はてなキーワード: 交通とは
とりあえずこれを見てみよう
https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20161120-00064606/
高齢者が事故を起こせば免許返納!!と大騒ぎしている方は、高齢者と同様又はそれ以上に事故を起こす若者には免許返納!!と大騒ぎしないんですか?
まさか星の数程ある事故の中でマスコミが高齢者の事故をわざわざ取り上げてるってことに気づいてない程アホじゃないですよね?
あなたはデータに基づかない批判をしてるわけじゃないですよね?
免許返納を義務付けたら地方に住んでる老人はどうやって生活したらいいんです?
まさか生まれ育った場所から半強制的に移動させるのに金銭の負担までさせるなんてことはないですよね。
意固地になってる老人の説得は誰がするんですか?
以前旅したことのある国のガイド本を改めて読んでみたり、旅行番組で見たりすると、絶対に近くまで行ったはずなのに存在に気付かなかった素敵なお店とか、せっかくだから立ち寄った方が良かったんじゃないかと思う観光スポットを発見してしまい、悔しくなる。そこに行きそびれたからといってわざわざリベンジに出かけるのも何だなと思うし、まだまだ行ったことのない国が沢山あるので、コロナ禍が落ち着いたらそっちに行く方が先だろうとは思う。
私はそんなに語学が得意でないし、いろいろ交通手段を調べて手配するのもそれほど得意でない。国内でも交通の便が悪そうな行き先だと一人でツアーに参加してしまうぐらいである。当然海外旅行だと現地ガイド付きとか添乗員付きツアーに頼ってばかりいる。一度だけヘルシンキで自由旅行をしたことがあるが、かの地は路面電車電車が発達していてそれさえ研究すれば行き先にたどり着けたし、みんな私のブロークンイングリッシュに優しく対応してくれたので何とかなった。
初めて行く国で完全フリーは怖いので、一度行ったことのある国に自力でチャレンジしたいと思うのだが、上手く行けるのか心配で仕方ない。そもそも自由に海外に行ける日がいつなのかというのが最大の課題だが、日本国内でも美味しい店を探すのが下手だし、公共交通機関のあまりないところだと、迷子になったり、バス停で本当にバスが来るのか不安にさらされながら待つこともある。
一人で頻繁に海外に行く人が書いた本を読んでみても、自分が同じように行動できる気がしない。そういう人が語学の達人なのかというと案外そうでもないのだが、問題解決能力とか目的に向かって突き進む力が違うのではないかと思う。ツアーだと行き先や滞在時間が制限されるので、マイペースで歩きたいのだが、自力で旅するのが不安で仕方ない。
とりあえず国内旅行が解禁されたら国内で練習するしかなさそうだけど、言葉と治安の心配をしなくて良いところと、言葉も文化も違うところだとハードルの高さが違い過ぎる。海外旅行慣れしている人からするとちゃんちゃらおかしい話だろうけど、ヘタレなので駄目なのだ。
昨日、目の前で車同士の事故が起きた。
付近で作業をしていて、衝突音の後に断続して聞こえるスキール音に何事かと思い道路に出ると事故をした2車両が停止していた。
事故のあらましは以下の通り。
信号のない十字路で、細い道の一時停止線で止まっていた車両Aが、右から法定速度+20km/h程度で走行していた車両Bに気づかず停止線を超えた瞬間に車両Bの左側面に追突し、車両Bはバンパープッシュのような状態で反時計回りに反転し反対側の縁石と標識にぶつかり停止した。
車両Aは交差点内で停車していて、運転者は70才過ぎの老人で、パニックからかアクセルを踏んでいたものの、車両前方が潰れていたためタイヤハウスが潰れ部品が挟まって走行不能状態。
かたや車両Bは40代の女性で、こちらもパニックから縁石を跨いだ状態でアクセル踏んでタイヤが空転していた。
距離的に近かった車両Bへ近づき怪我が無いかを確認し、アクセルから足を離すように伝えた。
その後、交差点内の車両Aの老人にも怪我が有無を確認し、近くの退避できるスペースへ車を移動してもらった。
車両Bが直進していた道路は交通量も多く、車両A・Bともに道路を塞ぐ格好で停車していたことと、冷却水などが漏出していたため、車両Aを移動してもらった。
その後、警察へ連絡し、事故発生から約20分ほどで原付に乗った警察官が到着。
待っている間にも通行する他の車両が散乱していた破片を踏み、その割れる音が響いていたため、近所の方にほうきとちりとりを借りて回収した。
警察官へ事故の当事者が誰かを説明し、車両Aの後方で停車していた目撃者にも現場に残ってもらうことをお願いして、自分は次の用事のために現場をあとにした。
2.現場に散乱したレンズの破片や部品類を、警察官が到着前に回収したことは正しかったのか
3.警察官が到着後に説明だけをして現場をあとにしたことは正しかったのか
調べると「車両は動かすな」「現場の掃除はするな」という意見も見つかった。
次の用事までの時間がなかったこともあるが、説明さえすればその予定をずらすことは可能であったし、目撃者には警察官への証言のために残ったもらったにも関わらず、現場で動き回ってしまった自分だけがいなくなったことで、より一層混乱させた可能性はないだろうかと思っている。
警察が到着するまでなにも触らず待っていればいいんだろうか。
基本的に交通の便を良くすると、商業が栄える場合が多いのは事実。
逆に過疎が進むことも、周囲が言うようにあるけどな。
そうすると、
じゃや、あれやって これやって となって
コロナ前までに準備していて、コロナで消えた世界線になる。エル・プサイ・コングルゥ
ブレーキがついてない自転車に乗ってる後輩がいる。もちろん道路交通法違反。
初対面の印象は「お、わりとまともな人じゃん」って感じでよかったんだけど、一緒に話したり自転車乗ったりするたびに「コイツとはかかわりたくない」と思うようになって今距離置いてる
まあ、平然と違反してる(しかも分かっててやってる)人間がまともなわけないんだけどね。
問題はブレーキの有無というより、交通ルール、マナー意識が大きく欠如しているという点で、彼の運転は本当にひどい。意味なくすり抜け、車がいないからと信号無視、斜め横断などなど...
彼はこれらの行為を悪く思っていないどころか、おそらくカッコイイとさえ思っている...。Mash SFのビデオに憧れて、そんな走りをする自分に酔っているんだろうな
また彼の問題点はほかにもあって、当たり前のように年上の人間を舐め腐ってる。思いやりのない人間だから、自転車乗っても車に気を遣うとか、そういうことが考えられてない。
俺はこんなやつと関わってしまって本当に後悔してる。マジで、ノーブレって知ってたのに仲良くなろうとした自分を殴りたい。
自転車乗り全体のイメージが悪化するまでとは言わないけど、自分の属する学校とか、団体とか、そういう部分での自転車乗りの評価は確実に落ちると思っているのでキツい。
あと一つ言っておくと俺はtwitterによくいるようなロードバイク乗りじゃないから、メットしないでチャリ乗るな!とは思わないし、ピチパンでチャリ乗るのは恥ずかしいことだと思ってるよ。
今すぐにでも関係を切りたいが、リアルでかかわりがあるのでtwitterブロックして終了!wというわけにもいかないのがつらいところ
ノーブレ乗りには気を付けた方がいい。至極当然だけど自分からブレーキがついていない自転車に公道で乗っている奴にまともな奴はいないと思う。こいつはまだ所詮ガキだけど、大人で乗ってるやつは本当にヤバいんだろうな。想像しただけでゾッとする
あとでレポートらしくまとめたいと思うが、期待しないでいただきたい。
まず、基本的に自殺者(あまりこの文字を見ないようにするため、以下「彼ら」と呼ぶ)は自己中心的である(もしくはそのように変化した)。それが生来の性格なのか、その行為に至る原因において追い詰められた等精神的ストレスによるものかは不明である。
精神的ストレスが原因であれば、それは自らの身を守ろうとしている自己防衛反応に近いと予想される。
生来の性格であれば、自己中心的な性格を生まれながらにして持つ人間はそうでない人間に比べて自殺率が高いのか、という研究にもつながる可能性がある。
次に、彼らの周りの人間についてである。彼らが自己中心的な性質を周囲に強く示した場合、周りの人間は次のいずれかの行動をとる。1つは「全くなにもしない」である。もう1つは「何かする」である。
「何かする」に該当する例としては、「家族が不安に感じて病院に連れていく」「恋人が話し合いの機会を設ける」「友人が遊びに連れていく」等である。ネット上の場合だと「良い薬をおすすめする」「サービスの紹介(営業)をする」等も考えられる。
「全くなにもしない」に該当する例としては、「家族だが何をしてやれば良いかわからないので放っておいた」「恋人だが面倒くさいのでしばらく避けた」「友人だがそんなことはしょっちゅうあったので無視した」等である。
もちろん、彼らは周囲の「全くなにもしない」人間のおかげでその行為を躊躇いなく実行できる。
最後に、彼らの末期についてである。世間では彼らに対して、「死にたいと言っている間は死なない」と思うものも少なくない。これは半分正解で半分間違いである。
急に呟いた程度であれば、自殺する可能性は低い。「死にたいと言っている間は死なない」に該当しやすい。
ただし、「死にたい」という発言が常態化している場合は確率が計れない状態のため、強いていえば確率は五分五分である。「死にたいと言っているが死ぬかもしれないし死なないかもしれない」ということになる。
そして最も確実(かつ最も観測不可能性が高い)なのが、「死にたい」と言わない状態の彼らである。彼らはたとえ「死にたい」と現世なりネットなりに漏らしたところでどうにもならないことを分かっている。加えて、「あなたのことを救いたい」「助けになるから何でも言ってよ」といった言葉を発した人が結局のところ何もしてくれないのを経験上理解している。
そのような声をかけた人にとっては「何かした」に該当するのだが、彼らにとっては「全くなにもしてくれなかった」に該当する。声だけのおせっかいは彼らにとっては無意味である。
ちなみに、彼らにとっては「親が悲しむ」「恋人が可哀想」「友人らが泣く」といった話は無意味である。これらを極めて嫌に感じる場合はそのようなことはしないからである。もしくは、これらを看過してでもそれを成さねばならない事情があるからである。他にも「未来のことを話されてももはやどうでもいい」「自分のために泣いてくれるなら本望だ」等も存在する。
そうして、彼らは静かに道具を揃え、交通ルートを調べ、周囲の人間の時間的行動パターンを調べ、計画を立て、その日を決める。
そしてその日になると彼らは計画通りにことを行う。道具を用いて、地形を利用して、周囲の人間に気付かれないように。
以上。
もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問がヤバい。
なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要な資料にアクセスできないからだ。
歴史学の根本は、オリジナルな資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。
そして公文書館というのは行政機関なので、日本の国立公文書館や外務省外交史料館が東京にあるように、あるいはイギリスの国立公文書館がキューにありアメリカの国立公文書記録管理局がワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。
コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!
でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券でヨーロッパに渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料にアクセスできなくなるかもしれない。
明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学が日本に持ち込まれた。だが初期の日本の歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。
オリジナルな史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語とフランス語とドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。
けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本の歴史学が独り立ちするためには。
やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナルな史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語を習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行が安価になるにつれ、国外の文書館にアクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本の歴史学のレベルはどんどん上がっていった。
2000年代から2010年代にかけての日本の歴史学界で生み出された外国史研究のレベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナルで面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。
留学の予定も史料収集の計画も、すべてが白紙になってしまった。
分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程か博士課程で留学をする。これは現地で史料を収集したり、現地で言葉を勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要なプロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国の歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。
COVID-19直撃世代は、この留学の経験を持てない。彼らは外国史研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。
2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することなく博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることなく任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振の研究費のかなりの割合を出張費に充てている)。
けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査のハードルがものすごく高くなってしまっていたら、日本の外国史研究は大きな打撃を受けるだろう。
そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在で史料もたっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国の研究者とオンライン会議すればいい。
でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国語能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端な研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。
もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料をウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国の雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達はドイツ語の学術書をkindle版で引用していた。
だから、研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。
どのような種類の史料が必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージの歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツの政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館の史料を見なければお話にならない。
現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相がメディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料が全然違う。前者は新聞やネットを見ればそれでいいが、後者は情報公開請求が必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。
そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究者から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり、研究のために文書館史料を必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国史研究において、思想史や文化史、古代史の割合が高くなるかもしれない。
(いやでも、ガチの思想史や文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代の知識人の留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいるからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料がほとんど翻刻されてたりするし……)
ネット上で読める範囲の古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究のレベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベル低いね」と一蹴されてしまう。論文を英訳なり独訳なりして海外のジャーナルに投稿しても、それなりのレベルの雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)
ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代の研究水準には戻れないのだ。
ハードルを下げる?
つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?
コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。
それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史はハードルが高いから、表象の歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。
ともかく、これまで日本の歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。
日本の外国史研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。
まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学や記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在のレベルの渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニアの島国やアフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国を舞台にした文化人類学や記述言語学は消滅し、国内を対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……
(まあ、国内の伝統文化や方言を保存するために、一度外国の文化や言語を記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学で修行する若手研究者が離島や山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)
デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。
第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだ。マトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体の公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベルの文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係の公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマを研究しようと思ったらそれでは困る。
第2に、困るのは外国人研究者だけで、本国の研究者はそんなに困らないのだ。
日本人がイギリスやドイツに調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館にアクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国人研究者の姿が消えたとして、いったい日本人研究者になんの不都合があるのだろう?
(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国に拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本の大学で教鞭を執っている中国人の日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米の大学に就職しちゃった日本人研究者は大変だ。また、日本を研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係の歴史を研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府の公文書管理がザルすぎるせいで重要な史料が日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)
つまり、全世界的に、自国を研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国を研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国人研究者への配慮が、果たして自国の公的施設のデジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。
第1に、それ本国の研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費は渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど……
第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書の形式の違い」みたいなのも当然論文のテーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。
ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録に面白そうな史料があったから地方の文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人にコピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語でしかない。
第3に、そもそも論としてなんで自分の研究のオリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要な史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料の存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)
日本史であっても一次史料が海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスのハードルが以前から言及されていたのを思い出した。
なおアジア・アフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史を研究する日本人の歴史家は日本国内で研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリスに(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本に(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……
そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?
それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンやロナルド・ドーアやケネス・ポメランツやイアン・ニッシュやJ・ヴィクター・コシュマンやブレット・ウォーカーにも言ってきて!
泣き声で近所トラブルになりたくない
そうすると戸建住宅や中古を買うか、あるいは思い切って土地を買って家を建てたらどうかと思ってる
金はない
最悪、嫁の親と二世帯で住んだり、同じ敷地で隣同士とかも考えられる
だけど親はそもそも持ち家でローンも絶賛返済中
あと10年は動けない
そこで思った
「家を買ってローンを支払い続けると、自分の子供と同居したり家の資金を援助することもむずかしい」のではないかと
結婚をして孫が生まれ、さて小さいながらに戸建を買おうという時にこちらを頼ってきたら
孫の養育のためにお金を出したり、近所に住んで世話をすることだって考える
だけど自分のローンが残っていればすぐに離れるわけにはいかない
家や土地を売るのは、買うよりずっと難しい
広くて立地がいいならともかく、狭小で交通も不便なら厳しいだろう
家を買ったばかりに将来の子供にまで影響するって、買う時にはほぼ考えない
買ったら死ぬまでそこで過ごすという考えをどうしても持ってしまう
親がそうなんだから
おそらく1世代ごとに賃貸と持ち家を交互に繰り返すのが理想なんだろうな
自分は賃貸だからどこにでも動けるので、子供には家を買えるように工面しよう
なんか京都市交通局の萌えキャラの取り組みが公的な展示としてどうかみたいに言われてるのを見たけど、
そもそも市交通局って独立採算制だし、環境省の啓発キャラが云々とかと同じように公的機関、役所の行動として扱って良いんだろうか。
交通マナー啓発ポスターとかの類なら話は違うのかもしれんが、例の萌えキャラは完全に販促のものじゃん。
独立採算である一種の企業が、乗客を増やして売上を伸ばそうというのを主目的とした取り組みに見える。
勿論交通局がどういうつもりでやってるのかどうか詳しく知れる立場ではないし、この解釈は間違ってるのかもしれんけど、
まあ仮に私鉄であっても「公共交通」としての「公共」ではあるんだろうけど、官庁を指して言う公的機関の話とは種類が違うと感じる。
さらに言えば完全な役所と扱うのは、公営企業が採算性とかを無視してしまうことへ繋がりかねないし結果社会的にもよろしくないことだと思う。
むしろ京都市交通局が普段から「攻めの経営」を行って色々と斬新な取り組みをしているのは、
公営だからのぬるま湯につからずに努力をしているという現れだと思うし、そこを否定して完全に役所として振る舞うようになってしまっては、
かつての国鉄の放漫経営とかと同じ問題になると思うんだがなあと。
注 2020年8月時点でただ欲しいと思っているだけの車をリストアップ。予算や燃費など諸々は全く考慮していますん。他におすすめがあったら一言コメントを添えて教えて下しあ。
人と被らなさそう。
煽られなさそう。
小回りききそう。街乗りに向いてそう。
今乗ってるのがスバル車なので、
新型良さそう。今のは黒で夏暑いから、次は白系のカラーが欲しい。
なんでこれって中古安いの?スイスポより安いよ。外国車は維持費が高いって聞くから、そこかな?コンパクトで良さげ。
見た目も好み。
商用軽バンも乗ってたけど、坂道でのパワーの無さがつらい。風にも車にも(主にエスティマ)煽られるし。
今乗ってるやつ。10万キロ超え。この前車検だったけどまだまだ乗れそう。