はてなキーワード: 摂氏とは
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溶融塩炉は1950年代から存在していたが、アメリカは1970年代にそのほとんどを見限り、それまでにすでに多くが建設されていた水冷式原子炉を支持した。
だが近年、ケイロスをはじめとする企業や研究所が、塩冷式原子炉を再検討しはじめている。
「工学上の細部が決着すれば、冷却材としての塩は、水よりも断然優れている」とスミスはBusiness Insiderに話した。
溶融塩炉は、高温で水を液体に保つための分厚い圧力容器を必要としないため、設計上の柔軟性が高まるとスミスは言う。
たとえば、原子炉が水冷式よりも小型化され、さまざまな場所につくることもできる。
「言ってみれば溶融塩炉は、溶融塩炉以外では不可能な、設計上の多くの選択肢を開くものだ」とスミスは言う。
「低圧のパラダイムへ移行すれば、建造がずっと容易になる」
へき地や船舶、大規模発電所など、「溶融塩炉は、あらゆる領域で次々に導入されるだろう」とスミスはつけ加えた。
ヘルメスは、最高で華氏1200度(摂氏650度)で稼働する。だが、冷却材である溶融塩(FLiBeと呼ばれる、フッ化リチウムとフッ化ベリリウムの混合物)の沸点は華氏2606度(摂氏1430度)で、炉心の温度よりもはるかに高い。
したがってFLiBeは、稼働時の高温でも液体の状態に保たれ、圧力を加える必要はない。そのおかげで、原子炉の建設が容易になり、コストも安くなるはずだとスミスは言う。
ケイロス・パワーが提案する燃料も、従来の原子炉のものとは異なる。同社は「TRISO」(TRi-structural ISOtropic:三重等方性)被覆燃料粒子(ウラン酸化物を黒鉛やセラミックスで被覆した粒子型の燃料)を用いる計画だ。
米エネルギー省原子力エネルギー局によれば、この燃料は、現行の燃料と比べて極端な高温に耐えられるため、核分裂生成物が放出されにくいという。
残る課題は
スミスは腐食について、「酸素はいわば、溶融塩が腐食する際の原動力だ」と説明する。そのため、塩が酸素にさらされる状態を抑制することが課題になっている。「まったく同じプロセスではないが、原理としては、他のどの冷却材とも変わらない」とスミスは言う。
また、溶融塩炉が抱える他の欠点について、カナダのブリティッシュコロンビア大の物理学者であるM・V・ラマナ(M.V. Ramana)教授は2022年、「数種類の廃棄物の流れが生じるが、そのすべてについて徹底した処理が必要となり、廃棄に関連した課題に直面することになる」と書いている。
スタンフォード大学の研究者などが2022年に発表した研究によれば、溶融塩炉で生じ得る核廃棄物は、現在のシステムよりも多く、「用いられる燃料と冷却材は、腐食性および自燃性が高く、照射後は高レベル放射性になる」という。
ChatGPT
教えて頂きたいことが有ります。ワールドトレードセンターに旅客機が衝突し、その後1時間ほどでビルが倒壊しました。なぜあんなにも簡単にビルが倒壊したのか、ビルの構造上の問題が指摘されています。このビルの倒壊に関する、ビルの構造上の問題点を教えてください。
ChatGPT
ワールドトレードセンター(WTC)のビルが倒壊した2001年の事件は、アメリカ合衆国でのテロ攻撃として広く知られており、公式には「9/11(セプテンバー11日)」と呼ばれています。この事件に関連して、ビルの倒壊について多くの調査と議論が行われました。以下に、WTCビルの倒壊に関連する主な要因を要約します。
2001年9月11日に、アルカイダによってワールドトレードセンターの北塔(WTC 1)と南塔(WTC 2)に旅客機が衝突しました。この攻撃により、ビルの大部分が大規模な火災に見舞われました。
火災:
旅客機の衝突により、燃料が大量に噴出し、火災が発生しました。この火災がビルの構造材料に重大な影響を与えました。
WTCビルは、特に外壁の鋼骨構造とコア列(中央の鋼骨構造)から成る典型的なスケルトン構造でした。この構造は建築当初から高層ビルに採用されており、通常は耐火性のコンクリートと火災耐性のある断熱材で保護されています。
火災の影響:
火災により、鋼骨構造の温度が上昇し、鋼骨が弱化しました。鋼骨が軟化すると、ビルの耐荷重能力が低下し、倒壊のリスクが増加します。
倒壊の仕組み:
WTC 1およびWTC 2では、火災が高層階にまで広がり、構造的な弱化が進行しました。その後、ビルの上部階が下部階に崩れ落ちる連鎖反応が発生し、ビル全体が崩壊しました。この連鎖反応はパンケーキ効果として知られています。
総括すると、WTCビルの倒壊はテロ攻撃の結果であり、特に大規模な火災によってビルの構造が弱化されたことが主な要因でした。その後、構造の連鎖的な崩壊が起こり、ビルが倒壊しました。この事件については、多くの調査と議論が行われましたが、ビルの設計や火災の影響が主要な要因とされています。
続けてください。
ChatGPT
続きます。
9/11の事件当日、消防士や救助隊などの緊急対応チームは、可能な限り多くの人を救助しようと奮闘しました。しかし、火災の規模とビルの倒壊の危険性に直面し、多くの救助隊員が犠牲になりました。
この悲劇的な事件を受けて、アメリカ合衆国では建築基準や火災安全規定の見直しが行われました。特に高層ビルの設計や建設においては、火災への耐性や緊急時の避難手順の改善が行われました。
9/11の事件を受けて、多くの研究と調査が行われ、ビルの倒壊メカニズムや火災の影響に関する詳細なデータが収集されました。これらの研究は高層ビルの設計と安全性向上に役立っています。
ワールドトレードセンターのビルの倒壊は、極めて破壊的な事件であり、多くの人命が失われました。この出来事は建築、安全、対テロ対策などの分野において重要な教訓となり、建築物の耐火性や非常時の対応プロトコルの向上に向けた努力が継続的に行われています。
ChatGPT
どういたしまして。質問があればいつでもお気軽にどうぞ。お力になれることがあればお手伝いさせていただきます。
アメリカの専門家たちはビルの崩壊に疑問を抱いているようです。
ロバート・M・ボウマン、ジェイムズ・H・フェッツァー、ウェイン・マドゥスン、ジョン・マクマートリー、モーガン・レイノルズとアンドレアス・フォン・ビューロウを含む一流の専門家や学者たちのグループは、「政府の上級職員たちは、9/11に本当は何が起こったのかについての重大な事実を隠蔽した」という結論に達した。
鉄の融点は約2700度(華氏。摂氏1482度)。だがジェット燃料の火は最適条件下でも1800度(摂氏982度)を超えることはなく、2000度(摂氏1093度)で6時間耐熱後UL(損害保険者研究所)の認証を受けた鉄で造られたビルが、火災による熱で崩壊するはずはなかったのだ。どうしたらこんなことがあり得るのだろうか?
TCの3つのビルの崩壊が自然落下速度に近く、ほぼ左右対称に倒壊したという事実と整合性があるのは制御爆破解体のみであると、彼ら自身の物理学的調査は立証している。コンクリートを非常に細かなチリにしつつ、それらのビルは己の足元へと崩れ落ちた。
ChatGPT
ロバート・M・ボウマン、ジェイムズ・H・フェッツァー、ウェイン・マドゥスン、ジョン・マクマートリー、モーガン・レイノルズ、アンドレアス・フォン・ビューロウといった一部の専門家や学者が提起している疑問や主張に対して、公的な調査機関や多くの専門家からは異論があります。以下は一般的に説明されているポイントについての反論です:
硫酸塔に使用されていた鋼の融点は、一般的な鉄の融点とは異なり、約1,500度摂氏(約2,732度華氏)でした。また、ビル内部の火災は、単にジェット燃料の火だけでなく、オフィス内の家具、装備、文書、絶縁材料などを燃やしました。これにより、火災の温度が上昇し、鋼鉄の強度を低下させました。鋼鉄は、融点を超えなくても急速に強度を失うことがあります。
倒壊の自然落下速度:
WTCビルの倒壊速度についての主張は誤解が含まれています。ビルの倒壊は自然な落下速度ではなく、劇的で非常に速い速度で起こりましたが、これはビルの上部階が下部階に落下し、新たな重量を加えたためです。倒壊は連鎖反応の結果であり、制御された爆破解体ではなく、上部階の崩壊がビル全体の崩壊を引き起こしました。
多くの専門家と調査団体が、ビルの倒壊が制御爆破解体によるものではなく、火災と構造上のダメージによるものであるという結論に達しました。ビルの倒壊は、劇的な火災と鋼鉄構造の弱体化によって説明されます。また、制御爆破解体に必要な爆薬や設備の証拠は見つかっていません。
9/11の事件に関しては、公式の調査が行われ、多くの専門家や科学者によって検証されました。これらの調査に基づいて、ビルの倒壊は主に火災と構造のダメージによるものであるとの結論が得られました。異なる説が提起されることはあるものの、科学的証拠と公的な調査結果に基づく説明が一般的に受け入れられています。
テレビの料理番組では、調味料や具材を必要な分量あらかじめ小皿に準備してズラリと並べておき、機が熟したところで手際よくそれらをフライパンや鍋に投入するよね。
あれをやりたかった。
あれはきっとテレビなりの伝えやすさや尺の都合でやってることでご家庭では省略してもいいプロセスなのだろうが(洗い物も増えるし)、自分はまだ料理バギナーなので、あのように計量済みの材料が用意されていれば慌てなくて済むのだ。フライパンの中で料理がくつくつ言っている時にあたふたと調味料を計量してこぼさず入れる、それを次々に、なんて芸当はおれには今のところ無理なんだ。
まだ読んでるのか。読まなくていいぞ。
で、買ってきた小鉢の底にはそれぞれ値札というかバーコードシールがべったり貼り付けられていた。
剥がそうとしたら、1個目からさっそく剥がすのに失敗した。途中から破れてきてシールの一部が糊もろとも母材側に残っちゃうあれ。
食器は衛生管理が重要なのだからすっきり剥がせるシールにしておいてくれればよさそうなものだが、まあ、店内にはほかに単価200円や300円の商品も混在しているので、簡単に貼り替えられるようでは困るのだろう。
しかし2個目以降は成功させたいのでおれは少々作戦を練ることにした。
まだ読んでるのか。ここまで読んだならもう最後まで読んじまえばいいが、何も得はないぞ。
シール剥がしやパークリなどの有機溶剤を使う手段も一瞬頭に浮かんだが、食器に使うのはためらわれた。特にシール剥がし。あいつは「絶対に口に入っちゃいけません感」がすごいからね。
そこで思い出したのがお湯。
シールの糊はあたためると緩むことをおれはすでに知っていた。自動車やバイクのボディに貼ったステッカーは、やかんで熱湯をドボドボ注ぎかけながら剥がすと簡単かつきれいに剥がせるのだ。親父がおれの愛車に地元の神社の交通安全祈願ステッカーを勝手に貼った時、この方法で無事に剥がしたことがある。
いつも90度(※摂氏)に保温してある電気ポットのお湯を注いで待つこと十数秒、お湯と小鉢の熱交換が終わり均衡に達したと感じたらお湯を捨て、器がさめないうちにシールを慎重に剥がす。
濡らしちゃいけない物はドライヤーでいけるぞ
残念なお知らせですが、私は持てる能力をもってあなたのお返事を読み込んでいましたよ。
それに対するお返事もそれなりに書いたつもりです。
その中で傍論として水が凍る温度を摂氏0度と定義するという日本語と、水を0度で凍ると定義するという日本語は全く違うことを意味するのに、それがごちゃまぜになってらっしゃる点を論理的な能力の面で危惧したのですが、その点を全く理解せずに小学生だなんだと言いはじめてしまったのを見て、正直申し訳なく思いましたよ。
でも正直、水が凍る温度を摂氏0度と定義すると言うことを水を0度で凍ると定義すると言い換えてしまう人に科学的事実が何なのかをを分かってもらえる気がしない。
えっとwもしかして水が凍る温度を0度と定義して水が沸騰する温度が100度と定義したみたいなそういう小学生の理科レベルの話ってことですか?w
しかも指標という言葉を使っているはずなんですけどそこから上の意味合いを読み取れてないってことですよね、他の単語もあまり正確に読み取ってもらえてないのではと推測してしまいますねw
話通じなくて当たり前ですね。そうですよね、教科書に書いてある自然的に観測できることは絶対的に正しいし、水分子がH2Oなのは紛れもない事実ですもんねwそれに比べたら、傘を盗むのが悪いことなのか、良いことなのかは、人がどう考えるかで変わっちゃうかもしれないし、どっちが正しいのか、ママやパパは教えてくれないし、刑法ではなんか悪いことって書いてあるけど、それって人間が決めたことらしいから、観察できる事実じゃないもんねwwwww本当はよくわかんないですねwwwwww社会科学って単なる人間が決めた思い込みではないですけどねwwwww
こちらもさすがに呆れました、あんなにいろいろ書いたのに、小学生レベルの理科と道徳の話しか読み取ってなかったんですよね
さすがに読解力低すぎなので面倒になりました、匙投げます
大学生向けの説明をしてしまってると思うので、小学生相手ならあなたの言う通りでいいと思います
なんで正しいのか、何が正しいのかは、ご自身で判断するのは難しいと思うので、大人の方や識者の方の言うことをよく聞くのが無難かもですね
科学的事実と社会学的通説は異なると言いたいんでしょうかね、本質的には「便宜上こうであるという取り決め」「科学的妥当性」「社会的妥当性」です
この一文から、正しさとは「便宜上こうであるという取り決め」「科学的妥当性」「社会的妥当性」のいずれかを満たすものである、と定義されたと読み取らせてもらう。
まず全般的に、あなたの言う正しさは私の言う正しさより狭義であり、私の言う科学があなたの言う科学よりも狭義であることは同意を得られるだろうか?
そこで定義の狭さを争っていても仕方がないとは思うけれども、そちらが科学的正しさは思い込むことではないと言う主張をされているので、あなたが主張する科学的正しさであるところの「便宜上こうであると言う取り決め」「社会的妥当性」と「科学的妥当性」のうち、科学的妥当性の方は自然現象から導き出されるものなので思い込まなくても正しさが担保されているが、「便宜上こうであると言う取り決め」「社会的妥当性」は人間の意識から導き出されるものなので、それが正しいと思うことに一定のコンセンサスが得られないとその正当性が担保されない正しさであると指摘している。
なので、あなたの理解の尺度に合わせて言うと、科学的事実と社会的通説は異なる。これに尽きる。
でも正直、水が凍る温度を摂氏0度と定義すると言うことを水を0度で凍ると定義すると言い換えてしまう人に科学的事実が何なのかをを分かってもらえる気がしない。
また、暗黙知や経験知にはアップデートが必要だと言う話と、あなたがそうしたアップデートを怠った人々のことを「動物園」と呼んでしまっためちゃくちゃ失礼な感性の間には論理的な繋がりはなにもないよ。
さらに言わせてもらうと、このツリーの流れは私の主張に対してあなたが疑問を投げかけてきたので私が答えているという流れだと思っていたよ。私の質問はあなたの疑問に答えるために必要な質問でしかないのに、
風邪の原因がウイルスに感染したことであるのは仮定でもなく社会に必要とされる便宜的な定義でもなく科学的検証に基づく観察の結果だよ。
あなたがここで挙げた例は全てが「取り決め」ではないことをまずご理解されたい。
そして、私が言う思い込めてしまう正しさは「取り決め」の方だ。ただ、科学的整合性、妥当性は思い込みの正しさではないものの、やはりその正しさに依存することは十二分にあり得るが、それはハイコンテキストなのであなたが理解している「正しさとは取り決めである」という定義に基づいて話そう。
あなたが例に挙げた
風邪ひいた人間におかしな治療をしたらその確率の壁を超える選択をした合理的な理由を求めるでしょう
風邪をひいた人に何の意味もなくいきなり高血圧の薬を無根拠に投与したら下手すると死ぬよ
と言う4つのうち、社会的な取り決めに違反していると言えるのは傘の例だけだ。なので、この例を題材にして自分が正しいと思い込むことがどのようなことか説明したいと思う。
この例からは傘を盗んだ人を特に意味もなく死刑にするのは正しくないとあなたが考えていることが窺える。
では、傘を盗んだ人は正しいだろうか?
社会的な取り決めからすると、人のものを盗むのは正しくないとされている。
これは2000年も昔から問われていることがわかる問いだ。有名な「罪のない者だけが石を投げよ」だ。
ここで迷いなく石を投げられてしまうメンタリティを、私は「自分を正しいと思い込む」と呼んでいる。
つまり、私が批判する「正しさを盾にした他責思考」というのは、奇しくもあなたが例に挙げた傘を盗んだ人を特に意味もなく死刑にする社会を招くものでもあるのだ。
『新世紀ヱヴァンゲリヲン・序』では、旧作より遥かに強力になった使徒が登場するが、最期に彼は敵と刺し違えようとするかのように芦の湖湖畔の二子山と思われる山の半分を融解させた。今回はこの暴挙にどれだけのエネルギーを消費するかを概算する。
まずは地図を引っ張り出し、二子山の体積を計算する。今回は等高線ごとに面積を調べて積分するという方法ではなく、円錐と仮定して近似する。標高は上二子山とした場合1091m、麓はおおよそ800mである。裾野の半径は600mとして計算すると、
1/3×6002×π×(1091-800)[m3]
となる。以下これをVと置く。(有効数字については後で)
次に山の質量を求める。これは岩石の主成分である二酸化珪素で代用する。すなわち2200kg/m3である。
今度は溶かすために必要な熱をもとめる。これには1gの物体を1K(この場合摂氏でも構わない)温めるために必要な熱量である。それは二酸化珪素の場合1.0×103J/(g・K)である。また岩石の融解温度は溶岩の最も低い温度摂氏700度とする。簡便化のために気温は0度とする。
以上より、求める熱量は、
なんだペタジュールって……。
実感を得るためにあげると、現在の日本国の総発電量は一兆kWh。一秒当たり1.0×1015Jであり、ラミエルがそれだけのエネルギーを一秒で放出したとすれば八十四倍のエネルギーと勝負することになる。もし零号機が旧世紀版と同じく17秒耐えたとすれば、SSTOの底では勝負になるまい。
・衝突後3秒で燃え広がった炎
搭乗者が脱出できなかったのは車両が衝突するやいなや火がついたためと推定される。 警察のCCTV分析結果、事故の電気自動車は衝突後約3秒で車両全体に火が広がった。消防当局と専門家たちは電気自動車のバッテリー温度があっという間に高温に跳ね上がり、火が手のほどこしようもなく大きくなる現象、いわゆる“バッテリー熱暴走”が事故車両で起きたと推定する。バッテリーが外部衝撃を受けて損傷するとバッテリーパック内部温度が摂氏30~40度から800度に跳ね上がる現象だ。
・完全鎮火に7時間かかった
今回の釜山電気自動車火災は翌日午前6時を過ぎてようやく鎮火した。鎮火になんと7時間以上かかり、深夜12時を過ぎてからは消し終わったと思った火が再びついた。このように電気自動車の火災鎮火が難しいのはバッテリーが鉄製で覆われていて消化剤が浸透できないためだ。
自動車業界は時速60km前後の衝突にはバッテリーが安全だと言うが今回の事故でも分かるように100%安全だと断言することはできないと専門家たちは話す。イ・ホグン大徳大教授は「開発中である全固体バッテリーは熱暴走から安全だが実際に量産までは最低でも数年かかる」としながら「現在の電気自動車は安全運転だけが火災から自身を守る道」と話した。
う~~~~~~~~~~~~ん🍰
やはりガソリン車のエンジンを使いまわせる水素カーが本命か🚙💦
被害者に合掌(。-人-。)
この3点はヤバさのハッピーセットなんやが、未だにknoa氏を有難がろうとしてる連中は、それが分からんのやろなーって思ったわ。
こんなもんをそこそこの理系大学で卒業研究として出そうとしても、担当教授に卒業可能な研究成果として認められない程ハチャメチャなんや。
これは何度も指摘されてる訳やが、予測モデルが存在しなければ誰にも再検証できないし、予測の尤もらしさが検証できない。例えばや、毎日我々が参考にする天気予報にも、当然やが予測に用いた数理モデルが存在する訳や。
それを元にスパコンで計算して過去の例と付き合わせ、予測精度や誤差まで検証したうえで、「こんな感じの精度のモデルをつこうてるから、参考にすべきところは参考にしてな」って予報を日々公開してるんやな。
可笑しいと思った誰かが、それに対して検証し、反論を加えられるだけの材料が揃っているからこそ、広く受け入れられている訳やね!
これは、ほんまにヤバいよ!
例えばやヤードで計測した時速と、メートルで計測した時速を、単位系の変換なしで、数値のみで比較してたらどう思うよ?ガイジやろ、そんなものは?
毎週のように計算方法を変えてるという事はや、本来は以前の計算結果と単純に比較する事は絶対に許されないレベルのアホのやる事な訳やね。仮にも数字を扱ったことがある人間なら、まずやらんことや。
もしも計算方法を変える場合は、変えた前と後でどの程度の違いが生まれるのか等、採用した手法の尤もらしさを計測しなければならん。それぞれの計算方法の間の変換式の妥当さも証明せねばならない。モデルの尤度を証明するのはメンドクサイのや。
例えばやで、毎日参考にしている天気予報が毎週のように予測モデルを変えているのに、昨年の今の時期の予想はこうでした比較すると・・・とか言われても、鼻で笑うやろ。
もっと簡単に例えるとや、先週までは華氏で温度だしていたのに、今週は摂氏で温度を出していて、共に何度ですと同じ単位であるかのように比較されるのとまったく同じことなんやね。意味なしやね。
これがトドメやね!w
円周率が3.1か、3.14かでは大きな違いがあるけど、それを勘で出しましたって言われたら、どうですかね?あかんやろ、そんなもんはwその計算結果を信頼しますか?無理やね。
普通は何らかの方法で計算をして出すのや。人力で目で見て適当に推定するって事はどういうことか?本来は客観的であるべき予測に、主観が入るという事や。
天気予報で例えればや、シミュレーションもしないで、雲を見て明日は雨って言ってるのと同じやね。漁師の勘みたいな再検証不可能な俗人的な経験測からくる天気予報は、占いと同じで
それはそれで本人やもの好きに珍重されていい物ではあるが、客観的に使える予測とは言わん訳やね。
以上を踏まえない限りは、何の価値もありません。あんたの来歴なんて、わいがどうでもいいが、予測の信頼性が全く客観的に示されてない以上は、予測した本人の信頼性の無さが問題になるのも避けられんわなあ。
結局はや、この程度のものに踊らされてる時点で、数字を扱う上での常識とか客観性が備わっていなくて主観で物事を見ているということなんやな。
これは一事が万事にあてはまる欠点で、あらゆる場面でおかしなブコメが目立つし後から振り返れば間違っていたという現状の温床でもある訳や。
完成してないワクチンを買うとかwwwって笑ってたブクマカも、いまやワクチン頼みやろ。感染症対策で決定打は集団免疫の獲得で感染しまくる訳にはいかん以上は、ワクチンしかあらへんで!ってのは常識や。
その場の空気や感情やなしに、何が正しいのか?と客観的な指標を持てない、はてな民の病気の現れなんかもしれへんね
なんやら、ブコメを見たら、増田でやってる遊びにごちゃごちゃ言うな。分かってるわ!的なコメントが散見されるけどや
関係各所の専門家にメールをすると言ってみたり、いっぱしの専門家を気取り始めた時点で、バカがやってる遊びでは済まされんものになったんやね。
専門家に専門的に意見をするのであれば同じクオリティで数字を扱えないとダメだし、おまけに無知な人間からお布施まで貰うようになっては、新興宗教と変わらん。
御上に批判的な(連中が集まってくる誘蛾灯な)新興宗教と言うと、どうしてもオウムを思い出すし、増田を遊び場としてるワイ君としては、もはや看過できんちゅうことやね。
筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニは露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。
ところで前回の競泳水着の記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?
1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代のカリフォルニア起源説、1915年のハワイ説がある。
プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルスで競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性の水着は、まだおとなしいものだ。
その後、この競技にはセクシーなイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体の解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部として、ビーチバレーがマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である。
その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーがオリンピックの正式な競技になったのは、1996年のアトランタ以来である。意外と遅い。
さて、英語版のウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟が1999年にユニフォームを標準化したとき、女性の衣装は2ピースのビキニであることが求められた。一方の男性の水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである。
しかも、次の記事によれば、2012年以前は幅7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうである。いくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正。2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグで露出度は高い。僕はセクシーなものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。
https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms
上の記事にあるように、幸いなことに、この規定は2012年に改訂された。これには、文化的・宗教的な理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性も男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーにセクシーなイメージがついてしまったのか、日本のショーツ型ブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰な姿勢があったのか、そこはわからない。
https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8
この記事の冒頭では「女子のビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。
しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうである。ウィキペディア英語版によれば「2004年の夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。
確かに、性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的に選手の勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。
美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したときに選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。
Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。
「ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」
「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまいます。けれども、私はスポーツをするときと身体を動かしているときだけは、私たちの精神に対して肯定的になれるのです」
(訳がこなれていなくて失礼)
スポーツのみならず、舞踏・広告などの表現における見せパンやブルマーについて、引き続き調査したい。
悩んでる体が焼ききれそうなほど熱すぎて(摂氏6,000度)
指先は凍傷寸前なほど冷たい
"どうしたはやく言ってしまえ"
あたしもどんどん年老いまくって
そう 今が何よりもメチャクチャとんでもなく大切で
とんでもなく背の高い(全長5,000m)
胸焼けするほど甘い匂いに誘われた
あたしはヘラクレスオオカブトムシ
生涯未来永劫忘れることはないでしょう
生涯未来永劫忘れることはないでしょう
鼻先をくすぐりまくる春
リンと立ちまくっているのは空が異常なほど青すぎる夏
そう 気が付けば真横を通りすぎて一切気づかない冬
鬱になってすぐ飛び降りるほど強い悲しいこと全部
心に800,000年ほど残ってしまうとしたら
そう 幸せに思えるだろう
500億秒間息を止めて見つめる先にはスカイツリーを超える長さのまつげが揺れてまくってる
耳及び全神経を傾け
マントル海溝のごとく深い安らぎ酔いしれるあたしはヘラクレスオオカブトムシ
生涯未来永劫忘れることはないでしょう
生涯未来永劫忘れることはないでしょう