はてなキーワード: 協調とは
まず「お気持ち表明文」というのは「数値的な議論や論理的な議論展開を期待しているにもかかわらず、求めていない意見や感想を述べてしまうレポートや論文」という意味で良い?
そういう意味なら、適切な(?) 国語教育のおかげなんじゃないかと思う。
例えば最近の新卒とか大学生が小学校低学年だった時の学習指導要領である平成20年の「国語科の教科の目標」は下記の通り記載がある。
国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。
これだけ見ると立派なんだけど、日本の国語は道徳教育という絶対に外せない存在があって、学習指導要領の一番下にこんなことが書いてあるんだよね。
道徳との関連についての事項
国語による表現力と理解力を育成するとともに,人間と人間との関係の中で,互い
の立場や考えを尊重しながら言葉で伝え合う力を高めることは,学校の教育活動全体
で道徳教育を進めていく上で,基盤となるものである。また,思考力や想像力及び言
語感覚を養うことは,道徳的心情や道徳的判断力を養う基本になる。さらに,国語を
尊重する態度を育てることは,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国
なお,3(2)には,教材選定の観点として,道徳性の育成に資する項目を国語科の
特質に応じて示している。
そして3(2) で説明される望ましい教材の観点っていうのは下記。
ア 国語に対する関心を高め,国語を尊重する態度を育てるのに役立つこと。
イ 伝え合う力,思考力や想像力及び言語感覚を養うのに役立つこと。
ウ 公正かつ適切に判断する能力や態度を育てるのに役立つこと。
エ 科学的,論理的な見方や考え方をする態度を育て,視野を広げるのに役立
つこと。
オ 生活を明るくし,強く正しく生きる意志を育てるのに役立つこと。
キ 自然を愛し,美しいものに感動する心を育てるのに役立つこと。
ク 我が国の伝統と文化に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと。
ケ 日本人としての自覚をもって国を愛し,国家,社会の発展を願う態度を育
てるのに役立つこと。
一般的な生徒がこの学習目標を達成したかはさておき、この教材選定軸から選ばれたものは必然的に道徳の教材みたいになるんだよね。
そんでもって日本における「道徳」といえば儒教で、そして儒教的な考えってのは「年長者の考えが常に正しく、それに対して同意する」という日本人そのものみたいな考えじゃん?
変な話かもしれないけど、日本において国語教育において自由な議論とか自由な感想とかっていうのは存在しない。だって先生が常に正しいし、先生が気に入る提出物が評価されるし。学校教育において生徒の生殺与奪の権利を与えられてるのは担任教師でしょ?
お気持ち表明文はロジカルじゃないという言い方だけど、この学習指導要領の下なら、お気持ち表明文は十分ロジカルじゃない? だってそれ以外の答えは絶対に正解にならないように教材が選定されるんだから、理論的な正しさを議論するよりもさっさと媚びへつらう方が点数が高いに決まってる。おまけに中学とかは内申点がついてまわってくるから、もっと媚びへつらった答えを書く圧力がついてまわる。
テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレがゴミだと害悪でしかない。正直、小学校の先生にロジカルな文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。
個人的に教師に教える能力が無いと疑ってるのは同意だけど、仮にロジカルな文書作成方法を教えたとして、生徒がロジカルな答えを書いてくるかは疑わしい。ディベートだってなんだって、年長者が知っていて、かつ正しい答えがない限り日本の授業では議論の対象にならなさそうだから。
それにディベートやロジカルなトピックを学習要領に入れたところで即座に「ロジカルで教師の受けがいい答案例」と銘打った教材が出回るのがオチじゃないかな。生徒はそれを読んで回答を書き、教師もそれを読んで回答を採点するみたいな…
発達障害者は基本的に鈍臭く、段取りが組めないため、集団内で不和を生み、嫌われ者として排除されることがほとんどである。
大抵の場合、発達障害者自身の管理能力や他者への想像力が無く、コミュニケーションパターンも稚拙であるため、社会生活で問題を抱えることになる[1]。また、特定の物事については特段に(社会的に容認し難いほど)拘りが強い場合があり、客観的には能力の偏りとも捉えられる[2]。
例外的に、自身の特性を活かして成功を収めている(ADHD特有の幅広い行動を活かして起業家になるなど)発達障害者も居るが、一般的な発達障害者の末路は暗い。理由としては、軽度発達障害者は親を始め周りからも一般的な発達障害者よりも遥かに理解されないまたは理解されにくく、軽度だからと普通を求められたり、中途半端に健常者扱いされることや、他の発達障害者でも協調性に欠けていることが多く、社会的孤立について高いリスクを負っているためである。通常、発達障害者は文脈の理解が苦手で、悪気なく自己中心的な行動を行うため、周囲との協調が取れず社会生活に困難を来たすことが多い。あるいは、周囲に対して挑戦的な態度を取り、信頼関係を破壊してしまう。また、会話も単発の受け答えで終わることが多く、雑談を継続できないため、仕事以外での人間関係の維持も困難である。周囲からの指摘を繰り返し受けても、発達障害者は何が問題であるか理解できず、行動を改善しないため、周囲は発達障害者に対する評価を大幅に下げ、徐々に関わりを持たなくなって行く。周囲との協調が行えないことから、発達障害者は学生時代のうちに誰からも嫌われて不登校になるか、そうでなくても、社会人になった途端に認識の漏れや誤った解釈が多いという点で問題社員として扱われ始め、一切の信用を失った上で左遷や解雇などで職場を追われることが多い。
しかし、発達障害者は(軽度発達障害の親も)自身や我が子の障害を認めない傾向が強く、障害の事実を隠蔽したり、転職を余儀なく行う場合でも似たような職業を選択する傾向にあるほか、親が子供は発達障害ではないと否定したことで周りを振り回すことも増えている。また、周囲に発達障害の事実を伝えたとしても「普通にあること」や「甘え」として処理されたり、社会生活において何度も挫折することで引きこもりに至ることもあるほか、無理解親や学校・社会などの精神的負担及びストレスで二次障害を抱える人もかなり多くなっている。特に軽度発達の人はより無理解や精神的負担が大きいために二次障害を起こしやすい。
大まかな職業適性として、情報システム開発などのモノ作りの技術には非常に優れる場合が多い(ただし、コーディングのような下流工程のみ)が、関係者を纏めて牽引するリーダーには不適であり、管理職試験にも合格しないことが多いと報告されている。従って、勤続年数が増えても出世や結婚で同期に遅れを取り、収入の増え幅も少なく、生活水準も中々上がらない[50]。
1.^ a b c d e f g h i j k l m n o p “Facts About Developmental Disabilities”. アメリカ疾病予防管理センター. 2015年6月1日閲覧。
50.^ “発達障害を隠して入社し「本人も周囲も煩悶」の悲劇”. ダイヤモンド・オンライン. 2019年11月23日閲覧。
畑は違えどイベントの仕事をやっていた事があるだけに、埼玉県のグラビア撮影会の騒動はあまり他人事に思えなかった。
そこそこの規模のイベントが、土壇場で中止。
これが会場側の一方的な都合であれば損害賠償も可能であろうが、あくまでも「会場側の都合だが先に問題を起こしたイベント開催側に原因がある」
というスタンス(に見える)ので、会場側も全力で責任転嫁するだろうし仮に損害賠償請求しても全額は認められないだろう。
こういう場合、大抵は泣き寝入りである。相手が一民間ではなく公営(に近い)というのも大きい。
主催する側もそうだし、イベントに関わるスタッフ、飲食店の損害は計り知れない。
表舞台に立つ出演者の裏には、何十倍もの名も無き関係者がいるのだ。
会社員ならまだしも、大半はフリーランス(自営業)。損害は全て自分ら持ちで泣き寝入り。
主催側も損害を被ってるので気持ちはともかく無いものは出せないのでどうしようも無い。
例の共産党関係者と支持者以外、本当に誰も得していない事件だと思った。
自分は別にグラビアアイドルなる連中に対し好感を抱いている訳では無い。寧ろ忌避感情がある。
人間にステータスがあるとすれば、彼女らは外見にかなりの割合を振っている人達である。
「無能な美人」が一般企業や職場に潜り込んで来た時の事を想像して欲しい。
ポンコツぶりに頭を抱え、注意しても、注意した方が「美人に嫉妬してるw」などと男達には小馬鹿にされ
ポンコツ美人の方が庇われ、こちらが悪者にされる。女同士でも似たような事が起こる。
「外見が良い」というのは男だけでなく女からの好感にも繋がるからだ。
どんなに迷惑をかけられ相手に非があったとしても、「美人に嫉妬する非美人」の構図に見られがち問題。
外見だけの無能な美人は、是非とも外見が物を言う世界に居続けて欲しいのが本音だ。
性を売り物に「出来る」様な人達が、一般の社会に来られる方が困るのだ。
グラビアだのアイドルだの、興味も無いし触れたく無い界隈だが、そういう界隈が無いと困る人間も一定数いるのだ。
それが所謂グラビアアイドルであったり、「美人に嫉妬する非美人」にさせられる一般人なのろう。
どう見ても中年の、若い頃も決して美人サイドにはいなかったであろう人達。
本人達がいくら否定しようが、どう見たって構図は「若く綺麗な美人達に嫉妬して仕事を潰した中年ババア共」である。
共産ガールズ(中年)達は、本気で、嘘偽り無く、嫉妬の気持ちは無かったのかもしれない(寧ろその可能性は普通に高い)。
政治思想に基づき、撮影会が女性性を商売にする悪徳な行為だと、未成年も参加するかもしれない事を本気で危惧し、
嘆いて、イベントの中止に熱意を捧げたのかもしれない。
だとしても、構図としては「美人達の仕事を潰した中年ババア共」である事に変わりは無い。
「嫉妬して」という一文が抜けた所で、事実と結果は変わらないからである。
仮に通行人を鉄パイプで殴った人間がいたとして、何となく気が向いたから殴ったのか、
マスクをしている馬鹿さ加減を分からせてやろうと思い仕方なく鉄パイプで殴打したのか、
動機は違えど「人間を鉄パイプで襲撃した」という事実に変わりは無いので、情状酌量の余地が多少あるのか無いのか、という違いしか無い。
そして今回の場合は、既に被害がアイドル連中以外の多数に渡って発生している為、情状酌量などしている余裕は皆無である。
イベントの仕事の経験があるから思うのかもしれないが、ビジュアルイメージというのは本人・第三者が思っているより重要である。
例えば某Kutoo運動が失敗に終わったのは、「前を向いて腕を組み勇ましく睨みつける女性とハイヒールを履かされ後ろ向きで俯いている」
という、男性との協調では無く対立姿勢を強調してしまったせいで、いつものフェミニズム運動の域を超える事が出来なかった、というのも原因の一つだろう。
逆に某暇空の運動がある程度成功しているのは、「美少女探偵とそれに振り回される美少女助手」という二次元美少女エッセンスを表看板にした事により、
やっている事の過激さ・エグさをある程度緩和しつつライトオタク層を取り込む事にある程度成功したからであると私は考えている。
ビジュアルイメージという観点からすれば、「美人グラビアアイドルの仕事を台無しにした中年女性が笑顔でファイティングポーズをキメている」という、
本人達の意図とは全く関係無く「美人を叩きのめして勝ち誇る中年女性達」というネガティブなスティグマを植え付ける事に見事成功している。
恐らく共産ガールズ(中年)達はそういう意図として受け止められるとは思ってもいなかっただろうし、心外だろう。
けれども完全にビジュアルイメージの展開に失敗してしまった以上、誤解されるのは仕方ない。素直に反省すべきだ。
「ブスが美人や美少女アニメに嫉妬して潰す」「ブスは美人を妬んでいる」なんてのは、男共の差別的な偏見である。
実際には美人だろうが何だろうが「嫌い」「気に食わない」「ムカつく」から叩いているケースが殆どだ。そこに嫉妬は無い。
しかし嫉妬している「様に見える」構図というのも確かにある。今回の共産ガールズ達などはまさにそのものだった。
何故もっとまともな人達を表に出さなかったのか。共産ギャルズ(20代後半~30代)は…正直厳しい。
少しは顔のマシな共産マン達が前に出て「性の商品化に反対します!」とでもやっていれば、まだ多少はマシだったと思う。
けれど事実として、「美人に嫉妬し妨害する不美人達」「女の敵は女」という構図が出来てしまったのだ。
「女の敵は女」などという、男達にとって非常に都合の良い言説を、何故体現してしまったのか。
何故女自身が男達の偏見を助長する様な愚図を自ら描いてしまったのか。
それが非常に解せないし、許し難い。
以前このような増田を書いた。
この増田は、中国がウクライナに対して領土放棄型の停戦を提案したという記事に対して「日本のリベラルが呼応している」「屏風から出せ」というコメントがあったので、同じような主張をしている日本人を挙げたものだが、中国が提案する前の出来事だったので領土放棄型の停戦に賛同しているのではないという反論があった。
ウクライナに兵器を供与し続けることが正義なのか 「停戦」を呼びかけた意見広告から考える
中国が領土放棄型の停戦を提案したと産経新聞が報じたのが5月27日であり、東京新聞が意見広告の代表者にインタビューしたのが昨日あたりである(広告が載ったのが13日と16日だが、「2本の意見広告が掲載されて約20日たつが」と書かれている)。そしてインタビューされている伊勢崎賢治・東京外大名誉教授はこう発言している。
既に中国が停戦を提案している。これにインドはじめ中立の立場を取るグローバルサウスの国々も仲裁に加わることができないか。最も重要なのは米国が停戦にどのような立場を取るかだ。被爆国であり平和憲法をいただく日本には、米国を停戦の仲介者に巻き込む役割を演じてほしい。そうしたかつてない国際的な協調がないと、停戦のテーブルは作れない
伊勢崎名誉教授が中国の提案の内容を詳しく知らずに言っているとは考えづらい。よって、伊勢崎名誉教授は中国の領土放棄型の停戦に賛同していると言っていいのではないか。
ちなみに前回紹介した署名の発起人は31人だったが、新聞広告では32人になっている。東京新聞の記事では広告の細かい部分は読めないが、Twitterなどで細かい部分まで見れる画像を探したところ、歌手の加藤登紀子氏が声明発起人に加わっていた。
箸の持ち方、二十歳くらいの時一念発起して4年くらい格闘したけど直せなかった。
ネットで検索したり、図書館で本を借りて読んだ上で複数の友人や家族に見てもらったり見せてもらったりしたんだけど、どうしても中指に連動して薬指が動いて下の箸が落ちてしまうのを改善できなかった。
形までは整えられて軽いものなら操作できるんだけど、固い、重いものや複雑な動きになると薬指から箸が外れてしまう。
理学療法士が箸の持ち方を教えてくれる教室があればコーチを頼みたいくらいだ。
おそらく肘とか肩の動かし方からなんかズレててそうなるんやろなあ…
ネットでは協調運動障害なのではと言われることもあるが発達でも箸持ててる人は持ててるしな
基本的には関節の分離が出来ないところだからこそ小さい時にマスターしないと終わりという説も見たけど、そうなるとよく聞く大人にってからでも二週間でマスター出来る説とか外人でもすぐマスター出来る説と整合性がなくなるから、やり方次第ではまだうまくいくんじゃないかと思ってるんだけどね。
直そうと思えば簡単に強制できるというのが広く信じられているからこそ正しく持てていない大人はその時点で“頑なに直そうとしない人”認定されてしまうんだろうけど。
ボーイスカウトは地域の活動なので色んな学校の子供達がバラバラに集まって月1くらいでキャンプをしたりする。
なので普段は学校でどんなキャラなのかもお互いわからないまま共同作業や共同生活をする。
しかし所詮は同じ地域に暮らす同年代なので部活とか塾とかでの他校の生徒との交流で学校ではこういうやつなんだみたいな話は耳に入ってきたりする。
そしてここで仮にA君とするがボーイスカウトの同学年の一人が学校では小物臭溢れるタイプであるらしいことを聞く。
クラスの輪にはなかなか入れていないが先生がいるところでは杓子定規な意見を率先して述べてアピールしたがる。
誰が掃除をサボっていたとか学校の備品を乱暴に扱う遊びをしていたとかの告げ口をする。
学校ではそんな感じのやつだったらしい。
ボーイスカウトでの彼はどうだったかというとそういうことは特にしてなかった。
というかできなかったのだろう。
ボーイスカウトのキャンプ活動はわりとハードで肉体労働が山ほどある。
テントを設営したり薪を割ったりポリタンクでかわの水を汲んで運んだり大変なことは多いし要領の良いやつと悪いやつで差がつきやすい。
A君はそのような労働の場においては足を引っ張る側の人間ではあった。
なんなら苦手意識からなんとか手を抜こうというサボりへの意思も時たま顔を出していた。
サボろうとしている時はみんなで嗜めて労働に参加されつつもそれでA君を除け者にしようって雰囲気はなかった。
ボーイスカウトには「みんなで協調しろ助け合え出来ないならシバく」という風潮があったからだ。
当時はA君が学校では小物臭溢れててボーイスカウトの中ではそんな感じの少し面倒なやつでこういうやつもいるかなくらいだった。
学校と同じ感じで密告魔をやったとてボーイスカウトでは刺し返されるところが大きいのでおとなしくしてるのかなくらい。
それで先日の増田を読んで思い出したA君についてのエピソードがある。
あるキャンプのときにA君は軍手を忘れてきてしまっていたらしい。
みんなで割った薪を運ぶ作業をしている時にみんなが軍手をして薪を運んでいるなかA君だけが着ていたトレーナーの袖を強引に伸ばして手を保護して薪を運ぼうとしていた。
それを見つけたひとつ上の先輩がA君に予備の軍手を貸してやると声をかけた。
A君はあろうことかこの助け舟を拒否した。
先輩はなんでだと問う。薪はささくれ立ってたりもするので怪我をするかもしれない。当然の問いだ。
先輩はなんでだと問う。
借りたくない軍手しろの押し問答が始まりA君はまもなく泣き出してしまった。
A君は失くすかもしれないから借りたくないと泣きながら言う。
それでもA君は泣きながら借りたものを失くしたら嫌だから借りたくないと言う。
そこからまた押し問答が始まって先輩もひとつ先輩なだけで中学生なので怒ってしまってめちゃくちゃな空気になってしまったのは覚えている。
別に失くしたっていいよって言われてるのに頑なに拒否するA君は自分から見ても変だったし借りればいいのにと思いながら薪を運んでいた。
思い出して考えるのは別に正義感なんて立派なものはA君の中にはないのだろう。
ただ怒っていいとか怒られたくないとか自分は悪くないとかあいつが悪いとかそういうのが胸を張って言える時しかA君は動けなかったのだろう。
そうやって胸を張れる理由が揃ってない時はじっとしていたのかもしれないなと考える。
素手での作業は危ないから軍手貸すけど返してくれなくていいし失くしてもいいからという言葉を拒む理由がA君のなかにどういうふうにあったのかはわからないけどA君は今どうしてるんかなと思う。
短い会話の中で相手の意図を理解するには、当然だが、相手がどんな価値観を持っていて何を重視していてどんなことを考えているかを普段から知っておいて、相手が今持っている情報と置かれている状況から、今の状況なら何を目的とした話をしそうかを予測しておく必要がある。
目的を予測できなければ、わけもわからず一言一句の細部に反応して右往左往するしかない。
仕事のことに限れば目的の予測に使うパターンはかなり限られるが、今まで他人の人間の思考を顧みてこなかった人はそのパターンを持ち合わせていない。知識として無い。無いものは使いようがない。
だから、まず心理の動きを描いた小説、マンガ、ドラマ、映画、演劇、そういったものから他人の思考のパターンを学ぶ必要があると思う。できれば、視点が固定されたものよりは同じ場面を異なる登場人物の視点でそれぞれ描写するような作品がよいと思うけど。
他人の考えを予測しないのは発達障害にはよくあるので、ようやくその部分が追いついてきたということだと思う。
それは理解を得られたのではなく、相手がウンザリして協調を放棄しただけではないかな。これまでやってこられたなら結果オーライだが。
一方,ニュージーランドでは,アーダーン首相が,テロの目的の1つは悪名をとどろかせることにあるとして,容疑者の名前は口にしないと表明。政府は,容疑者がTwitterに投稿した犯行声明とみられる文書の所持や配布を禁止した。こうした動きを受けて,容疑者の実名報道も必要なとき以外は控える動きが広がりつつある。また,今後の公判に向けて,公共放送のRadio New Zealandが,容疑者の主張ではなく,法的な観点からの報道に重点を置く編集方針を打ち出し,他の報道機関にも協調姿勢を呼びかけるなどしており,テロの宣伝に加担することなく,報道の役割を果たすための対応が求められている。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/focus/f20190501_8.html