後継者講習会なるものに参加して来た。(http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/kokeisha/)
これは、20~40歳までの男女が3日間で教理を学ぶ合宿みたいなものだ。私も実家の流れには逆らえず今回参加した。
似たような行事(学修・リー講)にはよく参加はしていた。にもかかわらず大して得るものもなくなあなあで続けて来た信仰だが、今回の3日間では色々思うところがあった。
私の実家は教会で、生まれてからずっと天理教の教育を受けていた。毎日のおつとめや神名流し・路傍公演など経験させられて来た。しかも、管内の学校でがっつり教理を学んでさえいた。
だが私は釈然としない。本当に神様などいるのだろうか、いたとしてもコテコテの関西弁をしゃべるような神様なのだろうか
実家の教会を継ぐこともあり得るようなポジションにいる私だが、幼少のころの実家の貧乏な惨状を覚えているので、自身の子供に同じような経験をさせたいとは到底思わないし、性格がねじ曲がっているので教会長を引き継げる気もしない
あくまで天理教を否定しているわけではない。しかし信じてはいない。宗教は社会的にはセーフティネットであり、個人レベルでは内的なスタビライザーとして機能しているのだ。私はその一つとして天理教を見ている。
そんな状態で講習に参加した。
色々な講師のお話を聞いていると、どの講師も同じような話しかしていない。「夫婦仲良く」や「陽気ぐらしは自分がやればみんなに広がる」など、自明なことをつらつらと数十分と語っていることに改めて気づいた。天理教の教理のトピックは幾多にもあるはずだが、幼少から様々な講話や教理を勉強している私にとってはどれも何処かで聞いたような話(しかも自明的な内容)である。それゆえ眠くなっても仕方ない。最初の5分ほど講師の話を聞くといつもまぶたが落ちて来ていた
これは1意見だが、20~40歳の男子女子がそんな好んで教理を聞くだろうか?もっと面白い話や、エッジの効いた弁士オリジナルの教理の解釈を話せば良いのでは?と気になっていた。もし解釈が他人と大きくずれていてもそれでいい。ずれが聞き手に疑問を残す。疑問が議論につながる。議論こそが思考を引き起こす手っ取り早い方法なのではと思う。
また、気になったのがグループワークだ。
このような講習では、毎回知らない人とグループを組み、教理について色々議論する時間がある。3日間でトータル5時間ぐらいだろうか、
参加者は20歳を超えているから一部の大学生とその他大勢の社会人のはずで、前で人が喋っている時にベラベラ喋ったり、出会いを求めにギラギラした目で女性を見る輩はいないだろうと思っていた。
しかし実際は各班30人のうち、一人はそんな輩が存在していた。いったい何をしに来ているのか?天理教の教理を知っていながらどうしてああも横暴がでいるのか、「八つのほこり」を頭にきざみこめ低脳め。
講習中は基本的には各部屋での飲酒が禁止されているのだが、ゆうづとめが終わると、大勢の受講者が近くのファミマでカゴいっぱいの酒を買っている。部屋で消灯を過ぎても飲んでいるzちゅ後者を見ても監督者は見て見ぬ振り。過去には鍋や焼肉も宿泊部屋で行われていたらしい
私としては、同じ部屋の仲間と仲を深めれて楽しかったが、学修やリー講の時は厳しかった門限やその他ルールと比べると、後継者講習会はルールというものが全く機能していない。
おそらく社会人になると、いうことを聞かない適当な大人が増えているのだろうと思うと悲しくなった。
働きながら信仰をしている有名な方もたくさんいることに驚いた。
チューリッヒのCEOや万田酵素の社長など、大成しているひともいらっしゃるのだ。こういう大人になりたいものだと私は思った
宗教は社会的にはセーフティネットであり、個人レベルでは内的なスタビライザーとして機能しているのだ。私はその一つとして天理教を見ている。 あー自分も別の所の二世だけど、...
元増田です 違う宗教でも、同じように思う人がいて嬉しいです。 天理教の上位教会の方や一部の搾取するタイプの下位教会の方は、年収1000万ほどあるらしいです、それを聞くと世界平...
こういう、普段生活していても聞けないような話を読むと、増田をやっててよかったなと思う。