はてなキーワード: じわじわとは
前提として
・人を選ぶ内容。
・投稿の目的=偏った漫画ではあるが、好きな人は好きなはず・・・という気持ちを裏付けしたい
・より多くの人に見てもらい、出来ればコメントを貰い、次回作へのモチベを上げたい
基本的には良かった順。
描いてよかったなと思う。
投稿してから数日経ってもじわじわ閲覧数・コメントが伸びるのが良い。
気軽にコメントしてくれる人が多く嬉しい。
一応ランキングにも入っていたようで嬉しかった。すっごい下の方だったけど。
コメントはなし。
ブクマしてくれたのが誰か分かるので、読んで貰えた実感がある。
ページ数は短くもないのでツイッターとは相性悪いと感じた。
ファボRTしてくれる人が誰か分かるので見てもらえた感はある。
★XOY
評価システムが個人的には少し引っかかる。あんまりうれしくないな・・・。
★マンガハック
★note
→閲覧30前後/ファボ1
→閲覧50前後/ファボ1
他の人のどんな作品にも最低1はついてるので。
→閲覧数不明/ファボ2
閲覧数わからないので何ともいえない。
★コミカワ
→閲覧数不明/ファボ2
ここも閲覧数不明。
やたらと編集ページが重い。
反応なし。
★マンガごっちゃ
→閲覧0
でもまさかの閲覧0。反応0。
運営により削除。
★マンガ図書館Z
番外編
★新都社
検討したが、規約が厳しく断念。(他で公開済みのものは投稿禁止)
総括
どんなに頑張って描いても知名度がないと見てもらえるのは結局最初の数日のみ。
その数日でどこまで伸びるかが勝負。と言ってもそれもタイミングと運次第。
同人誌での発表も考えたけど、きっと多くて3人くらいにしか手にとってもらえないと思ったのでWEBにした。
閲覧数的には総合すると割と多くの人に見て貰えたと思うので満足。
ほとんど投稿した意味がないサイトもあり、そういうところには次からは投稿しないと思う。
インディーズで漫画を描くということがどういうことなのか最近よく考える。
プロではないので発表媒体を選択する必要があるし、少しの人にしか見て貰えないし、お金は貰えない。
その中でどうやってモチベーションを保っていくか?
自分が描きたくて描いているのだから反応なんてなくても・・・と思ったりしたこともあったが
やっぱりコメントが来ると嬉しい。
次も描きたいと思えた。
このインターネット時代、自己プロデュースは必須なのに・・・。どうしてもそれが苦手な人もいる。
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色んな意見を読んで、確かにURLをここに貼った方がいいかも、と思ったので貼ります。
よかったら読んでね
(コメントしてくれたら嬉しい)
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読んでくれた人ありがとうございました。すごいびっくりしてる。
結果的にここにURL貼ることが一番見てもらえたし、一番反応が貰えた。漫画投稿サイトじゃないのに!ありがとう。
返信ってとても苦手なので個々にはしないけど(ごめん)、感想ほんとに嬉しい。隅から隅まで読んだしスクショとったよ。
ショックな意見も中にはあったけど、きちんと読んで貰えて良かった。
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そのうちまた復活させるかも。
今年9月の大型台風。地震やら集中豪雨やらの災害が多発して、今となっては記憶から抜け落ちている人も多いだろう。
大阪に住んでいた俺は、この台風のせいで一週間の停電・断水生活を余儀なくされた。6月の地震の時はここまでの被害は無かったのに。
それはさておき、じわじわと怒りが湧き上がるエピソードがある。それは、警察官が家に押し掛けてきたことだ。
停電と断水状態が続いて残暑にうんざりしていた頃。突然家のドアをノックする音が聞こえた。当然ながらインターホンは鳴らない。
ドア越しに姿を確認すると、そこに立っていたのは警察官。ひょっとすると復旧作業についての告知かもしれない。もしくは、当時まだ記憶に新しかった留置場からの脱走犯に関連した注意喚起か。
俺はドアを開けた。
警察官が取り出したのは一枚の紙。
「大阪万博の関係で、近隣住民の構成について確認をしているので協力して下さい」
そう告げられて渡された用紙には、氏名や電話番号、実家の住所等を書き込む欄が設けられていた。
取りあえず用紙を受け取り、最初は何の気なしに自分の名前と現住所を書き込む。だが、じわじわと疑念が浮かび上がってきた。
なぜ台風の被害で大変な時期に、(当時はまだ確定すらしていなかった)大阪万博関連の防犯(?)対策に協力しなくてはならないのか。生活の混乱に便乗してこんなことに協力を求めるのは卑怯ではないのか。そもそも何の権限があって住民構成の把握ができるのか。
実家の両親の名前と住所を記入する欄に差し掛かった頃、運良く便意が襲ってきた。水道が止まっているこのアパートではトイレは使えない。少し歩いた先にあるコンビニのトイレが唯一の救いだった。
俺は玄関で待機していた警察官に、途中で記入を放棄した用紙を押し付けた。
「途中までしか記入されていませんが……」
「トイレに行きたくなったので。ここ断水してて使えないんですよ」
今までの人生の中で警察官に対して嫌悪感は抱いたことは無かったが、あの日以来信用は地に落ちた。つい最近、自転車の防犯登録の確認をされた時も拒否してやろうかと思ったほどに。さすがにその時は素直に協力したが。
話もつまらないし、仕事もできないから一緒にいるメリットないもんな
容姿平凡なやつは、なにかメリットないと女の子に相手されないんだな
おもしろいじられキャラになって、女の子と楽しくお話したかったが、どうやらぼくはそういう枠でもないらしい
これは学生時代からずっとそうだ、非イケメンで女の子と楽しく話してるやつはどうやってるんだろう
今思うと、優しさで相手をしてくれた元カノも結婚したし、いま意中の人は、そもそもあまり相手にしてくれないし
このままじわじわと30になって、社会的に浮いた存在が確定するんだろうな
良いときは続かない、みんな何をそんなに楽しそうに生きているのか
スカスカの味気ない青春、教室の隅、そこに寄ってきて僕と話してくれたあの子は、もう他の人のもの
あの時どうすればよかったか今でもわからないけど、あの子は悪くない
こういうグジグジうじうじがダメなんだろう、無感情で過ごしたい
さあ、週末、独り身の部屋で500ml缶がすべてを洗い流してくれるだろうか
(前略)
水瓶座。もう40も間近です。
もう日本のアニメは終わった。ここ数年まともにアニメを見ていません。
無意味なエロ、つまらないエロ、18禁でもないのに行き過ぎたエロ。 こんなこと続けてたら今に手ひどいしっぺがえしを食らいますよ。
なによりその「エロきや飛びつくんでしょ」的発想が嫌です。 なら18禁でやれと。それもやらずにいたずらに市場の低俗化を勧め 人心を荒廃させ自らの土壌をじわじわと崩壊させていることに気づかない ふりをして目先の一時的な売り上げに一喜一憂しているサマは正直言って悲しい。
ちなみに僕はアニメは好きですよ。いっそもう新しいアニメなんか作らずに 昔のアニメの再放送をやったほうがTV局としても視聴率とれていい思うんですが。
タイトルについて この
(以下略)
中学生の頃、僕は好きだった子に告白をした。恥ずかしさが勝って直接言うことはできなかった。授業中や放課後にやり取りしていたメモ書きの延長線上で、思いの丈を書きつづった手紙をこっそり渡した。
その翌日、下校しようとしていた僕はその子から手紙を受け取った。
「じゃあね」
間違いない。告白の返事だろう。結果は何も分からないのに、勢い余った嬉しい気持ちが胸にこみ上げてきた。
下校するのを止めた僕は、滅多に人が来ない最上階の踊り場に駆け上がると、すぐに手紙を読み始めた。
「好きになってくれてありがとう。」
手紙はそんな言葉で始まっていた。天にも昇るような気持ちになったものの、読み進めていくうちに徐々に冷静さを取り戻していく。
雲行きが怪しい。手紙の最後は「ごめんね。」という言葉で括られていた。
じわじわと別の波が押し寄せてくる。悟った。ふられた。
優しい彼女は、言葉を選びに選びつくして、僕ができるだけ傷つかないように手紙をしたためてくれたのだろう。彼女の真意にすぐに気づくことができず、それだけ失恋の反動は大きかった。
しばらく独りになりたかった。日の当たらない最上階の踊り場は、陰鬱な気持ちに拍車をかける。ここではないどこかへ行きたくなった。
僕の通っていた学校は、最上階の渡り廊下から校舎の屋上を眺めることができた。そして廊下の付け根から手すりを乗り越えると、屋上まで歩いて渡ることができた。もちろん、そんなことをしてはいけないのは明白だった。
それでも、好きな子から手紙を受け取った高揚感とふられてしまった喪失感が妙に入り混じったその日の僕には、冷静な判断ができなかった。
人生で初めて屋上に立ち入った僕は、屋上の床が見た目と違って意外とふかふかしていることに感動した。いつもは教室や渡り廊下からしか見下ろせなかったグラウンドを見渡してみる。部活中の生徒が小さく見えた。周囲には学校以上に高い建物はなかった。空が広かった。
ふかふかの屋上に寝転がって、ポケットに突っ込んだ手紙を広げてみる。何度読んでも結末は同じだった。
いつの間にか日も暮れかかって、少し肌寒くなってきた。下校時刻だ。屋上に侵入したときと同じ手すりを乗り越えて、渡り廊下に戻ってきた。
その時、死角にいた初老の先生と目があった。普段は高等科の担当で、週に一回は中等科でも授業を受け持っている数学の先生。お互い顔は見知っていた。
血の気が引いていく。どう言い繕ってもごまかすことはできない。叱られる。終わった。
そんな絶望感に苛まれた僕に、先生がかけた言葉は意外なものだった。
そう言うと先生は、何事もなかったかのように渡り廊下を抜けて職員室の方へと歩いていった。
何が起こったのか、しばらく頭の中で整理がつかなかった。
何となく落ち込んでいる雰囲気を察して、今回は見逃してくれたのかもしれない。先生のちょっとした優しさが、今の僕には嬉しかった。
高校の教員をしてる。管理職でない限り、全員が何かしらの部活動を受け持たないといけない。私は男子バレーボール部だ。
バレーボールは体育の授業くらいでしか触ったことがない。指導は、別に専門の先生がしてくださってる。だから私は見てるだけ。
でも、楽しい。
弱小だけど、みんな一生懸命で、中には練習をサボる子もいるけど、みんなバレーが大好きで……。
6時半に練習が終わっても、そのまま体育館に残ってボールを触っているから、私はそれをぼんやり眺めて、7時半になったら、まだ物足りなさそうな部員たちを追い出して、体育館を施錠するのが日課になっている。
自分のよく知らないものでも、誰かが夢中になって頑張っているところを見るのはとても楽しい。
と同時に、不思議でもある。
どうしてこんなに一生懸命になれるんだろう。
どうしてこんなに、こんなに…。
11月24日(土)
を観た。
好きな俳優さんのTwitterから、この公演のことを知って、劇団のHPであらすじを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと決めた。
――――――――――――
<あらすじ>
そのコートで、失った熱量を懐かしんでいると先生に会ってしまいます。
促された松坂はシュートを打ちます。打って、それから、謝ります。
バスケット辞めてごめんなさい。
誰も知らないまま、辞めたのです。
ただ、バスケットを辞めたのです。
――――――――――――
何がそこまで私を惹き付けたのかわからない。
だから、観に行った。
客席に入って、まず目に入ったのは中央のバスケットゴール。そして床に描かれたバスケットコートライン。
フラットな舞台の両脇には階段があって、まるで体育館のギャラリーみたいだな、と思った。
下手側の階段の踊り場にはギターを抱えた人がいた。「間もなく開演です」のアナウンスのバックで、静かにギターを弾き始める。音が重なって、重なって、そして静かに反響しながら消えた瞬間。
そしてそれを少しずつ切り裂くように、そこにある、松坂の肉体。
先生がやって来て、松坂がシュートを打つように促される。高校時代が蘇る。
部活前の男子部員の空気が、本当にリアルで驚いた。シューズの紐を結びながら、他愛ない話をするあの感じが、私が普段目の当たりにしているものと同じ温度でそこにあった。
物語が進むに連れて、少しずついろいろなことがわかってくる。
ずば抜けて上手いのはキャプテンの吉住だけ。彼は素行が悪くてバスケが強い学校には行けなかったから、この学校で一からバスケ部を作った。ちょっとやんちゃで、先生に口答えすることもあるけど、それは結局のところ本人が甘えたなんだと思う。
主人公の松坂は、もともと野球部だったが、部員と折り合いが悪くて部活を辞めた。バスケ部に入ったのは、クラスメイトに「楽だし、初心者でも大丈夫」と言われたから。
部員の個性が見えてくるに従って、私は自分の部活の生徒の顔が重なるような気がしてならなかった。一人一人は全然違うのに、「ああ、いるよな」「ああ、あるよな」が積み重なって、まるで自分の話のように思えてくる。
中でも胸に来たのは、顧問の沖先生が授業準備が忙しくて部活に来れなくなるシーンだ。代わりに来た外部コーチに、吉住は激しく反発する。
「俺らのバスケ知らないやつに練習メニュー指図されたくねえ!」「お前、顧問じゃねえのかよ!何で来ねえんだよ!授業が増えたとか知るかよ!部活の時間は部活に来いよ!俺の言うこと聞けば勝てるって言ったよな?じゃあ命令しに来いよ!」
私も、授業準備や他の生徒の対応で部活になかなか行けない日がある。やっと体育館に行くと、もう終了の挨拶…なんてことも、何度もある。
生徒は部活に休まず来てるのに、顧問は部活に来ない…なんて、不満に思っても仕方ないよな、と思うけど、授業準備も部活動指導も、教員にとっては両方とも「仕事」だ。私自身はかなり部活が好きな方で、沖先生もかなり部活が好きな方で、でも部活よりも優先しなきゃいけないことがある状況は、すごくよくわかる。
でも、それは部員には「わかってくれ」と言ってもわかるもんじゃないよな、というのも、すごくよくわかる。
コーチが来て、彼らの練習風景はがらりと変わる。活気が出る。それまでだらだら惰性でやっていた練習が、意味付けされて、みんなが「勝つために」練習をやり始める。
新入生が入ってきて、二年生になった松坂たちは少しずつ「自分の武器」を身につけていて、チームは確実に強くなったことが肌で感じられる。
そして迎えたIH予選。
負けたら、三年生の吉住と當座は引退だ。
IH予選1回戦は、勝った。でも、ミスが多くて先生に叱られる。
そして當座が、「辞める」と言い出す。
「大学受験マジでヤバいから、バスケで大学推薦がもらえる吉住と違って、俺はバスケ頑張っても何にもならないから、勉強しないとマジでヤバいから」
當座は序盤から、勉強と部活の両立に悩んでいるような描写が繰り返されていた。だからいつかはこうなる予感があった。でも、それは今なのか。三年生の、IH予選で、1回戦は弱い相手にギリギリ勝って、2回戦は相手も強いからこうはいかないかもしれないけど、でもとにかく負けたらそれで引退の、三年生の、今なのか。
そんな當座に、吉住は噛みつく。「何でだよ!」と詰め寄る。
そして溢れる當座の本音。「俺がいなくても、俺より上手い後輩がいるから大丈夫だよ。俺が試合に出るよりも、後輩が出た方がいいよ」
「下手でもお前出ろ!俺のパス受けろ!」吉住の激昂。二人きりの三年生。吉住と當座と、顧問の沖先生の三人だけでやって来た一年間。少しずつ後輩も育って、やっと勝てるようになった三年生の、IH予選。
でも、頑張ってどうなるんだろう。将来どうするんだろう。部活を頑張った、その先は?
私も、自分の高校時代、勉強を理由に部活を辞めようとしていた同級生を必死で引き留めたことがある。結局、彼女は三年生の夏まで部活を続け、一緒に引退したけれど、今でもあのときの私は正しかったのかとたまに思い出す。もしかしたら、あそこで私が引き留めずに彼女が部活を辞めて勉強だけに打ち込んでいたとしたら、彼女はもっと上の大学に行けたかもしれないと、考える。まあ、最終的に決断したのは彼女自身なのだから、そこに私がとやかく言うことに何の意味もないのだけれど、私は最後まで彼女と部活ができて、とても楽しかったのだけれど……。
教員になってからも、勉強と両立できないから部活を辞めようかと悩んでいるという相談を受けたことは何度もある。そのたびに、私は止めてきた。それが正しいかはわからないけど。
今でも、必死に練習する部員たちを見ながら考えることがある。バレーを頑張ったからといって、進路の保証があるわけでもない。この時間を、補習やアルバイトに費やす方が有意義な生徒もいるかもしれない。でも、この経験はきっと、いつかどこかで、何かの役に立つんじゃないか…。
「これが将来にどう活きていくか」なんて、考え出したらキリがない。とくに教員の仕事なんて、どんな指導をしたとしても、本当にそれが生徒にとって良かったかわかるのは、5年後が10年後か、何年先になるかわからないし、もしかしたら一生わからないままかもしれない。
それでも、今一番良いと思えることをやるしかない。
IH予選2回戦。
格上の相手に、チームは苦戦する。でも、全く勝てない相手ではない。今、自分たちにできる、最高のプレーを。
残り時間あと6分。点差はわずか。負けたら、ここで終了。勝ったら、もう少しだけバスケができる。
今年のIH予選。地区大会は勝ち抜いたけど、県大会は1回戦から格上の学校が相手で、良いプレーはしたけど、負けてしまった。
バレーボールに制限時間はない。先に25点取った方が勝ちだ。じわじわと、相手の点数が25点に近づいていく。
「ああ、このまま、このまま終わってしまうのか。もっと見ていたかった……もっと見ていたい……いや、まだ終わってない、希望はある……うちがここから○点取れば…………」
そんなことを考えながら祈るように試合を見ていたことを思い出した。
そのときの、バレーコートの中の選手の気持ちはわからない。でも、今、目の前の、バスケットコートの中の選手の気持ちは、客席まで伝わってくる。きっと、同じだ。彼らも、彼らも。そう思うと涙が出た。
舞台上の試合のシーンでは、本当にバスケの試合が行われていた。
もちろん、ある程度の段取りはあるだろうが、シュートが決まるかは打ってみないとわからないところは、試合と同じだ。シュートが決まればこう、外れたらこう、みたいなパターンはあるのだろうが、それも、試合と同じだ。
何のスポーツでもチームで行う競技すべてに言えることだろうが、上手いチームは「いるべき時に、いるべきところに、いるべき人が、いる」と感じる。
それは、演劇も同じだと思う。
何をやるのが良くて、自分は何がやりたくて、それがどう自分のこの先に繋がっていくかは誰にもわからない。
何かをやるにしても、何かをやめるにしても、自分が「良かった」と言えなきゃいけない。
いろいろなものが重なって、なんだかもうわけがわからなくなって、最後の方はほとんど泣いていた。
泣きすぎて拍手ができなくて、それだけが心残りなくらい、泣いていた。
だからいつも感想はTwitterで呟いたりするのだけれど、今回はあまりにも自分のプライベートな事象とリンクしすぎてしまったから、匿名ブログに託すことにする。
観に行って良かった。
を、ふと今日思い出した。
授業の最中、強烈な尿意に襲われた。休み時間まであと20分以上はあったと思う。
その一言が恥ずかしくて言えなくて、下腹部に力を溜めて一生懸命おしっこを我慢していた。
時間が経つにつれ、冷や汗が出てきて頭が真っ白になっていった。
どうしようどうしようという焦燥感に襲われて、頭はその事でいっぱいだった。
もうだめだ、と感じた瞬間、股間からじわっと温かい感覚があった。
あとはもうそのまま。
我慢したけど少しずつおしっこは漏れていって、パンツも制服もびしょ濡れになった。
幸い、当時椅子にはお母さんお手製の座布団が敷いてあったのですぐには床には垂れなかった。
じわじわと、座布団に染み込んだおしっこは椅子の足を伝ってゆっくりと床に水たまりを作っていった。
当時、机の横に雑巾をかけるというルールがあったため、急いで雑巾を床に落として足で拭いた。
壁側だったからできた荒業だったと思う。
漏らした、どうしよう、気づかれていないか。
周りを慎重に見回しながら、目線が下に行っている生徒がいないか確かめた。
いない、よかった、誰も気付いてない。
おしっこでぐしょぐしょになった制服のまま、床を拭き終えると、壁と机の間に雑巾を押し付けて、何事も無かったように授業に勤しんだ。
次の中休みか何かで友達がトイレ行こうと言ってきたので席を立った。
濃紺セーラー服は濡れ染みが目立たなかったのでトイレで下着やスカートを一生懸命トイレットペーパーで拭いた。
一生忘れそうもない出来事なのに、すっかり忘れていた。
自宅のソファでごろ寝していた時に、ふとトイレ行きたいなと思った瞬間にハッと思い出した。詳細な記憶が全部湧き上がってきた。
あの時、後ろや隣の席の子は本当に気がついていなかったのだろうか。
匂いがあったんじゃないだろうか。
誰にも指摘されず、そのままこの歳まで過ごしてきた。
あなたのおかげで推しができました。ありがとうございます。
ホッテントリに入っていたこの増田を見て、追記最下部のキタコレって知ってる?を見て、なんとなく調べたのですが見た瞬間衝撃が走って一目惚れしました。
いままでの推しははじわじわと好きになって推しになる子ばっかりだったのですがキタコレの黒い方の子は本当に見た瞬間「この子推しだな」って悟りました。一目惚れで推しができたのは初めてです。
今日の朝一目惚れして、帰りにとりあえずTSUTAYAに行ってCDSをたくさん借りてきました。気に入った曲はmoraでハイレゾを買いなおすつもりです。
ゲームもインストールしてはじめましたが、とりあえず感想はキタコレがとても夫婦で好きです。
アニメはストーリーがマジで意味わからないけどとりあえず是国会だけでも見て!!!と友人に言われたのでアニメも見ようと思います。
友達の紹介で知り合った男(以下マサルと呼ぶことにする)と共通の友達2人と私の4人でマサルの家に泊まった日、宅飲みで泥酔した私はマサルの前で別れた彼氏の愚痴を言いながら泣いていた。マサルは私が泣き止むまで抱きしめながら頭を撫で、〇〇は悪くないよ、とずっと慰めてくれていた。そんな私達を見かねた友達は、翌日みんなで帰りの準備をしているときにお前マサルの家にもう一泊すれば?と言ってきた。冗談ぽくえーマサルまた泊めてくれるのー?と言うと快諾された。
彼氏でもない男の家にふたりで泊まるなんてありえない、襲われても文句言えないぞビッチじゃないかと自己嫌悪する自分と、フリーの今遊ばないでいつ遊ぶんだというどこか吹っ切れた自分がいた。
私は性欲が強い方なので、正直別れて定期的にセックスをしない今は欲求不満だったし、なにより誰かに求められている実感が欲しかった。寂しかった。
シャワーを浴びて、ベッドに横になっているマサルの隣に潜り込んだ。何気ない話をしながら左耳に開いたピアスを触ると、マサルがビクッ、と体を震わせた。
耳感じるの?とじわじわ責める。
「俺耳が一番弱いから…」恥ずかしそうに仰け反るマサルがとてつもなく可愛く見えた。
急に苛めたくなって、そのまま手を乳首に移動させた。マサルの乳首は陥没しているようで、スウェット越しということもありどこにあるのかわからない。余裕そうに「乳首埋まってるから感じないわ〜」と言ってきたが、そう言われるとさらに燃える。それっぽい場所を爪で引っ掻くと、さっきよりビクビクと体を震わせた。と同時に陥没していた乳首が顔を出した。スウェット越しでもわかるよ?と言いながら両手で両乳首を責めていると可愛い喘ぎ声を上げていた。聞くと乳首を責められるのは初めてらしい。
そのまま馬乗りになり耳から首筋を舐めながら両乳首を責めていると、「はっ…待って……あっ、あ、あ、休憩…」と抜かすので、そのままスウェットをめくり乳首をしつこく吸うとさらに大きい声で喘いでいた。「俺にも責めさせて…」と言うので責める余裕あるの?と笑いながら聞くと「ない…っあ、か…も……」と息も絶え絶えに言ってきたので可愛い〜!!と頭を撫でながら抱きしめた。昨日の夜とはまるで逆である。
そろそろ休憩してもらい、のち責めてもらうことにした。
マサルはワンナイト経験が豊富なこともあり、乳首の触り方や手マンを心得ていた。挿れたいと言ってきたが、辛うじて保った私の理性で好きな人のちんこしか挿れたくないと言った。ひたすら乳首を責められたマサルはパンツを我慢汁でびしょびしょにしていたのが可哀想だったのでフェラで抜いた。
シャワーを浴びてから朝までぐっすり寝たが、起きた途端にマサルの乳首をこねくり回してその気にさせてしまい、朝も挿入以外は全て行ってしまった。責められるのも確かに気持ちいいが、元彼の時とは違いやったことに全力の反応で応えてくれるマサルは責めがいがあって最高である。帰りの車で次の約束を取り付けてしまった。
セフレというものは女が男にとって都合のいい関係に成り下がってズルズルと…というものだと考えていたが、私の場合は自らの性癖をさらけ出しお互いに気持ちよくなれるので今のところは完全にWIN-WINである。厳密に言えば挿れてないからセックスフレンドとは言えないのかもしれないが。
セフレとの関係に関わらずいつか人間関係には終わりが来るが、そのときまで私はたまに責められつつマサルの全身を責めたいと思う。
ツイッターで相互フォローしてるリア友、ここ1~2年じわじわとミサンドリーな内容のRTが増えてきて困ったなあと思ってたんだけど、とうとう男をオスと呼び始めたのでミュートすることにした。
お互いに敬い合えるような友達ではなく、友達の友達だったからつながったというだけの単なる知り合いなので、残念とか悲しいとかいう気持ちは特にない。
ただ、人がミサンドリーという思想に堕していく過程はなかなか興味深かった。あーあ、そっち行っちゃったか、という感じ。
以前、フォローしている人が統合失調症にかかって荒唐無稽な妄想に蝕まれていく様子をツイッターを通してリアルタイムで観察してしまったことがあるのだけれど、あの時の感じに少し似ている。