はてなキーワード: 皇位継承とは
仮に、女系認めても、結局皇位継承者が少ないことは同じ。先延ばしにしかならないので。
旧宮家復帰か、
個人的には秋篠の宮さまが割と進歩的なのでいまからでも側室設けていただきたい。
そもそも一般人も戦前戦直後の家系図みると結構な割合で、(側室はおおくないだろうが)腹違いの子どもがいることが多い。死亡率がたかかったこともあるだろうが、この辺り民俗学的にまとめてる本でもないだろうか?。こうした側面も、日本が戦後すぐに少子化にならなかったことにも一役買っているはず。
個人的には男系で1000年以上つづいてるなら、一次的な時代の風潮で伝統をかえずに、女性天皇をはさみながら地ならしして、あとざっくり500年くらい男女平等が根付いてから女系を認めたら良いと思います。
いずれにしても、雅子さまのこれまでの状況から、日本の少子化と、決められず先送りする社会の犠牲まで体現されていて、いい面も悪い面も、日本の象徴になってて、神ががっていると思う。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 82 | 11656 | 142.1 | 24 |
01 | 39 | 4952 | 127.0 | 38 |
02 | 33 | 9040 | 273.9 | 79 |
03 | 32 | 14764 | 461.4 | 128 |
04 | 20 | 2954 | 147.7 | 130 |
05 | 18 | 1314 | 73.0 | 62 |
06 | 24 | 4160 | 173.3 | 58 |
07 | 41 | 2698 | 65.8 | 19 |
08 | 57 | 3098 | 54.4 | 25 |
09 | 43 | 5185 | 120.6 | 51 |
10 | 53 | 7278 | 137.3 | 42 |
11 | 64 | 9955 | 155.5 | 66.5 |
12 | 88 | 9287 | 105.5 | 49 |
13 | 134 | 8581 | 64.0 | 33.5 |
14 | 131 | 12123 | 92.5 | 39 |
15 | 96 | 16062 | 167.3 | 39.5 |
16 | 116 | 19828 | 170.9 | 50 |
17 | 118 | 22493 | 190.6 | 46 |
18 | 83 | 11177 | 134.7 | 47 |
19 | 108 | 7036 | 65.1 | 31.5 |
20 | 112 | 14019 | 125.2 | 36 |
21 | 79 | 12713 | 160.9 | 47 |
22 | 116 | 17013 | 146.7 | 71 |
23 | 137 | 17557 | 128.2 | 52 |
1日 | 1824 | 244943 | 134.3 | 43 |
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6216603(3193)
みんなそんなさくらももこ好きだったんだ?って気分
いや私も亡くなったのにはびっくりしたしずいぶん早いな、水谷優子と似たような歳で同じ病気でか、息子歳いくつだったっけ?とは思ったけどさ
あ、息子未成年かと思ったら意外と歳いってたな
あんまり好きじゃない作風になってたしアニメもそんな感じだったし人柄とかエピソードとかえー…って思うのあって目に入れないようにしてたけど、そこまでみんな好きだったの?って感じ
吉本ばななと仲が良かったって今回知ってなんか納得したわ
でもTARAKOはショックだろうなと思うわ
つか西城秀樹が亡くなった時にはもうさくらももこも悪かったんだろうねえ
年末だか年度末だか皇位継承だか改元までにまだ何かありそうだな
天皇陛下本人もしくは皇后様だって気をつけなきゃとっくにやばい歳だけど、こればっかは個々の性格も事情も庶民にはわからんわ
じーちゃんばーちゃん無理すんなと思っても後継はいても代わりいないし難儀な事だ
そう思われるのも嫌かもしんないしねえ
そういや矢沢あいって今どうしてるんだろ?それこそ具合悪いんじゃなかったか
ナベツネとかミスターとかあの辺りやらジャーニーとかになんかあったら時代の終わりっぽさ加速かな
今どうしてるんだかはさっぱりわかんないけどさ
元号 | 出典 | 備考 |
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大化 | 『書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 | |
白雉 | 『漢書』巻12 平帝紀 | |
朱鳥 | 『礼記』曲礼 | |
大宝 | 『易経』繋辞下 | |
慶雲 | 『文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 | |
和銅 | ― | 和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元 |
霊亀 | ― | 瑞亀献上により改元 |
養老 | ― | 養老の滝命名に因んで改元 |
神亀 | ― | 白亀出現の瑞祥により改元 |
天平 | ― | 「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元 |
天平感宝 | ― | 陸奥からの黄金献上により改元 |
天平勝宝 | ― | 孝謙天皇即位により改元 |
天平宝字 | ― | 蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元 |
天平神護 | ― | 藤原仲麻呂の乱を神霊の護りによって平定したことによる |
神護景雲 | ― | 瑞雲の発現により改元 |
宝亀 | ― | 瑞亀献上により改元 |
天応 | ― | 伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元 |
延暦 | 後漢書 五十二巻 | |
大同 | 『礼記』礼運篇 | |
弘仁 | ― | |
天長 | ― | |
承和 | ― | |
嘉祥 | ― | 豊後国大分郡の寒川(現在の大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元 |
仁寿 | ― | 白亀・甘露の瑞祥による改元 |
斉衡 | ― | 石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元 |
天安 | ― | 美作国・常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元 |
貞観 | 『易経』 | |
元慶 | ― | 白雉・白鹿献上の瑞祥による改元 |
仁和 | ― | |
寛平 | ― | |
昌泰 | ― | |
延喜 | 『尚書』旋璣鈐 | |
延長 | 『文選』東都賦、白雉詩 | |
承平 | 『漢書』 | |
天慶 | 『漢書』 | |
天暦 | 『論語』 | |
天徳 | 『周易』 | |
応和 | 「董巴議」 | |
康保 | 「書経」 | |
安和 | 『礼記』楽記第19 | |
天禄 | ― | |
天延 | ― | 天変、地震による改元 |
貞元 | ― | 火災、地震による改元 |
天元 | ― | 災変、陽五厄による改元 |
永観 | 『書経』洛誥 | |
寛和 | ― | |
永延 | 『漢書』巻75翼李伝 | |
永祚 | 『晋書』巻21礼志 | |
正暦 | ― | 大風、天変による改元 |
長徳 | 揚雄の『城門校尉箴』 | |
長保 | 『国語』(周語中) | |
寛弘 | 「漢書」(元帝紀賛) | |
長和 | 『礼記』(冠義) | |
寛仁 | 『会稽記』 | |
治安 | 『前漢書』 | |
万寿 | 『詩経』 | |
長元 | 『六韜』 | |
長暦 | 『春秋』または『晋書』 | |
長久 | 『老子』(七章) | |
寛徳 | 『後漢書』(杜林伝) | |
永承 | 『書経』 | |
天喜 | 『抱朴子』 | |
康平 | 『後漢書』 | |
治暦 | 『尚書正義』 | |
延久 | 『書経』または『尚書‐注』 | |
承保 | 「尚書」 | |
承暦 | 「維城典訓」 | |
永保 | 『尚書』 | |
応徳 | 「白虎通」 | |
寛治 | 『礼記』 | |
嘉保 | 『史記』 | |
永長 | 『後漢書』巻1光武帝紀 | |
承徳 | 『周易』 | |
康和 | 崔寔『政論』 | |
長治 | 『漢書』 | |
嘉承 | 『漢書』礼楽志 | |
天仁 | 『文選』 | |
天永 | 『尚書』 | |
永久 | ― | 『詩経』? |
元永 | ― | 天変、疾疫による改元 |
保安 | ― | 天変、厄運による改元 |
天治 | 『易緯』 | |
大治 | 『河図挺佐輔』 | |
天承 | 『漢書』 | |
長承 | 『史記』 | |
保延 | 『文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 | |
永治 | 『魏文典論』『晋書』武帝紀 | |
康治 | 『宋書』 | |
天養 | 『後漢書』 | |
久安 | 『晋書』劉頌伝 | |
仁平 | 『後漢書』孔奮伝 | |
久寿 | 『抱朴子』 | |
保元 | 『顔氏家訓』文章篇 | |
平治 | 『史記』夏本紀 | |
永暦 | 『後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 | |
応保 | 『尚書』 | |
長寛 | 『維城典訓』 | |
永万 | 『漢書』巻64王褒伝 | |
仁安 | 『毛詩正義』 | |
嘉応 | 『漢書』王褒伝 | |
承安 | 『尚書』 | |
安元 | 「漢書」 | |
治承 | 「河図挺作輔」 | |
養和 | 「後漢書」 | |
寿永 | 「詩経」 | |
元暦 | 「尚書考霊耀」 | |
文治 | 礼記祭法 | |
建久 | 『晋書』『呉書』 | |
正治 | 「荘子‐漁父」 | |
建仁 | 『文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 | |
元久 | 「毛詩正義」 | |
建永 | 『文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 | |
承元 | 「通典」 | |
建暦 | 『後漢書』 | |
建保 | 「尚書」 | |
承久 | 「詩緯」 | |
貞応 | 『易経』 | |
元仁 | 「周易」 | |
嘉禄 | 「博物志」 | |
安貞 | 『周易』上経坤 | |
寛喜 | 「後魏書」 | |
貞永 | 「易経」(坤卦) | |
天福 | 「書経」(湯誥) | |
文暦 | 『文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 | |
嘉禎 | 「北斉書」 | |
暦仁 | 「隋書」(音楽志下) | |
延応 | 『文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 | |
仁治 | 『新唐書』 | |
寛元 | 『宋書』 | |
宝治 | 「春秋繁露-通国身」 | |
建長 | 「後漢書」 | |
康元 | ― | 赤斑瘡による改元とみられている |
正嘉 | 「芸文類聚-歳時中・元正」 | |
正元 | 「詩緯」 | |
文応 | 「晋書‐劉毅伝」 | |
弘長 | 「貞観政要‐封建」 | |
文永 | 「後漢書‐荀悦伝」 | |
建治 | 「周礼」 | |
弘安 | 「太宗実録」 | |
正応 | ― | 伏見天皇即位による改元 |
永仁 | 『晋書』巻22楽志 | |
正安 | 『孔子家語』 | |
乾元 | 『周易』 | |
嘉元 | 『芸文類聚』天部 | |
徳治 | 『左伝』 | |
延慶 | 『後漢書』馬武伝 | |
応長 | 『旧唐書』礼儀志 | |
正和 | 「唐記」 | |
文保 | 『梁書』 | |
元応 | 『唐書』 | |
元亨 | 『周易』 | |
正中 | 『易経』 | |
嘉暦 | 『唐書』 | |
元徳 | 『周易』 | |
元弘 | 『芸文類聚』天部 | |
正慶 | ― | 光厳天皇即位による改元 |
建武 | ― | 『文選』? |
延元 | 『梁書』 | |
興国 | 『春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 | |
正平 | ― | 天変や兵革による改元か |
建徳 | 『文選』 | |
文中 | ― | 『易経』彖伝上? |
天授 | ― | 『史記』淮陰侯列伝? |
弘和 | ― | 『書経』君牙篇? |
元中 | ― | 『易経』彖伝上? |
暦応 | 『帝王代記』 | |
康永 | 『漢書』 | |
貞和 | 『芸文類聚』 | |
観応 | 『荘子』 | |
文和 | 『旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権伝 | |
延文 | 『漢書』儒林伝 | |
康安 | 『史記正義』と『唐紀』 | |
貞治 | 『周易』 | |
応安 | 『毛詩正義』大雅江漢 | |
永和 | 『尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 | |
康暦 | 『唐書』 | |
永徳 | ― | 『群書治要』巻17? |
至徳 | 『孝経』 | |
嘉慶 | 『毛詩正義』 | |
康応 | 『文選』曹植七啓 | |
明徳 | 『礼記』 | |
応永 | 『会要』 | |
正長 | 『礼記』正義 | |
永享 | 『後漢書』 | |
嘉吉 | 『周易』 | |
文安 | 『晋書』 | |
宝徳 | 『旧唐書』 | |
享徳 | 『尚書』 | |
康正 | 『史記』と『尚書』 | |
長禄 | 『韓非子』 | |
寛正 | 『孔子家語』 | |
文正 | 『荀子』 | |
応仁 | 『維城典訓』 | |
文明 | 『周易』 | |
長享 | 『文選』 | |
延徳 | 『孟子』 | |
明応 | 『周易』 | |
文亀 | 『爾雅』釈魚 | |
永正 | 『周易緯』 | |
大永 | 『杜氏通典』 | |
享禄 | 『周易』 | |
天文 | 『易経』 | |
弘治 | 『北斉書』 | |
永禄 | 『群書治要』巻26 | |
元亀 | 『毛詩』と『文選』 | |
天正 | 『文選』と『老子』 | |
文禄 | 杜佑『通典職官十七』 | |
慶長 | 『毛詩注疏』 | |
元和 | ― | 徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた |
寛永 | 『毛詩朱氏注』 | |
正保 | 『尚書』正義 | |
慶安 | 『周易』 | |
承応 | 『晋書』律暦志 | |
明暦 | 『漢書』律暦志と『後漢書』 | |
万治 | 『史記』と『貞観政要』 | |
寛文 | 『荀子』致士篇 | |
延宝 | 『隋書』音楽志 | |
天和 | 『尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子』 | |
貞享 | 『周易』 | |
元禄 | 『文選』 | |
宝永 | 『旧唐書』 | |
正徳 | 『尚書』正義 | |
享保 | 『後周書』 | |
元文 | 『文選』 | |
寛保 | 『国語』周語 | |
延享 | 『芸文類聚』 | |
寛延 | 『文選』 | |
宝暦 | 『貞観政要』 | |
明和 | 『尚書』 | |
安永 | 『文選』巻一 | |
天明 | 『尚書』 | |
寛政 | 『左伝』 | |
享和 | 『文選』ら | |
文化 | 『周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝 | |
文政 | 『尚書』舜典 | |
天保 | 『尚書』 | |
弘化 | 菅原為定の漢文 | |
嘉永 | 『宋書』楽志 | |
安政 | ― | 内裏炎上、地震(安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元 |
万延 | 『後漢書』馬融伝 | |
文久 | 『後漢書』謝該伝 | |
元治 | 『周易』 | |
慶応 | 『文選』 | |
明治 | 『易経』 | |
大正 | 『易経』彖伝・臨卦 | |
昭和 | 書経堯典 | |
平成 | 『史記』五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 |
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代始改元は,(中略)平安時代からは806年の平城天皇の大同の改元の場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。
※南朝の元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?
※元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和と昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?
春陽の候、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。 さて、突然でございますが、貴方に折り入ってご相談したいことがありましてお手紙を差し上げます。
ご存じないかもしれませんが、現在千代田城を根城にしている自称天皇家は帝の地位を詐称する偽物であり、正当な皇位は熊野宮信雅王の直系血脈である我が熊野宮家にあります。
しかし曾祖父・118代大延(熊沢)天皇、そして祖父・119代尊信天皇の二代に渡り、日本国の本当の天皇としての地位を主張し続けてきた熊野宮家ですが、近頃は千代田城に巣食う自称天皇家の圧力に押され日陰で暮らす事を余儀なくされております。
偉大なる曾祖父・大延聖帝がかろうじて残してくださった二億円の遺産で、臣民に紛れた隠遁生活は大きな屈辱ではありますものの、いつの日か千代田城の自称天皇家を排斥し、私たちこそが正当な皇室である事が世に認められる日が来ると信じております。
さて、120代にあたる父・今上陛下は近頃体調が優れず、(これは極秘なのですが)もう長くないとされております。次の正月は迎えられない事でしょう。 しかし父には男子が無く、現在皇太子の座は空位のままとなっているのです。ですが現行の皇室典範の関係上、女子である私が践祚する事は出来ません。
厳密なる調査の結果、貴方様は遠縁ながら熊野宮家の血を継ぐ人物である事が判りました。 そこで熊野宮王朝は貴方こそが皇位継承第一位に値する男子であると断定したのです。
お願いです。
どうか皇室入りし、第121代天皇を受け継ぐ者として立太子の礼をあげてください。 貴方様が傍系である以上、婿養子という形で私と結婚して頂く必要がありますので無理にとは言いません。 私を妻とする事に依存が無ければ、という条件で構いません。
ちなみに私の名前は茶々。まずは私の写真を載せたホームページのアドレスをお送りいたしますので(貴方だけに見せるプライベートページです)、そちらを見て判断して頂けないでしょうか。 もしOKという事であれば、ホームページにある「立太子ボタン」を押してください。
貴方様に断られてしまいますと、神武以来120代に渡って続いてきた天照の血が途絶えてしまうのです。
良いお返事をお待ちしております。
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最近ちきりんという人が天皇制は素晴らしいという記事を続けて書いていて、多少納得する点もあるけど、ここであえて反対の論陣を張ってみようと思う。
まあこれは全ての君主制に言えるけど、
生まれた時から一部の人が何らかの特殊なステータスを持っているというのは
今の日本の平等、民主主義、人権擁護の原則にそぐわないよねという話。
歴史的に女性天皇がいたにも関わらず現在のルールでは女性は天皇になれないし、
女系がダメというのも歴史的文脈以外の合理的な理由づけはない。
国の「象徴」が性差別的イデオロギーを生産し続けるのはどうなのと。
皇族は各種基本的人権を保障されていないため、言いたいことも言えず
今の日本の平等、民主主義、人権擁護の原則にそぐわないよねという話。
さらに、日本独自の状況として皇位継承者とその妻は子供を産めというプレッシャーも相当なもの。
皇妃と皇太子妃に期待されている素質は文字通り「産む機械」となること。
精神を病む人が続出するのも頷ける。
今上天皇の君主としての資質と国民に寄り添う姿勢が歴史的にも世界的にも最高レベルなのは疑いない。
だが将来にも渡って彼のような国民から支持される天皇及び皇族が出てくるのか?
歴史的に精神を病んだ王族は多く、日本はすでに皇太子妃がダウン。
これからの皇族の子供たちは現代社会の監視プレッシャーに耐えられるのか?多分無理。
間接的とはいえ国民の意思で政策決定されるのに、王室同士で付き合う意味が本当にあるのか?
1913年にはロシア皇帝とイギリス国王がドイツ皇帝の娘の結婚式に一緒に出席して仲良くしていたが
全く意味はなかった。ちなみに彼らはいとこ同士である。100年前の半独裁国家でさえこれ。
日本の皇室は世界で支持されている?まとめサイト以外のソースplz
それゆえ昔から続いているものを変更するなんてありえないという主張だが、
そもそも現状の天皇制自体明治憲法と戦後体制のミックスで作られたもので
女性天皇が複数いたのもそうだし、過去の天皇はみな仏教徒で、好き勝手に引退し、好き勝手に継承者を選んでいた。
もし昔の天皇が今と同じように後継者問題に悩まされていたら女系だってなんだってありだったろう。
政治的にも親政、院政、なんかよくわからんが偉い人、神聖不可侵の大元帥とコロコロ変わっている。
女系男系議論にも関わってくる話だが、天皇制の正統性は歴史的文脈だけから来るものではない。
天皇の現在の地位は国民の総意に由来するもので、天皇がどのように職務を務めるかという点が今の国民の天皇制への支持の大きなポイント。
その点を今の天皇は非常にうまくやっている。平成になって天皇廃止論が鳴りを潜めたのも現在の天皇の国民に近づこうという姿勢があるから。
逆に言えば今の天皇の職務をうまく果たせる人なら役割を果たせる。
ちきりん氏は「『民主的な、差別のない方法で天皇を選ぶ』なんてことをしたら、誰もそんなものの価値を認めなくなる。」と書いているが、
実際そうとは言い切れない。いい例がカナダ総督(ガヴァナージェネラル)
カナダ総督は憲法上君主の役割をはたしていて、任期は五年、実務上は首相が選ぶわけだが、
現在は元宇宙飛行士の女性でフランス語話者、その前は英語話者の高名な学者
その前は元ハイチ難民でフランス語話者で黒人女性のニュースキャスター、
「民主的な、差別のない方法で天皇を選ぶ」を地で行っているわけだが、
価値が認められなくなるどころか逆に多様性とその理念から幅広く支持されている。
まあ日本とカナダでは歴史も社会も全く違うわけで、いきなりカナダ風人選を日本に持ってくると
向井千秋、滝川クリステル、CWニコルのような人選となり支持されるとは思えないが
御譲位を機に皇位継承資格者を男系男子から直系男子に皇室典範を改正するべきである。
家は男が継ぐものであり、日本古来の伝統を守るためにも女性天皇は断じて認めるべきではない。女は男や家族に尽くすものである。男子が家を継ぐという神武天皇以来の祖法を決して犯してはならない。
現在、皇室はかつてない危機に直面している。このままでは、近い将来、皇位継承者がいなくなってしまうだろう。また、こうした状況を利用した反日勢力が、君臣の別を弁えない旧皇族の皇籍復帰論や女性天皇容認論を声高に叫んでいる。
男子継承を守りつつ千代に八千代に皇位を継承させていくためには、女系を認め、直系継承へと変えていかなければならない。
そのためにも女性宮家を創設し、女性皇族に男子を産んでいただかなければならない。
皇位継承資格を男系男子にしか認めないという現在の状況が続くと近い将来、皇位継承者がいなくなるだろう。
悠仁親王殿下が成人し結婚して、万が一女子しか生まれなければ悠仁親王殿下の代で皇統が断絶することになる。
仮に男子が生まれてれ断絶の危機を回避できたとしても側室制度がなければいずれまた同様の危機が訪れるだろう。
現在、女性宮家の創設や女性天皇、女系天皇の容認といった議論がなされ今上天皇から続く皇統を守ろうという議論がなされている。
しかし、私はあえて皇統断絶すべしと申し上げたい。
今上天皇から続く男系男子の皇統が途絶え、皇位継承者がいなくなれば、天皇制は消滅し、日本は共和制へと移行することになるだろう。
そして、天皇という存在は、政府の機関から解放され、神となるのだ。
仮に今上天皇から続く男系男子の皇統が途絶えても旧宮家などに神武天皇から連綿と続く男系男子がどこかにいらっしゃるだろう。
その男系男子の中の誰かに一宗教法人の神として御即位していただくのだ。
眞子さまの婚約が非常にめでたいが故にふと思ったが、今上天皇が退位した後には皇太子が即位して新たな天皇となる
年齢は既に60歳に近く、在位期間は父親とそう変わらず30~40年程となるだろう。そこまではいい
現状唯一の現実的な将来の皇位継承者である悠仁さまが男の子供を儲けなかった場合はその時点で悠仁さまが最後の天皇となり、皇統断絶は確定となる
ということになるが、2を用いるのは「男系男子によって万世一系として受け継がれてきた皇統の歴史を葬り去る事となる」という理由で保守派は反対しているらしい
つまりそんなカビの生えた様なふざけた理由でしか反論できない程ロジックとしては弱い訳だが、どういう訳か皇統断絶対策に関する議論は思惑通り全く進んでいない
ちなみに1は「既に一世紀近く一般人となってた連中を今更皇族に戻すなど国民は違和感があるだろうし、皇室に掛かる国費=税金の負担増加も考えれば非現実的」という
極めてシステマチックな理由でまた消極的である。至極もっともで当たり前の話だ
問題を解決する為に残された期間があまり無い以上、どう考えても皇室の女系移行は既定路線の筈なのにそれを許さないというのであれば
高潔なる天皇家を認めることは、当然その対極に、穢れたる存在を生み出す。
天皇や皇族を、家柄や血統が良いとして崇める事は、構造的に部落民を差別する事と一緒である。
天皇が聖性を家柄・血統として、代々伝えることを認めるならば、部落民の賤性もまた、家柄・血統として代々伝えられることを認めることになるのである。
また、賤であり穢れた存在を置くことは、天皇自らの聖性・浄性を相対的に高めるという効果がある。
天皇家にゆかりがある関西や、大和朝廷と関係がある地域と思われる福岡・熊本・大分に被差別部落が多いのは、おそらく古代・中世期に天皇制権力が賤民や部落民の原形を作り上げたからではないかと考える。
天皇が聖性を家柄・血統として代々伝えることを認めるならば、部落民も当然その賤性を代々伝えていくことまで認めることになるのである。
天皇家は天照大神から万世一系に繋がっていると信じさせている。何が万世一系と見なされているのか。
一つ目は、三種の神器の継承、である。これは天照大神の時代から代々伝わっているとされている。
二つ目は、霊が繋がっている、とされている。大嘗祭は、収穫を祝う祭であるが、それだけでなく、現在の天皇が旧天皇の死体と共に寝るという儀式もある。これによって、先帝の天皇霊が新天皇の身体に憑くのである。したがって、天皇は天照大神と霊的につながっている現人神とされたのである。
三つ目は、血が連続している、とされている。皇位の根拠が古代以来連続してきた血統にあるとされた。
そしてこの連続性は当然今後も継続することが当たり前であるということを正当化させる。こうした天皇の万世一系性は、あらゆる家系に優越し超越する天皇家の家系を強調し、皇位の不動性をわれわれに当然のものとして受け取らせるのである。
万世一系を唱えることのメリットとしては、天皇の宗教的権威や統治権の絶対性、さらには身分と地位の永続性が担保されるということが考えられる。
奈良・平安時代などは、天皇や皇族の後ろ盾にいる各豪族の抗争次第で、皇位は血統原理と関係なく移動したのである。
例えば、聖徳太子は、血統原理から言えば正統な皇位継承者だったのだが、結局天皇にはなれなかった。また672年に起きた壬申の乱では、天皇と名乗る大友皇子(天智天皇の子)を大海人皇子が武力で倒し自らが天皇になった。
又、天皇家は、万世多系であった。桓武天皇の母親は朝鮮からきた人というのは有名な話である。また皇室には代々側室なるものが存在し、その側室は平民から選ばれたのである。明治天皇や大正天皇は側室の子供である。(明治天皇の側室で大正天皇の生母であった柳原愛子さんは大正天皇が知的障害者であったことの責任をなすりつけられたそうである)そのことは皇室の家系図には書かれておらず、あたかも天皇が一人で子供を産んだように書かれており、見る人に天皇家は万世一系につながっていると思い込ませているのである。
更に、現在の天皇家は足利尊氏が無理矢理作り出した北朝の子孫であることである。血統原理でいくならば、正統な皇位継承権は南朝にあるのである。(南朝の子孫とされる熊沢という人が大東亜戦争後に、皇位継承権は自分にある。と訴えた話は有名である)
天皇陛下はいつも国民のことを考えておられる。福祉にも御興味をもたれ、障害者にも優しいお方である。などと思っている人の何と多いことであろう。しかし天皇家は実は思いっきり穢れた家柄・血統の人間を差別しているのである。
天皇・皇族の部落民に対する差別事例をここでいくつか挙げてみる。
1868年に制定された『法令全書』の第1巻686号には、天皇が巡幸する際に穢れ多い部落が見えないように部落を筵で隠すべきということが書いてある。
そのことの事例として、1922年に起きた大分県の的が浜地区焼き討ち事件、がある。事件のあらましは、皇族が列車で巡幸する際、沿道沿いにある、的が浜スラム地区、が皇族の目に触れないように、その地区を警官が焼き討ちした、という事件である。的が浜地区は正確には被差別部落ではないが、非人系の部落民や、ハンセン病者や、浮浪者が多数居住していたスラム地区であった。
これは大正年代の出来事だが、奈良県の畝傍山のふもとにあった洞(ほうら)部落が、その下にある神武天皇陵を見下ろす位置にあるとして、行政側は1917年にその部落の強制移転を求め、20年にそれを強制執行した。その際、洞部落の部落民の遺骨も穢れているとして、徹底的に取り除かせた。
例えば、宮中の賢所に使える女官を選ぶ基準は血統・血筋である。穢れも未だに重視しており、彼女らが月経のとき、お下り、といって強制的に休ませている。月経が終わっても穢れを祓う儀式をしないと元の仕事に戻れないそうだ。
そして最も重大なのが、結婚相手の調査を正々堂々としているということである。
1993年1月5日付け読売新聞朝刊の一面によると、宮内庁は、皇太子妃候補の身元調査を大手興信所に頼んだとのことである。そこには皇室専門の興信所員がいるとのことである。そして直系は4代先まで溯り、大祖父、祖父のきょうだいまで徹底的に調べたそうである。そして雅子さんが優秀な家系で驚いたなどと興信所は言ったそうである。皇室は差別主義に凝り固まっていると言える。
天皇制擁護者の大多数は、天皇・皇室は日本の伝統だ。という理由で賛成していることだろう。しかし天皇制は日本オリジナルではない。天皇という概念は、中国における道教の最高の信仰対象であった天皇大帝から来ているのだ。
天皇家は、伊勢神宮か京都御所で儀式とか神主でもやるべきだ。もちろん、その際でも、天皇・皇族も国民という立場で勤労・納税の義務を負い、また参政権を含めた基本的人権を有する立場に置かれるべきだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170604204919
日本史の教科書をいくら見ても本当のところは理解できないんですよ。
なぜ北条家が坂東武士の頂点に立ち、鎌倉幕府を頼朝が作ったにも関わらず、北条がその後の支配権を握り続けたのか。そして戦国時代に「後北条家」が、北条家と特に関係がないのに成立し、関東の盟主足り得たか。源氏とは、北条とは何か。
北条は、坂東平氏の家柄である。坂東平氏とは、桓武天皇の血を引く、関東にやってきた平氏の総称であり、その五世である平将門が新皇を自称して、朝廷に対して関東の支配権を主張して反乱を起こし、敗れた後に祟りを起こして神となったことで、関東に決定的な影響力を及ぼすようになった。
平将門は神である。そこを間違えてはいけない。平将門の怨念とされるものは畏敬の対象として、現代人に対しても深く印象づけられているが、関東ではほぼすべての神社が平将門を祀っていたほどに力があった。坂東武士たちにとっては、平将門は実際に神であり、朝廷に反旗を翻し関東に独立した政権を、坂東平氏が頂点となって打ち立てることは坂東武士の念願であった。平忠常というそのへんの平氏が関東で反乱を起こしただけで一大ムーブメントになってしまうぐらい、平氏が関東を支配し朝廷から独立するという夢は坂東武士の間に広がっていた。元記事に書かれている関東の有力豪族、千葉氏、上総氏は、平忠常の子孫とされている。
そこにやってきたのが源頼朝である。源頼朝は清和源氏の事実上の嫡流である。清和源氏、桓武平氏といった用語を知らない人のために説明すると、天皇家は偉いわけだが、子孫がいつまでも皇族だと皇族が際限なく増えてしまい、現代で言う宮内庁の予算が際限なく増えてしまうので、どこかで平民になってもらわなければならない。平民になる時に、皇族には名字がないので、名字を与える必要がある。その時に、源、平の名字が与えられた。天皇の血を引くスゴイ人たち、という意味が源、平という姓には込められている。清和源氏は清和天皇の子孫で源姓を名乗った人たち、桓武平氏は桓武天皇の子孫で平姓を名乗った人たちである。
たとえば足利も、徳川も、本姓は源である。源尊氏、源家康が本名だ。なぜ足利とか徳川というかと言えば、源が増えすぎて区別の必要が出てきたというのもあるが、源というスゴイ名字を出すのは気が引けたから、という要素が大きいように思う。本当の名字は避け、住んでる所を名字にする、といったことをして、木曽義仲とか、足利尊氏とか、あるいは自分ででっち上げた徳川という名字を使った家康のような人もいる。これを説明するには、武士にとって本名にいかに大切であったか述べなければならないが、面倒だ。武士の下の名前は諱(忌み名、呼んではいけない名前)とされていたということを考えれば、上の名前もそれなりに大事だということはわかると思う。(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)
平忠常の乱を平定しようとした、桓武平氏嫡流の平直方は、乱の平定に失敗するが、清和源氏の事実上の嫡流である源頼義を婿に迎え、領地であった鎌倉を譲り渡す。この時、鎌倉は坂東の源氏の拠点であると同時に、平氏と源氏の嫡流が交わった聖地という意味が生じた。そこから八幡太郎義家が生まれ、源氏の声望が高まり、その嫡流である頼朝を権威づけていく。
ここまでくれば、坂東平氏である北条家が頼朝を婿にとり、鎌倉を本拠地に据えた意味が分かるだろう。平家と源氏が交わり、鎌倉を拠点とするというのは故実に則った神聖な儀式なのだ。ちなみに、北条家が坂東平氏の由緒正しい血筋だというのはおそらく自称であり、フィクションである。だが坂東武士は将門の祟りの方が怖いので、血筋の細かい所は気にしないのだ。
鎌倉に作られた幕府は初めから天皇を中心とする朝廷と対立関係にあり、承久の乱で勝利することで朝廷の上位に立ち、皇位継承を操作するまでになった。それはなぜかといえば、平将門が朝廷からの独立を志向していたからである。平将門の怨念が実際に実を結んだのが鎌倉幕府である。頼朝の下で働いた北条、梶原、三浦、和田、千葉、熊谷などは、みな坂東平氏である。そして役割を終えた源氏はどこかに消えて、坂東平氏、北条家による支配が行われた。
そして戦国時代、後北条家の話になるが、後北条家は伊勢新九郎盛時、北条早雲によって立ち上げられる。伊勢氏は室町幕府の政所執事の家柄で、ものすごく偉い。ちなみに桓武平氏である。
室町幕府というのは北条家に牛耳られた鎌倉幕府を倒して出来た政権である。鎌倉幕府内の源氏で最高の血筋だった足利が鎌倉幕府を倒し、北条家はほぼ滅亡してしまう。そして源氏である足利は京都に朝廷とベッタリの幕府を作った。平氏による独立志向の関東の幕府から180度の転換である。
史実ではものすごく偉かった伊勢新九郎盛時であるが、実家が室町幕府の偉い家柄で、関東を牛耳りに来たというのは、いかにも坂東武士には都合が悪い。仕方ないので、先祖を辿れば同じ坂東平氏という縁にあやかって、北条の名を名乗ることにした。ちなみに名乗ったのは息子の氏綱の代である。そこで、おそらく後北条家のプロパガンダによって、歴史改変が行われ、謎の素浪人北条早雲が、下克上の嚆矢となり関東に覇を唱えたという、我々のよく知るストーリーが現れる。よく調べると、全てデタラメである。
これにより、なぜ後北条家が秀吉と争い、滅亡への道を歩んだかも分かるだろう。秀吉は関白、天皇の代理人である。天皇と対抗する存在である坂東武士にとって、秀吉に降ることは、平将門の祟りを招きかねない決断であった。そのため、天下の趨勢が決しても、徳川や伊達の援軍が得られなくても、単身で秀吉と抗い、滅びたのである。それだけ将門の祟りへの畏れや、坂東武士の誇り、天皇家という存在に対する対抗心が強かったのだ。
平将門は武士の始まりであり、武士のスピリットを体現する存在である。武士は武装し土地を守り、権力に抵抗する存在であると同時に、一族で争い、殺し合う存在である。その構図は徳川家康が武士を飼いならすことでご破産になり、そこにあった本質は見えにくくなってしまっているが、武士を知りたければまず平将門を見て欲しい。