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はてなキーワード: 承認とは

2019-12-02

ラッキースケベハーレムラブコメの逆

ラッキースケベじゃなくて戦略的ターゲットを落として何股もかけ、それまでに培った知識経験を駆使して最終的にメインヒロインと結ばれてハッピーエンド

積極的ハーレムを作るところが女性をモノ扱いしているようでポリコレに反するから世に出しにくいだろうか?

RPGに例えると

自分モンスターハンター

外見やトーク力やフィジカルメンタル面を鍛える=レベル上げ

ターゲットの女=狩るべきモンスター

女の承認モンスターを倒して得られる報酬

ライバルの男=同じモンスターを狙う同業者

メインヒロインラスボス

という感じで構造シンプルで話を作りやすいのではないかと思う。

漫画ではなく意識高い系モテ本のストーリーならありそう。

2019-12-01

anond:20191201132118

性的文脈と切り離された場所、たとえば仕事通勤や買い物や、ただそこに存在しているだけのあらゆる場所性的オブジェクトにされるのが問題になってるんであってだな

お互いに承認しあってる恋愛とか性愛、あと身体的な美を仕事にしてるグラビアアイドルストリッパー仕事中などの文脈でなら問題ないわけよ

そこではおっぱい含む身体の美は永遠に語り継がれるだろう。

求められてもないし、まったく関係もないのに、池田大作先生の偉業のお話をするのは迷惑だろ?

でも創価学会の友人同士なら、どこでだって池田先生の偉業について話せばいい

それと同じだよ

2019-11-27

anond:20191127134114

過去に「亡びた国」の状況を考えてみればよい。

「国」とは? 住民領土主権及び外交能力他国から承認)を備えた地球上の地域のこと。

日本列島沈没して、日本人離散。ちょっと物理的に難しい。全土を核で焼き尽くすとかならできるか。

日本列島という領土から日本人がいなくなる。某国併呑した地域でやろうとしてるね。

日本という主権国家が消滅する。土地住民存在する。植民地とかやね。

古代ローマ人とか古代エジプト人ってどうなっちゃった?

中国でも異民族王朝をたてると、漢民族の国は亡びてるな。古代中国人は亡びてるのかも。

日本国内だと、北方異民族は少数生き残ってるけど亡びてますな。出雲隼人大和に飲み込まれてる。

2019-11-24

anond:20191124155837

日本単独で決められることは実はひとつもない。日本攻撃されてもアメリカは助ける必要がない(上下院の承認を得ないと日本を守れない)。

2019-11-23

anond:20191123180106

俺が言ってるのはリアル世界の話だぜ? ネット承認大事、でも目の前にリアルがいるんだからね。

そして今私は障害者の中にいる

 ■半年前の日記 https://anond.hatelabo.jp/20190615163022

 「私もう、訴えます。本当に、訴えます

 

 盲の人が叫んだらしい。いわゆる障害者部屋で。相手職場のありとあらゆるすべて。同じ障害者の人からそれを聞いた私は、はははとしか言いようがなかった。そりゃそうだ。何の疑問もなくそう思った。

 

 彼女はもうとっくに限界なのだ

 

 今年の4月、うちの会社は急遽障害者部屋を作った。障害者雇用率が全く達成されておらず、世間からぼこぼこに叩かれて急遽作らさせられた障害者部屋。何十人という人間を詰め込んで、雑務に近い定型作業をただひたすらにやらせる。よくある特例子会社を社内に作ったような部署だ。

 

 私はそこに4月から障害者枠の正社員採用された。中途の社員ほとんどいない中、障害者雇用率は大幅に未達。障害者ほとんどいない、新卒プロパー純粋培養環境。そこに大量の障害者。はっきりいって、一切歓迎されてないということだけはビシビシに伝わった。山のように障害者がいる障害者部屋に、管理者と呼べる人間はいない。あえて管理者だというのなら、急遽外から雇った福祉士とかそんな感じ。誰一人プロパーのいないこの部屋で、一応名前だけは責任者ということになっているプロパーは、障害者障害者同士でサポートしてくれればいいな~と苦笑しながら部屋に来ることもなく言っていた。私は新人なので会社のことはわかりませんが、誰も関わりたくなんてないのだけはよくわかります~。そういう状況だ。

 

 4月に入ってから今月に至るまで、半年以上の間、目の見えない彼女には仕事が与えられなかった。

 

 盲の人にできるような仕事が切り出せない。切り出せないからやりようがない。正確には、切り出そうと思えば切り出せた。考えるだけでいくつか仕事存在した。だが切り出す人間がいなかった。新しく入った社会福祉士は、それ以外の業務に追われたのか彼女放置した。完全には放置してはいなかったのかもしれないが、明確な手は打たなかった。理由はわからない。忙しいからなのかスキルが足りないからなのか。単純にやる気がないのかもしれない。とにかく彼女半年以上職場放置されていた。

 

 彼女は盲なので、当然目が見えない。PCがあてがわれているが、画面が見えることはないので、文字を読み上げてくれる音声読み上げソフトを頼りに操作する。ただそのソフト仕様が厄介だった。PCが立ち上がっていなければ当然ソフトは起動しない。だがログインするにも工夫が必要だった。IDカードを当て、おそらく立ち上がったんだろうなという勘を頼りに、多分そこにあるんだろうなという場所パスワードを打ち込んでログインする。ログインできたかどうかはわからない。ただログインできたら、何分かたった後に音声が聞こえるようになる。何も見えない中、彼女は手探りでPCを立ち上げる。しかPCを立ち上げても仕事はない。新品のテレワークもできるそれなりのノートPCは、社内ネットワーク仕様ネットが見れない。正確には見れるのだが、ネットを音声読み上げソフトが読み上げてくれない。彼女yahooすら「聞く」こともできず、一日中デスクに座り、何の作業もないPCの前に座り、一日中キーボードの上に手を置いて8時間を過ごす。座敷牢以外の何物でもない。

 

 私は4月障害者部屋に配属された後、障害者採用担当業務をあてがわれた。ほかの障害者の面倒を見つつ、障害者採用する。格闘の連続だった。同僚も福祉担当者もなんだかよくわからない。正直頼りにはならない。そんな発狂しそうになりそうな中、雇用率達成のため無理くり突っ走り採用を続けた結果、私は本社の人事として召喚された。結構な規模の大企業で、本社の人事。そこに障害者を入れる。モデルケースか何かにしたいのだろう、そう私は察した。うちの会社障害者も健常に混じって業務をさせています!そういうやつだろう。わかるわかる。きれいごとって大事。ただ、その移動は私の希望ではない。そもそも私の希望なんてものは汲み取る気はないか関係はない。

 

 私が異動するときに気がかりだったのは盲の彼女だった。隣の席で、3か月にわたり業務があてがわれていない。雇用率達成のためにそこに座っていることだけを求められている彼女は、私がいなくなった後誰と話すのだろう。

 

 本社の人事に召喚された私に与えられた仕事は、雑多な採用と同時に、障害者の今後の管理方法についてだった。いか重要仕事であるかととくとくと説明された。なるほど。重要ですね。当事者作成することに意義がある。最も重要な点は、表向き批判されないものであること。そして、会社として手間がかからないものであることだ。障害者当事者にとって実用性があるかどうかは重要ではなく、主体である障害者の扱いは羽毛のように軽い。このプランを作るために、私は障害者未来を売ることにした。

 

 与えられた席は誰も座りたくない導線のハブのような場所にある席。そして、私には同僚も上長もいない。まあわかる。障害者ですし。誰も一緒に働きたくないだろう。うちの会社ブラックからOJTしかねえとかい愚痴を聞く中、私にはOJTという概念もなかった。それでもお金をもらっている以上、仕事はしなければならない。露骨に関わりたくなさそうな人たちに、ニコニコしながら頭を下げて聞いて回る。途中で、別に与えられた業務は前任者がぶっ倒れてしまったので誰もわからないということに気が付く。まさかそんな仕事をあてがわれるとは。だがそんなことを言っても仕事存在する。

 

 人事管理プラン最初皆が望んだものとはかけ離れていった。皆の期待が失望に変わっていくのも感じた。わかる。君たちは合理的配慮を受けながら普通に働きたいんだよね。わかる。でもごめんここにその環境はない。申し訳ない。私はそのプランを作ってあげることはできない。ただひたすらに、会社希望する内容にわずかな障害者意見を混ぜ込むことで精いっぱいだ。精神が削られていくのが分かった。

 

 上長もおらず、同僚もいない環境で、一人黙々と仕事をしながら、ふと思った。このクソの塊のようなプランを投げ出したらどうなるのだろう。やっぱり障害者は使えなかったね。そういわれるのだろうか。とっくに倒れた障害者がいた。本社の人事は嘲笑交じりにその話題が飛び交う。やっぱり障害者はすぐ辞める。私も障害者なのですが。

 

 健常の職員押し付けられた職場にたまったゴミを集積場に運び、私は満面の笑みでゴミ指定コンテナに投げ込んでいた。今日仕事は、このゴミ出しと、上から承認を待つこと。そして新しく私が採用した20代初任給相手にお伝えすること。算出した給料は、私の給料を上回っていた。私は笑顔でおめでとうございますといいながら説明するだろう。障害者が不機嫌そうに歩いて回っていたら周りのテンションはがた落ちだ。入念にチェック済みのこの顔はそうやすやすと解除はされない。常にニコニコ快適に過ごしていますということをアピールすることも私の仕事だ。クローズドで、健常と混じりながら十年以上専門職として働いてきた私に与えられた業務は、そういう業務だ。上長もおらず、同僚もおらず、新人と同じ給料しかもらえない中、働きながら取った心理修士号を活かして障害者への福祉ができると聞いて入ってきたこ会社で、私は笑顔で不平不満を言わずゴミを出し続ける。

 

 同じ障害者の同僚から叫びをあげた障害者部屋の彼女の話を聞いた。あれから四半期以上、彼女は結局何の仕事も与えられていなかった。

 

 同時期に入った障害者部屋の同期は、とっくに休職していた。福祉担当者に見守られながら、怒りで辞めた人間も出ていた。そりゃそうだ。障害者からね。辞めやすいもんね。わかる。定着率は低いのがこの業界。致し方ない。

 

 「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」。

 

 クローズドからこの枠にきた同期が、福祉担当者に現状の改善に関する陳情に行った。回答は、転職お勧めしますという内容だった。私は乾いた笑いしか出なかった。

 

 今月、私の勤怠は乱れた。私は一体何のための戦っているのだろう。障害者採用をしていたときはまだマシだった。職を得ることのできない障害者に職を与える。最低限、福祉といえるような業務だ。だが今は一体何なんだろう。月末までに私が出社しなければ進まない業務がいくつかある。でも上長もいなければ同僚すらもいない私の業務は、すべてのデータが私のローカルしかない。組織なんてものは誰かがいなくなっても回る。そういうもんだ。わかる。組織なんてそんなもんだ。そして私の業務は果てしなく軽い。だが本当にそうなのだろうか?大して重要度も高くもないのに、期限だけはある。そして私に裁量がないためにスケジュールコントロールができない。このタイミングで私が出社できなかったら、一番困るのは取引先でも上長でもないだろう。おそらく同じ障害者枠で同じように戦ってる同期が、より一層針の筵になるのだ。障害者やっぱり使えなかったね。陰口が飛び交うこの環境で、そういう話が飛び出てくるたびに精神が削られるのは私だけではないはずだ。

 

 盲の彼女は結局どうなったのだろう。訴えたのだろうか。それとも辞めたのだろうか。それとも諦めて座っているのだろうか。職場で導線が集中する席に座ったまま、私はひたすらに間食を続けた。私たちはもう、とっくに限界だったのかもしれない。

上司が嘘ついてた

嘘というか、何というか。

体調不良で休んだにも関わらず、出勤している形で勤怠システム入力していた。本来だったら有給休暇として消化されるのに、今年に入って10日分そんな虚偽の申請をされていた。

うちの会社タイムカードを切ることでウェブ上の勤怠システムに出退勤の時間登録できるだけど、し忘れた時とかは自分ウェブから何時に退勤したか登録できるのね。で、それを承認するのが上司役割上司の出退勤自体上司自身承認する形になっている。

私はこの部署に配属されて半年ちょっとなんだけど、この上司が全くもってマネジメントできない人だったから、さらに上の上司からの後押しでこの上司権限を少しずつ移譲してもらっていた。で、勤怠システム承認権限を与えてもらって、過去の記録を見て気づいたのだ。

この上司、「熱が出た」「妻の体調が悪い」とかい理由で月に2日くらい休んでたんだけど、その内の半分くらいの日が勤怠システムでは「〇〇へ直行」とか申請されて、さも出勤されてますという形になっていた。ちょっとした手違いとかじゃない。

なんかもう疲れた。何なん。役職上なのにマネジメント出来なくて、しかもこんなしょうもないことして。50手前のおっさんが恥ずかしくないのか。「嘘をついたらダメですよ」って私が言わなくちゃいけないの?お子様もいる人にさ。

とは言え、これを本人に突きつけてプライド逆撫でして退職されても困る。マネジメントはできなくても、人材不足から辞められては困る。会社にも言いたいけど、しょぼい内容すぎて、告げ口するのも恥ずかしい。そして私が追い詰めたと思われても困る。

というわけで何もアクションを私は起こさないのだった。でも、私のこの気持ち自分の中だけでは消化しきれなかったので、増田に書いたのであった。はーあ。つらぽよ

2019-11-20

おじさんはね、

おじさんはね、今年主任になったんだ。

部下ができたんだけど、彼らはこないだまで同僚だったので違和感がある。

仕事は連絡調整承認評価が増えたぐらい。順調に行くと再来年には課長だ。

奥さんが身籠っていて、来年には父になる。

楽しみで仕方ない。毎日お腹に話しかけてる。

早く生まれてこないかな。予定通りしっかり大きくなって出てきてほしい。

今年のボーナス洗濯機を買い換える。冷蔵庫は次の賞与で買い替えたい。

そういえば、今年初めて新車を買ったんだ。よく走るコンパクトカー

最近はいろんなことがうまくいってる。

からこのままうまく生きていけるようにがんばる。

2019-11-19

anond:20191118154958

内容全然違うし。人の話ここまでねじ曲げますかね❓

ハーブティーの話をブログに書いたら、化学物質過敏症活動している人にコメント欄宣伝に使われてしまってからコメント承認制にしたことありましたが。

そのとき一言も言ってない」ことを、「ご自分の言いたいことに置き換えてまくしたてる」こーな方がいらっしゃるんだなと、びっくりしたものでしたが。

まさにあなたがそれですよ。

2019-11-17

anond:20191117230046

感覚的に、

大麻MDMA < タバコアルコール << コカイン<<<ヘロイン覚せい剤

くらいのヤバさ度なので、エリカ嬢の好きなMDMAは正直国の管理で処方されたほうがマシではと思うね。

海外ではPTSDの薬として承認が進みつつあるし、量を守って服用すればさほど問題無いと思われ

anond:20191117032024

MDMAは、いい気分になれるだけで、そんなにいい気持にはならんよ。

海外ではPTSDの治療薬として承認されつつある。

2019-11-14

幸福の科学大学に認可が降りただけで萩生田を叩くのはにわ

https://this.kiji.is/567307017950413921

これのブコメたらみんなカルト政権だのなんだの叩いてるけどざっと見た感じ誰も認可主義の話を出してないのでもう少し勉強しろと言いたい。

何人かは察してるけど、「認可」って概念行政法上明確にされてるものなんだよ。特許許可・認可・承認全部違う概念なの。説明めんどいからWikipediaでもググってほしいんだけど(しかしこういうときにはっきり説明できる資料ネットだとWikipediaしかないのマジで不便)、認可ってのは「要件を満たしていたら行政絶対やらなきゃいけない」ことなんだよ。要は法治主義ひとつ

いや、もちろんたとえば萩生田がハッピーサイエンスアドバイスしてたとかの文脈なら好きに叩けばいいよ?俺も叩きてえし。ただ、行政行政であるがゆえに不可避的にやらなきゃいけないことも無数にあるんだよ。恣意的運用とは言えない話題で叩くのは「叩くために叩く」だけであんまりよくないと思うんだけど、その辺どうですかみなさん。

個人的には申請書類見てみないとなんとも言えねえなという感想です。

自己肯定感って、かんたんに得られるものじゃないよな

なんか承認欲求自己肯定感って合わせて語られがちだけど

どれだけ承認されようが自分自己肯定感が得られない気がする

世界中からちやほやされでもしたらわからんけど

2019-11-12

anond:20191112130408

しかにな。

株主が身内とか、オーナー一人で全部株を持ってるとかなら、それこそ書類に決定事項書いてはんこ押すだけなのが株主総会だろう。

また、絶対開かないとならないのは決算承認の年に1回だけだ。

それに従業員に全部任せて放置とか本当に言うのなら、従業員造反とか、横領とかどうするのだろう。いま中心になってる奴が技術商品と客を全部持って独立するなんてことも有りえる。

後、社長がでて意思決定するのは「取締役会」だろう。

まりにも起業に関心持つ人間がすくなすぎて、自己啓発みたいな中身のない起業セミナーの奴らとか、数値目標掲げられてる役人やらが書いてんのか?

2019-11-06

anond:20191106093217

この記事プロゲーマー側を擁護承認するやつは総じてeスポーツ馬鹿にしているのでおまえは正しい。

処罰が厳しい?逆だ馬鹿前例が甘かっただけ。

そしてこのプロゲーマーも言ってる事めちゃくちゃだぞ。

プロシーンじゃなかったらチートして他人ゲームを壊していいと思ってるのか。そもそも規約を護る気ない時点で論外なんだけど。

画面の向こうに居るやつは僅かな時間を見つけてプレイしている人もいるわけで、そういう人の時間チートで壊すのは絶対にあっちゃいけないだろ。

それともなにか。このプロゲーマーにとっちゃプロシーン以外はFortniteにおいて無価値だというのか。アホ抜かせ。

絶対に許してはいけないし、Epic判断を支持する。

anond:20191106003233

そのせいで医療現場ブラック化してる事を考えるとなあ

つーか産科学会堕胎承認を嫌がるのも、イデオロギーだけじゃなくて堕胎術(稽留流産の後処理術含む)が儲かるから、って側面がでかい

出産がろくに儲からない分そっちで儲けないと食っていけないんだろうね

ピルなんかも儲からないし、産科からしたらどんどん妊娠してどんどん堕ろしてくれた方が都合いいんだよな

勿論良心的な医者は儲け度外視ピル普及運動とかしてるわけだけど

そういう人は学会出世できなさそう

anond:20191106000219

そりゃ日本では薬害エイズのような忌まわしい事件が起きた過去がありますから承認が慎重になるのは当然でしょ。

堕胎に厳しい国でも、いやむしろからこそ、そういう厳格な手続き無しにホイホイ承認する雑な国だからインドみたいに危険なニセ薬が承認薬の皮を被って横行するのでしょう。

anond:20191105235215

海外では「ホイホイ承認してる」んだよねえ

日本よりよっぽど堕胎に厳しい国でもね

2019-11-05

anond:20191105234810

同じ薬で未発達の嬰児も殺せるんだからそんなホイホイ承認するわけ無いでしょうが

字面だけ追って話の本質を見誤るとは、視野もっと遠くまで持たなければいけませんよ?

anond:20191105230057

ワイの会社は同僚がいつ有休とるかすら把握してない人ばかりやで

承認したはずの上司ですら「あい今日有休とってたんか」とか言いだす

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-11-02

ファッションホモって面白いスクールカーストだよな

いわゆる淫夢厨と違って「俺ホモからw」系の学生

ガチで男友達相手セクハラコミュニケーションしかけることで友人関係確立していくこの一群は興味深い

同性愛を忌み嫌うホモソーシャルの派生系で同性愛を演じる=モノマネすることで笑いとして共有して友情を深めてるものと思われる

聞くところによれば共学では余り見られない事例だが女子校ではファッションレズなる存在も知られているらしく、これもファッションホモと同じ原理だと思われる

同性愛者を演じることでユニーク存在として周囲から承認されスクールカーストに食い込んでいくファッションホモ達の生態

とても面白いと思うんだけどジェンダー研究者とかでファッションホモ研究してる人とかいないのかな

まあかくいう俺も高校時代ファッションホモだったわけだが

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