はてなキーワード: ケレン味とは
うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。
でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか。
三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。
六十枚とした理由は2つあって、
もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクションの新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである。
その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。
といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。
「Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。
なぜ「Number」テイストのフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。
「Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。
簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。
それをフィクションに適用すれば、フィクションとノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。
そうしてNumber文体で小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。
さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。
ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。
小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌「Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。
高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。
そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。
そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。
そのことを書こうと思ったのだ。
題材は、高校野球にすることにした。
書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。
だから最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである。
ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。
その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである。
おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。
そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。
分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落でコンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである。
そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。
「緻密に選手にクローズアップするNumberの文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。
覚悟はできてるか、俺はできてる。
(中略)
とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)
するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分のものとは思えなかったのだ。
いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語が自分が考えたものだとは思えなかったのである。
それはまるで、もとからこの世界に存在していたものであるかのようだった。
いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。
ぼくのしたことは、その事実をテキストとして書き起こしたにすぎなかった。
つまり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである。
そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。
なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである。
そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。
しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。
いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。
そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、
原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである。
しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。
何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。
評価されなかった。
それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。
しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。
その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。
落ち込んだ。
ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。
ぼくの敬愛するルソーやゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。
カフカや宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。
そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。
立ち直った。
ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。
処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社の編集者である加藤++さんから、小説の執筆依頼を受けたのだ。
そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。
思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。
チャンスがキタ。
ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね
その時、ぼくは決意した。
この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。
そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。
あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。
チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。
そうして書いたのが、「もしドラ」だった。
大ヒットした。
それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社のマンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。
しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。
その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。
その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンのハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。
これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。
チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。
すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。
それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。
このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。
ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。
村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋に文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。
ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。
そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版の編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます。
最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガ「ドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガや創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20110728011524
http://anond.hatelabo.jp/20110714195517
ekken と同じくスナイプ系だが、こちらはユーモアも混ぜるより柔らかスナイパー。
やみふうは語らない、ただブクマする。その件数がただ 8 万あるというだけ。
学術的な記事をよくブクマ。
彼のハンドルネームを手打ちで打てる人は誰もいない。本人でさえも。
Chikirin の粘着ブクマユーザ。彼の批判が活き活きしている時は、本体の Chikirin の記事も面白い。最近イマイチで寂しい。
HiromitsuTakagi と共にフィーチャーフォン、スマートフォンの脆弱性を愚直に丁寧に発見する。野生のセキュリティホールディガー。
BM98 の作者だったり、人気の iPhone ゲームアプリを全力でほめけなしたり、コンピュータ将棋を全力解説したりの(いい意味で)オールドタイプなオタクの開発者。
昼休みじゃ足りなかった件。
思いの外、たくさんの方にブクマして頂いて感謝です。今回列挙したユーザは、自分が普段ブックマークのページ + はてな Chrome 拡張で見られるコメントしてる人を中心に主観で選考した方々です。自分の知らない「この人も有名だよ」っていうユーザを紹介されたりして、同じはてなユーザでも視点が違う(見ているページの傾向が違う、コメントに共感するか等)と全然目に止まらなかったりするんだなぁ、と気付かされました。
パーマリンクもなく捕捉されにくいブクマコメントは、twitter 等のように槍玉に挙げられて炎上することも少なく(たまに引用指摘されるくらい、そのくらいはご愛嬌)馴染みの喫茶店の連絡ノートのように人知れず栄える討論の場のような空気感でいつも楽しませて頂いています。これからも皆様ひっそりぽつぽつとコメント頂けますと嬉しく思います。
yteppei, yaneurao, heimin
pollyanna, kensuu
すまんね、そりゃたしかに俺の文章が悪い。申し訳ない。
要するに、安定してると思える職を得るっていう一つの競争の段階には勝った、ってだけの意味と思ってくれ。
「椅子を守る」っつのは競争の継続なので、自分が競争の中にいる負け組だってことには全く異論ないよ。
それはもうあなたの仰る通り。これは全体的に俺が悪いな。文章にケレン味を出そうとし過ぎた。ごめん。
なんらかの方法でここから抜け出さない限り、永久に負け組みなわけで。
これからの若者は競争に勝つことではなく、競争社会から離脱することが勝ち組の条件になるだろうなぁ。
音楽業界人じゃなくても、Girl Next DoorがAVEXによって
作られたブームでしかないのは、わかってるでしょ。
Perfumeは真似して似たようなの作っても、恥ずかしいだけだと思う。
全編ボコーダーとか、さすがに入れられないでしょ。
むしろ中田ヤスタカなら、COLTEMONIKHAの方が参考になると思う。
味付けに中田ヤスタカ風のを取り入れるのはアリなのでは?
後は、そろそろピチカートファイヴの中期くらいの曲とか、再評価してもいい時期かと。
ロックテイストが強いものなら、アルバム「Overdose」辺りが売れ線のヒントになりそう。
あの2つを例に出すってことは、女性アーティスト向け楽曲なのかな?
思うんだけど、今こそ正統派の歌謡曲を書けばいいんじゃないかと。
ただし、今風の音作りで、新しい要素も取り入れつつ。
神前暁の作る曲は、参考になると思う。
もじぴったんのテーマ(ナムコのゲーム)、アイドルマスターの楽曲もろもろ、
晴れ晴れユカイ(涼宮ハルヒ)、もってけセーラー服(らきすた)、
とにかくケレン味が強くて、メロディラインがハッキリした曲を書く人。
ということで、コルテモニカ、ピチカートファイヴ、神前暁の3つを参考に、
おしゃれアイドル歌謡を作ってもらいたい。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0811/05/news020.html
はてなは11月5日、ソーシャルブックマークサイト「はてなブックマーク」(はてブ)を11月25日にリニューアルすると発表した。検索機能や記事の自動分類機能、コミュニティー機能を強化。ユーザーインタフェースも改善する。
リニューアルに文句を言ってるんじゃない。相当の労作で大幅な改善がされているらしいし、それはそれで期待している。そんなことより、なんのためにわざわざ大々的に発表会なんてのを開いたのよ?
「はてブはもう、ITだけじゃない」――都内で開いた発表会で同社の伊藤直也CTO(最高技術責任者)はこう述べた。現在のはてなブックマークで目立つ記事はITや技術系記事が中心で、ユーザーもIT系に偏りがちだったが、リニューアルでIT分野以外の記事も目立つ仕様に変更。初心者にも使いやすくし、ユーザー数とユーザー層を拡大する狙いだ。
これでしょ。ユーザ拡大のまたとない契機を最大限に活用するって事じゃないの?この機会に、今のタコツボの中じゃなくて、外の広い世界の人達に広く知って貰って、がばっと大量の新規ユーザを呼び寄せたいんじゃないの?それなのに、発表の内容は、
いやいや、本当に解りやすい。非常に良いまとめになってる。ワクワクさせる素晴らしい発表だ。…はてなの村民にとっては。
違うでしょ?全然違うでしょ?何もかもが全く違うでしょ?あんた、誰に向かって言ってるのよ?
何も知らない新しいお客さんに「へー、よくわかんないけど面白そう」と思わせる、もっとほわーっとした全体的な印象とインパクトを伝えるのが先でしょ。今を知らない一般人に対してそんな具体的な事は補足でいいんだよ。
「はてブはもう、ITだけじゃない」って裏を返せば、タコツボの蛸イラネとか、ITオタばっかとか、非モテうぜえとか、そう言う事だよね。それなのに、相変わらず実直というかケレン味がないというか。要は直也は、本当は、村民大好きのツンデレって事か。
この書き込み見て少ししてから図書館で借りて返却日当日の朝に読み終えた。面白かったわ。
桜庭一樹は少女には向かない職業読んであんまり好きになれないで砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないは最初の数ページで読む気無くしたんだけど。
昨晩ね、『ケータイ刑事 銭形愛 「カメラは見ていた!ワンシーン・ノーカット〜BS−i連続殺人事件〜」』再放送(本放送は2002年)見たんだわ。伝説の。スゲーのな。半ばネタアイドル番組なのに、ここまで本気で叙述トリックを仕掛けてくるとは。久々にテレビで感動した。
で、鑑識柴田役の金剛地良かったよー。ケレン味と演劇人の渋みがイイ感じにミックスされてて。
まぁそれにも増して、宮崎あおいが最強だったわけですが。
前半みんなに邪険にされて「こいつらみんなバカ」って顔してスネつつカメラ見切れるか見切れないかの背景でフワフワフラフラしてる制服姿のあおい可愛いよあおい可愛いよハァハァ(AAry
小劇場。客は俺を含めて4人だった。
内容はそれなりに満足できた。(というか、良い見世物を見せてもらった感じ)
ただ、ちょっと思ったのは、松本の感覚が古くなってないか?ということだ。
いや、正確に言うと、松本の感覚というか、テレビ的な感覚かも知れない。
日常的に接しているメディアがテレビ中心からネット中心に変わったので、その辺の影響があるかも知れないとも思う。
あと、こちらとしては気合いを入れて映画を見に行く訳で、この映画に映画的な重さ(無駄やケレン味)がもっとあれば、イベントとしての評価もまた変わったんじゃなかろうか。
・・・今気がついたのだが、そういえば、明らかに内容的にも、テレビのいやらしさが強調されていた作りだった。
どこまで狙って作っているのかは分からんけど。