2021-11-15

書くことの効用

書くことはつらい目に遭っている人の心のバランスを取る効用がある。

たとえばいくつもの名作が獄中でかかれて一般公開された。

古くは司馬遷だったり、マルキドサドだったり、それを翻訳した澁澤だったり日本ヤクザ小説家だったり、政治家だったり。

それぞれ集中しやすい獄中からなかなかの名作本を書いている。https://scrapbook.aishokyo.com/entry/2015/12/20/112208

また自分は本をかけなくてもインタビューに答えて出版してもらう形で印税を得る人もいる。

 

それではてなブログもとりあえずは「自分表現してみませんか、自分を振り返る効用がありますよ」ということで

10年つづいてきた(今キャンペーンをやっているhttps://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog10th-question10 万ねん筆だのインクだのの筆記具をくれるらしいが、万年筆って蓋をしていても一か月もすれば中身のインクカラカラに乾くから個人的には嫌い)。

 

もともとは、はてなブログのまえにはてなダイアリーがあった。

ダイアリーといいながらも、わりあい小説だったりエッセイと呼べる程度にクオリティの高い長文が投下されていた。

はてなダイアリーはすんなりとはてなブログに移行され、どちらもたしか6万字程度が上限だった。十分な長さだ。

ところが横の連帯キーワードリンク程度しかない寂しい修行場のような場所でもあった。

そこではてなハイクができた。上限たしか1万字程度で、論戦には十分だが基本的には猫や鳥や料理写真大喜利が主流であった。

だがツイッターの台頭が「牢屋修行場のようにしずかでいること」あるいは「なごやかな大喜利生活報告にとどまること」をネット民に許さなかった。140字の揚げ足取りネットの主流になってしまった。

ツイッター論客()を取られたあとのはてなには100字のはてなブックマークとはてなダイアリーシステムをほぼそのまま流用した使いづらいはてなアノニマスダイアリーが残った。

ここでいいたいのは、増田で書くことには効用が薄いということだ。人前ではいえないこともSNSいくらでも本名から遠いハンドルネームをつくって書いたり同士を募ったりすることができるのに、そのハンドルネームによるアイデンティファイさえ捨てて言いたいことなど、この増田をみていてわかるように

もっと俺をみろ」

もっと俺にやさしくしろ

パンティ見せろ、しゃぶれ」

という5歳児のような(いや性欲がある分5歳児より悪い)我欲の塊でしかないのである

まるで、「蜘蛛の糸」でお釈迦様が糸をたらした地獄のものだ。ありもしないチーズを探すネズミもの場所がここなのだ

から文章を書くときは、ここ以外で書け。効用を求めるのならIDをつけられる場所で書け。できれば自分だけのために書け。

ここで書きだしたら終わりだと思え。

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