やちょっとしたおめかし着としての文脈が失われても、また別な意味合いを持って生きているからこそ、こうして実際に目にするわけで
地方によって別方向に進化しているのも、時の止まった化石ではなく着物が生きているからこその現象だと思う
と書いたけど、よく読んだら元増田が惜しんでいるのは着物自体ではなく、着物文化だった
長く着物を愛してきた人にとって文脈が失われるのはとても悲しいことだというのは理解する
あまりに既知のものとかけ離れたら、それはいわば猫が進化して何か別の生き物になってしまったようなもので
猫が好きだった人にとっては猫が居なくなったという点で、死滅したのと同じかもしれないしね
くやしいっ……!
くやしくて、死にそうっ……!
身体の奥から絞り出すような掠れた声。これほどまでに悔しがる声を、かつて聞いたことがない。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』は、そういうお話だ。本気で高みを目指し練習に練習を重ねた――なのに届かなかったことがくやしくてくやしくて涙があふれてくる、そんな物語だ。
主人公の黄前久美子は、コンクールの京都府大会に向けた合奏の練習中に、顧問の滝からとあるパートの演奏から外れるよう指示される。そこはかつて質の低さを指摘され、改善を約束したパートだった。久美子は努力を重ねたが、滝が求める精度にけっきょくたどり着けなかった。
うまくなりたい。
うまくなりたい。
うまくなりたい。
うまくなりたい。うまくなりたいうまくなりたいうまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい……!
うまくなりたい! 誰にも負けたくない! 誰にも……! 誰にもっ……!
後から後からあふれてくる涙に頬を濡らしながら久美子は知るのだ。
中学のとき関西大会への切符を賭けたコンクールで敗れた際、同輩の高坂麗奈が流した涙の意味を。その辛さを。「本気で全国いけると思ってたの?」と問いかけた自分の目の前で彼女がどんな気持ちでいたかを。
それを知った久美子は、「期待すれば恥をかく。叶いもしない夢を見るのは馬鹿げたことだって思ってた」自分と決別する。「絶対、全国に行く」と、ためらうことなく口にする。たとえ努力した者すべてに神様が微笑まない世界だったとしても。努力し、戦うことを選ぶのだ。
選ぶ、ということ。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』は、当人の選択とそれに伴う責任を重要なテーマに掲げている。
最も判りやすいのは冒頭だ。
顧問に就任した滝は、部員たちに部の目標を選ばせる。全国を目指すか、楽しい思い出をつくる部活動にするか。選んだ以上はそれに向かって努力してもらうことを言い添えたうえで。部員たちは多数決のすえ前者を選んだ。待っていたのは低レベルな演奏に対する容赦ない指摘だった。部員たちは反発したが、滝は取りあわなかった。「あなたたちは全国に行くと決めたんです」と。滝の厳しいながらも的確な指導によって演奏技術の向上を実感した部員たちは彼に信頼を寄せていく。
終盤にはもっと重要な意味をもってそれが描かれる。合奏のトランペット独奏パート、その奏者を巡るオーディションのやり直し。
奏者は麗奈にいったん内定したが、敗れた三年の中世古香織を慕う吉川優子の「噂になってるんです。オーディションのとき、先生がひいきしたんじゃないかって」という発言によって、滝は希望者に対する再オーディションを認める。そして香織がそれに手を上げたことからもう一度やる、ということになったのだ。
ここで面白いのは内定している麗奈の意向を滝が確認しなかったことだ。本当なら麗奈の気持ちが重視されるべきだろう。何せ一度はその座を勝ち取っているのだから。しかし滝はそれを訊かなかった。
その理由は、“選ぶ”ことによって“責任”が麗奈に発生してしまうからだろう。麗奈は本来それを負う必要がない。だから滝は回避した。彼の内面を推し量るなら、オーディションに不正があったのではと疑問を持たれた自分が責を負うべきだと考えたのではないか。
再オーディションの場でも“選択”と“責任”が遡上に上がる。どちらを奏者にするか、滝は(ひいきを疑った)部員たちに選ばせようとする。「全国に行くと決めた」あなたたちは、今の演奏を聴いてどちらがそれにふさわしいと思いますか、と。
しかし部員たちはどちらも選ばなかった。だから滝は香織に訊く。「あなたがソロを吹きますか」。香織は言う。「吹かないです。吹けないです。ソロは高坂さんが吹くべきだと思います」と。
香織が肯定していたら、恐らく滝はそのまま香織に吹かせただろう。香織では先の大会に進めない公算が高いと判断していても吹かせただろう。どちらも選ばなかった部員たちに文句を言う資格はもうない。部員たちはそういう“責任”を負わなければならない。そして香織も、もし吹くのであれば部の成績の是非を逃げ場のまったくないとこで負う覚悟がいる。滝はそれを問うたのだ。香織は否定した。
もちろんこれは責任を押しつけあったという話ではない。
何かを求めるのであれば相応の代価がいる。全国か楽しい部活か。全国を求めるなら苦しい練習とそれをしてなお届かなかったときの悔しさに対する覚悟がいる。『ユーフォニアム』とはそういう物語なのだ。
ところで『ユーフォ』がエロティシズム溢れるアニメだと言われて否定するひとは少なかろう。もっともあからさまなのは8話。夏の大吉山にノースリーブのワンピースで登った麗奈は、コケティッシュな魅力を見せつけながら久美子に“愛の告白”をする。夜景をバックに、裾を風や座ったときのはずみで翻しながら。あるいは久美子の唇を白くほっそりとした指でなぞりながら。正統派の黒髪美少女は、匂い立つような色気をまといながら、中高と同じ吹奏楽部に所属しながら顔見知り程度だった少女に真正面から迫っていく。
これは何なんだろう? 百合? サービスシーン? 半分ぐらいはそうだろうが、それだけではないように思う。
『ユーフォ』はキャラの欲望を隠さない。久美子の「うまくなりたい」を始めとしてみんな何らかの欲望を持っている。「特別になりたい」「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」「あすかが思ってるわたしの一歩先を、本物のわたしが行きたい」「あたしさ、塚本のことが好きなんだけど」「みんな吹きたいんだ」「コンクールに出たいんだ」「全国」。
だから肉体は、欲望の主体がちゃんとそこに存在していることを証明するかのように、画面いっぱいに生々しく描かれる。
終盤はもっと直截だ。
炎天下での練習。頬を火照らせ汗を滴らせながら練習に励む彼女たちは、ときに渇きを癒そうと喉を鳴らしながら水を飲む。それらのシーンは例外なく艶めかしい。オーディションに勝って奏者に選ばれたい、今は手こずってるパートをもっとうまく吹けるようになりたい。喉の渇きは、そういう欲の隠喩表現だ。ときに口元を濡らしてしまうほど勢い良く飲むのは満たされることを強く欲してるからだ。
あの夏の夜。これから山に登ろうというのに、麗奈はノースリーブのワンピースにヒールサンダルという格好だった。対する久美子はTシャツとショートパンツにシューズというラフな出で立ち。片やデート、片や気心の知れた友だちとのお出かけのよう。その落差は気合いいれておめかししてきた麗奈の“欲”を際立たせる。
『響け!ユーフォニアム』は、何より絵でその強さを表現している。
音楽マンガには演奏の素晴らしさを聴衆のリアクションによって表現する手法がある。『ユーフォ』でもサンフェスへの出場を賭けた合奏や、サンフェスにおけるマーチングの際にこれが用いられた。アニメだから音そのもので質の高低は表現可能だし実際されているのだが、強調表現として使用されたのだ。
しかしながらラストのコンクールでは聴衆の反応がいっさい描かれない。いったいこの差はなんだろうか。
冒頭でも述べたように、『ユーフォ』は努力に努力を重ねたのに鳴らしたい音へとたどり着けなかったことやオーディションに敗れコンクールへ出られなかったことがくやしくて涙を流してしまう物語だ。
努力そのものには何の価値もない。滝も誰も努力したことを褒めない。努力の末に響かせた音にのみ評価が下される。聴衆は、久美子たちの努力を一切しらない。ホールに響き渡るあの音が努力の末のものなのかそうでないのか一切しらない。
しかし我々は知っている。努力をし、欲をむき出しにしてぶつかり合ってきた先にある音だと。滝に叱責され、炎天下で汗を滴らせ、楽譜に「全国」と大きく書き込み、がむしゃらに努力してきた先にある音だと。だからそれはきっと素晴らしいのだ。みんなが積み重ねてきた努力を知る葉月が「いっすね……」と呟く音はきっと素晴らしいのだ。
そこに聴衆のリアクションはいらない。ステージの上でまばゆい光を浴びた久美子たちが響かせる音、それは素晴らしいに違いないと我々はもう知っているのだから。
○朝食:油そば(冷凍食品なんだけど、凄い独特な味だった) 、野菜ジュース(最近ペットボトルで常備してるので、書いてないときも一日一杯は飲んでます)
○昼食:ジャージャー麺(同じ冷凍食品、こっちは美味しかった)
○夕食:考え中、お酒を飲みたい
○調子
むきゅー!
今日はお休みの日なので、かれこれ一ヶ月以上やっている逆転裁判6にケリをつけました。
月曜日もお休みの三連休で、日曜日もぼけーっと過ごして問題ないので、今からお酒を飲むつもりです。
脳みそを弛緩させたい気分なんです。
終わったー!
まあ、オマケって感じだけど、ミツルギとナルホド君の濃厚な絡みがあったり、
女性陣のおめかしが見れたりと、ファンサービス的には見所が多かった。
もちろん、123、456に続く、789? みたいな大河的なストーリーも見たいけど、
小中学校時代、男の子からブス!デブ!足太い!ブタ!と言われていた。
家の前で「ブスしねー」って叫ばれたりとかロッカーにブタって書かれるとか、いろいろあった。
9年間そんな感じだったから、そうか自分はデブでブスなのかーと思っていた。
体重は平均以下だったのに、デブだからなーとか気にして私服ではスカートを避けたり、体育のジャージも大きめのものを着たりしていた。
家族や親戚は私のことを可愛いと言ってくれたけど、姉2人は「ハーフみたい」「フランス人形みたい」「子供なのに美人」と絶賛されていたので、やっぱり私はあんまり顔が良くないんだなあーとなんとなく思っていた。
高校はちょっと良いところへいったせいか、あまり外見についてネガティブな言葉を聞くことはなかった。
入学してしばらく立った頃、部活のユニフォームを着て廊下を歩いていたらクラスメイト数人とすれ違って、「わーかわいいー!」と言われた。
親や親戚以外から「かわいい」と言われた記憶があんまりなかったので、ものすごく嬉しかったのを覚えてる。
と、同時にそれは衣装のことであって、やっぱ私の顔はブスなんだよなあとも改めて思っていた。
高校時代の友人は優しい人が多くて、服装とか髪型とかちょっとした変化をいつも褒めてくれていたので、自分の外見に関する意識が一番穏やかだった期間だったかもしれない。
初めてできた彼氏は「髪かわいいね。惚れ直すよ。」とか「服のセンスが好き。」とか言ってくれて、嬉しかった。
生まれ持った外見以外で努力出来るところを頑張っていこう!と前向きになれた。まあ、顔はブスなんだけど。。
同じゼミに私のことを「ブス」と呼んでくる男性がいて、周りの女の子数人も私を「ブス」と呼んで来て、1日何回ブスって言われるんだろうって思って過ごしていた。
呼びかけが普通に「おい、ブス」とか、「笑顔が汚い」とか、あきらかにブサイクな芸人に似ていると言われたりとか。
失礼ながら、そんな風に言って来る女の子たちの顔をあんまりよくないなあと思ってたので「これ以下ってことか…」と凹んだ。
女の子から言われる事は今までなかったので、余計に苦しかった。
(変な話だけどこの頃、激太り・激痩せを繰り返した。ブスって言い続けられるとブスは悪化する。)
性格は昔からいわゆるイジられキャラでお笑い担当みたいな感じだったけど、ここまでくるとさすがにこたえた。
2、3人だけ、そんなことないよ可愛いよって言ってくれる人たちがいた。
そういう子たちは大抵可愛かったり、大学生にしては年上だったりして、心に余裕があるんだなーと思った。
中心になってブスと言って来る人は3,4人で、それ以外は特別外見のことを話題にしてくることはなかったけど、追いコンの時に酔っぱらった1人の女の先輩に「初対面から顔立ちが嫌いだった」「とにかく嫌いな顔をしている」「性格は好きだけどね」と言われて悲しかった。
ただのブスじゃなくて、私は人を不快にさせるブス。
母親はゼミの写真を見て「あなたが一番かわいいじゃない」と言ってくれたけど、親は子供なら誰でも可愛く見えるのでアテにならなかった。
姉に相談すると「私も昔はブスって言われたよ。女の子に囲まれてブスブスーって言われたりとかね」と言っていた。
女の子に妬まれてブスって言われるのと、男の子主導で日常的にブスって呼ばれるのはわけがちがう。
体が大人になったせいか、ナンパは人並みにされるようになったがその価値は体にあるわけで、顔は相変わらずのブスだ。
小中と大学の4年間、合計13年間もブスって言われながら過ごしてくるとやっぱり性格も変わって来る。
ブスだからSNSに自撮りをアップしたりしない、タグ付けされてもタイムラインに顔が出ないようにする。
ブスだから出しゃばってはならない。
外見的な部分で、自分をよく見せようとしてはいけない。(これは一番大変だった。写真を撮るとき、壇上にあがるとき、挨拶するとき、カメラはもちろん相手の目を見ないようにして、なるべく目を細めて、口を自然にあけて笑うようにしていた。)
ブスなのはどうしようもないとしても、イタいブスになるのだけは何としてでも回避したかった。
他人の評価が内面についてのものだったとしても、全て避けるようになっていった。
教授や先輩が私に興味を示してくれても、それに全力で向き合っていけなかった。
大学後半はほとんど無駄に過ごした。あれだけ入りたかった大学・ゼミだったのに。
なんだかいろんな恨みを書き連ねていたらすごい長さになってしまったのでもう結論に移る。
私はブスではなかった。
もちろん美人でもなかったが。
世の中にとけこめる普通の顔だった。
人を不快にさせる顔なのかどうかは未だにわからない。つり目だから、嫌いな人は嫌いな顔だと思う。
未だに人の顔の良い悪いが分からない。
たいていの人は可愛いし美人に見える。ブスだなーと思う人はなかなかいない。
100人中1人とかだろうか。ぱっと思いつかない。
美醜で人を眺め始めると、身の回りがランキングで見えてくる気がして怖くなるからすぐやめる。
私は人にいじられやすい。嫌じゃない。
面白い感じのキャラクターなのは分かってるし、私は楽しいことが好きだ。
でもその場に居合わせた誰かが、全然面白く無い誰かが、無意味に私をブスと呼んで喜ぶ。
不機嫌にできないせいで、私はずっとブスとして生きて来た。
全力で「ブス」を受け止めて生きて来た。
知らない人と会うのが嫌だった。顔を見られるのが怖かった。
写真をとるとき、小顔に移りたい女子たちがみんなが後ろへ行く中で、こわばって1歩も動けなかった。
私を真っ先にブスと呼んだ男性は、資格試験に落ちて以来、連絡がつかないらしい。
私をブスと呼んだ女の子達は、相変わらずブスだった。
歯並びが悪いとか、太ってるとか、そういう要因でしか見れないけど、私の目にはブスに写った。
やっぱり本当に当時ブスだったのかな?と思いながら「おめかししましたからねー」と答えた。
だが驚くことに、多くの人は自分の外見は良い方だと思っているらしい。
確かに私の周りにも自分の外見に自信があるんだな〜と思わせる話し振りの人はたくさんいる。
「私の彼氏は可愛い子としか付き合わない」とか「美人だから合コンなんか行かなくていいって言われるんだけど」とか。
私もそう思って生きられたら、もっと臆せずいろんな経験が出来たのになと思った。
すごい美人な私が今までのひどい仕打ちを見返して生きていく、そうなれたら最高だった。
ほんのちょっと、もしかして美人かもしれないし!と考えた時もあった。
でも、まあ、普通に違う。
一目見てお前は思うだろう。
「なんて素敵な人なんだ。
うちの会社にはこんな素敵な人いない。
好きだ。好きすぎる。この人とお付き合いしたい」
そんなところだろう。
そんで、打ち合わせでもいいところ見せようとして、博識ぶったり
自分できる人なんですアピールをしたがるのがお前らの悪いクセだ。
まず、言っておく。
打ち合わせで会う女性の姿は、本当のその人の姿ではない。
当然の話なのだが、向こうも仕事なわけで、そのためにおめかしをしているわけだし
普段なら気持ち悪いと思うお前らに対しても、優しく振る舞うのは仕事のためだ。
100歩譲って仲良くなれたとしよう。
でもプライベートの彼女の姿を知って幻滅する結果が待っているのは明らかだ。
家に帰ればただの人なわけだ。
くだらない処女信仰や、自分のことを好きな人は絶対に怒ったりなんかしないとか
妄信的に信じているようなお前たちの幻想なんぞ、一瞬で消滅するぞ。
へたな期待を持つな。
家でおとなしくアニメでも見とけってこった。
いつも行ってるスーパー銭湯に行こうとしたんです。
そしたら移動に使ってるバスの乗車待ちが長蛇の列を成しててビックリ。
列整理のお兄さんに聞いたら約50分待ちとのこと。
何事かと思って並んでる人たちの客層を見てみるとおめかしした
カップル、カップル、カップル。サバンナに生き抜くヌーの如き群れ。
その光景でピンときて、ははあ、こいつらさてはよみうりランドの
イルミネーション見に行く気だな、と勘付いたわけです。
いやあ。
『クリスマス』という概念の、日本人を動かす力には眼を見張るものがありますね。
もちろんそのあと銭湯には行かずに帰ってきました。
銭湯行けなかった悲しさと、独り身の惨めさと、今の今までクリスマスの存在に
気付かなかった恥ずかしさでどうにかなってしまいそうです。たすけてください。
会社の先輩ですごい可愛いらしいA子という女性がいる。顔、容姿もそうだが、なにより性格がいい。真面目で、素直で、前向きで、優しくて、周りを笑顔にできる人だ。仕草も女の子らしくて可愛い。なかなかそういう女性はいない。恋愛感情抜きにしても、みんなも彼女のことを気に入っているだろう。僕もそうだし、入社しばらくして、僕はA子に惚れてしまった。
しかしA子には恋人がいるらしい。極めつけに高校の頃から付き合っているとかで10年も一緒にいるそうだ。まるで手も足もでない。話しかけてみても惚れているせいか緊張するし。というか、自分自身恋人がいた。あっち側もこっち側も恋人がいるならなおさらどうしようもない。ただ、それでも、せめて友達として付き合えればなと思って、一緒にランチやディナーを行ったり、仕事上の話をしていた。また、お互い、そろそろ結婚を考える時期だということでお互いの恋人との生活やこれからのイメージについて話しあったりしていた。
僕も恋人とはうまくいっていて、10年には及ばないが長らく一緒にいるし、同棲もしていた。そろそろ結婚するだろうか、という段階だった。親に挨拶もしていたし、A子のことは気になっていたが、”今の生活を壊す勇気はない。”だから、愛情は全て僕の恋人に向けていた。
だが、ある時僕は気づいてしまった、恋人が僕に素っ気なくなっていることに。愛情を与えても、暖簾に腕押しというか、反応が薄い気がする。しばらく悶々としていたが、遂に決意して「本当に僕のことを好きか」ということを聞いてしまった。「なにいってるの、好きだよ」という言葉に安心しかけたが、それでも粘って問いただすと、「好きかわからなくなった」そうだ。恋人なりに熟考したようだが、結局その2週間後にフラレてしまった。
僕は失意のどん底に突き落とされた。僕はあまり友達がいない、仕事人間だ。人間関係を恋人との間だけになるべく収束させて、恋人さえ僕の味方でいてくれれば、それでいいと思っていた。僕にとっての礎がなくなったのだから、相当こたえた。楽しみもなくなったし仕事もほとんど手がつかなくなった。
気を紛らわすために、A子を飲みに誘った。いままで食事には行ったことはあるが、飲みに行ったことはなかった。僕なりの一線だったのだろうか。A子は快諾してくれて、飲みに行けることになった。ふたりきりで行こうという僕の誘いに対しては、A子は僕に警戒心を抱いていないのか、まぁいいか、という風だった。心配されるのもいやなので、恋人と別れたことはとりあえず黙っていた。
飲みに行く当日、会社で見るA子はいつもよりおめかしをしているような気がした。なにもないとは知りつつも、僕は期待していた。正直言うと、いっそのこと、一夜だけでも関係を持てないかと思いホテルまでの導線を描いたりしたが、失礼な気がしてやめた。そもそもA子は純心で、恋人のことを裏切るはずがなかった。
約束通り、夜になるとふたりきりで、おしゃれなバーへ行った。ムードも手伝って僕はいつもより余計に緊張していたが、悟られないよう動揺などを見せず男らしく振る舞うのに必死だった。酒が入ると話は弾んだ。他愛もない仕事の話だが、話をしていくとあることに気づいた。A子と僕の考えは、驚くくらい似てるのだ。価値観と感受性が。だからお互いに、会社や現状の不満への考え方が一致したし、不満を前向きに昇華することができた。酒とシンパシーと充実感が入り混じり、高揚し、気分が良くなってきて、A子手を握ってみたり褒めてみたりした。彼女はまんざらでもなさそうだった。帰るのが惜しくなってきて、時間もほどほどに場所をカラオケに変えた。
カラオケルームに入っても僕らの話し合いは盛り上がっていてやまなかった。さて、そろそろ曲でも入れてみるかというときに、僕は元恋人のことをふと思い出してしまった。心配されるから言うつもりはなかったのだが、フラレてしまい、傷心していることをA子にどうしても伝えたくなった。それで何か解決するわけではないが、僕の傷心を共有したかった。ちょっと相談がある、と切り出し、そのことを伝えた。A子は驚いていて、同情をして、慰めてくれた。傷心の様を全て出し切った僕は、感情が抑えきれず、隣に座っているA子に抱きついてしまった。取り乱していたわけではなく、あくまで男らしくした。こうなると止まらなかった。朝まで一緒に居てほしいと伝えた。A子は同様していたが、すぐに拒否をしなかった。すかさず押しに押した。恋人と別れた寂しさから、そうしたのではなく、純粋に好きだということを伝えた。A子はまだ動揺が収まらないようだったが、それを無視して半ば強引にホテルに連れ込んだ。最後まで嫌がることはなかった、恋人に対する罪悪感が邪魔をしたが、同じ気持ちだったのだ。
ホテルに連れ込んだあとはキスと愛撫をして、セックスをした。セックス自体に満足感や達成感はなかった。ただ、好きな人と一緒に居られることに幸せを感じた。これは夢なのかと何度も思ったが、目を開くと隣で寝息を立てているA子を見ると、現実にいることを実感した。起きた後、あらためて話をすると、彼女からの僕への好意は以前からあったようだ。純心な彼女がいうのだから、嘘ではないだろう。
人に好かれるのはすごく良い。好きな人からなら、なおさらだ。A子に彼氏がいることをこれほど呪ったことはない。言わなくても分かる、価値観が似通っているのだから、”今の生活を壊す勇気はない。”という彼女の考えを。僕だってそうしたのだから。これ以上どうにかはならないだろう、結ばれることはないだろう、知りたくなかった。一時の幸せと同時に絶望も結局ついてきた。今も想い続けているが、その一夜から日常に戻って、その後は何も特別なことはない。今までと同じく、同じ会社の仲間として接してくれている。
全く何もなくなってしまった僕だが、A子の僕に対する素振りからほのかに感じる、彼女との間にある確かな好意が僕の湾曲した自尊心を支えている。
どうにか振り向いてくれないかなぁ。
美容院に行く時に割とおしゃれをして、
化粧をバッチリ決めて家を出て行った。
「美容院行ってくるよん♪」
よん♪って。
実に楽しそうだ。
彼の為にかわいくするんだから、
ちょっと位の出費いいじゃないという発想のもと、
カットとパーマ、カラーリングにおよそ2万円強を費やして帰ってくるんだ。
別にそれが良いとも悪いとも言わんけども。
ちょっと頬のあたりを手の甲で触れられて、
かわいいじゃんって言われに行く。
それはね、
心理的なベクトルとしては、
「偶然知り合いの知り合いに紹介してくれて担当して貰ってる」
だとか。
そういうの嫌いだけど、身だしなみの為にしょうがなしに行っているんだ・・・と。
嘘だ。
それは言い訳ってこと。
ちやほやされたいし、
髪の毛触られるのってなんとなく落ち着くんだよ。
注意深く見てみると良い。
コミックLOが愛読書で話題になったクジラックスのロリともだちでも興奮してお世話になりまくったけど、近所の夏祭りでそう確信した。
かわいい浴衣やおめかしした女の子を見て性的にどうこうというのはリアルではやってはいけないのだ。
夏祭りでなくてもデニムのショートパンツに薄い上着一枚の小学生女児をよく見かけるようになってのこの数ヶ月。
つい目がいくことはあるし、それに目がくらむ人間の気持ちもわかる。
この女の子にはこの先自分よりずっと長い人生が待っていて、関わっている人間もずっと多い。
オッサンのきまぐれで、たかが性欲ごときで、刹那的に台無しにしてはいけないしできるものでもないのだ。
この子にも親がいて可愛がられていつくしまれてここまで闊達溌剌に輝いているのだ。
#それを一息に汚すことも魅力的ではあるが。
身体がまだ成熟していないから下手するといや下手しなくても命に関わるのだ。
小さなお尻を包んだデニムのショートパンツからのびた棒きれのような日焼けした足。
無防備にのぞかせる胸元。そこだけは日に焼けていないまっ平らな胸。
夏は誘惑が多すぎるが俺は分別のあるロリコンだ。
大学生のときに家庭教師のバイトをしていて遊ぼうよと押し倒されて股間の上で擬似騎乗位をされて興奮したけどおしとどめて勉強を教えていたくらいだ。
手は出さない。
出してはいけないのだ。
俺は大丈夫だ。