はてなキーワード: 性善説とは
コロナ禍で緩んだ体ををなんとかするためエクササイズ施設の体験レッスンに行ってきた。
世の中は性善説で回っているが、西成では求めていない。そう感じた話をする。
当日、受付で健康的で笑顔の美女が出迎えてくれる。体験内容の説明も分かりやすい。
素早くウェアのサイズを確認され、早い時間に来たからか人がいない更衣室へ案内される。
着替えたあとの待合でも、インストラクターや受付が放置しないように声かけしてくれて
「初めてでも何回か通っているうちにできるようになりますよ」
プログラムの準備でもサポートしてくれ、仕事といえど丁寧な振る舞いだった。
効果がありそうなのにほくほくしながら、入会の勧誘をしてくるインストラクターに他と比較検討をしていることを正直に伝える。
即決しない客の対応に慣れているのか、さらっと「当日入会なら入会金が無料なんですけどね」とだけ伝えてきて過激な勧誘もない。
アンケート記入を依頼されたので素直に回答して、シャワーのために更衣室に向かった。
体調の優れない時だけ外していい。そうインストラクターも案内していた。
そのウレタンマスクはシャワールームで石鹸をつけて洗ったんですかね?
ウイルスや雑菌が飛ぶことはない?
ほほー、それで乾かしているとなるほどなるほど。
意味はないが、呼吸を止めてマスクを乾かしている後ろを通った。
そう思いながらシャワーを浴びる。
しかもシャンプーやアメニティ有りと書いてある割に、その辺のゴルフ場の方がマシなくらいのしょぼさ。
大満足のアメニティと謳ってるわけじゃないから、こういうところから予算が削られるのかと考えていた。
ドライヤーで髪を乾かしているとき、ふと気づいた。自分以外の髪を乾かしている人、マスク、してない。
嫌な予感がして更衣室内を見回す。
2m先まで飛ぶこと知らない?
両隣と1mも離れていない中、はよ乾けと念じながら髪を乾かす。
さて、身支度を整えて帰るかという段階でそれは起きた。
ある会員が番号を入れてもロッカーが開かなくなったといい、受付にマスターキーを使わせていた。
それを見た瞬間、
を思い出した。
それはさぞ困っているだろうと親切心でするアレだ。
この施設のロッカーは、4桁の暗証番号を利用者個人が設定するタイプの鍵である。
番号が分からなくなったり、合っているはずなのに開かなくなった時のためにマスターキーが存在する。
「開かなくなりました、開けてください」
と言っても、目の前の本人が鍵をかけたのか確認する術はない。
館内放送でもして、ロッカーの鍵をマスターキーで開ける連絡をしない限り。
たった今、ロッカーから取り出した荷物は、実は知らない誰かが触っていたのではないか。
そんな想像が頭の中をよぎる。
私はロッカーの中に家の鍵を含む貴重品を預けていた。
手元に置いておくべきだったと反省した。
暗闇の中で音楽を掛けながらするプログラムに、連絡がそぐわないのは分かる。
だからといって、この西成のような更衣室で性善説は無理がある。
寒気を感じるのだ。
ワクチン接種の大規模会場ニュースを見てこの国は本当に終わったなと実感した
国と地方自治体でどっちが責任を取れば効率的かを考えればいいだけなのに
お互いが責任を取りたくないからこういう中途半端なことが起きる
連携しようとするからコストがかかるんであって国がやるならやる、自治体がやるならやるで任せればいい
なので正直者が馬鹿を見る
防ぐ仕組みを考えればいいだけなのに「お願い」で終わらせる
単に後から調査して二重予約が判明したら取り消すとか言っておけばよくない?
実際には調査なんかしなくても十分に防げる
既に予約がパンクしまくってて事前に日時を決める方が効率的だといろんな自治体が実証してくれたにもかかわらず
日付決めて連絡すればいいだけだろうに 辞退する人は連絡しろ
とにかく早く接種率を上げることが必要とされているのに
仮にワクチンの効果が1年しかもたないとか判明したら日本が世界のお荷物になりますよ?
嬉々として「(名前を言いたくないまとめブログ)に紹介されました!」ってアピールするツイートを今年に入ってから少なくとも2回は見かけたんだけど、しかも、ちょっと信じて好意的に見てたアカウント。
失望しちゃったねえ。
某VTuber四天王も昔同じようなことをしたとき周囲に咎められ軽く炎上して削除したが、件のツイートは炎上も削除もしてない模様。取り巻きの質、ネットリテラシー、年代が違うのだろうか。
逆に言えばVTuber業界はある程度のネットリテラシーの高さがある人間が集まっていて自浄作用があるということなのか。
でも本人もリスナーもほぼ20代前半以下しかいないっぽい(というか自称15歳のリスナーも複数いる)VTuberをアラヒョーのワイが見ていると、無邪気にsi〇eji使ってたりするし、あっ(察し)としか言えなくなる。
若い世代に語り継ぐ機会が失われているのだろうか。インターネット老人会の有志で「ネットリテラシー教科書」みたいなのを作ってナウなヤングたちに読んでもらうことを推奨したりできないものだろうか。
「基本的にアングラである」という性悪説インターネットで育った老人にとっては、現代の性善説インターネット(?)で無邪気に過ごすナウなヤングたちは危なっかしくて仕方がない。
コロナが世界中で流行ってるけど、コロナって中国の味方にしか思えないときがある。
ひとりひとりの意見が尊重され民意に反映されるアメリカやイギリス、インドといった民主主義国家には色々な意見の人がいて、そのバラバラになった民意をまとめてコロナ対策に反映させるまでにはとても時間がかかってしまう。当然それだけロックダウンや防疫違反者への懲罰等の対応も後手後手にまわってしまう。
社会主義国家の中国にとっては右向け右の号令で国民をある程度コントロールできるというメリットがあるので、こういったパンデミックのときの対応速度が段違いだ。社会主義の中国は低ダメージで、中国の敵国であるアメリカは甚大なダメージ。中の悪いインドの現状なんて中国からしたらホクホク顔になってしまうだろうな。
最初は武漢の市場から出たらしいけど、陰謀論的にウィルス研究所から出たみたいな話もあるよね。本当はこっちじゃないの?って勘ぐっちゃうよ。そんでもってわざと流出させたんじゃないの?って。
だってコロナという存在はあまりにも中国に有利に働いている。おまけに生産性の低下する高齢者が中国国内でも増えてきているという問題も、このコロナがあれば効率よく若者をあまり死なせずに高齢者の多くを間引きできる可能性すら秘めている。
中国の意見を尊重する体制になっているWHOの調査も甘々で証拠隠滅するに充分な時間が経ってからだったし、これが計画的ウィルスの散布だったとしたら大問題だ。第三次世界大戦にも繋がるだろう。
眉唾系のあやしい話に聞こえるかもだけど、ウイグル弾圧やら領海侵犯やら人工の島つくったり外国の技術をハッキングで盗みまくったりしてる中国の現実を見ると、そういう性善説が通用しない手段を平気で取りかねない国に思えて怖い。香港、台湾もほぼ完全に支配下に置かれちゃったしね。
一帯一路構想も最終的に支配下に置いた属国or植民地になりそうな気さえするよ。
そして世界中あらゆる国にお金をばら撒いて支援しているという強みもあって、なかなか強く批難できない国たちは中国の暴走を止められるのはなかなか難しいだろうし、今後もそういった国は増えていきそう。
あとは、単純に成熟しきったアメリカを代表する西洋諸国は、中国の下からの突き上げに守りに入る甘っちょろい対応しかできないのに比べて、現在GDPも伸びまくって経済順調、軍事予算もガンガン上げてるイケイケの中国からしたら「攻め側」にいるので弱気にならないわ、大胆なこともしてくるわ、それ道徳的にどうなの?って手段も平気で使ってくる。これ、こんなの相手にしてたらもう負けちゃうでしょ。
2030年代前半にはアメリカに追いつかれる予測が出てるけど、コロナの大ダメージを受けて余裕のない先進国や民主主義国家は、中国と調整をしたりイニシアチブを取るような戦略をうつ余裕もなかなか生み出せないまま年月が経ちそうな気がしてる。
その間に、がっつり国民コントロールしてコロナを最低限の被害におさめ、他国が疲弊している間にどんどん覇道を進むための時間敵猶予を生み出せる中国って、そう遠くない未来にアメリカを抜いて世界中をめちゃくちゃなディストピアに変えそうな気がするんだよな。そして中国を支配している漢民族以外の人間は漫画「狂四郎2030」みたいな世界で隔離されて奴隷や家畜のように管理されてそう。
さらに中国には反日感情もあるわ、アメリカさんの子分ということで日本が支配されちゃったらウイグル人よりも酷い目に合いそう。
強制収容所を再教育施設と名乗り、縦横1mしかない箱に水も食料もなしで二日間も閉じ込めたりする連中だ。一体どんな目に合わされるのか想像するだけで恐ろしいよ。
もし戦争なり経済戦争なりでアメリカが弱体化したとしたら、日本なんてアメリカが防御態勢を取る時間稼ぎ的に使われたあげく簡単に切られそう。アメリカ人からしたら中国人と日本人、韓国人の区別なんてつかないだろうから、民意としても「使えるとこだけ使って、すぐ切っちゃえ」という世論になっていきそうな気さえするよ。
私は別に中国人が嫌いというわけではない。むしろ優秀な人がとても多いと思うし、個人の人間同士でいうと話し合えばわかることも仲良くすることも可能だと思う。ただ、今の世界情勢を見て、国という単位の意思で考えたときに、中国によって近い将来、我々や我々の子どもたちがとても悲しい目にあうんじゃないかという不安がずっと頭の片隅にある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
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「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。
なんか人を良いモノとし過ぎている気がする
エリートの差別を批判したら、その先に反知性主義というか学問は格差を助長するものだ!とかエリート狩りが始まってもおかしくないよ
だってみんな同じ教育を受けられるようになったとしても、能力差は絶対あるし上と下はできる
そんな中で、上と下の差を縮めようなんて上は認めるのかな
こんなこと言うのあれだけど、俺、頑張ってないよ?
能力による格差を埋めるには、みんな頑張ってる社会じゃないと納得は得られないんじゃない?
それでも上下の差を縮めてくれるっていうならウェルカムだけど、上の人いいの?
正直サンデルの思い描いていることをまとめると人類補完計画しかないじゃんってなりそうなんだけど
低能はそんな綺麗で真面目なモノじゃない、スキあらば引き摺り下ろすよ?
低能は頑張らないよ?
そして有能もそんな奉公してくれないよ?
一昨日白金の近くに越してきた。
以前は酔っ払いがふらついてたり、大学生が騒ぐような街住んでたので、そのリバウンドもあって少し背伸びしたかったのもあるかもしれない。
やっとこさ見つけたスーパーに昨日でかけたのだが、やはりこの一帯の住民がみんなここに押し寄せて来てるのだろう、レジ前の陳列棚は、レジから伸びる列のせいもあり、その列の商品が欲しければ、半身で品定めしなきゃいかんまである。
オレはその日は買い出しではなく、スーパーの下見程度だったので、適当な惣菜2個をカゴに入れて、列に並んだのだが、やはり普段遣い勢はカゴなんかもうパンパンである。
これは列がはけるのには暫く時間がかかりそうだ。
大概の街では、これほど並ぶと、少しはソワソワする人が列にいる。前を背伸びして急げオーラを出したり、小さなペンギン歩きなどをして、後続の人に気休め程度の進んでる感を与えたり(まぁ実際は進んでいないのだが)。
俺が以前住んでいた街は、このような混雑で舌打ちしたり、貧乏ゆすりをしたり、割り込んで「袋頂戴」などと列に凸する輩が多かったので、惣菜2個程度で並ぶのは、以前の街であれば申し訳ないなどと思ったりしていた。
誰も急かさず、誰も急がず、悠々自適とはこのことを言うのだと思う。
雰囲気でいえばそう、事前抽選で当選した人たちだけが、チケットを受け取りに来ているあの雰囲気だ。先着でチケット配布されるときの待機列のピリピリ感、あれが微塵もない。
で、結局話したいのはここからなんだけど、列もはけてきたあたりで、
店員「全部ですか?」
貴「はい、全部です」
店員「ほんとうに?ぜんぶ?」
などという会話を始めた。
ちなみにこの時点でおれが並んだときより混雑している。ここで「全部ですか?」などと聞き返せる店員も店員だが。
貴「はい、全部」
店員「全部で19ポイントですが、14ポイント使えばお釣りピッタリ出ますよ」(数字は確かこんな感じだったと思う)
貴「...じゃあそれでお願いします(^o^)」
オレはこの時点で店員の育ちの良さに気付いた。こんなに並んでる状況で、一つの丁寧な対応が、後続のお客の気を触れるなど、思いつかないのだ。
今まで感情で何かをぶつけられたり、理不尽な人に出会わず生きてきたからこそ、性善説が今の今まで壊されてこなかったのだろう。スーパーの店員なんて、電車に乗って来てまでするパートでもない。恐らく付近に踏んでる貴族が、暇つぶしとしてパートをしているに違いない。
ここまで一瞬で連想できてしまい、白金、なんていい街に住んだんだおれは、、、と思った。
しかし次の瞬間、この思いは塗り替えられることになる。
「ピッ、ガーーー」
貴「ありがとう(^o^)」
店員「またお越し下さいませ、次の方〜」
貴婦人はクレジットカードの支払いであるから、本来おつりの端数などどうでもいいのだ。そして、19円という少ない金額なのならば、そのカードから乗り換えるとか、近くに別のスーパーができるとか、そんな理由じゃないと使い切らないだろうから、貴婦人には使い切りたいそれ相応の理由があったに違いない。
にもかかわらず、クレジットカードの支払いで「お釣りピッタリにしませんか?」という店員の誘いに笑顔で「ありがとう(^o^)」と言えるなんて。
なんて気立てのいいことか。
その日買った惣菜は、少しばかり美味しく感じた。