はてなキーワード: 自己分析とは
追記読んで、「HSPのせいでこうなんです」と何回も言い訳するのがホントムカつく。
あのね、HSPというのは「障害」じゃないんだよ。「気質」の一種。
それはHSPを最初に提唱したアーロン博士が明確にそう言ってる。
だからHSPは増田が失礼なことをする免罪符にならないの。「私は人見知りなのでドタキャンしてしまうんです」って言ってるようなもの。そんな言い訳、幼児ならまだしも、いい歳したアラサー?アラフォー?が通るわけないだろ。
どうせプロフに「HSPなのでドタキャンすることもあります」って書いてないんでしょ?書いてあったら誰も申し込まないしね。
あとね、本当のHSPなら相手のことが気になりすぎて気を使いすぎて、自分より後にお相手が来たくらいで切ったりしないから。むしろ相手が先に来ていた時の方が恐縮してしまって「印象悪くなってないかな?」ってなるのがHSPよ。
自己診断かカウンセリングか何か知らないけど、あなたHSPじゃないよ。お相手への配慮が全くない時点で絶対にHSPじゃない。ガチのHSPが身内にいる身からしたらあなたみたいなのがHSP主張するの迷惑だから。
ウチの子がとても繊細でHSPのチェックシート全て当てはまる子で担当の臨床心理士にも「そういう傾向がある」って言われてるんだけど、例えばレストランで泣く赤ちゃんがいたら「うるさいなー」じゃなくて「あの赤ちゃん、具合わるくないかな?大丈夫かな?」って心配しちゃうような子よ。
ちなみにウチの子学校に行けなくなって心理カウンセリング受けてるんだけど、原因が「先生が他の子を厳しく叱るんだけど、自分が叱られてるような気になって辛くなって教室に行けなくなる」だから。
増田は「男性に対する理想が高い」と自己分析してるけど、過去になにか男性にいじめられたとか、理不尽な扱いを受けたとかあるんじゃない?あるいは手ひどく振られたとか。
男性に警戒心や敵意を持っているのがビシビシ伝わる。
例え実際に鶏ハムを作っていたとして、男友だちや女性の前では、言えない。
自分が「鶏ハム作った」って誰かの前で告白してる様子を想像すると背筋に寒いものが走る。
もし女性が同じことを言ってたなら、微笑ましく思うだろう。
男友だちが言ってたら、どうかな、気分は害さないが、だから何? って感じるだろうか。
でも決して「鶏ハム作ったよ」って言いたくない訳じゃないんだよ。
女性化願望があるのか? もし言えたらタブン心が柔らかくなるんだろうな、って直感がある。
軽くなるというか、奇妙だがそんな予感がする。
だからできれば親しい女性がそばにいて「あなた鶏ハム作ったのよね、きのう」って言ってくれたら嬉しい。
でも正直自信はなくて、いざとなったら心がポキッと折れてしまうだろうと思う。
「昨日オレ… いや何でもない」笑ってごまかす。
まず自分だけで精一杯で余裕が無いので受け入れられない。キャパが足りてない。
ただ、もし自分の家に赤子がいたら、その子は1人で何にもできなくてほっといたら死んでしまうから手助けをすると思う。
それだけな気がする。
そんでそういう状況になったら、脳が誤解してくれる可能性があると思う。なんか可愛いとか愛しいとか。
ただそうならない可能性もあるから子供授かりたい気持ちはゼロです。
他者を支えられるような人間じゃないから税金だけ納めとこ…となってます。
参考になれば幸いです。
増田はよく頑張っているよ…。本当に。
迷惑かもしれないが、ほんの少しだけ具体的なアドバイスをする。参考になりそうなところだけ読んで欲しい。
ふわっとした理由でこれを勧めている訳ではない。あなたのパートナーの方に発達障害者と生きるための実践的な知識が不足しているように見受けられる。専門家と話すことでそこを補った方が良い。
この辺とか結構まずい。そんなこたぁない。この時点で一方的なケアラーになる必要はない。
・気分は生まれてこのかたずっと落ち込んだ状態なので、別に医者に話すほどじゃないと思ってる
・でも子供部屋の窓を開けてベランダに出るたび飛び降りたいと思ってたし、車の群れを見るたびに突っ込みたいと思っていたし、駅に行ったら電車の下敷きになる感覚を想像したりしていた。というか、今でもそうなんだけど、普通にこれって軽度の鬱とかかかな?
うん、お医者さんに話してみても良いかもしれんね。ただこの辺りの生きづらさは、ADHD起因については投薬でなんとかなるかもしれないけど、ASD起因については投薬で済むかどうかわからんね。せっかく診断が降りたので、お医者さんとか病院連携のカウンセラーに「自分の生き方を整理してみたいので、その手助けをして欲しい」と話してみたりすると良いよ。
専業主婦は考えていません。とにかく、彼の重荷にはなりたくないので。
重荷にはなりたくないという発想は危険で、むしろあなた自身を守るため、そしてあなた自身の人生のリスクヘッジをするため、という発想に切り替えたほうがいい。
そういう観点だと、あなたが最初から働いていない専業主婦の人ならまだしも、休職できるなら、離婚するにせよ婚姻継続にせよ仕事を辞めるのは本当にお勧めしない。
私から言わせれば、日系大手企業に務められて同僚上司優しい人たちに囲まれてるのがいっちばん大切。絶対辞めてはいけない。離婚するにしろ婚姻継続にしろ。
休職カードを適宜使いつつ日系大手で優しい人々に囲まれている発達障害の人を知っている身としては、ブックマークのこの意見に完全同意。転職は最終手段かと思う。
一方でとてもしんどいのは本当にわかる。生きていくことも含めて。
大手企業なら、診断を経てあなたに向いた仕事がなんとなく自己分析できた段階で、そちらに配置換えしてもらえないか交渉するのは手だと思う。
その場合、障害をクローズドにするかそれとも特定の相手(信頼できる上司など) にオープンにするかは社会的に柔軟な判断が必要なので、上に書いた1と2を通して、まずは医療、次にパートナーへの緻密な相談をしてみよう。
ベンチャー企業に新卒で入社した3年目社員がリアルなお金のことについて話したいと思います。いくつかのセンテンスに分けて話していきますので、特に就活生には参考になる内容かと思います。
①働く環境について
大前提の話をすると稼げるか稼げないかは、個人の頑張りよりもどこで働くかで大きく決まります。(もちろん個人の頑張りはどの環境でも大事ですが)これは99%の会社で言えることだと思います。
今の職業(僕は大雑把に言えばコンサル)で年収2,000〜3,000万を20代で稼ぐのは非常に難しく、イメージも全く湧いていないです。
しかし不動産、金融の領域であれば可能性はあると思います。更に言うと5,000万とかも目指せるイメージです。実際に友人でもそれぐらいは稼いでいる人がいます。だからこそ稼ぐという観点だけ切り取れば“どこ”で働くかが一番の鍵を握ります。
②大手はどうなの?
近頃は大手でも安心できないと言われているがそうなのか?とも思う。正直働いた事もないし、大手企業に勤める友人が沢山いるわけでもない。ただ話を聞いていても急に辞めさせられるわけでもないし、年功序列で給与は上がるし、福利厚生は充実しているし、働き方もそこまでハードではない。つまり可処分所得、可処分時間は十分に確保され幸福度は高い生活が送れている人が多い印象。もちろんこの先はどうなるかわからないけれど一気に倒れ込むというのは可能性としては低そう。大手を選ぶのもそれまた一つの選択肢にはなる。
③ベンチャー企業はどう?
ここは僕が1番経験しているし、伝えられることが多いポイント。僕自身も新卒3年目という括りで見た時には世間の平均と比べると割と良い給与をいただいていると思う。けれどアッパーは感じるのがリアルな印象かなと。働き方に関しては正直大企業よ友人と比べても全く違いますね。「なんでそんなに仕事するん?」とよく言われます。ただ自分は好きでやっているので苦痛に感じたことは1度もないです。給与でいうと“ベンチャー=青天井”というわけではない。もちろん個人の頑張り、もっと言うと会社の業績によっても振り幅は大きいのかなと。会社によってはストックオプションもある企業があると思う。今は安月給だけれどもIPOを狙っているからその時にガツンといきたいと願って働いている人もいるのかなと。それはそれで自分の頑張りになるから良いのかもしれないのかなって思います。
働く環境は自分で好きなように選んだら良い。稼ぎたい人は稼げる業界、会社に行けば良い。だからこそ稼げない業界、会社に行って「給料低いんだよ!」って言う奴はダサすぎる。稼ぎたいんやったら入社する前に評価制度、給与テーブルを聞けよ。それも聞かずに入社して稼げませんでした〜ってあかんやろ。と思うわけです。もちろん入社前はウソをついている企業があれば違ってきますが。
⑤最後に
で、今回何を伝えたいかというと、仕事の報酬はお金だけなのか?ということ。もちろん人によって報酬の捉え方は違ってくる。けれど世の中に貢献したことも報酬ですし、もっと言うとお客様からの「ありがとう!」という感謝の言葉もこれまた立派な報酬です。その報酬の価値観がどこにあるのかをしっかりと自己分析し就職活度をするとミスマッチもなくなり、幸福度の高い人生を歩めるんじゃないでしょうか。
・入社3か月目
・仕事量が多い
・初めて使うソフト
質問しても1か月後に言うことコロコロ変えられるとか、そういうのは他責だし自分でどうこう出来る問題じゃないから省くけど
仕事量が多くて毎日残業しても(特に年次決算月と四半期)多少は仕方ないんだけど、それにしたってミスが多い。8割ぐらいは問題ないんだけど、毎回2割ぐらいはミスがあって指摘されてる
自分でも気を付けよう。って思って意識してても、無意識で間違えるパターンと、ソフトの仕様で変な動作をする2パターンがあるところまでは理解できた
無意識でやってる方は意識することで減らそうと思うんだけど、無くならない。流れ作業でやらないで、一回5秒ぐらい落ち着いてからやれば無くなるんだろうか?
あとは知らなくて~パターンが多い。気を付けろ・規定を見ろと散々言われるんだけども、正直これは対策が思いつかない
ホントに逐一質問をしてこれでいいですか?としつこいぐらい確認するぐらいしか思いつかない。実践したら怒られて「自分で確認するように」って言われたからそもそも失敗だった
ただ本気で資料もなく、数字と取引先の名前だけ見せられて「これ、やっといて」はマジのガチで心が折れてしまうので最低限の説明は欲しい。聞けよって言われてもまず質問できるだけの知識が無いから質問が出てこない
題記の通り他人から発せられる「寂しい/さみしい」という感情が未だによくわかっていない。
もちろん日本語としては知っているが、単語が意味する感情を、うまく自分の中に落とし込めていない。
そのため他人に「寂しい」と言われたときにうまく同意を示すことができない。
「放置されている」「求められていない」「寄り添ってくれない」といった別れ言葉を何度か頂いたあたりから、結婚や交際は諦めた。
仕事をする上では必要にならない感情(+職種)なので特に困ることもなく、3年間のコロナ禍で、人と関わらない生活の快適さにも気がついてしまった。
「定期的なrequest/responseによるconnectionやcommunicationの維持管理は重要」と言われると理解はできるのだが、感情としてはよくわからずにいる。
「寂しい/さみしい」がわからないことで他人に不快感を与えてしまうのであれば、このままなるべく人と関わらない生き方を続けていくべきなのかも、と思っている。
以下は自己分析
❶
男女入れ替えて書くと、20代前半で遊びまくってた男性が、「結婚相手には家事が完璧にできる処女(遊んでなかった女性)が良いよね」と言ってるのとあんまり変わらないんじゃないかと。
この部分がピンとこないのです。
こういう手のひら返しってあまり聞かないし、フィクションでもネタにされてないようにおもいます。
それを読んで、わかる/あるあるw になる女性はほとんどいないのではないでしょうか。
だから、私の頭の中で
「男はこーゆーことしないのに女ってずるいよなあ」「やっぱ女はダメだwww 」
架空の男どもがハイタッチをし始めるのです。不快。これが モヤモヤ❶ です。
現実世界は実は綺麗な鏡面対称になってないのではないでしょうか。
男の人の手のひら返しって 恋愛→結婚 の変化に表れるのではなくて…
具体的には、田舎にいた頃は、幼馴染と付き合って仲良くしていたんだけど、上京した途端にグラマーで年下のぶりっこ女に乗り換えられた。みたいな。これなら良くある気がします。
❷
指摘のポイントは、ITエンジニア男性が恋愛という甘い汁を与えられずに、一足飛びで結婚生活に組み入れられることで、まるで生活の道具としてモノとして扱われることのズルさ、だと読みました。これは私自身も納得できるし同意できる考え方です。
だけど私は、同時に、不気味な居心地の悪さを感じていました。
その正体がわからなくて、しばらく悩んでいましたが、答えが出ました。
女性側の視点で考えると、そもそもまず若いITエンジニアの男の人が、目の前の人間に正面から向き合って大切な人として扱って、エスコートして、女性を楽しませるように自分の時間を割き、清潔感に気を使ってればよかったじゃないですか 。反対側からはそう見えるでしょう。女性が恋愛相手に不自由しないのはメイクしたりダイエットしたり、それなりの対価を払っているためのはずです。ITエンジニアの方々が専門分野に夢中になるのは素晴らしい事ですが、そうした努力をせずに恋愛というご褒美だけを要求するのはむしろ身勝手に思えるでしょう。
ふたりが一緒に長い時を過ごすだけで十分幸せなはずで、結婚はゴールです。ゴールをありがたがらずに過程の方を求めるのは……… 結婚生活の価値を恋愛以下に設定する考えだと思います。
それではまるで、女性の人生に責任を持とうとせず、セックスだけを都合よく供給してくれる道具として、モノとして扱っているように見えてしまいます。
マイルドヤンキー論なんかを読んでみては
https://www.tkc.jp/cc/senkei/201411_interview/
経済停滞が背景としてあると思います。非正規雇用の割合が高くなっているし、なかなか将来の夢を持ちにくい状況になっている。景気がよかったときは、みんな「今日よりも明日がいい」と信じていました。だからヤンキーも上昇志向を持ちやすかった。ところが、この20年間で生まれ育った今の若者には、そうした幻想を抱くことさえできない。別に東京に行ったところでおいしい思いはできないだろうし、だったら「地元でまったりと居心地よく暮らしていた方がいい」と考える
(中略)
もうひとつ、携帯電話やソーシャルメディアの普及によって、地元の友だちと密接な人間関係が築けるようになったことも理由として挙げられる
だそうな。冷静に自己分析と現状分析ができているから、といえるかもしれない。
実際、統計を見ていると、上京したからと行って生活水準が上がったり、良い生活をできている化というとそうではなく、格差と社会の階層化がより強くなっている事が見て取れる。
それから中高年やら老人にとってみると「人口減少だ!」「空き家だ空き地だ!」って大問題なんだが、
若い人から見ると、上にいる老人はほっとけば退場していくし、家賃や土地代はどんどんタダみたいになっていくし、若い人が少ないから競争率低いしで、地方の方が使えるリソースが多いから純粋に暮らしやすいんだよね。
マジレスすると、結局なし崩しで家に上げてしまったという点においてお前が悪いんだぞ。ただし状況的に情状酌量の余地が大いにあるというだけ。
んで、それとは別に相手の親が(お前の話を正しいとする前提で)「いやそれはいくらなんでもねえだろ……」というレベルで、それはそれで悪い。
これでお焚き上げって文章なんだろうからこれ以上ジメジメと昔を振り返ったり自己分析しろとは言わないが、要するに
「従前従後の放置っぷり等も含め、相手の親の言動に反省と改善が見られない」
ことに正義感で憤りを覚えているんだろうが、相手の親が反省するかどうかはお前の決めることではないしどうにもできない。
相手の子供は親と関係ないので、もしお前の子供と相手の末子等を仲良くさせたくないなら、子供にどう言い含めるかだけ考えておけばよい。
もし子供同士が仲良くなるのは別に良いとのスタンスなら、相手の家庭事情をこちらに持ち込ませないようにどうブレーキかけるかを考えろ。
がんばれ。
その理由は以下の通りだ。
だが幸運であったのは、私は比較的若い両親のもとに生まれ、現在もなお子供部屋おじさんまたはおばさんでいられるということである。
一応は定職につきなんとか働けている。
友人も数名だけだが居る。
両親も友人も良識があり優しく慈悲深く、たまにこちらの話をまともに聞いてくれない以外は親切だ。
私は頭の出来が良くないので、まともに取り合って貰えないのも仕方のないことだとは思う。
現状は、という言葉が頭につくが。
親は子より早く死ぬものだし、友人は人生に寄り添ってくれる訳ではない。
結婚だとかパートナーシップだとかに対しては正直に言うと、憧れはある。
しかし、まるで出来る気がしない。
私の恋愛対象は、過去に好きになった相手の統計からすると、男女の比率としてちょうど半々ぐらいである。
頭が軽いので短絡的が故に、好きになったら無策のままに即告白を繰り返してきたのだが、残念ながら全ての恋は実らず片思いに終わってしまった。
愚かなので、高望みし過ぎているのだろう。
私は他人から好意を向けられたことはないが、性的な興味を向けられたことはある。
当時の私は男子学生として生活していた。髪をツンツン逆立つほど短くして学生服を着て通学していた。
だが、男子の制服を着ていても見知らぬ男性サラリーマンと思しき人物にナンパされたり、仲良くなった筈の同級生男子から俺の女扱いをされたり、友達の友達ぐらいの浅い関係の女子生徒によりトイレに連れ込まれてズボンを脱がされそうになり死に物狂いで脱出したりしていた。見知らぬOLっぽい女性にいきなり家に来ないかと誘われたり、電車に乗っていたらキツいパーマのおばちゃんに痴漢行為を働かれたりもした。
当時は自覚などなかったが、何故周囲からそのように性的な対象として一方的に扱われるのかという答えを無意識にわかっていたのだろう。
己の肉体から逃れることは誰にも出来ない。
故に、自分の、現状女である肉体から一時的に逃れて、憧れである恋愛を無責任に無我の境地で、荒唐無稽な美しい夢のエンタメを楽しむこと、その欲求を満たしてくれるのがBL二次創作だったのだ。
加えて、追加するのであれば私の身近に居る腐女子は軒並み常識人であり、善良で、精神的にも肉体的にも理由なく他人を加害しない人ばかりだったというのも大きいだろう。
さて、ここでまた話が逸れるが、よく小説や漫画やアニメなどで「精神的ショックから嘔吐する」という描写がある。
1回目は二次性徴を迎えた時、風呂場の鏡に映った自分の姿が気持ち悪くて吐いた。
2回目は数年前にひとまわり年下の仲良しの従兄弟からセックスさせてくれと頼まれた時だ。
今でもまだ引きずっている。
私はそれまでずっと普通に暮らしていたし、従兄弟とはごく稀に顔を合わせる程度であり、会えばソシャゲの話をするぐらいの関係性だった。
呑気かつ平和に「殺生院キアラで爆死した俺を笑えよ」などと気安く話し「それよりメルトリリスが来ねえんだが?」というような返しをするような距離感である。
青天の霹靂だった。
加えて、全く根拠がないというのに、当時三十路をやっと迎えた私は「これでやっと他人の性愛対象ではなくなった」と考えていたし、老いて若さを失うか醜くなるかすれば誰からも路傍の石ころの如き扱いしか受けなくなると信じていた。
私は従兄弟に対して動揺しつつも「金ないならあげるからさっさとソープでもなんでも行きなさい」と凶悪なまでにクソなことを言ったのだが、従兄弟はそれでも引き下がらず途方に暮れた。のみならず、私が学生の頃から好きだったとかふざけたことを言った。
私が学生時代、短く髪を整えて学ランを纏い、ヤンキーの男子生徒に喧嘩を売られれば嫌でもなんでもタイマンに持ち込んで殴ったり殴られたり時にはボディにいいのを喰らってゲロを吐いたりなどして頑張ってきた、男性として必要だと判断して払ってきたコストはまるで無駄だったのだ。
なんだかメンヘラの気配がしたのでそれなりに話は聞いていたのだが、精神的に削れてしまってギブアップした。その後、暫くの間従兄弟は半ばネットストーカーのようになってしまい、私は思った。
「男って気持ち悪いな」
「私の頑張りは無駄だったんだな」
「同じ生き物になりたくないから男になるのやめよう」
と。
そのような体験を経て、二次元であればどれだけえげつないエロだろうが大丈夫だが、現実の性的接触に対して死ぬほど嫌悪感を覚える人間が爆誕してしまった。
阿呆なので、極端から極端に走るが故に、髪を伸ばして赤い口紅を引き派手な化粧をして、ナベシャツを捨ててブラを付けた。
気の強そうな女の姿の方が残念ながら適性があったらしく、他人から面倒な絡まれ方をしなかったので、そのままそうやって暮らすことを覚えた。
驚くべきことに、そうしているだけで頼んでもいないのに見知らぬ若い男を紹介して来ようとする気持ちの悪いお節介既婚者女性もついでに激減した。
遺憾ながら便利なので、以来ド派手なアイシャドウを塗って出勤している。
毎日会社と家の往復をして給料を貰い、帰宅してはTwitterを眺めゲームをして漫画を読み、ごくたまに友人と交流するだけだ。
転機が訪れたのは昨年の秋だ。
何が起きたのか自分でもわからなかった。催眠術だとか超スピードだとか諸々ナントカそういったチャチな外的要因であればまだ納得して呑み込み受け入れられたのだろうが、自分の中にしか要因がないので余計に受け入れ難かった。
今でもまだ受け止め切れていない。
たまたまフォロワーの紹介で教わったジャンルの、とあるキャラクターの夢豚に、なってしまったのだ。
動転しつつもpixivの夢小説用のアカウントを作り、人生初となる夢小説をン万文字書き、震えて怯えながら投稿した。
内容としてはその推しキャラと自己投影した理想の自分がご飯を作って食べたり並んでお昼寝したりするだけのものなのだが、それは紛れもない疑似恋愛だった。
自分自身がどういった存在にどうやって何をして貰いたいのか、自分の欲しい愛情とは何かを探っていくのはとても新鮮な自己分析で、驚きの連続だった。
そして探ってゆくうちに、私は自分が普通の枠に収まりたい、普通に求めたり求められたりしたい、即ち、セックスがもし自分に出来るのなら、やりたいのかも知れないと思い至り、成人向けを書き始めて、手を止めた。
書き始めたところで、決定的な過ちを犯したことに気が付いてしまった。
「私は好きなキャラクターを加害している」
「どうして私は自分がされたくないことを好きなキャラクターにしているんだろう」
しかし、自己投影した夢小説の主人公を推しと性的に絡ませることに、喩えようもないおぞましさを感じた。
BLなら客体であるからと逃避できていた部分が、夢小説となると途端に襲ってきた。
世間の現実に存在するカップルや、仲の良い友人夫婦、加えて、他の夢小説を嗜む友人を見て話を聞いても何も嫌悪感などない。
なるほど、それは確かにさぞかし良いものなのだろうなぁと思うだけだ。
異常であるのは分かっている。
ただ、異常であることは嘆きの対象にはならない。私は基本的に社会のマジョリティになれないという意味において常に異常だったからだ。
理解していた筈のことだが、空想の中ですら不可能であるという事実が、どのような形であれ伴侶を得ることの出来ない欠陥品であることを再認識させた。
自分の中には、
男の体で女を抱きたい願望と、
男の体で男を抱きたい願望と、
男の体で男に抱かれたい願望と、
女の体で男を抱きたい願望と、
女の体で女を抱きたい願望と、
女の体で女に抱かれたい願望、全てがあることを知った。
要するに性欲は厳然として存在しており、己のその性欲の全てが、気持ちの悪い加害行為でしかないと認識している。
唯一の安息の地である二次元が失われて、もうきっと二度と戻ってはこないだろう。
いつになれば人生が終わるんだろうと考えている。