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2022-12-22

whistle-blowerになることの難しさ

したことがあった訳ではないです。なにせ筆者は若いですからね。そんなに重要仕事には関わらせて貰えません。また、飲酒しながら書いていますので悪しからず。

私事になりますが今年度から社会に出て様々を見る機会がありました。今はまだ社会歯車を目指し働いている段階で、自分で考えることが必要な大層な仕事はありません。そんな私でも周囲の上司・同僚・取引先の状況 等 を適当に見ているだけで、「?」というような感情が明確に(明確に!!!!)浮かぶことがあります。まあ、要するに原義的におかしいことをしていて違和感があるってことですね。すみません婉曲な言い方になってしまいました……不正に気が付くということです。それぞれは小さいことで正直なんてことは無いんですよ。だって北海道で時速100キロの車見てもいちいいち通報しないでしょ?ただこういうのを何回か見ているうちに、それこそ”ニュースになるような”(STAPありまあす!とか)事象に出くわす可能性は無いとは言い切れないな、と思ってきました。そういう時、皆さんどうしますか?

私は、基本的自分感覚懐疑的です。ですから下調べもします、根幹となる相手の背景も情報収集します。で結果、内部告発なんてしないんですよね。だって気持ち分かるもん!(まあ私はしませんが)そういう感じでなんとなく社会人をやっています。ただ、私はそういうことは本当に細かいことでも絶対にしない性です。人っ子一人いなくても赤信号渡りません。ですが、立場的にどうしようも無くなった時・一人称になった時私はどうすればいいですか?私はアホなので、仕事を辞めるしか思い浮かびません!また、こういうことが将来起きるに向けて、なにか心構えをしていますか?

あ、因みに仕事を辞めたらスキー場かに就職したいです。みんな!スキー!しよう!

2022-12-21

米国債、利回り上昇に青信号ヘッジファンドポジション整理後

年末ポジション調整でヘッジファンドレバレッジを減らした後、米国債利回り上昇への道は大きく開かれた。

  10年物米国債は3営業日続落し、20日には11月30日以来の安値を付けた。日本銀行長期金利の許容変動幅を拡大したこと米国債の売りの一因になったが、ポジションが整理されたばかりでショートカバーがない状態さらに下げを拡大させた。

  ジェイバリー氏らJPモルガンチェースのストラテジストは19日のリポートで、「投資家は先週後半に利回り上昇に対するエクスポージャーを減らしたのかもしれない。ポジションが整理されたと考えると、この値下がりも納得できる」と指摘した。

  10年物米国債先物コール(買う権利)に対するプット(売る権利)の強さを示すスキュー短期コールに傾いたが、再びプットが優勢になっている。トレーダー米国債の一段の下落に対してヘッジしていることが示される。

  10年物米国債オプション3月限の未決済建玉は110.50、111.50。112.50、113.50を行使価格とするプットが多く、利回り3.75-3.90%のレンジにらんだ取引を反映している。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-12-21/RN7NY6T1UM0W01

2022-12-15

女って動く前に周りを見回したりしないの?

信号のない狭めの道で、道を渡ろうと右見て左見て右見て、

道路かい側を右側から女が歩いていたのでそれをやり過ごして渡ろうと一歩踏み出すと、

女がいきなりこっちに方向転換して衝突コースで突っ込んでくるのでびっくりした。

なんで衝突コースで突っ込んでくるんだという訴えもしたいのだが、

女って後ろを確認せずにいきなり90度曲がってくるよな。

エンジン音がしないなってことぐらいは確認してるのだろうが、電動キックボードが来てたら間違いなく事故ってたと思いますよ。

それともワイが道を渡ってるから今なら安全だと思って、自分安全確認せずに渡るのだろうか。

どっちでもいいので危ないか安全確認してから道を渡れ。

見てるだけでいらいらするわ。

2022-12-12

anond:20221212094408

中国国家権力>>>>人権関係は一気に物事を動かすときにはこれ以上ないアドバンテージだよな

日本信号守ってない奴の顔と国民番号晒しまーすwwwwとかやったら一瞬で内閣沈没だろ

2022-12-10

anond:20221210183242

厳密には十字路なんだけど丁字路に細い道がくっついたような構成のところだと、単に丁字路の壁側を通ってるだけと認識するやつが多いのか信号あっても細い道をなんのためらいもなく横断する奴の多いこと。

anond:20221210182742

信号を守れが抜けてる

ママチャリロードバイク自己判断安全そうなら信号無視する自分ルールの奴が多すぎる

歩行者としてもアウトなのに自転車でやるなよ

でも、もうそろそろ自転車交通法規意識するべきだ

歩行者として道を歩いているときに気をつけているのは自転車とぶつからないこと。

ドライバーとして車を運転しているときに気をつけているのは飛び出してきた自転車と衝突しないこと。

これは望ましい環境ではないなあと思う。

この原因は自転車乗りのほとんどが交通法規に従って車両運転しないといけない、という意識ゼロからだ。

一部のロードバイカーのように過剰なまでの意識高い系は求めていないが、最低限の交通法規を学んでもらって運転してもらいたい。

とはいえ色々と要求してもしょうがないので3点にまとめる。

 

歩道では歩行者ファースト

歩行者に向かってベルを鳴らすとか論外。

歩行者邪魔で通れないなら自転車から降りて歩こう。

 

交差点では一時停止する。

とくに止まれ標識があるところは絶対に停止。

交差点カーブのように曲がらない。

眼の前の信号が赤なら左折してはいけない。

 

逆走をしない。

というか逆走という概念を学んでくれるだけでもいい。

いや、やっぱり逆走しないで欲しい。

逆走がなぜ危険なのか文字説明するほど文章力がないから書けないけれど、逆走は危ないんです。

anond:20221210140204

車を運転していて信号で止まるときに、「バーン(前の車と衝突した効果音)」みたいな声を出してブレーキをかける友達を思い出した

anond:20221210130531

そもそも意識とは?って話なんやが、

 

フィクションならグラディウスタートルズクラング(クランゲ)やマブラヴやMyLoveの脳みそ彼女ほかあげたらキリないな

 

リアルなら食用解体されて死んだ豚の脳みそ普通に活動が維持されるみたいやが?

Nature]Pig experiment challenges assumptions around brain damage in people

 

https://www.nature.com/articles/d41586-019-01169-8

[日本語記事][Nature ダイジェスト]死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功

 

https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v16/n7/%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%83%96%E3%82%BF%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%82%92%E4%BD%93%E5%A4%96%E3%81%A7%E6%95%B0%E6%99%82%E9%96%93%E7%94%9F%E5%AD%98%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E6%88%90%E5%8A%9F/99254

 

> BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、

> 脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、

> 個々のニューロンがまだ信号を伝達できることも判明した。

2022-12-08

車で信号待ちしてたらいきなり対向車にパッシングされたんですけど、

これって俺がザコオスだからっすか?????

第六感がある

これはスピリチュアル精神的な話ではない。

また学問的なものでもなく、当然その知識はない。

よってただの「考え」である

五感という感覚について考えることがある。

感覚がどこから起こるのか、やってくるのか。

砂浜に立てば海が見える。

なぜ海が見えたのか。

砂浜に立っているから。

海という広大な水たまりが目の前に広がっているから。

眼球が感知した光を信号で脳へ送り、海と認知たから。

いずれも起こったことの後付けの説明しかない。

感知したこと過程理由付けできても、感知したことのもの説明できない。

なぜこう感じるのか。ただ感じたから。

やってくるそれに対して、自身はこのようにしか言えない。

光景、音、香りはやってくる。

他にやってくるものはなにか。

そして自身にやってきた。この「考え」が。

それは自身の中で生み出したものではなく、ただやってきたものだと。

この「考え」が。「考え」ることが。やってきたそれが6つ目の感覚であると。

なぜこう考えるのか。ただ考えたから。

2022-12-07

anond:20221206113241

https://www.webchikuma.jp/articles/-/120 

脳科学者・山鳥重(あつし)は、つぎのように書いています

〈わかる、というのは秩序を生む心の働きです。秩序が生まれると、心はわかった、という信号を出してくれます。つまり、わかったという感情です。その信号が出ると、心に快感、落ち着きが生まれます〉(『「わかる」とはどういうことか 認識脳科学』)”

”〈「わかった気になる」と「わかる」とのあいだには本質的な線引きが出来ない〉(佐々木敦ニッポン思想』)”

”「説明が正しいかどうか」よりも、また「その問いが妥当かどうか」よりも、私たちの脳はともすると、「説明があるかどうか」のほうを重視してしまう。

 ストーリーでそこを強引に説明してしまうことがあるのです。

 説明とは、そのままでは未知にとどまってしまものを分解して、自分がすでに知っているもの集合体へと帰着させてしまうということです。”

”「自分不愉快な状況にあるのは、特定の人たちに有利なふうに世の中が設計されているからだ」

というストーリー的な説明が起こるのは、人間が、

「なぜ自分不本意な状況にあるのか?」

と問うからです。”

日本代表PK戦に勝っていたとしたら、「なぜ、日本代表PK戦技量がこのようなレベルだったのか」と自分に問いかける人はこうもいなかったでしょう。

2022-12-05

anond:20221205094241

そうやって極端から極端に振れてるけど

正義なんだから会計不正程度は見逃されていいと思うよ

夜中に歩行者の赤信号無視する程度じゃん

2022-12-04

おじいちゃんの話。それから

https://anond.hatelabo.jp/20221121085518

 あっというまに、2週間が経ってしまった。

 忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。

 11/21のお昼前、母方の実家に着いた。

 突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体ますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。

 その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。

 枕経に来た菩提寺住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜葬儀日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。

 その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチ限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。

 本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたし経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。

 しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号うまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。

 30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父ももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。

 帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。

 そして11/23菩提寺葬儀をした。

 家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。

 式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。

 とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。

 でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。

 母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、

「○○さん(祖父)からさ、たった今、林檎が届いたんだよ」

 だそうだ。

 祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手マメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミング相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんから最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。

 さすがにちょっとしんどかった。

 あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。

 だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。

 でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。

 読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう

余談。

 わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母カタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。

2022-12-03

「正しい良いことをしているのだから多少手段が間違っていてもセーフ」理論

リベラルフェミがこの理論を頻繁に持ち出し多少のルール違反は気にしない、指摘する奴はアンチオタクネトウヨミソジニー!とか主張しているが、

いくら社会的に正しい崇高な目的の為とは言え、多少間違った手段の為に不利になったり被害を被る人からすればたまったモンじゃないよね。


仮に、病人病院へ運ぶ為に救急車が青信号横断歩道に突っ込んで歩行者を何人か跳ね飛ばしたとか、犯人逮捕する為に警察拳銃乱射して犯人逮捕されたけど複数の通行人に弾が当たりましたとか

「正しい目的の為にやった事だからセーフ!」とはならないよね。

普通人間は「いやルール基本的ちゃんと守れよ」ってなるんだけど、何故かフェミとかリベラル特に女性)は指摘されると被害者面するんだよね、酷くない?

2022-12-01

anond:20221201074922

俺のフェミニズム信号のない横断歩道歩行者がいたらきっちり停車する、だ

地域的に止まらない車が多いので止まると後ろからクラクションを鳴らされる時もある

こちらは止まってても対向車線全然まらないので歩行者からもういいので進んでくださいと手を振られることもある

それでも俺はこのフェミニストを通そうと思っている

あとは電車の中でお年寄りに席をゆずるフェミニスト活動も続けているが乗る機会があまりないのでこちらはあまり実践できてない

2022-11-30

anond:20221130195317

感応式信号存在自体知らない人もいそう

ちゃん標識見ればわかるんだろうけどめったにないしね

それはそうと、ボタン押してあげる増田やさしいのでなにかいいことありますように

近所の感応式信号センサーのだいぶ手前で停まってる車が多くて

自転車で通りかかったときちょくちょく歩行者用のボタンを押してあげてるんだけど、

ドライバーに「もうちょっと前に出て」って自然に伝える方法いか

EV車の時代は、ウインカーを出さず、夜でも無灯火が標準になる

曲がる時や車線変更の際にウインカーを出さない車が地域によっては多数いるのが問題になっている。

ただ、節電と言う観点ではかなり理にかなっているのだ。

ハイブリッド車EV車では、ウインカー1回あたり、3m~5mくらいの走行距離にあたる電力を消費する。これは事実だ。

まり200回ウインカーを点滅させると1km損をすることになる。

信号待ちで20ウインカーを点滅させるだけで100mも損をする。

これはEV車普及にあたっては無視できない数字だ。

EV時代強制的に到来するまであと15年もないが、それまでに電池技術はそんなに上がらないし、日本国内の充電インフラも十分には整備できない。

そうなると少しでも走行距離を延ばすTipsが重宝されるようになる。

ウインカー基本的に出さない、夜でも真っ暗闇でない限りは無灯火、そんなのが標準になるだろう。

これらは今は法律違反だが、EVという外圧理由に変えれば問題ない。

2022-11-29

しかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない

自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。

まり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。

でも最近しかしたら実は結構いかもしれないと気づき始めてきた。

ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公ぼっちちゃんギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「本当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。

そんな成長エピソードがあるわけだ。

僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。

例えば僕がぼっちちゃんだったとして、ギターが上手いとしたら(別に自身はひけるわけではないが)、まずYoutubeに上げることがなかなか難しい。上手い人が出てきて、この演奏ダメだとかいわれるかもしれないし、ギターのことを全然わかっていない素人でも「プロの〇〇さんより全然下手ですねー」みたいなことを言われたりしたら立ち上がれなくなりそうなので、まず人に見せることはできない。

家族や友人でも無理だ。

きっとギターとかバンドとかやっていて、理解してくれる人ではないと見せられないだろうなと思う。

そして、そんなに悪意ある言葉を言う人って実は少ないとは思うけれども、でも社会は悪意に満ちているとどこかで思っている。

小学校の頃、信号のない横断歩道を渡るのが怖かった。車が減速することなく、むしろわざと加速して突っ込んでくるとおもったから。

免許証取りたてのころ、車線変更が怖かった。後方の車がわざと加速してぶつかってくると思ったから。

中学の頃学校が怖かった。教師私生活を縛り付けようと宿題を多く出そうとすると思ったから。

大学の頃教授が怖かった。重箱の隅を突っついて単位をくれずに留年させるんじゃないかと思ったから。

学生の頃、就職が怖かった。私生活趣味は悪で起きている時間をすべて労働に捧げるようにわざと上司仕事を振ると思っていたから。

新入社員のころ、彼女がいることを会社にバレるのが怖かった。結婚など守るべきものがあると分かったとたんに逃げ場のない重労働部署に飛ばされるかと思ったから。

結婚たころ、町内会が怖かった。家庭への不当な干渉をするんじゃないかとおおもったから。

20代後半ともなれば、だんたんその不安杞憂だったとわかるわけだが、生まれからずっと他者が悪意を持っているとずっと思っていた。(そして今でもほんのりそれは思っている)

悪意は上司、先輩、社会国家など権威あるものから不条理に降り注ぐと思っていた。

からそれから身を守るために、大学にいったり、論理学を学び屁理屈で言いくるめようとしてくる人から自衛をみにつけたり、歴史外国語を学びちょっと頭がいい風を装ったりした。

まあこの文章を見て分かる通り、そんなに学が身についているわけではない。

僕がいわゆる『理解ある彼氏くん』枠で結婚したのも、妻が権威ある悪意から遠い弱い存在だったからかもしれない。

ただ妻は弱い人間ではなかった。苦手なことはあるが、それを打開するためにいろいろ挑戦している人だった。

気づき

この前妻から一言で、年甲斐もなく泣いてしまった。

悲しいとか辛いとか悔しいとかではなく、涙が止まらなかった。

喜怒哀楽の単純な感情由来であればコントロール可能だ。

だが不可能だった。子どもがいるにもかかわらず、涙が止まらなかった。正直混乱した。

切っ掛けは些細な夫婦喧嘩だった。

僕は相手から言質を取られないように遠回りに外堀を埋めてから話す癖があり、それは人によっては不快な思いをさせてしまう悪い癖だと思う。

夫婦喧嘩で〇〇を言った言わなかったから、過去の違う話まで掘り起こされて喧嘩エスカレートすることもあるので、僕は議題を棚卸して何について話しているのかと責任境界を決めたがる。

それは共感とは遠く、冷たい印象を与えることになるというのは僕は理解している。

だがそれは今回のこととはまた別なんだ

ただその冷たい印象を与えている僕に対するカウンターとして妻が言い放った「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という言葉を聞いて、いままのでの喧嘩の内容なんか吹き飛んで、ただ泣くことしかできなかった。

さいころを思い出す。

僕は大卒だが正直それほどレベルが高い大学ではない。

僕のクソ小さな自尊心は「中堅よりは上だけれどもハイレベルというわけではない」と言いたいが、世間ではそれほどでもないとは思われているだろう。

だが、妻は大学には行っていないので、大学に行く人というのは基礎能力が高いという素朴な期待を持っているようだ。

で、なんであの言葉で僕は泣いたのか。

あの言葉を受けた時、僕の脳内では幼いころの情景がフラッシュバックしてきた。

祖母が「あなたのお父さんはとても頭がいいから。あなたも頭が良いんだよ。おじいちゃんは〇〇賞もとったかあなたもすごいんだよ」とずっと言ってきて僕はそれが誇りだった。

クラスでは物知りで通っていたし、小学生ながら月刊ニュートンを読んでいたのはちょっとしたドヤれるポイントでもあった。

実際父はすごかったらしい。らしいというのは小学生に上がる前に亡くなったからよく知らない。

ただ僕が逆立ちしても入れないような大学にそれほど勉強せずに入ったそうだ。

高校時代にその研究をしたいがために当時の有名な教授がいる東京ではないがトップレベル国立大に入るように勉強していたが下宿代が当時のうちの家計では出せなかったようで、都内のそれでもハイレベルな有名大学にはいった。(今にして思えば子離れできていない祖母が渋ったのではないかとも思うが、)

都内ハイレベル私大にはその国立大先生と同じくらいにその分野で有名な人らしく、それで進学先を決めたようだ。3年の夏まで必死勉強していたが、私大に進路を変えたのでそれからは遊んで暮らしたそうだが、ちゃん合格したそうだ。結構浪人生があこがれる私大だっつーのにね。

そして父は研究者になった。んだが、今の僕の年齢よりもずっと若い時分に死んだ。平成をたった数日しか生きられなかった。おそらく今も生きていたら教授かになってたんだろうなとは思う。実際同僚の人はその大学教授をやっているらしく、何回かテレビに出た時に母が父の友人だと教えてくれた。

祖父自分生業の分野でナントカ賞をとって有名な人とかと写真うつったりしていた。

そんなこんなでその嫡流の僕は変な期待と受けていた。父が若くして死んだこともあるのかもしれない。

人の偉業で褒められる。小さい頃は良かったが、ちょっと分別がつく頃には結構キツイものがある。僕がやったわけではないし、僕が今やっていることは何も評価されていないのだから

母はそんな環境が嫌だったからかもしれない。だから引っ越したんだろう。

女手一つで僕と妹を育てた。とはいっても母も実家が太い系なので相当恵まれて育った。

母は大学を言っていない。研究者と事務の人という出会い結婚したそうだ。

から正直学がないというか、僕の勉強に対して口を出すことに自信がなかったんだと思う。だから僕の好きな分野、科学のことの話し相手になってくれなかったし、成果を評価してくれることもなかった。ただ「難しくてわからない」というだけだった。

僕は生まれてことこのかた賞状をもらったことがない。妹は絵画コンクールで、英語スピーチコンクールで、そして学校選抜された海外派遣なんたらで数多くの栄誉を持っている。

僕は何ももらっていない。歯が綺麗で賞はもらった。絵もうまくない。楽器も弾けない。英語もできない。文章も書けない。ゲームもうまくないし、話もうまくない。モテない。バイト先ではいじられキャラだった。いじってほしくはなかったがただ「要領がわるい」ということでいじられキャラになった。

そう要領がわるいんだ。

ただ、必死になって大学受験をしただけの人だ。

妻は大学には行っていないが、絵が上手い。工作が上手い。それを作って売れるほどうまい創作ができる。

「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という妻が放った言葉で、これらの過去のこと家族のこと妻のこと今のことすべてが分かってしまった。

頭がいいわけないということを分かるのが怖かった。

僕は何者でもないといわれるのが非常に怖かった。僕のアイデンティティは「すごい祖父、すごい父からまれた、すごい子」であり、それが解体されるというのが辛かった。でも僕が縋れるのはその祖父祖母が言っていたそれしかなかった。

凡人であることを誤魔化すべく、頭でっかち知識と、頭がいい風を装っていた。バイト先でいじられても「でもあいつらより偏差値高いし」って思って意識を保っていた。

そして脆い自分を明らかにさせてしま他人が怖かった。

自分がただ怖がっているだけなのに、相手が悪いことをしようとしていると思って、目上の人や教師社会不条理に僕に何かを強いると思っていた。

悪意が逆転していた。自分が向けていた敵意を僕は被害者意識を持っていただけだった。

根拠のない自信をもつことはある意味必要だと思うが、僕の場合はその程度が強すぎたのかもしれない。

自信があることで身を守れると無意識で感じていて、自分に自信があると思い込ませていた。

からつい最近まで僕は自己肯定感が高い人だと思っていた。

全然高くなかった。たった一言で崩れるような人間だった。

恋が多い人生だった

妻に出会うまでは恋が多かった。

だが、モテなかった。

自分から行くタイプではない。ただ悶々彼女が欲しいとずっと思っているような人だった。

小学生からずっと。

今思えばただ自分を認めてくれる人が欲しかっただけかもしれない。

人の話を聞いてみるとそんなに好きな人が何人もずっといるというのは珍しいというのが分かった。

ティーンの頃の僕は恋に恋をしているに近かったが、自信があれば自律できていて、自分肯定(好いて)してくれる人を必要以上に求めることもなかったのかもしれない。

親として

僕はうちの子供には子供自身のことで褒めるように、そしてちゃんと成果をみて、子供興味あることをちゃんと調べて対等に接するようにしようと思う。

幸い子供マウントを取るようなことはしなかった(とは思う。自分の中ではないと思う。わからない。不安だけど)

うちの子昆虫とか生物かいろんなことを僕に教えてくれるし、僕も飼育について聞いたりしている。

僕がしてほしかたことをしている。きっとこれでいいはず

いまだに敵意は怖い

それでも人は怖い。

能無しとも思われたくないし、趣味に口も出されたくない。

変なアドバイスを受けたり、干渉されたくもない。

でも実は友人が欲しい。

そんなこんなで引っ込み思案なまま大きくなってしまった。

ぼっちちゃんみたいに何か自己表現でもしたらまた何か変われるかもしれないな。

この話を誰かに話して気持ちを楽にしたい

理解ある彼氏くん枠』で結婚したということを話したが、つまり妻はある精神的なハンディキャップを背負っているので僕がいろいろサポートしているところがある。

ただ僕はいろいろ限界が来て喧嘩してしまうことも多々あるけれど、それでも日々は平和だ。

つきあっていたころのままの関係性が続いているし、手をつないだり、二人で出かけたり、一緒に遊んだりすることもあの頃のままだ。

だが、妻は僕に守ってほしいという気持ちが強く、僕が弱いところを見せてほしくないと思っているところがある。

僕があの日泣いたとき、なぜか怒られた。「泣いたら私が悪者じゃない!!」って

僕はさすがに謝罪した。「さっきの喧嘩の流れとは別の件でないている。あの話とは別なんだ。個人的理由で泣いているだけなんだ。(まだ自分でもなんで泣いているのかもわからないので)なんかわからないけれど心の柔らかい場所が反応したような感じがして」とまあそんな感じで伝えたんだけれども

ただ「あなたが泣くと困るからやめて」という。

妻は毒親サバイバーでもある。だから過去の辛い話などを聴くこともあるし、その段階で妻が泣き出すこともあるので、そういう時は抱きしめたりして、そうすると落ち着いて、妻はそういう関係が好きらしい。

実は僕もそうしてもらいたいと思っているが、逆の立場にはしてくれないようだ。

僕も誰かに依存したいが、僕は生涯の伴侶は妻だけだし、妻以外に心を開くのはどこか浮気のように感じてしまい、正直無理だ。

そんな行き場のないこの気持ちを吐き出せるところはどこにもなく、

トイレ便器にはなしても/dev/nullに投げ出しても、どうしようもないので、ネットに放流して誰かにまれることで慰めることにしよう。

深夜のテンションで書いたものが上位にあがっていた。

皆、読んでくれてありがとうございます

深夜のテンションで書いたものホッテントリに上がっててびっくりしていたのと、

そしてまた悪い癖でこの世に悪意しかないとおもっていて、「絶対炎上している」「きっと、『お前は恵まれている癖に何いっちょ前に気取った悩み装ってるんだよ』みたいなコメントがたくさんあるんだ」と思って開くことができませんでした。

でも100件以上ついたら、気になって仕方ないので思い切って開いてみたら、なんとまあ善意ある方が多いこと。

ありがとうございます

また厳しめの人もきっと善意による発言だと理解するように努めます

2022-11-28

anond:20221128150119

都内にいて「ブランチでやってる東京のおしゃれスポットなんかつまらんなあ!」って思ってる自分適当シネコンなり博物館なり行く

あと電車自動車で動くような生活してると買い物ばっかして無限に金が溶けるので、自転車なりウォーキングなりの移動そのもの趣味にしといたほうがいい。バカほど信号と一時停止にひっかかるけど眺めるものは尽きない

anond:20221128123544

例えば一定時間機能停止に外部からできるような信号の受け入れ口を作られるとかなら、

くわしく

NAPT的なものかな

anond:20221128114840

そうとは分からないようにする技術を既に中国が開発してしまっている可能性、がゼロではないのでは。データをどこかへ送るとかならさすがに発覚するだろうけど、例えば一定時間機能停止に外部からできるような信号の受け入れ口を作られるとかなら、新技術次第で可能性はあるとかさ。

デジタルアナログの違いを分かりやすく教えてくれ

入力された信号をそのまま伝えるのがアナログで、一度0と1に変換したものを伝えるのがデジタルってイメージで合ってるか?

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