はてなキーワード: セーフティネットとは
増田には増田を許容する彼女がいるのだから、増田がそうであるように「そういうキミが好き」という人だって当然いる。既に市場における多様性があることを、増田が証明しているとも言える。
これは、おかしい。
私はあくまで一例にすぎず、世の中にはたくさんの非モテが苦しんでいる。
当然、彼らと私は別人なので、私のことは何の証明材料にもなりはしない。
だからといって、恋愛にBI的な再配分を求めるのは、他方の個人的な権利を著しく損なう可能性という根源的な問題が生じるので、経済と違って再配分するわけにはいかない。相手にも人権があるからね。
いまは、非モテ側の個人的な権利を著しく損なっている。非モテにも人権はある。
一方の人権は考慮するが、非モテの人権を考慮しない。これこそが非モテ問題の根源だと私は考えている。
モテないことを嘆くくせに努力をしない非モテについては、売上が欲しいのに営業を全くしない会社のようなものだと思う。これも市場性の問題。
金銭的な貧困は、生活保護というセーフティネットがある。非モテにはない。
性欲は食欲と同じく根源的な欲求、必須のものであり、市場性の問題にすること自体が誤りだと考える。
現状宜しくないこととはいえ立場が下のものが、交渉材料を出さずに「そのままで受け入れろ」というのは、市場の空気感を変えるための役に立たないどころか、「ああ、やっぱり…」と株価が下がる材料にしかならない。
今、「立場が下」である事が間違いかもしれないのに、その可能性を考慮しないのは
まして、その「交換材料」とは、個人のアイデンティティに他ならないのだ。
更に言えば、「不満に憑りつかれた非モテ」の中には、「そういうキミが好き」と言うごく普通の女性やレベルの下がる女性がいたとしてもスルーして、
絶世の美少女やアイドルルックスの子がこちらを振り向かない!どうせエグザイルみたいなのが好きなんだろ!という怒り方をネット上などで表明するものなどがいたりする。
本来、「本人の問題」とはこういった市場価値?を考えないルッキズム?だけを指すのだと考える。
増田が本当に生活保護を受給しているとしたら、国はセーフティネットに引っかかるほど失敗して苦しんでいる救うべき国民に対して、カネを渡すだけで、その保護費でどうやって生きていけばいいかを一切教えていないことになる。
ならない。
もちろん、生活保護を含む福祉政策が十分だということになるわけではないが、かと言って、増田が本当に生活保護を受給しているとしても、それだけで、国がカネを渡すだけでどうやって生きていけばいいかを一切教えていないのかどうかまで判断できるわけがないではないか。(たとえば、教えているんだけど聞く耳を持たないだけなのかも知れないし、教わる端から忘れているだけかも知れないではないか。)
ましてや、そのような緩い憶測に基づいて"サバイブするための知恵を必要としている人を放置して、「失敗者はすべからく死ね」と言っているようなもの" とまで飛躍するのは、緩い憶測の二乗であって、議論として殆ど意味をなさない。
そこまで言うなら、せめて少しは事実を確かめてからにしてはどうか。
本当にそう思うならそうすればいい。(皮肉ではない)
これは心が痛む残念なことだ。
増田が本当に生活保護を受給しているとしたら、国はセーフティネットに引っかかるほど失敗して苦しんでいる救うべき国民に対して、カネを渡すだけで、その保護費でどうやって生きていけばいいかを一切教えていないことになる。自立支援が機能していないことになる。サバイブするための知恵を必要としている人を放置して、「失敗者はすべからく死ね」と言っているようなものではないか。
もしかしてこの国は、根っこから、ドロップアウトした人を救う気がないのではないか。自立支援なんてものは建前で、「生保もらう奴なんかクズで頭が悪いから何を教えてもできやしねえ」と諦め見捨てているのではないのか。そういう人間が集まって、そういう空気のもとで行われている制度なんじゃないか。それは国として間違った「自己責任」意識だ。
増田に寄せられるコメントを見ても、ますますその思いが強まるばかりだ。
本来は増田のような困り方をしている人が存在してはいけない。そういう事を言える人がなぜ居ないのか。もう私は日本人をやめて、新国家を建てた方がいいのだろうか。
よく周囲から「増田君まだ実家にいるの?いつ出てくの?」と揶揄される。
俺だって、出れるならさっさと出たい。けど現在の自分の状況を見ると、実家に留まらざるを得ない理由がある。
まず自分は最近派遣社員で働いているけれど、当然いつ契約終了を言い渡されるか解らない立場にある。
現行法だと失業保険を貰うには、離職の日以前1年間に雇用保険に加入していた期間が満6ヶ月以上でないといけない。
派遣だと1ヶ月から3ヶ月で契約を切られる事があるので、失業保険のセーフティネットにかかる事が出来ない可能性がある。
「じゃあなぜ派遣で働いているの?」と思うだろうが、大抵の企業の正社員にはみなし残業代が設定されている。
昔、自分は自分の会社にみなし残業代が敷かれている事も知らず、
自分には大事にしている趣味があるのだが、その趣味の時間もこの残業のせいでなくなってしまった。
断れればいいのだが、現行法では残業を「趣味や余暇の時間を取りたいから」という理由で断ると、
この働けば働く程、自分の時間毎の給料が減っていく、みなし残業代システムにはモチベが下がらざるを得ない。
となると、ホワイトが約束されている派遣社員で働くのが有効な選択肢になる。
であるので、実家に住むという選択肢は有効な選択肢の一つになる。
非正規を続けるか、ホワイトな所の正社員になれるように努力するつもりだが、
最近この国では高度プロフェッショナル制度という名の「残業代0法」「定額働かせ放題法」
を通されようとしている。もうそうなったら日本中が「みなし残業代がデフォ」な状態になるので、
そう考えると移民の準備せざるを得ない。だから最近は着々と移民をする準備をしている。
ただこの為だけに、ここまでの努力をし、
バリバリの開発現場でついて行けなかった人、スタートアップにジョインしたものの会社が潰れてしまった人、フリーランスになったはいいが疲れてしまった人、起業したが失敗した人、SEとしての就労経験はあるが10年間引きこもってた人、もろもろそうこうするうちに40歳過ぎてしまった人。
待遇を気にしなければ、派遣SE(いわゆるSES含む)の職ならどうにでも手に入る。今後、社会も色々変わっていくが、我々が就業していなければならない期間に、日本でこの仕事が無くなることはおそらくない。贅沢はできないかもしれないが、人並みに生きていける収入は得られるし、一応、オフィスワークであるので、うまくやればそこそこ健康的にはやっていける余地がある(肉体労働だと否応なく限界がくる)。
断っておくと俺自身はセーフティネット拡充派であり、そう言う意味で労働問題の立ち位置は左派だろうと自認している
ただ世間というかそう言う流れを見ると確かに「ブラック企業許すまじ」「格差許すまじ」ではあるんだが、同時に「外国人排斥」「日本国民としてのアイデンティティ」を口にする輩が明らかに一定数以上いるように感じる
はてなで無邪気に受け入れられてる労働者の左派的な観点の広がりは、一歩間違えればナチスのような国家社会主義へと転びかねない危険性を孕んでいるのではないか
そしてそれの行き着く先は戦争なのではないか…そうした考えが時々頭をよぎることが最近増えて来ている
こんなの俺の考えすぎであってほしいが…
中年新卒の出直しって色んな人に希望与えるんだなーと分かったので、夫の話もしたい。
言っとくが看護師ではない。
看護学校も受けたのだが、コミュ力が無さすぎて、圏内の専門学校は全落ちした。
笑うしか無かったけど、なんとか別のコメディカルの学校に滑り込めた。
私はブラック企業の正社員と副業をゴリゴリやって、でも世帯年収は300万切ってた。
地方都市で家も車もない。
とにかくランニングコストが低ーい一家だったので、なんとかやっていけた。
学費は夫の親に頼み込んで、最後のチャンスって事で出してもらった。
これがほんとに助かった。
奨学金を借りるか借りないかギリギリの選択だったけど、いま多少身軽に生きて行けるのは、この時の借金が無かったから。
夫、四十路でのこの生活。
寿命を縮めたかもしれないけど、本当によく頑張ったなあと思う。
夫婦仲もずっと良かったので、ネズミが出るような借家暮らしだったけど、あんまり悲壮な思い出も無い。
私も生まれてからずっと貧乏暮らしだったので慣れてるんだな、こういう生活。
ただ、うちの夫の圧倒的アドバンテージとしては、勉強がめちゃできる。
大学中退すること20年でも尚、ステータスを学力に全振りしてる。
コメディカルの中でもかなりお勉強寄りの資格なので、定期試験、卒業試験、国家試験をトントンと進めた。
同級生に中年学生は多かったみたいだけど、そもそも国試前の卒業試験が通らない人もチラホラいた模様。
それまでの4年間を考えるとこれは本当にキツい。
就職も学校が斡旋してくれるので、2社くらい?の面接で決まった。
人手不足で、職業人生のこり20年切ってる中年でもいけるんだな。と感心した。
やっぱりコミュ力が無い中年ってのはそれなりに大変で、2年目くらいまでは上司の当たりがキツい的な事は言ってた。
何も言わずに黙々と邁進するこういうところ、本当に尊敬してる。
ストレス溜めてるかなーと思いつつ、いたわる日々。
ただまあ、夢も希望も無い事言うと、夜学にかよって国家資格取って数年勤めても、まだ基本給は月20万切ってる。
泣けちゃう。
でも中古マンションのローンは組めた。
実家か嫁か。
3年か4年食わせてくれる人がいれば、こういう道もある。
なぜ結婚した…って言われたが、リアル友人にも言われた事ある。
金はこっちが稼げるじゃん。(ちょっとだけど。)
母も定年まで勤め上げたし、一生二馬力で働くのが前提だから、夫に期待するのは優しさだけで済んでるんだろと思う。
でもこれ維持するには二人とも健康でいなきゃねー。
気持ちはわかる。
俺はリバタリアンじゃなくて社会自由主義で、日本の政府はもっと大きくてもいいと思ってるけど、反差別のリベラルは賭博の自由にも厳しいし表現の自由にも厳しいし、えっふだん同性婚の自由とか苗字を選ぶ自由とか言ってるのは何だったの……って常々思ってる。
セーフティネットや福祉がないと怖いから社会自由主義支持だけど、根本が自由主義だから二番目に支持してるのはリバタリアニズム。
でもこの社会自由主義を徹底してくれる政治勢力が弱すぎてなぁ。カジノ法案はほんと絶望です。国籍によって賭博の自由を制限するという反自由主義的で差別的な立法に、生温い! もっと規制しろ! なんて声が飛び交ってるんだもの。世も末ですわ。
今産んでる世代に1人でも多く産んでもらう事が何より優先すると思うけど。
優先度が全く異なることに気がついてない増田と元増田のすれ違いに世代ギャップを感じたよ。
大学なんて、何歳だって入れるしセーフティネットがある。奨学金もあるんだから今すぐ度は低い。なんとでもなる。
大学無償化は貧困に陥った子供の救済を目的にしたものですので、出生率の向上の効果の有無はこの政策において重要ではありません。
そもそも主目的としていない効果が不明であることをもって、別の施策と比較するのは不条理です。
そういうご家庭は救わないというのでしょうか。
貧困で就学が困難な子供と、費用の観点から第二子の出産を悩む家庭はそれぞれまるで別の問題ですから、別々に議論されるべきですね。どちらか一方二者択一で並べられるべきものではありませんよ。
大学は各大学ともそれぞれ個性的なカリキュラム、個性的な教育内容を実施していますから、貧困を理由に選択肢を奪われる子供が増えないように、この施策を拡充しようというものですね。
もはや決定という風な言い方は避けた方がいいと思います。
高等教育の無償化の理念や意義、目的などを述べているだけで、特に決定したかのような言い回しはしていませんよ。
そもそも私は個人的には高等教育の無償化に賛成というわけでもないですし。
私は日本の若者のことを考えるのであれば、出生率が伸びることが必須と思います。このままだと大学へ行っても国の税収や保険の問題で長期的に大変な目に合うでしょう。
セーフティネットの拡充による貧困若年者の救済と、出生率の改善による経済や国力の成長は別々の議論です。あなたが批判されているのはこの両者を混ぜ合わせて二者択一にしようとしていることからです。
それぞれの施策は別々に議論されるべきものであり、一方が不要だからもう片方が必要、一方が必要だからもう片方は不要という関係にはありません。
ワイも基本的にこの考えは正しいし、地方は衰退させていくべきだと思う
といっても、東京一極集中とかは勘弁なので、地方都市に人口を集中させるべき
地方では人口密度が低すぎる地域に不相応なほどインフラ整備に金をかけている
道路なんかどこに行っても整備されているし、町の公的施設は分不相応なほど綺麗で近代的、救急車だってどこから電話してもかけつける
かと言って、増税や社会的セーフティネットの支出カットをしていては、若い世代の負担が増すばかりで、国の生産性にも悪影響だろう
というわけで、地方の過疎地域は見捨てて、近隣の都市部に人口を集中させるべきやと思ってるんやが、いろいろ反論もあるよね
パッと思いつくのでは、国防、治安維持の観点から、人がいない地域を増やすとそこで良からぬことをやる人間が増えるとか
宗教は社会的にはセーフティネットであり、個人レベルでは内的なスタビライザーとして機能しているのだ。私はその一つとして天理教を見ている。
後継者講習会なるものに参加して来た。(http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/kokeisha/)
これは、20~40歳までの男女が3日間で教理を学ぶ合宿みたいなものだ。私も実家の流れには逆らえず今回参加した。
似たような行事(学修・リー講)にはよく参加はしていた。にもかかわらず大して得るものもなくなあなあで続けて来た信仰だが、今回の3日間では色々思うところがあった。
私の実家は教会で、生まれてからずっと天理教の教育を受けていた。毎日のおつとめや神名流し・路傍公演など経験させられて来た。しかも、管内の学校でがっつり教理を学んでさえいた。
だが私は釈然としない。本当に神様などいるのだろうか、いたとしてもコテコテの関西弁をしゃべるような神様なのだろうか
実家の教会を継ぐこともあり得るようなポジションにいる私だが、幼少のころの実家の貧乏な惨状を覚えているので、自身の子供に同じような経験をさせたいとは到底思わないし、性格がねじ曲がっているので教会長を引き継げる気もしない
あくまで天理教を否定しているわけではない。しかし信じてはいない。宗教は社会的にはセーフティネットであり、個人レベルでは内的なスタビライザーとして機能しているのだ。私はその一つとして天理教を見ている。
そんな状態で講習に参加した。
色々な講師のお話を聞いていると、どの講師も同じような話しかしていない。「夫婦仲良く」や「陽気ぐらしは自分がやればみんなに広がる」など、自明なことをつらつらと数十分と語っていることに改めて気づいた。天理教の教理のトピックは幾多にもあるはずだが、幼少から様々な講話や教理を勉強している私にとってはどれも何処かで聞いたような話(しかも自明的な内容)である。それゆえ眠くなっても仕方ない。最初の5分ほど講師の話を聞くといつもまぶたが落ちて来ていた
これは1意見だが、20~40歳の男子女子がそんな好んで教理を聞くだろうか?もっと面白い話や、エッジの効いた弁士オリジナルの教理の解釈を話せば良いのでは?と気になっていた。もし解釈が他人と大きくずれていてもそれでいい。ずれが聞き手に疑問を残す。疑問が議論につながる。議論こそが思考を引き起こす手っ取り早い方法なのではと思う。
また、気になったのがグループワークだ。
このような講習では、毎回知らない人とグループを組み、教理について色々議論する時間がある。3日間でトータル5時間ぐらいだろうか、
参加者は20歳を超えているから一部の大学生とその他大勢の社会人のはずで、前で人が喋っている時にベラベラ喋ったり、出会いを求めにギラギラした目で女性を見る輩はいないだろうと思っていた。
しかし実際は各班30人のうち、一人はそんな輩が存在していた。いったい何をしに来ているのか?天理教の教理を知っていながらどうしてああも横暴がでいるのか、「八つのほこり」を頭にきざみこめ低脳め。
講習中は基本的には各部屋での飲酒が禁止されているのだが、ゆうづとめが終わると、大勢の受講者が近くのファミマでカゴいっぱいの酒を買っている。部屋で消灯を過ぎても飲んでいるzちゅ後者を見ても監督者は見て見ぬ振り。過去には鍋や焼肉も宿泊部屋で行われていたらしい
私としては、同じ部屋の仲間と仲を深めれて楽しかったが、学修やリー講の時は厳しかった門限やその他ルールと比べると、後継者講習会はルールというものが全く機能していない。
おそらく社会人になると、いうことを聞かない適当な大人が増えているのだろうと思うと悲しくなった。
働きながら信仰をしている有名な方もたくさんいることに驚いた。
チューリッヒのCEOや万田酵素の社長など、大成しているひともいらっしゃるのだ。こういう大人になりたいものだと私は思った
募金やボランティアをやる人が、もっと増えるといいのに、と思う。
日本人の社会貢献の意識が薄いのは、単純に「周りのみんながやっていないから」だろう。
人は、みんながやっていることは簡単にやるのに、みんながやらないことは簡単に出来ない。当たり前だけど。
これはやるべきか否かという選択を自分の手から離して、集団に任せてしまった方が基本的に楽だからだ。この判断は善悪とは全く関係がない。
例えば、「殺人を犯すべきではない」というのは、”一般的に人は人を殺さないから、自分も他人を殺さない”そんなマインドが実は根底にある。
逆に言えば、それが犯罪であっても、周りの人がみんなやっていれば、多くの人は流されてやるのだ。そんなことが膨らんで起きた凄惨な事件がたくさんあったことは言うまでもない。
個人の自我は人が想像するよりもずっと弱くて、その選択は多くの場で集団に左右される。だからこそ、社会的な空気が変われば、きっともっと皆が自然に募金やボランティアをして、遠い他人を支援するのが当たり前の世界にもなるのにな、と思う。
そういえばたまに、「偽善である」という理由だけでボランティアを全否定する人がいるけれど、「偽善であるからやらない」というのは理屈としてはおかしい。
感情として、”私は私のためだけに生きていきたいから、他人にお金や労力なんて割かないよ”というのであれば、「私には時間とお金がありません」で良いのだ。つまり、偽善であるからやめなさい、とはならない。
しかし実際はそうではなくて、おそらく偽善者嫌いの人たちは、「自分は格好をつけない正直ものである」と言いたいのだろう。だけど実際人って気づかないところでたくさん見栄を切っているのではないか。
それが人間なのだから、仮にボランティアという行為に格好をつけた部分があるとしても、いずれにしても放っておけばいい、のに。
そもそも募金やボランティアというのは、基本的には「弱者支援」だ。それは皆が受けてきたもの、受けるであろうものであることを忘れている人も多い。
どういうことか。
最初から大人だった人はいない。人間は誰しも最初は子どもからスタートする。
子どもは弱者の典型だ。誰かが衣食住を与えなければ、大人にはならない。子育てとは一般的に、親から子に無償で与えられる支援のことを指すのだ。
また運が良くおじいさんおばあさんまで生きられた人は、言わずもがな介護を受ける。これも多くの人が「弱者支援」の当事者になる可能性を持っている。
「介護が貨幣を介しているなら、支援ではなくサービスだろう」と、そんなことを言うのであれば、その人はインフラにも同じことを言えるのか、と思う。
お金で今の生活が全部手に入ると思ったら大間違いだ。お金で何でも手に入るようになったのは、今の生活基盤、経済システムが作り上げられたおかげだろう。
支援や贈与というのは、貨幣経済の前提にある概念であり、否定対立するものではない。
なんでも貨幣で解決する、というのは大きな間違いだろう。人はスマホがなくても生きられるけれど、水がなくては生きられないし。
そういう点で、「弱者支援」は根本的に私たちの生活を持続させる上で欠かせないものなのだ。
弱い人を切り捨てていく集団は、最後の独りになるまでそれを許せない。このあたり内田樹先生が確か良く言っていたな。
ちょっと大きな話になってきたけれど、今現在必要な支援をギリギリで支えている(支えられていないところもある)のが公的なセーフティネットであり、それを動かすための税金だ。
ところが大抵の人にとって納税は「メシの食い上げ」であり、節税はやれる分だけやる方が良いものだ。だから皆故郷でも無い自治体に納税をして、税金の無駄遣いという言葉に異常に反応をする。
実際に税金が遣われている大部分は、目に見えないもの、実感を持ちづらいものだ。その必要の是非は検討すべきことだけれど、そもそも税金の無駄遣いと、自分が納税をする、という問題は別である。
「無駄遣いされる税金なら払わない!」という発想はごく簡単に「自分だけ得したい」に変わり、「自分が使わないサービスはいらない」という発想になる。
具体的には、自分の納めた税によって自分のために何がなされたか、ではなく、社会のために何がなされたか、という視点で考えると、納税感も少し変わるのではないか。
話が転じてきたけれど、つまり納税も社会貢献である、ということを多くの人は忘れているのではないか。納税は、政府にただ取られる、無駄遣いされるお金ではなく、社会を持続可能性を少しでも上げるためのお金だと冷静にとらえ直すべきだろう。その点は、多く納税をしている人は誇りに思ったっていいはずだ。
ここまで何がいいたいか、というと、自分のために100中100の意識を持つのではなくて、1でもいいから弱者や社会のために意識を向ける、それが当たり前になればいいのにな、ということだ。
0と1の差は、私の感覚では1と100の差である99よりも大きい。なぜなら、1が100人いれば100になるからだ。
人は1人では生きられないんだな、という気持ちがあると、生きていくのも少しずつ楽になっていくだろうに。
さぁ帰りにコンビニでお釣りを募金するか、街頭でおっさんからビッグイシューを買うか、次の連休をどうするか、知らん人のために何が出来るか考えるか、
棒
<前提>
本当に助けなければいけない人達がいるので、そういう人は
生活保護をもらえばいいと思う。
今回は、いわゆる「がんばれば抜け出せる」方々が対象。
なので、これはほぼ無駄かな。。。
でも、本気で抜け出したいと思っているのなら、絶対に抜け出せる。
でも絶対に必要なのは「ファイナンシャルリテラシー」と「健康な体」だ。
<例>
ここからどう抜け出すかを考えてみる。
●とにかく2年間ストレッチせよ!
保育園は二人とも預けられるはず。7時~18時で預けられるし、保育料は無料?だったか。
頑張ってバイトでいいから、時給1500円で24日9時から17時で働く。これで1か月24万だ。
ここから、月5万円を貯蓄に回せ。
一か月19万で過ごす。ファイナンシャルリテラシーがあれば可能だ。
2年間で120万貯まる。
ここからがさらに大変だが頑張って働きながら技術、資格を身につけろ。
抜け出すために投資するお金だ、2か月くらいバイト休んで勉強したり、
本を買ったり、試験を受けたりするための時間を確保し今度は貯めたお金を時間に変えて、
自己投資をする。
面接でここまでの顛末をしっかりとストーリー立てて話をしてみろ。
はい、抜け出せた。
1か月毎回24万稼げないだろ!とかありそうだったので、簡単に論理破綻したww
だが、それでもやっぱり子供にかかるお金は月に食費含め2万もかからない。(この年代なら)
など考えれば、MAX稼げなくても20万あれば何とか月に5万までいかなくても3万は貯蓄できる。
8万で食費や雑費だけならなんかいけそうな気もする。