はてなキーワード: 牢屋とは
書くことはつらい目に遭っている人の心のバランスを取る効用がある。
古くは司馬遷だったり、マルキドサドだったり、それを翻訳した澁澤だったり日本のヤクザ小説家だったり、政治家だったり。
それぞれ集中しやすい獄中からなかなかの名作本を書いている。https://scrapbook.aishokyo.com/entry/2015/12/20/112208
また自分は本をかけなくてもインタビューに答えて出版してもらう形で印税を得る人もいる。
それではてなブログもとりあえずは「自分を表現してみませんか、自分を振り返る効用がありますよ」ということで
10年つづいてきた(今キャンペーンをやっているhttps://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog10th-question10 万ねん筆だのインクだのの筆記具をくれるらしいが、万年筆って蓋をしていても一か月もすれば中身のインクがカラカラに乾くから個人的には嫌い)。
ダイアリーといいながらも、わりあいに小説だったりエッセイと呼べる程度にクオリティの高い長文が投下されていた。
はてなダイアリーはすんなりとはてなブログに移行され、どちらもたしか6万字程度が上限だった。十分な長さだ。
ところが横の連帯はキーワードリンク程度しかない寂しい修行場のような場所でもあった。
そこではてなハイクができた。上限たしか1万字程度で、論戦には十分だが基本的には猫や鳥や料理の写真と大喜利が主流であった。
だがツイッターの台頭が「牢屋や修行場のようにしずかでいること」あるいは「なごやかな大喜利や生活報告にとどまること」をネット民に許さなかった。140字の揚げ足取りがネットの主流になってしまった。
ツイッターに論客()を取られたあとのはてなには100字のはてなブックマークとはてなダイアリーのシステムをほぼそのまま流用した使いづらいはてなアノニマスダイアリーが残った。
ここでいいたいのは、増田で書くことには効用が薄いということだ。人前ではいえないこともSNSでいくらでも本名から遠いハンドルネームをつくって書いたり同士を募ったりすることができるのに、そのハンドルネームによるアイデンティファイさえ捨てて言いたいことなど、この増田をみていてわかるように
「もっと俺をみろ」
「パンティ見せろ、しゃぶれ」
という5歳児のような(いや性欲がある分5歳児より悪い)我欲の塊でしかないのである。
まるで、「蜘蛛の糸」でお釈迦様が糸をたらした地獄そのものだ。ありもしないチーズを探すネズミどもの居場所がここなのだ。
だから、文章を書くときは、ここ以外で書け。効用を求めるのならIDをつけられる場所で書け。できれば自分だけのために書け。
ここで書きだしたら終わりだと思え。
ワイの親父はそういうことを言ってたけれど、ワイからしてみたらそれは異世界の話だった。
ワイは大学生のころ夜遅くまでレポートと実験計画書を作成し、土日もレポートと課題をやってた。
まあ、進学校で塾に行っていたから高校時代も予習・復習で夜遅くまで起きていたし、土日は塾に行っていたわけで、そういう生活にすでに慣れていてそんなに苦じゃなかった。
大学院もまあ、そんな感じ。違いは誰かが課題を与えてくれるわけでないので、ひたすら論文を読んで研究のネタになる話を探し続け、ネタになりそうなものを試してみる生活。
どうやって知ったか覚えていないが、インターネットを徘徊するのが好きだったので、もしかしたらこの匿名ダイアリーをきっかけに知ったのかもしれない。
過去の遍歴が興味深いと言ってくださる友人がいたので、久しぶりに投稿してみる。先に言っておくがオチはない。
当時の私は親のDVやモラハラに苦しめられ、学校ではいじめられて孤立。
今ならTikTokでDVやいじめの証拠を上げたら味方になってくれる人が沢山いただろうが、当時はTwitterに画像や動画を載せる公式機能がない時代だった。
今も昔も、相も変わらず悲劇のヒロインだ。
親ガチャは中の下だと思う。
小さい頃から家ではひっくり返った家具が散乱し、壁やドアには穴が空いていた。この惨状を掃除をすると怒られるため、割れたガラスの上を歩いていた。
夜明けまで怒鳴り声が聞こえ、家は度々揺れた。何かが壊れる音は日常茶飯事だったが、そのおかげで電話の着信音や車のクラクションで頭が真っ白になるようになった。
DV被害者の専業主婦の母には、離婚してほしいことや転校したいことを懇願したが、「この家に生まれたからには人生を諦めなさい」と言われ、私は事あるごとに諦めるのが習慣となった。
進路も親の意向が厳しく、父はコミュニケーションも適切にとれない人間だったから、自分が希望する大学の出願書はビリビリに破られた。
質問サイトに経緯を綴って相談したら「学費を払ってもらえるなら我慢して言うことを聞くべき」と言われた。
過保護に育てられた世間知らずな自分が家出をしてお金を稼ぐ勇気もなく、結果的にはその通りの道を歩んだ。
高校ではいじめっ子に盗撮されてネットに悪口付きで晒されるなどの被害を受けたため、受験シーズンでも授業は図書館、カウンセラー室、校長室でサボっていた。
お昼はもちろん便所飯。(便所飯の存在を否定するコメントを目にすると胸が痛くなる)
学校の先生に強制的に診療所に連行されたことがある。その時お医者さんに「一時的な悲しみですね」と言われた。
これが私の最初の診断だった。自分は病気ではなく、これは一般的な苦しみなんだと解釈して絶望した。
それでも、できることは全部したつもりだ。
命の電話に相談、学校の先生に相談、心療内科・精神科に通院。医者が合わなければ他を探し、いろんな薬を試し、カウンセラーも何名かとお話した。
結局のところどれも解決には至らなかった。
それどころか、大学時代には死ぬと思われたのか、とあるカウンセラーには警察に通報されて逮捕されたことがある。それ以来、カウンセラーは一切信用しなくなった。
皆が寝ているであろう深夜に警察に部屋を侵入され、「動くな」と拳銃を所持した警官に言われた。「寮の鍵や財布を持っていって良いですか」と聞いたら「ダメだ、お前はもうここには帰らない」と言われた。
パトカーの光が暗闇で飛び交う中、カウンセラーと寮長が遠くからこちらを見ていた。意味が分からなかった。
牢屋のような個室で凍えながら数時間放置され、検査が終わったら「特に問題ありませんね」と夜明けに病院から追い出された。
面白いことにどう帰宅したか全く覚えていないのだが、気がついたら寮の前にいた。おそらく警察が車で送ってくれたたのだろう。ドアをノックしたら寮長が気づいてくれて鍵は再発行してもらった。
DVといじめの経験があると、友達の作り方が尚更分からず、大学時代は声を発する機会がほとんどなかった。この地獄が終われば親の呪縛から解放されると思った。
親の夢を一通り叶えた時に私は束縛から少し解放された。だがしかし、親の敷いたレールから外れようとした時に精神的な暴力を受けていた人間は、解放されたとて自発的な意欲や判断能力が蘇ることはもうないのだ。
もう遅かったのだ。
当然の如く就活は失敗し、実家でニートをしていた。それでも自分のペースで努力はした。
重い腰を上げて心療内科に通い、ひきこもりの集会に参加し、会話の練習をした。
死ぬ前にもう一度だけ頑張ってみようと思い、ハロワで就職支援を受けた。中小企業になんとか採用してもらえることになった。
中途入社の社員が一ヶ月で退職することが珍しくなく、3年で社員がほぼ全員入れ替わるような会社だった。同僚が突然音信不通のまま出勤しなくなったり、新卒が鬱病で休職したのちに退職した。
転職にも挑戦してなんとか成功したのだが、入社して半年で部署の上司が全員退職した。
会社のシステムがボロボロなことに気づき、どうにか変えられないかと偉い人に提案を試みたものの、最終的には「お前は前の上司に洗脳されている。俺には弁護士がいる。過去に社員を訴えようと思ったことがある。口コミサイトにたとえ事実だけ書いても被害は発生するから損害賠償を請求する。」と脅された。(本人は誹謗中傷や脅迫の自覚は一切ないようだった。)
仕事に向いていないことに気づいたので定職についている時に婚活にも勤しんだ。
大学院卒で大企業勤務、趣味も同じという人と奇跡的に出会ったが、交際後に相手が少しモラハラ気質であることが発覚した。
身だしなみに興味がない相手に鼻毛や眉毛を整える提案(よければ私がやる)、美容院の選定、洋服のコーデを一緒に選び、「興味がなければ私が払う!」と言ってみたものの彼は嫌がった。その否定の仕方はどれも心無いものだった。
他にもエピソードは沢山あるが、頑なに別れの相談に応じなかったところでブロックした。
ここで、最低限の清潔感もない男性は外見や内面をアップデートする努力を拒否する可能性が高い種族だと学んだ。(一緒くたにするのは良くないが、個人的にはもうこりごり)
その後、またニートに戻ったのが今。
運や環境が悪かったのもあるし、会社や人を見極めるのが下手な自分も悪かった。努力の方向が間違っていると指摘する人もいるだろう。
10年前もある種無敵な人だった。死にたかったし、誰かを巻き添えにしたって構わなかった。友人がなんとかできた今でさえ薄らそう思う。
でもどうすれば救いがあったのか?
今でも疑問に思う。
当時、子供なら誰か助けてくれると思っていたが、実際には学校もカウンセラーも命の電話もできることに限界があった。
若い女性は男性より支援を受けやすい聞くが、あまり性差はなかったように思う。(特権に気づいていないだけかもしれないが)
お前がブサイクなだけだからでは?と思うかもしれないが、ファッションやメイクの流行を追うのは好きだし、軽い美容整形にも投資しているので、表向きはむしろ幸せそうな人間に見えていると思う。
なら風俗やキャバクラで頑張ればいいじゃんと言われるが、TikTokでキャバ嬢、メンエス嬢、風俗嬢の日常を見る限り、彼女らはとてつもない努力と精神力で今の地位を得ている。
どれもリスクが高い仕事だし、メンタルが弱く話術がない自分には不向きだ。
こんなパッと見普通の女性の苦労話をもっと可視化して発信すれば、幸せそうな女性に対する偏見が少し収まるのかなとも思うが、嘘松認定されたらそれで終わるので難しいところである。
希死念慮を抱えていた人間が「いつか絶対に報われる」と言われ続けて10年生きてみた人の感想。
時間が経ったからか、トラウマは笑いながら話せるくらいには乗り越えたし、鬱状態の自分を静観?できるようになり、ゲームをする元気も出るようにはなった。親も歳をとり、物をひっくり返したり家が揺れることも減った。また、親の夢を叶えたことに免じて、ニート状態も許してもらっている。
挑戦することから逃げなかったという意味では、小さな前進は継続的にできていた人生だったと思う。
しかしながら、お金を稼ぐための力や社会の厳しさに耐えられるメンタルがないと分かった今、正直当時自殺しても良かったんじゃないかとも思う。
今後何しようかというと、死ぬ前に同人エロゲでも作ろうかなーと思ってる。
絵も描けるし動画も作れるしゲーム開発経験もあるから。今は3Dモデリング勉強中。
それとも自分の境遇をブログでコミックエッセイのように発信しようかなとか。
でもただの悲劇のヒロインエピソードだし、オチもないし、批判や個人特定が怖いしなーと公表することに悩み中。
でもなんでもやってみることが大事だよね。
10年以上はてなにいる皆さんはどのように暮らしが変わりましたか?
人生に悩んでいる後輩がこれを読んでいるとしたら、参考にならなくてごめんね。
先輩は何か知恵があったら教えてね!
元増田さんは、「人間はより優れた人がいたら、その人に浮気する」という根源的な欲求の観点から考えている。
一方で、最近の人間は「(社会秩序を守るための)家族制度を維持するために、浮気を民法で言及したほうが、色々都合がいい」と、「理屈の世界」で本能と反する決め事をしているので、元マス君は違和感を感じているのだと思う。
(対象を既婚者、と想定すると)人間の子育てには手がかかるし、多くの人が複数人と関係を持つと感染症リスクも指数関数的に高くなる。他にも家族という単位ですることでいろいろなことが効率化する。
だから、安定した社会には家族制度は効率的。それを維持するのに不貞行為を違法と定めたんだと思う。
次に、互いに浮気に合意している夫婦という特殊ケースは横において考える。
この民法は本能に反しているので、個人がより幸福になるため、「バレない」にBetして浮気するのも、それもまた個人の自由と思う。結果、失敗した(=バレた)として、そのときは結果を甘んじて受け入れよう。それはそういうルールの上でゲームをしているのだから。民法なので牢屋に打ち込まれることはないが、子供に会えなくなっても文句は言えない。
千葉県警がVTuberとコラボした件だけど、フェミニストならモリカケ問題みたいにすればいいのにね。
フェミニスト議員連盟は、こういう萌え絵と公共機関のコラボに対して国会や百条委員会で証人喚問を起こせばいいじゃない?税金を使って女性差別と性犯罪を助長したと訴えれば、余裕で可決するはずだ。
証人喚問の証人になった者は、出頭命令を拒否したり、嘘をついたりすれば罰則を受ける。
「女性差別や性犯罪を助長するという認識がなかったのか」という質問に対して「いいえ」と答えたら、偽証の罪で逮捕して牢屋にぶち込むことができるはずだ。
近年だと厚生労働省とゆるキャンのコラボとかあるけど、フェミニストたちはこういう萌え絵と公共機関のコラボ関係者を片っ端から制裁を加えたいはずだ。証人喚問は、そういうことをするのに丁度いいはずだ。
年々、発達障害とされる人々は増えている。
以下、発達障害者を発達と略す。
あと、ここでは「発達障害は障害ではない」とか「スペクトラムの問題だから」みたいなことは扱わない。そんなこと言われても現実にあってないし何の慰めにも奮起にもならない発達は多いだろ。昔は発達にも居場所があったみたいな話も同じく。ただの社会的隔離を美化してる場合がある。
なんで発達が増えてるのか、医者と、教師の知り合いに聞いてみたことがある。それぞれの考えは違っていた。
ある中年男性の医師は、一般生活に求められる技術や社会性のハードルが上がり過ぎたから、と言っていた。つまり殆どは外部の、要因だと。
教師は、ちょっと違ったことを言っていた。後天的な要素もあるけど、それに反応してしまうトリガーについては常に先天的にあるだろうし、それには確かに遺伝があるのでは、みたいな事を言っていた。
上の意見は参考意見として、俺が言いたいのは、発達は新人類じゃないかってこと。そしてそれをめちゃくちゃに、クソみたいに、バカみたいに誇って良いんじゃないかってこと。
クソとかバカとか書いたのは、図書館とかにある上品な福祉本みたいな生やさしい肯定ではなく、社会に敵対したりキモがられたり腫れ物にされたりする存在なのを本格的に誇るために。
これまで、発達はそれぞれ一人一人の苦しみのなかで閉じ込んでしまっていたり、自助グループみたいなのに繋がっても「定型の、現行の社会」に矯正されるための監視された自助みたいなことしか出来なかった。
CPの人たちは青い芝の会という戦闘的な障害者活動をしてたし、なんなら同性愛者もラディフェミも色々やってる。発達もそろそろ似たやり方をとるべきなんじゃねえか。
発達は、よく「挨拶や謝罪の形式みたいな社会的マナーや文化が備わってない」と言われる。いいじゃん。新しい文化作ろうよ。今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」作られた瞬間はあるんだろ。発達もそれなんだよ。それが見れて嬉しいだろ。学者は心配してないで、これについて論文書けよ。
カサンドラがどうとか「発達は身近な人を傷つける」とか騒ぐやつもいる。いいじゃん。俺たちは新しい人間関係のモデルを今作ってんだよ。なんでパートナーが発達だって分かった瞬間「答えが得られた」気になってんだよ。相手が発達じゃないなら「傷つき度25」で発達なら「傷つき度100」なのかよ。
でも、個人的な人間関係ばかりやっても限界があるし根本的な問題は解決しない。もっと根幹に切り込もう。
発達障害手帳の効果が他の手帳よりかなり少ない。役所にみんなで乗り込んで訴えようぜ。
発達は税金関連の処理が苦手だよな。税務署を占拠して「もっと簡単にしろ、発達の税金軽くしろ」って示威しなきゃだめだ。
「ケーキの切れない」とかなんとかで有名になって、発達がかなり牢屋に入れられてる事が分かったじゃん。それでそんな記事みて「なるほどな」って思ってるだけなの?刑務所を取り囲むべきだろ。発達を社会に返せって。社会が発達と直接向き合って新しい文化を作る機会を奪ってるって。
そもそも、少数民族レベルでも自治権を得て、これから増えていく発達の数に見あった土地を得るべきでは?
強めに書いてきたけど。
発達が増えてるとかいう情報に触れて、発達自身が何で卑下しなきゃいけないのか?それに腫れ物ともキモがりともつかない態度で接する社会ってなんなの?その社会は必要な社会なの?って事なんだよな。
そしてそれは、発達が、ホモ・サピエンスの新しい形みたいなこと、そういうレベルにしないと、説明がつかない。
発達は新しい人間。おめでとう。
デパ地下には来ないでくれ。
ノーマスク運動だかなんだか知らんが、入口に「マスクつけてね」って書いてあるの読めんのか?
小さい子供連れの夫婦がマスクせずにベチャベチャ喋りながらこっちに注文してきた時はマジで恐怖を覚えた。
そうかと思えば、百貨店にコロナ対策関連のご意見が死ぬほど来てる。
そりゃ咳もするだろ。人間やぞ。
知らんかもしれんが、百貨店従業員の喫煙率は異常だ。全員喉がイカれてるので諦めてくれ。
気にする人は死ぬほど気にしてるし、気にしない人は死ぬほど気にしてない。
最悪の掃き溜めがデパ地下だ。
従業員もどうかしている。
牢屋みたいな休憩室に、ペラペラの申し訳程度のパーテーションがあるが、その内側で飯食いながらふつーに楽しそうに喋ってる。つーかそのパーテーション1年以上前に付けて、掃除してるの見たことない。
お客様の喫煙所は閉鎖だが、従業員の喫煙所は閉鎖しない。喫煙所はもっとすごいぞ。喫煙者には独特のコミュニティがあって、大変楽しそうに盛り上がっていらっしゃる。煙草吸いながら。
どこもそうだけど、従業員は人間じゃないので別にどうでもいいよな。代わりはいくらでもいるし。
来るならせめて1人で来い。
家族連れで来て子供が絶叫しながらフロアを走り回ってるの本当にどうかしてる。
この前もどっかのフロアで陽性がでて清掃してた。
清掃とかでどうにかなるもんなの?知らんけど。
とにかくデパ地下には来るな。
俺らはいつでも最高に美味いメシ用意して待ってる。
デパ地下には来ないでくれ。
ノーマスク運動だかなんだか知らんが、入口に「マスクつけてね」って書いてあるの読めんのか?
小さい子供連れの夫婦がマスクせずにベチャベチャ喋りながらこっちに注文してきた時はマジで恐怖を覚えた。
そうかと思えば、百貨店にコロナ対策関連のご意見が死ぬほど来てる。
そりゃ咳もするだろ。人間やぞ。
知らんかもしれんが、百貨店従業員の喫煙率は異常だ。全員喉がイカれてるので諦めてくれ。
気にする人は死ぬほど気にしてるし、気にしない人は死ぬほど気にしてない。
最悪の掃き溜めがデパ地下だ。
従業員もどうかしている。
牢屋みたいな休憩室に、ペラペラの申し訳程度のパーテーションがあるが、その内側で飯食いながらふつーに楽しそうに喋ってる。つーかそのパーテーション1年以上前に付けて、掃除してるの見たことない。
お客様の喫煙所は閉鎖だが、従業員の喫煙所は閉鎖しない。喫煙所はもっとすごいぞ。喫煙者には独特のコミュニティがあって、大変楽しそうに盛り上がっていらっしゃる。煙草吸いながら。
どこもそうだけど、従業員は人間じゃないので別にどうでもいいよな。代わりはいくらでもいるし。
来るならせめて1人で来い。
家族連れで来て子供が絶叫しながらフロアを走り回ってるの本当にどうかしてる。
この前もどっかのフロアで陽性がでて清掃してた。
清掃とかでどうにかなるもんなの?知らんけど。
とにかくデパ地下には来るな。
俺らはいつでも最高に美味いメシ用意して待ってる。
もし自分が、その辺にいる救いようのない底辺クズ野郎を轢き殺してしまったら?
そいつの、これまたクソみたいな遺族のために、人生捧げて賠償して牢屋に入るか?
正直、嫌だなと思ってしまう。
命の重みに差はない、わかってるけど。
なんでたまたま自分がちょっとミスっただけで、こんな奴のために自分の人生終わらなきゃいけないんですかね……と思ってしまう。
でも上級からみたら、その風貌、立ち振る舞いからして醜悪に見えるんだろう。単に金とか権力とかだけの問題じゃない。その人のオーラというか、生き様そのものが劣悪に見えている。
自分が底辺をパッと見で見下してしまうように。底辺の中ではそれが普通なのに。
まあ、だからって轢き殺しても許されるわけじゃないけどな。そういう気持ちはあっても出さないようにするしかないし、やっちまったら法に従い裁かれるだけだ。気をつけて運転しよ。
初めて猫飼ってみたけど猫ってかわいそうだな。
天敵もいなくて、清潔な環境で、毎日栄養満点の餌を食べて、仲間とじゃれあって、キャットタワー登って。
悪くないんだろうけど、退屈そうだなと思う。
私の家(賃貸)は決して狭いほうでもない。数部屋ある。
けど、猫たちの一生、ここ以外世界が無いんだって思うと改めてかわいそう。
猫はナワバリの外に出ない~なんていう意見もあるが空間の可動範囲は家と外じゃ全然比べようもない。
退屈を感じるほどには猫には知性があるけど、何の新しい発見も刺激もない空間でやたらと健康にされて長生きさせられる。
猫にハーネスつけて散歩させる人もいるけど、あれって猫の意思で能動的に行動できないよね。
性器を取り除かれ繁殖もできず、人間に気まぐれに愛玩されてるだけで狭い家の中に一生閉じ込められる。
飼い猫は野良猫よりは幸せだろう。毎日命の危険がないというだけで絶対にそれだけは言える。
そうなんだろうけどそれでも猫の幸せってこれぐらいがピークなんだな。
現代の中流レベルの人間が動物に提供できる幸せってこんなもんなんだ、って飼ってみて思った。
未来だと、もっと豊かなペットの飼い方が展開されてたりするんだろうか。
今の飼い方も昔の人の野蛮で残酷な飼い方とされるのかもしれない。
推定するに、生まれてから数十年間、「ガチ暴力対ガチ暴力」という揉め事が絶対に起こらない大前提の人生(殺人経験ある先輩とかナイフで刺されたりとかボコられて一緒にいた彼女強姦されたりとか帰宅したら敵グループが上がり込んでて自分の母ちゃんが足蹴にされてたとか、そういうのが絶対に発生しない人生)送ってきたオッサンで、相手に対する敵意と怒りのストレートな表明に躊躇ない奴が平気でいるのはなんでなんだ?
サービス業やってたとき、いかにも「自分にも他人にも厳しく、神経質で、不機嫌で、腹が据わってそうで、大卒ホワイトカラーで出世してそうな(実際そうだった)」、仕事帰りの短気なオジサンが、息子や配偶者に感情ぶちまけるくらいの勢いで俺にブチ切れてきたから、俺がキレて、そいつがいびきかくまで暴行加えて服役した経験あるんだけど、相手に対してストレートに敵意と怒りを表明したらそういう反撃ありえるとか考えないのか?
「そういうオッサンがお前みたいな奴に最終的に絶対に勝てるよう、法律があって、お前が牢屋にぶち込まれるというルールや仕組みがある」とか言われそうだけど、そのオッサン、結局俺のせいで知的障碍者になってたぞ。
牢屋って化粧していいの?