はてなキーワード: 自慰とは
自分には恋愛感情を関係として発展させる才能がない。と、思っていた。
最近は、できたことがないのではなく、作る努力をしてこなかったのだと感じている。
学生の頃、お洒落や化粧、恋愛に一生懸命だった周囲は別世界の人のようだった。
そういうことに興味を傾けずとも自分は充実していると思っていたし、実際、好きな音楽や本だとか、趣味に没頭する時間が好きだった。
人並みに誰かを好きになることはあった。
同級生たちと違ったのは、相手が手の届かない大人ばかりだったということだ。
成就するはずもない相手だという希望の無さに一種の安心感を覚えて、好き勝手に思いを募らせていた。
年上に惹かれるのは完全に好みの問題だが、恋愛に対する能動性を放棄し続けてきた要因にはこうした好みも含まれるのだと思う。
わたしには自信が無い。
とくに、女としての自信が無い。
親友と呼べるほどの間柄にいつも可愛らしい女の子がいて、年上に惹かれるようになる前、同級生に恋をしていた時代の意中の人は悉く彼女らに夢中になった。
彼女たちのように可愛くなりたい。
そう思うより先に、私は女の子として愛してもらえる存在ではないのだと思った。
恋をすることが怖くなった。可愛い女の子たちと比べられること、女として評価を下されることに耐えられなかった。
異性(とくに同世代)に対して、女として扱ってもらうことを諦めたのは十代半ばくらいの頃だ。
手が届かないほど年の離れた人に惹かれるようになったのもその頃だった。
年齢だとか、立場だとか。障害が多く、どう転んでも関係を発展させられないという事実は、わたしが美少女だろうが醜悪な面だろうが覆らない。
才能の有無によって結果が左右されないことが嬉しかった。(今でこそそれも立ち回り次第だと思うが)
逆に言えば、何の努力をしなくてもいい。女として評価されることが怖かったわたしには、この上ない逃げの口実になった。
完全に好みの問題だとは言ったが、書いてみると年上に惹かれる理由はこうしたところにもあるのだろうと思う。
女として傷つかない安全なところで、好き勝手に一人で恋をして、恋が成就せずとも(結婚できずとも)生きていけるようになる。
十代の頃であれば、年の離れた人といっても二十代や、せいぜい三十代前半。独身が多かった。
でも今は違う。今のわたしと比べて年の離れた人、と言うと、世代的にも家庭を持っている人が多い。
そういった人たちの余裕に惹かれるところがあるのか、ここ数年は妻帯者ばかりを好きになっている。
同じ社会人だ。否が応でも同じステージで女としての評価を下される。
それさえ初めは「思わせぶりな態度でその気にさせられた」と思っていたのだから、笑うに笑えない。
恋愛一つ誰かと共有できた試しのない女が、既婚者相手に勝手に思い上がっていただけだった。
違うことは他にもある。
十代の頃にも年相応の知識はあったが、自慰を覚え、知識と身体の感覚が噛み合ってからは他者と繋がりたい欲求が募っている。
とはいえ、恋愛一つままならないわたしにとって、性交渉などさらに高みにある高次コミュニケーションだ。
前段階も突破できずにいたのだから、それこそ手の届かない次元の話だった。
だが、そういう中でも希に異性からアプローチを受けることがあった。
社会人になってから知り合ったその人には、こうしたコンプレックスや鬱屈した部分の一部をうち明けていた。
異性としてというより、人として感じる安心感から話したような記憶がある。下らない自己嫌悪を真正面から受け止めてくれたことが嬉しかった。
そうしているうち、経験を積んでみたら変わることもあると言われ、全てを委ねた。
他者と繋がりたい欲求と、変われるなら変わりたいという焦燥が強かった。これを逃したら二度とそんな経験はできないかもしれないとも思った。
その人が妻子ある人だと知ったのは、後の話だ。
自分の立場がありながら誘いを持ちかけてきたその人に対してというより、ここまできてしまった自分に呆れた。
あれほど女として扱われることを、評価されることを怖がっていたのに、逃げていたつもりで雁字搦めになっていた。
本当は、女として生きてみたかったのだと痛感した。
わたしには自信が無い。
とくに、女としての自信が無い。
今となっては、私の周囲にいた可愛らしい女の子たちが、彼女らなりの努力をして女の子としての地位を獲得していたのだと思う。
若いうちから彼女らはきちんとショーケースに並び、自身を磨いていた。
一方、わたしは女としてショーケースに並ぶだけの度胸がなかった。努力を放棄した。
相応の結果として今がある。
それでも、女として生きてみたいことに気がついてしまった。
自分だけと、後ろめたさなど一切無い関係を結んでくれる人がほしい。
愛することを許されたい。愛してもらいたい。
どんな風に努力を重ねれば、今更でも、こんなわたしでも、女という性を自分のものにできるのだろう。
もはや諦めるしかないという気持ちと、女であることを諦めきれない気持ちとが堂々巡りしているので整理したくて書き込んだけれど、結局まとまらなかった。
未熟未形成な自我のセキュリティホールが生むただの承認欲求処理。
人間を道具として使用した精神的自慰行為であり人間関係における迷惑行為。
生涯においてつがいと非常に強い紐帯を結ぶことで知られる雁の仲間において、
「つがい」を失った年配の雌の雁が同様の行動をしたことが観察されてるね。
その雌は、相手とまともにつがいを結ぼうとする若い雄と次々と「偽りのつがい」を
結んで取っ替え引っ替えして、あたかも性的なからかいをする妖婦のようだったと
その観察をした動物行動学者は記述している。その雌が最終的にどうなったかが
知りたければ、その学者の本を読むといいよ。
小生は二十代後半の高齢童貞であった。今は童貞であるのか、ないのか定かではない。
小生は童貞であったばかりか、女性経験は全くなかった。女性との会話時間は母親を除き、人生の累計で100時間もないだろう。それほど、女性とは縁がなかったし、いわゆる女性との交際に興味は無い。ただし、性欲は有った。通勤途中にはタイトスカートに欲情し、「触ったら犯罪だ」と思いぐっとこらえる程には性欲がある。そして、AV鑑賞と自慰が好きだ。
そんな小生が風俗にて女性と接点を持とうと決意したのは、内発的なものと外発的なものがあった。内発的なものは、AV・エロアニメ・エロ漫画、あらゆるエロメディアに現れる「セックス」(とそれに付随する前戯)が、それほど素晴らしいものであろうか直接経験してみたいと思ったからだ(結果的にはこれは裏切られることになる)。外発的理由は「童貞」というスティグマに小生が耐えられなくなったからだ。友人との会話で、風俗の話を振られて答えられないのが苦痛だったし、会社で女性体験の話題になったときに童貞であると告白すこともできず辛かったからだ。加えて、女性と接することが苦手であったから、性体験が一つの苦手克服のキッカケになると思ったからである。
丁度休暇の得られたタイミングで、意を決して風俗店へ行くことにした。小生が風俗へ行こうと思った理由を考えれば、挿入を経験しておく必要がある。ならばソープ一択と決断した。しかしながら、どの娘が良いだろうかと悩むうちに時間だけが過ぎていった。フォトショ職人の仕事が見事すぎて、どの顔も同じに見えた。しかたが無いので、高級店で髪と身長だけみて小生の好みに合いそうな娘(仮にXさんとする)を選んだ。電話で予約しようとするとお休みと言われた。事前の検討に要した時間が全て無駄になり、自暴自棄になった。もう、3日ほど自慰を我慢していたこともあり、女性であれば誰でも良いという気分に小生はなっていた。そこで、近所の大衆店の中から髪と身長だけを頼りにY嬢を選んで予約した。肩まで掛かるセミロングくらいの黒髪が綺麗だろうと期待した。
お店へ行き、ひとしきりの対応があった。この辺りは、一般的な風俗体験に丁寧な解説があると思われるので割愛する。
実際にY嬢と対面すると、フォトショ職人の凄さが分かる。外見の年齢は30代中盤か後半といったところだろうか。目の前にいる女性が美人であるか、そうでないのか判断がおぼつかない程に緊張していた。とても美人だと感じなかったということは、それほどではなかったのだろう。芸能人で言えば×××に似てると言う感想も持たなかったので、特筆すべき顔つきでもなかったのだろう。髪は綺麗な黒髪のセミロングだった、顔は厚化粧だった。これから一体どうなるのかと不安だったが、何とかなるだろうと楽観的だった。小部屋に入って、小生が童貞であることを告げると、それほど珍しくもない様子だったので安心した。
人生で初めてのキスをした。AVで何百回も見ているキスであったが、実際に体験してみると気持ちが良いという感じはしなかった。感想としては生暖かいコンニャクを口の中に含んでいるというものだった。服を脱がしてもらい、Y嬢も全裸になった。ああ、これからセックスするんだと思ったが全く感情が湧いてこない。ところで、小生はクリスマスに街を歩きながら「今日、街を歩いているカップルはみんなこれからセックスするんだ」という妄想をして、帰宅後に自慰に耽るという大変想像力豊かな童貞だったはずなのだが、全裸の女性を前にして興奮は無かった。
小生はビジホのような風呂に入った。そして、小生が湯船から上がるとY嬢は小生の身体を洗った。Y嬢の胸が小生の腕や背中に当たったが、なんの感慨もなかった。小生が中学生のとき、下着のカタログに載っている些細な胸の谷間にさえ大興奮していたことを思い出したが、いま何も隠すもののない胸を見ても無反応だった。むしろ、他人に身体を洗ってもらうという行為そのものに新鮮さを覚えた。
続いて小生とY嬢は同じ湯船に入った。全裸の女性が目の前に居るのにも関わらず、そこになんの感動も無かった。風呂に浸かりながら、小さくなった股間をペロペロと舐めてくれて、生まれて初めて口内の感覚を知った。強弱を着けて吸ったりしてくれたが、それほど違いが分からなかった。もはや小生はどうやって性的に興奮して良いのか分からなくなった。
マットプレイをしてもらった。まず、うつ伏せでマットの上に寝転がり、Y嬢が上に乗っていた。なるほど、コレは気持ちよかった。その気持ちよさは性的な快感ではなく、全身をぬるぬるした温かい何かで覆われるという肌触りの快感だった。コレだけで値段分の価値は有ったと思った。その間にもゴソゴソと股間をいじってもらったが、一向に興奮しなかった。Y嬢は私の背後に居たので、小生は壁の一点を見つめていた。小生は仰向けになって、Y嬢は上に乗った。これまた、気持ちが良かった。ときどき、股間のイチモツを口に含んでくれたのだが、ここでは少し大きくなったがすぐに萎んでしまった。このとき、初めて女性の胸を触った。柔らかく張りが有った、しかし特に感動しなかった。それから、小生は乳首を含みながら股間のイチモツをシゴカれた。この授乳手コキが、その日一番精神的に高揚したプレイであった。そして、Y嬢はときどき耳に息を吹きかけてくた。これは息の熱さを感じとても気持ちよかった。
マットプレイを終えるとベッドでのプレイとなった。部屋を薄暗くすることになった。この時点で小生の股間は全く機能を果たしておらず、小さくなっていた。ここで、初めて女性の膣に指を入れた。膣の内側は温かく、ヌルヌルとしていた。ふと、中学生のとき好奇心で自身のアナルに指を入れてみたことを思い出し(今はぢが怖いのでやっていない)、人間の温かさとはこのことかと理解した。クリにも触れてみて、なるほどこのような構造をしているのかと感心した。ベッドでは、Y嬢が股間を舐め、膣に挿入してくれた。しかし、行為を行っていくうちに小生のイチモツは小さくなってしまった。なるほど、「セックスとはオナニーほど気持よくない」という友人の名言を思いだし、その意味を知った。口に含んでは萎えるというルーチンを2回ほど繰り返してしまったので、小生は手で射精するということを提案した。
結局、Y嬢は激しく手で小生の股間を刺激してくれて射精となった。射精の後、身体を洗い、拭いてもらい、服を着て退店した。
Y嬢は、作業の途中で色々と小生に世間話を振ってくれた。うまく返せず、申し訳ない気持ちが高まった。小生は、結局プレイの終始を情けない形で過ごしてしまったのだが、Y嬢の対応には何の落ち度も無く問題はすべて小生にあるということを付け加えておく。
結論から言うとセックスはオナニーとは全く別次元の行為であるということである。
AVは基本的に3人称視点で見るものなので、ソープで「自分の視界にY嬢が入っていないが、触覚で性的快感を感じるとき」という場面が多く困惑した。特に、キスやセックスは1人称視点では見えるものが少なすぎて困った。特に、セックスは3人称視点で俯瞰的に見て興奮していたので、1人称視点で見ると情報不足だった。
小生は日頃からコスプレモノあったり、ハイヒールやパンストを履いた女性の動画でオナニーしたり、制服レズキス動画や着衣パンチラ動画で性的欲求を満たして来ていた。しかしながら、ソープで提供されているのはそのような倒錯した性欲とは正反対の、全裸でプレーンな女性だった。したがって、小生が興奮することが出来なかったのは、性欲のフックとなる記号を見つけられなかったからと考えられる。正直に告白すると、小生が大学生くらいまでは全裸で興奮できたのだが、それ以後は全裸では中々興奮できぬ。今回は3日ほど、オナニーを我慢していたので小生の性欲が高まっていると判断したが、緊張には勝てなかった。ちなみに、好きなAVのシリーズは「制服美少女と性交」だ。
この点は、ネット上に散々言われているので繰り返えさない。膣の構造を考えれば刺激が単純であることは容易に想像できる。
この体験を総括してソープは楽しかったかと問われれば、あまり楽しくなかったというのが本音である。セックスは完全な形で出来なかったので、小生は童貞であるのか、無いのか定かでない半人前の童貞である。射精の瞬間以外にはほとんど興奮しなかった。店に足を踏み入れてからは、どうやって性的興奮するのか忘れてしまったようだったのがショックであったが新しい発見でもあった。これまで小生が感じてきた「女性に対する性欲」という幻想を木っ端微塵に破壊されたので、小生の性欲は果たして性欲と呼べるのかということに自信が持てなくなった。はたして、小生が街を往く女性を見て、あるいはAVを見て抱いていた欲望とは性欲と呼べるのだろうか? 女性との肉体的接触で満足が得られないとわかった今では、問に対する答えは謎のままである。
もっと綺麗で可愛い風俗嬢であれば、満足するセックスを行うことができたのだろうか? 多分、そのような問題ではないだろう。小生は有村千佳のようなAV女優が好きである。また、内田真礼のような黒髪ロング(いまは切ってしまったが)で短足の女性も大好きである。これからは内田真礼の水着を見て凄く性的に興奮していたという事実をどうやって受け入れればよいのか、小生には分からない。
昼寝もした、性交した、帰り道に腹一杯の食事をした。小生は人間の3大欲求のすべてを満たし、ソクラテスが言うところの「満足した豚」であった。これからは、この経験を活かして満足した「人間」として適度に性欲につきあいながら生活を送って行きたい。ただ、もう二度と女性とセックスすることは無いだろうと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1090143
http://anond.hatelabo.jp/20170314074657
はてブがツイッターの「#コンビニでエロ本を売らずにおむつを売れ」タグの話題で盛り上がっているみたいなので、
このタグを作った人の書き込みを調べてみたら予想以上にひどかった
拡散希望!
なぜコンビニのトイレの近くにポルノ雑誌の販売コーナーがあるのか。女の子がお母さんに連れられて「そこを通らざるを得ないから」だ。店の片隅の目立たない場所に置くことなんか、手間としては同じだし、客だって閲覧しやすいはずだ。あの場所は「少女を傷つけるのも興奮」だから選ばれている。
なにがなんでもエロ本を撤去したくない男勢が、反発し始めた。そんなにところかまわず自慰したいなら、土偶でも携帯すればいいのに。縄文人にも劣る。
コンビニでポルノ本の会計をさせるのが、若い女性で辛そうなのを見るのが興奮という男たちがいるなかで、開き直れるどじんさんはさすがの中年ですね。もう少し恥をいうものを、取り戻してみられては?
正直、移民で大騒ぎするリベラル男が不快でしかない。彼らは三日に一人女性がDVで殺されても、まったく無関心なのだ。なぜなら肯定しているからだ。「女は人間ではない」。右派の「移民は出ていけ」のほうが、よほど賛同できる。治安が悪くなったとき、一番被害を被るのは女性だ
日本男は、どうも真面目に「男性差別」が存在すると思ってるんではと、疑うようになった。被害者意識が強く、女性が「男に奉仕する」以外の意思を持とうとすると、それが「男性差別」となる。男というのは「女性に奉仕される」のを前提として成り立つ性なので、そうさせてくれない「女は悪」だから。
その場その場で、男がいちばん嫌がりそうな言葉をぶつけていたから、それが他の女性を苦しませる結果を招いたこと、たくさんあったと思う。
自慰をするのだが
ブクマしているエロSSを巡回したらそのうちのひとつに新作が来ていたので
オッじゃあ今回はこれをオカズにすっか!と
画面をオートスクロールにして読み進めながら右手でクリ左手で膣内を刺激していたところ
玄関で物音がした。家族が帰ってきたようなので急いで画面を閉じ、何事もなかったかのように両手をキーボードの上に置く
はぁーーーー…………
大学生の兄弟が帰省しているのでここのところ「家に誰もいない時間」が少なくなかなかゆっくり自慰ができない
自分の部屋ねえの?って思われるかもしれない。自分の部屋はある
しかし自室は寒いしスマホ操作しながらだと片手がふさがるのでなかなかにきつい。両手でするより手がとても疲れる
また、私は普段あまり自室に行かないので不審がられる可能性がある
別に一階に姿が見えなくても
「あれっ喪子ちゃん一階にいないなあ、自分の部屋で漫画でも読んでるのかな?珍しいなあ」くらいで済ませてほしいのだが
母がちょっと想像力のないあれな人なので、私が一階にいないと分かったら
「あれーっ!!どこーーーっ!!!?喪子ちゃあああああん!!!!どこなのおおおおおおお!!!!!!!!」と
夜中になっても娘が帰ってこないおかしい!!くらいの勢いで発狂する可能性がある
イヤまあちょっと話は盛ったが
一緒に洗濯をたたむのを手伝ってほしいから暇なら一階に降りてきてほしいとかそういうちょっとしたことでも
「喪子ちゃん来てえええええええええええ!!!!!!」と大げさに大声を張り上げて
迅速に返事をしないと「喪子ちゃんどうしたの!!?自分の部屋にいるんじゃないの!!?」と発狂するくらいのことをする可能性は十分にある
めんどくせえ
もし「喪子ちゃんは二階で漫画でも読んでるのね」と思ってくれたとしても
母は野生動物か?と思うほど物音に敏感なので私の部屋からミシミシミシミシと音がしたら
「おかしい!!漫画を読んでるような音じゃない!!!!何かが起こってるの!!?」と大騒ぎする可能性がある
あ~~~~~~~いやだいやだ。オナニーをさせろ!!
・袋にU296と書いてあったころ
数字のごろ合わせって田舎のラーメン屋の出前の番号かよと突っ込みたくなりますが、このころは、質実剛健、丈夫な品物をおいていました。生地が厚かったです。デザイン性より実用性でした。独自の品物だけでなく、「Champion」とか海外のブランド品っぽいものも一部に置いてありました。県庁所在地に買い物に行かないとなかったので、特別なお店でした。
お店の出店数が激増していました。まだ、実用品としてイメージが強かったです。品質としてもこのころが最高だったように思います。生地が一番丈夫でした。このころの服で残っているものがあります。売り上げに影響が出るくらいに丈夫です。県で2番手の街にもお店ができました。品が良かった印象があります。
デザインに舵を切りました。スリムフィットという着る人を選びすぎる服を投入。女子からもサイズがないという声が聞こえてきました。男性のLを着ている子と服がかぶりました。生地が薄くなってきたかも?とか丈夫さに疑問符が付くようになりました。毎年同じものを買っているので、違いが出ると気が付きます。
・GU出店後
明らかにGUの商品の生地が薄いことはわかりました。対GUでは品質が良い。色の品ぞろえがデザイナーの自慰行為なのか、棚のエンドに設置されたお値打ち品コーナーにコーデできねえだろ的な色がシーズン遅れで特売されるようになりました。赤シャツとか緑ポロシャツとかレベルが高杉晋作です。坊ちゃんファンとか南海ファンじゃないとつかい道が想像できません。それともイタリア国旗コーデをしろというのかと。通年売っていたビジネスバックがなくなったのが痛恨の一撃でした。気軽に壊してもいいものが買えてよかったのに残念です。ハンカチとか売っているときとそうでないときがあるのがめんどくさいです。
・ここ5年くらい
我が田舎の町にも出店されました。これによって、特別なお店ではなくなりました。買い物に行く特別感が激減したのは否めません。同じくマクドが我が町に出店したあとも特別感が大幅に喪失しました。アメリカの空気を持ってくる特別な店ではないです。日常に入り込んでくることはブランドイメージを重視するようになったユニクロとしては相反する課題です。袋にU296と書いてあったころのブランドイメージに戻ったかなとも思います。
今まで誰にも話したことないし、多分これからも一生誰にも話さない、別に重要でもないけどどうにも恥ずかしい記憶ってあるよね。
初めて発見したのは確か6歳の頃だ。
股間を出っ張りにこすりつけるとなぜか気持ちいい。それは6歳の少年にとっては大発見だった。
もう止まらなかった。毎日のように股間を至る所にこすりつけていた。
(確か、一位はバスタブだった)
これはハッキリと覚えているんだが、母親と一緒に入浴したとき、どうにもガマンができなくなって、俺は股間をバスタブに擦りはじめた。
そしたら言われたよ。
「それ、やめなさい」
ひどく冷たい声色だった。
それ以来、ああ、これはイケナイコトなんだと自覚し、こっそりと楽しむことにした。
しかも家だけでは飽き足らず、親戚の家や友達の家なんかでも、こっそりと席を外してスポット探しをする始末だ。
そしてこの趣味は10年続いた。
高校生になり、ちょうどインターネットが一般に普及し始めたのもあって、俺は正しい自慰の方法を知ることができた。
最初は違和感があったものの、今ではきちんと手でしごいている。
でも、幼少からの趣味が原因なのかは不明だが、現在の俺はとんだ早漏である。
大体、1分もしごけば十分だ。
おかげで風俗にもいけやしない。
ちなみに未だ童貞だ。
女性器に入れたことはなくても、自分が早漏かどうかはおおよそ把握しているものだ。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
俺が知りたいのは、「みんなそんなもんだった」のかどうかだ。
ヤバいビジネスを思いつきました。英語とコミュ力と資金があればしこたま稼げるかもしれませんし、世界を救えるかもしれません。
シャワー浴びてたら唐突に思いつきました。残念なことに私は浪人生で英語も未熟なので、誰かがこれで稼いで日本経済が潤えばと思って投下します。
最近アフリカについて勉強してます。南部でエイズの罹患率が大変なことになっているそうです。
アフリカ南部にボツワナという国があります。ここが今一番エイズ禍に見舞われていて大変だそうです。
ボツワナについて調べたのですが、この国ではエイズの感染を防ぐ為に、ABCキャンペーンというものをやっています。これは「Abstain=貞潔を守る、Be faithful=相手を限定する、use Condoms=コンドームを使用する」の頭文字を繋げたもので、所々に掲げられているそうです。
そして政府の打った広告の中に出てくる「自慰行為では感染しない」という標語があり、国がエイズ感染予防の一環で堂々と自慰を奨励しているそうです。Wikipediaにもキリスト教が半分程度しか浸透していないと書かれており、自慰に対する抵抗も少なそうだと思いました。
つまり政府公認の物凄くデカいオナホ市場が転がっているということです。
別にアフリカの人を差別する気は毛頭ありませんが、キリスト教の影響が少なくて性に対してオープンだからこそエイズが広がったわけで、セルフプレジャーが広がる土壌は十二分にあるわけです。
コンドームもそうです。政府がコンドームを奨励するキャンペーンを行っている今だからこそ、日本の物凄くレパートリーのあるコンドームをそのまま持っていけば、大人気になると思います。多分なります。
アフリカ南部の特徴を書きます。主な公用語は英語、中央に行くほどフランス語です。ボツワナは豊かな国です。アフリカで最初に最貧国を脱し、近年国債の格付けで日本を抜きました。しかも財政黒字です。インフラがキッチリ整備されていて運送などは困らないはずです。治安も良好です。
現地には豊富な資源があります。安価な労働力があります。現地に工場を建てれば安価に大量生産できると思います。現地向けに作って売り出せばとんでもない商機があると思います。ボツワナばっかり書きましたが南アフリカも十分大きなマーケットになると思います。何しろエイズ対策という大義名分が得られそうですから、堂々と販路を拡大できると思います。周辺も同様です。何しろ英語が通じます。
アフリカ諸国はエイズ禍を食い止めるために躍起になっています。ここ数年でなんとか薬が行き渡るようになっているようです。次に各国がしていることはエイズの予防や啓発啓蒙です。それは今です。いきなり工場設置なんて突拍子もないことを書きましたが、まず富裕層向けにでも現行品を輸出してみてはどうでしょう。アフリカといえども東京に大抵の大使館が揃っているので連絡したらパイプが築けるかもしれません。ああ私が受験生でなければ、元手があれば、英語が話せればやっていたのに!!!!!!!!!
工場が安定稼動したら余剰生産分を日本や先進国に回すことだってできます。夢が広がりますがこれらはしがない学生の妄想でしかありません。でもこれを妄想じゃなくしてくれる人が読んでくださる人の中にいると信じています。こんなに書くのは私がやる夫スレを読んでボツワナに個人的な愛着が沸いたから以外の何でもないですが、これで本当にエイズ問題が解決に向かったら歴史が変わります。歴史を変えてください。私はそれを待っています。
昨日の帰り道、誰かが落としたであろうパスケースが”落とし物です”と書かれた紙と一緒に電信柱に貼られていた。
先日にも、子供のものと思われる手提げ袋が立て看板に吊るされていた。
こういうことをする人たちは自分が落とし物をしたことがあるのだろうか。
落とし物をした人が血眼になって探しているのは足元だ。
以前に家の鍵を落とした時、3時間以上探し回って見つけられず途方に暮れた帰り道に街路樹の枝にぶら下げられている鍵を見つけたときは安堵感よりも怒りのほうが大きかった。
その街路樹の前なら少なくとも3回は往復している。それなのに気づかなかったのは、落としたのだから足元にあると思い込んでいたからだ。
それを吊るした人はそれで親切心が満たされたのだろうか。
本当に親切をしたいなら少なくとも交番までは届けて欲しい。
むしろ何の気なしに歩く人の目に止まりやすくなっていることで、悪意にさらされる危険性が増しているということがどうしてわからなかったのだろうか。
最近のネットを眺めていると、これと似たようなことばかりだということに気付いた。
彼らは問題を解決したいのでも困っている人を助けたいのでもない。
自分の自己肯定感を満たしたいがために、問題や困っている人を探しているのだ。
そこには解決も救済もない。
これからの世の中は、そうした消費のされ方がより一層進んでいくだろう。
SNSの普及によって世界中が即座につながることができるようになったことで、今や彼らの自慰行為は世界規模にまで展開が可能になったのだから。
お互いがお互いの人生の物語をお互いの自慰行為のために消費し合う世界がすでに始まっているのだ。
薄汚い欺瞞という手垢に塗れたパスケースを電信柱から引き剥がして地面に叩きつけると、高らかに響いたその音が、新たな戦いの始まりを告げるファンファーレに聞こえた気がした。
女性には1ヶ月の中で妊娠しやすい日、しにくい日(所謂危険日、安全日というやつ)が存在するが
男性の体にもそういう変化があったら、
つまり、1ヶ月の中で精液に含まれる精子の量が増減するといいのになと思う。
これから提案するのは、そんな願望を実現させた、妊娠確率を0に近づけるためのシステムである。
お付き合いすることになったら、薬で二人の周期を合わせる。
そして、女性側の安全日と男性側の安全日(精液中の精子が限りなく少なくなる日)が重なる日に性交すれば安心だ。
女性側の危険日と男性側の危険日(精液中に精子が最大限に含まれている日)に性交すれば妊娠に至りやすいだろう。
女性は生理と体温で安全日、危険日の予測ができるが、男性側は何を判断基準にしたらいいだろうか。
もちろん、毎日自慰していれば濃度で多少は判断できるかもしれないが、
中には自慰しない人も稀にいるようだし、逆に一日に何度も自慰をしている人もいるので、
少し前にtwitterで物議を醸した、生理のように精液が一定期間出続けるというのはちょっと可哀想だ。臭そうだし。
しばらく頭をひねった結果、私は「乳首の色の周期的な変化」によって判断するのが最適だという結論に達した。
なぜ乳首かというと、普段は服の下に隠れているし、体の前面にあり、かつ目が届く範囲に位置しているからだ。
前述した薬を飲むと、危険日には乳首の色が通常時とは明らかに違う色に変化するのだ。
できれば、この色は選択できて、ブルーやビビットピンク、イエローなど好きな色に変化できると楽しい。
女性には、生理周期を知る「ルナルナ」というアプリが用意されているが(おそらく由来は、月経→月→Luna→ルナルナ)
アプリの名前は、そうだな…、「マロマロ」などはいかがだろうか?
(ただし、栗=マロンではないが、日本ではこれが定着しているので)
私は性交の際、ピルを飲み避妊具をつけてもらっているが、それでもいつも不安だ。
性交は好きだが、今妊娠したらと思うと怖くて仕方がない。一番確実なのは性交しないことだが、恋人がいれば性交したい。
悩んでいたら、上記のようなアイデアが浮かんだのだった。
と、ここまで書いたところで、
私は、学校でのストレスから、自慰行為に逃避するようになりました。しかし、それでは飽き足らなくなり、アナニーに手を出しました。最初の内は楽しんでやっていたのですが、だんだんそれに依存するようになっていきました。一か月以上やっていた頃でしょうか。症状が出始めました。抜け毛が多くなったのです。はじめは気にならない程度の量だったのですが、だんだん多くなっていきました。そして、髪が薄くなってきたのです。これにはショックを受けました。人生で一度も起きていなかったことが起きたのですから。元々、自分は気分の変調が激しい人間だったのですが、ずっと抑鬱気分が続くようになりました。アナニーをする前は、頭の中で一日中、言葉で考え事をしていたような人間でした。ところが、肛門弄りをやるようになってから、思考力が格段に落ちました。言葉が頭の中でうまく回らなくなりました。散々、閃いていたアイデアもどっかに逝ってしまったようです。創作活動もまともにできなくなりました。頭の回転も悪くなったような気がします。
はっきり言います。アナニーは絶対にやめてください。快楽と引き換えの害が多すぎます。私は上記のような状態になってしまったが、これを読んだあなたは踏みとどまることができるはず。自分に打ち勝ってください。誘惑に負けないでください。