はてなキーワード: 自尊心とは
宗教的配慮があるだけで普通に病気です。セックス依存性のセラピストはフツーにるし、治療も出来る
嗜癖性障害と言った方が馴染みやすいかな?『セックスしないと他人と思える』とか単純にあたおか。明らかに生活に支障出てる
愛している人とセックスというコミュケーションを取りたい、セックスに積極的なパートナーと生涯セックスを楽しみたいとは
また別の話ですな
嗜癖性障害とは?
・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求や衝動によって繰り返され、その結果、その個人や他者に対して有害となっている状態。
・嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル、摂食、性交、ポルノ、パソコン、ビデオゲーム、インターネット、エクササイズ、買い物がある。
診断基準案
1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動をコントロールできない(impairment of control)
3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
報酬系回路
行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである。報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。
セックスに依存する人は人間関係を怖がる傾向が高い
調査ではオンライン・セックスや売春、人前でのセックス、複数人との同時セックスをしたことがあるかどうかを質問した。またアルコール摂取や自尊心に関する質問も行った。
この結果、セックスに依存しているとした人は、人間関係を脅威と捉え、人との付き合い方が不安定で親密になることを怖がる、あるいは避ける傾向の割合が高かった。
セックス依存ではない人たちが親密さを望ましい、あるいは価値のある関係だととらえ、また人との関係に安心感を覚え、自分のパートナーを信頼できると考えているのとは対照的だった。
人にはそれぞれ自尊心を満たしてくれる心の安定剤があると思います。
ぼくはしがない中小企業で働くプログラマです。そんなぼくのエンジニアとしての自尊心を満たしてくれるのが資格ですね。
ネットワークスペシャリストです。社内では誰も持っていません。たまに心が病んだときは合格証を頓服代わりにニチァと見ながら
・男としての安定剤
ぼくはほとんど恋愛経験をしたことがありません。背も低いし丸顔で男としては終わっています。
そんなぼくでも1度だけ彼女を作ることができました。
18歳の色白Gカップの彼女です。チー牛であるぼくが10歳も年下の女の子と付き合えたのです。
ここまで長々と嬉々として語ってるこいつの方も異常だ
「僕の奥さんは自尊心が低く家庭に問題があってアンガーマネジメントが出来ない」というのがこいつにとってのアイデンティティなんだよ
増田に書き込めて大喜びなんだぜ
個別の喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初は自分が我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手の地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。
もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気だけが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。
で、子供が生まれて物心がついてきたのを機に、お互いに真正面からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。
実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女が毒親(母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親、自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体的虐待もあったし、ネグレクトも罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児を成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休みの自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親が課題を制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己の付属物であり、自分の能力と努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。
そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴の人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社の腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値な人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安と強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後はメンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。
その後いろいろあって彼女は自分と結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的にチャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネットの情報や心理学の書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間は能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体を否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。
頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーはちゃんと実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルールが適用されない。だから親族や家族の中に(彼女の基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈な言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準を相手にも課し、それを満たさない相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。
ついでに言うと、彼女の母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神的身体的DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情のコントロール欠如という点では似たもの同士だった母親と彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒の応酬にエスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせた自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。
ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女と母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女の母親が過去も今も彼女の自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分は母親の承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女は最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待のパターンのど真ん中に自分がいたことを知り、自分の感情コントロールの難しさが個人の資質というより関係の病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差し向かいではなく、その関係自体を第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのときに情報や考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身の自己探究の道のりだった。
それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんはアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分の希望や意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮は他人でしかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親だから近しくしなければいけないという「演技」からもちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。
…というわけで、うちの場合は子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供がいるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田の場合、子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係の健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだんと建設的な方向に向かえるかもしれないよ。
さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女の病理というより関係の病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田の奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。
できる人ぶったりまともぶったりしてるけど、その実だいぶ拗らせているしコミュニケーション能力が低いから、自分のゴミ袋を開いて、何がくせーのか改めて考えてみたくなった。
と思いたい気持ちが強い。なんでもかんでも「かわいそうな自分」になるための理由をこじつけて、かわいそうな被害者でありたいと行動しているきらいがある。
喧嘩になったら、自分をさりげなく被害者側に置いて話しがちだし。他責傾向が強いといってもいいかも。
ミソジニーか?と言われるとこの辺の判別が難しくて、多分妬みとかの方が近いんだと思う。実際ブスな女とかは全然なんとも思わないので、500%妬みだろうなと書いていて確信した。
ネタマシー。でもめっちゃ努力したいわけじゃないから、生まれつき造形いいひととか口では「素敵だね」なんてニコニコしながら「ずるい」って思うこと多い。
卑屈っぽい言動するけど、それって相手を責めるためであって(へこむ私の演出で罪悪感を刺激しようとする)本当に自分のことだめとは思っていないはず。
だってダメなら改善しようとするし、そんなの受け入れてわざわざ人様に披露することもない。
たぶんちょっとある。わりと他人見下しがち。人様のおかげで今があることを認めきれてない。
それなりに努力したという自負がある分、みんな自分ほど努力してないとかちょっと考えがち。
なんか書き出してみると、本当に自尊心低いんだなと思った。低いから威嚇するみたいな。
死刑囚とは言わんでも、女に大金を貢がせる、そのために性風俗店を勧めるホスト、が商売と成立してるからね。
本当にそういう男が嫌いなら、ホストなんて業態は成立していない。せいぜいバーどまり。
周りを見渡すと死にたい人で溢れている。
理由は死にたい理由が簡単に見つけられてしまうからだろう。わざわざ探さなくてもいくらでも見つかる。
世界で一番ではないかもしれないけれども、この国は病んでいて腐っている。世界中の多くの人が、自国を眺めたときに同じように感じるのかもしれないが。
これまでに身近な人間(姉、祖母、同級生)が自殺未遂をし、大学の後輩が自死した。大学では在学中に二人の自死者が出た。皆さんの周りにもそういうことは多く起こっていると思う。
私のいた環境は、よくなかった。
・北国の閉鎖的な田舎町で育った。
・両親は心の優しい人たちではあるが、客観的に見れば多忙のために育児にあまり関われない父親、過保護でヒステリックな母親であった。
・前述の姉には物心ついたときからいじめられていた。私が家を出るまで続いた。高校の受験勉強をほぼ毎日妨害された(精神科の薬をわざと多く飲んでおかしくなっている状態で)。
・中学校〜高校ではクラスで同級生の集団からいじめにあった。ある日中学生が自殺したニュースが報道されたことがあり、翌日私をいじめている人々に「○○(私)かと思った(笑)」「○○は自殺しないでよね、困るから(笑)」と言われた。先生は見て見ぬ振りをして助けてくれなかった。
・道端で見知らぬ人にブスと罵倒された。下半身露出狂に遭遇して半狂乱で飛び込んだ交番には誰もいなかった。
・手術の後処理がよくなかったらしく体に傷が残った。
・初めてできた恋人が、私と付き合いながら他の人間とセックスしていることを共通の知人がニヤニヤしながら教えてくれた。
・働きながら大学受験をして3回落ちた(結局は滑り止めで1つだけ受かった夜間大学に行くことになったが)。
・ストーカーおよびセクハラにあっても周りの人は加害者を擁護して私を助けてくれなかった。それが何度も起こった。
等々。
もちろんもっとひどい目にあった人はたくさんいて、お前のなんか大したことないと言われるかもしれない。でもやっぱり私はひどい目にあったと自分では思っている。
ここからが本題なのだが、私はこのような半生を送ってきて一度も死のう、死にたいという気持ちになったことがない。いぎたいっ!とも思わないし、自分自身が類稀なる人材であり存在しているだけで素晴らしいとも全く思わないが、辛い→自死 という回路が自分の中に存在していない。
上記のような環境で育ったので自尊心は徹底的に損なわれている。だけど死にたいとは思わない。風呂に入らずものを食べず、不潔で栄養失調の状況を作り出すことを自分でも止められないことがある。しかし自分で自分の体を傷つけたりしたことはない。心療内科にも行ったことがない。
ニュースで有名な人が自死したという報道がされていた。私は生きている。何故だろう?死にたくなるようなことがまだ私には不足しているのだろうか。死にたくならない自分が異常であるかのように思える。
恋愛に疲れて暫く休んでる間にコロナ突入、新社会人になるもフルリモートで出会いなし。
って感じで詰んでたけど、ちょっとアプリやったら凄くいい人が見つかって、それなりにスムーズに交際してて逆に困惑してる。自分に自信がないから、浮気?遊び?って心配になる。
プライドが高い割にそれに外見が見合ってないから常に不安で(昔は自尊心が低いとか言ってたけど、今は自己認識と現実のギャップの問題だと思う)、自分を好きだと言ってくれる人のことを何も信じられない。相手にも失礼だから、早いとこなんとかしたいな…
はじめて増田になる。
この気持ちを書くことをとても迷った。それでも、たとえ匿名と情けない状態でも言いたくなったのでどうか怒らないで読んでほしい。
BUMP OF CHICKENのギター直井さん(以下チャマ)の不倫報道についての私の個人的な気持ちだ。
ラインニュースでチャマの不倫を見た私は、まさか文春砲があのBUMPに!くらいの気持ちしかなかった。
正直どうせ嘘か、そこまで問題になるとはないだろうと軽い考えで記事を開いたのを覚えている。
しかしその気持ちは記事を読むにつれて薄れ、心の底からチャマを嫌悪した。
家庭があることを浮気相手が承知した上で不倫関係に及ぶことがある。
それは「私たちはこれから家族を苦しめますよ」という同一認識を持ってお付き合いを始めている。だからこそ不倫は人を故意に傷つける行為であり、慰謝料の支払いや世間体が悪くなることも覚悟の上でお付き合いをするものだと私は考えている。
そんな覚悟を持って、人を愛するなんてすごいなとある意味一目置いてしまう。もちろん、そんな考えなんて一ミリも考えずに、ダラダラと甘い蜜を啜りたい一心な人ばかりというのもわかるっているけれどね。
だってそんな覚悟があるならさっさと離婚して一緒になりなよとも思うから。前提として私には不倫は理解できないものであった。
被害者は知らぬうちに不倫相手にされていて、一歩話が進めば結婚詐欺になったのではと思う。
もしこの被害者が私のような考えの持ち主だとしたら「自分が人を傷つけていた」事実に悩むのも無理ないと彼女に心から同情した。
チャマは家庭がありながら、そのことを隠し被害者の女性を騙している。妻子がいることを突きつけられたら、被害者の女性を小馬鹿にし別れを告げたとかかれていて、しかも被害者の女性の両親にまで会っていた。
女性の両親と食事をするって相当親密な関係だと思うし、妙齢の女性であれば結婚の意識もあったのかもしれない。そしてそのような状態であることを周囲も微かにわかっていて、被害者は彼女だけではない様子…
週刊誌の記事だし、ここに書かれていることが誇張された内容であることを祈っているけれど、はっきりと言って人として最低の行いであり倫理観が欠落している。
チャマからすれば短絡的な行動なのかもしれないけれど、しっかりと一人の女性の人生を弄んで、故意に陥れていた。
また、周囲もそのような状況を容認していたとなれば彼の周辺環境全てが真っ黒に思えてくる。集団でゲームのように陥れていたのでは?と、悪いように考えることはいくらでもできてしまうものだ。
もし、自分がそんな行動を起こされたら相手のことを「あんな人間に引っかかるなんて運が悪かった。次は気をつけなきゃな〜」なんて軽く思えるだろうか。
自分の価値を踏みにじられ、自尊心を傷つけられたのに、その男は今も笑ってその音楽は街中に響く。
そんな状況に耐えられるだろうか。
…こんなの私の憶測で、全部妻子がいると知っていて初めから週刊誌に記事を売ることが計算だったのかもしれないし、本当のことなんてわからないけれど、私は彼女の起こした行動を責めるなんてできない。
彼女が心優しい人だった時、きっと彼女はこの記事を出そうと出さなかろうと悔やみ、悲しみ、自分のことを責めたと思う。
そっと声をかけたい。
お疲れ様でした。これから素敵な人生がありますように。前を向けますように。
私にとっての涙のふるさとを一緒に探しに行ってくれて、心が荒む時、どうしようもなく迷った時、一緒に泣いてくれるバンドだった。
これでもかとつらいことや、理不尽で、どうしようもならないことが、この世の中にはたくさんある。きっと被害者にとっては今回のことはそれに当てはまるだろう。それでも泣く場所をくれて、楽しませてくれて、元気に前を向くように促してくれるのが音楽で、私にとってそれはBUMPの音楽だ。
そうは言っても今回のことを受けて、BUMPの曲を聴いて傷つけられる人がいる。
このことの被害者はチャマの家族や不倫関係にあった女性達だけじゃなく、メンバーやスタッフ、ファンにも及ぶ。きっとファンだって彼らの曲を聴いて苦しくなる人が出てきてしまう。…きっと私がまだBUMPの音楽を好きなことは、彼らの音楽がそういった人たちへ届く機会を増やすだろう。
背中をさすってくれた手が、他の人の心を殴って傷つけていたと知って戸惑わない人はいない。
それで嫌いになったって仕方ない。それでもやっぱり好きなら、それも仕方ないことだ。
Twitterでは、不倫相手が雑誌に話をしたことが気に食わないだとか、バンドマンなんだから女関係だらしなくて当たり前だとか、これで活動休止したらどうすんだ、なんて相手の女性を逆恨みするかのような発言が見えるけれど、悪いのはチャマだ。因果応報。彼女を叩くのはお門違い。
そして、このくらいのことでファンをやめるなんて本当に好きだったのかと、人の好きの度合いを測ろうとする人の多さも解せない。
好きだからってなんでも擁護するのはおかしいし、それは盲信するただのやっかいな信者だ。なんでも許される神様をつくろうとしてるだけ。
私は同じ人間として、彼らのことが好きだ。好きだからこそ許せないこともある。人それぞれの物差しがある。好きの度合いだって個人差だ。
反省するべきなのはチャマ本人だけ。活動休止、残念だけど私は少しほっとした。お咎めなしで帰ってこられても受け入れられないと思っていたから。
しっかりと自分を見つめ直してほしい。
夫婦二者間のすれ違いなんてどっちが悪いとかそういう問題でもないだろ
常識、価値観、コミュニケーション方法の齟齬の問題であって、両方に解決の義務があるだろう
「やや「無頓着」な部分があり、「あまり恋愛には熱心ではないし、女性の気持ちがわからず怒らせたり別れを切り出されたことも何回かある。来るもの拒まず、去る者追わずという感じだった」」
増田夫もこのような自分を自覚しているのなら「察せないので言葉にしてほしい」というべきだし、
実際に「〇〇に行きたい」と提案しても「いいよ、めんどくさいし遠いし」など却下され、毎回むなしい気持ちになり自分の生きたい場所は殆ど言わず、彼の行きたいところ、興味のあることは誘われることが多かったので私自身に興味がなくても付き合いました。
提案を無下に却下されたら誰でも提案する気を無くすだろう。元増田が「思ってることを言い出せない」関係性を築いたのは元増田と夫両方だ。個人的な見解としては、増田夫はコミュニケーションにコストをかけなさすぎだ。「言わなきゃわからない」ならば聞くべきだろう。「何も言わないから同意しているのだろう。」と決め付けて相手を思いやらないのは怠慢だ。夫婦なのだからお互い「が」歩み寄るべきだ。察する文化、主張する文化といろいろあるが、そこに優劣はない。言わないと同様、察さないのも「サボタージュ」だろう。
増田を読んだだけなのでなんとも言えないが、元増田夫婦の間には夫>元増田の力関係があるように思う。元増田が勝手に遠慮しいしいで生きてるだけかもしれないが。なんにせよ夫相手に萎縮してないか?「夫は共同体意識がない」に尽きると思う。夫に違和感感じてるのはそこなんでしょ。元増田の中で結論出てると思うよ。俺は離婚したほうがいいと思う。
精神科医気取りで「虐待の過去があるでしょうね」「あなたはおかしい」「あなたに問題がある」「あなたは自立してない」「あなたは自他境界が曖昧だ」と断罪するのは異常だし、一見正論のように見せかけながら元増田を責め続けるのはモラハラの手口だ。正しいことを淡々と述べているようだが、よく読めば決めつけが多く、相手の非ばかりあげつらっている。
普通に考えて恋人持ち、既婚者で配偶者が元恋人と仲良くしてたらいい気はしないだろ。嫌と思う奴もいて当然だろ。こいつのモラ気質は「わたしは思いませんけど?」といちいち挟んでくるところによく現れてる。モラハラ人間は絶対これやるんだよ。相手がおかしいことにする。
「夫はいい人です」とか俺らにわかるわけないだろハゲ。適当言うな。その言葉が追い詰められた人間にどう作用するかなんて自明だろ。「あなたの幸せのために」と思ってるやつが「夫は全く悪くない。あなたが全て悪い。あなたはおかしい。夫はいい人だ」とかいうか?言わねえよ。モラハラ人間と暮らしていたからよくわかる。
まあこの増田自体半分私怨に近いわ。でも良く考えてみて欲しい。こいつは本当に正しいか?よく読め。
普段夫はとても優しいです。優しいんですが変なところで徹底的に「冷たい」です。夫の中では「結婚した!仕事がある!家族みんな適度な距離感にいて安心!」で、すべて自分自身の中でのみ完結してしまっており、私自身が「別の生き物」として認識されていないように思うのです。
と書いてるじゃん。矛盾してるだろ。夫は変なところで冷たいとわかってるじゃん。(上手く言葉に出来てないけど夫に対して違和感を抱いてるというのはよくわかってちょっと同情した)
ここだって、元増田からしたら夫は明らかに他者として区別されてるだろ。自他境界が曖昧という言葉は適切か?
あなたは罪悪感が強く、自責も他責も濃いパーソナリティのようです。推測ですが「虐待を受けていた」「親に過干渉され、ありのままの自分を認めてもらえなかった」など、自尊心を毀損された過去があるのではないでしょうか。
本当にそうか?罪悪感が強いか?離婚の危機、適応障害ときたら自責なり他責なり出るのは当然だろ。自責と他責強いか?離婚相談なんて大体こんな感じじゃないか?
脅迫的なアプローチはとってないだろ。今までずっと溜め込んできて、最後にタガが外れて責めてしまったとしか書いてない。そもそもアプローチしてない。
つか全体を通して人格否定が過ぎるだろ。節々が元増田の人格否定をするために構成されてて読んでて胸糞悪いんだが。不必要に責めてる部分多いよな?何があなたのためだよ。
元増田だって、「夫は優しい、夫は察してはくれない、でも言い出せなかった」と内省してるし決して何にもわかってないわけじゃないじゃん。本当の本当に、元増田は増田が言うみたいに「自立してなくて虐待の過去があるのか自他境界が曖昧で自責的で他責的で罪悪感が強い察してちゃん」か?
最後に、これがロジハラだとは思わんよ。というか、ロジックじゃねえもん。「察してちゃんが悪い」っていう大前提を置いて、それに沿って相手を非難してるだけだから。論理が何か説明してみろよハゲ。