はてなキーワード: 4コマとは
もううんざりだ。
「これはどう見ても平行世界だ。シュタゲやワンス・アポン・ア・タイムの影響を受けた作風」
「平行世界解釈なんて絶対にありえない。何故ならこの作品はSFだなんてどこにも書かれてないから」
「は?じゃあどうして4コマが滑り込んできてるんだよ?」
「マジ?どう考えてももしもあの時あのコマだけを滑り込ませていたらって妄想だろ?」
「具体例上げてみろや」
「ちょうど助けに行くなんて偶然ありえる?」
「漫画なんですけど?」
「名前聞いて誰かすぐに思いつくとかあり得る?」
「街の噂を両親づてに聞いたとか、ずっとお互いに意識してたので咄嗟に聞いてみたとかあるでしょ?」
「は?漫画ならなんでもありかよ?」
「どうしてそういい切れるの?」
「もう理由は言ったが?」
「もう論破されたじゃん?」
「あぁん?」
「おぅやんのか?」
「つーかよぉこの作品がどういう文脈の上にあるのか分かってんのか?」
「どうしてそうなんだよ」
「例の事件をモチーフにしてんだからよお。現実は変えられねえってオチしかねえっつってんだよ」
「でもそうじゃなかった並行世界もあり得たよねって作品なんだが?」
「揚げ足撮ってくんねーむしろお前がそやってんだよ」
みてーなのさ。
もう辞めろよ。
俺の解釈こそがこの宇宙で絶対の正解なんだぜ!なぜなら俺はお前よりも頭が良くて色んな作品を鑑賞してきていて作品論についても語れるから~~~~~~!!!!!!
みてーのさ。
もう辞めろよ。
作品の後味が悪くなるだけだわ。
タイトルの通りだが。
京アニ、原作レイプも大概にしろってレベルでレイプ連発してるよね
けいおんの第一期は日常ゆるふわとかけ離れてて、豊崎愛生が家でめっちゃ練習してるシーン入れて部活努力もの要素ぶっこんでるし
頻出するウサギとカメのモチーフは「亀の歩みでちょっとづつ練習して形になってる」って意味合いだし
最終話はそういう努力が学祭っていう小さな場でひとつの実を結ぶ話にしちゃってて。
第二期は予想外の人気と原作枯渇で軌道修正しまくって、原作にない要素(クラスメートとか)をガンガン突っ込んでるし。
あのクラスメートたちのカット割りレベルでの目立ち方、単なるモブキャラっすか? 名前こそ出さなくても劇場版にまでつながるテーマ含んだ、オリジナル重要キャラだよね?
原作の「大学もみんな一緒」て展開に対して「モラトリアムは高校までだろ、現実をなめんな」みたいな半ばサザエさんワールドな4コマ原作を無視したツッコミ入れるバカが出てきたの、
アニメで努力根性要素やクラスメートとの交流ていう学校3年間を強調する要素を突っ込んだせいで「原作をどう読むか」に影響を及ぼしたのデカいよね?
これ原作レイプだろ?
同じくKanonも話をまとめるためのオリジナル要素ぶっこんで、キャラ設定レベルまで改変。
あれで「原作に忠実」っていって喜ぶファンしかいねえ、原作者も文句言わねえってんだもん。
ファンなんて原作の理解なんざしてない。単に「思考も解釈も面倒だから台詞も展開の順序も全く同じなら同じとこでテンプレで泣けて面倒くさくない」ってだけ。
そら脚本家だろうが監督だろうがプロデューサーだろうが、原作なんざ真面目に読み込む必要ねえよ、どうせ客は見ねえからってなるわ
ステレオタイプっていう話があるみたいだけど、漫画を読んだら当然そうなるよねという感想しかない。
殺人犯が出てくるあのシーンが想像であれ平行世界であれ、藤野の作った世界というのは明らか(なぜなら4コマを描かず京本を部屋から出さないという世界は藤野にしか作りようがないから)で、じゃあ藤野の作り得る「犯人」はどういう人物になるかというと、犯人と直接の接点がない以上テレビやネットなどの外部から知る情報で作られることになる。
それはニュースの記事のような記述と共に犯人が登場することからも結構分かりやすく表現されていると思うし、犯人の情報をさして知り得ない藤野の状況を考えればここでの犯人が「フィクションなどによく出てくるステレオタイプの殺人犯」となるのはごく自然でありそう描くのが誠実であろうとさえ思う。
当然藤野は犯人の顔をよく知らないので犯人の顔もぼんやりしている。
もちろん犯人側にも事情があり犯行に至った経緯があるのかもしれないが、このときの藤野はそれを知りようがなく結果としてそれらを加味した「解像度の高い犯人」は作りようがないだろう。
要するにあの犯人はステレオタイプをステレオタイプとして描いているわけだから、それに対して「ステレオタイプを描くな」というのはかなり的外れだと思う。
「こういったステレオタイプは現実とは全然違う」という議論のきっかけにするのは構わないと思うし、それによって5年後10年後にこの表現が通じない世の中になっているかもしれないが現時点での表現としては適切であろう。
「批評家が決めるよ」
「IQが110以上ある人たちにとっては答えなんてそもそも1つしかないよ」
「物語のテーマが最も濃厚に伝わるにはどうすればいいか考えれば分かるよ」
「もしも妄想じゃなかったと言うなら4コマの貼ってある窓が映る漫画的な意味がないよ」
「もしも平行世界じゃなかったと言うならふさぎ込んでたやつがいつあんなふざけた4コマを描いたんだよ」
「起こった悲劇は変えられないよ」
「都合が良すぎると疑問に思わない人はメンタルを病んでるよ」
「正解がないと延々と不毛な議論が続くから正解があるべきだよ」
「正解がないと考察した俺が馬鹿みたいだから正解があるべきだよ」
「多数派が選んだのが正解の不在だよ」
「正解がないことが正解だよ」
「タツキが答えを一つだと言っても出された作品がそうじゃないならそうじゃないよ」
「物語に意味が必須だと思う人は現代アートとか大嫌いだろうね」
「創作に意味が必須だと思う人は現代アートとか大好きだろうね」
「可能性のゆらぎを描写している作品に一つの解があると思うのが間違いだよ」
「正解があると延々と話し合えないから正解はないべきだよ」
「正解があると他の考察してたら俺が馬鹿みたいだから正解がないべきだよ」
「とにかく愛の力だよ」
「愛は平行世界を超えるよ」
「愛は現実を超えるよ」
「LGBTだよ」
「友情だよ」
「間に挟まりて~~~」
「病気の人をだすのはよくないよ」
「俺は傷ついたよ」
「唐突すぎるよ」
「地震で殺したら災害に絡められるからと安易に殺人鬼を出したのが逃げだよ」
「異常者が起こした事件をダシにしてステレオタイプみたいに扱うなよ」
「俺がでてたよ」
「普通に楽しめばいいよ」
「正解があってもなくても名作だよ」
「背景が綺麗だよ」
「お前ら漫画読むの下手すぎるよ」
「正直大したこと無いよ」
「この程度で騒げるやつが羨ましいよ」
「俺はつまらなかったよ」
[B! 創作] 『ルックバック』で並行世界とか言ってるのはアホです - esbee's diary
これを読んだ僕は
「うわーやべー!キチガイだ!念の為ブコメを確認してキチガイだったら非表示にしなきゃ!」
と慌てて彼のブコメページへと飛んだ。
書きました。タイトルの通りです。『ルックバック』で安易に「並行世界」とか言ってる人はあほなので、無視しましょう/さっそくあほが見つかったな…… 藤本タツキ 創作 マンガ sf セルクマ
おお……自慢気にセルクマ。そして「俺と違う意見のやつはアホ」を釣りではなく本気でいっている証拠の追記まで……。
ショッキングだ。
esbee 2021/07/19
チェンソーマンアニメ発表会の質疑応答で、「タツキは絶対ニートになるからどうするか」を家族が話し合っていて凹んだというエピソードを思い出してフフっとなった マンガ 人生 創作
これだけで性格と頭の悪さが伝わってくる。
ダニングクルーガー効果の好例であることはもはや疑いようもないだろう。
「俺、藤本タツキめっちゃ詳しいぜ?」マウントが実に気持ち悪い。
これで30を超えていたらもはや人格全てが再起不能というほかない。
そして、遂に恐ろしいブコメが見つかる。
ブクマで返答という文化はIDコールじみていてとても気味が悪い。
まあそれは置いといて。
“並行世界によって作中の現実や我々の現実が変化するなどの影響を受けていない”救われた世界の4コマが返ってきたでしょ。藤野や京本の思いが引き寄せた4コマでそれぞれの世界と繋いだって読むと楽しい"
に対して
あー確かに!すいません、そこは思いこんでました。死んだ京本が事件の前に偶然描いた四コマかもしれないですけど、はっきり描写してないですね。並行世界にもとれる風にしている。さすがタツキ先生は巧いな
オー……ノー……だズラ……。
散々「平行世界というやつはあほ!おっ!あほが見つかった!またアホだ!」と騒いでおきながら突然の手のひら返しである。
というかこの発想がまったくなかったのに平行世界を否定したというのが凄い。
それは単に「他の人は3つぐらい仮説を持ったうえで作品に挑んでいたので色々言っていたが、自分だけが1つしか仮説を思いつかないまま得意げにそれを絶対視していた」という自白でしかない。
それでもまだ自慢気に語っている。
いやむしろ、こういう状況を一言で表せるダニングクルーガー効果という概念が凄いのだろう。
凄い。
小山田ですら顔を赤らめて自分のブログを消しにかかるようなシチュエーションながら、彼は「またあほが見つかったぞ」の追記さえいまだ消していない。
こんな哀れな男が見れるのははてなブックマークだけ!
こういうアホが見れるのが魅力なのだから非表示にするのは勿体ないな!
非表示チュートリアルと称される例のキチガイ達も未だに表示しっぱなしだ。
健康には良くないと思う。
長いので忘れている人がいるかも知れない『超重要ポイント』なので一応。
京本が藤野に大ファンだと告げたあと背中にサインを描いてくれといったちゃんちゃんこを藤野は大事に飾っている。
これを見ると藤野は、京本からの『藤野の才能に対する信頼と期待』を思い出す。
論拠は「小学校時代に漫画賞に出すと言ってたのが嘘から出た真になったこと(見栄っ張りの一言で済ませてもいいが、京本に背中を押されるような才能が自分にあるのならば漫画を描き続けている自分でありたいと思う姿を前借りして宣言してる感じ」。
楽しんで読んでくれる人がいるから漫画を描き、そうじゃないと辞める。
論拠2「京本に褒められなかった藤野の世界には、『次回作を望む読者』存在しない」
一つは小学生の時に京本と藤野がリアルで出会う世界で、もう一つは大学で始めてリアルで出会う世界。
藤野が描いた4コマ全てが京本の部屋に滑り込む→二人が出会う→藤野キョウが産まれる→分かれる→美大で京本が死ぬ→藤野が落ち込む→『4コマ漫画を裁断する』→『1コマ目だけが平行世界へと届く』~~ここからしばらく平行世界側の描写~~『平行世界から4コマが届く』→復活する
『平行世界から1コマ目だけが京本の部屋に滑り込む(4コマ全部が連なった方は代わりに消える)』→二人が出会わない→読者を失った藤野はカラテに打ち込む→カラテで京本を助ける→漫画を描いていると藤野が嘘を付く(多分あとで本当になる)→京本が藤野を元ネタに4コマを描く→『4コマが二人が出会った世界で落ち込む藤野のドアの下へと滑り込む』
この作品にはSF否定解釈が存在し、途中から描かれていた平行世界は「もしも小学校時代の藤本がドアの前で描い漫画が1コマ目だけ描いてやめていたり、アホらしくなって指でちぎって1コマだけになっていた場合ありえたif世界」と解釈することが可能となっている。
また、藤野が復活した場面については、「藤野自身がふと自分のありえた可能性について自嘲的に描いた4コマを通して初心に帰ったら?」という解釈によるSF的な力を借りること無く実現できる。
二つの可能性が描かれている時点でSFだというなら、それはそう。
今日=7月19日
7月19日+ルックバック=7月18日
7月18日の「京」
多分これでググったもうでてくると思う。
最後は俺が一番好きなシーン。
連載が出来た方の藤野は、二人が出会った世界で生まれた藤野キョウ。
「アシスタントしてよね」という言葉を単に背景美術とだけ考えると生存した世界の京本はアシスタントはしていない。
でも彼女は平行世界を超えて「藤野キョウ」最大のピンチに最高のアシスタントをすることに。
「フィクションは一つだけ大きな嘘を」なんて言う人がいるが、この漫画でもしもたった一つだけ「超自然的な」ことが起きるポイントとしてここが選ばれているのだとしたら、最高だね。
で終わってしまう。
展開について疑問にも思わない。
時系列がどうなってるとかタイムパラドックスとか一切思いつかない。
第1世界→(時空を超える愛の力)→第2世界→(時空を超える愛の力)→第1世界再び
となっているだけに思える。
この手の作品でよくあるのが無数の並行世界がただの失敗セーブデータとして扱われることだ。
たとえばマリオが99体いて、98体の残機が消えてクッパが倒されたとする。
そのとき98体のマリオは平行世界においては実際に死んでおり、その世界はクッパに支配されたままとなってしまう。
だがこの作品は一方の並行世界における救済がもう一つの並行世界を救済する形にしている。
それによって両方の並行世界が救われる。
これが何を意味するかと言うと「無数に強いメッセージ性を宿らせることが出来る」である。
第2世界からの4コマが届いたことで二人がずっと仲良く生きていける世界が生まれたら、他の並行世界はまるで失敗のようになってしまう。
俺は頭が悪いからよくわからないけど、「たらやればはあるけど、自分が今生きている平行世界で幸せになることに対して前向きに生きていくことしか、私達には出来ない」とかなんじゃないだろうか?
「自分が関わったことで最悪になってしまったものがあるかも知れないけれど、もしかしたら最高になったものもあるかも知れない」とかなのかも知れない。
どうにしろこの作品が描くのは「自分が必死に生きるのならどんな並行世界でも、その並行世界なりの幸せが築けるはずだ」という人間讃歌なのだろうか?
わからん。
むずいな。
暗い話であるかのように捉える人は頭が良すぎるんだと思う。
不幸だ。
でも頭が良いから物事の暗い所までよく見えるというのは、俺からすると羨ましい。
それは「解像度が良すぎるテレビだと芸能人が厚化粧のブスに見えるぜ!」と同じようなものだろう。
でもその芸能人がブスに映るテレビでみる自然はブラウン管のしょぼしょぼ画質よりもクリアで雄大なのだろう。
俺は知らないけど。
だがそれぞれのボトルネックによる掛け算によって見える世界が、個々人の見ることが出来る世界の個性になる。
なんにでもマヨネーズをかければ美味しくなるというだけの世界で生きるものは、高級食材以外を不味い不味いと怒り散らす人より幸福かも知れないし、本当の美食を知らない不幸なものなのかも知れない。
本当の友情を知らない人生は寂しいのかも知れないが、本当の別れを知らないことが幸福なのかも知れない。
だが、どんな世界にもその世界の幸福があるのだと、そういう漫画だと俺は思って読んだ。
馬鹿って、羨ましいだろ?
一世を風靡した「おそ松さん」というアニメをご存じだろうか。赤塚不二夫のおそ松くんがベースだが、キャラ設定等はほぼアニオリだ。
個性的なむつごのキャラと不条理ギャグ、そこはかとなくインモラルで下品、だがどこかおしゃれな作風(個人的な意見です)に人気が爆発した。
深夜アニメにも関わらず子供にも人気で、放送が始まった2015~2016年ころは社会現象とまで呼ばれるくらいの人気だった。同人界隈も盛り上がった。
しかし、現在第3期が放送されているのにいまいち盛り上がりにかけているように感じる。
5年も経てばこんなもんかと思うが、2年前の二期、昨年放映した映画のときはまだ、もうちょっと盛り上がっていたように思う。
Twitterの検索欄に「おそ松さん」と打つとサジェストに「つまらない」と出てくる始末。
何が原因なのだろうか、他の人の感想や意見を見ながらまとめてみた。
これはしょうがない。
そして今季はダイ大や金カム2期、ヒプマイ、呪術廻戦、ひぐらし、夜叉姫等、同時期に期待値が高く話題をさらうアニメが多すぎるのも原因だ。
ネームバリューではおそ松さんもそれらの作品に負けていないのだが、
世間では鬼滅映画で賑わい、pixivはツイステ創作で溢れているので時期もちょっと悪かったかもしれない。
一期、二期、映画とずっと務めていたキャラクターデザインの人が降板し新しい人になった。
急な絵柄の変化に戸惑いを隠せない人も多かったはずだ。松ファンなら、明らかに違うのが分かる。新しい人が悪いとは言わない。しかし顔も体系も違うのだ。
でもまあ、その人がすべて本編作画の指揮をとっているわけではないし、その人はベテランなのでアニメーションがうまい。本編にはさほど影響はないように見える。
そもそも松のフォルムは難しく、アニメーターによって作画のブレがひどいのだ。
コマ送りして見ると作画崩壊なんてこともしょっちゅうある。4~5頭身でムーミンのようなフォルムなので他のアニメと比べると多少の作画崩壊は目立たない。というか、動けば問題はない。
なんか全体的に暗い。
・新キャラ登場でこれまで当たり前だったギャグ要素にケチがついていく。(チビ太のチビは蔑称とか、デカパンの格好はわいせつ物陳列だとか何とか…。そもそもチビが蔑称ならシコ松も蔑称だしトト子に対するうんこ評価も侮蔑なのになぜつっこまない。ガバガバAIか?)AIに対してはむつごの誰かが面白くツッコめばギャグになるが、誰もツッコまないので放置されている。多分伏線だからこの不穏さは最後までとっておくんだろうがこれがいつまでも続くとなると……。
・スタバァでうんこしたりチンコぶるんぶるんさせて弟に迫ったりしていた一松が三期は打って変わって折り紙折ってラジオごっこする陰キャなだけの人に。
・一期で結婚したサブキャラ・橋本にゃーが突如離婚してシングルマザー化。アイドルであるトト子ちゃんももう後がないと言われ自身の年齢を気にしている様子。生活費稼がなきゃいけないにゃーと後がないトト子は一期からやってきたアイドルをやめて女子プロレスラーに…。(オチでギャグにしているがすごく重いです…)
・友人の結婚式に出て落ち込む等、むつごの年齢を感じさせる会話。
三期は、「パロデギャグ+本編軸ギャグ+シリアス本編軸(AI絡み)」の構成でやっていくのだろうか。
4話の「カップ麺を食べたいがために奮闘するむつごの話」のように、明るく楽しい話もあるが、正直見ていて陰鬱な話の方が多い。
三期の新しい取り組みとして、1話完結ではなく続き物を試みているのだが、それが今のところシリアスで楽しくない。
このシリアス風味のAI日常パートや妙にリアルを感じさせる重い設定がずっと続くと思うとなかなかしんどいものがある。たぶん1期2期と同じく24話で特大シリアスをやって最終話で大爆破オチなのだろうが……。
リアルで考えれば6人全員ハタチ過ぎてニートなのはもともとキツい設定なんだから、アニメの中くらい楽しく明るく馬鹿やってるニートでいてほしい。(そもそも赤塚不二夫のむつごを「将来はバカでニート」という設定にしたのはおそ松さん公式なのに、今更むつごに自虐させていかにダメかを描くのは正直言ってよくわからない。1期は20代前半だが3期は20代後半になっているので、そういう時間の経過を書きたいのだろうか)
まだ序盤なので今後に期待したいが、5話まですべてこうなので不安が拭えない人もいるのだろう。
1期にも2期にもシリアス回はあってそのたび良い意味でも悪い意味でも話題にはなってきたが、それはたまにあるから良いものではないだろうか。
「また笑おう」がキャッチコピーのはずなのに、シリアスとのバランスがおかしいので笑えないことになっている。
ギャグアニメを見ている人がギャグアニメへ期待することは、安心して笑えるということだ。笑いたいときに妙にリアルなキツさを突きつけられると視聴者の心も疲弊する。
どこかで見たような話が多い。
既視感。これは単純に、二期以降ひとりの脚本家がすべてひとりで書いているのでネタ切れなのではないだろうか。
一期は他の脚本家もいて、交代で書いていたが二期から何故かひとりで書いている。
ドラマCDやフェス松さんを合わせれば現在の脚本家が作った話はゆうに40話を超えるので、ネタ切れも仕方ないのかもしれない。
個人的には助っ人脚本家を雇うか、ネタ出しのアドバイザーみたいな人を入れるかした方が良い気がする。そして監督や脚本家に意見を言える人物も必要なのではないだろうか。
制作チームを気の合う人だけで固めるとどうしても内輪ウケになってしまい、視聴者との壁ができることがある。特に二期は視聴者が不快になるような下ネタが多めで賛否両論だった。(もちろん二期も面白い話はある)
衝突しない程度のストッパーはある程度重要だし、「ひとりで決め過ぎない」ということも、続編物語を作るうえでは大切だと思う。
「むつごを使ったコントを見ている気分になる」といった意見を見た。
むつごじゃなければできないギャグ、そのキャラじゃなければできないネタがもっとあれば盛り上がるのかもしれない。
※追記 6話はついに過去に出したドラマCDをそのまま映像化してしまった。本当にネタ切れなのかもしれない。
出番の差、扱いの差がわりと露骨でうんざりしている人が多いようだ。
そういえばイヤミも1話以降出てないな…。
不憫なのはトド松とカラ松、たまにチョロ松で、全体的に空気なおそ松。暴れん坊フィジカルな一松と十四松の構図は二期から同じだ。
一松と十四松はあまり痛い目に遭わない代わりに下品な下ネタ担当な気もしたが、三期はそれすらなくなってしまった気がする。(一話で食糞する十四松は面白かったけど)
一期二期は大ボケ担当だった十四松だが、映画と三期ではわりとまともなツッコミキャラとなってきたのではないだろうか。十四松の新しいキャラクターを模索しているような気もする。
一松に関しては前述したように唐突な下ネタやキレ芸、カラ松に対する理不尽な暴力等のトリッキーさがなくなり、出番は多いのになんとなく影の薄いキャラになってしまった。
ひとりだけAIに靡かず不信感を募らせたり不穏な空気を出したりと、わざとキーキャラとして置いているように見えるが、そろそろ一松の持ち味であるヤバい奴感を出してほしいところだ。
十四松をツッコミキャラ・チョロ松をボケキャラとしてギャップをつけて昇華したように、ポジショニングの変化も多少はあった方が飽きがこず面白いかもしれない。
あとコンビの差(このキャラはあのキャラとばかり絡んでるな…というもの)。二期以降、そういう格差に気を使っているのは感じるが三期はどうなるのだろうか。一ファン的には、推しはいろんなキャラと絡んでほしいのだ。
これはアニメ本編と関係ないことだが、A推しの人が、「最近A+Bのコンビグッズばかり出て萎える」と言っていた。相手を固定されるよりは、さまざまなキャラとの版権、グッズが見たいのだろう。
おそ松さん公式ツイッターによる広報の変化。三期からは、ファンを意識した企画が多い気がする。
放送が決まってから放送3話目くらいまでの企画やコラボについて調べてみた。
【二期】
おそま通信
カウントダウン(一人ずつ)
日替わり松(一人ずつ)
新衣装むつご紹介(一人ずつ)
松セレクション発売
しま松開始(おそ松さんの牧場ゲーム、しかし1年持たずに終了した)
東京ガールズコレクション 2017
6つ子がアプリにおじゃましま〜つ(さまざまなアプリとコラボ)
【三期】
絵描き歌
救出作戦(イヤミにむつごが攫われたというていで、救出を呟くとキャラクターのボイス付きのリプライが貰える)
新衣装公開(全員ひとまとめ)
キャラクター紹介(一人ずつ)
また笑おうハッシュタグ感想キャンペーン(ツイで再放送の感想を呟いてもらうキャンペーン)
クラウドファンディングで新聞に公告を掲載(これは松公式が企画したというよりもクラファン会社が持ち掛けたらしいが)
集えよ同胞!NEET応援プロジェクト!(ファンから歌声を募って主題歌のCDに収録する企画)
2期も別にそこまですごい企画を出しているというわけではないが、3期は明らかに、「こうじゃないだろ感」がぬぐえない企画が多い。すごくお金をかけているのは感じる。
塗り絵や絵描き歌は幼児用(?)なのに、肝心のアニメの中身は暗くて子供ウケするような話ではない。そもそも今でも松を見ている層は大人の女のオタクが大半だ。
そして、むつごが結婚式を祝ってくれるブライダルコラボをしているのに、5話のアレ(知り合いの結婚式帰りのむつごが将来を憂いながらトボトボと歩いて帰るだけの話)はまずいのでは……? あれを見て呼ぼうと思う人がはたしているのだろうか?
ツイッターでも荒れていた4コマ大募集企画、通称コンテ松さんについても話そう。
ファンが4コマ形式のコンテを書いて応募すると、その中から採用された作品がショートアニメになってDVDの特典につくという。
素人の作品がアニメ化する夢のような企画だが、裏を返せばファンの妄想が公式になるということだ。しかも円盤の特典なので、これによって「円盤買えない」と嘆く人もわりといた。
さらに応募は匿名ではなく、応募した人のツイッターIDがサイトに掲載される仕組みなので、過去に何を描いているのか、どのキャラの腐女子なのか等を掘られる人も出た。地獄絵図。
Twitterでも賛否両論だが、円盤特典が賛否両論な時点で商法としては失敗しているような気がする。
個人的には今までにない取り組みなので期待をしたいが、否定的な人の意見も分かる。
今まではファンを意識したようなネタはあまりなく、むしろ2期1話ではファンを小馬鹿にしている始末だが、今期からはファンに寄っているような気がする。その姿勢に戸惑いを隠せない松ファンもちらほら見えた。
三期が始まる前、制作陣が雑誌で言っていた「新しい試み」はことごとく効果を得ていないように感じる。
1期第1巻の円盤(BD、DVD)の初動売上は79,108枚。
深夜アニメなら1万を超えれば大成功の部類だ。1期1巻の売上が化け物だったため2期の落ち込みっぷりは各場所で揶揄われるが、数字だけ見れば十分成功している。
ちなみに映画の興行収入は6億~7億円くらい(127スクリーンで、二期から1年の月日を経てのこの数字はまずまずではないだろうか)
しかし公式サイトで行われた「666666人に届け!キャンペーン」も、動員数は535269人でストップし、最後のトド松にだけ色がつかず終わった。(10万人達成ごとにキャラクターに色がついていく仕組みだった)
別にアニメは売上がすべてではないが、売上が著しくないと4期はない。
通常アニメは1巻で5000枚売れれば続編の可能性が見えてくると聞く。「おそ松さん」はわりと金がかかるアニメなので、4期を期待するなら7000~1万枚の売上は欲しいところだ。