「その出来事以外は特筆することのない、天気もフツーの日だった。
その日もあいつは、道行く人にくだらねえちょっかいをかけて、追いかけてくる人たちから笑いながら逃げていた。
どこぞの映画みたく、車が多く走る道路を利用して振り切ろうとしたんだろうな。
実際、それで上手く逃げ切れた経験があるから増長していたのかもしれない。
まあ、結果は察しのとおりだ。
不慮の事故ってことになっているらしいが、一部始終を見ていたオレから言わせれば、あれは経緯含めて同情する気も起きない出来事さ」
それはあまりにもあっけないものだったが、逆に俺には鮮烈な印象を与えた。
だが、これはまだ半分。
まだ俺たちには、気がかりなことがあった。
「タケモトさん。そんなことまであったのに、何であの町にいた人たちは『あいつ』について大したことを語らないんですか」
「そして、なぜタケモトさんは『あいつ』についてここまで語れるのか」
タケモトさんも、やはり俺たちがそう尋ねることを見越していたようで、流れるように話を進めた。
「その町の奴ら、『よく知らない』って言っていたんだよな」
「はい」
「恐らく、本気で言っているんだろう。あいつが死んで以降、関することはほとんど忘れてしまってるんだよ」
「ええっ!?」
どんな奴であっても死んだら冥福を祈るべきってのが真っ当な人間がする考え方だが、思い出しても恨み言ばかり出てくるような相手だ。
だから、みんな紡がれる言葉や心を、良識的な理屈で塗り固めた。
そうしていけばあいつに対する悪印象は徐々に薄れ、自然と忘れていく。
ふと話題にしたり、思い出しても『ああ、そんな人いたね』といった具合だ」
「じゃあ、なぜタケモトさんは今でも覚えているんですか」
「あいつのことが嫌いだという事実と、悪感情を持続させているからだ。
周りの奴らと同じく、徐々に記憶が薄れていったのさ。
だがな、ふとしたことであいつの話題になったとき、誰かが『案外いい人だったかもしれない』だとか言い出したんだ。
死んだら皆“いい人間”になるのかよ。
『あいつ』を“いい人間”扱いする自分は“いい人間”なのかよ。
んなワケあるか……って、我に返ったんだ。
まあ、だからといって町の連中に、あいつが酷い人間だったって今さら思い出させても仕方ないことは分かっている。
でも、思い出せなくなる程度の存在として扱い、ましてや『いい人』だなんて言っていたのにも耐えられなかった。
その頃のオレは、連中が上辺を取り繕って、薄ら寒い駄弁によがる“いい人間”の皮を被った化け物に見えたんだよ。
タケモトさんの語る『あいつ』に対する思いは、とどのつまり『嫌い』であることに集約されていた。
それは健全ではなくて、悪感情であることも明らかだったけれども。
「あと数年もすれば、あの町の奴らはあいつのことを完全に忘れているかもな。だが、オレは忘れない」
「タケモトさん、その『あいつ』のこと、実は嫌いじゃないとかってオチじゃないですよね?」
「心から嫌いだよ。死んだことも、あの町の奴らにそのように扱われること含めて憐憫の情もない。ただ、それであいつが嫌われ者であることすら忘れ去られるのが、気に食わないってことだ」
『嫌いだから』忘れようとする町の人たちと、『嫌いだから』忘れまいとするタケモトさん。
心から嫌いだと思える相手『あいつ』に、俺たちならどう臨んでいくのだろうか。
その日の夜、弟はいつも通り眠ったが、俺は遅めに就寝した。
家路に着いた俺たちには、未だくすぶっている気持ちがあった。 わざわざ町にまで出向いて色んな人に尋ねたのに知的好奇心をなんら満たせず、それでも持ち帰ったお土産は妙に鬱屈と...
当日、俺たちはタケモトさんが以前住んでいた町に赴いた。 ここに今でも『あいつ』がいるかは分からないが、弟は手当たり次第に話を聞いていくつもりらしい。 弟の、こういう向こ...
社会で生きていく上で、多くの人に好かれるように、或いは嫌われないようにするのは大切なことだ。 でも、八方美人だとしても、その八方美人が嫌いな人がいるように、全ての人に嫌...