はてなキーワード: 賽の河原とは
その生地を適当な大きさに切り分け、オーブンで焼くと、パンができる。
これを一晩寝かせる。
生地を練るのも機械だし、生地を分割するのも機械、生地を焼くのも機械が自動的にやってくれる。
人間が行うことは、異なる機械の間をつないだり、機械の世話をしたりすることである。
つまり、機械よりも生地のほうが大きいので、生地があふれてしまう。
それを押し込むのが私の仕事であった。
なぜ機械を買い替えないのか。
なぜ私は賽の河原で石積みをするような、こんな不毛な仕事をしなければならないのか。
私は悩んだ。
そして、あることに気が付いた。
そう、金がないのだ。
こんなことをしていては、生産性の向上など夢のまた夢だ。
政府は財政政策で生産性を向上させようとしているが、まったくの見当はずれである。
考えてみれば、日本経済は30年以上不況が続いているのだから、
ゆえに、この工場と同じような状況が日本中の工場で起きているはずである。
日本中の製造業の生産ラインをいっぺんに新しいものに取り換える。
そのために、政府は金を集めねばならない。
海外の投資家と日本の企業をマッチングするような窓口を用意し、
投資をあっせんするなど、政府主導で製造業の復活を進めねばならない。
製造業は経済の基本であるから、これを活性化させることが急務である。
経済を動かしているのは金ではない。
それでは何も分からないのだ。
与えられた仕事はまじめにやるが、よりよい仕事をしようという向上心がない。
仕事の効率を上げたり、商品の品質を上げれば、売り上げが上がり、給料も上がる。
そのために絶えず工夫を続ける。
だが、いまの日本人はすべてを諦めている。
自分の労働環境は自分で作るのだ、という意識を持たねばならない。
ゲームの本質というよりは、資本主義の精神そのもののようなゲームだと思った。
クッキーを焼き、得たクッキーで拡大再生産。更に多くのクッキーを焼き、更に大規模な拡大再生産……
終わり、つまり目的のない作業の繰り返しだ。その過程自体にゲームとしての娯楽性が見出され、自己目的化する。
実績が目的になるのかもしれないが、バッヂが増えたから所でだからどうしたという話だ。
采配や転生により、いかに効率よくクッキーを増やすかという楽しみもあろう。しかし果たして何のためにクッキーを増やしているのか。
増やし方に趣向を凝らそうと本質的に、核となる部分はクッキーをタップし、クッキーを増やすだけ。退屈極まりない。はずなのに、熱中してしまう。
それぞれの選択肢を選んだ場合に起こりそうな事をいくつか列挙した上で
例えば「いつか死ぬことを受け入れる」か「不老不死になる」かなら
①死んだ場合に起こりそうなこと
・永遠の無かもしれない
・知り合いがみんな死んで一人ぼっちになるかもしれない
・金融商品の利得を受け続けられるかもしれない
こんな風に列挙した上でどっちがいいかを選ぶものだと思うんだが
俺は①は良いことが起こった場合と悪いことが起こった場合の差が極端すぎるから②の不老不死になった方がマシだと思う
だがこういう風に列挙した上でそれでも天国や異世界転生の望みをかけて①を選ぶ奴がいてもいいと思う
そろそろ主張と反論まとめてよ。
何度同じやり取りしてんの。
賽の河原かよ。
に対して、
はてフェミが狙ってるのは、(個人の経験ですを言い訳にして)嘘を100回言えば真実になる、なので
どれだけまとめても「女性が下方婚しないのではなく男が上方婚を嫌がるカラー」て繰り返し続けるよ。
ほんっと卑劣な連中だよ…
と答えています。
なお元々の増田にも
ちなみにこの指摘、2度目です。
https://anond.hatelabo.jp/20220416030651
こんなにデマを何度も繰り返して、嘘も100回言えば真実になる、を狙ってるの?
数か月前から担当している案件の、客先のディレクターが全く仕事ができない。
こちらの予定をまったく聞かずに勝手に全体スケジュールを変更する。
現状のシステムの仕様を把握せずに、開発するシステムの仕様書を適当に作る。
開発期間になっても仕様が定まっておらず、質問すると「クライアントと相談して後日回答します」。
そのせいで開発期間はどんどん短縮される。
その都度デザインデータを送ってくるが、どこを変更したかは一切言わない。
ここ最近はそのディレクターから連絡があると、心臓がバクバクして息苦しくなる。
昼も夜も暇さえあればそのディレクターへの恨みつらみを考えてしまう。
最近よく、インスタやYoutubeで「発達障害の子育てに関する発信」を見るようになった。
発達障害を持つ子の両親が、根気強く向き合って子育てをする姿は、見ているだけで辛そうに感じた。
わたしはそのディレクターが、発達障害なのではないかと思い始めた。
彼は仕事の手を抜いているのではなく、特性があってできないことが多いのではないか。
わたしのように発達障害に理解を示さずに、仕事ができないと責め立てるような人間が、
もしそうだとしたら、わたしが彼に恨みつらみを持つことは間違いなのか。
「よくがんばったね、その人とは距離を置いたほうがいい、ゆっくり休みなさい」
「あなたのように発達障害に無理解な人間がいるから、居場所がなくなるんだ」