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2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240618125527

インティ猥談バーの人?

それに投稿するとどうなるのかよく知らないがまあそれはそれで調べてみるわ

はてながそういう場所じゃないのは知ってるが、

男女論大好きでセックスレス話題しょっちゅうホッテントリしてるのに

その逆がないのはアンバランスすぎると常々思っている

2024-06-04

anond:20240604174724

ASD当事者だけど、この傾向があることに加えてIQも高いとASDって診断されると思うよ。ちな、自分はそんなに頭良くないけど、物理計算能力だけは東大並み…みたいなアンバランスさだから、そういう変な偏りがあるならASD可能性あるかもね。

2024-06-03

服のことは分からないけど派手な化粧は好きなアラフォー

完全にデブ用の服だと大きい、しか一般の服では合うサイズがない小デブで、服装とかオシャレとか全然からない。

髪もセットとかできなくてひっつめ髪。

白髪増えてきているが、頭皮が妙にかゆいため(皮膚科に行ってる)美容院に行けていない。

そんなアラフォーの女捨ててると言われるような人間だが、何故か化粧品だけは好きだ。ギラギラしたコスメが好きで、すごいラメギラギラしてるアイシャドウを眺めてうっとりしてる。自分のまぶたにつけることもあるが、上に書いたスペックなのでまあ似合わない。口紅も好きだ。ナチュラルメイク動画より、ドラァグクイーンとか海外コスメの人の動画とか写真を見るのが好きだ。

でも、洋服とか何もわからない。

どこから手をつけていいのか謎。

結果として小汚いのになんか持ち物だけギラギラしてる変な中年存在している。別に職場でなんか言われてるわけではないが、このアンバランスさは自分でもおかしいと思ってる。

これどうしたらいいんだろう?

なんでこんなちぐはぐなまま中年になってしまったんだろう。悩む。

2024-06-01

美少女ソシャゲやってるのが彼女にバレてフラれた

ゲーム画面見られて「何その露出度高めのナリしてる娘!?成長期の子供にそんな格好させるなんて発想の源が狂ってる!」ってドン引きされた

「全年齢対象からエロゲじゃないよ!」って言い訳したけど「あまりさらけ出された猥褻さが酷く…大人びたスタイルなんてアンバランスな…!思慮が足んないよ!涙止まんないよ!」ってギスギスしてる最悪の空気なっちゃって

俺はロリコンじゃないって説明したけど「ガッカリだよもういいよ…何万回言われても同じこと…」って聞く耳持たないからこっちも「もう無理だよ…」ってなって別れた…😢

2024-05-26

身長=童顔って訳じゃねーんだよ

身長133cmの女性社会に立ち向かう話

かい漫画が流れてきて

例のごとく身長が低いか子供と間違えられるってエピソードが出てきた

いやいやいやいや……

身長133cmならそこまで低くねーし

何よりも普通の低身長女性身長が低いだけで顔は年齢相応に老けているから、子供に間違えられる事なんてまず有り得ないってば

おばあさんは大抵背も低いけれど、だからといって子供と間違えたりはしないでしょ?

背の低い成人女性は背の低い成人女性しかないよ

寧ろ顔は老けててアンバランスな事に悩んでいたりするのに

変な偏見を広めないでほしい

子供しか見えない低身長女性なんて現実にはまず存在しないし、女にひたすら幼さを求める現代日本においては童顔は長所になるんだから社会に立ち向かうだなんて大袈裟言葉を用いるのは現実的じゃない

どうせ低身長女性を題材にするなら、低身長だけど老け顔の女性ファッション恋愛に悩むとかの方向性にした方が良いと思うのに。

2024-05-16

ソウルフライヤーズ

ムササビスーツを着て空を滑空し、障害スレスレを飛んでいくフランス人チーム。

動画はすごい迫力なのに登録者数は1万人以下というアンバランスぶり。

https://youtu.be/50R1_i6MhOo?si=gVLdHAB_HaIwEbd3

この人たちがレッドブル企画東京都庁ツインタワーの真ん中をムササビスーツですり抜ける動画で初めて存在を知った。

こちらの動画レッドブル公式Instagramしかないっぽい。

https://www.redbull.com/jp-ja/tokyo-dive-interview

2024-05-10

父親ネギ星人(子)だと認識した

姉妹と古いアルバムを漁ってたら、父が学生の頃の写真が出てきた。

ガンツネギ星人がいた。ジュニアの方ね。教室で撮った集合写真の一番端っこ。


「お父さんはどれ〜?」って言いながらキャッキャするつもりだったけど、あまりに異様でひと目でわかった。

小男なのに誰よりも頭が大きいアンバランスさ。写真から陰気なオーラが滲み出ている気がする。他の生徒たちとの間に僅かな距離がある。


直視できなかった。不気味な顔だった。津山三十人殺し犯人写真を見て不安気持ちになり、目をそらした時と似た感情


自分父親の顔のこと良し悪しなんて考えたこともなかったけど、写真だと客観的に見れるね。

2024-05-08

anond:20240508081632

その意味では正しいミラーリングは暴飲暴食、睡眠不足だが

ご褒美と称して大量に甘い物食べる描写徹夜して何かのミッションを達成する描写アニメにあふれてるので

今の基準喫煙だけ規制するのはアンバランス

まず甘いもの食べるシーン規制しろ。今やこっちの方がはるかに体に害が大きい

2024-04-30

物売るってレベルじゃねえぞ!はそういうネタとしてミーム化されちゃったけど

実際にクレームをつける側ってみんなそういう意識からクレームをつけるんだと思う(クレームつけることで別の利益誘導するようなのは除いて)

受ける側としてはその金額ではその品質が精一杯なんですわかってください!という気持ちほとんどじゃなかろうか

商品としてお金提供を求める以上ここまでは最低限こなして欲しいという購入側とギリギリ成立する金額をつけて販売する側とサービス以上の価値提供できると言っちゃった広報宣伝のやり方と

そのへんのアンバランスさが今はすごく悪いように思う

原材料費の高騰、人件費も減らせられない、他社はなぜその値段・サービスで売ることができるんだろうという不思議さ、そういうのが毎日頭をよぎる

2024-04-27

anond:20240426211851

セックスもつれ込みにくい服装ってのを直感的に感じてるんじゃないかと思う。

メイク服装依存関係が強いから服脱がせたらアンバランスになるし、脱いでく過程もそそられにくい。

第一、値段が高い&細かい装飾が多いから雑に脱がせたら本気でキレられる。

ヤンデレ彼女と付き合ってたときも、ロリータ服着てるときだけは、家帰って部屋着に着替えてメイク落としてからおせっせ開始してたな。

2024-04-20

エマアレックスは、公園中央にある一本の大きな木の下に設置された古びたベンチに座っていた。黄金色に染まる木々の葉が風に揺れる中、二人はまるで異なる世界の住人のように、それぞれ異なる思索に没頭していた。

エマアレックスの横顔を盗み見ながら、彼への深い愛情に心を満たされていた。彼女思考は、彼の笑顔、昨夜二人で共有した冗談、そして彼の手が偶然触れた瞬間の温もりにまつわる記憶に溢れていた。彼女は、どうやったらこの繊細な感情言葉にして伝えることができるのか、その方法模索しながら、彼が同じように感じてくれていることを願っていた。

一方でアレックスは、まったく異なる思考にふけっていた。彼の頭の中はいつか見たコメディ映画一場面でいっぱいで、その滑稽なシーンを思い出すたびにくすりと笑いをこらえるのがやっとだった。映画の中でのある不器用キャラクターバナナの皮で滑って転ぶシーンは、彼にとってこの上なく楽しい逸話であり、その笑いが彼の心をくすぐっていた。

公園の夕景は美しく、風がエマの髪を優しく撫でる中、彼女アレックス自分愛情を感じ取ってくれることをただひたすらに願っていた。しかし、アレックスはその場の心地よさと映画コミカルな回想に心を奪われており、二人の間に流れる感情アンバランスは、見えない壁のようにそっと存在していた。

この小さな公園の中で、二人の心は同じ時間を共有しながらも、まるで異なる軌道を描いていた。エマ愛情深い視線アレックスの微笑みが、秋の柔らかな夕日の中で静かに交錯していた。

2024-04-19

萌え広告を見た一般人の反応「発想の源が狂ってる」「大人びたスタイルなんてアンバランスな」「あまりさらけ出された猥褻さが美徳」

オタク君も分かってんだろ?

2024-04-14

anond:20240413195843

男女関係ないんだけど話すと大体被害者意識を持っていて、自分虐待したくないけどしてしまう、でもそれは仕方ない事なんだという言い訳を始める

問題経済でなく自尊心なんだと思う

何がいいって利害が対立している親がそれぞれ親権を持っているのがいい

これもすごいよくわかる話。

義務権利責任について偏頗な(バランスを欠いた)制度は、それ自体が幼稚さを暴走させる。

国家間安全保障問題と全く相似形。

2024-03-25

絵の上手だった女の子

中学の時オタク美術部入ってたんだけど、

描いた絵とか見せ合うのすごい流行ってて

私はpixivで見た緑間の絵を一生懸命模写して描いてた で、たまに自分で描いてみたりもした

写しただけだよ〜って予防線張ってても、仲いい子は皆上手い!とか天才!とか褒めてくれて すごい気持ちよかった

でも美術部の中に全然オタクじゃない(普通に漫画は読んでたと思うけど)子も一人いて、その子は多分絵を描くのが好きで美術部に入った子で

描いた絵とかたまに見せてもらったら、いつもめちゃくちゃ上手だったの覚えてる 美術の授業でもよく先生に褒められてて、廊下クラス全員分の作品飾るときも皆〇〇ちゃんすごい!って言ってて 当然成績は5で

でもオタクじゃないか美術部の中ではちょっと浮いてて、仲間内では私の描いた絵の方が褒められてた

なんでだよってずっと思ってたけど、やっぱ仲の良い身内が描いたオタクっぽい絵の方が受けが良かったんだろうね

大人しいけど明るくて、普段運動部の子とも仲良くしてるような子だったし

の子も私の絵のこと褒めてくれててさ 二人っきりのときに私が「〇〇ちゃんの方がすごい」みたいなこと言ったら、「いやなんでなの、すごい上手だよ、この緑間イケメンだよ」って

目がでかくて首が細くてアンバランスな緑間の絵を褒めてくれた 優しい子だった

学校ではよく喋るけど遊びに行くほどの仲ではなかった

でも高校ときも通学路が途中まで同じで、たまに朝会うとすごい嬉しかった お互い高校の話とかして、ちょっと話足りないなって思いながらまたねって別れてた

自分高校では帰宅部で、そのときにはアニメも然程見なくなって絵も描かなくなってた

中学時代に買ったコピックを見るとあの子の絵を思い出して嬉しくなった なんか美大とか行ってすごい人になるんだろうなって勝手に思ってた

去年母親が死んで、先日一周忌を行った

坊さんがお経を読んでる間に周りの墓石を見てたら、その子名前が書いてあるお墓があった

名字も下の名前も珍しい子だったから、あの子の墓だとすぐに分かった

享年23歳だ ついこないだ死んだんだ

母の墓に線香を立てるとき自分の母のことよりもその子のことで頭がいっぱいだった 手を合わせるのも忘れていて父におい、と言われた

遊びに行ったこともない仲なのに、あの子のことで頭がいっぱいで今かなり苦しい

なんで死んだのか、死ぬまで何をしていたのか 大学には行ったのか もう働いてたのか 何も分からない

最後にした会話が何だったのかももう思い出せない

LINEアイコン高校時代写真のままだ

自分はあの子のことが好きだったのかもしれない

2024-03-22

概要】空と青とアイツ

概要

283プロプロデューサーは、事務所倉庫内の物の配置が変わっており、アンバランスに積み上げられていることに気づいた。

所属アイドル芹沢 あさひ事情を聞くと、改造して基地にするために借りているのだと言う。

倉庫は他の人も使う場所なので専有されては困るが、あまりにも楽しそうな様子にプロデューサーは強くは言えなかった。


あさひとの地方での仕事が終わり宿泊先のホテルフロントにアメニティを取りに来たプロデューサーは、あさひが無断で外出しようとしていることに気づく。

あさひが言うには、単なる外出ではなく窓から目撃した未確認飛行物体調査だという。一人で行かせるわけにはいかずプロデューサーはあさひと一緒に外に出る。

早々に未確認飛行物体を見失ったあさひは、光る看板に惹かれて土産物屋が並ぶ通りに出る。

あさひ土産物屋で売られている「音に反応して動く花」や「本物のような100万円札」などの珍しい物を見て大喜びした。

土産物屋であさひバットを購入する。未確認飛行物体が来たらこれで打ち返すのだという。

プロデューサーは自分修学旅行等で不必要ものを買った経験があるが、帰宅したらすぐに忘れてしまものだと語る。

あさひはこのバット特別必要ものだと抗議した。


夕方事務所。空腹を覚えたプロデューサーは昼食用に用意していたコロッケを食べずに残していたことを思い出した。

すっかり冷めきっており美味しくなさそうだと食べるのを躊躇していると、あさひ事務所にやって来る。

あさひは、プロデューサーが食べないのであればコロッケを譲って欲しいと頼んだ。給食で出たコッペパンを持ち帰ってきたのでそれに挟んで食べたいのだという。

プロデューサーは自分にも1口食べさせてくれるのであればと、コロッケあさひに譲る。

夢中になって食べるあさひを見て、プロデューサーは1口食べさせてくれるという約束を忘れられているのではないか心配になるが、

あさひプロデューサーが食べる一口分のコロッケパンを作っていたのだと言って、食べ終えた残りをプロデューサーに渡した。


昼の事務所プロデューサーは事務所屋上あさひが居ることに気づいた。寝そべって写真を撮っていたので上から覗き込むと、プロデューサーの頭が大写しに撮れたと大笑いされる。

あさひはそこから見える限りの空の写真を撮っているのだという、プロデューサーは体冷やさないようにと声を掛けて、忙しそうなあさひを残して中に戻った。


プロデューサーが倉庫を訪れると、倉庫内は乱雑さを増し天井には空の写真がたくさん吊り下げられていた。

驚いていると外に面した窓からカメラを持ったあさひが入ってきて「また空を捕まえてきた」と嬉しそうに笑った。

どうやらあさひ倉庫内に空を作っているらしい。

倉庫は皆が使うものなのできちんと使って欲しいと伝えるが、あさひ飛行機が飛んで来ているから急いで撮影に戻る必要があると言って立ち去ってしまう。

プロデューサーは色々言いたいことはあるものの、この空を狭めるわけにはいかないなと呟いた。


ハンモック望遠鏡、謎の本、缶詰バット倉庫さらに物が増え基地として発展していた。

あさひが言うには、今の倉庫は「謎の無人島」という設定で、海にすごい船や魚が来ないか望遠鏡監視をしているのだと言う。

プロデューサーは、その設定にロマンがあると認めつつも、あさひを諭すために例え話をした。

「ある日島に、島の所有者のおじいさんを乗せた船が来る。おじいさんは自分の島に知らない子が基地を作っていることを知ってひどく驚く」

あさひは、島にそんな設定はないと抗議する。

プロデューサーは、あさひの大切な基地を壊したりしたくないし誰かに壊されたりもして欲しくないと伝えた。


あくる日、プロデューサーが倉庫を訪れると基地はすっかり片付けられており、代わりに「家賃」と書かれた給食の「小魚アーモンド」が残されていた。

倉庫の前を通りかかったあさひ事情を聞くと、自分の島が見つかるまで基地解散することにしたと告げてすぐに立ち去ってしまう。

あさひを見送ったプロデューサーは、倉庫の隅にバットが置き忘れられているのを見つけて微笑んだ。

人物

プロデューサー

性別男性 / 年齢:XX歳

芸能プロダクション283(ツバサプロダクションに所属

アイドルプロデュースおよびマネジメント業務を行っている。

ゲームにおいてプレイヤー操作する人物

芹沢 あさひ(せりざわ あさひ

性別女性 / 年齢:14歳 / 出身地東京都

283プロの3人組アイドルユニット「ストレイライト」のメンバー

常に面白いことを探し、じっとしていることがない、探究心の強い女の子。興味を持ったら一直線だが、飽きっぽい一面も持つ中学2年生。

紹介者コメント

プロデューサーが実質主人公とも言えるストーリーノスタルジックな味わいが印象的

各話リスト

話数サブタイトル
第1話基地、なんだろうなぁ)
第2話修学旅行みたいだ)
第3話(見えるよ)
第4話(合掌。いただきます
第5話(見つけような)

関連リンク

アイドルマスターシャイニーカラーズのコミュのあらすじ紹介

google:空と青とアイツ シャニマス

アイドルマスターシャイニーカラーズ(外部リンク)

アイドルマスター シャイニーカラーズ 攻略Wiki(外部リンク)

Spotifyプレイリスト(外部リンク)

2024-03-13

じゃあ、ふるさと納税の代わりにどんな法制度ならええんやねん問題

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.businessinsider.jp/post-283793 を流し読みして思ったこと。

ふるさと納税自体は、自分も不格好な制度というか、何というか居住地域の不利益を生むアンバランス制度から好意的には思っていない。

とはいえ、もしこの制度が無かったら、人口企業の多い市区町村税金が集中し、今以上に発展度合に差を生むことは間違いないだろう。

上記ブコメで幾つか代替案は出ているが、正直それ(返礼品無し、税控除無しなど)で自分無関係市町村納税するか? と思ってしまう。

もし名前に沿った制度にするなら、過去に自信が居住した範囲限定して納税可能地場産業還元率を上げる、ってのを考えた。

ただ、これも結局は発展地域一極集中を加速するだけだよなぁ。(人口が多い=過去にその地域居住した人が多い)

うーん、難しい。

2024-03-11

anond:20240311034706

もと増田は俺じゃない。

あんた昨日からいる高理解力で低読解力のアンバランス増田だろ?

最初糖質かと思ったけど発言発言分析するとまともだから

たぶん初手でこっちの文章ほとんど理解してないんだろ。

2024-03-09

運命嘲笑

まるで人々は糸に手繰り寄せられたように

今日も小さな端末から、間接的に死の匂いを嗅ぎ付け

恰も断頭台の上で順番を待つような寂寞に襲われるのだ

その共通認識の元に、我々は足元の深い谷底を見ないようにして薄氷まな板を踏みしめながら異国のダンスを踊っている

我々は大和民族なのに、金髪に憧れながら

米と沢庵を頬張りながら、いつまでも「強くなりたい」と息巻いているのだ

片手で女をなぶりながら、もう一方の手で女性解放を語気強く訴え

そのアンバランス人格を保持しながら、自分は正しい、自分はか弱く美しい女性は皆助けるのだと言って聞かない。

ヒロイズム人口膾炙し、山を越え海を越えいつのまにやら、国境までも越えてしまった

2024-02-26

anond:20240226015225

なんでもかんでも自分が気に入らなくなったらキモい!で済ませてたんだろうな…

年齢と中身の幼さのアンバランスさのほうがキモい

2024-02-24

anond:20240224182828

ブコメ管理者が非公開にできたり、はてなサービス内なら作成者が常時トップにすることが出来る。増田なら、言及されている個人自分だと証明できれば削除できる。

どっちも防御する仕組みはあるけど、選挙のヤジの場合はノーガード戦法のみってのはアンバランスでない?

つのからか、10年前の過去、そして10年後の未来自分やじろべえのように

ふとした瞬間にじっと思うようになった

だいぶおっさん自覚してからのことだ

思えば10代のときはそんな感覚はなかった

二十歳で10年前といえば小学4年生だし、10年後は三十路

全く比較対象にはならかなったからだろう、変化して当然だし、

仕事もしていて結婚もして大きく人生が動いているだろうという漠然と用意された未来をみていた

まだまだ伸びしろがある時期だし、将来に対する解像度も低かった

しかし、年を重ねると、次第にビフォーアフター想像があまり冴えないものになっていく

30を過ぎると、自分限界も見えてくる

40を過ぎたあたりで自分がかつて躓いて苦労していたことを軽々と乗り越えてくる後輩たちに追い抜かれる

過去10年を振り返り経験してきたことの薄っぺらさと、これから10年で経験しそうなことのリアルがより高い解像度で見えてくるアンバランスに直面する

お金の面でも、健康の面でも、仕事の面でも・・・

そして近年、父も母も他界した

ふたりとも癌だった

空き家になった家を整理していると、癌家系という言葉がずっしりと来た

親を亡くして数年して気が付くのは、自分の年齢が毎年毎年、親の年齢に近づいていく感覚

もっとも親の死んだ年齢はまだまだ先だが、

10年前、10年後を考えるときに、頭をよぎるようになってきたのは、

しかしひょっとすると自分10年先はもう生きていないかもしれない、ということだ

世間的には老いをみつめるような年じゃないし、まだ働き盛りと思うが

前に進むバネが弱っている

お金にしがみついて惰性で進む10年がみえてくる、いやもう10年ないかもしれない

そうすると日々が何か一期一会な感じもしてくるし

10年後には悩んでないかもしれないことで深く考えるのはよそうという気にもなる

2024-02-14

妻のパンツかわいい

リモート仕事前に部屋を片付けている。

洗濯物をたたむ。

妻のパンツかわいいレースとかフリフリとか。

服の趣味は地味目だけど、下着は大胆なのとかあって、そのアンバランスが好き。

しり全体がレースで、ほぼ見えてるじゃん!みたいのある。

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