はてなキーワード: 鐘の音とは
あなた方はわかっていない。
相続税の恐怖を。
大体どうして、人間の容姿やらには相続税がかからないのに、売れない会社の株には相続税がかかるのか。
もし、父親がうまく兜町で鐘を鳴らせば自分はまだ人より有利になる。
もし、出来なかったら全ておじゃんだ。
数百日眠れば結果は分かる。
どうすればいいんだ。どうしようもない。
ただ、祈るだけなんだ。
もし、明日父親が死んだら。。。
もし、鐘を聞いても自分は容姿が良くなるわけじゃないからどうしようもない。金があっても容姿は良くならない。
収入が高くなれば、容姿コンプはなくなると思って生きている人がいたら、それは大嘘だ。
金があっても容姿はキモいままだ。金に愛されるだけだ。美人局に狙われるだけだ。
数百日間が怖くて怖くてただ本を読んだり、絵を見たりするのだ。
大学に行くと、セックスに困らない顔のいい女が授業をまじめに受けず楽しくやっている。
それでも、自分よりも彼女のほうが価値は上だ。容姿がいい。性的魅力がある。楽しそうだ。
苦しくなるから、いつも鐘がなった時にはこっちはあいつらとは別世界に行くんだと自分に言い聞かせている。
そうすると、なんとかやりすごせるのだ。
でも、父親が鳴らした鐘の音を聞くことが出来なかったら、自分はただのグロメン腎臓病のやつになってしまうという恐怖がある。
そもそも、金すら無くなる可能性だっていっぱいある。
同じ学部のドブスを見る。金はあまりなさそうだ。彼女は容姿のせいで孤独だ。スカートを履いている姿を見たことがない。
悲惨だ。哀れだ。
美しく生まれたか醜く生まれたかなんて自分の行いじゃ決められないんだ。
金はどうにもならない。
容姿は美しくならなくても、まだ惨めさは軽くなって生きることができる。
うまく行った先も惨めだし、失敗したら悲惨なのだから、死んだほうがマシだと時々思う。
http://anond.hatelabo.jp/20151007164457
http://megalodon.jp/2015-1007-1708-22/anond.hatelabo.jp/20151007164457
赤子から2親等の葬儀なので、通夜はパスさせてもらったけど告別式はなんとか出席。
9時過ぎに葬儀場に集合→10時から告別式→11時ごろ出棺→斎場に移動→11時半に火葬(1時間半ほどかかる)→葬儀場に戻る→昼食→再度斎場へ→お骨を拾う→葬儀場に戻って初七日の法要(一緒に済ませた)→親族のお見送りで終了
終わったのが15時頃。
基本的に赤子向けのサービスはなし、身内なので控室があるけど、出席だけなら出棺までかな、、、(その時点で帰る親族もいた)
お経読んでる間はぐずったらさっさと退席するが吉かと、誰も気にしてない。
最後に、亡くなった身内が赤子と少しでもかかわってもらえてよかった、でも、もっと長く接してもらいたかったので本当に残念。空からずっと見守っていてください。
あ、この記事書いたのはたぶん某氏。/大体言ってることは正しい。 / 他11コメント https://t.co/BL24P6sfA0 “秋葉原における児童ポルノの問題、両陣営ともクソすぎて関わりたくない” https://t.co/i83we40wuS— 鐘の音@三日目西け38a (@kanenooto7248) 2015, 11月 2
断言するけど絶対間違ってる。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
みんな『SAY YES』だの『YAH YAH YAH』だの、大喜利のネタがいかにもありきたり。確かに『SAY YES』とか『僕はこの瞳で嘘をつく』は汎用性高いけど。
ということでファン歴5年(つまりほぼ新参だけど)の俺が、ASKAの曲の中で、薬物疑惑と絡めて聴くと味わい深い曲を紹介します。
自分達を犯罪者になぞらえて、もう後戻りは出来ない、俺たちはひとつに結ばれちまってるぜ、このまま進もうぜーと歌い上げる。
今聞くともう、薬物中毒でありながらCHAGEandASKAにとってなくてはならない存在であるASKAが、CHAGEや事務所の人間に語りかけてるようにしか聞こえない。
もう出だしが良い。
びくびくするな 顔を変えるな
何もなかった そのままでいい
誰も思わない 聴かれもしない
すべてを認めるな
今まさにこんな感じなんじゃないんですかねえ。
これに続く、
手抜かりは掃いて捨てるほど
あるにはあったさ
それでもここまで潜り抜けてきたさ
サビの
とか、CHAGEや事務所の人間が今聞いたらどんな気分になるんだろうと思う。
とりあえず俺は本当にこれぐらい開き直ってほしいと思ってる。
一番目のサビはそうでもないんだけど、
二番目のサビがいい。
Nothing will ever change. We are the ONE
俺たちの鐘の音がどこかで鳴るはずだ
Cracking open the cage. Close to the line
俺たちはひとつ名で結ばれちまってるよ
ケージ(直球)
開けるんですか。
いや、実際にはあけられないんだけど。クラックっていうか多分ただの保釈だけど。
そして、それに続くフレーズがこの曲で一番強烈だと思う。
だってまあ、CHAGEandASKAだもんね……J-WALKとかラッツと違うもんね……ふたりの名前堂々と載せたんだもんね……。
Ah みんなこっちだよ 素敵なとこだよ
出だしド直球
Ah みんなこっちだよ 他人同士さ
汗の出所と来た。
結局は尿でしたけどね。
楽しんだ人が勝ちです 怒った人が負けです
(略)
口を汚すケーキのようなもんだよ
納得する人は少ないかもしれないけど、この曲、何か詞の調子が『パラダイス銀河』とかの頃に戻ってる。変な敬語で。
これを歌ってる光GENJIとかアリだと思いますがどうでしょうか。
で、サビ。
みんなで行こう 仲良しこよしで行こう
裸足で行こう 行こう 行こう
何にそんなうきうきしてるんですかねえ。
この曲、詞がシニカルな分、メロディをポップにしたとASKAは語ってたんだけど、もう残念なぐらいマッチしてる。
そのピークがやはりこのサビ。
極めつけはCメロ
刺激好きですジャパニーズ
ブレーキなかったんだね(悲嘆)
一部週刊誌では渡英したときに薬物を覚えたとされてたけど、この『ONE』こそはASKAのソロアルバム唯一のロンドンレコーディング。
本場でキメてはしゃいでたんですかね。
と。こんな感じで、将来きっと『夢の中へ』に並ぶことになる名ネタ曲だと思う。
最後に言っておくと、
ASKAの詞はだいたい、クスリ決めながら書いたとか言われても仕方ないぶっ飛び方のものが多い(実際キメて書いてたの曲があるのか、それがどれなのかはもちろんわからん)。
コード進行も笑えるぐらい複雑だし。
薬物騒動を面白がってる初心者はどれ聴いてもげらげら笑えるはず。
まあそういう奴らを全員殺してやりたいけど今は我慢してやる。
他に味わい深い曲を聴きたいやつは、
『kicks』に入ってる薬物について直接言及してる『kicks street』を抑えるといい。
後は、最近の曲である『いろんな人が歌ってきたように』とか『birth』を聴けば良い。
2000年代後半以降のASKAは輪廻転生だとかめぐりあわせだとか宗教じみた思想を取り入れた末に、「すべては愛なんだ、君も認めたっていいだろう」と繰り返す地獄に踏み込んでた。
ひとつひとつの自由が許容されるほどに、全体は不安定になっていくのに
全体が不安定になりすぎれば個人は不安を覚えて偏向的な理想を通そうとする
流れはたくさんの支流を巻き込みながら、全体の中で大きな存在感を持ち始める
そうすると、不安定な混沌の中で納得できていた別の個人が嫌な思いをする
混沌のままであろうと流れに逆らうために堰を設けようとする
でも、堰ではダメなんだ
流れそのものをなかった事にしない限り、元の不安的な混沌には戻れない
元の心地良い空間は再現されない
多様であることとか画一的であることとか倫理的であることとか秩序だった社会であるとか
そんなことよりももっと根本的に、この社会や世界や世論というものは流動的なものでしかなくて、
そうあることが唯一間違いなく正しいんだろうな
認めるとか許容するとか譲歩するとかそんなの関係なしに、あるべき形として流動性が基板に組み込まれている
●【萬物相】バージニアで見た「ゆるしの心」 | Chosun Online | 朝鮮日報
大学の広場に死者を悼む鐘の音が33回響き渡った。そして33個の風船が空に舞い上がった
↓
(実際は)
●Campus Snapshot Gallery | Virginia Tech News | Virginia Tech
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