はてなキーワード: プレハブとは
これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体が荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。
私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。
初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然の要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後の時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。
時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来のルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドのネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。
そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草が結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。
道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。
もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いだけが常に辺りに立ち籠めている。その臭いを我慢して近道をするか、遠回りして臭いを回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。
私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験を意識する時期だったので、公営の図書館の勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性は脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞で子供の行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。
そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドのネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふと何気なく、いつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに目を向けたとき。視野に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。
それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンとレトリーバーは全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。
あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。
そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者が複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。
そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段の真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミの収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分が臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。
翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社に電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。
そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。
と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、
「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」
と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです、何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。
職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ち悪いねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンだ。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああいう臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位の人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。
皮肉なものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校のときの体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのときの記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。
今朝のことです。
家から最寄り駅へ向かう途中、地べたに座ってこちらを見ているおじいさんがいました。
これは関わらない方がいいなと思って横切ろうとしたのですが、おじいさんの脇に杖が転がっていて、彼が転んで起き上がれなくなっているのだと気付きました。
意識ははっきりしているようでした。
「どうも」
「家はお近くですか?」
「そこのすぐ裏」
私は肩を貸して一緒に家まで歩きました。
「お怪我はありませんか?」
「休めば大丈夫」
「いないよ」
家の前について驚きました。
それは家というより、大きめのプレハブ小屋といった感じでした。
引き戸を開けると中は部屋で区切られてもいなく、乱雑にイスやテーブル、ベッドなどが置かれていました。
「そこで大丈夫」とイスを指さすので座らせました。
「どうも」
「それではお気をつけて」
「どうも」
私は仕事があるのですぐにその場を去りましたが、あのプレハブ小屋で足腰の弱った老人が一人。
どうやって生きているんだろう、そのまま命を落とすことはないだろうかと、
私にできること、やるべきことはあるんでしょうか?
下記はKSKカレッジを辞めてすぐに怒りに任せて書いた、そこの感想。
「kskカレッジ 評判」、「kskテクノサポート 採用」、「kskテクノサポート 研修」とかググっても良いことばかり書かれている記事しか見つからない。
それはおかしいので、あの地獄の真実についてネットの隅にでも記録を残して置くことにした。
kskテクノサポートの研修が、本当に地獄であるということについて。
感情を抜いて綺麗な文章にしようと何度かリライトしたが、どうもそれは無理みたいだったので、そのままの形で投稿することにした。
最終的にwebエンジニアになってIT業界にいるから、ここの異常さが本当によくわかる。
第二新卒ナビ経由とかでここに売られようとしているなら、やめたほうがいい。
SESの大半は、エンジニアを派遣して企業からもらう契約金の大半を中間搾取するというもの。
あなたが働いて稼いだお金は、月に1回帰るだけの会社の施設や人格に問題のある講師たちを養うために使われる。
あとはエンジニアは本当に人手不足なので、未経験でも自社開発の会社に入れたりもする。
僕はそんな感じで今はフルフレックス、リモートワーク可の会社で働いてる。
頭のおかしい講師たちに「社会人として」を押し付けられて、ネズミ男から人間力(笑)を養ってもらうか、自由な環境で楽しく働くか。
UZUZに格安で売られそうになってるみなさん〜
面接練習では「不況でもエンジニアは安定して」みたいなこと言う練習はしてるかな?
人財開発部(笑)の財津さんに詰められて「辞退した」けど、今では大企業の新規事業チームで毎日楽しく働きながら、同時に起業もしたりしてるよ〜
インフラなんてつまんないしここは最悪だし、UZUZもしょうもないから、「自分がなにをしたいのか」を考えて行動しな
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かつて僕は2014年10月16日入校として、株式会社KSKテクノサポートという特定派遣の会社で研修を受けたことがあります。
でもその研修を受けている時点では、
アルバイトなどで働けるわけでもない。
稼ぎないのにどうやって生活しようか…?
そんな心配は無用です。なんと慈悲深き株式会社KSKが、住居と食事を提供してくれるというのです。なんてありがたい!
しかし、実際はそんな上手い話もなく…
タダで住める寮は、めちゃくちゃ汚い。マジで。
僕は築25年のマンションに住んでますが、そこと比べてもずっと汚い。古い家の匂いがして、そこにいるだけで気持ち悪くなるレベル。これなら定期を買って通勤した方がマシですが、残念ならがらそれは許されません。
ご飯はというと、豚の餌。
くっそ脂っこい揚げ物だらけの弁当を昼と版に支給して頂けます。
向こう側としては「食べさせてやってる」という意識なのですが、恩着せがましいにも程がある。
あれなら自分でお金払ってでも自分で買って食べた方がずっとマシなレベル。
その豚の餌(昼食)はプレハブ小屋みたいなとこで食べさせられます。
そこに入る際は「○月○日から研修を受けさせて頂いております、○○と申します」とか言って入らなきゃいけません。
さて、そんなKSKカレッジですが、特に素晴らしいのはあそこにいたとても立派(笑)な社会人としての先輩であられる講師の方たち。
ここの講師には嫌な奴しかいません、こっちが反論出来ないことをいいことに。
その最初の一言は私は転職経験は一度もありません」という言葉。
これを誇らしげに言うんです。今の時代、転職経験なしを誇らしげに語るのか…。
もうこの時点で僕はこの先、自分はここで楽しい思いを一切出来ないことを悟ったね。そしてその先生のありがたい自己紹介は続いて
「今の携帯電話の5000分の1は私が作ったものだと思ってます」とのたまいました。
他社に売られることによって生計を経ててきた派遣エンジニアの哀愁を感じたね。「ここにいたらいけない」とかなり強く感じた。
この先生の格言はまだいくつかありますが、特に彼が気に入っていた言葉は
「挨拶を出来ない子が中身を私の見てくださいとか言うことがあります。でも、切ったところで肉しかないんだから」というもの。
これは彼の決め台詞みたいなもので、短い滞在中、何度も聞かされました。
他にもKSKカレッジでは人間を家畜化するありがたい、ねずみ男みたいなチビによる人間力講座なんかもあるよ!
僕には到底、彼に人間力があると思えませんでした。「こいつを反面教師にしなさい」という意図なんでしょうか。
ちなみにこの授業で使う教材はあの名著「生き方」。この時点でお察し。
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本来の「豪邸」という意味で使われるのであればいいのだろうけど。
それを払拭するために作られた言葉=和製英語としてのマンションという言葉だという事は
分かっているつもり。
他の増田で書かれていたが、外から煙草の煙が流れてくるような建物は決してマンションではないだろう。
それこそ、日本の高度成長期に存在したかもしれない、ただのぼろアパートだ。
それよりも、アパートを馬鹿にするような使い方はして欲しくないんだ。
話はちょっと飛ぶが、プレハブという言葉も誤解されているように思う。
プレハブというと工事現場の仮設事務所(兼住居?)のような物をイメージされるかもしれないが、
本来はプレファブリケーションから来ている言葉で、事前に工場で作られた事を意味している。
昔は大工さん達が現場で部材を加工し家を建てた事に対しての言葉だ。
知人に誘われて行ってきた。事前に何をするところなのか聞いたがよく分からなかった。
だいたいこんな感じのことを言われた。その知人のことは信頼していたので詳細まで聞かずに同行。
会場はプレハブでご年配の方々で満員御礼状態。会場に入り待機用の椅子で健康アドバイザーを名乗る人の話を聞く。
などなど、違和感を上げれば枚挙にいとまがない状態。あまりの気持ち悪さに一刻も早く帰りたくなった。知人の顔を立てて我慢したが、今思い出しても胃が痛くなる。だいたい、そんなに効果があるものなら医療機関に完備されているはずだし、下手をすれば各家庭に1台普及していてもおかしくない。
どう考えても業者は騙す気満々だし、それを分かっていて「騙されないで健康器具の恩恵だけ受けるぞ」と思っている参加者が半分、本気で信じている参加者が半分といったところか。双方からの悪意が充満している一方で奇妙な一体感のある異様な空間。怖くて仕方なかった。
そもそもの話、電位治療器が全く効果がないとは言わないが、体験者談の効能が「ガンが治った」「難聴が治った」とか眉唾すぎる。そして器具の値段が高すぎる(200万円超)。それでも会場閉鎖間際になると買いたいと申し出る人がそこそこいるらしい。
知人は無料で健康器具を使いたいと思っている派。業者が怪しいのは分かった上で器具の効能は信じている様子。自分は騙さされていないと思っているらしいが、器具の効能を信じて人集めに協力している時点で業者に加担しているし十分騙されていることには気付いていない。本人が幸せならそれでいいやと思っているが、知人の人間関係が壊れてしまうのだけは避けてほしいなと願っている。
足りないのは保育園だけで幼稚園はガラガラ、なんてデマを信じてるんだろうが、
まず保育園が足りない地域ってのは大抵人口急上昇地域で幼稚園も小学校も足りてない事が多い。
幼稚園もどこにも入れない難民発生が問題になっていたりするし、
小学校も教室足りなくて校庭にプレハブ建てて何とか収容してる、という状況で保育園児の受け入れなんか出来るわけがない。
それに幼稚園や小学校と保育園じゃ必要な設備も違うから園舎(校舎)の建て直しが必要だったりして
何でもいいからスペースあればいいんだろ、なんて単純な話じゃない。
建て直す為に仮園舎建てるスペースすら無かったりすると、その間閉園するのか?今いる在園児はどうすんだ?ってな事になるし。
地域差が激しいから少し離れれば空いてたりするけど、それだと通勤途中に寄れないから使えないなんて言い出す奴出て来るし。
長らくWebサービスの受託開発を行ってきてたびたび思わされる「UIを考慮しないで思いつきで付け足されるデザイン」について。
開発当初は、UIを考慮してしっかりと作りこまれたデザインを頂くことが多い。
出来る限りしっかりとそのデザインを実現し、非常にいいサービスが出来たなんて思って保守を行うと、大体がシステム追加が起こる。
まあ、システム追加がサービスを運用していく中で行われるのは、当たり前なのでそれについては何も問題がない。
問題が起こるのはこのシステム追加でデザイナーが不在の場合が多いということ。
費用の面なのか、追加だから適当でよいと思っているのか、大抵のクライアントはシステム追加を行う際にUIの考慮やデザインの再検討せず、いきなり画面仕様をおくってきてこのとおりに実装して欲しいという。
こちらは「デザインはどうしますか?」と質問すると、適当に今のデザインにあわせてくれといわれる。
長らく開発をしてるので、多少のデザインの心得はあるとして当初のUIになんとか合わせて実装すると、やれボタンが小さいとかここの色を変えてくれとか最初に設計したデザインとまるで違う修正があがってくる。
こちらはそこに権限はあるわけではないが、一応忠告としてUIが他のページとあわないので、その修正はしないほうがよいのではと言うが、そんなのはお構いなしにこれでいいんだとごり押しをしてくる。
それはまるで、よく出来た家にプレハブで増築をしてるかのような醜悪さだ。
そこのページの一部だけなら百歩譲って我慢できようが、そのうちにメインのデザインにも口を出してくる。
やれ、ヘッダーの色を変えろや、第二階層メニューを見やすくしろだとか。
それは私の仕事ではないし、デザイナーと相談されては?と伝えても金がかかるからといってやらず、それならと自分で適当にデザインしたものを送ってくる。
きっとそのサイトをデザインしたデザイナーはその代わり果てたデザインをみて驚愕してるに違いない。
私はその悪魔の所業の手伝いをさせられることがいやで、その手の受託案件ではデザイナーも保守運用に当たるようにクライアントにお願いをしているが、それを受け入れてくれるところは限られている。
きちんとUI設計書なんてものが用意されてる案件もあるが、それを無視するクラインは枚挙にいとまがない。
こうして日本のWebサービスはひどいUIのものが量産されてしまうのだ。
ただ、幸いにして最近のWebサービスは自社できちんとデザイナーを入れて、しっかりUI設計をされているところが増えてきている。
まあそうなると開発も自社となることも多いので、受託屋としては仕事がなくなってしまうのだが、それでもしっかりとしたUI設計を行ったWebサービスが増えることを祈るばかりだ。
月面基地の発展に伴い、基地内の収納能力に限界を感じ始めた頃、新たな実験がスタートした。
地下に建設された月面基地の内部ではなく、月面で物資の保管を行うのだ。
核燃料や脱水汚泥などの身近に置いておきたくないものから、酸素ボンベや保存食品類、各種建材などのすぐには必要ないもの等、リストには無数の品目が並んだ。
月面に物資を保管する上で考慮しなければならない問題が数点。特に大きな問題点は以下の三点である。
・数百度にわたる温度差
・流星直撃
これらを避けるために月面基地の大半は地中に建設されているのであり、さすがに野面で月面に物品をさらすわけにはいかない。
アイデアとして、まずは半地下を掘削し、コンクリート製の屋根を渡した『バンカー』が考案された。
しかし、月面の砂質を考慮すると、掘削に手間がかかり、またコンクリートの作成にも様々な困難が発生するため計画は頓挫した。
この時点で研究会は可能性としては無視できる程度に低いとして、流星直撃に対する対策は一時放棄された。
次ぎに、物品をそのまま土のうで埋めてしまうというアイデアが採用され、これは実験も成された。
そのまま、月の昼を経過して、夜になったら掘り返す。
結果、十分に厚みを持たせた土のう層は温度の変化を最小限にし、十分に実用に耐える事が判明した。
保存のために確保できる空間が労力の割に極端に狭いのだ。
埋め込み、掘り出しに膨大な人手間が必要となり、比較的搬入、搬出が頻繁な物品には向かないことが解った。
やはり倉庫型の建築が必須であった。ともかく直射日光さえ防げれば物品の劣化は防げるのだ。
荷重は地球の1/6、それに木造建築の最大の敵である腐朽菌も白アリも、月面には存在しない。
火災さえも極端に低い酸素濃度のせいで発生しない。月面では木造のメリットがあった。
同時に原材料の地球からの輸送というデメリットもあるが、それは現状全ての物資に言えることである。
早速、地球から取り寄せられたプレカット角材が月面に組み立てられた。
レゴリスに建つ立方体の骨組みはいささか滑稽ではあったが、歴史的瞬間には違いない。
倉庫と言うことさえはばかられるような貧相な構造物を多くの研究者が見物した。
合板などは接着剤にどのような変化が生じるか、研究が必要なので初回は無垢材だ。
ちなみに、雨も風も考慮しないため、当初は水平に屋根を設置するとの意見も出たが、空中に巻き上げられたレゴリスが日々降下しているため、屋根にある程度の傾斜を付けることとした。
側壁にいたって、三方に腰板を設置し、届いた木材を使い果たした。
早速、お調子者の研究者が、「サムライハウス」などと落書きを加えたが、東屋は一昼夜の後に解体され、材料は徹底的に切り刻まれて研究に回された。
熱伝導の低い木材は、高熱の直射日光を浴びて表面を炭化させながらも、内部は生木の状態をたもち、倉庫として要求される強度を十分に発揮することが証明された。
(後に、月面基地で生産可能な石膏ボードを利用した倉庫建築技術が考案され、木造建築の研究はたった一度の建築実験のみで中止されたが、月面基地開発初期のロマン主義的な代名詞として木造建築実験は長く語り継がれることになる)
タイトル通りなのだが、色々調べて不思議な気持ちになったので書いておく
うちの祖父母は双方90歳こえて元気にやってる信心深い夫婦で、先祖代々名古屋の昭和区の興正寺の檀家をやってきている。
・http://www.asahi.com/articles/ASHCN7T68HCNOIPE025.html
うちの祖父母は、割と熱心な檀家でもちろんこういった問題があることは知っているものの、
「おっさま(名古屋弁で坊さんの意)や若様が、考えもなしにそんなことするわけにゃーて。みんな信じとるもんでだいじょうぶ」
と何を心配しているのかも最早よくわからんが、何か達観した様子でこの手の騒動をみていた。
信仰の自由を尊重し、まぁ好き勝手やってくれと思っていたが、この手の問題には眉を潜めていた。
興正寺(U住職) と プレハブ寺(高野山から派遣された稲沢市のA寺のM住職)が要は対立しているのだが
このM住職というのが、元々15年ほど前に興正寺で働いていた住職だと祖父母から聞かされた。
解雇された M住職・N住職・U住職というのは うちの婆様界隈ではみんな知っていることらしいが
興正寺への寄付を懐にしまい、自分の寺の修復費用に充てるなどを何度も繰り返しており
それを現職のU住職は見て見ぬふりをしていた。
・・が、余りにも目につくようになりU住職の代替わりが近いタイミングで解雇と相成ったらしい。
(興正寺は名古屋で一二を争う大きな寺で、名古屋市近郊の坊さんがたくさん働きに来るのだとか。雇用形態などの仕組みはよくわからない。)
祖父母は檀家総代などをやっていた為、プレハブ寺側のM住職とも面識があり、最近偶然出くわした際に以下のような会話をしたらしい。
90超えの老人のいうことなので、どこまで正確かはわからないが。
M住職「◯◯さん、今のままあちらさん(興正寺)を支援なさるんかね。高野山を敵に回したってことになりますよ」
祖母「私は、あんたさんがやってきたことをよく知っとるから、あんたの支援はできん。興正寺は興正寺。高野山は高野山。私は興正寺の檀家。」
M住職「私が興正寺の代表になった時には、◯◯さんには色々やめてもらわなきゃいかんね・・」
母と興正寺に相談にいったらしい。M住職が、興正寺の代表になることはあるのか?と尋ねたところ
興正寺「M氏が、規則にない住職代行を名乗ってまで興正寺に取り入ろうとしている目的は、数年前の不始末を消すことでしょうから。そんなことは私達は本山が何を言おうと許しません」
肝心の質問にストレートに答えないあたり、坊主というのは流石な生き物である。
祖父母は、興正寺の戦後の再建などに大きく力を貸したようで、寺を守るという意識がものすごく強い。
もう3人しか生きていないが、茶飲み友達などは、M住職が興正寺を入ることを本気で拒んでいる。
「墓に入るなら興正寺と決めていたのに、Mが代表になったらと思うと恐ろしくて眠れない」と言うのだ。毎晩眠れないらしい。
祖母に色々聞いてみたところ、何十年も前に、祖父に隠して興正寺に寄付をしていたらしく それをM氏に渡していたのだと言う。
寄付をすることにより、なんかに寄付人として名前が掲載されるはずだったが、本来載るべきだった名前が載っていなかったそうだ。
祖母の周りでもM氏経由で寄付をした人たちだけが、寄付人として 名前が載らなかったようで
M氏が横領したのでは?と言う噂もたったが、目を瞑っていたようだ。そして、10年ほど前、解雇されてホッとしていたそうだ。
それが現在、興正寺の目の前にプレハブ小屋をたて、住職代行を名乗っている。数年前なら檀家がそんなことは許さなかったが
力を持った檀家も高齢化には勝てず、M氏のことを知る人が減ってきたところで今回のこの騒動のようだ。
ちなみに、祖母と祖母友人の寄付総額は、私の年収の倍以上だ。バカらしくてめまいがした。
私としては、もういい歳なんだし好きなことやってていいよ、と思うものの、
祖父母にとっては興正寺が宝のようなもので、檀家であることに誇りを持っている。その趣味やめろとも言いづらい。
・・が、余りにもタチの悪い趣味である。金も時間もかかるし、何より登場人物が銭ゲバ坊主だらけである。
そもそも高野山と興正寺の関係もわかっておらず、祖母の話を話半分で聞きながら興正寺周りの噂を探していたところ、不気味なブログをみつけた。
どこまでが事実かわからないが、ここにある坪単価や値上げ額などは事実。
8 :名刺は切らしておりまして:2013/02/06(水) 11:11:52.08 ID:sdFlk7sq
お寺が朝鮮人に乗っ取られたら、だいたいこうなる
お前らも気を付けろよ
この書き込みを思い出して、いやな寒気がした。
それらが何なのかがよくわからないが、家族のように大切なモノだと私と母は解釈した。
祖母はここ数日で急激にやつれた。
毎日困るくらい元気そうだったが、ここ数日全く元気がない。
調べてみたり近所の人らに話を聞いてみたが、正直よくわからない。
「興正寺はU住職じゃなきゃ困る。」と近所の人は言うが、ネット上で記事になっているのは「U住職は悪」という内容ばかり。
私としてはプレハブだろうと興正寺だろうと構わないのだが、坊主が老人が眠れなくなるような事言うなよ!と怒りが湧いてくる。
なんか誰かに聞いて欲しかったのでとりあえず書いてみた。