はてなキーワード: セーフティネットとは
「働かざる者食うべからず」だけはなくすというか、教育者が子供に教えるべきではない言葉だと思うね。
原始的かつ非倫理的な社会集団にだけ通用する原理で、とくに社会主義的な思考のベースになってしまうから。
聖書が由来のことわざだが、実際にこのことわざはソ連共産党のレーニンがこれを実践的戒律としていた経緯もある。
さらに悪いことに、ナチュラルに社会主義気質な日本人はこれを資本主義的な弱肉強食の原理と読み替えてしまうケースが多いように見受けられる。
資本主義・自由主義経済下であれば労働を強いることはないし、弱肉強食になりがちだからこそ法(ルール)を洗練させ、機会を平等に、セーフティネットを十分に、そうやって多様な境遇の人を受容できる社会に、というのが現代の資本主義国家の常識であるのに。
もちろん、そこまで思想的な意味を考えずに「貢献することなしに与えられるだけの存在になるなよ」という意味で使われる事がほとんどだろう。
でもそれを言いたいのであればもっと別の言い回しをした方がよい。このことわざを使ううちに、社会主義的なマインドセットが強化されていってしまうような気がする。
生活保護などの弱者保護、セーフティネット、福祉拡充についても似たようなことが言えると思う。
ある分野の福祉拡充に反対する人は、自分は将来的にもその分野の福祉の世話になる可能性は低いと思っているので、そこが充実したとしても安心増加という利益が少ない。
また、マクロ的には治安の悪化などを防止できるという部分についても、あまり大きな利益だとは感じていない。
安心感が全く増えないわけじゃないけど、増え幅が少ない。
むしろ増税という支出の方が大きいからやめろとか、同じだけの税金を使ってもっと自分の安心や快楽を増やしてくれる政策があるからそっちに金を使ってくれと思っているわけだ。
そんで、説得のためには「福祉が拡充すると、あなたの安心はあなたが思ってる以上にめっちゃ増えるんですよ!」と飲み込んでもらう必要があるわけだけど、
福祉の分野でそれを主張する場合「あなたもちょっとしたことからこの福祉のお世話になる立場になるんですよ!」「福祉が悪いと、あなたが思う以上にめっちゃ治安悪くなりますよ!」と不安を煽ることになりがちだと思う。
「いま不安が強いから安心を得たくて福祉拡充を求める人」に賛同してもらうために、「今不安が少ないからそれ以上の安心を求めてない人」を不安にさせて、その上で安心をもう一度与えてあげましょうその為に福祉に賛成してください、と。
俺は既に福祉を受ける側の人間だから、めちゃめちゃ充実してほしいけども、皆の幸福のために今満たされてる人の幸福を崩すって、それでいいのだろうかという気持ちもある……。
でも、所得の再分配みたいに、幸福の再分配とか安心の再分配が社会に必要だと考えれば、満たされてる人に危機感や不安を持たせるのは妥当なのだろうか……。
健くん、健くんも結婚したっていいんだよ。
私たち、ことある事に健くんにすがるようになってしまった。アイドルの健くんは優しくて、アイドルのファンである私たちに寄り添ってくれる。
岡田君の結婚が(本人の思わない形で)発表されたのが金曜日、にこ健の更新日はあっという間にやってきた。
多くの人が待ちわびていた、と思う。それより少し先に公開された結婚のお祝いコメントで涙を流したというファンもいた。
岡田君に向けてのコメントなのに変な話と思う人がいて当然だけど、最近それが健くんの役目になっている気がする。
ファンとグループを繋ぐパイプとしてアイドルの健くんは存在している時がある。
それは嬉しいことでもある。オタクなんて一方的に好きになって一方的に離れていくかもしれない存在なのに、大切に思ってくれているんだと心から思える。
健くんだって、自分のことだけ考えて生きたっっていいんだよ。健くんがたのしいと思うことをして、幸せと思うことに時間を使って。
ファンに求められ過ぎている感じがする。他担の人も健くんの言葉を待つ気持ちは分かる。今、というかここ数年ジャニウェブで自由なブログ形式を取っているのはメンバー内で健くんだけだ。
健くんは言葉を尽くす人だし写真もたくさん載せてくれる。V6のファンでにこ健の更新をチェックしている人は多い。
三宅担になりたいならなればいいとは言えない。そこがうまく折り合い付けられないのが担当ってものだ。
健くんの言葉に救われたっていい。
でもな、自分が他担ってことは分かってくれよ。健くんをセーフティネットにしないでよ。
自担の言葉を待ってほしい、自担の行動を待ってほしい。担当の言動が信じられないなら降りるなり休むなりして心の回復に努めないと苦しいだけだじゃないの?
知っている三宅担たちの間で、最近この手の話題がよく出る。全体がどうも過剰な期待を寄せている。
健くん、ここ数年ですごく柔らかく楽しそうに歌うようになったと昔からのファンの人に教えてもらって私はすごく嬉しかった。
それが健くんの幸せなら壊されたくない。ファンを重荷にして欲しくない。
落ち着いているつもりでもなにが書きたいのか分からなくなってくる。今回のことは自分も周りも、思っているよりずっと大きな問題になりそうなのだ。
悲しいほどにアイドルであり続ける必要なんて、ほんとはないって言いたいよ。
だからもうこれ以上この風潮が加速しないでほしいんだわ。
https://togetter.com/li/1182893
異世界を描くにあたって現実世界と違う文化や小道具を出してそれを表現するのは効果的だ。だから『JKハル』においては書き出しでコンドームが草だということにハルが草を生やしている。
あたしがこっちの世界に来てまず一番ウケたのが避妊具が草ってことで、「やべ、草生える」って爆笑したら、「生えませんよ」とマダムは真顔で言った。
「スキネ草も知らないの? もうかれこれ30年も前に錬成されてこの辺じゃどこの薬草屋にも売ってるけど。ずいぶん田舎から出てきたのねえ」
スマホどころかネットも電話も、そもそも電気もねぇ車も走ってねぇの世界の人によりにもよって田舎呼ばわりなんて、東京のみんなマジごめん。都市辱だよね。
避妊具が草という異世界の文化が示され、ハルが「草生える」という日本のスラングで応じる。するとマダムに田舎者扱いされてしまう。異世界より文明の進んだ東京から来たというのに! この異世界と現実世界の文化が二度にわたって対比される冒頭は、普通に読めば相当ウィットに富んでいると思うが、しかし山本はここを無視してシャワーがあるというだけで異世界的想像力に欠けていると文句を言う。難癖もいいところであろう。
問題は書き手の側が、「異世界は現実世界と変わらない世界でなくてはならない」という不思議な信念に捕らわれてるってことなんだよな。そんな意味のない縛りをはずしたら、もっと自由な話が書けるはずなのに。
「そんな意味のない縛りをはずしたら、もっと自由な話が書けるはずなのに」と言いつつ、他作家をそんなマイルールで縛ろうとし、不自由を強いてくるのは何なんだろうか? 自分が勝手に自分の作品にそれを課していればいいだけであって、それをもって「想像力貧困な小説」だと他作家の作品を批判するのは筋が悪すぎる。
山本は「わざわざ異世界に行く必要ないんじゃね?」と言うが、『JKハル』が異世界に行くのはもちろん理由がある。
ひとつは、「過酷な男尊女卑の世界で東京JKが娼婦となってサバイブする」というシチュエーションのためだ。これを現実世界でやろうとすれば両親の存在や児童養護施設といった社会的セーフティネットを何らかの形で消化しないといけないし、ハルは18歳未満なのでソープで働けないという問題もクリアしないといけない。自らウリをやるか非合法施設で働くとかそういう話になるが、そんなことを話の俎上にあげれば『JKハル』の主題からどんどん離れていってしまう。『JKハル』が描こうとしている話をやるためには誰もハルを助けてくれない異世界に放り出されるのが手っ取り早くかつ妥当なのだ。
理由はもうひとつある。それは『JKハル』が異世界転生モノへの批判と愛を内面化したメタ小説だという点だ(と書くと、「異世界転生モノを馬鹿にしているのか」とか「異世界転生モノをメタったなろう小説はいくらでもある」とか怒り出すやつがいるが、別にそういう話はしていない。『JKハル』もまたメタ異世界転生の要素をもった作品で、その消化の仕方が独特だというだけである)。これは読めばわかるし、既に指摘した感想なり論考がネットにあるため詳しくは解説しない。
せっかく異世界なんだから、魔法を使ったすごいセックスとか、非ヒューマノイド型のモンスターとのセックスとか、いくらでも突拍子もない想像力あふれるセックスが描けるだろうに、何でこんなつまんない当たり前のセックスばっかりなの?
これこそ山本弘の「想像力が貧困」で、かつ『JKハル』が描こうとしているものをまったく理解できていないことを自ら告白する一文であろう。
『JKハル』を読めば誰もが当たり前に理解することだろうが、あの作品は別に「魔法を使ったすごいセックスとか、非ヒューマノイド型のモンスターとのセックス」を描こうとしていない。そんなことを言い出してしまうのは戦国時代にタイムスリップする話は常に現代兵器を持っていくべきなどと言うぐらいおかしな話であって、別にそういう話があってもいいが、全ての作品がそうあるべきと言ってしまうのはただの暴論だ。
『JKハル』におけるセックスは、暴力的で抑圧的で一方的なコミュニケーションの象徴である。男尊女卑の行き過ぎたあの世界で、多くの男性客はハルを含む娼婦に暴力的なセックスをする。実際に暴力を振るわれることもあるし、もっと屈辱で悲惨なことさえ起こる。しかしハルやあの世界の女性たちは挫けず前向きに生きていこうとする。あの作品にセックスが描かれるのはそういう意図から発したものであって、かつその構図を純化して描くための異世界でもあるのだ。
また、ここで言明しておきたいが、男は常に悪者とかそういう話ではない。
『JKハル』が批判的なのは、他者を理解しようとせず一方的なコミュニケーションを取ってしまう者であってそこに男女の区切りはない。
物語の序盤では話を聞こうとしないシスターにハルがめんどくさそうな態度を取るし、何よりハル自身が、もうひとりの主人公とも言える千葉に対して無理解であり、そのことを別の女性キャラクターに指摘されるくだりがある。『JKハル』が主人公や女性をひたすら称揚し、男性であるというだけで批判する話でないことは、念のためここに付記しておく。
いつ異世界転生小説は現実逃避小説であると決まったのか。またそうであったとして、異世界を舞台に現実と戦う小説を書いてはならない理由はなにか。
「SF」の古典に未知なる想像力を描いた作品があることは疑いようのない事実だが、それをもって「SF」は常に未知なる想像力を描くべきというのは暴論だろう。
また、未知なる想像力を描いた「SF」や現実世界とは違う異世界描写をした「ファンタジー」が素晴らしいというなら作品で訴えてこそ作家ではないのか。それを広く世に示す作品が書けず、あまつさえ他人の作品の狙いや意図を理解せずに古典的名著を棍棒にしてただ殴りかかるのであれば、山本には小説家としての矜持と能力がないと言わざるをえないし、作家としての筆を、今すぐにでも折ったらいいのではなかろうか。
それにしても、一方的なコミュニケーションに批判的な視座を持つ『JKハル』に対し、作品を理解しようとせずマイルールを押しつける山本弘は、作中2話に出てくるモブおっさんそっくりで、非常に皮肉が利いている。
このブクマを見て思ったんだが、
自分は別に法律の専門家でも何でもないが、今回のケースで「夫の子と推定」すること自体はまあそこまでおかしくはない、妥当な範囲ではないかと。
訴状などによると、男性は2004年に女性(46)と結婚し、11年、体外受精により男児を授かった。13年10月ごろ、2人は別居したが、女性は体外受精をしたクリニックに保存されていた受精卵を、男性の同意を得ずに使って妊娠、15年春に女児を出産した。その翌年、2人の離婚が成立した。
男性は、自分の同意なく女性が単独で妊娠・出産しており、自分は一切関与していないと主張。女児について、生物学的には自分の子どもかもしれないが、その理由のみで法的な親子関係が認められるものではないと訴えていた。
とある通り、夫が生物学的に子の父であることは夫も認めているわけだ。
そもそも生物学的に血がつながっている子を「自分の子ではない」と拒否する事は、今の法律ではできないのではないか?
そもそも「自分の意思で生まれた子ではないから」という事情をいちいち汲んでいたら、じゃあ誰がその子の親になるのかという問題が発生し、子の利益を保護するため、まずは血縁関係があれば子としているという部分があるのではないだろうか。
もちろん血縁関係がなくとも養子縁組等で法的に親子とする事はある。また特別養子縁組で血縁関係があるにも関わらず生物学上の親との親族関係がなくなる事はあるが、それはあくまで「そうした方が子の利益にかなうから」という考え方だろう。
親にも事情はあるだろうけれど、まずは子の利益のためには誰かが親になる事が必要であり、子の利益のために親側に不利益が生じても仕方がないという考え方があるのではないだろうか。
そこで「では誰を親とするか」と考えた時に基準となるのはまずは血縁関係となるのだろう。なぜなら基準を「実際に養育しているかどうか」等にした場合、じゃあ捨てられた子の親は誰になるのかという問題が発生する。子を養育しているという意味での親がいないということは有り得るが、生物学的な親がいない(死去したとか生き別れたという意味ではなくそもそも最初から存在しない)という事はありえないからだ。
子の両親は誰かを決める際に、そもそも母親はどのように決まっているかと言われれば、まず生物学上の母、その子を産んだ女性を母としているわけである。反例でも「母の認知をまたず分娩の事実によって当然に発生する」としている。もし子を産んだ女性が「自分が欲しいと思って、望んで産んだ子じゃない」と思っていたとしても、その後その子を手放す事があったとしても、まずはその子を産んだ女性を母としているわけである。女性本人の意思や同意は関係なく母とさせられてしまう事だって、今までも起こっていただろうし、それによりその女性に不利益が生じる事もあっただろう。
例えば性暴力被害に遭い妊娠に気づいた時には中絶をできない状態だったとか(被害に遭ったのが女性本人も子どもと言われる年齢である場合等)、そこまでではなくとも、女性自身は子どもは一人でいいと思っていたが親族などの周囲の圧力でもう一人子どもを産むことを半ば強制されたとか、そのよう「自分の同意がない」「知らない内に子どもができていた(妊娠していた)」場合でも、まずは誰かを親としなければいけないから
有無を言わさず、まずは「その子を産んだ女性を母とする」というルールでやってきたのである。
そして「父親が誰か」を決める法律上の規定は「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という嫡出推定になるが、「母親が誰か」を決める物は何かと言われれば
「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法の嫡出推定の規定も、法律ができた当初は「誰が父親か」を確実に判定する手段はないが、おそらく妻が婚姻中に妊娠した子は生物学的に夫の子である場合が多いから、という判断もあり血縁関係を一つの基準として決めてきたのではないだろうか。
未婚の男女の間に生まれた子の場合、男性側が「確かにやることはやったかもしれないが、妊娠したことや子どもが生まれていた事までは知らなかった。自分は子どもなんてほしくない、自分の意思や同意なく生まれた子だ」と主張する事もそれこそよくる事なんだろうが、その場合でも今では血縁関係が認められれば強制認知という形で、法律上の父とならざるを得ないというルールでやってきているわけだ。強制認知にまで至るような事例だと男性側は意思に反して父親になる場合も多かっただろうが、それも子の利益を優先するという考えの元のルールなのではないのか?
だから誰を親とするかという法律上の規定には、そもそも親側の意思だとか同意だとか子どもが生まれる事を知っていたかとか望んでいた子かどうかとか一緒に暮らしてないとか、そういった親側の事情は関係がないのだ。
嫡出推定自体も、誰かはその子の父親にならないといけないからとまずは女性が妊娠していた時の夫を父とすると決めるという、子の利益を保護するための規定として現状運用されているのだろう。
そもそも今回の場合夫が生物学上の父であることは本人も認めているわけで、これで「夫の子とは推定しない」という判決が出ていたらその方が現状の運用からかなり逸脱した判例だと思う。
あとこれはあくまで今回のようなケースも夫の子として推定したという判決であって、女性の行ったことがどう裁かれたかという判決ではない。
受精卵を勝手に使用し妊娠・出産した元妻に対し、元夫が損害賠償などの裁判を起こしたとか、そういう内容の裁判ではない。(一部ブコメを見ていて少し気になった。)
まあ現状の「誰を親とするか」という法律の運用がすべて正しいとは思わないが(DVで夫と別居中の女性と、夫以外の間に生まれた子も夫の子にされてしまうとかは問題だと思う)、
今回の判決自体は現在の法律の運用を考えるとまあそのようになるだろうなという判決だと思う。
ブコメにも「嫡出推定は女性や子に不利に働くことが多いが今回は男性側に不利に働く結果だった」という反応があったが、まさにその通りで現状の運用では女性が不利益を被ることも男性が不利益を被ることもある
ということなのだろう。
自分のあずかり知らぬ所で生まれた子や自分の意思に反して生まれた子にも養育の義務が発生するのであれば、それは男性にとって著しく不利な事だという反応もあったが、
女性の場合でも知らない内に妊娠し出産まで追い込まれることや自分の意思に反して子どもが生まれる事はあり、その場合も女性には母親としての義務は課せられているのだから、いつも男性だけが損をしているということもないだろう。女性の場合わけもわからないまま出産に追い込まれたからと言って子の養育を放棄した(というかどうすることもできず結果をして子を放置した)場合でも下手すれば保護責任者遺棄等の犯罪者になることもある。自分の手には負えない場合特別養子縁組で子を手放す事はできるとしても、子を手放す決断をする必要はあり、子を手放すまではやはり母親として養育の義務を負わざるを得ないだろう。
こういう言い方もアレかもしれないが、母親が生物学上の子の養育を放棄すると最悪お縄になるが、実際問題養育費を踏み倒す父親も多いし、養育費を支払わなかった所で現状捕まるわけでもないから、父親にさせられたばかり損しているというわけでもないんではないかな。
この辺の法律にはおかしい部分や時代にそぐわない部分、現状とかい離している部分もあるが、実際望まれて生まれたわけじゃない子もある程度はいるし、生殖行為を行うという事、その結果生まれてきた子に対し
原因をつくった当事者である生物学上の父母と思われる者をまずは法律上の父母とするというルールの原則自体は、子を保護するという意味ではそんなに的外れでもないと思う。
生物学上の父母が責任を果たせない場合のセーフティネットはもっと整備されるべきだとは思うが。
もし「男性の意思に反して生まれた子は、血縁関係があっても法律上はその男性の子とはみなさない」となると、それこそ男性の意思で避妊もせず、結果子どもが生まれると「別に俺は子どもなんてほしくねーし、あんたが勝手に生んだんだろ」という男性がさらに好き放題することになり、生まれた子の利益が保護されないという事態が悪化する事も目に見えてるんじゃないだろうか。
あと以下は蛇足だが、「子どもなんてほしくなかった、自分が妊娠するなんて思わなかった」という女性に対しては「やることやってたのに何言ってんだ」「軽はずみな事をするから」「被害に遭ったのなら自衛が足りない」と言い出す人も現れるが、今回の夫には「やることやってたのに」「自営が足りない」とか言う人はいないんだな。
そういいたくなる気持ちはわかるが、衣食住の食だけ満たされたって生きていかれないんやで
ベーシックインカムって今よりちょっと先進的なセーフティネットだから、他人から見たら無駄と思われて仕方ない娯楽も保証せなあかん
ナマポにせよ、BIにせよ、こういうセーフティネットを論じるときは、社会のド底辺のゴミがイジらしく生活するさまを想像するんじゃなくて、自分や、自分の子供や、自分の親戚や、友達がいろんな不幸が重なってド底辺に堕ちたときのことを想像して考えるべきなんや
頼むから、自分とは今後一切関わることのない社会のお荷物、ゴミであることを前提に話を進めないで、もっと具体的な身近な人がダメになってしまったときのことを考えてくれや
日本では、つらそうにしている=がんばっていると見られる風潮があるとネットのどこかで読んだ。
実家がサラリーマンではなく自営業だったので、世間一般の普通の家庭のことはわからない。
もちろん大社長の息子というわけではないが、子供二人が大学に進学でき、年に1回程度の家族旅行で海外に行けるという意味では恵まれた家庭だったと思う。
大学に入ってからは自立のために家からの仕送りをもらわずに生活をしてみた。もちろん最終的に困ったら仕送りがもらえるというセーフティネット付きではあるが。
そこでわかったことは、プライドとか他人からの賞賛ということを抜きにすれば、お金を稼ぐ方法はいくらでもあるということだ(もちろん法を侵さずに)
自分は東大生だったのだが、ネットで色々と言われているが、基本的に東大生というのはなんだかんだでやはり優秀である。
でも、そんな彼らでも就活の時は本当に悩んでいるようだった。
たぶん彼らはどこででも生活していけるような優秀な能力をもっているにもかかわらず、親が官僚であったり、大企業の部長クラスであったり、大学教授であったりするので、それに見劣りをしない就職先かつ同期と比べても見劣りがしない就職先を探すので必死なようであった。
僕は親がサラリーマンでなかったことから、スーツを着てネクタイを締めて就職活動をする、またはその後そのような格好で働くということが想像できず、いわゆる普通の就職活動をドロップアウトした。
研究室の知り合いの知り合いの人がつくったベンチャー企業に誘われて、とりあえずそこで9ヶ月くらい働いた。
9ヶ月しか働けなかったのは僕がクビになったわけではなく、そのベンチャー企業が潰れたからだ。そもそもベンチャーとはそういうものである。
つぶれた会社ではあるが、自分一人が暮らしていくには悪くない給料をいただいていたこともあり、僕はあまり悲嘆にはくれなかった。大学時代の同期が慰労会をしてくれたが、給料も悪くなかったし、いまは失業手当もらってるし、生活には困っていないと僕がいうと、別の人種を見るかのように驚かれた。
それからまた大学時代のバイト先のツテをつかって、別のベンチャー、ベンチャーというか会社設立から5年以上経っていたし、社長はIPOもバイアウトも考えていなさそうだったので、正確に言えば中小企業なのだが、そこで働くことになった。
とにかく社長が明るくて人格者だったので、自分としてはとても気に入った職場だった。
そこでも自分が思うに、悪くない給料をもらえていたし、大学時代から付き合っていた彼女とも結婚し、現在3歳の娘がいる32歳のおっさんになった。
ある程度フレックスな働き方を許してもらえているが、基本的には9時ごろに会社に行って、22時くらいに会社を出るような生活をしている。疲れた日は18時ごろに退勤する。土日は働かない。
こないだ大学時代の学科の同期の同窓会らしきものがあり、久々に20人くらい集まった。5人は転職していたし、流動化は高まっているんだろう。
30代になったことで、このタイミングで家やタワマンを買うのはお得かどうかだとか、自分は社内で出世コースに乗れているのかどうかだとか、みんなそんな話をしていたが、自分は早く家に帰ってゼノブレ2してーとしか思っていなかった。
自分が最初の会社で失業した時に慰労会をしてくれた友人が「そういえばお前は最近どうなの?」と聞いてきたので上記のような話をしたところ、みんなが固まった。
そして年収も聞かれたので答えたところ、更に固まった。要は、僕がもらっている年収は彼らと比べて遜色がなく(もちろん少ない、少ないがバカにできるほど少なくないということらしい)かつ楽そうな恵まれた生活をしているをしているということらしい。
ある友人が決定的なことを言った。「お前の人生、ほんと甘いよなー。オレらと比べてイージーモードだわ」
一瞬カチンときたが、とはいえ彼らの話を聞いていると、たしかに辛そうな人生を送っていそうだったので、それもそうだと3秒後くらいに思い返し、冷静になって「そうだね。オレの人生、あまあまだわー」と答えた。
僕は怠惰であり、彼らのように身を粉にして働くことができないんだと自覚している。
一方で、そんなに私生活をつぶしてまで働く必要あるかと思ったりする。いや、面白い仕事ならいいんだけど、上司の飲み会につきあうとか、忘年会の幹事をするとか、そういうのは無理だ。
というわけで、僕は今の働き方に満足しているし、仮に会社が急に潰れたとしても、「まぁそういうこともあるだろう、あの人格者の社長だからなぁ」と正直思っているし、そうなったらそうなったで、また職を探せば良い。最終手段、家庭教師でもプログラミング教室でも、なんでもやっていこうと思えば生きてはいけるものだ。
それが他人に対して威張れるような生活ではないことはわかっているけど、他人に威張ったり、承認欲求のために自分の人生を潰したり、そんなことをするのは馬鹿らしいなと思ってしまう。
でも、なぜか増田にはこういうことを書いてしまった。やっぱり承認欲求なのかな。反省。
早く家に帰ってゼノブレ2やりたい。
広い意味での好意すら持てない人との間には、そもそも割と高い目の防波堤を築いて、平和的距離をとって対応する。
あんまり好きになれそうにない人に下手にノーガードで接しても、好かれて困ることの方が多いので自衛手段である。
なので、私の人間関係内には、主に、私が好意をもって接することができる人だけがいる状態である。
※相手が私に特に好意を持っていない、私の片思いケースもある。あくまでも「私が」プラスの感情で見られるかどうか。
好意には、人間としての好意から、知人としての好意、友人としての好意、恋愛感情、などの段階があって、
その中から、というのは不遜ではあるがまぁ、その中から、どうも特別に好きだなこの人と感じてしまう人が現れる。
現在この人に感じる友人としての好意の、その先に恋愛感情はあるだろうか、そうじゃなくて親友ルートなのだろうかと
自分の感情をスクリーニングする時間が納得いくまで取れるといいんだけど、なかなかそうはならなくて、
実際には、相手にも時間軸や感情の流れがあるなかで、相手から何らかのアクションを先に起こされてしまうこともある。
幸い?なことに、普段から「嫌いな人は私の人間関係内にはなるべく入れないように」という努力をしているので
こちらの感情が定まっていない状態で相手から不意に告白なり何なりをされた場合でも、
少なくとも好きな人からの好意ではあるというセーフティネットはある。
まぁ、どんな種類の好きでも恋愛対象になりうるわけでもないので、示談で済むレベルの衝突事故くらいは、時には起きるが。
このへんのさじ加減は、色々試行錯誤を経ても、なかなかコントロールが上手くならない。
基本的には「すき!」な範疇の相手なので、そこから先の距離感をつかむのが難しいし、
恋愛感情の温度がなかなか上がりにくい性質のようで、寝起きで何を匂わされても分らんという残念さもある。
実際、勘が鈍いとか鈍感だとか気付かないかとよく言われる。
告白よりも、俺あの頃お前のこと好きだったのにと事後報告?された人数の方が多い。
いや多い少ないったって、どっちも片手で数えられる程度でしかないけどさ。
つい先日は、じわじわとスクリーニングした結果私あの人好きかもしれないと思ったこともあったけど、特に何もなく
その後普通に友人を続けていた子から、おれお前のこと好きだったんだでもお前ときたら、と事後報告された。
なんだよコノー。
この時私が感じた「逃した魚……」とか「こっちは寝起き悪いんだから君が何とかしてくてれれば」という
我欲やわがままという残念な感情たちを引き起こした相手は、かつて私を好いてくれていた人であり、私も好きだと思った人だということ。
彼も、もう感情の清算もすっきり終わったはずのことを、なぜわざわざ報告をするのか、ということでもある。
いやがらせか。恨みはらさで置くべきかということか。私の寝起きが悪いばっかりに。
好意をベースにした感情推移が、結果的になぜかネガティブな彼岸にたどりつく羽目になり、
私と彼の胸に当時宿った恋愛感情たちに対して、面目次第もないという思いしかないけれども、
人間関係を動かすものは、好意や悪意という「感情」だけでなく、むしろより大きく影響を与えるのは
タイミングや時間の長さという時間軸なのではないか、という気付きもある。
まぁ一方で、大抵の場合は、こちらの感情が煮詰まる前にフライングされるとしっくりこないので、
そう考えると付き合うのってかなり奇跡に近いプロセスに感じるな。
よくまぁ、やってるわこんな面倒くさいことを。
金持ちの政治家には本物のセーフティネットは作れないらしいんだから
キモくて金のないオッサン(弱者男性)は、結婚できないのも妻子を持てないのも、すべてが自己責任だ。
もしも貧困に陥ったときのセーフティネットで、衣食住・医療だけが「人権」で保障される。
お前たちはそれで満足しろ、愚痴をこぼすな、と言っているのがサヨクだよ。
だったらそれと同じで、弱者女性を助けずに放置して、出産・育児を断念するように追いこむべきである。
ロスジェネ世代の女性は、実際そんな感じで棄民みたいになっているし、もうそれでよくないか?
弱者女性のために衣食住・医療費のセーフティネットを用意すれば、それで「人権」は十分なんでしょう? 結婚・出産のような幸せを望むなら、あとは各人がせいぜい自助努力でがんばってください。
↑こうなると少子化が止まらず、日本社会は衰退するだろうけど、「お国のために」という多産奨励よりマシだと思う。
そうなったら移民を入れて、いきいき働いてもらえばいい。サヨクによれば、日本は日本人だけのものではないのだから、移民に参政権を与えて、国家運営を任せればいいだけの話だ。もし日本民族の人口が激減して移民だらけの国になったとしても、「人権」的に問題ない。
しかし今日では、そのサヨクが「いきいきママを応援しろ」と言い出して、良妻賢母を増やそうという国民運動の急先鋒になっている。つまり、日本民族のための日本を守ろうと躍起になっているわけだが、いつからサヨク共はナショナリストになったのか? こんなん、草生えるわ。
元記事書いたヒトじゃなくて割り込むんだけど、そらそうなんだけど、どうしたら良いと思う?
補助金漬けの業界を、一定の移行期間を経て市場原理に任せたとして、どうなるんだろう。
現状でも、認可外の保育園はあって、実際のところカネを払えば預けられる筈の仕組みにはなっている。
現実には・・・と語るほど知らんけど、そんなに良いところでは無いっぽい印象を持っている(違ったら失礼)。
認可外の料金は、認可外保育園ごとに定めることが出来るので、市場原理な筈。
多分、ある程度の額を払う子持ち層は、幼稚園に行ってしまうのではないか?というのが僕の推論。
ひるがえって、保育園はセーフティネットになってしまっている。
なので、この現状を変えないと、やっぱ給料上がんないんじゃないかな。
"現状の"保育士って、ある程度のスキルは求められていると思うけど、そうじゃなくて、付加価値をつける保育をしないと、お金は払えないってなるよね。
それよりも、社会保障費を全部削ってBI推進するのに、支給額がたったの12万円なのは、障害福祉の観点で考えると、かなり厳しい金額だと思う。
月々にかかる医療費。
現状、長期通院の人は負担額が1割となっている。
現状は、障害者が1日通うと、サービスの種類にもよるが、5千円~1万円の負担額がかかる。
それがなくなるとどうなるか。
12万円で大丈夫!となるのは、家族と同居している場合のみだろう。
つまり、希望の党のBI推進は、障害者の権利を奪うことに、間接的になっているのではなかろうか。
私は決してBI推進に反対するつもりはない。
ただ、社会のセーフティネットをぶっ壊すなら、12万円では到底足りない。
スイスでBIに関する住民投票が行われたときの額は、およそ30万円弱だと覚えている。